二本差しについて
 

 時代劇をみると、昔のおサムライは腰に刀を2本差している。でかいのと、小さいの。なんでサムライ・ソードにはでかいのと小さいのと二種類あって、しかも同時に腰につけるのか?
 
 ソードというものの世界的に常識的な使い方というと、まず、片手になるという。

 両手で使用するのはグレート・ソードのような特殊な大剣の部類であり、剣は片手で使用し、残りの手には盾を装備する場合もあったし、だんびらの二刀流もあった。

 中世ヨーロッパの騎士、イギリスのアーサー王、フランスの三銃士、ペルシャのシンドバット、インドのダマスカス戦士、グルカ人、中国の剣士たち。みな片手で剣を振るっている。日本だって、弥生時代〜古墳時代あたりには盾があったのに、いつのまにやら剣(つるぎ)は刀(かたな)となり、片手は両手となった。

 そこいらの経緯はこの項の目的ではないし、私でなくとも、もっとくわしい書物やサイトがあるので割愛。
 
 それは良いとして、外人などは、なんで2本あるの? というのが不思議に感じるらしい。
 
 某テレビ番組で、外人の観光客に、ガイドが、長いのは攻撃、短いのは防御、と答えていた。

 そりゃ宮本武蔵の二天一流じゃ。そもそもあれは二刀流じゃなくって……(略)
 
 打刀の拵えは、大小で正式であり、床の間とかによく飾ってあるものも大小でワンセットということです。(陣太刀は大のみです) 
 
 つまり正式な刀をセット装備しているというのは、正式な武士、士官しているものの証拠です。

 とはいっても、武蔵あたりがいたころは、浪人でも二本差しだったらしい。たぶん、家光ころになって、時代が安定してくると、浪人や隠居は一本差しで、士官の者や剣客は二本ということになったのではないでしょうか。また、小刀は大刀が折れたり曲がったり刃こぼれしたりして使えなくなった時の予備と考えるのが戦闘法としては妥当だろう。

 前置きが長くなりました。

 我々、居合(剣道形)をするものにとって、いっつも大刀だけで稽古しているが、我々はただの浪人なのか? たとえ士官せずとはいえ、剣客たるもの、二本差しでふだん外を出歩いて、いつ何時襲われるやもしれぬというときに、

 「あ、ちょっとまって、いま小刀はずすから……」

 こんなことで良いのであろうか!?

 などと考えるのは、私も含めてよほどの武術ファンでしょう。もしくは時代劇ファン。
 
 というわけで居合道における二本差しの考察です。 (やっと本題)
 
 前にじっさいに見たことのある古流で、柳生制剛流というのがあって、これは大刀と短刀(小刀ではない)を差して演武をしていました。柳生制剛流は、柳生新陰流における居合部門なのですが、柳生新陰流にはそもそも居合はなく、制剛流という別の流派の居合をまるごと取り入れて、柳生流の居合道としたそうです。これは、大森流というまるで別の流派をまるごと取り入れて初伝とした我らが土佐英信流に経緯は同じ。
 
 (ちなみに、剣術が主の柳生新陰流と柔術が主の柳生心眼流は、まったく別系統の武術です。柳生心眼流には、甲冑からの戦場居合があると雑誌に載ってました。新陰流にも心眼流にも、いろいろな専門サイトがあるので興味のある方はご探求を。)
 
 制剛流では、それで、私の記憶に間違いがなければ、まず両の手を幽霊のようにぬーと上にあげて、それからおもむろに上から柄を握っていました。

 我々、夢想神伝流居合道ではまるであり得ぬ柄の握りかたで、そんなことを講習会でしようものなら、「なにやっとるかー!!」です。
 
 しかし私は、すぐ分かりました。あれは(たぶん)小刀を避けてるんだな、と。
 
 小刀は、もちろん大刀に比べれば小さいのですが、二本差すと、意外と大きく、馴れぬうちは柄がすごい邪魔です。刀(鍔)同士がガチガチ当たるし。

 直伝流では、この小刀の柄をちゃんと避けて、大刀の柄を握るように業ができているそうです。直伝にかぎらず、昔からの(江戸時代からの)古流には、ちゃんと小刀を想定して、業ができているものが多そうです。
 
 では神伝流はというと、流祖に帰れということで、太刀居合をめざした博道先生が、一刀からの居合ということで、柄の握りかたを変えているように感じます。

 なぜなら、腰からぶら下げる太刀に小刀は差しませんので。短刀は差すらしいですが。あくまで、小刀は、打刀の一種で、大刀・小刀でワンセットが正しいように感じます。太刀と小刀では、チグハグです。
 
 とはいっても、本当に太刀を使うわけではなく、あくまで大刀で太刀居合を再現する、という形だろうと思うので、やはり、柄を下から(仏壇を拝むように)握るよう変えてあると推察します。
 
 もっとも、神伝流でも二本差してやっても特に問題はない、とは私の先生の言。
 
 えーと、とりあえずじっさいにやってみましょう。たまたま、岐阜の刃物祭で買ってきた小刀(模擬刀)があるんです。もちろん居合刀です。

 大刀は2.45尺です。小刀は1.4尺ぐらいかな。

 なんか恥ずかしいので、1人で部屋で実験です。
 
 小刀を差す事は「楔を打つ」ともいわれ、大刀をしっかり固定する用途もあります。

 差し方は、いろいろあるようですが、適当でいいと思います。同じ帯の内に差すも良し、大小の間に帯を1枚か2枚はさんでもよし、ではないでしょうか。鞘どうしがこすれあうのを防ぐには、帯を挟んだ方が、良いのかも。

 大刀1本で差していて、うまい具合に安定させる場所(重心)を見つけて水平に保っていても、帯がゆるんだりすると、すぐ柄が上を向いて鐺(こじり)が下をむいて、「落とし差し」 になってしまいます。
 
 こいつは浪人やヤクザの差し方で、袴をはいてそれをやっているのはそうとうみっともない。(だらしない)
 
 大刀の下に小刀を差すと、大刀が小刀の上に乗っかって、ガチッと安定します。小刀は元々短いですし、帯に挟まる部分も刀全体に比して大きいので、小刀はまずグラグラすることがありません。それが建物の基礎部分のようになって、大刀が、すごく安定します。
 
 この効果は、新鮮な驚きに満ちています。
 
 まさに楔を打つとはこのことじゃと実感した次第。もっとも業をして帯がゆるんでくると、大刀はどうしても落ち気味になりますが。。。

 次に驚くのはその重さ。馴れないとズッシリきます。すぐ馴れますが。

 姿形も、新鮮な驚きに満ちます。まるで、はじめて刀を差して思わずニヤニヤしてしまった最初のときのことを思い出しまして、はにかんでしまいます。
 
 そして小刀の邪魔なこと。これはなかなか馴れませんです。
 
 大刀の向きはどうでしょうか。小刀は柄が2時の方向で固定。大刀は、柄が正面の12時の方向を向くか、同じく2時(というよりちょっとズレて1時)の方向を向くか。

 個人的な感想ですが、自分でやってみて、私は、大刀は12時より1時の方がより安定するような気がします。

 柄が正面だと、2時の小刀と大きくクロスして×字を書くわけですね。これでも安定しますが、どうもちょっとグラグラくる。もっとも安定するのは、柄が同じく斜め右前(大1時小2時)だと感じました。もっと狭い潰れた×字です。

 しかしこれだと、刀が二振りとも差し表が前を向いて、かなり横にデッパリます。人込みなんか歩けません。部屋でもタンスにガツガツ鐺(こじり)が当たる。

 うーむ、サムライはけして相手の向かって右側を歩かない、いわゆる「左側通行」だったという噂を聴いたが、これが理由でしょうか。
 
 などと感じ入る。
 
 右側通行だと刀が当りまくって「無礼者!」「無礼者!」になり放題でしょうから……。
 
 ↑ 一説によると、鞘や鐺が壁や塀に当たるので、武士は右側通行、というのもあるようです。武士同士がすれ違うときは、位の低いほう、あるいは同格の場合はお互いに大きく右側に避けた、とか。こういう 「当時の一般常識」 はあくまで常識なのでわざわざ後世に残そうとも思わず、現代ではまったく資料が無くて不明になっている。いずれタイムマシンやタイムテレビでも発明されない限り、永遠に謎でしょう。
 
 さて、ではじっさいに二刀で、大森流を試してみましょう。
 
 初発刀、左刀、右刀、当り刀、特に問題なし。神伝流の、下から手を柄に添えるやり方でも、右手首の上にちょうど小刀の柄がきてですね、そのまま抜刀できます。

 ただ、納刀の時に、小刀の柄に、右手がぶつかる場合もありますので、最初は、気をつける必要があるかも。

 ぶつからぬよう意識するのと、小刀をちょっと柄を上に向けておくと、良いかもしれません。直伝流では逆に下にちょっと向けておいた方が良いのかもしれません。
 
 陰陽進退(替業)も特に問題はないです。動きが激しいので、小刀がけっこう邪魔になるのでは、と思いましたが、まあ、右手に小刀の柄が当たるのはこれはしょうがないと思います。でも、業を妨げるほどに邪魔ではありません。「気になる」程度です。馴れれば問題なし、かと。
 
 流刀は、うーん、どうだろう、と心配でしたが、意外、すんなりできます。順刀も特に……。
 
 逆刀は、納刀の時に、どうなんでしょう、ちょっと練習がいるかも。やりづらいです。

 これは納めきった時に、小刀が右手の上に来るか下に来るかで、納刀時の鯉口の場所も決まってくると思います。抜刀時とまったく同じ姿になるという理念を実行する為には、小刀の柄は右手の上に来るのがイイ。とすると、鯉口をグッと下に押し下げて、大刀の柄も右手をちゃんと水平にして、最初から小刀の柄の下の位置で納刀すると、ちょうど良くできます。というか、コレ、一刀の時と同じ要領じゃん。

 勢中刀、虎乱刀、抜き打ち、ぜんぜん問題ないと思います。
 
 二刀でもまったく普通にできますですよ。

 ついでに試しにやってみた中伝の浮雲もできたので、たぶん、中伝から奥から、べつに二刀でも問題なしというのが、予想されます。

 なんだあ、神伝流でも、二刀でやりゃできるんだ!

 少し、感動。

 納刀に際しては、普通、古流でも納刀はタテ納刀です。小刀がある場合、こちらの方が納め易いのは自明の理。しかし、それをヨコでやっても、二刀でもぜんぜん問題なことが証明されました。
 
 あとは些細な「馴れ」の問題で、小刀の柄が少々右手に当たったぐらいでうろたえて業をしくじることの無いように、たまには二刀でも稽古しておくと、いざというとき役立つことでしょう。昔の武士はそれこそ二刀が当たり前だったので、もう体が自然に小刀を避けたのでしょう。

 などと考えるのは、アホらしいことでしょうか?

 せめて羽織袴の正式演武のときくらい、武士ならば二刀でやったほうがカッコイイと思いますが。

 いつか私もそれくらい上手になったら、こっそりやってみたいと思います。裏稽古しておこうっと(笑)




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