リズムを動かす人たち


 2023冬コミックマーケット100へ出品したオリエント工房主催同人誌「伊福部ファン」第5号へ寄稿したものを、全文掲載します。ウェブで読みやすいよう、改行は1行空けにしてあります。

  

  


 伊福部昭といえば変拍子。いま話題の「ゴジラのテーマ」がまさにそうだが、大管絃楽にしても器楽曲にしても、リズムの変化が巧みに入り込んで、それがときには子供でも口ずさめる易しい歌となって表出する。

 今回はその伊福部変拍子音楽の極北、『リトミカ・オスティナータ』がテーマ。

 ピアノとオーケストラが放つ、息をもつかせぬ激烈な楽曲。

 スコアを片手にその世界をのぞいてみよう──。(編集部)


1.はじめに ~伊福部昭のピアノ協奏曲

 古今東西の全ての曲を数えた訳ではないので、あくまで大まかな体感であるが、およそ○○協奏曲と呼ばれる部類の楽曲では、やはりピアノとヴァイオリンがその大部分を占めていると思われる。またピアノとヴァイオリンを比較し、ピアノという楽器が登場する以前よりヴァイオリン協奏曲が多数存在していることを鑑みると、おそらくヴァイオリン協奏曲のほうが数は多いと考えられる。

 現代音楽系統の日本人の作曲家で、交響曲を書いていない人も、たいていは何らかの協奏曲、あるいは事実上の協奏曲的な作品を作曲している場合が多いと思う。以前は、それが不思議だった。というのも、協奏曲は歴史的に交響曲より古い形式の音楽であり、おそらく形式主義の権化とも言える交響曲など今さら書きたくないと考えているのではないかと推察される多くの現代の作曲家が、どうしてそれよりさらに古い形式であるはずの協奏曲は好んで書くのか、と思っていたからだ。

 が、よく考えればソリスト等より委嘱があり、初演(発表の場)が確定しているのであれば、作曲家は作曲するだろう。交響曲は、特にこのご時世、誰も委嘱しないし、自発的に作曲したところで演奏する機会も無いというわけだ。

 さて、日本の作曲家でいちばん最初に本格的なオーケストラ伴奏付のピアノ協奏曲を作曲したのは誰だろうと思い、Wikipediaで日本人作曲家の戦前期の作品をチェックした。

 すると、どうも諸井三郎の学生時代の習作、『ピアノ協奏曲 嬰ヘ短調』(1927)が日本人の作曲した最古の本格的なピアノ協奏曲のようである。諸井はこの後、『ピアノ協奏曲 ハ長調』(1933)を作曲しており、それとは異なる作品であるという。

 その他の戦前のピアノ協奏曲では、高名どころで大澤壽人が『ピアノ協奏曲第1番』(1933)、『同第2番』(1935)、『同第3番』(1938)を書いており、その他『ピアノと管弦楽のための“鉄と火の協奏曲”』(1942)という曲もあって、これは「安西冬衛の詩による朗読用音楽」とのこと。


 で、我らが伊福部昭である。

 伊福部に、事実上の協奏曲は6曲存在するが、正式に題名に協奏曲と冠された曲は、実は『ヴァイオリン協奏曲第2番』(1978)しかない。

 従って、タイトル主義というか、題名にこだわって分類した場合、その他の5曲は交響曲、狂詩曲、そして3曲の協奏的作品ということになる。

 しかしそれはあくまでタイトルにこだわって考えただけで、事実上、全て協奏曲と言って差し支えないだろうし、実際『ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲』(1948/51/59/71)は、『ヴァイオリン協奏曲第2番』発表の後、カッコ書きで(ヴァイオリン協奏曲第1番)となっている。

 ただ、個人的な感覚として『ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲』(1941)だけは、ラロの『スペイン交響曲』(1874)や、ベルリオーズの『交響曲“イタリアのハロルド”』(1834)と同じく、協奏曲というよりソリスト付の(まさに、協奏曲風の)交響曲だと思う。それはつまり、ピアノソロは付いているが、楽曲の構成や内容として、確かに協奏曲というより交響曲、あるいは協奏曲寄りの交響曲だと思えるからである。特に第2楽章にその傾向が強く、ピアノは完全にオーケストラの一部として働き、後の『シンフォニア・タプカーラ』(1954/79)の第2楽章にも通じる、北海道の冬の原野を彷彿とさせる響きになっている。

 そしてもう1曲、ピアノ協奏曲に相当……いや、事実上の『ピアノ協奏曲第2番』となるのが、『ピアノとオーケストラのための“リトミカ・オスティナータ”』(1961/69/72)である。


2.リトミカ・オスティナータ

 スコアに記載されている正式なタイトルはイタリア語『RITMICA OSTINATA』であり、日本語訳もそのままカタカナで『リトミカ・オスティナータ』としているのは、『シンフォニア・タプカーラ』にも通じる。よく、解説で「執拗に反復される律動」と訳されているが、これは伊福部本人が音楽的な解釈として発表したものであり、直訳すると「律動的な持続」とでもなる。

 なお、確認できる限り『リトミカ・オスティナータ』というタイトルが初めて文献に登場したのは、1950年(昭和25年)1月4日付の東京新聞記事であると思われる。そこには「(前略)自由と平和をシムボライズする『リトミカ・コステナータ(原文ママ)』(仮題)という交響曲の作曲もすゝみ(後略)」とある。編集主幹の調査によると、この「交響曲」に該当しそうな『シンフォニア・タプカーラ』第3楽章のスケッチがあるらしいのだが、詳細は不明である。

 さて、『リトミカ・オスティナータ』だが、単一楽章制で、演奏時間は20分弱となっている。

 伊福部は、この作品を創作するにあたり、自らに2つの制約を課した。

 ・5拍子や7拍子等の奇数律動を主体とする
 ・伝統音楽に近い六音音階(ヘクサトニック)の旋法による


 加えて、かつて中国を遊山した際に観光したとある寺院で、四方の壁にびっしりと小さな仏像が安置されているお堂を見て感動し、そのイメージが構成にヒントを与えている。

 その3つの要素により、「アジア的な生命力の喚起を試みた」とのことである。(CD『協奏三題』fontec FOCD3143 ライナーノーツより)

 ここで、純粋に日本的なイメージではなく、早坂文雄にも通じる汎東洋主義的な「アジア的」という言葉が使われていることに注目したい。

 アイヌや大陸の寒帯林の印象を含む汎北方的な雄大さを孕みつつ、広い意味での日本的な世界を表現している伊福部が、ここでは「アジア的」という、さらに大きくかつ割と大雑把な枠組みでの表現を試みている。

 しかし、一口にアジアと言っても西は中東から中央アジア、ヒマラヤ、インド亜大陸、東南アジアから中国大陸、韓国・日本等の極東アジア、シベリア地方までと、あまりに広い。

 『リトミカ・オスティナータ』以前の作品で、『日本狂詩曲』『ピアノ組曲(日本組曲)』で純粋に日本的な世界を、『土俗的三連画』『管絃楽のための音詩“寒帯林”』『シンフォニア・タプカーラ(初稿)』『ギリヤーク族の古き吟誦歌』『サハリン島先住民の三つの揺籃歌』『アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌』『合唱頌詩“オホーツクの海”』『シレトコ半島の漁夫の歌』等で日本を含む汎北方的な世界を表現してきた伊福部が、ここではもっと大きな範囲で、西洋的・キリスト教的な価値観に基づく伝統的クラシック音楽の枠組みと対立する価値観の音楽を生み出そうとしている。

 その中で、強いて言えば『ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲』が、西洋音楽的なヴァイオリンの使い方ではなく「ジプシィ・ヴァイオリン」(原文ママ)的な流儀により表現が試みられ、汎東洋主義的な立ち位置にいる。伊福部曰く「この楽器の祖先は本来アジアなのですから。」というわけだ。(前述のfontec FOCD3143 ライナーノーツより)


 では、伊福部にとって具体的に何が「アジア的」なのか。

 『リトミカ・オスティナータ』は標題音楽ではなく、何か形のある物を表現した曲ではない。そこにあるのは具体的なアジアの文化や風景、産物ではなく、「アジア的な生命力の喚起」であり、それを表現するために伊福部は「奇数律動」や「六音階」を道具としつつ、全体にはオスティナートを使用した。

 このオスティナートによる(汎アジア的な)表現法は、例えば伊福部門下であれば芥川也寸志の『エローラ交響曲』等に同様の事例を見い出すことができる。西洋音楽の基礎の一つである主題の「変奏」「展開」ではなく、同じようなリズムや主旋律がひたすら重ねられ繰り返されることによって生まれるヘテロフォニー的効果が非西洋的な効果となり、それがいわゆる「アジア的」となるのだろうし、ヨーロッパに比べるとあまりに広大で雑多で混沌で人がウジャウジャいるアジアの生命力の象徴になる、というわけだ。

 よって、少なくともここでは「伊福部にとってアジアとは何か」「アジア的とは何か」という命題に対し、明確に「無数の蠢きによる生命力」と答えることができるだろう。

 また初演の際にソロピアノを担当した金井裕によると、伊福部は当曲を作曲する際に、「もし、楽器もない未開の地に何の予備知識も無くグランドピアノをポンと置いたら、こんな曲になるんじゃないか」と思って作曲したのだという。(CD『伊福部昭:ピアノとオーケストラのためのリトミカ・オスティナータ』ユニバーサルミュージック TYCE-60014 ライナーノーツより)

 この「未開の地」というのは、どこかのアジアの片隅に他ならないだろう。

 伊福部は作曲当時の社会的意識としてひどく観念的、神経衰弱的な美感(原文ママ)と生活意識に対抗し、力強いもの、衰弱しない生命力にあふれたものを求め、アンドレ・ジッドの言葉にあるように、影響とは時代のそのままの色に染まるものと、反作用の影響があるとし、その意味で当曲は「時代の影響をむしろ強力に受けている」としている。(日本音楽舞踊会議・日本の作曲ゼミナール1975-1978『作曲家との対話』新日本出版社 16-17pより)


 なお同曲の2台のピアノ版スコアには、下記の通り作者の言葉が載っている。 

 「リトミカ・オスティナータとは執拗に反復する律動的な音楽という意です。

 吾々の傳統音楽は、総て、偶数律動から成り立っていますが、一方、韻文は五・七・五の奇数が基礎となっています。

 この作品では、音楽ではなく韻文の持つ奇数律動をモチーフとしました。

 又、旋律は傳統旋法に近い6ヶの音しか無い六音音階(ヘクサトニック)に依っています。

 これ等二つの異なった要素の結合を、執拗に反復することに依って、吾々の内にある集合無意識の顕現を意図しました。

 敢えて、この様な厳しい制限を与えたのは、レオナルド・ダヴィンチの力は制限に依って生まれ、自由に依って滅ぶ』と云う言葉への憧れが心底にあったからに他なりません。」

 『伊福部昭 ピアノとオーケストラのための リトミカ・オスティナータ 2台ピアノ版』
 (2002年、全音楽譜出版社)巻頭より

 さて、私がこの曲を初めて聴いたのは90年代の始め頃だと思ったが、複雑な奇数律動に惑わされ、「すごいけど、わけが分からない」というのが正直な感想だった。

 当時は2種類くらいしかCDも無く、実演に至っては皆無と言って良かった。

 あれから30年余が経ち、録音や実演も飛躍的に増え、聴きまくっている内に面白くなった。専門家が論文で分析するほどに音符の1つ1つまで把握しているわけではもちろん無いが、ザックリと全体の面白さをひもといて行こう。

 小さい単位での動機の構成や動きが、複雑に奇数韻律として絡み合い、聴いていると楽しくも難しいが、その全てを詳細に把握する必要はない。全体は大きく5つの部分に別れ、緩急で表すと急緩急緩急となる。

 単にこの急をA、緩をBとすると、ABA'B'A''である。

 だが、中間のA'に相当する部分はAの派生ではなく新しい旋律が現れるので、A'をCとして、ここではABCB'A'とする。

 言うまでもないが、全体の構成も明確な5部構成……すなわち奇数である。

●Aパート

 まずAパートから見て行きたいが、先立ってその主要主題によるリズム構成パターンを確認する。

 このAパートはとても小気味良く、リズミカルかつメカニカルで、のっけから強烈な印象を聴く者に与える。心地よくキャッチーな部分で、ここで聴き手は一気に『リトミカ・オスティナータ』の世界に引きこまれる。

 導入部のゆったりとしたホルン独奏に続き、次第に速度を速めるピアノソロが登場するが、1つの小節は5つの音で作られており、5/16拍子である。それは「3+2」の「タタタ・タタ」と、「2+3」の「タタ・タタタ」という2種類のリズムで構成される。

 それが、まず「3+2」「3+2」「2+3」「2+3」「3+2」の5小節で1つのリズムのパターンを構成する。

 このリズムパターンが正確に繰り返され、10小節進む。

 そこからパターンが崩れ、「3+2」「3+2」「2+3」の3小節の後、4/16の「2+2」(タタタン)で遮られる。

 ミソは、合いの手というかオチというか、仕切り直しというか、奇数パターンと奇数パターンをつなぐ4/16の「タタタン」である。奇数小節パターンが繰り返され、「タタタ・タタ」と「タタ・タタタ」が入り乱れて「あわわわわ……」となっているところに、ちょうど良く「タタタン」が入って一息つく。音調とリズムがリセットされる。

 そして3小節+「タタタン」が再び正確に繰り返された後、「2+3」「3+2」「2+3」「3+2」の4小節、「3+2」×4の4小節、再度「2+3」「3+2」「2+3」「3+2」の4小節の、計12小節の偶数パターンが現れる。

 これを小節数を基に記すと、

練習番号【1】から

5小節+5小節
3小節+「タタタン」+3小節+「タタタン」
4小節+4小節+4小節

 この、計30小節で1つの「主要主題ブロック」と言うべきものを構成しており、続けてこのブロックが正確に3回繰り返される。

 頭の5小節+5小節に戻るたびに、木管や打楽器、ハープ等による「導入音形」が出てくるので、聴いていても分かりやすい。また、ブロックが進むたびにダイナミクスやピアノの音の数、伴奏が増え、より重層的な響きとなる。

 また、当然ながらリズム処理だけではなく、旋律そのものにも伊福部の工夫が見られる。

 武蔵野音楽大学講師(2023年執筆当時)の大澤徹訓によると、最初の5小節をオスティナート主題1とすると、使用されている音は「ド、レ、ファ、ソ、ラ」の5音のみだが、小節ごとの主題の移行が非常に複雑で、例えば単純な上下移行のゴジラの主題と対比すると、その複雑さが分かるという。

 そして次の3小節+「タタタン」の部分でオスティナートが変化し、使用される音は「ド、レ、ミ、ソ、ラ」の5音に変化。これをオスティナート主題2として、次の3小節+「タタタン」でさらに音が変化。オスティナート主題2'となる。

 それから4小節のパターンが3回繰り返されるが、ここで音列はまたも変化して、「ド、レ、ミ、ファ、ソ」の実音音階に移行し、最初の4小節をオスティナート主題3、次の4小節はその発展のオスティナート主題3'、そして最後の4小節はオスティナート主題3''となり、主題3''は同じフレーズが2小節×2の形になって強調され、ここまでで「オスティナート主題の大枠がいったん完結していることを表している。」という。(CD『豪快なリトミカ・オスティナータ』不気味社 G.R.F.040 ライナーノーツより)

 すなわち大澤によれば、主要主題ブロック内のリズムパターン及び主題のとらえ方は、

【1】から

5小節(オスティナート主題1)
5小節(オスティナート主題1)繰り返し
3小節+「タタタン」(オスティナート主題2)
3小節+「タタタン」(オスティナート主題2')
4小節(オスティナート主題3)
4小節(オスティナート主題3')
4小節(オスティナート主題3'')

 となる。

 その主要主題ブロックを3回繰り返した後に経過部(あるいは小展開部)に入り、パターンが崩れる。ピアノに加えて絃楽器も主題を奏でながら進み、
 
【13】から

5小節+5小節
3小節+「タタタン」 

 そして変則で

【17】から

4小節+5小節
3小節+「タタタン」

 と進んでから、楽想は一気に展開する。

 「4+3」による7/16拍子や5/8拍子も現れ、さらに4/16、5/16拍子も混じって来て、魅力的な推移を見せる。

 経過部はすぐに過ぎ去り、再び主要主題パターンが返ってくる。再現部だ。4小節(導入)に続き、30小節の主要主題ブロックが2回繰り返され、続けて4小節+4小節からピアノのトリルが続き、「タタタ・タタ」「ターン」で速度が落ちてゲネラル・パウゼ(全休止)。Aパートを終える。

 従って、Aパート全体の構成は以下別表の通りとなる。

・ホルン(導入)
・主要主題ブロック1
・主要主題ブロック2
・主要主題ブロック3
・小展開部(あるいは経過部)
・主要主題ブロック4
・主要主題ブロック5
・経過部
・終結

 前置きが長くなったが、ではこの基本パターンを押さえた上で、実際に聴き進めて行きたい。

 まず最初の3小節は、短いが雄大にして雄渾な、まさに黒部峡谷を思わせるたっぷりとしたホルンの魅力的な主題。5/16拍子、八分音符約52の Adagio assai であり、解説によっては、この短い旋律は当曲第2主要主題である『協奏風交響曲』の第1主題(以下、単に「“協奏風”主題」という)の派生であるという。

 そして、ピアノソロが装飾音符付でゆったりと入ってくる(練習番号【1】)。が、それはすぐさま速度を上げ、Aパート Allegro ritmico が始まる。テンポは一気に速くなり、八分音符約172まで到達する。

 まず、ほぼピアノだけで主要主題ブロック1をまるごと提示。

 続けて主要主題ブロック2(【2】)の冒頭には、ハープのアルペッジョと共に、木管(フルート、オーボエ、コーラングレ1)により、ピャー! と鋭く導入音形がそえられ、拍子木(クラベス)もカチンと鳴る。

 これは5小節音形の次の5小節の頭にもそえられるため、ほぼ連続して2回響きわたる。

 「タタタン」付主題であるオスティナート主題2を経て、4小節区切りのオスティナート主題3に移る。区切りごとに、伴奏の音が変わって主題を強調している。

 主要主題ブロック3(【9】)の冒頭はさらに音の厚みが増し、木管に加え金管も入る。ピアノも音の幅が大きく増えて、世界が広がっている。

 そうして主要主題ブロック3まで正確に演奏されると、オスティナート主題1が絃楽に移って、短い小展開部(あるいは経過部)に移行する(【13】)。

 絃楽が5小節+5小節+3小節+「タタタン」を展開し、そこからピアノと共に変則で4小節(【16】)+5小節+3小節+「タタタン」(【17】)と進む。

 そしてまた経過で4小節進んでから(【18】)、完全にリズムパターンが崩れる。ピアノが休みに入り、オーケストラだけで4/8、7/16、5/8、5/16と複雑かつダイナミックに進行する。

 また、その5/8拍子の部分は16分音符が「4+2+4」の「タタタタ・タタ・タタタタ」と「3+3+4」「タタタ・タタタ・タタタタ」という音形を連打しており、事実上10/16拍子となって、Cパート後半の激しいオスティナート動機を先取りしている(【19】)。

 続いてピアノが正確にそのパターンを繰り返す。ピアノに移ってから、ティンパニがリズムを補強する(【21】~【22】)。

 この間、小展開部はおよそ30秒ほどである。

 再び4小節の経過部を経て、まるで二段飛ばしで階段を駆け上るようにオクターブで駆け上がるピアノから、主要主題ブロック4の再現部に突入(【23】)。

 ここでは、導入音形として木管や打楽器とハープに加え、絃楽が笙のような、みゃ~ん! という特徴的な音を出すので、とても印象的だ。スコアには molt gliss. con uno dito e non vibrato という指示がある。すなわち、絃楽器はヴィブラートをかけないで思い切りグリッサンドをせよ、ということなのだが、こうするとヴァイオリン群がまるで和楽器の笙のような音を出すというのは、本当に面白いし不思議だ。

 これは『日本の太鼓』や『二十絃箏とオーケストラのための“交響的エグログ”』にも出てくる技法なので、聴き覚えのある伊福部ファンもおられよう。

 再現部から打楽器もドカドカと激しくリズムパターンを叩き、迫力を増しエンジン全開となって突き進む。ピアノを含むオーケストラ全体が強音で主要主題ブロックを演奏する様は、まさに音がみっしりと詰めこまれた、仏像のひしめくお堂のごとき迫力だ。

 そのブロックをもう1回繰り返し【27】~【30】。ただし、主要主題ブロック5には絃楽による笙のような音は無く、絃楽はピアノと共に強力にオスティナート主題を弾き、その代わり打楽器と伴奏の長音符による低音が凄い迫力である)、さらに「3+2」×4と「2+3」「3+2」「2+3」「3+2」で8小節進んで(【31】)、やおらピアノの連打のみとなって静まり返るや、「タタタ・タタ」「ターン」の一言でゲネラル・パウゼを呼び、Aパートを終了する(【31】)。

 息が詰まる様な緊張感が持続するが、これはまだ提示部である。演奏時間も3分半がせいぜいだ。

 『リトミカ・オスティナータ』は、始まったばかりである。

 最後にもう一度、Aパート全体の構成を特徴ごとに記す。

ホルン 導入
主要主題ブロック1 ピアノソロから
主要主題ブロック2 ハープによる導入、木管、打楽器
主要主題ブロック3 ハープによる導入、木管、打楽器
小展開部(あるいは経過部) Cパート後半主要主題を先取り提示
主要主題ブロック4 絃楽器ノンヴィブラート
主要主題ブロック5 ハープ、木管、打楽器、金管等長音符伴奏
経過部   
終結 タタタ・タタ・ターン

●Bパート

 
続いて、緩徐部のBパートに移る。演奏時間は3分ほどになる。

 低音による「バ・バ・バーン」という重厚な三連符から始まる(【33】)。

 Bパートは、Aパートのオスティナート主題の派生(余韻)による前半部分と、Cパートに登場する“協奏風”主題の導入(先取り)の後半部分の2つに大きく分けることができる。

 冒頭の低音による「バ・バ・バーン」のリズムが、オスティナート主題に含まれる合いの手の「タタタン」の拡大であることに、聴衆はすぐに気づくだろう。

 それから木管により、Aパートに一瞬現れる7拍子音形が大きく引き延ばされ、さらに、下降系の「タタタン↓」の反転である、上昇系の「タタタン↑」が装飾的に置かれている(【33】)。

 ハープのアルペッジョを伴ってオスティナート主題の引き延ばし音形はピアノに移り、「タタタン↑」も奏でられる。一部三連符等に変形されながら、ピアノは力強くオスティナート主題の引き延ばし音形を進めて行く。低音の三連符、木管と繰り返され、ピアノがさらに雄弁に語る。かつ、硬質に語る(【34】〜【36】)。

 それから後半部になり、絃楽とトロンボーンにより、一転してCパートに登場する“協奏風”主題の導入にしてその引き延ばし音形が、鄙びて、かつ寂れた独特の雰囲気と共に現れる(【37】)。この味わいは『土俗的三連画』の第2楽章にも通じていて、どこか民謡風だ。Aパートのメカニカルでアジアの都会的土俗性とは異なる田舎の湿潤な風景が、伊福部特有の叙情的な情緒として聴く者へ迫る。

 それがホルンへ引き継がれ、ピアノが鋭く和音を「打つ」。まさに、何処かのアジアの田舎に響き渡る鐘の様に打つ(【38】)。このピアノによる「鐘のモティーフ」(と、私が勝手に定義しているもの)は、旋律線からあえて外されて打たれ、ヘテロフォニー的な効果を狙っているように聴く者へ迫る。

 再び絃楽をメインに主題はさらに発展して受け継がれて、鐘も打ち続けられる。上昇系「タタタン」から、ピアノソロがそれをより深める(【39】)。

 極端に高い音と低い音が同時に木管(上はピッコロとフルート、下はバスクラリネットとコントラバスファゴット)により吹き鳴らされて呪術的な雰囲気を演出し、ピアノを補佐する(【40】)。絃楽、そしてまたピアノと再現され、ついに両者が同時に主題を奏で(【41】)、またも「タタタン」からピアノの重厚な独白。“協奏風”主題のたっぷりとした変奏を、Cパートの導入を兼ねてひとくさり。ここは、まるでピアノのカデンツァのように響く(【42】〜【43】)。

 そして最後も「タタタン」……から、休み無しでCパートへ入る(【44】)。

●Cパート

 当曲のメインパートと言える。ここで、第2主題である“協奏風”主題がその全貌を表す。Aパートで全音階的に扱われていた主題は、“協奏風”主題の登場により、このCパートで半音階的な様相を示す。

 『協奏風交響曲』の第1楽章第1主題は、軽快なスネアドラムと同時に「タタタ・タタタ」の下降音型から始まるが、『リトミカ』ではそれと異なり途中の「タタタン」から主題が始まる。

 『協奏風交響曲』では、「タタタン」からのフレーズはその後に来るし、「タタタ・タタタ」からのフレーズは、当曲ではちょうどフレーズの中間あたりの絃楽からの提示に置かれている。

 すなわち『協奏風交響曲』と当曲では、同じ主題でもフレーズの入りの順番が異なっている。

 むしろ、Bパートの(ゆっくりな)導入部の方が、この「タタタ・タタタ」を頭とする『協奏風交響曲』と共通する部分からフレーズが入っている(前述の【37】)。

 また、Aパートで特徴的に扱われ、主要主題が単なるオスティナートの羅列になりかねないところを心地よく防いでくれる「タタタン」の合いの手は、この、既に存在していた“協奏風”主題から発展していることがよく分かる。そしてBパートでも執拗に登場し、さらにこのCパートでついにその本体が登場している感があって、当曲全体を貫く隠れた統一動機であるだろう。

 では、改めて聴き進めたい。

 まず短い打楽器の導きから、バスクラリネットがその「タタタン」から始まる“協奏風”主題を提示する(【44】)。続いて主題はファゴットに移り(【45】)、そしてクラリネット及びミュート付トランペットに移って、というように連続して3回提示される(【46】まで)。

 続いて、絃楽が力強く「タタタ・タタタ」(ミレド/ミレド)から“協奏風”主題を提示。2度、繰り返して、雪崩こむようなパッセージからオーケストラ全体が印象的に「ド・ド・ド・ド」「ドシラ・ドシラ」という、ゴジラ風動機を奏でる(【50】)。

 これをそのまま「ゴジラの主題」が『リトミカ・オスティナータ』に登場する……としている解説もあるが、個人的にはあくまで「ゴジラ風動機」だと思う。なぜならば、ゴジラの主題は八分音符と四分音符で構成され、正確には「ドシラー/ドシラー」だからである。またはその派生として、八分音符と八分休符により「ドシラン/ドシラン」というリズムになる。つまり当曲で使用されている「ドシラ/ドシラ」とは、完全に音価が異なる。音価の異なる動機は、同じ動機ではない。

 そもそも「ドシラ」だけでは主題の一部であり主題そのものではないため、ここではドシラを使ってはいるが偶然ゴジラの主題に似ている「ゴジラ風動機」と定義したい。このゴジラ風動機は、合計3回登場する。

 また、このドシラは、ゴジラというより“協奏風”主題に元から含まれている6/16拍子「3+3」の「タタタ・タタタ」の移行系だということも付け加えたい。

 さらに、ゴジラの主題の原型と考えられるドシラ動機が確認できる最古の事例は2023年執筆現在『管絃楽の為の音詩「寒帯林」』(1944)だが、『協奏風交響曲』(1941)のほうが早く作曲されている点にも注目されたい。

 なお、音価にこだわらず単に旋律としてのラシド動機とドシラ動機に着目すると、その濫觴は最初期の歌曲『平安朝の秋に寄する三つの詩』(1933)にまで遡るという。(CD『古代からの声 伊福部昭の歌曲作品』カメラータ・トウキョウ CMBK-30006 ライナーノーツより)

 そのゴジラ風動機を含むオーケストラパートからオーボエソロによる2小節の導きを経て、いよいよピアノが「タタタ・タタタ」から“協奏風”主題を両手で弾きだす(【51】)。

 アグレッシヴに動きつつ、この協奏風動機のラストに「タタタ・タタタ」(ラソミ/ラソミ)に導かれるようにして、8/16拍子で『キングコング対ゴジラ』(1962)の「キングコング輸送作戦」に登場する、3小節の印象的な旋律が現れる(【53】)。この「タタタタ・タタタン」というリズムで跳ねるように音が上下に運行する動機を仮に「コング輸送動機」とすると、これも合計で3回登場し、ゴジラ風動機と共にCパートの面白いアクセントになっている。

 なお、この動機にも「タタタン」が潜んでいる。

 この「コング輸送動機」は『協奏風交響曲』の第3楽章に原型が見受けられ、また『SF交響ファンタジー第3番』に収録されているので、聴き覚えのある伊福部ファンも多いことと推察する。

 そこからややしばらくのあいだ、ピアノとオーケストラによる複雑な変拍子の推移による経過部が続き、“協奏風”主題が「タタタ・タタタ」の逆行を伴って展開される(【54】〜【55】)。2回目のゴジラ風動機を経て、ヴァイオリンのソロから“協奏風”主題がもう一度繰り返されると(【60】の4小節目)、2回目のコング輸送動機(同5小節目以降)から3回目のゴジラ風動機へ連続して突入する(【61】)。

 この3回目のゴジラ風動機は「ド・ド・ド・ド」が絃楽のピチカートとハープで、「ドシラ・ドシラ」がピアノと木管によって演奏され、音色に変化が与えられている。

 短い経過部の次に、「タタタン」からの“協奏風”主題の前半フレーズが野太くかつ音階を上げながら盛り上がって3回繰り返された後(【62】~【64】)、ハープのグリッサンドによる導入から打楽器とコンサートマスターのヴァイオリンソロを従えた、5/8拍子のオスティナートによる長いピアノソロが来る(【65】)。このオスティナートのパターンリズムは、既にAパート経過・展開部において印象的に登場しており、また“協奏風”主題の6/16拍子+4/16にも通ずる。

 ところで、この5/8(10/16)拍子による「3+3+4」すなわち「タタタ・タタタ・タタタタ」のリズムは、個人的には非常に思い入れのあるリズムである。

 私は学生時代に吹奏楽部で打楽器を叩いていたのだが、ある時期、大栗裕の『吹奏楽のための神話~天の岩屋戸の物語による』(1973)という曲を、夢に出るほど練習した。この曲は交響詩形式による15分ほどの単一楽章の音楽で、そのタイトルの通り記紀神話における天照大御神による天の岩屋戸隠れをテーマとしている。天照が岩屋戸に隠れ、世界が真っ暗となってしまったため、天照の興味を引くために岩屋戸の前で神々が飲めや歌えや踊れやのどんちゃん騒ぎをするわけだが、この天宇受賣命による踊りの部分が、主に10/8拍子により「タタタ・タタタ・タタタタ」というリズムで構成されているのだ。私にとってこのリズムは、変拍子の原点ともいうべきリズムであり、身体に刻みこまれている。

 大栗は若いころプロのホルン奏者として活動しており、戦前は現在の東京フィルハーモニー交響楽団、戦後はNHK交響楽団でホルンを吹いていた。

 そこで、具体的な楽曲は不明だが、伊福部や早坂文雄の曲を演奏し、後の創作活動に影響を受けたのだという。それは大栗の諸作品を聴くに、日本的なテーマで作曲するという精神や、変拍子を多用する技法だと推察される。

 そして、この10拍子である。大栗はじっさいに演奏したのか、聴いたのか、スコアを参照にしたのかは分からないが、『リトミカ・オスティナータ』の10拍子からヒントを得て『神話』に拝借・応用したのではないか……と、私は妄想している。『神話』の作曲年が、『リトミカ・オスティナータ』最初の録音盤の翌々年というのもひっかかる。

 さて、その長いピアノソロだが、ヴァイオリンソロによる随伴は6小節で終わり、ハープのグリッサンドを頭と捉えると5小節+6小節+3小節+2小節と続き、さらに加えて6小節と合計28小節続く(【65】~【68】)。その間、定期的にホルンや木管による上昇系「タタタン」がアクセントを加えているのを聴き逃してはならない。
楽想の変化ごとに見て行くと、

【65】から

 6小節  ピアノとソロヴァイオリンのデュオ、「3+3+4」×2「2+4+4」×2「3+3+4」「2+4+4」
 5小節  ハープによる導入、マラカス、3小節目に上昇系タタタン
 6小節  ハープによる導入、マラカス、3小節目に上昇系タタタン
 3小節  ハープによる導入
 2小節  低音、打楽器と共に激しい経過部、「3+3+4」「2+4+4」
 6小節  ホルンによる長音符の伴奏

 となる。

 ここで、いったんこの動機によるピアノソロは終了し、再び経過部に入るが、3回目のコング輸送動機がピアノや管楽器と共に出現し、経過部にして“協奏風”主題の第2展開を迎える。最初はオーケストラのみ、続いてピアノも加わる(【70】~【72】)。

 その推進力のままハープによる導入と共に2回目のオスティナートソロに突入(【73】)。執拗に5/8拍子でトリップしてゆく。

 ここはA'パートのラストの饗宴の先取りで、木管、ピアノ、打楽器、絃楽がひたすら細かく同じ音形を演奏する中、金管だけが遠吠えのように朗々と長い音を吹いているのが印象的だ。

 それは後に『オーケストラとマリムバの為の“ラウダ・コンチェルタータ”』(1979)にも採用される書法・パターンである。

 楽想の変化で分けてゆくと、この部分は7小節+7小節+2小節+8小節+6小節+8小節と合計38小節続く。テンポが速いので、演奏時間としては1分ほどだろう。こちらも楽想の変化ごとに見て行くと、

【73】から

 7小節  ハープによる導入、3小節目に上昇系タタタン、金管による長音符伴奏
 7小節  冒頭に上昇系タタタン、金管による長音
 2小節  激しい経過部、暴れる打楽器、「3+3+4」「2+4+4」
 8小節  金管による長音符伴奏、最後の小節だけ「3+3+4」から「2+4+4」に変化
 6小節  金管による八部音符で刻み伴奏、木管とピアノは「4+2+4」「3+3+4」「4+2+4」「3+3+4」と「2+3+3+2」×2に変化
 8小節  激しく「4+2+4」「3+3+4」「4+2+4」「3+3+4」と「2+3+3+2」×4

 となる。

 最後の6小節と8小節に現れる「4+2+4」と「3+ 3+4」(【76】2小節目〜)の音形はAパート経過部に先に現れる5/8拍子の音形がそのままここに再現されており、また「2+3+3+2」は言うまでもなくAパート主要主題の「2+3」「3+2」が1つの小節内に凝縮され、よりスピード感がアップしているものであり(【77】)、まさに狂乱の様相を呈している。

 そこからいきなり楽想は8/8拍子の「ザン・ザン・ザン・ザン」……という刻みで分断される(【79】)。

 この伊福部の敬愛・崇敬するストラヴィーンスキィによるあまりにも高名なバレエ音楽『春の祭典』の「春の兆し」冒頭のオマージュともいうべき絃楽器の和音による刻みは、先のゴジラ風動機を導く「ド・ド・ド・ド」の連打にも通じているだろう。

 そして分断に負けないよう、あるいは名残のように5/8拍子「2+3+3+2」の狂乱が4小節復活する。

 が、再び現れる春の祭典風動機により、完全に抑えこまれてしまう。

 その春の祭典風動機もまた、瞬く間に減衰し、静寂に消えてゆく。

 そして、ゲネラル・パウゼを経て、第2緩徐部であるB'パートへ続く。

 私は、このCパートのラストの「ザン・ザン・ザン・ザン」……が、初めて聴いた時よりどうにも唐突で、「とってつけた感」や「蛇足感」がぬぐえず、大きな違和感として残り、当曲最大の不満だった。

 「だった」というのは、後述する61年初演版と69年再演版のライヴ音源で、長年当曲を聴く際の大きなトゲだったこの違和感の謎が解けたからである。違和感自体は未だ残っているのだが、どうしてそうなったのかが判明し、納得はしている。

 このように、もっとも複雑な展開を見せるCパートは、演奏時間が5分ほどにも及び、当曲の中核を成している。

●B'パート 

 二度目の緩徐部である。これは後のA'パートを第2再現部とするとそれに先立つ第1再現部ともとることかできるが、扱われるのは“協奏風”主題後半の変奏部分だけなので、演奏時間は短く、2分ほど。

 まず、ハープを伴い、絃楽がまるで雪景色を思わせる静謐なシーンを描いて行く(【80】)。ここではBパートの後半にある、鐘のモチーフを終了した後のピアノソロである“協奏風”主題の発展形(【39】)を、絃楽が正確に再現している。この部分は、Bパートのピアノソロよりむしろ静謐で室内楽的だ。

 そしてすぐにまたゲネラル・パウゼがあり、同じモチーフはBパートと同じく独奏ピアノに引き継がれ、時折、箏のような音色もありつつ、様々な「タタタン」を交えて、ホルンや絃楽、ピアノでダイナミックに変奏されて進む(【81】)。

 ここで、たった2小節であるが、フルートとトロンボーン(及びクラリネット、コーラングレだが、音色的に主に聴こえるのはフルートとトロンボーンである)が静かにテーマを吹奏する。この2種類の異質な楽器が静謐なデュオを奏でるというのは、新鮮かつ驚きであり、伊福部らしい斬新にして絶妙なオーケストレーションだろう。

 というのも、フルートとトロンボーンというのは、まず他の作曲家ではユニゾンにしないのではないか。ひっそりと組み合わされ、目立たないが、天で鳴き渡る鳥のようなフルートと、地を走るイノシシの声のようなトロンボーンが大自然の中で共に静かに歌うような、なんとも玄人好みの音を響かせている。

 テーマはホルン、絃楽と続き、最後はハープを従えたフルートによる序奏を変奏した、いかにも日本的な侘た独奏に移り、もの悲しい絃楽からホルンが引き継いで、ホルンはそのまま雄大な序奏を再現(【83】)。A'パートのピアノ独奏につながる。

●A'パート

 いよいよ、『リトミカ・オスティナータ』も終盤戦となる。

 Aパートの再現部にして、怒濤の集結へ向かう最後の戦いだ。

 ここでは、Aパートにおける以下のブロックが、正確に再現される(【84】~【110】)。

 主要主題ブロック1  ピアノソロから
 主要主題ブロック2  ハープによる導入、木管、打楽器
 主要主題ブロック3  ハープによる導入、木管、打楽器
 小展開部(あるいは経過部)   
 主要主題ブロック4  絃楽器ノンヴィブラート
 主要主題ブロック5  ハープ、木管、打楽器

 この後、細かい変化が加わっている。

 Aパートでは主要主題ブロック5の後に「3+2」×4、「2+3」「3+2」「2+3」「3+2」で8小節進んでからピアノ連打に入り「タタタ・タタ・ターン」であっさりと終結したが、A'パートではこの8小節の木管がトレモロに変わり(【111】)、「3+2」「3+2」「2+3」「2+3」「3+2」の5小節パターン×2で10小節進んだ後にピアノで3小節+「タタタン」、そこから「2+3」「3+2」「2+3」「3+2」の4小節進んで(~【113】)、拍子が総て異なる(4/8、7/16、5/8)3小節の経過部の後、一気にCパート後半部の「4+2+4」「3+3+4」に雪崩れこむ(【114】~)。

 この3小節の独特の経過部からコーダなのか、後述するピアノのグリッサンドからコーダなのか、怒濤を中断する一瞬のゲネラル・パウゼからコーダなのか、調べてもよく分からなかったのだが、ここでは仮にピアノのグリッサンド以降(【118】)をコーダと仮定する。

 もっとも、コーダ(終結部、結尾部)というのは、楽譜に「ここから先がコーダ」という意味でコーダ記号や coda という指示が書いてあるもので、書いていない曲には正確にはコーダは存在しないのだろうから、そもそもコーダ(仮)であることを付け加える。

 ではなぜ、あえてコーダ(仮)と仮定するのかというと、Aパート主要主題からCパート展開部へ接続しているだけで、厳密には新規主題や主題展開による終結部ではないのだろうが、一瞬のゲネラル・パウゼの置き位置やオスティナートの展開等の工夫を加えたその効果が、明らかに終結部として機能しているからである。

 それに基づいて、主要主題ブロック5以降を順に見て行くと、下記(1)から(2)へ、この(2)のブロックをもう一度繰り返した(2回目はヴォリュームアップされている)後、(3)へ移る。

(1)【112】から

5小節 「3+2」「3+2」「2+3」「2+3」「3+2」
5小節 「3+2」「3+2」「2+3」「2+3」「3+2」
3小節+「タタタン」 ピアノソロ
4小節 「2+3」「3+2」「2+3」「3+2」

 ↓

(2)【114】から(下表×2回)

3小節 経過部4/8、7/16、5/8の新規動機
4小節 5/8拍子「4+2+4」「3+3+4」「4+2+4」「3+3+4」
4小節 5/16拍子「2+3」「3+2」「2+3」「3+2」

 ↓

(3)【118】2小節手前から

2小節 4/8拍子、大胆なピアノのグリッサンド以降コーダ(仮)に突入。
8小節 5/8拍子「2+3+3+2」を1小節として×8
ゲネラル・パウゼ 3/8拍子
8小節 5/8拍子「2+3+3+2」を1小節として×8
5小節 5/8拍子「3+2+3+2」を1小節として×5
6小節 3/8拍子「3+3」を1小節として×6
2小節 5/16拍子 終結

 オスティナートの中にも、だんだん音形が「詰まって」きて、切迫感を増しながら一気呵成に終結へ驀進しているのが分かるだろう。

 主要主題ブロック5から17小節後に現れる「全て拍子の異なる3小節の経過部」(【114】)は、新しい動機により「タータタ・タータタ」「タタタタ・タタタ」「タータタ・タタ・タタタン」と進んで、これからの昂奮を先取りする。

 そしてCパートの後半部分へ接続されるのだが、ここまで聴いてきて思うのは、当曲の要所を貫くこの「タタタタ・タタ・タタタタ」「タタタ・タタタ・タタタタ」の2種類の10拍子パターンが、既にAパートの経過部でさりげなく提示され、Cパートで大胆に展開し、そして最後にA'パートでもう1つの主要主題である「タタタ・タタ」「タタ・タタタ」の5拍子と合体して、リズム的・音調的な効果がここで最高潮に達していることである。このスピード感と昂揚を得るために、これまで配置を綿密に計算されてきたのだと分かる。

 そして、突如として出現する豪快なピアノのグリッサンド!!(【118】の1小節手前)

 さらに昂揚は増し、コーダ(仮)ではさらなるトリップ効果を生む。

 ここはもう、宇宙だ。

 小さな仏像のひしめくお堂の中で、幻影のように壁から天井、床に至るまで、周囲一面にびっしりと仏像が視えている。

 もはや、伊福部流の曼陀羅だ。

 そこに忽然と出現し、我々を現実に引き戻すのは、1小節のゲネラル・パウゼである(【119】の1小節手前)。

 スコアを確認すると、当曲は意外とあちこちにゲネラル・パウゼが置いてあり、そのたびに音楽が仕切り直しとなる。その中でこの最後のゲネラル・パウゼだけ、3/8拍子と指定されている。拍子(及びテンポ)が、指定されていることに注目だ。

 というのも、ゲネラル・パウゼというのは、ただ全員で止まるだけではなく、その止まっている時間の長さ(再開のタイミング)は指揮者に委ねられる。

 だがここでは、その休止の時間は、作曲者が明確に指定している。

 そこで音楽は急停止し、聴き手がガクンとなったとたんにズドンと再び動き出す。

 その効果と衝撃たるや、奏者がティンパニに頭からつっこむどころのレベルではない。

 陶酔と法悦から、聴き手は突如として現実に引き戻される。

 そこから急発進でトリップが再開して、8小節を再現した後(【120】~【121】)、低音部の伴奏が長音から5拍子を刻んで5小節、さらに音価が詰まった3拍子に移行する(【122】)。

 ここの加速感と陶酔感は、まるでワープに突入する宇宙船だ。

 もしくは、悟りだ。

 我々は、仏になるのである。

 仏の世界の行き着く先は涅槃であり、解脱に他ならない。

 我々は解脱へ向かって、宇宙の中の魂の道を光速すら超えて突き進む。

 そして宇宙が一巡するような、一瞬にして永遠の、法悦の時間の流れに身を委ねる。

 ニルヴァーナだ。

 伊福部流の、ニルヴァーナだ。

 ……と、思いきや、ここで忽然と終結が訪れる。

 しかもその終結は、あえてアンサンブルが合わないように書かれているのではないか、と思わせるほどで、『春の祭典』の終結部より複雑な音響を持つ。

 が、一瞬の出来事なので、聴き手はあっけにとられるのみだ。

 驀進は何か硬質なものにぶち当たってそれが破壊され、崩れるように終わる。

 曼陀羅が砕け散って崩れ去り、異次元の奈落に落ちる。

 そして夢から醒めたように現世に戻って、万雷の拍手を送るのである。


●1961年初稿及び1969年改訂稿について

 伊福部と直接面識のあった関係者や、その関係者から話を聞く機会のあった者を除き、一般の聴衆が、当曲が初演及び再演の後、一部改訂されて現行版となったことを知ったのは、恐らくナクソスレーベルによるヤブロンスキー盤の片山杜秀による解説ではないだろうか。そこには「のちに作曲家は一部を改訂し、1972年に現行版を得た。」とある。(CD『日本作曲家選輯 伊福部昭』NAXOS 8.557587J ライナーノーツより)

 しかし、ヤブロンスキー盤の2004年発売当時の情報では、どのような改訂が施されたのか、というのは謎だった。当の伊福部はそこまで語らなかったようだし、改訂前の楽譜も残っていないと思われていたようである。

 2009年に私が個人的に関係者より伺った話では、

 「(初稿は)決定稿より、アレグロの部分が少し長かったそうである」

 「曲は良いのだが、しつこいとか(聴いていて)疲れるとか言われて、総じて不評だったようだ」

 「おそらく、(改訂では)アレグロの部分を少しカットしたのではないか」

 というものだった。

 また、かつてその方に松村禎三が語ったところによると、武満徹が61年の初演か69年の再演、あるいはそれ以降の演奏か録音か、とにかく何らかの形で当曲を聴き、

 「ゆっくりな部分が無ければ、とても良い曲」

 と評したという。

 武満の話はちょっと意外で、面白く感じたのを覚えている。武満は、自身の作風とは真逆である当曲のアグレッシヴなアレグロに魅力を感じたようだ。逆にゆっくりな部分では、伊福部らしい情緒的な音調や土俗的な雰囲気を嫌ったのではないか。

 そのほか、完成前の楽譜を芥川也寸志や黛敏郎に見せたところ、

 「先生、これは良い、面白い」

 と褒められたともいう。

 さて、初演から50年以上経って、なんと61年の初演と69年の再演の模様がライヴ録音され、しかもそれらの録音が残っていたことが判明。初演版(初稿)は2013年9月15日からネットラジオ放送、その後2014年にCD化された。また69年再演版は2016年9月24日ラジオ放送(再放送26日)、その後2020年にCD化された。

 それらを聴いた伊福部ファンのおそらくほぼ全員がコーヒーか茶を噴き、ショックのあまりイスからずり落ちるか、幽体離脱……に匹敵する衝撃を受けたことだろう。

 少なくとも私は「一部改訂」というイメージから、長い部分の多少のカットやピアノパートの直し、オーケストレーションの直し程度だと思っていたのだが、(それらも、もちろんあるのだろうが)最大の改訂は演奏時間数分間の、まったく未知の楽想が丸ごとカットされていたことだった。

 それは、ABCB'A'で分けることのできるパートのCとB'の間に存在していた。すなわち、『リトミカ・オスティナータ』は初演と69年再演まで、ABCDB'A'という、6部(偶数)構成だったのである!

 そのDパートへの移行部にして経過部、そして導入が、あの「ザン・ザン・ザン・ザン」……だったのだ。

 従って、決定稿前のバージョンではCパートの終結部で「ザン・ザン・ザン・ザン」……が、減衰しない。そのまま音量と勢いを保ち、一気呵成にDパートへ突入する。

 Dパートは、正確には“協奏風”主題の派生なのでC'と言えなくもないが、構成や楽想があまりに異質なので、やはりDパートとしたほうが分かりやすいだろう。

 項数の関係で、ここではDパートのみ聴き進める。

 Cパートより「ザン・ザン・ザン・ザン」……と、まさに軍隊の行進……集団で歩く軍靴のような重厚な進行の上に、“協奏風”主題の一部をリズミックに変奏したものが低音で鳴り響き、それはリズムを落とさずにホルンに引き継がれ、そのまま主題は展開される。

 それは、全体としては“協奏風”主題を引き延ばし、変形させ、よりリズムを強調したものだと分かるし、まるで『協奏風交響曲』第1楽章展開部最後の部分の、ホルンによる“協奏風”主題のゆるやかな変奏を思い起こさせる。

 主題はピアノからトランペットや絃楽のピチカートに移り、どこか中国風にまたピアノがその一部を展開する。続けてリズムが刻まれる中、オーケストラとピアノが交互に主題を弾き継いで行く。上昇系「タタタン」も忘れない。

 さらに、ピアノにクラスターのような音も与えられ、“協奏風”主題変奏の合間にガンガンと粗暴な響きが鳴り渡る。

 一貫してリズムがキープされる中、主題はさらに細かく展開し、変貌して行く。

 が、2分ほどでその進軍は弱まり、やがて遠くて去って行く。

 リズムと雰囲気は急激に減衰し……B'パートに突入する。


 この部分を初めて聴いた時は、まさに「キターーーーーー!!!!」状態で、昂奮のあまりアタマがグルグルになってしまった。我が違和感の正体はコレか!! と、膝を連打すると同時に、そうは言ってもカットした後に、もう少しうまい具合に接続できなかったのかという想いにかられた。

 すなわち、「ザン・ザン・ザン・ザン」というハルサイ風動機はDパートを貫く主体リズムであり、その出所が判明した。決定稿だけでは、これがどこから現れたのかまったく分からず、あまりに唐突だった。いきなり出てきて「なんじゃ、こりゃ」と思ったし、ゴジラ風動機の「ド・ド・ド・ド」の拡大というには、存在感がデカすぎた。

 伊福部は結局のところDパートそのものを不要と判断して丸ごとカットしたわけだが、接続部としてDパートの前後に置かれたハルサイ風動機だけ残したというわけだ。

 また、初演を務めたピアニストの金井裕によると、「肘打ち奏法を行うかどうか考えて、結局は両手全部で叩きつけるように弾いた箇所があった」という。(前述のユニバーサルミュージック TYCE-60014 ライナーノーツより)

 ご承知の通り、当曲の決定稿のピアノパートにそんな部分は無く、このDパート中間部に現れる荒々しいクラスター風の箇所の証言であることが分かる。

 なお、楽譜の比較ができないので、「聴いた感じ」でしか分からないのだが、私の耳には、その他の違いとしてBパートの絃楽の一部の上昇系タタタンにタイがかかって、笙っぽい音になっている。あるいは、ここも例のノンヴィブラート奏法だろうか。

 その他、管楽器やピアノの音の数、ハープの有無など、細かなところは違って聴こえるような部分もあるが、61年盤、69年盤ともライヴ盤であるし、音質もあまり良くなく、ミスなのかどうかも含め、正直よく分からない。

 が、69年再演版と71年若杉盤の録音でピアノを担当した小林仁の回想によると、小林は69年の演奏会の際に、当曲の「クライマックスの部分」「最後の21小節」において、「オケの中でピアノがどうにも響いてこない」ため、伊福部に、

 「僕なりに少し変えてやってもいいですか」

 と訪ねたところ、伊福部は、

 「ピアノは聞こえてほしい、でも音は絶対に変えてくれるな」

 と答えたのだが、小林は本番で勝手に変えて弾いたそうだ(笑)

 というのも、ピアノの音が多すぎて疲れてしまい、無意識にもタッチを弱く弾いてしまって音量が下がり、ピアノがオーケストラに埋没するのを避けるため、

 「左手の音数を減らして音圧を上げました。」

 とのことである。

 「最後の21小節」というのは、ちょうどゲネラル・パウゼ以降であることを付け加える。

 このエピソードで凄いのはそこからで、後に決定稿が出版された際、小林がスコアを見てみると、69年の演奏会の際に小林が弾いた通りに楽譜が直されていて、非常に驚いたという。

 (前述の不気味社G.R.F.040 ライナーノーツ及び小林仁のブログ『パルナソス・アソシエーション』の「伊福部昭の音楽史」より)


 さて、このDパートがカットされた理由だが……これは、完全に推測の域を出ないが、明らかにここはオーケストラが主体でピアノの出番が少なく、あまり協奏的では無い部分であり、楽想としては面白いし捨て難いかもしれないが、全体の音調と比較するとやはりここだけ浅いというか、浮いているというか、場違いというか……違和感があるように感じられる。そのため、伊福部としては結局「蛇足」と判断したのだろう。

 それにしては、あまりにもあからさまに『春の祭典』を彷彿とさせる接続部だけが残ったのは、私としてはやっぱり解せないのだが。


3.リズムを動かしてきた人たちの記録

 私が当曲を聴き始めた90年代初頭にはCDも2種類しかなかったが、2023年執筆現在、61年初演及び69年再演、さらには2台のピアノ版や男声合唱版という不気味なものを含め、12種類もある。隔世の感があると言わざるをえない。

 録音年代順に、聴き進めて行きたい。(発売年は全てCD)

 伊福部昭:ピアノとオーケストラのためのリトミカ・オスティナータ ユニバーサル クラシックス&ジャズ TYCE-60014
 上田仁/東京交響楽団/金井裕 1961年ライヴ録音(2014年発売)

 まさか、まさかの初演のライヴ録音。そして、Dパートの存在が明らかになった、重要な録音である。流石に音質は良くなく、さらにはモノラルだが、異様な熱気と集中が感じられ、60年代の現代音楽の演奏にあるザラッとして乾いた質感と緊張感がたまらない。アンサンブルが時折崩れかけるのも、緊張感を増している。Cパート冒頭にハウリングのような雑音が入っているが、何の音かは不明。全体に、テンポが凄く速い。時々バックの打楽器や金管楽器がやたらと大きくなって、ピアノを押しつぶすのも初演ならではのバランス感に思える。また冒頭のホルンの後のピアノがいきなり速いので、アッチェレランド(段々速く)になっていない。ピアニストの判断というより、初稿にはアッチェレランドの指示が記載されていなかったのかもしれない。


 伊福部昭の純音楽 Salida DESL-014-16
 若杉弘/読売日本交響楽団/小林仁 1969年ライヴ録音(2020年発売)

 さらに、まさかまさかの再演のライヴ録音である。69年の再演時においても、まだDパートが残っていることが確認できる。初演に比べて録音も格段に良く、ステレオ。また、初演よりテンポがけっこう遅いことが分かる。これはピアノの小林仁によると、自身やオケメンバーはリズムを「タツツ・タツツ」と読んでいたのだが、指揮の若杉は「ディダン・ディダン」と読んでいて、その分、テンポ感がちょっと遅くなったのではないか、という。(前述の不気味社G.R.F.040 ライナーノーツより)

 また、61年版とどこがどう違うのかは、録音だけでは分かりづらい。久しぶりの再演だからか、時々リズム処理がガクガクしているのや、Aパートの最後の方で打楽器が飛び出ているのが臨場感がある。ラストの方の熱演はさすが若杉と言うべきで、この次のセッション録音につながっている。


 現代日本の音楽名盤選(5) 伊福部昭・小山清茂・外山雄三 Victer VDC-5505
 若杉弘/読売日本交響楽団/小林仁 1971年セッション録音(1987年発売)

 いまもって、録音状態以外は当曲録音の最高峰と言うべき録音だろう。そもそも、当曲はセッション録音自体が少ない。一発録りのライヴに比べて、非常に丁寧に演奏されているし、熱気も負けていない。69年盤と同じコンビであるが、再演時と聴き比べると、とてもテンポが速くなっている。若杉も「タツツ・タツツ」読むようになったのか、伊福部から何かアドヴァイスがあったのかどうかは分からない。まさに、模範的演奏と言うべきだろう。伊福部も、この録音は喜んだのではないだろうか。この録音の翌年、伊福部はスコアを清書して後年出版している。そのため、スコアの最後に1972年とあるが、それは清書年であって、内容は前年のこの録音に使用した譜面とほぼ同じであると思われる。(それでも、些少の直しはあったと推測されるので、これは71年版と考えられなくもない。)

 また伊福部はハープが好きで、セッション録音の調整の際には必ずハープの音量を上げるように指示をしていたというが、この盤でもハープがとてもよく聴こえるのを、ライヴ盤と比較していただきたい。

 ところで、当録音に際し、未確認の謎がある。小林が69年再演の際にクライマックス部分(ゲネラル・パウゼ以降21小節)で、勝手にピアノ譜を変更し「音を減らして」弾いて、伊福部が72年の清書決定稿でその通りに直したというエピソードに触れたところだが、では、この71年の録音の際はどうだったのか?

 ピアノ譜のクライマックスの部分は69年稿のままで、ここでも小林は同じように勝手に音を変えて(一部減らして)弾き、結局伊福部はそれを採用して、翌年清書した際にその通りに直したのではないか……というのが、現時点での私と編集主幹の推測である。伊福部も、この演奏において小林の運指を直に見て、ピアノパートの録音を聴き、正確に音を把握したのではあるまいか。

 この件に関しては、不気味社の八尋氏の考察もあり、後記する。


 伊福部昭 協奏三題 fontec FOCD3143
 井上道義/東京交響楽団/藤井一興 1983年ライヴ録音(1991年発売)

 91年の発売当時は、解説では当曲が61年に初演されたということしか載っておらず、改訂のことは何も触れられていない。

 演奏はピアノとオケが微妙にズレる部分があるが、もうライヴならではの現象というしかない。それだけ、当曲のアンサンブルが至難ということだろう。ミッチーこと井上37歳の指揮も、走り気味に聴こえる。全体にアッサリしており、モダンな演奏。A'パートのピアノに致命的な崩れがあり、ピアニストがよく発売を許可したと思うが、それもまたライヴならではの味わいであろう。


 日本作曲家選輯 伊福部昭:シンフォニア・タプカーラ ピアノとオーケストラのためのリトミカ・オスティナータ SF交響ファンタジー第1番 NAXOS 8.557587J
 ヤブロンスキー/ロシアフィルハーモニー管弦楽団/サランツェヴァ 2004年セッション録音(2004年発売

 全伊福部ファンがびっくりした、待望の世界盤。であったが、録音内容が個性的すぎて二度びっくりしたと言えよう。まさに、楽譜だけ送って指示をしないと、外国人にはこういう音楽だと思われるという、伊福部が『シンフォニア・タプカーラ』原典版初演の際に体験した想いを追体験したような演奏である。

 言えばきりがないのだが、まず楽器のバランスが妙だ。主題がひっこんで、伴奏が前に出る箇所が多い。外国人には、伴奏部分が主題に聴こえるという現象なのかどうか。例えば、瀬戸口藤吉『行進曲「軍艦」』のトリオは「海ゆかば」を吹くユーフォニウムが主旋律なのだが、その後ろでピーヒャラピーヒャラ鳴っている伴奏のピッコロが主旋律と勘違いされやすく、よくその両者が逆転して演奏される。それに近いというか。

 そして、テンポも妙である。ゆっくり進んでほしいところはサクサク進んで、そこは急げよというところが遅い。これも、テンポ感というより主題やフレージングの重要性の認識の違いなのだろう。特に、併録の『シンフォニア・タプカーラ』と『SF交響ファンタジー第1番』に顕著だ。

 良いところは、何と言っても金管のパワーだろう。これぐらいじゃないと、伊福部のオーケストレーションは真価を発揮しないのではないか。リトミカに関しては、セッションらしくピアノをよく捕らえている印象。指揮もカッチリと振っているようで、テンポはゆっくりめで、リズムがガクガクして荒々しい。セッションながらアンサンブルが時々崩れかけるのは、もう仕方がない。


 伊福部昭 ピアノ作品全集Live Piano-Label piano-007
 川上敦子/岡原信也 2004年ライヴ録音(2005年発売)

 2台ピアノ版の世界初録音。2台ピアノ版は当初「練習用」として作られ、最終稿出版の際に正式に清書されたといい、およそ40年後の2002年に正規出版された。この盤は私家盤のようで、今は入手が困難。川上の委嘱で書かれ、川上に献呈されたピアノ独奏版『日本狂詩曲』の世界初録音も収録されている貴重な盤である。

 リトミカはライヴ盤のせいか、第二ピアノが凄く遠く、良く聴こえない。逆に、第一ピアノはよく聴こえる。マイクの位置が悪かったのだろうか。まるで、第一ピアノは目の前で、第二ピアノはステージの裏で弾いているようである。テンポはゆっくりめで、かなり硬質な、打楽器的な響きをしている。そこがまるでライヒめいた無機質な音調となっているのは、非常に面白い。最後までテンポ感を崩さず丁寧に弾ききっており、当曲の構成と音調を独特の感覚で掴んでいる。


 伊福部昭 ピアノ作品集 第一集 RAISON(ゼール音楽事務所) ZMM-0812
 早川正昭/栃木県交響楽団/山田令子 2006年ライヴ録音(2008年発売)

 オーケストラの栃木県交響楽団はアマオケながらかなりうまく、ほぼセミプロというレベルだが、常にピアノと微妙なズレが生じている(オケが重く、常にコンマ秒で遅れてピアノの足枷になっている)のが惜しい。しかしこれは録音(会場の響き)のせいのような気もするし、アマオケにそこまで求めるのも酷な気もする。ライヴらしい危ないミスもあるが、記念碑的な演奏であることに、変わりはない。ピアノも熱演。全体に、異様な気迫が感じられる。


 伊福部昭 ピアノ作品集 第二集 RAISON(ゼール音楽事務所) ZMM-1011
 山田令子/パトリック・ゴードン/ブレット・ロウ 2010年セッション録音(2010年発売)

 2023年執筆現在、2種類ある2台のピアノ版の録音の一つであり、また同バージョンの唯一のセッション録音。特徴的なのは、「第二ピアノ譜に書かれた音を全部一人で弾くのは、音域的に無理な箇所が幾つかあった」(同盤ライナーノーツより)ため、ソリストである山田の意向により、第2ピアノを2人で弾いていることである。ただ、それがどの部分なのかは分からない。演奏は、第1ピアノの力強くキレのある硬質なタッチがまず特徴的。おそらく、山田はペダルをほとんど使用していないのではないか。速すぎず、遅すぎずでテンポ感も素晴らしい。緩徐部もタッチは変わらず、冷たく硬質な空気に支配され、ここは北方を彷彿とさせる。Cパート後半やA'パート後半の狂乱もイン・テンポでむしろじっくりと進み、音符とピアノを鳴らしきった独特の迫力がある。


 伊福部昭 生誕100年記念コンサート ゼール音楽事務所 ZMM1011
 大植英次/東京交響楽団/山田令子 2014年ライヴ録音(2015年発売)

 伊福部昭生誕100年記念、そして「現代日本音楽の夕べシリーズ第17回」として開催された東響の演奏会の模様である。山田が、今度はプロオケを相手に縦横無尽。テンポは、全体にゆっくりめ。そしてオケもそうなのだが、ピアノも幾分かソフトタッチに聴こえる。会場のせいだろうか。また、同じ盤に収録されている他の曲に比べても、どういうわけか録音がやや悪く、輪郭がはっきりしない。ソフトタッチに聴こえるのは、そのせいかもしれない。テンポ感は終始しっかりと地に足がついた太いもので好感だが、打楽器が非常に音量が小さいか録音が遠いため、どうしても伊福部独特の迫力に欠ける気がする。それは、大植の狙いだったのかどうか。時々、アンサンブルが微妙に崩れかけるが、それは当曲にあってはどうしようもないだろう。全体に、伴奏の音量が大きい。


 伊福部昭没後10年記念演奏会 ゼール音楽事務所 ZMM-1609
 荻町修/栃木県交響楽団/山田令子 2016年ライヴ録音(2016年発売)

 栃響再び。そしてまた山田。伊福部昭没後10周年記念演奏会の模様であり、『リトミカ・オスティナータ』はトリを飾っている。オケとピアノのバランスも良く、ちょうどこれより10年前の2006年の演奏と比較して、なによりアンサンブルが格段に良くなっていて好感。録音も非常に良い。ピアノはクッキリと浮き上がって聴こえ、クリアに捕らえられている。オーケストラの迫力もある。テンポ感も素晴らしい。指揮者も藝が細かく、スコアに指示の無い絶妙なクレッシェンドや音量の変化で、曲全体を盛り上げている。録音、演奏共に、非常に質の良いものになっていると判断できる。


 伊福部昭「協奏四題」熱狂ライヴ KING RECORDS KICC-1342/3
 井上道義/東京交響楽団/山田令子 2016年ライヴ録音(2016年発売)

 またまた山田令子である。2023年執筆現在、12種類の当曲の録音の内5種類が山田令子というのは、異様な数字だ。おそらく、日本で一番当曲を演奏しているピアニストなのではないか。本稿執筆まで回数は気にも止めていなかったが、改めて驚いた次第である。山田にとっても、この演奏は集大成なのではないか。井上も、久しぶりの演奏だったろう。テンポは落ち着いており、速すぎず遅すぎずで、ちょうど良い。ピアノも山田らしくカッチリとリズムを押さえており、誠実かつ確実に進む。反面、緩徐部がサクサク進むのは、いかにも井上らしい。A'パートになって俄然速度が上がって荒々しくなり、録音から昂奮が伝わってくる。ただし、コーダ(仮)少し前、一瞬、オケに危うい崩れがあり、ピアノがなんとか持ち直しているのが生々しい。当曲の演奏に精通した山田ならでは、というか。並のピアノであれば、あのままピアノも崩れているところだろう。


 豪快なリトミカ・オスティナータ 不気味社 G.R.F.040
 32/olympos 2017年セッション録音(2017年発売)

 出ました不気味社。男声合唱版の『リトミカ・オスティナータ』である。なんと、本稿執筆時の2023年時点で最新録音がこの不気味社だ。これも、改めて驚いた。しかも、既に6年も前である。この6年間、ライヴ盤にしろセッション盤にしろ、当曲の新譜は発売されていないのだ。由々しき事態であろう。

 それはそうと、なんとこの盤は決定稿と初演・再演版の2種類録音されていて、1枚で二度美味しい。不気味社では、譜面が無い場合は音楽応用解析研究所長の「耳コピ」で採譜し、楽譜に落として歌われている。従って、おそらく初演・再演版の両方から音符に落とされていると推察する。

 入れ代わり立ち代わりで複数パートを歌っていると思われ、伊福部のスコアを何パート何人で歌っているのか詳細は分からないが、その再現度の高さにはいつも唸らされる。まして、純粋なオーケストラ曲である当曲のような楽曲においても、その再現にはいっさいの手抜かりが無い。

 冒頭から野太い。ホルンから野太い。ピアノパートを複数人が歌い続ける。伴奏部の重厚さも見事だ。物理的に歌えなくなるからだろうが、速すぎないテンポも好感である。

 そしてBパートの雄大さ、雄弁さよ。聴き流しがちになる緩徐パートを、むしろここまで感情豊かに歌い上げてくれる。まさに、伊福部に精通した不気味社であると唸る。

 Cパートもじっくりと進み、いつブレスしているのだろうという後半オスティナート部分に突入。ピアノよりむしろ、バックの金管部の戦国武者の雄叫びか戦場のほら貝のような勇壮さが光る。

 B'パートの、静謐さより雄々しさが勝るのは、男声合唱の効果だろう。神秘さ、信仰心すらかいま見えるような、圧倒的な美しさだ。

 A'パート後半での狂乱に到っては、テンポも上がり、いよいよ人間の呼吸の限界に挑戦している感すらある。ピアノの左右の弾き分けの再現も素晴らしい。一気呵成だ。

 その後、CDからはどういうわけか『SF交響ファンタジー第2番』が流れだす。もちろん、男声合唱である。リトミカの冒頭のホルンが黒部峡谷のテーマに似ているから、キングギドラ繋がりだろうか?

 たっぷりSF2番を聴いた後、当盤に収録されている大澤徹訓の解説が朗読される。音階の部分には実際に音が入るので、分かりやすい。

 その後に、『リトミカ・オスティナータ』初稿・再演版の演奏が始まる。(しばし無音の時が流れるのは、いつもの不気味社である。)

 初演・再演版でやはり注目されるのは、Dパートであろう。

 たとえ合唱版においても、Dパートの土俗さ、場違いさは変わらない。やはり、このパートは荒々しい。荒ぶる神が、いきなり降臨してきた感がある。婆羅陀巍様か、大魔神か。そうなると、続くB'パートは、実は荒神を静める祈りのパートなのだろうか。そう、気づかされるのである。


●総括

 『リトミカ・オスティナータ』は、2023年現在キングレコードの『伊福部昭の芸術』シリーズに録音が無く、これぞと言ったスタンダード盤が無いと思っている。セッション録音であり、作者監修である若杉71年盤が唯一スタンダード盤と言えるのだろうが、演奏自体は最高ながらも録音状態が流石に時代を感じさせるし、そもそも(たとえ、ほとんど変わらないだろうと推測されるにしても)1972年の決定稿前の楽譜による演奏をスタンダード盤にしていいのか、という疑義も残る。

 また、やはり当曲にあっては、ライヴ録音だと、どこかにアンサンブルの歪みが生じるのは致し方ない。その意味で、セッション録音の重要性が増す。とはいえ、演奏によっては一瞬の出来事であるし、気にしない、あるいは気が付かない人も多いだろう。

 ただ、個人的には音を外す(ピアノのミスタッチを含む)ことより、全体のアンサンブルの乱れ(崩れ)の方が気になる性質なのである。

 このご時世であるから、とても利益が出るとは思えない、純粋に文化藝術的価値によるCD・配信を出すためだけに奏者や指揮者、スタジオ又はホールを押さえて録音をする経費を捻出するのは難しい。演奏会に便乗して録音をするのは正しいし、ライヴ録音というジャンルも確立している。2023年現在、当曲の12種類の録音のうち、編曲ものを除いた9種類で、セッションが2種類、ライヴが7種類という偏りも、当曲の録音がにわかに増え始めた時期と、いわゆる失われた30年という長期的な不況が重なっている不運がある。

 ぜいたくを言えば、たまにはガツンと気合の入ったセッション録音が欲しいところだが、何でもいいから音源が出るだけ御の字という気持ちもある。おそらく古参の部類になってきているだろう一伊福部ファンとして、そのジレンマに身もだえする日々である。


4.実際にリズムを動かしてみた人たち

 ここでは、私がSNS等でつながりがある人たちの中で、実際に『リトミカ・オスティナータ』の演奏経験があるピアニスト3人にメールでインタビューした。(アイウエオ順)

●江原千咲子さんインタビュー


 まず、YouTubeにおいて自らの演奏を発表している江原千咲子さん。江原さんは『リトミカ・オスティナータ』の2台ピアノ版のピアノパートと伴奏パートを1人で弾き、多重録音により編集して、Youtubeに発表している。

──伊福部昭との出会いは何でしたか?
 
江原 伊福部昭さんとの出会いは今から約8年前になります。

 大学卒業後、私はピアニストとしての方向性が定まらず悩んでおりました。

 西洋音楽を演奏する上で、その土地の文化、言語、宗教観を肌で感じ学ばなければ、ピアニストとして自分が理想とする音が出せない、ということは常々感じておりましたが、海外に対して苦手意識があったため留学する覚悟を持てずにおりました。

 そんな時に今の主人から「日本人なら邦人作曲家を専門とすれば、この国に全ての資料がある。だからこそ、あなたは伊福部昭を極めろ」と、『SF交響ファンタジー第1番』が収録されたCD(『交響頌偈“釈迦”』小松一彦/東京交響楽団他 東芝EMI LD32-2105)を渡されました。

 その時、伊福部音楽に大きな衝撃を受け、すぐに楽譜を取り寄せ、のめりこむように勉強しました。

 初めてお客様の前で伊福部作品を演奏させて頂きました時に、今まで聴いたことがなかったどよめきと拍手は今でも忘れません。

 同時にそれまで、自分が持つエネルギーの方向が西洋音楽と合わず苦悩しておりましたが、初めて正面から受け止めてくれた作曲家だと感じ、伊福部音楽に生涯を懸ける事を誓いました。

──『リトミカ・オスティナータ』との出会いは何でしたか、そしてその時にどう感じましたか?

江原 私は幼少期から「協奏曲」に対して、大きな憧れを抱いておりました。

 『SF交響ファンタジー第1番』『ピアノ組曲』と勉強していく中で、『ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲』『ピアノと管絃楽のための“リトミカ・オスティナータ”』に出会いました。

 「伊福部さんがピアノ協奏曲らしきものを書いて下さっている!」と嬉しくなりながら聴いてみると、ノンストップで約20分間も演奏させるという所業が信じられませんでした。

 あれから約8年後、2台のピアノで多重録音しようなんて恐ろしいことを思いつくとは。

 ちなみに私は『協奏風交響曲』は「オーケストラとピアノが対等な協奏曲」、『リトミカ』は「リトミカというジャンル」と思っております。

──なぜ2台のピアノによる多重録音に挑戦したのでしょうか?

江原 YouTubeを始めた2年前から漠然と「2台ピアノに挑戦をしてみたい」と思っておりました。ある程度YouTubeの運営にも慣れてきた頃に、伊福部さんご自身が2台ピアノ版の楽譜を書かれている『リトミカ』に挑戦しよう、と覚悟を決めました。

 また昨年、非公開の演奏会ではありましたが『協奏風交響曲』を演奏させて頂き、あの大曲を乗り越えたのだから今こそ挑戦しても許されるだろう、という軽くもないが軽い気持ちから始めました。

 実際に演奏をしてみると、最初はとんでもないことを始めてしまった、と思いました。ピアノパートはもちろん、オーケストラパートも難易度が高く、その両方を弾いた上で多重録音。背筋がゾッとしました。

 しかし、オーケストラの気持ちを理解した上でピアノパートを演奏すると、曲が立体的に見えるようになり、時には煽るように弾いてみるとこれは面白い! と感じるようになりました。

 オーケストラパートでは「さぁ、ピアノパート! 弾きたまえ!」と、ピアノパートでは「オーケストラよ、ついてこい!」という気持ちになります。

 これはあくまで相手が私自身なので、実際にオーケストラとご一緒させて頂く時はもっと謙虚ですが(笑) ことごとく別人格で演奏していると感じます。

 たまにピアノパートを弾いている時に「オケ、やけに煽ってくるな(苦笑)」と思います。

 昨日の自分を、何度恨んだか分かりません……。

──なぜ練習風景や考察を公開しているのでしょうか?

江原 自分自身がピアニストの練習風景を見てみたかった、という気持ちが昔からありました。

 ただ、練習風景を公開するピアニストは見たことがなかったので、ならばやってみようかな、と思い製作する中で、今では嘆き、叫び、ボヤキが定番となっていきました。

 普段は練習をしながら頭の中で考察し、録音中に発見したことをメモしておきます。

 それらを動画にし、客観的にリトミカを見返すことで、より深く追求する事ができるのではないかと考え考察も公開しております。

 また、リアルなピアニストの練習風景をご覧いただく事で、普段から私自身が感じている「伊福部さんは、やっぱり凄い作曲家だ!」という想いを、一人でも多くの方と共感出来たら嬉しく思います。

 ただ、以前「ピアニストって、独り言が多いのですね!」とおっしゃって下さった方がいましたが、私自身の独り言が多いだけだと思いますので、そこだけはご理解ください(汗)

──『リトミカ・オスティナータ』について自由に。

江原 「伊福部リトミカ弾いてみた!」を通して、生前の伊福部さんとご一緒にお仕事をされていた方や、たくさんの伊福部ファンの皆様とお知り合いになることが出来ました。

 YouTubeにコメントや高評価を下さる方々、Twitter(当時)、Facebookにてコメントやリツイートして下さる方々、沢山の方々に支えられてここまで来ることが出来ました。

 もう弾けない、もう撮れない、そう泣き言をもらし、腕や指の痛みを感じた事は一度や二度ではありません。皆様がいらっしゃらなければ、間違いなくリタイアしていた企画でした。

 また、私は『リトミカ』は伊福部昭そのものである、とも思っております。どんな批評があろうと、生涯作曲スタイルを貫き通した伊福部さんの強い意志や精神力がこの曲からは伝わります。

 そして同時に、邦人作曲家を専門とする自分自身に問いかけられている覚悟だと感じております。

 伊福部音楽を専門とすることに、最初は周りから理解を得られることは出来ませんでしたが、何があっても貫き通すと決め、絶対に諦めませんでした。

 何より、自分を受け止めてくれた伊福部音楽を弾き続けたかったのです。演奏家としてようやく光が差したこの道を、そう簡単に諦めることなんて出来ませんでした。

 あの時、諦めなかったからこそ、たくさんの方々と出会い、今回こうして大好きな伊福部音楽を語れる場まで与えて頂くことができました。

 これからも愛する伊福部音楽を全うできるよう、邁進してまいります。

 応援頂きました全ての皆様に、心より感謝申し上げます。

 本当に、本当にありがとうございます。

●岡安咲耶さんインタビュー

 次に、ウィーン留学時に『リトミカ・オスティナータ』のウィーン初演※ を敢行した岡安咲耶さん。

 ※編集主幹注:舞台都合により編成を縮小しての演奏

──伊福部昭との出会いは何でしたか?

岡安 ウィーン国立音楽大学に在学中、恩師であるパリ在住ピアニストの菅野潤先生が2016年6月にパリ日本文化会館で伊福部昭を特集したコンサートを開かれ、出演のお誘いをいただき『ピアノ組曲』を譜読みした事が出会いでした。コンサートは1935年パリで開催されたA.チェレプニン賞一位受賞80周年記念で企画されたもので(パリ市内での爆弾テロの影響で当初予定の2015年12月から2016年6月に変更)、パリの満員の観客や現地メディアTOKUSKOPにも特集を組まれ、海外での作曲家伊福部昭氏の人気の高さを肌で感じる事が出来ました。

──『リトミカ・オスティナータ』との出会いは何でしたか、そしてその時にどう感じましたか?

岡安 前述したパリでのコンサートを発案された音楽プロデューサーの野口眞一郎さんに、2016年7月に日本一時帰国中のタイミングでチケットをいただき、井上道義さん指揮、東京交響楽団演奏の名曲全集第119回オール伊福部プログラム「協奏四題」で山田令子さんがソリストをされた『リトミカ・オスティナータ』を生で聴いた事が出会いでした。

 まさに、度肝を抜かれました。小さいころからクラシックのコンサートを沢山聴きましたが、大きなコンサート会場全体で観客が一体になり、あれほど盛り上がる経験はしたことがなかったので、血が沸騰するような興奮に圧倒され言葉を失いました。熱い音楽に、魂が震える経験をさせていただきました。

──どうして『リトミカ・オスティナータ』に挑戦しようと思いましたか? そして実際に演奏してみて、いかがでしたか?

岡安 『リトミカ・オスティナータ』を生で聴かせていただき、日本の音楽はかっこいい! 自分のルーツを大切にしたいという気持ちが大きくなり、ヨーロッパが拠点ですが、いつか自分も弾いてみたい、という夢をみるようになりました。

 実際に演奏してみて、音楽が持つスケール感やエネルギーが半端ではなく大きいのと、技術的にもオクターヴの連打が長時間続き、爪が潰れる程打鍵する場所もあり、指と体力、気力の限界を超える感覚がありました。

 最後に弾き終わったあとの高揚感、オーケストラと会場との一体感は何にも代えられない経験でした。

──ウィーン初演しようと思ったのは、どうしてですか? また、ウィーンの聴衆や音楽家の反応は如何でしたか?

岡安 10代でウィーン・パリを拠点に単身留学し、約12年間、西洋音楽の基礎的なものを現地で学んでいたので、それを軸に自分のルーツ、自分の色を出してみたいという事を大学院入学当初から考え始めていました。例えば他国のピアニストは、ロシア人ならラフマニノフやショスタコーヴィチ、フランス人ならドビュッシーやラヴェルなど自国の作曲家を当たり前に弾き、何故日本人は堂々と邦人作曲家を弾けない(弾かない)のだろう? という素朴な疑問から、組曲をサラバンドやジーグのように日本の盆踊り、佞武多等で表現した伊福部昭氏にとても惹かれる部分があり、ウィーンという変わらぬ伝統がある国、当時所属していたアカデミックな環境で感じた人種差別的な部分に、密かに抵抗と挑戦の意もこめて、西洋の和声においての禁則が沢山用いられている日本らしい曲を弾きたいと思いました。

 2019年がオーストリア日本との国交樹立150周年記念年で、T&N企画の安達のり子さんがイベントを企画され、邦人の作曲家の演奏を依頼してくださり、私はウィーン国立音楽大学院で『リトミカ・オスティナータ』についての修士論文を書いていたタイミングもあって、オーケストラと『リトミカ・オスティナータ』を共演するという夢を叶える事が出来ました。

 その舞台が、留学中コンサートに通っていたウィーン楽友協会(ブラームス・ザール)だったので、今でも信じられない程です。オーケストラは、現地にいた世界各国の音楽家でその日の為に結成されたRed and Whiteオーケストラ、指揮はイタリア人のマリオ・エリトレオ氏です。終演後の舞台裏では演奏者達が異常な興奮状態に陥り、多国籍な音楽家のハグやハイタッチの嵐でした。

 聴衆も二階席を使ってもホールに入りきらなくお断りする程の満員、鳴りやまない拍手と、最後の一音が終わった瞬間にブラボーの嵐が起きました。伊福部氏の音楽は、世界の国境を超えて人の心にダイレクトに響く原始的な凄い力がある事を体感しました。

 それとは反対に、ウィーン国立音楽大学の師事していたロシア人の女性教授はやや難色を示していて、「私はこの曲はレッスンをしません」と言われてしまい、卒業試験の直前の一回しか聴いてもらえませんでした。一番親身になって下さるはずの担当教授から突き放されてしまったので、それがとても精神的に辛かったです。しかし、そんな時に逆の意見で「素晴らしい! 応援するわ」というアメリカ人の女性教授もいて、古い考え方の根強い伝統ある学校では賛否両論でした。

 難色を示していたロシア人の教授も、卒業試験後の楽友協会のコンサートにお忙しいなか足を運んでくださり、「とても素晴らしかった!!」と喜んでくださって、最後の最後にはロシア人、アメリカ人の教授、日本人の元生徒でみんなで手をつないで笑顔で和解をする事が出来ました。

 そんな奇跡が起きるのも、『リトミカ・オスティナータ』の力かもしれません。

──『リトミカ・オスティナータ』について自由に。

岡安 沢山の方に支援のバトンを受け継がせていただき、伊福部作品を演奏をする事が出来たのだなと、インタビューに答えながら改めて思いました。

 『リトミカ・オスティナータ』は壮大で爆発的で情熱的な曲のイメージですが、分析を進めてゆくと、繰り返すリズムがどのように観客を興奮の渦に飲みこんでゆくのか、とても緻密に計算されていて、情熱とは正反対のキャラクターを持ち合わせていると個人的に感じています。

 技術的にも爪がつぶれるくらい鍵盤を叩く場面があり、難しいですが、その高度な技術を必要とする場面でも、とても熱いですが同じほど冷たいような感覚を演者が持つことが大切だなと思っています。まだまだ未熟ではございますが、これからも自分の限界を超えてチャレンジしていきたいと思っていますので、宜しくお願いいたします!

●川上敦子さんインタビュー

 最後に、伊福部ファン第2号の『土俗的三連画』についての記事「土俗の印象」においてもインタビューをお願いした、音更町在住の川上敦子さん。改めて紹介すると、川上さんは最晩年の伊福部と親交があり、ピアノ独奏版『日本狂詩曲』を献呈され、ピアノ独奏版『土俗的三連画』も献呈される予定だったが、伊福部の逝去により果たされなかった。

 また、2005年11月23日伊福部昭音楽祭in音更において、高関健/札幌交響楽団で、『リトミカ・オスティナータ』を演奏している。2004年には、出版されたばかりの2台のピアノ版『リトミカ・オスティナータ』のステージ初演も行っている。

──伊福部昭との出会いは何でしたか?

川上 伊福部昭先生と故郷音更町の深い関係を知ったのは、2002年、音更に戻って間もなくのことです。ちょうど、作曲家の江尻栄さん(本名、青山昌弘さん)と後に音更町文化事業協会理事長を務めた南出匠さんが、伊福部先生の功績を音更でも広めたいと行動を起こされた頃でした。「伊福部村長の息子の昭君が立派な作曲家になった」と知る町民の多くが鬼籍に入られ、先生と音更の縁を知る方がほとんどいない中から始めた活動であったと聞いております。

 南出さんから「伊福部昭と音更」について伺った私は、この事実を全く知らずにいた自分を恥じながら、すぐに当時のマネージャーへ電話をしました。「それは大変なことですよ!」と、耳をつんざく第一声。あの時のマネージャーの興奮は、今でも忘れません。

 先生のもとを訪ねようというマネージャーの提案のもと、面会日はあれよあれよという間に決まりました。そして私の、伊福部先生との思い出は、2003年、伊福部家が迫る尾山台の路上から始まることとなります。芸術家の中には、弟子でもない人からの先生呼ばわりを嫌う人物もいれば、リストのように、弟子だと虚言を吐く者にも寛容なタイプも存在します。けじめとして、私は「伊福部先生」ではなく「伊福部さん」とお呼びしてもよいかとマネージャーに尋ねたあのときから、先生との思い出は始まるのです。すぐに目の前に現れた伊福部家の門扉。この扉の向こうではきっと得も言われぬ神秘的なことが起きているに違いないと思わせる、趣に満ちた伊福部家の玄関。扉のなかで、にこやかに静かに私を迎えてくださった伊福部先生。その姿を目にした瞬間、私はなぜか大変な感銘を受け、「先生」と呼ばずにはいられぬ心境に達しました。それまで、芸術作品から感銘を受けたことは多々ありましたが、会った瞬間に、その方に会えたという事実ではなく、その方自身から感銘を受けたのは初めてのことでした。後に先生とのお別れに向かう機上で、伊福部昭という存在は、先生ご自身が歩まれてきた道のりが作り出した作品そのものであり、私は「無為」の真の意味を知るその作品に感銘を受けたのだと、その理由を知るに至りました。

 先生は私の弾く「盆踊」の録音を身じろぎもせずに聴いてくださいました。私は、先生がじっと指に挟んだままのタバコの灰が落ちるのではないかと、そればかりを気にしておりました。録音を聴き終えた先生は、「あなたは私の思ったままの音楽を、恥ずかしげもなくやってくれる」とおっしゃってくださり、それから三年間、私は幾度となく先生のお宅を訪ねることとなったのです。

──『リトミカ・オスティナータ』との出会いは何でしたか、そしてその時にどう感じましたか?

川上 『リトミカ・オスティナータ』2台ピアノ版を演奏すれば、先生の楽曲だけでリサイタルを行うことができる。そう考えたことが、『リトミカ・オスティナータ』の譜面と対峙したきっかけです。リトミカといえばの5拍子に初めは戸惑いましたが、今では3拍子や4拍子と全く変わらぬ、身体から湧きいずるものとなりました。これも韻文の五・七・五が日本人の根底にあるからこそでしょう。

──音更において『リトミカ・オスティナータ』を演奏したとき、私も会場にてお聴きしましたが、実際に演奏してみて、いかがでしたか?

川上 2005年の札幌交響楽団との共演では、私の念願叶い高関健さんの指揮のもと、存分に鳴らすことができました。久々に楽譜を見ると、私自らの手で随所に「急がない!」と書きこまれており、オスティナートによって生まれる気分の高揚と早まる鼓動を制し、インテンポを死守することがいかに難儀であったかを思い出します。先生はこの作品で、韻文の持つ五・七・五の奇数律動をモチーフとすると同時に六音音階を用いられましたが、この様な制限を与えたのはダ・ヴィンチの「力は制限に依って生まれ、自由に依って滅ぶ」と云う言葉への憧れがあったからだと記されています。作曲者がこのような厳しい制限を与えた楽曲を、奏者は本能に制限を与え表す。両々相俟って作品に力が生まれることを体感できた、心に残る舞台です。

──2台のピアノ版を出版から早々にコンサート初演しましたが、2台ピアノ版とオーケストラ版と両方演奏し、その違い等、いかがでしたか?

川上 2004年のリサイタルで、2台ピアノ版を初演しました。オーケストラパートは岡原慎也さんが弾いてくださいました。『日本狂詩曲』ピアノ版が完成した時にも感じましたが、オーケストラパートをピアノ一台で聴く利点は、なんといっても一つ一つの音の動きを如実に感じられることでしょう。私自身この経験のお陰で、オーケストラパートの細部まで理解を深めることができました。

──『リトミカ・オスティナータ』について自由に。

川上 ピアノパートは吾ら一人ひとり。オーケストラパートは吾々が共に生きる北海道の大地、空、海。オーケストラが織り成す雅な和音は、神羅万象に宿る八百万の神々。吾々はいつも神々と共に在り、先人たちが拓いた道を生きている。

 グローバリズムへの異論を唱えた伊福部先生ですが、私は、五・七・五と六音音階といった日本の伝統的要素の結合を執拗に反復させることで、吾々の内にある集合無意識の顕現を意図したという『リトミカ・オスティナータ』に、三島由紀夫の『檄』の持つメッセージにも通ずるものを感じています。

 「力は制限に依って生まれ、自由に依って滅ぶ」と云う言葉に憧れた先生の哲学を想うに、なすべきことが見えてきます。『リトミカ・オスティナータ』を再考するにあたって、憂いてはいられない、継いでいかねばとより強く心に決める次第です。

江原さん、岡安さん、川上さん、お忙しいなか、本当にありがとうございました。


5.音を減らす試み

 伊福部ファンにもお馴染みの、不気味社音楽応用解析研究所所長である八尋健生氏が、当曲について面白い考察をしている。

 それによると、伊福部の「韻文は五・七・五の奇数が基礎となっています。」と「韻文の持つ奇数律動をモチーフとしました。」という言葉により、5拍子や7拍子等の奇数律動を主体とする当曲にあっては、その言葉のみが一人歩きし、5拍子や7拍子が「多用」されていると思われがちだが、圧倒的に多いのは5拍子で、7拍子というのはむしろ4拍子より少ないという。八尋氏が独自に数えたところによると、多い順に、下記の通りである。(八尋氏のツイッター(当時)及びフェイスブック記事より)

 拍子の種類 小説数 
5拍子 529小説
4拍子 89小説
7拍子 88小説
6拍子 39小説
3拍子 10小説

 私も、曲を聴きながらスコアを眺めていると、作曲に際し奇数律動に依拠すると言いながら、意外に偶数律動が多いことに気がついた。作者の言葉や解釈(例えば自作自演)が、必ずしもその音楽の本質を捕らえているわけではないし、我々の勝手な解釈や理解が、いかに危うい思いこみを誘発するかということの、興味深くかつ示唆に富む証左の一つであろう。

 八尋氏は『豪快なリトミカ・オスティナータ』解説内での大澤徹訓による「お聴きになる皆様各自で曲を分析し理解するようご努力ください」との教えに基づき、独自に分析したのだという。


 また、本稿執筆に際し、小林仁による「ピアノ譜改編問題」において、私と編集主幹及び八尋氏の三者で情報を共有して考察した結果、八尋氏より興味深い指摘及び考察があったので紹介したい。

 当問題に際し八尋氏が改めて61年初演盤、69年再演盤、71年セッション盤を「聴き直した」ところ、明らかにピアノの音に違いがあった、とのこと。

 小林が「音圧を上げるために、ピアノの音を減らした」というのは、以下のゲネラル・パウゼ以降の21小節であるというのは小林自身の証言から分かっている。

【118】から

2小節 4/8拍子、大胆なピアノのグリッサンド
8小節 5/8拍子「2+3+3+2」を1小節として×8
ゲネラル・パウゼ 3/8拍子
8小節 5/8拍子「2+3+3+2」を1小節として×8
5小節 5/8拍子「3+2+3+2」を1小節として×5
6小節 3/8拍子「3+3」を1小節として×6
2小節 5/16拍子、終結

 まず決定稿から確認すると、グリッサンド後、ゲネラル・パウゼ前の8小節(【118】)において、ピアノはオクターブ上下の同じ音を両手でまったく同じ動きをして5/8拍子「2+3+3+2」を連打しまくっているのだが、ゲネラル・パウゼ後21小節のうち、最初の8小節(【120】、5/8拍子「2+3+3+2」)は同じ音を右手と左手でほぼ交互に弾いている。(一部、後半の3+2に連打は残る)

 そして続く5小節の5/8拍子「3+2+3+2」(【122】)と6小節(【123】、3/8拍子「3+3+3+3」)は、右手が付点音符に近い動きと連打をし、左手は右手と一部重なりながらも右手の休符部分に入って、左右交互に弾き分けている。

 正直、素人考えでは両手で同じ音形を連打するより交互に弾き分けるほうが演奏至難と思うのだが、ピアニスト的にはどうなのだろう。

 とにかく、確かにゲネラル・パウゼ前に比べて「音が減っている」と認識できる。


 八尋氏によれば、61年初演時の金井はゲネラル・パウゼの後も、その前と同じく、全ての音形を延々と両手で最後まで連打していると思われるとのこと。

 これでは、両手が疲れてしまうため、無意識にもピアノの音圧と音量が下がるのは理解できるという。

 そして69年再演と71年セッションにおいて小林が行ったのは、両手で交互に弾いたりうまく休符入れたりして音を最低限減らすことによって、両手の疲れを軽減し、その分ピアノの音圧を上げてオーケストラに埋没するのを防いだ、ということなのである。

 まとめると以下の通りとなる。

【118】から

  拍子 61年初演の演奏  決定稿の楽譜
2小節 4/8拍子    
8小節 5/8拍子 両手で16分音符の旋律を全て連打 両手で16分音符連打全弾き
ゲネラル・パウゼ 3/8拍子    
8小節 5/8拍子 両手で16分音符の旋律を全て連打 一部重なるが左右でほぼ交互に弾く
5小節 5/8拍子    
6小節 3/8拍子    
2小節 5/16拍子 終結 終結

 また、決定稿を確認すると練習番号【122】からは右手にも休符が入っているため、八尋氏によると「『左手の音数を減らして音圧を上げました』は、《左手の音圧を上げるために右手の音数も減らしました》と補足することが出来そう」とのことである。

 従って、ピアノ譜は71年の録音時まで初演と(おそらく、ほぼ)同じ譜面を使用していたのだが、小林は自己のアレンジ・工夫により左右の「音を減らして」弾いた。伊福部は69年再演と71年セッション録音でその小林の弾き方を聴き、そして運指を実際に観察して確認したところ、そのアイデアを採用して、72年の清書でそれを正式に反映させたと推察できるのである。

 いやはや、私などはコーダ(仮)の狂乱部分を何回聴いてもピアノの音そのものすらよく捕らえられず、訳が分からないのだが、不気味社の編曲は譜面が入手できず耳コピに頼る部分も多いとのことで、長年鍛えた八尋氏の「耳」には心より感服・敬服する他は無い。


6.おわりに

 当曲に関し私も自分ながらの方法で勝手な独自分析を試みた。

 当曲にも顕著に現れているが、伊福部は勇ましく速い楽章と、たっぷりとしたおおらかで遅い楽章との乖離が激しい。特に純音楽におけるアレグロ系の速い曲から伊福部ファンとなった人は、緩徐部に接した際に、あまりに世界観がおおらかで戸惑うかもしれない。

 というのも、伊福部の緩徐部は、悠揚・茫洋すぎて、初心者には旋律が聴こえにくいのである。ただ、音が……音楽が、広大無辺に広がるのみだ。かく言う私がそうだったのだが……まさに、意識が遠い世界に飛び、平原や大洋、雪原に遊び、神々に祈り……気がついたら、終わっていた。

 もっともサントラから伊福部ファンとなった人は、既に初代の『ゴジラ』において「帝都の惨状」という伊福部の中でも最上級のレクイエムに接しているから、意外とゆっくりな音楽も素直に聴けるかもしれない。

 伊福部の純粋音楽にあっては、必ず緩徐楽章や緩徐部が置かれ、晩年の作品ではむしろレントやアダージョがメインとなっている。

 しかし、ここで伊福部の通を自認する人はぜひレントやアダージョを聴くべしとか、緩徐部こそ伊福部の真骨頂であると言うのは簡単だが、それではマニアックに過ぎるし、単に逆張りをしているだけだろう。伊福部のマーチやアレグロが好きな人は、たっぷりと遠慮なくマーチやアレグロを聴けば良いと思う。

 だが、私は当誌においてこれまでに『シンフォニア・タプカーラ』『土俗的三連画』『琵琶行』『因幡万葉の歌五首』とひもとき、伊福部の音楽をあくまで文藝的な表現で私なりの分析や解説、そしてなにより紹介を試みてきた。

 そうして気づいたのは、伊福部のゆっくりな音楽は、その単調で茫洋とした響きやシンプルなスコアに比して、意外なほど情報量が多いということだった。

 それは、音符の数が多いという意味ではもちろんない。音符の数だけなら、当たり前だが速い楽章の方が圧倒的に多い。

 情報量というのは、細かな楽想の指示や変拍子、そしてオーケストレーションの多彩さ、そしてなんと言っても、音から滲み出る情感である。

 『シンフォニア・タプカーラ』や『土俗的三連画』の緩徐楽章の、けっこう複雑なテンポや拍子の変化、あるいは少ない楽器の組み合わせによる効果の絶妙さは、ただ聴いているとあまりに簡素で広い音楽の中に埋没してよく分からないかもしれないが、スコアを見ていると、やっぱり伊福部ってすげえな、と唸るものがある。情感や音調においても、この2曲における緩徐楽章の冷え冷えとした雪原や、十勝の開拓地を思わせる乾いた情景、あるいは逆に湿った匂い立つ湿原のような空気感、冷涼感というのは、格別なものがあった。

 『琵琶行』と『因幡万葉の歌五首』に至っては、音楽の大部分が緩徐部・緩徐楽章である。そして、聴いているよりずっと複雑な動きや作者の指示を秘めている音楽だった。それが、音調だけではなかなか伝わってこない気がする。

 だからと言って、必ずスコア持参で聴かなくては真価が分からないという意味ではない。

 伊福部の緩徐楽章は、ただ無我に聴き流しても別に味わいは失われないが、聴き流していては大変に勿体ないものが多いと強調したい。


 と、いうわけで毎度前置きが長くて恐縮であるが、当曲にあっても聴き進めてゆく内にこれは思っていたより面白いぞ、と感じたのは、BパートとB'パートの2つの緩徐部であった。

 速い部分が楽しくて燃えるのは、これは伊福部にあっては当たり前だ。あの武満ですら、「ゆっくりな部分が無ければ良い曲」との評を出すほどである。

 私も、当初は武満の意見に大賛成で、いっそのこと、この2か所の緩徐部を無くしてしまった方が現代曲として優れているのではないか、と感じていた。音調的にも、アレグロで一気にACA'と進んだ方がアヴァンギャルドにしてむしろモダンなのではないか、と。

 加えて、何と言ってもあの取ってつけたような「ザン・ザン・ザン・ザン」……が無くなるのが嬉しい。

 だが、まずBパートをじっくりと聴いてみると、音調的にも展開的にも単純ではないことに気づく。聴いていると分かりづらいのだが、変拍子はAパートのそれを拡大したものであり、けっこう複雑に入り乱れている。そういうものが、ゆっくりと自然な響きの中に隠されている。

 さらに興味を引かれたのが、ピアノによる「鐘のモティーフ」(仮)である。

 もっとも、私が勝手にそう妄想しているだけで、伊福部は鐘などとは一言も残していない。

 だが、この「アジアの片隅」に響き渡るような、力強く澄み渡った音色はどうだ。

 何処とも知れぬアジアの片隅に鐘が鳴るというのも私の勝手なイメージにすぎず、実際は鐘など滅多に鳴らないだろうことも付け加えるが、それでも、強く印象づけられる響きであり、雄弁に語られる情景である。

 それが、“協奏風”主題の変奏と絶妙にズレながら鳴るのも素晴らしい。

 またBパートの、後にB'パートでも再現される静謐なピアノソロの後の、各楽器よる変奏も聴き流しがちだが、最後の重厚なピアノのソロを導く重要な道しるべであるし、それを受けた深淵なピアノソロは、Bパートの最後を飾るだけではなく、当曲には存在しないカデンツァのような、厳かな趣がある。

 そしてB'パートであるが、演奏時間としてはBパートの2/3ほどであるものの、むしろBパートより濃厚かもしれない。

 まずBパート後半のピアノソロを絃楽で再現する、そのひんやりとした空気感は見事と言うにつきるし、それを再びピアノで受け、そして最晩年の伊福部を思わせるような、あまりに簡潔にして幽玄、そして枯淡の響きが続く。それらは、激しいA、C、A'パート間のつなぎ、そしてクールダウンの効果を狙っているのであろうが、けしてそれだけで終わらせるには惜しい、寺院や神殿で静かに祈りを捧げる人々のような深い精神性と濃密な空間性、響きそして輝きを放っている。

 武満は、その濃密さ、暑苦しさ、人間臭さを敏感に嗅ぎとり、その存在感がむしろアレグロのパートに匹敵し効果を打ち消すもの、邪魔なものとしてとらえたのかもしれない。


 最後に、『リトミカ・オスティナータ』についてふと、こう思った。

 早坂文雄が果たせなかった汎東洋主義・汎アジア主義による『シンフォニア・ニルヴァーナ』は、形を変えて芥川也寸志が『エローラ交響曲』、黛敏郎が『涅槃交響曲』『曼陀羅交響曲』として結実させた。他の作曲家にもその精神や影響は引き継がれているだろうし、交響曲以外も含めると、汎東洋的な主題で書かれた曲はさらに多い。

 そして伊福部は伊福部なりに、標題に頼らず「アジア的」なその答えを、当曲に秘めたのかもしれない……と。

 結局、分析というより相変わらずの妄想に終始してしまった気がするが、それもまた楽しからずや。




参考文献
 藍川由美(2023). 『古代からの声 伊福部昭の歌曲作品』. カメラータ・トウキョウ, CMBK-30006(ライナーノーツ).
 伊福部昭(1975). 『ピアノとオーケストラのためのリトミカ・オスティナータ』. 全音楽譜出版社.
 伊福部昭(1991). 『伊福部昭 協奏三題』. fontec, FOCD3143(ライナーノーツ).
 金井裕(2014). 『伊福部昭:ピアノとオーケストラのためのリトミカ・オスティナータ』. ユニバーサルミュージック, TYCE-60014(ライナーノーツ).
 小林仁(2014). 「伊福部昭の音楽史」. 『パルナソス・アソシエーション』. https://rheingold.blog.ss-blog.jp/2014-05-05(閲覧日2023-10-20).
 日本音楽舞踊会議・日本の作曲ゼミナール1975-1978編(1982). 『作曲家との対話』. 新日本出版社.
 不気味社音楽応用解析研究所(2017). 『豪快なリトミカ・オスティナータ』. 不気味社, G.R.F.040,(ライナーノーツ).
 「〝中間子運動〟を楽曲に バレエになる若き作曲家の精進」 . 『東京新聞』. 1950年(昭和25年)1月4日付.

協力
 江原千咲子さん、岡安咲耶さん、川上敦子さん、八尋健生さん、朗大さん、井戸屋猫八さん



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