第9回 「奏楽堂の響き3コンサートについて」
コンサート詳細
聴き手 九鬼 蛍(以下「九」という。)
語り手 堀井友徳(以下「堀」という。)
日時 2010年6月20日午後3時ころ
場所 北海道某所
2010年5月31日の「吹奏楽による奏楽堂の響き3」コンサートにおける、黛敏郎と佐藤勝の作品を編曲したことについて
九「ではまた半年ぶりの恒例のインタビューというか対談ですが、まずは奏楽堂、お疲れ様でした。堀井さんが担当された、黛敏郎の東京オリンピック組曲と佐藤勝のゴジラ対メカゴジラの音楽の吹奏楽編曲につきまして、お話をお願いします」
堀「東京オリンピックのサントラCDが出たのと、今年がオリンピックイヤーだったというのもあると思いますが、(企画の)西くん(音楽評論家の西耕一氏)が次の奏楽堂のコンサートで、あれを吹奏楽でやりたいという発想になったのではないかと。元々オーケストラの曲ですが、オーケストラの組曲にしてもなかなか演奏する機会が無いでしょう。それなら、吹奏楽のほうが演奏する機会が多いと思ったのでしょう。
昨年の10月ごろ(編曲の)依頼が来まして、構成とか選曲とかは全て僕におまかせでした。時間はだいたい、15分くらいでと。以前関わったキングレコードでの伊福部昭先生の交響組曲『わんぱく王子の大蛇退治』みたいに30分ほどあればもっと色々な曲をつめこめたのですが、吹奏楽で30分の組曲ではちょっとヴォリュームが大きくて再演されにくいかなと思いまして、それで半分の15分くらいにしました。選曲はやりやすかったです。長めの曲をセレクトしました。SF交響ファンタジーやわんぱくのように色々なシーンをメドレーで集めるのではなく、1曲1曲が独立しています。第1楽章が聖火リレーです」
九「オープニングではなく、聖火リレーですか?」
堀「そうですね。オープニングは福島地方の子守歌が使われています。あのモティーフが全曲を通して使われています。オープニングで始まるという案もあったのですが、この聖火リレーの(曲の)M2番というのが、M(ミュージック)の2ですから映画で言うと2番目の曲なんですが、最初が絃のトレモロで良い出だしなんですね(笑) 聖火がメラメラと燃えて、最後にぶわっと炎が立ち上がるんですが、その構成が良いから、演奏もこれで立ち上がろうかなと考えました。
近代音楽館に奇跡的に全てのスコアが残ってまして、そのオリジナルのスコアの全曲分の写しをもらって、そこからぜんぶ編曲したんですが、大変だったのが、絃楽器が上から12分割、次が10分割と、現代音楽みたいなスコアになってまして!(笑) 全員が異なる音をトリルで弾いて(つまり12音クラスター)、第1ヴァイオリンだけで既に12人いないとできないという曲でした。スコアの段も凄くて、クラスターで、それを1つ1つ主にクラリネットとサックスに振り分けました。クラリネットの数を増やしてもらいました。これは思ったより面白い効果が出ました。流石に絃のような滑らかなトリルはできないんですが、それがかえって面白いものになりました。あそこが一番大変でした。打楽器もハデですし。スコアを見ないと分かりませんでした。それはびっくりしました。普通の映画のサントラの仕事じゃ、あそこまではできないですよ。フルオーケストラで読売日本交響楽団ですから……予算がたっぷりあったんでしょう」
九「ふつう、映画のサントラといえば、特殊な小編成なんですけども、お金のかけ方がちがいますね。オリンピックの記録映画ならもう国策ですからね」
堀「そうですね。この聖火リレーは1曲の中にも緩急があって、自然に流れます。2曲目が体操です。元々、原曲は管楽器を凄く使用しており、編曲はやりやすかったです。普通のオーケストラ曲は絃楽器が主役になりますので、それをアレンジするのが大変なんですが、東京オリンピックは全体的に管が主役なので、そこは良かったです。映画は見た事ありますか? 映画を見た方が良いですよ。You Tube に あります。エンディングは良い曲です。しかし、本編では使われなかった幻のエンディングです。黛さんが時間まで図って映像とピッタリに作曲したのに、市川監督がやっぱり締めはあのオリンピックマーチだよなって、採用しなかったという(笑) 3楽章のマラソンていうのは、アベベが優勝したときのものです。最初の苦しみながら走るシーンでは抽象的で恐い音楽なんですが(笑) 最後に明るくになります。バレーのシーンなんかも記録映画なのに音楽というか、音のつけ方がとても抽象的です」
九「けっきょく作業は何か月くらいかかりました?」
堀「けっこうかかりましたよ。こういう大編成のアレンジは初めてやりましたし。なかなか使えないハープも入ってましたし。勉強になりましたね。また自分の好きな作曲家の音楽で作業ができたというのも大きいです。そうでなくてはここまで情熱を傾けられなかったかもしれません。自分にとっておいしい条件がとてもそろっていましたね。これは時間と気合をいっぱいかけて、自分自身のトピックでした。1回ぜんぶ手書きでスコアを書いて、それからFinaleに打ち込みました。パート譜も作りましたから丸三ヶ月! 先ほど言ったように、クラリネットが1本1パートなので、スゴイ大変でした(笑) 慣れると意外にスイスイ行きましたけど。今まで自分がした仕事の中では最も大がかりでした。ちょっとハープやコントラファゴットとか入っていますので、再演は通常の団体では難しいかもしれない、とは言われましたが」
九「それは仕方ありませんね。CDになると変わるかもしれません。CDでは、クラリネットの部分とかちゃんと聴いてみると、面白いと思います」
堀「終わってみると、依頼が来てから半年間はあっという間でした。本番が終わるまで、正直、ずっと落ち着きませんでした。今回、オリジナル曲の委嘱より、こういう大規模な、そして名曲のアレンジができて逆に良かったと思います。CDが出たらどうなるか、ですね。演奏会ではよく鳴ってましたし、評判も良かったですよ。良かったって言われましても黛さんの曲ですけど(笑)」
九「次は佐藤勝さんのゴジラ対メカゴジラですが」
堀「これはオープニングではなく、決戦クライマックスの戦闘シーンですね。その時のロングバージョンというのが、今回のスコアです。依頼が来たのは、オリンピックの作業が終わって2月ごろでしたかね。佐藤さんのスコアもぜひ見たかったし、曲も知ってましたので。これも勉強になりました。ビッグバンドなんてなかなかできないでしょう。意外な楽器が入っていて。エレキ系ですね。エレキギター、エレキベース、エレキアコーディオンとか入ってました」
九「エレキアコーディオン? なんですか、それ(笑)」
堀「僕も実物は見た事は無いんですが(笑) そういうのが書いてありました。あと、ほとんど聴こえないんですがヴァイオリンが入ってました。ファーストとセカンドの2パートだけ。伊福部先生とちがってフルオーケストラではなくビックバンドに近い特殊編成です。まず生の演奏会なんでエレキ系を除き、ドラムセットもあったので、それはトムトムとバスドラに振りました。ハイハットが無かったのでうまくできました。あとマリンバとコンガなどラテンパーカッションです。サックスはアルト2、テナー2、バリトン1で5パートです。土俗的ビッグバンドジャズという感じでした。ダブルリードは入ってません。ホルンもいない。その人たちが休めるということでプログラミング的には好評でした(笑)」
九「SF交響ファンタジー3番の前にやったんですね。私は3番では海底軍艦の轟天号のテーマが大好きで(笑)」
堀「3番は盛り上がりましたね。一番盛り上がりました。演奏している方も最後だから、ここぞとばかりに吹いて(笑) 流石に自衛隊です。あのハデなピッコロも全部きっちり吹いてました。凄かったです。轟天号も鳴る鳴る(笑) 管楽器ばかりで、奏楽堂は場所も小さいので、とても響いてましたよ」
奏楽堂3コンサート全体について
九「では、演奏会全体を振り返りたいと思います」
堀「まずは佐藤さんの万国博ファンファーレですか。これは裏話ですが、実は(東京オリンピックの他に)間宮(芳生)さんの日本万国博っていう映画音楽があって、それも候補に上がっていたんですよ。だけど間宮さんのところにも楽譜が無いという事でボツになりました。いい曲ですよ。それとオリンピックという話でしたが。日本万国博っていう映画はご覧になったことは?」
九「いいえ、そんな映画があるのもいま知りました」
堀「伊福部先生の三菱未来館も出てきますよ。記録映画です。各パビリオンを紹介していて。そこに間宮さんが抽象的な音楽をつけています。その大阪万博の開会式のファンファーレを佐藤さんが書きました。その曲ですね、これは。たしかアイーダトランペットみたいな長いのを吹いてます」
九「太陽の塔の前でみんな手をつないで降りてくるシーンの?」
堀「ああ、そうですね。それです。それでその時に、開会式でやった祝典序曲が三善晃さんのあの曲です。あのシリアスな(笑) あれは当時どのような反応だったか気になりますが(笑)」
九「当時は……やっぱり、そういうのが良いという時代だったのではないでしょうか? では話は戻りますが、この第1部はマニアックですね。知らない曲ばかりです」
堀「そうですね。ほとんど戦後初演だと思います。モーターボート行進曲は明るくて良い曲でした。古関さんはメロディーが良いですね。やはり最後の深井史郎さんの曲が凄かったです。10分くらいありました。暗めの、葬送行進曲です。メロディーも感動的でしたよ。菅原さんは当時としてはけっこう難しい曲を書く人だと思います。下総さんは楽典の本なんかでも有名な東京音楽学校時代の和声の先生ですね」
九「そして2部が3人の会ですか」
堀「そうです。1部と2部は通してやりました。2部と3部の間に15分の休憩で。この2部が今回の演奏会のメインという位置づけだったようですよ。團さんは健全な構成とメロディーが魅力ですね。ぞうさんも面白かったです。これは本人が編曲して、変奏曲のようになってました。皇太子殿下入場のファンファーレというのは、急遽見つかってプログラムに入ったもののようです。いまの天皇陛下に関連したファンファーレです。芥川さんのJALマーチも面白かったです。これは秘曲で、JALのOBの人が何人か聴きに来ていました。なんでもオーケストラと吹奏楽といっしょに書いてあるスコアで、いっぺんにやる大きな演奏会用のスコアを(指揮・編曲の)福田さんが純粋に吹奏楽に直すのが大変だったようです。八つ墓村は絃楽器が主体なので、これはオケのほうが良いかもしれません。黛さんは管のウェイトが重いので、吹奏楽でも映えます。2部は黛さんのオリンピックがメイン扱いでした」
九「東京オリンピックの話は先ほどたっぷりと聴きましたので、続いて3部のお話に入りましょう。川島(素晴)さんのファンファーレというのは?」
堀「解説によると川島さんが16歳の時に高校の吹奏楽部に入っていて、そのために書いたものだそうです。打楽器をやっていたそうで、ご自身の解説にもありますが、ジョン・ウィリアムズっぽいですね。ご自身でティンパニを叩いていて、音替えが激しいみたいです。打楽器が分かっている作曲家はもちろんちゃんと作曲しますが、分かってない人は作曲している内にティンパニの音が分からなくなったり、打楽器の持ち替えが不可能だったりします」
九「私もアマで打楽器をやりますが、打楽器がムチャ振りな作曲家はいますね。吹奏楽でも、マリンバみたいな音形のティンパニとか、アレグロの数小節で音を4つ全部変えるとか、前衛音楽でもあるまいし、音楽的効果も理解できなく、まして音替えが超絶技巧など不思議でたまりません。できる人はそれでいいんでしょうけど(笑)」
堀「そういえば東京オリンピックでも、打楽器の持ち替えが不思議なところはありました。ティンパニが1小節でチューブラーベルになっていたり(笑) 同じ段に書いてあるんですよ。映画音楽では1回ストップしたり、もう1人が叩いたり、演奏後に編集したりできますが純音楽としてステージでやるには、そういうところは流石に直しました。管楽器の持ち替えはまだ楽器が隣に置いてあるだけですが、打楽器の持ち替えは移動する時間や、バチを持ちかえる時間も考えなくてはなりませんしね。吹奏楽でもそういうところが、管楽器ばかりなので転調や打楽器、ブレスの問題とか、難しいです。話は戻りまして、川島さんと江原さんの両曲はエネルギッシュで良かったですよ。難解というでも無く。アレグロ系でした。書法はかなり現代風でしたが、難しいというでも無かった。特に川島さんは目の前がクラクラするくらい刺激的でした」
九「正直、こういう理論系の作曲家はそういう作曲理論は聴衆には関係ないというか聴いてるぶんには分からないんですけどね」
堀「分からないでしょうね。でもそれで良いと思いますよ。あくまで参考というか、どのように聴くかは自由ですし。あくまで表現の手段としての理論ですので。理論のために作曲しているような曲もありますけどね。今はだいぶんそういうのは少なくなって、ポピュラーやジャズ等と、コンテンポラリーの融合という傾向がありますね」
九「今はもう、前衛の反発の調性復帰のさらに下の世代です。自由に表現しているのでしょう。メシアンじゃないけど、新しい作曲理論というか、技法というか、そういうのを確立すると賞もとりますし後輩に影響も与えますね」
堀「今後は、東京オリンピックはオケ版も作りましたから、そっちもどこかで演奏できれば良いと思います。西君がいろいろつてをたどってくれているそうですが、とにかく、吹奏楽のこんなに大きな編成の編曲は初めての経験でしたので勉強になりました。それでもやっぱり意外と気を使うのが打楽器ですね。ティンパニの音替えも、結局どうやってやるのか分からない部分もあったんですが、原曲のまま書きました。そうしたらウマイ具合にやってましたけど(笑)」
九「堀井さんはマリンバ出身だから打楽器を分かっているから気を使うのですよ。これで分からない人だったら好き放題に書いてしまう(笑) でも、なんだかんだ言って、打楽器の人も工夫してやるんですけどね」
堀「そうなんですよね。以前レコーディングで伊福部先生の日本の太鼓やったときも、トムトムがスティックで叩いていた次の瞬間に手になるところがあって、エキストラの若い子たちがどうやって叩くのか分からないでいたら、日フィルの打楽器の人が、こんなものこうするんだよ! って、瞬時にスティックを脇に挟んで手で叩いていました(笑) 打楽器は作曲家も気をつかいます。バチの指定も、作曲しておいて実際にホールで鳴らしてみたらぜんぜん効果が無かったとか。不思議です。大学時代の作曲レッスンで池野(成)先生も打楽器は謎ですねえ、と言ってました」
九「後はCD化が楽しみですね。全部入らないのが残念ですが。次の奏楽堂も(あるとしたら)楽しみですね」
堀「4はやるとしたら再来年でしょう」
九「次回の対談はやろうやろうと言っていていつもできていない、邦人作曲家の包括談義を頑張ってやりましょう(笑)」
以上
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