土俗の印象


 2019夏コミックマーケット96へ出品したオリエント工房主催同人誌「伊福部ファン」2号へ寄稿したものを全文掲載します。ウェブで読みやすいよう、改行は1行空けにしてあります。

     
 


はじめに

 伊福部が林務官時代を過ごした北海道厚岸郡厚岸町に、チンベノ鼻と呼ばれる小さな岬がある。伊福部は、日本狂詩曲の受賞を厚岸で受けた。その後、土俗的三連画という曲を書いた。チンベノ鼻の悲しい伝説が、土俗的三連画第2楽章のどこか侘しい、哀しい楽想に影響を与えているようにも感じられる。

 当初、この岬を訪れて短い紀行を書き、土俗的三連画の紹介につなげるつもりで本稿を企画したが、諸事情で紀行は間に合わなかった。厚岸のほかにも伊福部紀行は企画しているので、焦らず次の機会に譲りたい。


1. 土俗的三連画

 そのようなわけで、土俗的三連画である。日本狂詩曲も厚岸で受賞の知らせを受けたので縁のある曲といえるだろうが、当地が直接的に作曲における根源的標題を与えているのは、断然土俗的三連画だろう。

 ちなみに「根源的標題」とは、コンスタンチン・フローロスがマーラーに対して云うところの、標題音楽ではないが音楽の内容が明らかに標題的なものに対して、作曲の動機として内在する「標題的なもの」を定義づけている呼称である。

 日本狂詩曲でチェレプニン賞を得た伊福部が、来日したチェレプニンの招きにより1か月ものあいだ横浜へ滞在。作曲のレッスンを受けた。レッスン料もとらず、滞在費から何からチェレプニンの私費で賄われたという。チェレプニンは当時、横浜の山手にあった外国人専用ホテル「ブラフ・ホテル」の別棟個室へ長逗留し、伊福部へ作曲のほか、ヨーロッパ流の一流の酒のたしなみなどを教えた。伊福部の終生変わらなかったダンディーさは、ここでその基礎を身につけたのだと思われる。

 片山杜秀や柴田南雄による各種CD(レコード)の楽曲解説や、伊福部昭綴る及び伊福部昭綴るII(小林敦編:ワイズ出版)に納められている伊福部自身が書くところの土俗的三連画に対する解説を参考にし、当曲を俯瞰したい。

 作曲の経緯は、既に作曲者自身の回想と作曲者よりその経緯を直接聞いたであろう片山で、微妙に異なっている。

 伊福部によると、横浜でチェレプニンよりレッスンを受ける中で、日本狂詩曲のような大規模な編制は再演が難しいから、次は小編制の曲を書くと良いことや、もっと身近な事象をテーマにすることを示唆され、ちょうどその通りと思って筆を進めていた当曲を、完成した暁にはチェレプニン夫妻へ献呈することにしたという。

 片山によると、それは伊福部が横浜から北海道へ戻った後に、チェレプニンが演奏旅行で札幌を訪れた際に再会して云われたという(KKC-2090ブックレット)。これも片山が勝手に書いているわけではなく、インタビュー等にて伊福部よりそう聞いていると考えられる。

 そこは伊福部も戦前の、20代そこそこの頃の記憶であり、多少はあやふやになっていたものと推察する。


 昭和10年、北大の農学部林学実科を卒業した伊福部は、同年10月、林務官として厚岸の森林事務所へ赴任した。既に大正6年には厚岸まで鉄道が通っていたが、伊福部は厚岸駅に到着、渡し船で厚岸湾を渡った。正直、今でもあまり大きな町とは云えないが、当時も道都札幌より着任した伊福部はかなり寂しい印象を持ったようで、「第一印象はやはりかなり寂しい街に思われました。特に夜分は人通りなく、漁場特有の喊高い焼玉エンヂンの音がポンポンと鳴りますが、それがすむと全くの静寂で、ただ岸に打ち寄せる波の音ばかりといった印象でした。」(伊福部昭綴るII P53)とある。

 仕事は林務の現場仕事の一切合切で、特に伐採しごろの樹木を選定し伐採許可を出すことは、重要な仕事であった。冬は山小屋へ一人でこもり、雪山を歩き巡っては木を観察し、無断伐採を監視していた。

 漁漁師たちは新しい船を作るために木が欲しいのだが、勝手に切っては盗伐といって処罰の対象となる。そこで、伊福部の元を訪れてはやれ飲めそれ飲めと強い酒を薦める。当時のことだから、粗悪な日本酒と焼酎だろう。そこで酔いつぶして、その隙に木へ伐採許可の印をつける道具を失敬し、勝手に許可印をつけて伐ってしまうという乱暴なことをやっていたという。もしも本当なら、アルハラどころか犯罪である。

 しかし伊福部も然る者。「酔わないようにして飲む訓練」(文藝別冊 伊福部昭 P65)をして、いくら飲んでも酔わなくなったという。精神の持ち方だというのだが、ただ単に肝臓が強いだけだったと思う。

 また無断伐採の現場を見ても見逃してやり、その礼に漁師たちが魚を持って夜にやってきたとか、伊福部がヴァイオリンを弾いてやると喜んで木こりや漁師たちが四里先からも集まったとかというエピソードが同じく文藝別冊に残されている。

 そのような生活の中で、伊福部は既にそんな暮らしや風景を写し取ったような室内楽作品を書いていたが、改めてチェレプニンよりそのような作品を書くことを薦められ、土俗的三連画として結実。チェレプニン夫妻へ献呈された。

 土俗的三連画は3楽章制で、演奏時間は10分少々という小曲である。編制は14人。1管編制となっているものの、ヴァイオリンを除き絃楽器もソロなので厳密には室内楽の14重奏としか云えないもの。以下列挙する。

 フルート 1
 オーボエ 1
 クラリネットB♭管 1
 ファゴット 1
 ホルン 2
 トランペット 1
 ティンパニ 1
 ピアノ 1
 ヴァイオリン 2
 ヴィオラ 1
 チェロ 1
 コントラバス 1

 タイトルはフランス語で TRIPTYQUE ABORIGENE とあり、同時にロシア語でも

 НАРОДНЫЙ ТРИПТИХОН (読みはナロードヌィ・トリプチーホンか?)とある。

 作曲者の名前も

 伊福部 昭
 Akira Ifukube
 Акнра Ифукубэ

 と3種類記載されている。

 これはやはり、チェレプニン夫妻へ献呈されているためにロシア語でも表記されていると考えるのが自然だろう。


第1楽章 Payses “Tempo di JIMKUU” 同郷の女達

 JIMKUUとは甚句由来と考えられるが定かではなく、どういうテンポかは明らかではない。ただ、メトロノーム指示は四分音符112とある。新版スコア後書きの伊福部の解説によると「アイヌが律動を指す言葉」としているが、アイヌ民族博物館のアイヌ語アーカイブで検索した限りでは、そのような単語は見当たらない。現代では失われた、厚岸地方の云い回しかもしれない。 
 Payses とは仏語で「出身地の同じ女性達」の事を指すそうで、ようするに日本語の副題である「同郷の女達」ということになる。

 伊福部によると「当時北海道東岸の寒村に住し、絶えず山野を歩き廻らねばならなかったので、自由な時間は殆ど無く、僅に夜の時間を利用し、ランプの光で此の作品を書いた」(伊福部昭綴るII P34)。そのような辺境の世界に生きるアイヌや、開拓民の女性達への「全き共感の所産」(同P35)「古代の祖先のような女達への共感から生まれたもの」(同P54)である。

 固い木の部分で強烈に叩かれるティンパニの一打と共に、序奏無しで特徴ある踊るような三連符を伴う旋律がオーボエに現れ、弦楽がそれを支える。それから5/4の変拍子による合いの手を挟み、トランペットから3/4拍子の後、さっそく主題を特殊奏法が装飾する。チェロとコントラバスにはその3/4拍子から「胴体をノックしろ」とあり、ティンパニは続く4/4拍子から「ケトル(釜:胴体)を木のスティックで叩け」とある。

 この部分、ティンパニはタカタカ、タッタッ、タカタカ……と速い音形なので、たいていの演奏は両手を使ってケトルではなくリム(膜面を締める金属の枠の部分)を叩いている。本当にケトルを叩くと、後に登場する膜面とケトルとを同時に叩く部分は演奏至難である。片手で膜面を、片手でケトルを叩かなくてはならない。タッタ、タカタカ、タカタカ……という速い音形を、全て片手で叩く必要がある。

 日本狂詩曲で、ティンパニは音を変えられる楽器だということを知ってはいたが「なんとなく低い太鼓と高い太鼓の組み合わせとしてティンパニを使っていた。」(文藝別冊 伊福部昭 P61)として、移調時に音替えを指定していなかったくらいだから、いくらチェレプニンの指導後とはいえ、私は伊福部がいきなりそんな細かい奏法に開眼したとも思えないのである。普通に和太鼓のようにリムを叩く想定で、ケトルと指定したのかもしれない。

 じっさい、令和元年7月執筆現在、当曲はCD録音が9種類あるが、高関/札響の2014年ライヴ録音を除き、ほぼ全てリムを叩いている音がしていると感じる。リムを叩くと和太鼓の枠打ちと同じくカッカッ、カタカタと締まった音がするが、ケトルを叩くとティンパニ内部の空洞に音が響くのでカンカン、カカカカァ……という少し籠もった音がする。高関/札響の2014年ライヴをよく聴いて音色の違いを味わっていただきたい。またこの演奏は実演にも接し、この目で確認している。間違いなく指示通りケトルを片手で叩いている。

 また1988年12月11日放送の芸術劇場で、外山/N響の演奏による土俗的三連画の演奏録画を確認すると、ティンパニはケトルを専用に叩くため、小型のバロックティンパニを倒して横向きに固定し、通常のティンパニで膜面を、ケトル打ちはそれを両手で叩いていた。色々と、工夫する必要がある曲である。

 さて、主要主題が再現されつつ、オーボエの16連符の後、派生主題がヴァイオリンによる吹き流しの合いの手と共にフルート、続いてピアノに表れ、さらにオーボエ、ヴァイオリン、トランペットと次から次へと様々な楽器によって数小節の短いスパンで音色旋律がごとく現れる。絃楽はズンズンと伴奏を引っ張り、盛り上がってからハープのようなピアノの大グリッサンド。

 ホルンを支えにフルート、ヴァイオリン、トランペット、クラリネット、オーボエらに矢継ぎ早に再び主題。6/4拍子、5/4拍子を推移して低絃のボディノック、また5/4拍子の合いの手を挟んでヴァイオリンに民謡風の特徴的な別の派生主題。今度はオーボエのバックに第2ヴァイオリンの裏ボディノックと、ティンパニは「指の爪で叩け」の指示による饗宴、さらに短い経過部を経てフルートによる新たな主題、ノックはチェロへと移り、ケトルと膜面同時打ちティンパニと打楽器的な世界を造り上げる。チェロがピチカートとノックを併用する中に、主題が堂々と各楽器を渡り歩いて極彩色の全合奏的に盛り上がってゆくが、急速に音量を下げてゆき、主題がとぎれとぎれになりながらテンポも急減速。あっというまにファゴットとピチカートのポンで唐突に終わってしまう。


第2楽章 TIMBE (nom regional) ティンベ

 仏語で「地方の名称」とあるので、固有名詞ですよ、というほどの意味のタイトルに思われる。また伊福部自身もティンベと書いたりティムベ、チンベと書いたりしているので、ティンベ(ティムベ)と書いてチンベと読む……といったところか。

 ここでいうムは mu ではなく、m の単音を意味し、マリムバとオーケストラのためのラウダ・コンチェルタータと同じく、ムとンの中間ぐらいの音である。

 現在の厚岸町では「あやめヶ原」という、初夏に菖蒲の咲く平原があって、その先にチンベノ鼻という小さな岬がある。

 解説によるとこの岬ではかつて和人に追い詰められたアイヌの女性が身を投げたという伝説があるそうで、音楽もどこかもの悲しい。全部で27小節しかなく、全て純日本風の旋律と音階(陰旋法)により、民謡風の世界が短く紡がれる。テンポ指示は四分音符48とある。

 また当時ここに「森林事務所の小屋があり」伊福部は「幾度か仕事のため一人で泊りました。」とあって「いわばそんな印象です。」(伊福部昭綴るII P54)

 2本のホルンで、どこかもの悲しい民謡風旋律が提示される。しばし歌うように続き、続いてオーボエとヴィオラにしっとりと受け継がれる。途中で、ピアノの「ハープのように」という指定のあるグリッサンド。そしてフルート、ヴァイオリンへ泣き節。ピアノのつぶやきからファゴットの呻きがあり、あとはもう、弱音で終結する。

 この特徴的な主旋律を、柴田南雄は「もとの旋律は東北地方から渡った子守唄でもあろうか?」(VICC- 23008ブックレット)としている。

 じっさい、厚岸は江戸時代の寛永年間(1624〜1644)には松前藩によりアッケシ場所が設けられ、和人とアイヌが交易を行ない、また千島を南下していたロシアとの接触もあった。江戸時代中頃には神社や寺が建てられており、その時代から日本人とアイヌが混在していた。明治23年には諸藩士族が屯田兵として入り、開拓が進められた。この諸藩というのは、もちろん戊辰戦争で負けた東北諸藩であろう。


第3楽章 PAKKAI “cant d'AINO” パッカイ

 仏語で「アイヌの歌」とある。パッカイとはアイヌ語で「背負う」「おぶる」という意味で、アイヌ民族博物館ホームページのアイヌ語アーカイブにもその意味で検索できる。ただし、正確には「子供をおぶってあやす」時に使う言葉で、大人を背負う時はパッカイと云わない。また子供をおぶる紐をパッカイタ?、子供でも赤ちゃんをおぶる場合はポンパッカイと云い、子供をおぶって歌う子守歌をパッカイ・イヨンノッカ、子供をおぶる際の帯をパッカイクッと云う。子供ではなく、食べ物(穀物や鮭など)を運搬する際に背負うときに云う地方もあるようである。

 伊福部にあっては、厚岸の祭りの際にアイヌの古老が酔って必ず歌った曲の名がこのパッカイであるという。想像するに、子供をおぶってあやす様子を歌ったものか。曰く「歌も踊りも涙ぐましい程の単一なモティフの繰り返し」で、「洪牙利(ハンガリー)ジプシイの旋法に似たC.H.A.Gis.音の下降運動は、其等の全き再現である。」(伊福部昭綴るII P35)

 全体は明確に6つの部分に別れ、複数の主題を繰り返しながら進んでゆく。

 テンポ指示は四分音符100とある。ウポポやリ?セを想い起こさせる飛び跳ねるようなヴァイオリンの主題提示に、ファゴットが特徴的な伴奏。この伴奏音形は、伊福部の他の曲でも良く出てくるので耳馴染みがあるだろう。主題はフルート、ヴァイオリン、オーボエを移ろい、練習番号3でC.H.A.Gis.による音階提示がヴァイオリンとヴィオラに現れるが、録音では木管とトランペットの主題に隠れて余り聴こえない。それに導かれ、ヴァイオリンに第2主題ともいえるジプシー風主題が登場する。3/4拍子の合いの手を挟む形でフルート、オーボエで受け継ぎ、ティンパニの連打と共にクラリネットに新しい3つめの主題が登場。第2の部分へ入る。

 新主題は断片的にクラリネットからオーボエ、ホルンと続き、チェロに弓の背で行なわれるノック奏法も出る。5/8拍子で律動的な経過部を経て激しく踊り、大きなグリッサンドから一転して静かな第3の部分へ。

 ハープを模したようなピアノのポンポンという高い音から、フルートとクラリネットに2楽章の主題にも似た旋律が登場する。対比するように主題がオーボエ、ヴァイオリン、ファゴット、トランペットに次々と短く移って、オーボエとファゴットの次にホルンの二分音符からテンポが戻り、第4の部分へ。

 クラリネットがファゴットとコントラバスを伴奏に調子よく第3主題の派生を奏し、ティンパニの一打を景気づけにヴァイオリンに受け継がれ、すぐさまティンパニの連打とトランペットの給与査定めいた難解ソロに続く。これは、間違いなく酔っぱらってふらふらしている様だ。トランペットは最後にパふぁー〜、と不思議な音形で終わる。新版ではドロップという指示があり、ジャズ奏法のように唇だけで不安定に音程を下げる指示だそうだが、下がった音を書いてしまっているので、みなさん真面目にピストンでしっかり吹いてしまう場合が多いという。

 私は初めて聴いたとき、間違って演奏しているのかと思ったほどアンバランスだが、酔漢のため息ととれば納得するほかは無い。深酒を飲んだ者ならば、誰しも分かるだろう。

 そしてフルートが冒頭のヴァイオリン主題の変奏と思われる主題を奏し、第5の部分へ。テンポは少し上がって四分音符108となる。忙しく全楽器に主題が移りながら推移し、ティンパニもドカドカ鳴って、コントラバスには「胴を指の爪で叩け」の指示も。トランペットの上昇音形ソロからゲネラルパウゼで第6の部分へ。

 テンポはまた四分音符100となり、日本狂詩曲も思わせるヴァイオリンの主題(対位法めいた副主題はホルン)へ合わせてチェロは拳でノックと掌でスラップを使い分けたリズム奏法で伴奏。ピアノのグリッサンドからティンパニの膜面とケトル同時打ちも祭太鼓で景気よく、ヴィオラは裏面を叩いて大きく盛り上がる。

 第2の部分のクラリネットからはじまる主題をトランペットが再現・派生させ、オーボエ、クラリネットへ続き、やがてヴァイオリンに冒頭主題が戻ってくる。

 そして冒頭主題をやや繰り返した後、次にファゴットの伴奏に導かれてジプシー風主題の再現に移る。ジプシー風主題を3/4拍子の合いの手による経過部から二度繰り返し、二度目はチェロのボディノックとコントラバスのボディフラップで伴奏。続けざま、ティンパニのボンボンでいきなり終結する。これは3/4拍子の合いの手の二回目途中で終わってしまうという、まことにモダンで洒落た終結だ。

 このように数種類の主題が入れ代わり立ち代わりに現れ、少しずつ変化して行く自由形式で、その意味でロンドっぽくもある。室内楽ならではの味わい深さと簡素化の極みのような書法、極めて複雑なリズム進行が同居した面白さがある。


 その書法というべきか、専門的なことは分からないが、この土俗的三連画のスコアは実にストラヴィンスキーっぽい書き方をしていると感じる。音楽自体はまるで異なるが、意識的にせよ無意識にせよ、春の祭典やペトリューシュカによく似ている。

 また、伊福部はどうして当曲を「土俗的な三楽章」あるいは「土俗的三章」とせずに三連画としたのだろう。そこはやはり、ドビュッシーの交響的素描「海」を意識したように思われてならない。ドビュッシーの「海」は標題音楽というより印象音楽であり、海の情景を描写したというより、海の印象を描写した音楽である。この土俗的三連画も、北方に生きる人々の暮らしをそのまま描写したのではなく、それを根源的標題として、印象を音楽の中に留めたように聴こえてならない。

 さらに云うと、この小洒落た音色は完全にプーランクやミヨー、ルーセルあたりの室内楽に通じていると感じる。伊福部はその民族的、土俗的な主題や和声によりロシアや中央ヨーロッパの民族楽派と同列に語られがちだが、書法や音色、音調の探求は完全にフランス楽派に通じていると確信する。


 伊福部はこの曲を聴くと「窓下に海音がきこえ、ジリで薄暗い街並みが目に浮かびます。」(伊福部昭綴るII P54)としている。「ジリ」とは初夏、北海道太平洋岸に現れる海霧(かいむ:うみぎり)のことで、私の住む胆振地方では「ガス」という。「ジリ」は根室、釧路地方の道東方言である。これが出ると気温が一向に上がらず、凄まじい冷気に襲われ、7月といえど最高気温は20℃前後となる。ましてや朝方などの最低気温は10℃前後で、夏なのに朝夕はストーブの出番となるほどである。海から妖怪が如くやってきて街全体を包みこんでしまい、昼といえど冷たい白昼夢の世界となる。

 伊福部の印象では、とにかく孤独な、もの悲しい世界が広がっているように思える。


 さて「N響80年全記録」(佐野之彦:文藝春秋)64pに、興味深い記述がある。敗戦後の日本では8月15日から22日までの8日間、GHQの指令により「歌舞音曲の放送」が禁止された。解禁後、NHKは敗戦後の国民へどのような音楽を届けたら良いか苦慮しながら順に22日は和歌と漢詩の朗唱、23日にようやく琴の演奏、24日に童謡、そして25日についに日響(現N響)の演奏でオーケストラが放送された。

 その時のプログラムが、尾高尚忠指揮による自作自演の「ピアノと管弦楽のための狂詩曲」と、伊福部昭の「北日本の民謡による組曲」であったという。

 私はすわ「伊福部の未知の曲の演奏記録発見!!」と勇んだが、これがどうも土俗的三連画のことであるらしい。らしいというのは、確証がとれなかったからだが、とにかく関係者に伺ってもそんなタイトルの楽譜は無いというし、時期的に見ても土俗的三連画以外の曲は考えられないので、私もそれが正解なのだろうと思っている。

 ところで、どうしてタイトルが変わって放送されたのか。おそらくだが、戦後すぐの微妙な時期に「土俗的」というタイトルが民族的なものに通じることから、何かしらGHQへ忖度させるものがあったのではないか、としか云いようが無い。

 日本で戦後初めて放送された曲の1つとして当時のことへ想像を巡らせてみても、この曲の味わい深さが増すというものである。


2. 土俗的九連画

 伊福部ファン第0号の目録によると、令和元年7月執筆現在で、CDになっている土俗的三連画の録音は9種類である。以下、順に確認してみたい。

@エッシュバッハー/NHK交響楽団 1955年ライヴ KKC-2090

 絃楽五部はソロではなく合奏形式。当時のホールは響きも悪く、14人編制ではよく聴こえないと判断されたものか、昔は伊福部の了解の元に絃楽を合奏形式で演奏していた。

 モノーラルの時代的な録音で演奏のミスもあるが、絃楽の数が多いだけに特殊奏法が良く聴こえて面白い。また、純粋な外国人指揮者による西洋的解釈の貴重な伊福部でもある。新古典的なガリッとした演奏で、情緒的な節回しはあまり感じない。


A山岡重信/読売日本交響楽団 1972年セッション VICC-23008(最新盤:NCS-608/9)

 セッションなので絃楽は編制通り。録音がガサガサしている部分もあるが、かなり楽譜に忠実で余計な泣き節のない良演。1楽章は快速テンポだが、2、3楽章は楽譜通りだと思う。セッションだからか、絃楽器の特殊奏法もよく聴こえて面白い。

 ただ、録音だけ聴くと誰が何をやっているのか曖昧だ。実演を鑑賞するかスコアを参照すると、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスがそれぞれいつどこで何をどうやって叩いているのか分かって非常に面白い。伊福部の指示は、異様に細かい。

 例:「拳で胴を叩け(ノック)」「弓の木で胴を叩け」「拳で楽器のサイドを叩け」「拳で楽器の裏を叩け」「掌で胴を叩け(スラップ)」「1拍目を掌で叩いて、後は拳で叩け」「指の爪で胴を叩け」等


B山田一雄/新星日本交響楽団 1986年ライヴ FOCD2512(最新盤:FOCD9531/32)

 これも絃楽セクションは合奏である。ヤマカズらしく、テンポが速めで旋律の節回しに独特のクセがある。集中力が高く、表現は厳しい。2楽章も緊張感があって揺るぎない。3楽章も楽しげな音形にごまかされがちだが、非常に尖った演奏に感じる。


C石井真木/新星日本交響楽団室内オーケストラ 1988年ライヴ LD32-5077(最新盤:QIAG-50105)

 叙勲記念コンサートでの模様。初めて9人の門弟による、土俗的三連画と同じ編制の「伊福部昭 讃」という小曲が披露された場で、最後に当曲が演奏されたもの。

 会場のせいか音響と録音が悪く、細かい部分がよく聴こえないが、石井の手堅い指揮で確実に進んで行く。テンポも忠実で、伊福部臨席の元、指揮も奏者も緊張して演奏した感じが伝わってくる。


D樋本英一/ゾリステン'85 1993年ライヴ TYCY-5369/70(最新盤:UPCY-6828)

 伊福部の室内楽の個展ライヴより。たっぷりとテンポをとり、他の演奏で速く激しくなりがちな5/4拍子の部分もじっくりと鳴らしており、伊福部らしい堂々たる響き。ミスもあるが、ライヴならでは仕方のないところか。


E広上淳一/日本フィルハーモニー交響楽団 1995年セッション KICC-175

 伊福部監修のセッション録音で、非常にカチッとした、襟を正した演奏。崩しは一切なく、正統派である。その分、少し固すぎる嫌いもあるかもしれないが、スタンダードとしてお勧めできる。


F石井真木/新交響楽団 2002年ライヴ KICC-377/8

 伊福部米寿記念演奏会のライヴ録音。やはり会場の関係か不鮮明な部分もあるが、石井らしいたっぷりとしたテンポで、自信を持って進められる。ティンパニのケトル打ち音は、かなり共鳴した音がしているので、リムではなくケトルを専用に叩くティンパニを用意しているかもしれない。


G堤俊輔/伊福部昭記念オーケストラ 2008年ライヴ SOWR1005

 第2回伊福部昭音楽祭での模様。実演に接したが、あまり印象に残っていない。ライヴの瑕疵やホールならではの録音の不鮮明さはあるが、たっぷりのテンポで堂々と演奏される。


H高関健/札幌交響楽団 2014年ライヴ KICC-1153

 伊福部昭生誕100周年記念定期演奏会の模様。札幌のキタラホールはやたらと響くホールだが、うまく録音されている。おそらくこれまでの全録音中、最もテンポが遅い。ただ遅いのではなく旋律をたっぷりと鳴らし、堂々たる風格である。ティンパニの迫力が凄い。良く響くケトル打ちの妙。他の楽器もかなりレベルが高い。現在、最高峰の土俗的三連画と確信する。2楽章は短い中にも寒帯林やシンフォニア・タプカーラに通じる冷たい叙情があり、たまらない。3楽章も、難所であろうと滑っている箇所はなくしっかりと演奏しつつ、叙情的に料理される。技術と情感が最高レベルで合致している。


3. 編曲版

 最後に、土俗的三連画の編曲版を紹介する。私が知るかぎり、執筆現在で4種類ある。

・ヴァイオリンとピアノ版(2010) 石丸基司編曲

 2007年に釧路において1・2楽章だけ聴いたことがある。その時、3楽章はまだ編曲中であった。


・ピアノ独奏版(2010)田中修一編曲


・二十五絃箏五重奏版(2015)田中修一編曲

 YouTubeにて聴ける。なかなか趣がある。特に第2楽章はもう日本民謡の編曲のそのものである。


・ヴァイオリン独奏版(2018)田中修一編曲

 2019年2月10日に札幌で行われた、札幌交響楽団首席コンサートマスター大平まゆみ独演会で聴いた。この曲に惚れこんだ大平の、ピアノを用意できない場所でも当曲を演奏できるようにとの委嘱による。1楽章、2楽章はまずまず良かったが、3楽章はやはり重音やピチカートの同時演奏を駆使し、相当の難曲となっていた。

 なお、伊福部本人によるピアノ独奏版の構想があった。日本狂詩曲のピアノ独奏版(2004)を初演・献呈された十勝音更町在住のピアニスト川上敦子氏のため、作曲者からの申し出による。残念ながら逝去により形になることはなかった。どこまで作業が進んでいたのか、スケッチだけで終わってしまったのか、それとも構想のみなのか……川上氏にメールでインタビューした。

九鬼:土俗的三連画のピアノソロ版が作曲されることになった経緯を教えてください。

川上:伊福部先生がその存在を世界に知らしめた名曲「日本狂詩曲」が、先生によってピアノ独奏版に編曲されたのは2004年。原曲が作曲された1935年から69年後のことでした。ピアノ独奏曲が「ピアノ組曲(原題:日本組曲)」のみであることが、当時、先生の作品と哲学に魅了されていた私を突き動かし、「日本狂詩曲」の編曲を委嘱するに至りました。先生は快諾してくださいました。

 同年5月31日の先生の誕生日にすみだトリフォニーホールでのリサイタルで初演しましたが、完成から本番までの期間も短く、また技巧的にも難曲でした。現在はすっかり私の心身と一体となった解釈や手さばきの、礎となる演奏ではありましたが、まだまだ悩み多き発展途上な状態でした。

 それでも先生は、この作品と私の相性といいますか、発展性を、脳裏に描いてくださったのでしょう。初演を大変喜んでくださり、「この仕事のおかげで、21歳の時の若き躍動感が呼び起こされ、とても楽しい作業でした。」とおっしゃってくださいました。

 その年でしたか翌年でしたか、先生から、「あなたのために「土俗的三連画」を編曲したい。あなたの演奏で聴いてみたいのです。」というお言葉をいただいたときは、感無量でした。演奏家冥利に尽きるお言葉でした。

九鬼:具体的にどこまで作業が進んでいたか、話せる範囲で教えてください。

川上:2006年、先生は入院されている最中、ご長女の玲さんに、「川上さんへの曲は頭の中にできているから、五線譜を持ってきてほしい」とおっしゃったそうです。

 ご家族も私どもも、まさか先生がそのまま数日後に、病院で息を引き取られるとは思ってもおりませんでしたので、玲さんが、「パパさん、退院してきてからにしたらよいわ」とお答えになったのは当然のことでした。玲さんは、「あの時、五線譜を持っていけばよかったのに、ごめんなさいね。」と、ずっとおっしゃってくださいます。

九鬼:もし完成していれば、技術的、雰囲気的にどのような曲になっていたと想像しますか。

川上:先生は私に、「土俗的三連画は、オーケストラ版は音が多すぎるように感じるのです。ピアノ独奏のほうがきっとよくなると思うのです。」とおっしゃいました。このお言葉から、先生はどの部分でどの楽器の音を省こうとしていらしたのかと思いを馳せます。

 第1楽章「ティンベ」はどの音も必要かつピアノ一台で演奏可能に思われますし、第2楽章は尚更です。そうすると、第3楽章「パッカイ」でしょうか。しかしながら各楽器の掛け合いの妙に聞き惚れてしまい、私には音が多いとは全く感じられないのです。九鬼さんはどう思われますか? 先生が、音が多いとおっしゃったのは、「音の数」ではなく「音色(楽器)の数」という意味だったのでしょうか。

 「日本狂詩曲」ピアノ独奏版を聴き、「オーケストラではわかりづらかった各声部の細かな旋律の動きがよくわかる」とおっしゃってくださったのは、九鬼さんではなかったでしょうか。これぞまさに、他の楽器の音量にかき消されることなく、一人で各声部のバランスをはかることが可能なピアノ版ならではの成果でしょう。「土俗的三連画」ピアノ版でも同じ効果が得られたでしょうし、弦楽器特有のうねりを出せないピアノですから、より原始的な表現ができたことと思います。

 オーケストラを一台で表現するピアノ版では、私が大好きな、山田一雄さんが指揮する「日本狂詩曲」のような、血が騒ぐ速度での演奏は不可能です。あの速度だからこそ表現できる圧倒的な勢いと迫力に代わるものをピアノで、と考えたとき、オーケストラ版とピアノ版を全く別個の作品として考えることが必要でした。その模索の結果が、CDに収められている演奏です。宣伝のようですが、こちらをお聴きいただければ、読者の皆様にも「土俗的三連画」ピアノ独奏版を想像していただくことができるのではと思います。

※筆者注:川上敦子演奏のピアノ独奏版日本狂詩曲は、(ピアノリダクション)ラウダ他 ゼール音楽事務所 ZMM1209に収録されている。

九鬼:その他、伊福部先生についてなにかありましたらお願いします。

川上:会った瞬間、言葉も交わさぬ内に、その方に会えたという事実ではなく、その方自身から感銘を受けたのは、後にも先にも2003年、伊福部先生に初めてお会いしたときのみです。2006年2月、先生にお目にかかるために予約をしていた東京行きの飛行機は、先生とお別れをするための飛行機となりました。空の上で私は、先生の生きてきた道を、ずっと考えておりました。そして私は突然、先生に出会った瞬間に感銘を受けた、その理由を知ったのでした。伊福部昭という存在は、先生ご自身が歩まれてきた道のりが作り出した作品そのものであり、私は、「無為」の真の意味を知る、その作品に感銘を受けたのだということを知ったのでした。

 伊福部先生の存在がなければ、あらゆる意味で、今の私は存在しません。

 伊福部先生は人生の師です。

九鬼:ありがとうございました。


4. おわりに

 川上さんの問いに答えつつ、土俗的三連画という日本人作品史上、希有の名曲を振り返りたい。

 川上さんの述懐によると、最晩年の伊福部はこの室内オーケストラの作品を「音が多すぎる」と感じていたという。

 確かにスコアを確認すると、聴こえている音の割りにはみっしりと音符が詰まっている印象がある。薄いところはもちろん薄いのだが、ボディノックなどの特殊奏法を含めると、うるさい場面も多い。そのうるささが面白さに通じているのだが、伊福部はよく若いときの「うるさい」作品を「若気の至り」としていたので、そのつもりだったのかもしれない。

 川上さん指摘の通り、もし土俗的三連画をピアノソロでリダクションした場合、最も難しいのは第3楽章だろう。ここのオーケストレーションは、言語を絶する凄味がある。良くもまあ、たった14種類の楽器でこれだけ書きこんだものだ。

 そしてそれは、同じ室内楽でも晩年の「蒼鷺」や「因幡万葉の歌五首」と比べると対極にある。

 初めてピアノ独奏版の日本狂詩曲を聴いたのは、2005年。音更町で川上さんが札幌交響楽団をバックに高関健の指揮でリトミカ・オスティナータをやった際に、会場でCDを販売していて、その中にワールド・プレミアムということで収録されていた。このCD(piano-007)はおそらく私家盤なのではないか。IFUKUBE Akira Complete Piano Works と題され、川上さん他のピアノで、ピアノ独奏版日本狂詩曲の他、トッカータのピアノ版や、ピアノ組曲、2台のピアノ版のリトミカ・オスティナータが収録されている。

 ピアノ独奏版日本狂詩曲を初めて聴いたとき、あまりの音の少なさに自分もかなり戸惑った。あの芳醇なオーケストラの日本狂詩曲が、こんなにスッカスカになるものかと思った。

 しかし、分厚い音を削ぎ落としに削ぎ落としたその中に、確かに純粋な旋律と最低限の和音のみがクッキリと浮かび上がっていて、日本狂詩曲の骨格、あるいは核心、そして魂を聴いた気がし、それを川上さんにメールか口頭か忘れたがお伝えした記憶がある。

 それが、その境地が、最晩年の伊福部の頭脳の中で、土俗的三連画にもあったのだとしたら。

 最初から最後まで、クッキリとつながる魅力的な旋律線。その旋律を音色旋律のように次から次へと移り変わる楽器の妙で露わにし、特殊奏法の数々が彩りを添える。それらを、最低限の楽器で最大の効果を得て行なっている土俗的三連画。

 それがいったんすっかり白紙となり、さらに少ない極限の音のみで紡がれ直される。

 考えただけで想像力がかき立てられる。いったい伊福部の頭の中では、どのような音が鳴っていたのだろう。おそらく我々の想像をはるかに超えて、驚くべき大胆さで原曲の様々な表現をバッサリ削ぎ落とし、核のみをさらけ出してくれただろう。

 しかし、無い物ねだりをしていてもはじまらない。

 演奏時間も短いし、伊福部特有の派手さや重厚さも少ない土俗的三連画。だが、日本狂詩曲やピアノ組曲よりもむしろ土俗的三連画こそ、初期伊福部の最高傑作に感じている。


 協力 川上敦子さん 堀井友徳さん




  
 

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