琵琶の歌の興のこと


 2021冬コミックマーケット99へ出品したオリエント工房主催同人誌「伊福部ファン」第3号へ寄稿したものを全文掲載します。ウェブで読みやすいよう、改行は1行空けにしてあります。

 コロナ禍により、2年ぶりの発行となりました。

   


 


【前号追記】

 前回(伊福部ファン第2号)の『土俗的三連画』のエッセイで、伊福部門下の一人である作曲家の石丸基司編曲によるヴァイオリンとピアノ版に、奥村智洋のヴァイオリン、新垣隆のピアノによる演奏がYouTubeに上がっているのを見落としていたので紹介する。楽章ごとに分かれ、3本の動画がアップされている。面白い編曲と素晴らしい演奏なので、ぜひ検索して頂きたい。




 伊福部最晩年のオリジナル作品に、歌曲『蒼鷺』(2000)と並んで、筝曲『琵琶行 ─白居易ノ興ニ效フ─』(1999)がある。

 伊福部は老子に精通し、中国古典にも広く親しんでいるのは高名であろうし、日本に伝わった中国古楽器である明清楽器のコレクター兼研究者であったのも高名だろうが、映画音楽を除き、その作品で直接中国に題材をとったものはこの『琵琶行』を除いて他に無い。

 いや、強いて言えば『管絃楽のための音詩“寒帯林”』が現中国東北部である満洲の自然を題材にしているが、いわゆる中華とは異なると認識する。

 やはり『琵琶行』は伊福部作品の中でも特異と捉えざるを得ず、私のようなひねくれた人間は、訳もなくそういうマイナーな「存在」に心惹かれる。

 また、高名オーケストラ曲は自分以外にも突っこんでいる方が多くおられるし、まだまだ新発見もあるような気がして、もう少し後回しにしたい考え及び感情があり、まずは一般の伊福部ファンもあまり掘り下げて注目していないであろう『琵琶行』に着目したい。箏の演奏者・愛好家は別にして、この『琵琶行』を常日頃より愛聴している伊福部ファンが、どれだけおられるだろうか? 「滅多に聴かない」あるいは「聴いたことがない」という方のほうが多いのではないだろうか?

 私も、聴きこんでいるのかと問われれば、『シンフォニア・タプカーラ』のほうが何十倍も聴いている。

 それはその人それぞれの楽しみ方の問題であり、無理をして聴く必要はどこにもない。

 しかし、深く切りこんでみると、相当に味わい深い曲であるのも確かなので、もし聴いたことがないのであればこれを機会に一回くらい聴いてみるのも一興だろうし、一回くらい聴いたことがあるかも……という方は、改めて聴き直してみると新たな魅力に気づく……かもしれない。

 また、令和3年執筆現在、ネットを見渡しても演奏会の紹介や簡単な感想以外に『琵琶行』に詳しく触れている伊福部ファンは皆無だったので、自分なりの魅力の再発見も兼ねて挑戦してみたくなったというのもある。


1. 白居易の長詩

 私も漢詩に詳しいかというと全くそんなことはなく、高校の国語で習った程度であって、李白と白居易の区別もついていないのが現実だった。

 従って、白居易の琵琶行も、伊福部のCDを手に取って初めて知った。

 が、CDの解説で意訳された情景を読んで満足してそれきりとなり、原詩を確認したのは十年以上も後になってからだった。いや、その時ですら、うわっ、長ッ! というほどでスルーして、本稿執筆で詳しく再確認した。

 まず長詩というだけあり、国語の時間に習った高名な漢詩に比べると、非常に長いのが特徴だ。近体詩でいうところの絶句(四句)や律詩(八句)と比べると、序文を除いて本編だけで七言八十八句六百十六字ある。

 ストーリーとしては、CDや伊福部の楽曲の解説にあるとおりだ。

 白楽天こと白居易自身は詩人であるものの、唐の時代であるからして詩の原稿料や印税で食うのは不可能で、有能な官吏……すなわち役人だった。

 低い身分の出身だったが、科挙に合格し順調に宮廷で出世街道を上って行った辺り、その有能さを垣間見ることができる。

 が、白居易は意識が高くて野心に溢れ、現代でいうところの「かなりクセの強い」扱いづらい人物であったようで、自らの信念に従い上役を平気で糾弾し、また唐の宰相である武元衡が暗殺された際には、まったく関係ない役職にあったにも関わらず犯人を刑すだけではなく背後関係も洗うべきだ、などと上申。それが越権行為とみなされ、端から宮廷上層部に睨まれ、煙たがられていたのもあり、官職を落とされ地方へ左遷された。

 その左遷先である江州(現・江西省九江市)で、元和11年(816年)長安の都を偲び自らの悲運と悲哀を嘆いて琵琶行を詠んだ。

 これなども、同じく地方官となって現在の新潟や鳥取に派遣され、奈良の都を偲ぶ歌を詠んだ大伴家持に通じるものがあって興味深い。偶然の一致か、時代も近く、家持と白居易が詩歌を詠んだのは50年ほどしか離れていない。西暦でいうと、1994年作曲の『因幡万葉の歌五首』に採用された家持の和歌は750年代であり、琵琶行は816年となる。

 従って、作曲時期の近い『因幡万葉の歌五首』と『琵琶行』は、ほぼ同じような時期に詠まれた古代の詩歌をテキストにしているという共通点を見いだせる。

 CD解説等にある琵琶行の情景は、元和11年秋の出来事であり、その前年の元和10年に白居易は江州へ左遷された。

 長安からの客人を船で送りに出ると、どこからともなく見事な琵琶の音が聴こえてくる。聴き惚れていると、都の音色がする。これは、楽曲、音階、調子が都で流行っていたもの、あるいは長安特有のもの、または都で奏されているものと同じほど洗練されたものだったという意味と推察できる。係留された船の中で弾いている者を見つけると、落魄した都の妓女であり、聞けば長安でも高名な師につき大層評判となった妓女であったが、年経て色衰え、いまや地方商人の妻となっている。白居易は思うところあり、酒と共に数曲所望する。妓女は華やかな長安の都と若かりし日々の歓楽を偲び、夫に捨て置かれ地方で一人寂しく枕を濡らす現在の嘆きを弾き語り、白居易は地方へ流されて侘しく都を偲ぶ自らと重ね合わせ、感じ入って琵琶行という詩を詠む。

 ……と、これは詩の内容というより、実は序文の内容である。こういう情景と経緯の説明の後に、長々と(と、言っては失礼だが)七言八十八句六百 十六字にも渡って詩が詠まれる。

 紙面の都合で、全文の詳細な解説は差し控えざるを得ない。

 原文のみ引用するので、まずは読めずともその字面の雰囲気を味わって頂きたい。興味のある方は、文末にある参考サイトにて読み下し分、訳文を検索していただきたい。

 ※ビルダーの関係で表示されない漢字があるので、参照サイトをご覧ください。


白居易 琵琶行


 元和十年秋 予左遷九江郡司馬 明年秋送客◇浦口 聞舟中夜彈琵琶者 聽其音錚錚然 有京都聲 問其人本長安倡女 嘗學琵琶於穆曹二善才 年長色衰委身爲賈人婦 遂命酒使快彈數曲 曲罷憫然自敍 少小時歓楽事 今漂淪憔悴轉徙於江湖閨@予出官二年 恬然自安感 斯人言是夕始覺有遷謫意 因爲長句歌以贈之 凡六百一十六言 命曰琵琶行

 潯陽江頭夜送客 楓葉荻花秋瑟瑟 主人下馬客在船 擧酒欲飲無管絃 醉不成歡慘將別 別時茫茫江浸月 忽聞水上琵琶聲
 主人忘歸客不發 尋聲暗問彈者誰 琵琶聲停欲語遲 移船相近邀相見 添酒囘燈重開宴 千呼萬喚始出來 猶抱琵琶半遮面

 轉軸撥絃三兩聲 未成曲調先有情 絃絃掩抑聲聲思 似訴平生不得志 低眉信手續續彈 説盡心中無限事 輕◇慢撚抹復挑
 初爲霓裳後六幺 大絃◇◇如急雨 小絃切切如私語 ◇◇切切錯雜彈 大珠小珠落玉盤 韋宣語花底滑 幽咽泉流氷下難
 氷泉冷澁絃凝絶 凝絶不通聲暫歇 別有幽愁暗恨生 此時無聲勝有聲 銀瓶乍破水漿◇ 鐵騎突出刀鎗鳴 曲終収撥當心畫
 四絃一聲如裂帛 東船西舫悄無言 唯見江心秋月白

 沈吟收撥插絃中 整頓衣裳起斂容 自言本是京城女 家在蝦蟇陵下住 十三學得琵琶成 名屬ヘ坊第一部 曲罷曾ヘ善才伏
 粧成毎被秋娘妬 五陵年少爭纏頭 一曲紅◇不知數 鈿頭銀箆撃節碎 血色羅裙翻酒汚 今年歡笑復明年 秋月春風等闢x
 弟走從軍阿姨死 暮去朝來顔色故 門前冷落鞍馬稀 老大嫁作商人婦 商人重利輕別離 前月浮粱買茶去 去來江口守空船
 遶船明月江水寒 夜深忽夢少年事 夢啼粧涙紅闌干

 我聞琵琶已歎息 又聞此語重喞喞 同是天涯淪落人 相逢何必曾相識 我從去年辭帝京 謫居臥病潯陽城 潯陽地僻無音樂
 終歳不聞絲竹聲 住近 江地低濕 黄蘆苦竹遶宅生 其闥U暮聞何物 杜鵑啼血猿哀鳴 春江花朝秋月夜 往往取酒還獨傾
 豈無山歌與村笛 嘔◇◇◇難爲聽 今夜聞君琵琶語 如聽仙樂耳暫明 莫辭更坐彈一曲 爲君翻作琵琶行 感我此言良久立
 卻坐促絃絃轉急 凄凄不似向前聲 滿座重聞皆掩泣 就中泣下誰最多 江州司馬衫濕



 全体に漢詩の名文らしい韻を踏んだ美しい修飾語が目立ち、かつ、劇場的にして激情的、直情的な感情の起伏を見せる。

 そこは、奥ゆかしさを尊ぶ日本的な感性・発想とは縁遠い、大陸特有のものかもしれない。中華では王朝が幾度と無く変われども、文化の根底に流れる人間の心情は、あまり変わっていないのが分かる。

 詩は、大きく四節に別れている。一節ずつ、ざっくりと観て行こう。

 第一節は、七言十四句九十八字からなる。

 楓の葉が色づき萩の花咲く瑟瑟(ひつひつ)たる秋、客人を船まで送り、酒を酌み交わしたが、管絃も無く興醒めで白けた別れになってしまった。そこへ、どこからともなく妙なる琵琶の音が聴こえてくる。別れるのを止め、琵琶の聴こえるほうへ「どなたが弾いているのか」と声をかけると、演奏が止み答えは無い。そこで琵琶の聴こえた船へ自分たちの船を寄せ、燭台へ油を足し、酒を用意させ宴をやり直した。何度も呼んで楽人を招き入れ、演奏を頼み、ようやく音が出てきたが、いまだ楽人は琵琶を抱え顔を伏せたままだった。

 第一節は、およそ、このような内容である。

 楓葉荻花秋瑟瑟 というから、よほど物哀しく侘しい秋の夜であったと推察される。さらには白けて歓も無く、別時茫茫江浸月 このように、別れ際にはぼんやりと月が川に映っており、無常観が伝わってくる。

 その中で、素晴らしい琵琶の音が聴こえてきて、おやっ、と思って宴をやり直すあたり、よほどに上手な、田舎では滅多に聴けない都の音色の琵琶だったのだろう。白居易と客の驚きが伝わって来る。また、何度も頼んで船に来てもらい、酒を用意させて宴をやり直すというのだから、よほどの腕前だったのだろうことも推察され、この後の展開に興味をそそられる。しかも、琵琶を弾きだしたが、未だ暗がりに顔を伏せている。謎めいた奏者に、興味は倍増だ。

 第二節は、七言二十四句百六十八字からなる。

 ここで、名人の琵琶の描写されるが、これが凄い。というより、漢字ってやっぱり凄いなあと思った。

 楽人が絃を締めて三音発するだけで、もう情景が浮かんでくる。絃の一音、声の一声に抑制された音調があり、志を得ない人の嘆きのようである。眉を下げ、瞑想したような表情で心中無限を歌う。手は軽く捻り、緩く撫で、時には飛び跳ねる。初めは小曲から、やがて大曲に到る。太い絃からはソウソウと驟雨の如く音が鳴り、細い絃からは切々と囁き声の様な音が漏れる。それらが入り交じって、大珠小珠が盤を転がる様な、韋吹iカンカン)たるウグイスの声が花園の下を滑る様な、氷の下を泉の水が咽び泣いて流れる様な演奏となる。やがて凍りつく様に静かになって、私(白居易)の心へ幽愁暗恨が生じた。すると、曲調が激しく転じた。銀の瓶が破れて水が迸り、鉄騎が刀や槍を振り回して突撃する様に。演奏が終わり、婦人は琵琶を立てて撥を中心に当て、裂帛の四絃一声をもって撥を収めた。気がつくと、いつのまにか集まっていた他の船もみな無言で、ただ江(かわ)の上に秋月が白い。

 どえらい感情のこもった名演であったことが伺える、凄い内容である。詩の表現も凄い。

 まず、調絃だと思われるが、軸を巻いてベン、ベンと二、三音を発しただけで情景が浮かぶとある。ホントかね。演奏が始まると、抑制が効いて、何かしら煩悶とした想いを抱えているかの様だ。輕◇慢撚抹復挑 とあり、自在に手だけが千変万化して弾いて、さらには心中無限を歌っている。心中無限て。

 続いて、大絃◇◇如急雨 小絃切切如私語 ◇◇切切錯雜彈 と、激しい雨音の様な大きい音から、囁き声の様な小さい音まで自在にコントロールし、それらを錯雜して弾くとある。

 しかもそれが、大珠小珠落玉盤 韋宣語花底滑 幽咽泉流氷下難 と、これも凄い表現だ。この辺の、日本人からするとちょっと大げさではないかと思われる修飾が、実に中華らしく感じる。

 それが静かになるや、別有幽愁暗恨生 と、白居易の心に幽愁と暗い恨みが生じたという。これはもちろん、左遷された愁いと恨みであろう。

 とたん、曲調が転じる。それもまた凄い。銀瓶乍破水漿◇ 鐵騎突出刀鎗鳴 などと、どれだけ激しいのか。琵琶が、まさに狂った様に鳴り響いたのだろう。

 そして演奏が終わると、曲終収撥當心畫 四絃一聲如裂帛 である。裂帛という言葉が、唐の時代から伝わっているのも驚く。

 感動というか、唖然というか……。知らない間に周囲に他の船も集まっていて、みな絶句している。最後がまた憎い。唯見江心秋月白 だ。そこで、前節で川に映っていた秋月が、天に白く光っているのを観る。思わず天を仰いだのだろうか。視点が下から上へ向く妙。

 続く第三節も、第二節と同じく七言二十四句百六十八字からなる。

 ここでは、楽人である婦人の自分語りが綴られる。

 婦人は琵琶を立て撥を絃へ挟み、衣裳を正して立ち上がって語りだした。

 「私は都の蝦蟇陵(長安の地名)近くの置屋に住み、琵琶を習って十三歳で独立しました。名は、教坊の第一組に書かれたこともあります。化粧をして座敷に出れば、秋お嬢さん(杜秋娘のこと。美女で高名な同時代の妓女。あるいは、秋娘で妓女の通称)に嫉妬されたこともあります。五陵(長安の富裕層街)の若衆がこぞって心付けをくださり、一曲でいくらもらったか分かりません。螺鈿の笄が壊れるほど拍子をとり、真紅羅紗の裳の裾は酌を注がれる酒がこぼれて常に汚れていました。月日の経つのも分からぬほどでしたが、やがて弟は戦争で死に、置屋のおかみさんも亡くなりました。私の容姿も衰え、店の門前は零落し、鞍のついた馬も稀になりました。私は商人の妻となりましたが、商人は利を重視し、別離に価値を置きません。先月から浮粱(茶の産地)へ茶の買い出しに行き、戻ってきません。私はこの辺りを往き来して待つほかはなく、船の周りを月が寒々と照らしています。夜も更けると、若いころを思い出すばかり。夢の中で紅い涙を流して、枕を濡らすのです。」

 なんとも、事細かに身の上を語る都落ちした婦人である。よほど、煩悶として想う所があったのだろう。まさに、吐露というに相応しい。情景描写というより、粛々と元妓女である婦人の落魄人生譚を聴かされるわけだが、単に憐れみや同情だけではなく、またどちらかと云えば俗世の話であるのに、詩情に溢れているのは流石大詩人というほかはない。

 面白いのは、門前冷落鞍馬稀 など、千二百年後でも読むだけで状況の伝わる表現だ。また日本語とは異なり、即物的でありつつ、やはり漢詩ならではの異国情緒も伝わってくる。  現代にも通じるような、花街のよくあるであろうお話に、白居易はかなり感じ入ったようだ。

 最後の第四節は、七言二十六句百八十二字。

 優れた妓女であった婦人の身の上を知り、白居易が自分の境遇と重ね合わせ、心情を発露する。

 私(白居易)は琵琶を聴きながら嘆息していたが、その話を聞いてますます深く嘆息した。互いに、天の果てまで流れてきた身としては同じだ。都では知らなかったが、今こうして知り合っている。

  「私は、昨年都を離れ、潯陽の町で病を得て臥せっています。潯陽は僻地で音楽など無く、一年を通して管絃の音はありません。家はホン江の近くですが低地で湿気が多く、黄ばんだ葦と苦竹に囲まれています。終始聴こえるのは、血を吐く様なホトトギスの声と、哀しげな猿の声のみです。春の花咲く朝、秋の月夜、独酌で酒を飲みます。山には歌、村には笛も無くはありません。しかし騒がしいばかりで、私にとっては雑音です。今宵、貴女の琵琶を聴き、仙界の楽の様で、私の耳も清らかさを取り戻しました。どうか、もう一度お座り頂きたい。もう一曲所望します。私は貴女の音楽で、琵琶の歌という詩を作ります」

 感じ入ったのか、しばし立ち尽くしていた婦人は座り直して、凄まじい勢いで琵琶を弾き始める。先ほどとはうって変わった凄絶な演奏で、周囲の満座の人々はみな顔を覆って泣きだした。その中で、最も泣いているのは誰か? 江州の司馬……すなわち薄青色の官服の身となったこの私(白居易)である。

 まあ、その、なんというか……。よほど白居易は左遷先に絶望し、我が身を嘆いていたのが窺い知れる。白居易は相当に「意識高い系」であり、皇帝の近くに侍り、理想に燃えて国づくりを行うことに熱情を燃やしていたのだが、彼にとっては奸計ともとれる罪で超ド田舎に左遷される。雨ばかりで暮らしも合わず、司馬という田舎の閑職もそっちのけで、いつ都に帰れるか帰れるかとそればかり考えて過ごしている有り様で、その恨みを都落ちした妓女に重ねるというより、妓女の境遇を利用して自分語りをしている。

 『因幡万葉の歌五首』所収の和歌でも、大伴家持は奈良の都から鳥取や新潟に赴任しただけで、この世の終わりのような嘆きと都への憧憬、そして早く帰りたいという希望が溢れている。

 それほど、都人にとって都というのは世界の中心で、僻地は絶望的なまでに文化も楽しみも情緒も何も無く、当時のことだから旅の途中や赴任先で病や事故を得て死ぬかもしれず、もしかしたら二度と都へ戻れないと想うと死んだ方がマシというほどの、絶望、それに鬱々とした感情を与えていたようである。

 日本ですらそうなのだから、広大な大陸にあっては、余計にそうだろう。

 その中で、都の薫りのする「本物の」楽に出会えた喜びと驚き、そして自分と似た境遇に共感し、感極まって涙が止まらなくなってしまったのだ。

 最後に婦人が奏した琵琶の描写が、短いながらまた凄い。卻坐促絃絃轉急 凄凄不似向前聲 とある。促絃が、速いテンポで演奏することを意味するそうである。さらに絃轉急とあり、より速くなったのだろうか。

 また、凄凄というからには、よほどに凄かったのだろう。先程とは似ても似つかぬ凄絶な演奏というのが、淡々と伝わってくる。先程は頼まれて既存曲を演奏したが、今回は自分の心情をより発露し、神がかった即興演奏だったのだろう。満座の人々が涙したというのも、興味深い。こんな田舎で、船で遊ぶ人はみな少なからず感情豊かな教養人なのだ。

 ところで、私が非常に面白いと感じたのは、嘔◇◇◇難爲聽 の一節だ。この琵琶行から転じて、現代では嘔アチョウタツで四文字熟語になっている。曰く、洗練されていない乱雑な音。やかましく騒ぎ立てている音や声。調子の狂っている楽器の比喩。だそうだ。

 すなわち、白居易にとって山の民謡や田舎の笛の音などは、音程も狂っているしひたすら喚いているだけで音楽ではなく、はっきり言って下品な雑音で、聴くに耐えないそうである。どこの御高尚なクラシックオタクだよ(笑)

 さて、近藤春雄によるとこの琵琶行のエピソードは白居易の創作である可能性があるという。それほど、彼にとって都合のよいお話であるほか、似たような内容の詩が長安から潯陽までの道中に詠まれている。白居易は都落ちする道中もひたらすら作詩により恨みつらみを重ねており、左遷が心の底から耐えがたい屈辱と苦痛だった。その集大成が、左遷からたった一年後の琵琶行である。

 その彼が中央に呼び戻されるのは、長慶元年(821年)なので、さらに五年後だ。狂ったように都へ帰りたい帰りたいと怨念めいて念じていたのだが、達観しきったのか、絶望しきって宮廷に未練は無くなったのか、中央に戻った白居易はまもなく再び地方への任官を願い出て、杭州と蘇州の刺史(地方長官。州知事に相当)となる。

 ちなみに琵琶行とは、琵琶の歌などと訳されている。中国語の「行」に、古典詩歌の体裁の一種という意味があり、そのことを指す。

 現代中国共通語の発音記号とも言えるピンインでは pi2 pa2 xing2 となり、カタカナにするとピーパァ・シィンとでもいうべきか。もっと読み易くすると、ピーパ・シンで良いだろう。数字は中国語の基本四声のうち第二声を表わし、上ずって発音される。すなわち、あえて文字にするとピー↑パ↑・シン↑という感じになるだろうか。


2.箏曲『琵琶行』

 当曲について、作曲者は次の通り語っている。

 「一部、音詩の様式を借り、序破急の自由な三部形式としました。」(カメラータ・トウキョウ 28CM -558 ライナーノートより)

 また、片山杜秀は次の通りとしている。

 「伊福部は(略)バロック音楽の修辞法や装飾法にかなり興味があった。血肉になっていた。それが晩年期の箏の音楽には出ている。最たるものは《琵琶行》だろう。」(『文藝別冊 伊福部昭』P190)

 音詩(Tone Poem)は、ほぼ交響詩(Symphonic Poem)と同義として差し支えない。特定のプログラムや情景、背景を元にして、それを音楽で表現する形式であるが、大抵の曲はオーケストラで表現され、交響詩と名付けられている。

 音詩という表現は、シベリウスが好んで使っている。聴いている分には、音詩も交響詩もあまり違いは無いように思われるが……とにかく、シベリウスにあっては、事実上は交響詩であっても頑なに音詩と冠されている(数は少ないが、どういうわけか音詩ではなく交響詩の作品もある)。高名な『フィンランディア』も、CDや演奏会では交響詩となっている場合もあるが、本来は音詩だ。

 とにかく、シベリウスにとって音詩と交響詩は、異なる認識で使われている。個人的には、より自由で幻想的な形式なものが音詩で、よりシンフォニックな構造を持っているものが交響詩と冠されているような気がする。

 伊福部にあっては、『管絃楽のための音詩“寒帯林”』と『交響的音画“釧路湿原”』がある。後者は映像作品の伴奏であり、英題(仏題?)が“Symphonic Tableaux”になっているところを鑑みるに、やはり厳密には音詩ではないのだが、独立して演奏もできるようなタイトルにしていると考えると、ほぼ音詩として良いだろう。従って、伊福部は交響詩より音詩を好んでいたことになる。

 というわけで『琵琶行』は「一部、音詩の様式を借り」とある。

 「借り」というからには、純然たる音詩ではないことを意味する。

 それはすなわち、音詩という表現形態は本来的にオーケストラだ、という想いがあったと推察される。

 もし、オーケストラ曲だったら、『管絃楽のための音詩“琵琶行”』とでもなっていたのではないか。

 しかも、単に箏曲の『琵琶行』をオーケストレーションしたとか、そういう単純な話ではなく、完全な別の曲になっていたことは想像に難くない。表現形態が異なると、表現そのものも異なるだろうから。

 従って、「バロック的手法が活かされている」のも、箏曲ならではと言える。

 伊福部の中でバロック的手法が活きているのは、やはりギター作品と、なによりリュートだろう。そもそもバロック・リュート奏者だったデボラ・ミンキンの委嘱による『バロック・リュートのための“ファンタジア”』は、タイトルや使用楽器はもとより、五線譜ではなくバロック時代の六線譜で書かれているのをみても、非常にバロック音楽そのものを意識し、かつ影響されている。

 『琵琶行』は、その集大成と言える。集大成がギターでもリュートでも無く、二十五絃箏だというのも不思議な感じがする。これは、単純に野坂惠子(当時)の委嘱によるためかもしれない。

 さて、この交響詩(音詩)という分野での超第一人者となれば、やはり大オーケストラを自由自在に駆使し、アルプスの大自然から民話から哲学書から家庭の私的な様子まで描ききった、リヒャルト・シュトラウスになる。

 当曲は、そういう細密描写を狙っているものではない。

 どちらかというと、エスキース(素描)やタブロー(音画)に近い、ザックリとした印象、あるいは断片的な雰囲気の自由な再現を狙っており、聴き手が想像できる予知を多分に残している。

 従って、曲を白居易の長詩のストーリー通りにイメージして聴いても、ピンと来ないのは明白だ。

 あくまで「序破急の自由な三部形式」の純粋音楽として捉え、白居易の長詩のイメージに準拠した音楽、といった程度に留めて鑑賞されるものだと思う。

 単一楽章制で、演奏時間は約20分。伊福部の後期の協奏曲にも準じた、長く大きな1つの楽想が自在に変化して行く音楽で、独奏曲としてもかなり規模が大きい。このような大曲を最晩年にまで書く伊福部のヴァイタリティと創作力の凄まじさを感じることができる。

 冒頭はレント・マリンコニカメンテ。〜メンテは、〜のように、という伊語で、憂鬱なように、というほどの意味。白居易の狂おしいほどの心情に合わせ、当曲は冒頭から悲愴に満ちている。ちなみに、楽章全体に渡って拍子線が無く、従って拍子もテンポ設定も無い。奏者が自由に弾く。が、そこは奏者の音楽感により、西洋音楽記譜の常識的なテンポ感が採用されるだろう。 序破急形式なので、まずは序の部分が続くのだが、序のさらに序奏部分、あるいは提示部のようなものがまず2分ほどある。

 沈鬱とした低絃の響きから、ふくよかな香の薫りが立ち上ってくるようである。上昇系の三音と装飾音符からなる主題を、変奏しながら五回ほど繰り返してゆくが、その上昇系の三音による主題前半分が『ゴジラVSメカゴジラ』に登場する『エスパー・コーラス』という曲の出だしによく似ているのが、まず注目される。  そして一瞬の間を置いて、アダージョ・ラメントーソの主部に入る。

 ラメントーソは、悲しそうに、という意味なので、とにかく悲しいアダージョということになる。ここの嘆きは、まさに江州へ左遷される白居易の嘆きであり、また落魄した妓女の嘆きだろう。この鬱々とした響きは、両者の嘆きを同時に表していると考えられる。ただ慟哭に泣き叫ぶのではなく、嘆きを装飾し、自らの身の上に耽美的に酔っている、誇張され修飾された、あるいは詩として演出された嘆きでもある。  もしくは、これはどこか宵闇の向こうの船から聴こえてくる、都を彷彿とさせる雅びな琵琶の音色なのかもしれない。

 序奏主題をさらに発展させ、ポツン、ポツンとした単音の旋律と、掻き鳴らすような三連譜、五連譜などによる音形が交互に現れる。

 そこにエコーしてくるのが、『海底軍艦』から『ムウ帝国の祈り』である。なんともエキゾチックなムウの歌として映画に登場する音形が、この序奏部に二度ほど現れる。

 そして実にバロック的、ギター的な世界となってゆく。撥で絃を打つようにも聴こえる、激しい奏法も現れる。旋律はゆっくりと、まるで船が行く様に進み、次第に感情が昂ってゆく。速度を落とし、また速め……やがて低いボーンとした小さな一音で締められて、モデラートへ至る。

 情感が増し、力強い音調となる。おそらく、ここからが破の部分。演奏時間は、ここまでで6分から7分ほど。

 嘆きに満ちた音調は少しずつ明るさを増し、伊福部ファンお馴染みのテーマへと導く。ディレットーザメンテ、すなわち楽しそうにという部分から、その主旋律が姿を現す。

 映画音楽にも多用される、朗らかな優しい旋律。聴いていると救われる。ここも、白居易と妓女両者の、在りし日の都での楽しい想い出だろう。あるいは、魚が安くて酒が美味く、景色も素晴らしい江州の数少ない楽しい部分か。

 高絃で主旋律が奏でられ、低絃で伴奏がそれを支える。まるでピアノ曲の様な造りは、二十五絃箏ならでは。

 このお馴染みの旋律は、まず『フィリピンに贈る祝典序曲』(1944)の中間部のさらに真ん中ほど、短いピアノのソロ、そしてヴァイオリンとの二重奏に見い出すことができる。意外と早い時期から使われているのに驚く。戦前の青年期から、死の七年前まで。伊福部の旋律へのこだわりと愛着、そして執念を、深く感じざるを得ない。

 また、『舞踊曲“サロメ”』(1948/87)における「サロメの登場・王との対話」の中間部で、これも短いがハープとフルートにおいて歌われる。  それから『ヴァイオリン協奏曲 第2番』(1978)の中間部、二度目の緩徐部にて、フルートの導入からヴァイオリンのソロでたっぷりと歌われている。

 そして、映画音楽では『静かなる決闘』『つばめを動かす人たち』等に使われている。

 2回繰り返されるその楽しげな想い出も、やがて消え去る。テンポが落ちて、夢から覚める。暗い。雨が降っている。江州へ来てから、ずっと雨だ。家の周囲は水浸し。気分は落ちこみ、鬱々として、曲はアダージョへ戻る。ため息の様な、それでいて嘆きの言葉の様な調べの後、レント・ドロローゾに至る。ドロローゾも悲痛に満ちて悲しいという意味なので、とにかくこの曲は至る所で悲しみに満ちている。

 そしてまたまた、伊福部ファンお馴染みの旋律の断片が顔を出す。おお……巨大な卵が見える、見えるぞ。

 ところが、例の旋律は完全には姿を表さず、トレモロによる激しい煩悶。

 ボツン、ボツンという恨みがましい独白めいた沈鬱な旋律がしばし続いて、曲はいきなりアレグレットへ至る。

 アレグレット・ベン・マルカート・イル・カントからが、おそらく急の部分。歌に充分なアクセントつけたアレグレット、という意味。ちょうど、演奏時間はここまででほぼ15分であり、残り5分。

 この「歌」というのは、激しい低絃部の装飾的な16分音符の動きの上でポロンポロンと長音で高絃が奏でる主旋律のことだと思う。これは、まったく『ギターのための“箜篌歌”』と同じパターンであり、延々と16分音符が続くのでそちらに耳が行ってしまうが、主旋律はその連符の上で長音符によって奏でられている。それが連符に埋もれない様に強調しろ、という指示だと推察される。

 ここが、完全にギター曲そのもの。完全にバロック的部分だ。こういう音調が、伊福部が愛し、憧れ続けてきた世界なのだと痛感する。ド派手な映画音楽やオーケストラ曲を愛する伊福部ファンにとって、バロックと伊福部というとまったく結びつかないかもしれないが、完全に一致している世界がここにある。

 そしてこの激しい楽想は、まさに妓女の狂った様な変幻自在の琵琶の調子であり、それにグイグイと引きこまれる白居易だ。

 その旋律の中に、序奏に現れた楽想も顔を出す。すなわち、ムウ帝国の残響である。循環形式で、楽曲全体の統一感を出す交響曲的な技法が使われている。序の部分にもあった、琵琶の撥が激しく絃を打つような、西洋楽器であればバルトーク・ピチカートのような、バチン! という激しい音も聴こえてくる。

 ありとあらゆる曲に登場するダダダ・ダダダ・ダダダ・ダンの、下降音形による伊福部三連符も飛び出し、楽想は大きく繰り返される。

 そして、より激しいピチカートの二連続からさらに激しさを増し、大きな連続グリッサンドを経て、まるで『ピアノと管絃楽のための“リトミカ・オスティナータ”』の終結部を彷彿とさせるコーダへ到る。

 高絃と低絃の動きが入れ代わって、延々と続く高絃の連符の中で低絃が大きくそして太く、長音でボーン、ボーンと壮大な旋律を奏でる。もしこれがオーケストラだったら、激しい打楽器、絃楽器、木管の動きの中で、金管が轟々と鳴っているに違いない。まさに中華悠久の大地、山々、大河を思わせる。

 それが2回繰り返され、グリッサンドの嵐。最後にアドリヴによる狂おしい大グリッサンドがあって、連符主題が高い音から低い音へ流れるように3回鳴る。

 そしてもの言いたげな短い動機の後、いきなりバツン、と、唐突に曲は閉じられる。

 カッコイイという他は無い。

 琵琶を激しく掻き鳴らした妓女が、四絃一聲如裂帛 の通り、最後に激しい裂帛の一打音で曲を閉じたのである。

 箏曲の『琵琶行』はここで終わるが、詩の琵琶行は、ここから妓女の独白である第三節と、白居易の独白である第四節が始まる。

 または、詩の最後の部分の、一同が涙するほどの妓女による最高の演奏の部分か。

 その意味でも、伊福部の『琵琶行』が単に白居易の詩をそのまま音楽化したものでは無いことが分かる。

 あくまで「一部、音詩の様式を借り」ただけの、自由な楽想なのだ。聴く方も、自由に味わわなくては、誤解を孕む。「どこが白居易の詩のイメージなのか、サッパリ分からない」という聴き手は、聴き方を誤解している。

 また副題の『白居易ノ興ニ效フ』も、その意味で重要だろう。これが完全な交響詩(音詩)であれば、おそらく「白居易の詩による」という書き方になる。「興ニ效フ」のだから、少し緩いというか、一歩引いているというか。あくまで詩の雰囲気を手本にする、といった程度のことを副題にしているのは、やはり完全な音詩ではないですよ、という注意書きなのだろう。その意味では、むしろこれは標題付の幻想曲に近い。原作の詩はあくまで作曲における根源的な標題であって、タイトル(表題)ではない。

 また、耽美的な悲痛や哀しみ、激しさに満ちているという点で、イフクベニストであると当時にマーレリアンでもある私は、この曲を聴くと交響曲『大地の歌』が想起される。そういえば、同じく中国の詩を題材にしている。中国の詩には、直情的でペシミスティックな魅力があるのだろうか。マーラーは『大地の歌』を聴いた聴衆から自殺者が出るのではないかと心配したというが、暗いとか鬱になるとかそういう音楽ではなく、とにかく、とことん耽美的なのだ。ナルシズム的な陶酔で、美しさを永遠に留めるために死へ憧れる。そういう意味の、死への誘いだ。

 『琵琶行』も、その色が非常に濃い。個人的な耽美に彩られ、一人で嘆きに自己陶酔している。

 これより五年前の作品である『因幡万葉の歌五首』が、万葉の時代より続く家系である伊福部の中でも珍しく、北方民族の言語や北方を詠んだ近代詩でも無い、直接古代の文学を題材にした、己に向き合うようなものであれば、『琵琶行』もまた老子を家学として漢文に慣れ親しんでいた伊福部にしては唯一直接その文学を題材にした、互いに珍品と言える仕事だと深く感じる。

 その両曲に、何か共通する精神を見い出すことができそうで、対になる作品だと思う。

 最後に、カメラータ・トウキョウのCD(28CM-558)のライナーノートに戻りたい。ここには、伊福部がどのようにしてこの曲を作曲するに到ったかが語られている。要約すると、二十五絃箏というのは中国の古い文献に出てくるだけで、本当に存在したかどうか分からなかった。しかし、古代中国の遺跡より遺物としてそれが発見され、実在したことが分かった。今日、日本でそれが復元され、感動的である。野坂氏(と、カメラータ・トウキョウの井坂氏)より二十五絃箏のためのオリジナル作品を求められていたが、楽器の持つ長い歴史に圧倒され、しばらく筆が動かなかった。そんな折、野坂氏と客人と三人で会食をした機会に、中国料理屋にて中国琵琶の生演奏をしていた。それを聴いていると、白居易の琵琶行の冒頭を思い出した。白居易も、二十五絃箏を愛した一人だった。その詩の趣と興に倣って、作品をまとめてみようと思い立った。

 中華レストランで楽しく会食をした際に、部屋の隅で行われていた琵琶の生演奏を聴いて、白居易の琵琶行の冒頭を思い浮かべるというのだから、その教養、知識、恐るべきである。根源的な標題に対する深い理解と見識があって、作品に深みと凄味が生まれていることを実感する。


3. インタビュー

 さて、当曲については、白居易の詩の要約ばかりが一人歩きし、意外に知られていない部分が多い。その意味で、謎めいた曲であろう。まず、ちょうど伊福部が当曲を作曲・初演した時期にアシスタントを務めていた、東京音楽大学で事実上の伊福部教室最終門下生となった堀井友徳さんに、当曲についてメールでインタビューした。

 ──伊福部先生が『琵琶行』を作曲しているころ、堀井さんは先生の近くにいらっしゃったのですか?

 堀井 はい。自分が伊福部クラスに在籍中(90年代)に先生が作曲されていましたし、箏の野坂先生も教室に毎回いらしておりました。

 90年代の先生の作品に関しては、『琵琶行』を含めほとんどの作品は、レッスンに譜面を持参されたり、初演の演奏家の方々がいらして試演のようなことをされたりしていました。『琵琶行』もそうです。確かその『琵琶行』のスコアを、僕が伊福部先生や野坂先生の目の前でピアノで弾いた記憶があります。

 ──その際、伊福部先生はどのような感じで作曲されていましたか?

 堀井 先生はいつもそうなのですが、真っ白なスケッチブックに五線を引いてメロディ(モチーフ)を書かれます。ですのでそれは1、2段しかないんです。  スコア用の五線紙に書くのはだいぶあとで、色々プランを練りながらじっくり仕上げていきます。この作品も無論そういうプロセスで作曲しています。

 ──琵琶行について、伊福部先生の語っていたことや想い出など、話せる範囲で教えてください。

 堀井 思い出といえば、『琵琶行』のCDレコーディングに行った時のことです。カメラータのCDですが、この時確か山梨県のホールだったのですが、特急あずさに乗って出かけ、帰りはそのカメラータの井坂社長と野坂先生と僕の三人で特急で帰り、車内で野坂先生が「打ち上げしましょうか」と缶ビールを奢ってくださったのを覚えています。

 ──琵琶行について自由にお願いします。

 堀井 この作品は、先生の箏作品の総決算のような大作ですね。ある意味では主題と変奏という形式だともいえます。90年代の作品は、先生の中でもすごく叙情的でセンチメンタリズムを強く感じます。それは先生ご自身にもお話ししたこともあり、「うむ、まあ人生の年輪を重ねているからねえ」と苦笑されていました。

 私ごとですが、自分はその時期に影響を受けたせいか、自分の初期の作品がセンチになったのはそのせいではないかなあと勝手に思っています(笑)  この作曲当時に生まれた若い二十五絃箏奏者たちが、こぞってこの『琵琶行』を取り上げる時代になったようです。

 続いて、二十五絃箏の演奏集団4plusのメンバーで、後記する本曲のCDを出しておられる佐藤亜美さんにもメールでインタビューした。

 ──4plusのアルバム『二十五絃箏に依る伊福部昭作品』のライナーノートに、当曲を収録した動機が納められておりますが、改めまして、いま振り返って当時の思いなどお聞かせください。

 佐藤  『琵琶行』は何度弾いても、自分の技術や、精神の未熟さを突きつけられるような楽曲で、悩みながらも録音を決めた日から、より一層、ひたすらに音を磨く、自身に向かう日々がはじまりました。厳しくも温かくご指導下さった野坂先生、録音当日に納得いくまで付き合ってくださったエンジニア・制作の皆様、立ち会ってくださった、応援くださった皆様に心から感謝しています。 リリースし、手元にCDが届いたときにフッと肩の力が抜けたものの、聴き返して、反省の雨が降ってきました。録音はその当時の一瞬を切り取ったもので、その時の最善を尽くしたつもりでも、日を重ねれば、また違った表現が見えてきます。

 野坂先生に録音についてお話させていただいた折、「私も録音し直したいと思っているの。あのCDの演奏は、どうしても録り直したいわ」と、仰った言葉が、今なら深く納得できます。 その全てが、かけがえのない経験となりました。これからも精進して参ります。

 ──不躾ながら、当曲を演奏するにあたり、野坂操壽先生の演奏及び録音について、意識したこと、参考にしたこと、あるいは野坂先生とは異なる表現にしようと思ったことなどありましたら、お話しいただける範囲でお願いします。

 佐藤 質問とは少しずれてしまうかもしれませんが、野坂先生には学生時代から幾度となく『琵琶行』をみていただきました。もうどうにもわからないというところまで弾いて精神的に煮詰まってしまった時、その時々、ふさわしいお言葉をくださり、あるいは弾いてみてくださいました。その魂を揺さぶられるような言葉、曇っていた空が急に晴れるような感覚は、臨場感たっぷりに今でもすぐソコにあります。

 「作為的になるのではなく、一度内に落とし込んで、心≠ゥら出てくるものを表現しなくてはダメよ」 初めの頃、かけていただいたお言葉ですが、永遠の課題のように思います。

 うたをつなぎ、息の長い音楽にすること≠一番意識していますが、狙った表現にならないよう、頭で弾こうとせず、神経を研ぎ澄ませて音に向かい、出た音を繋いでいくことだけに集中し弾きたいと思っています。

 言葉にするのは難しいのですが、感覚と感性とを一致させていくこと(練習というより鍛錬という言葉に近いかもしれません)に重きを置いています。

 ──伊福部先生も野坂先生もお亡くなりになり、残された私達が『琵琶行』の魅力をどのように後世へ伝えてゆけるかが問われております。佐藤さんなりのお考えを、お聞かせください。

 佐藤 私にとって二十五絃箏曲『琵琶行 ─白居易ノ興二效フ─』は、生涯をかけて表現を求めて弾いていきたい一曲です。今だからこそ出来る表現、経験や年齢を重ねなければ出てこない音色、全てを受け止めて、真摯に音に向かい、全身全霊をかけて演奏したいと思っています。

 私にできることは、これまでと同じように音に向かい、より良い表現を求めて弾いていくことだけです。

 『琵琶行』は楽譜も出版され、野坂先生に教えていただいた多くの二十五絃箏奏者がそれぞれの表現をし、演奏しています。私たちがそうであったように、それを聴いたり、先生の音源を聴いて弾いてみたいと思ったりした新しい奏者が、表現を求め、それぞれの魅力あふれる『琵琶行』 を弾き継いでいくのではないでしょうか。

 実際に、生で少しでも多くの皆さんに聴いていただきたいと思っています。

 ──『琵琶行』について自由にお願いします。

 佐藤 最後に野坂先生にレッスンしていただいたのが、『琵琶行』の収録前でした。伊福部先生の直筆譜をみせていただきながら、「伊福部先生の楽曲は、削る作業がしてある。先生は無駄のない、そういう所までご自分で責任をとって、音を削っていかれる方。そこまでされて作曲された曲。ただ譜面を見ていてはダメ。それの上を見ないと……。拍子、音色、区切り、そういったものを超えた所で、さらに上のものを表現できるのが『琵琶行』」そうおっしゃっていました。

 尊敬する先生方の境地には、まだ到底及ばないのですが、今まで申し上げたことを含め、技術的にも内面的にも磨き、自分なりの表現を追い求めたいと思います。

 そして、そうして辿り着いた音色を、多くの皆様と時間と空間を共有し、生の音色で感じていただけましたら演奏家冥利につきます。

 魂が震える至高の音楽を求めて、一歩一歩、歩んで参ります。

 お二人とも、貴重なお話をありがとうございました。


4. 2種の興に遊ぶ

 CDは2種類ある。二十五絃箏という伊福部ファン及び現代邦楽ファン以外にあまり馴染みのない楽器のための曲なので、2種類しかないのか、2種類もあるのか、いまいち判断がつかないのだが、とにかく2種類あるのは聴き比べができて楽しめる。

 野坂惠子(当時) 1999年 カメラータ・トウキョウ 28CM-558

 佐藤亜美 2019年 ゼール音楽事務所 ZMM1907

 まず、野坂の演奏。これはもう、作品を献呈された初演者による初演の年の録音であり、『琵琶行』を聴けるCDはしばらくこの1種類しかなかった。併録は同じく二十五絃箏のための作品である『胡哦』と、ギター曲を二十五絃箏で演奏した『箜篌歌』で、まさに伊福部の二十五絃箏作品の神髄を味わえる。

 しかし、箏の扱いが恐ろしいほどにこなれている。熟練の技藝だ。大宗匠の風格がある。一切の緩みも無ければ、逆に硬さも無い。音だけが、ただそこにあるような気がする。

 反面、完成したばかりの曲であり、手探り感もあるような気もするのだが、どうだろうか。ここから演奏を続けてゆき、さらなる熟達、練達の域に達してゆく、その最初の記録であると感じる。

 なお伊福部はこの演奏に際し「野坂さんの演奏は、作品の意を汲んで、眞に絶妙を極めています。作曲者冥利に尽きるの感に堪えません。」と、最大級の賛辞を送っている。

 次が、野坂の録音からちょうど20年後、元号も変わって令和に録音された最新のもの。奏者も若手であり、意識も刷新されたような瑞々しい感性で、伸び伸びと原詩の世界が展開される。

 しかし、ということは、なんと『琵琶行』は20年もの長きにわたって、CDでは初演者の演奏しか聴けなかったことになる。学生時代より野坂に師事した佐藤は二十五絃箏の演奏家集団4plusのメンバーであり、当該CDにはメンバー編曲による『四面の二十五絃箏による“シンフォニア・タプカーラ”』と『舞踊曲“プロメテの火”』より『火の歓喜』他も納められていて、非常に聴き応えがある。

 編曲の許可という意味も含めて、是非は別にして伊福部存命の頃には想像もし得なかった音楽を聴くことができる。

 こちらの『琵琶行』であるが、録音の関係か、スタジオの音響の関係か、調整あるいはマイク位置の関係か分からないが、かなり音が硬質で、ギュッと締まっている。緊張感があり、それがまた野坂盤とは趣が変わっていて面白い。演奏も手堅く、技術的な確かさもある。テンポはややゆっくりめであり、特に最後の急の部分の16分音符のパッセージはしっかりと歩を進めて進む。が、コーダに到りテンポが一気にアップし、緊張感と迫力を増す。まさに、妓女の琵琶の乱舞がごとし撥捌きが眼にうかぶようだ。


5. その他

 YouTubeに、伊藤さよこによる2016年の演奏がある。アマチュアの方のようで、所属する箏の教室「箏楽舎」での発表会の模様の模様。いま、『琵琶行』は二十五絃箏作品の最高峰として、若い奏者の目標となっている旨の話を聞いたことがあるが、実際にアマチュアの方の習い事の発表会の演目に選ばれるとは、実に感無量だ。演奏も、なかなか熱演である。

 当曲は、Eテレの邦楽番組でも、たびたび取り上げられている。

 2012年7月6日 NHK教育『にっぽんの芸能 芸能百花繚乱「未来へつなぐ箏のデュエット』から。野坂操壽により『琵琶行』が演奏される。演奏に先立ち、野坂の解説というか、伊福部との想い出話がある。残念ながら放送時間の都合か、序奏の後、序の大部分をバッサリとカットして、いきなり破に飛ぶ。そしてそこもお馴染みの旋律をやった後、またバッサリとカットして急の後半に飛ぶという荒技を見せる。従って演奏時間は7分ほどである。

 次に2015年7月17日 NHK Eテレ『にっぽんの芸能 今かがやく若手たち』から、松下知代による。松下はテレビ放送(2005年『日本音楽の祭典』)で野坂の演奏する『琵琶行』を観て、全身鳥肌がたち、箏弾きに産まれたからには絶対この曲を弾いてみたいと思ったという。こちらは、もっと凄い。序奏から、いきなり急にワープする。演奏時間は6分ていど。

 如何に放送時間の関係とはいえ、これらをノーテロップで堂々と『琵琶行』として紹介するのも、なんだかなーという感じだ。せめて「琵琶行より」だと思う。

 この他にも、松下がテレビで観たという2005年の演奏等あるが、未確認のため割愛する。


6. 最後に

 思うところあって今回、琵琶行をとりあげた。聴き初めのころは、とにかく茫洋として長く感じ、あまり聴くことは無いだろうな、という曲だった。当時はオーケストラ曲を先に聴くことが自分にとって必要だったし、伊福部のオケの響きを、リズムを渇望していた。

 が、それらを散々に聴き倒して、また伊福部先生も亡くなられてしばらく経ち、にわかに『因幡万葉の歌五首』と『琵琶行』が気になってきた。他にも室内楽曲はあるし、もっと渋い曲もある。しかし、この両曲は題材からして、伊福部の中でも際立って珍しいと感じてから、非常に関心を持つようになった。

 その材は、1つは古代万葉の和歌であり、1つは同じころの唐の時代の漢詩である。伊福部は、先祖が大伴家持と同時代に宮廷に仕えていたという歴史的事実や、伊福部家の家学が老子であり漢学に精通していたという特徴にも関わらず、コンサート作品にあってそれらを直接的に表した楽曲は、それぞれ『因幡万葉の歌五首』と『琵琶行』しか無い。

 それは、意図せずたまたまそうなのだろうけども、結果として、謎めいた少なさにもつながっている。どちらも最晩年の作品であるという点も、注目に値する。

 この2曲は、自分にとって伊福部最晩年の傑作という点だけではなく、そういった不思議な因縁を孕んでおり、興味を惹きつける存在になっている。

 そのうち、まずは『琵琶行』をとりあげてみた。  伊福部作品の中でも特異な魅力を感じ、ちょっと聴いてみようかな、あるいは久しぶりに聴き直してみようかな、と思っていただければ深甚である。 〈了〉


 協力
 堀井友徳さん
 佐藤亜美さん
 井戸屋さん

 参照
 近藤春雄 長恨歌・琵琶行の研究 明治書院
 片山杜秀責任編集 文藝別冊 伊福部昭
 井手敏博の日々逍遥 白居易の「琵琶行」
 詩詞世界
 白楽天 舞夢訳






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