第10回 「伊福部ギター作品、ソナタ、鞆の音、自作新作など」


 聴き手 九鬼 蛍(以下「九」という。) 
 語り手 堀井友徳(以下「堀」という。)

 日時 2010年12月12日午後3時ころ 
 場所 北海道某所


ギター、リュート作品

 九「それではギターのための踏歌、箜篌歌、トッカータからやりましょう」

 堀「そういえば、やっていませんでしたね」

 九「踏歌は、平安時代の宮廷で、一同が集まって足を踏みならして踊るものだったそうですが、ギター曲の方はそれほど激しい音楽ではありませんね」

 堀「そうですね。ただ、冒頭の部分は(ピアノ組曲の)佞武多に似ています。恐らく、そういう感じの踊りなんでしょうね。わりと動きがある。直接的に古代の譜曲を表現するのではなく、古代のそういう踊りに想いを馳せる、という意味合いでしょう。15分くらいありますので、ギター曲にしては長いですね。

 踏歌は、ご長男の伊福部極さんのために書かれたものです。当時、極さんがギターをしていたそうで、練習曲が外国のものばかりだったから、それじゃあというので、(伊福部)先生が極さんのために書かれたものだと。池野(成)先生が、極さんはギターがうまかったとおっしゃってました。初演はプロの阿部保夫さんです。踏歌はメリハリがハッキリしていて構造的な魅力があり、箜篌歌は精神的な魅力があると感じています。箏でも演奏されます。移調されますが、楽譜はそのままです。部分的に少し直しているところはありますけど。踏歌は箏で演奏した方が似合うという人が多かったそうです」

 九「それは、古代のそういう楽(がく)の雰囲気が出ているからでしょうね。それをギターでする面白さを狙ったものだとは思いますが」

 堀「そうですね。それをまた邦楽器でやるという。分かりやすくて面白い曲です。ただ西洋のギター曲に慣れている人は、どう思いますでしょうか」

 九「やっぱり……長いと思うのではないでしょうか(笑)」

 堀「長い(笑) ギター曲は短いものが多いですし、踏歌は単一楽章で15分でしょう。3楽章くらいで15分はあるでしょうけど。外国のギター曲で、なかなか単一楽章で15分はありませんね。(踏歌は)出版はされていますが、外国では演奏されているかどうか。外国人にウケそうな気はしますけどね。エキゾチックで。ギターでクラシックの作品というとスペインの曲が多いでしょうけど。ギター自体はモーツァルト、ベートーヴェンの時代からある古い楽器ですが、あまりクラシックの曲はありません。当時はリュートが多かった」

 九「次が箜篌歌ですね」

 堀「そうです。その次がトッカータで、ギター曲はこの3曲しかありませんが、60年代の後半から連続して書かれています。

 ※踏歌(1967) 箜篌歌(1969) トッカータ(1970)

 それには訳があって、この時期、伊福部先生は管絃楽法を書いていましたので、資料参照のためあまりにオーケストラのスコアを見ている内に食傷ぎみになり、オーケストラの曲を書きたくなくなって、シンプルなギター曲を書いたのです」

 九「箜篌歌というのは、昔の箜篌という楽器をイメージして書かれたのですね?」

 堀「そうです。正倉院に胴体等が一部残っている、ハープのような楽器です。今は復元され、それを演奏している人もいます。ですから、後にハープ版の箜篌歌ができました。あれは、先生が新しくハープ用に書き直しました。だいぶん後(※ハープ版箜篌歌 1989 )ですけど。箜篌歌はアルペジオの中に旋律が浮かび上がってくるように書かれていますので、よく聴かないとモヤモヤして分かりづらいかもしれません。茫洋とした雰囲気で、伊福部作品の中ではかなり抽象的だと思います。私は、深みがあって、すごく好きです。しかし、地味なので伊福部昭ファンのあいだでも人気かあるかどうか。聴き初めのときは、さすがに難しかったですけれど。

 演奏する方としても、あまりメジャーではないと思います。演奏するにも、精神的にきついようです。途中で分からなくなるらしいです。聴くにも演奏するにも集中力がいる。伊福部先生もいっしょにCDを聴いて、『ううむ、こりゃ長過ぎる。ゴジラの作曲家が書いた曲とは思えないねえ』とか言っていましたよ(笑) また万博の三菱未来館では、ロビーのエントランスでこの箜篌歌がエンドレスで流れていたらしいですから、当時行った人は間接的に耳にしてたでしょう」

 九「箜篌という楽器がもっと知られたら、この箜篌歌もイメージが変わるかもしれませんね」

 堀「国宝とか詳しい人は、知っていると思いますよ。箜篌はサイズがいろいろあったようです。あくまで古代の箜篌の演奏に想いを馳せて自由に書いた音楽です」

 九「次がトッカータですが、トッカータだけ内容が西洋的ですし、短く、名前もトッカータ(笑)」

 堀「そうですね。7分くらいの曲です。伊福部先生としては、バロックっぽいものを狙ったのだと思います。無窮動的で、終結部もはっきりしません。トッカータはもっと演奏されてもいいと思いますけどね。(先生の)ギター曲自体も、もっとあっても良いと思いますが、やっぱり踏歌と箜篌歌が長かったのでしょうか(笑) この3曲しかありませんね。この後、またオーケストラに行ってしまう。テクニック的にも、指や絃の指示がものすごく詳細に書かれています。難しいかもしれませんが、弾きにくくは作っていないはずです。だから、第一印象で暗いとか地味とか、長いとかって判断されちゃうと、先生的には厳しいのかなあ、と」

 九「ギター曲というと、やはりもっと派手なノリのよい音楽をイメージしてしまうのではないでしょうか。それで踏歌とか、箜篌歌ですからね……何かの修行のような(笑)」

 堀「やはり宮廷儀式のイメージですから、神聖とか、神妙とか静のイメージになりますね。トッカータはそれから少し離れて、純粋に演奏会用に感じます。野坂先生がそれを全て箏でやったのがすごい。トッカータは(箏で演奏するのは)大変ですよ、あれは」

 九「そして、リュートのためのファンタジアですが」

 堀「そうですね、あの曲だけ、ちょっと浮いちゃっているというか。1980年だから作曲時期も離れているし。幻の曲っぽくなっていますね。リュート自体が、レパートリーは古典曲が多いでしょうし。リュートは6絃ですから、楽譜も6線譜で書いてあります。またタブラチュアといって、音符ではなく、押さえる場所だけ書いてあるので、どんなリュートを使っても演奏できます。絶対音ではなく、相対音で書いてある。これも渋い(笑) 伊福部先生は絃楽器になると、シブくなる。理解しようとするのではなく、アタマを真っ白にして聴かないとダメかもしれない。かなり抽象的な世界です。絶対音楽です。

 演奏のミンキンさんは、作曲当時東京音大の英語の先生で、映画の『お吟さま』のメインタイトルもミンキンさんがリュートを弾いていますよ。これも箏で幻歌という曲になっていますが、これは移調して、五線譜に書き直しています。ちょっと、この曲もとっつきにくいでしょうか。エレジーですね。冒頭は旋律がありますが、全体ではなかなか見えにくい。伊福部先生のエレジーは、あんな風になるんですね。CDにはなっていますが、なかなか何回も聴かれないと思います。自分も実演は一回しか聴いていません。武満さんなんかは、(ギター曲は)けっこう演奏されるようですが」

 九「武満さんは基本的にギター曲は短いからじゃないでしょうか。数はたくさんありますけど。演奏しやすいのだと思います」
 
 堀「そうか、武満さんはオーケストラ曲も短いものが多いですよね。伊福部先生は長い。やっぱり時間がネックなのかなあ。あと、ギター曲を作曲当時の伊福部先生は映画の仕事も映画産業が斜陽になってきて来なくなり、東京音大にもまだ行っていませんし、お客も家にパッタリと寄りつかなくなって、精神的にも経済的にも本当に大変だったようです。箜篌歌の時は本当に寂しく1人でポツンとギターを弾いて作曲していたみたいな事を苦笑しながら言っていました」

 九「それであんな寂しい曲になってしまったんですか」

 堀「そうでしょうね。そういう時期があったそうですよ。色々と辛い時代だったと本人も言っていました。これは、空白の時期の、孤独の音楽なんです」

 九「それでなくとも、ギター曲自体マイナー(短調)なイメージがあります」

 堀「低音楽器ですからね。チェロとほぼ同じ音域ですよ。どうしてもちょっと、ね。激しい曲は、けっこう大きい音がするんですが」

 九「しかしやはり、激しいといっても音調的に激情、熱情というか、男女の別れ話とか、演歌っぽいドロドロの世界になってゆきますよ」

 堀「明るくはないですね。ハデでも無い。ソロ楽器ですし。独立した世界で、他の楽器とあまり接点がありませんし」

 九「メキシコなどのラテンギターとかは明るいかもしれませんが(笑)」


チェンバロ小品

 九「次にチェンバロを……」

 堀「チェンバロね(笑) これは私は個人的に思い入れがありまして。2002年です。もう8年前ですね。これは企画が先で、選曲の片山(杜秀)さんがかなり力を入れていました。それで演奏家を誰にしようかという段で、当時新人の有橋さんに白羽の矢が当たったそうです。内容は凄く良くて、チェレプニンとか信時潔とか入って、企画としても凄く良く、CDも売れました。彼女の演奏会に2回ほど行きましたが、伊福部先生が体調のせいで行かれなくて、両方とも先生の招待券で、私が『名代』という形で行きました。招待席のど真ん中に、偉い人に囲まれて座っていました(笑)

 いまはちょっと、そういうJクラシックのCDすらも出せない時代になっちゃいましたね。で、曲の方ですが、アルバム用に最初から映画音楽から作るという企画だったらしく、元ネタは『眠狂四郎』と『お吟さま』です。眠狂四郎が小ロマンス、お吟さまがサンタマリアです。演奏会用というよりアルバム企画用の小品ですね。ステージ演奏ではもう誰も演奏していないのではないでしょうか。これも渋い曲ですからね。一般の人の認識だと、最後のディズニーの曲( ※該当アルバムでは最後にバロックホーダウンが収録されている。) の方がウケるのではないかな(笑)」


2つの性格舞曲、ヴァイオリンソナタ、鬢多々良

 九「次にヴァイオリンの曲を……性格舞曲はさいしょ、パッと聴いた感じではイマイチたいしたことないと感じたんですが、何回も聴くと、どんどん味が出てきて、面白くなってきました(笑)」

 堀「ヴァイオリンソナタを聴いた耳で聴くと、やっぱりちょっと……。それはしょうがない。でも、性格舞曲が最初なんです。50年代の曲で、先生にしては珍しい実験的な曲です。でも、先生は結局、生前にあの曲は生演奏では一度も聴いていないはずですよ。ヨーロッパで初演されて、そのままなんですね。先生は楽譜は無い無いと言っていましたが、やっぱりありましたね(笑) ソナタを発表した後では、思うところがあったのでしょう。また、第1楽章の第1主題を鬢多々良に持ってきた。性格舞曲(1956)、鬢多々良(1973)、ソナタ(1985)の順番です。これはぜんぶつながっています。この鬢多々良がすごい。傑作です。三木(稔)先生はあれが伊福部先生の最高傑作だと言っていました。邦楽アンサンブルであれだけシンフォニックな響きはなかなかありません。面白いのは普通主力の尺八や三味線が入っていない(笑)」

 九「それはですから、先生が三味と尺八が嫌いだったから(笑)」

 堀「それだけが委嘱の条件だったという事です。編成はソロ1面を合わせて十三絃箏3面、琵琶が筑前と薩摩、横笛が能管、篠笛、竜笛、それに篳篥、笙、あと鳴り物の打楽器ですね。最初はソロが旋律を弾いて、それをみんな追随し、ヘテロフォニーみたいになります」

九「中間部の旋律はどこかで聴いた事あると思ってましたが、田中賢さんのメトセラにそっくりなんですよ(笑) いや、鬢多々良がもちろん先なんですけど。たぶん両方とも旋法からできているからだと思います」

 堀「へえ、そうなんですか(笑) 鬢多々良も(ソナタなどのように)急緩急です。第1主題は映画『釈迦』の宮廷で踊る音楽にも使われています。あれはだから、舞曲なんですね。リズミックです。音形も面白い。絃楽器で弾きやすく書かれています。解放絃を一杯に使って。ですから、(鬢多々良冒頭を)一聴して、ああこれは絃楽器で書かれているなと分かります。その主題をカノンみたいに追っかけてゆく。中間部はヘテロフォニー。最後にまたテーマが戻ってくる時はちょっと変形して、今までのがみんなミックスされている。打楽器が加わって、最後はイョーー、ポン! です。かっこいいなあ(笑)」
 
 九「私は最後に篳篥がブキウギみたいに加わるのが好きで(笑)」

 堀「やっぱり踊りの音楽なんでしょうね。基本的に。中間層の人たちの世代の踊り。あまり高級すぎない、あまり民衆すぎない。伊福部先生がFM放送で、『今で言うゴーゴーのようなもの』と言ってました(笑)」

 九「ゴーゴーとはまた古いですね(笑)」

 堀「ま、当時の放送でね。これは日本音楽集団でないと演奏できませんね。純粋な雅楽でも無いし、いろいろな種類の邦楽器が混じってます」

 九「琵琶は、薩摩と筑前があるのには意味があるんですか」

 堀「琵琶は詳しくないんですが音色が違いますよ。バチとかも違うはずです。鬢多々良は、日本音楽集団の演奏会では、わりとやられています。海外でやるとウケるみたいです。西洋楽器でやると、ちょっと、という伊福部先生のモティーフも、邦楽器でやるとピタリとハマる。また律動的な曲は邦楽器にはなかなかありませんから、貴重なレパートリーです」

 九「では、ヴァイオリンソナタを」

 堀「ソナタは鬢多々良とは直接は関係ありませんが……性格舞曲とは3楽章がリンクしています。第1楽章第2主題は、寒帯林やタプカーラ、映画では『座頭市』にもでてきますね(笑) 第1主題は新しいモティーフだと思います。第2楽章は『釈迦』でもでてくる。あれは、伊福部先生の祈りの共通モティーフです。伊福部藝術の特徴である『共通モティーフ』ですね。哀しい時はこれ、踊る時はこれ、出撃の時はこれ(笑) そして3楽章が性格舞曲と共通しています。

 しかし、性格舞曲のような特殊奏法も無く、より洗練されています。また、70代の先生がソナタという古典的なタイトルで曲を書いたというのが当時のトピックだったようです。3楽章制の純粋なソナタです。内容はアカデミックではありませんが。1楽章は変形されたソナタ形式のようになっています。伊福部先生は意外と形式にはうるさかった。タプカーラも1楽章はソナタ形式です。シンフォニーの1楽章はソナタでなくては、という固定概念を持っていた。ヴァイオリンソナタは伊福部作品の中でも貴重な室内楽のレパートリーで、演奏される頻度では最上位に入ると思います」

 九「ソナタは名曲ですね」

 堀「珠玉だと思います。性格舞曲も面白いけど、ソナタとカップリングは難しいのではないかと。メカニックな、非叙情的な、協奏風(交響曲)と同じ雰囲気ですね。やはり現代音楽を意識したんでしょうか? しかしなんだかんだ言って、戦前の幻だった作品『フィリピンに贈る祝典序曲』とか、『寒帯林』もそうですけど、主だったものが出ましたね。伊福部ファンは大喜びですね。でも、先生の心境としてはどうだったんでしょうね」

 九「やっぱり、もっと若い時にブームが来れば……とは思っていたのではないでしょうか」

 堀「ああ、それは本人も言ってましたね。文化功労者になってから数年で亡くなりましたし、なんでこんな年をとってから持て囃すんだろう……っていう感じで」


管絃司判「鞆の音」

 九「ところで、この曲はいったいどのような?」

 堀「これは、いわゆる機会音楽ですね。90年の作品で、100 %伊福部作品ではありません。三世(三代)萩岡松韻さんの依頼です。初世(初代)萩岡松韻さんの作った『鞆の音』という箏曲にオーケストラ伴奏をつけました。十三絃箏の他に三絃(三味線)、笛、太鼓と唄があります。弾きながら唄うんですよ。元々あったそういう箏曲に、オーケストラがつきます。萩岡派の百年記念祭上演作品として委嘱がありました。邦楽の楽譜は縦譜ですから、横譜に先生が直しました。ですから、先生の曲は完全に伴奏です。そのわりに、ちょっとラウダっぽい、フリギアっぽい響きですが(笑) 途中から邦楽が入ってきます。リハーサルでは、邦楽の人と洋楽器の人のテンポ感が異なっていて、合わなかったみたいです。西洋楽器の人はアインザッツピッタリで入ってきますが、邦楽の人は半拍ズレて入ってくる。3、4、イヨッ、で音が鳴る」

 九「いよッ、が入るんですか(笑)」

 堀「そうです。ので、先生が八分休符を入れて全部半拍ずらして書きました。リズム感のとり違いがあって凄く大変だったようです。邦楽の人は指揮なんか見ないでしょうけど。例えば『さくらさくら』も、西洋楽器では拍の通りに ♪さーくーらー と入りますが、邦楽の人は ♪ンさーンくーンらー と全部ズレて入ってくる」

 九「逆に難しいじゃないですか(笑) すると、山田耕筰さんの長唄交響曲『鶴亀』に近いのでしょうか」

 堀「近いですね。というか同じですね。山田さんは西洋風に作っているから、まだスッキリして聴こえます。伊福部先生はいつもの伊福部流で、邦楽の音にそのままユニゾンで音をつけています。CDはプライヴェート盤なので一般のファンがなかなか聴けないのが残念ですが。ヤフオクで12万で落ちていましたね! 私は授業の一環という条件でスコアもコピーしてもらいました。一応全部、邦楽の譜面も先生が全部五線譜に落としたのですが、恐らく、本番では邦楽の人たちは自分たちの譜面を使ったのではないでしょうか。というのも、けっこうスコアとは違うことをやっていますから。まあこれは幻の曲ですね。新録も無いし、再演も無いでしょう。鬢多々良ともスタンスがまったく異なります。先生としては頑張って書いたと思いますよ。スコアも厚いし、きれいに書いてあります」

 九「タイトルの管絃司伴の『司伴』ってなんですか?」

 堀「これは今で言う協奏の事です。昔は協奏曲は司伴楽っていってました。明治時代に。だから、これは一種のコンチェルトですね。司伴っていうのは、でも、伴奏という意味の方が強いですけど。だから、管絃司伴というのは『オーケストラ伴奏』とでもいうほどの意味です」


自作新作、歌曲「北方譚詩」について

 九「では、続きまして、11月6日にトロッタの会で初演されました、堀井さん新作の歌曲のお話を」

 堀「これは、前から西くん(音楽評論家の西耕一氏)を経由して木部さん(詩人・作家の木部与巴仁氏)の詩を朗読する会である『トロッタの会』に誘われていたのですが、それは朗読に合わせて音楽をつけるというもので、私はそういうものではなく合唱で歌としてやらせてもらえるならやってもいいと思いました。そうしたら、木部さんがそれでもいいとおっしゃったので、今まで合唱曲を書く機会も無かったので合唱をやらせてもらいました。誘い自体は、かなり前からあったのですが。

 ですから、参加者の殆どの人が朗読とバックミュージックというか、詩に付随音楽をつけるという形で、歌は私を含めて2人でした。その人は独唱で、合唱は私がトロッタの会では初めてだったようです。演奏順がたまたま演目の最後だったのですが、凄く評判が良かったので、木部さんが次回も合唱でやりましょうと言ってくれました。私は次回は違う形のほうがいいかな、と思っていましたが、木部さんや他の方が良い良いと言ってくれたので、次も合唱でやろうかな、と考えています。今回は女声三部でソリスト3人だけでしたが、大人数でも歌えるようになっています。

 初めて歌曲を書きましたが、意外と書きやすくスムースにゆきました。それには訳がありまして、歌詞があるというのは映画などで例えると台本があるのと同じで、イメージが沸きやすかったのだと思います。詩があると情景も浮かんできて、展開も読めて、詩の第1連は提示部で、第2連は展開部、そして第3連で終結するので明るく行こうとか、シナリオといいますか、器楽曲を書くより分かりやすかったです。器楽曲って何も無いじゃないですか、1から自分で作る。でも合唱は凄く書きやすくて、もしかして自分に向いているのかなあ、とか(笑) 木部さんも書きやすいように定型詩のように書いてくれました。木部さんはいつもは本当のポエムというか、散文詩のような形なのですが」

 九「朗読ならそうでしょうね」

 堀「ええ、合唱で良かったというのもあります。全てスケジュール通り、予定通りに仕上がりました」

 九「演奏を録画した動画ファイルを観させて頂きましたが、初めての挑戦というので、あまり実験的な事はしなかったと伺っておりましたが、それでも、なかなか無調的な装飾がなされている印象を受けました」

 堀「でも、やっぱりちょっとベターになった部分もありますね。合唱コンクールの課題曲のようというか……特に2曲目がね(笑) ストレートに叙情すぎたかもしれません。でもそれが良かったという人もいましたが。1曲目のイントロとか無調っぽい感じの部分は入れましたが。自分としては今までの曲の中では本当に最もスムースでした。そういう意味では自分に合っているの作風なのかもしれません。

 ところで、間宮芳生さんは、器楽は人間の声の代用だ、とおっしゃってて、伊福部先生も映画音楽などで、最終的に使う楽器が無くなったら、最終手段は人間の声だ、と言っていました。絃でも悲しみを表現できないとき、感極まったとき、そのときは人間の声だと。それほど、情感を表現するのに人間の声に勝るものは無いというのです。ですから、釈迦とか人間の声をうまく使っていますし、ゴジラでも、帝都の惨劇に祈りの声を女声コーラスで当てたり。合唱にはそういう魅力があります。

 今回、合唱は面白かったです。自分からやるとなると詩も用意しなくてはならないし、(誘ってもらって)良い機会でした。伊福部先生も、シレトコ半島(の漁夫の歌)の合唱版があるんですよ。先生が自分で合唱版の譜面も作って。私は聴いた事はありませんが、北大の合唱団かどこかが初演したそうです。シレトコは合唱向きかもしれませんね。摩周湖は甲田(潤)さんが女声合唱にアレンジしているはずです。それはそうと、今回は本当に何の苦労も無くできたので驚いています。次の曲はどうなりますかね。まだ詩がぜんぶ届いていませんが」

 九「次の合唱曲、北方譚詩第2(仮)も楽しみです」


最後に

 九「話はちょっと飛びますが、伊福部先生が省みられなかった60年代後半から70年代前半、復権した80年代、90年代と来て、2006年に先生も亡くなり、いまはもう2010年ですが、どうですか、これからの現代音楽シーンは」

 堀「1973年辺りが最も現代音楽が頂点で活気があったと思います。三善さんや武満さんも、その辺が最も現代的、アヴァンギャルドな作風でした。音楽界に凄く活気があった。委嘱料も凄かったし。万博の辺りですね。80年代に伊福部先生が見直されて来たころ、全体に叙情的になってきた。これはオイルショックに関係ありますよ。オイルショックで経済成長がガクンと止まって、比例するように前衛音楽も下火に落ち込んだ。音楽シーンも先ばかり見ているのではなく、過去を振り返るようになった」

 九「武満さんも80年代から急に叙情派になりました」

 堀「80年代後半から90年代に吉松隆さんや西村朗さんがブレイクしてきた。特に吉松さんは70年代の最高潮の現代シーンに反抗した世代だと思います。そして2000年〜現在ですが、今は音楽は氾濫していますが、聴く人の活気が無くなった。聴く人自体は減っていないはずですが、CDも売れないし、飽和状態です。クラシックだけではなく、ポップスもそうでしょう」

 九「クラシックの音楽賞受賞作品などは、相変わらず現代アート的な作風ですが」

 堀「これは伊福部先生の受け売り発言だけど、そういうコンクールなんかで受賞した人が出世して大学で講師とかやって、弟子を教えていくから、同じ(現代音楽の)遺伝子レベルになるんだと。連鎖というかあれは狭い変わらない世界ですし……潮流というかこれはずっと変わらないと思います」
 
 九「しかし、吉松さんはそれなりに権威ではないけど、地位を掴んできているように感じますが。演奏家から支持されているからでしょうか。松村先生のお弟子さんですね」
 
 堀「松村先生も作風は現代的でしたが、どちらかというとアウトサイダーだと思います。今は作曲家はたくさんいるんですけど、なかなか、やっていくのは大変だと思います。最終的に大事なのは、『自分』だと思います。『自分』さえしっかりしていれば……音楽をやる人は減っていないし、聴く人も減っていない。でも、選択肢が増えすぎてしまった」

 九「音楽もそうですが、マンガも小説も飽和状態です。読む人より書く人の方が多いようなジャンルもあります」

 堀「出版界もそうですね」

 九「では今回はこの辺で。次回はそうしましたら、先日新譜アルバムの出た寒帯林とプロメテの火をやりましょう」

 以上





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