第16回座談会 「伊福部昭十年祭と堀井友徳:作曲の変遷と世界〜守破離の精神で」

 語り手 九鬼 蛍(以下「九」という。) 
 語り手 堀井友徳(以下「堀」という。)

 日時 2016年1月2日午後3時ころ 
 場所 北海道札幌全日空ホテル喫茶店にて


 九「毎年同じことを言っておりますが、1年たつのは速いもので(笑) 今回は、今年が伊福部先生の没後十年ということでそれを少しやりまして、その後は、堀井さんの作曲の変遷をやりたいと思います。堀井さんの作曲家デビューが1994年ですから、もう22年目に突入ということで、いろいろと作風も変わってきていることでしょうし、また、ご自身の作品に対する考え方というのも変わってきていると思います」
 
 堀「そうですね、よろしくお願いします」


○伊福部昭没後十年 十年祭について

 堀「仏教では十回忌ですが、神道では没後十年のことを十年祭といい、ご先祖の仲間入りをしたということでお祝いするのだそうです。お祭りなんですよ」
  
 九「分かっている限りでは、東京交響楽団で協奏曲集と、こちらはアマチュアの栃木県交響楽団で作品集の演奏会があります」

 堀「井上道義さんの協奏曲集は、だいぶん前、30年くらい前に一回やられています。前回と同じプログラムで、『ヴァイオリン協奏曲1番』『ラウダ・コンチェルタータ』『交響的エグログ』『リトミカ・オスティナータ』をいっぺんにやります。ソリストは箏の野坂操壽さんだけが前回の演奏会と同じで、他は異なっています。栃木の演奏会はプログラムが凄いですね。『寒帯林』『リトミカ・オスティナータ』『SF交響ファンタジー3番』そして『プロメテの火』です」

 九「凄いヴォリュームです。『プロメテの火』は、全曲やるとしたら凄いですね。何曲か選んで、組曲にしても良いと思いますが。ところで、先生が亡くなった当時、堀井さんはどのような状況でしたか?」

 堀「先生は90歳くらいからずっと体調を崩されておりましたので、私も1年ほどご無沙汰しておりました。友人から連絡を受けて、やっぱりショックでした。その夜は、眠れませんでした。ミクシィで話題になりましたのを覚えています」
 
 九「当時はツイッターもフェイスブックもありませんでした(笑)」

 堀「もうあれから10年というのは、ちょっと信じられないです。私がこっちに戻ってきてから、10年ですから。来年あたりは、この対談をやってからも10年になるんじゃないですか?(笑)」

 九「そんなになりますかね。よくネタもつきず、飽きもせずにやっているものだと思います(笑)」

 堀「先生の曲をとりまく環境も変わりました。今は、YouTube で伊福部昭に嵌まる人も出てきました。演奏する人や、企画する人の世代も変わってきて」

 九「今後は、直接伊福部昭を知らない人も関わってくるということでしょうし、影響を受ける人もいわゆる私淑という形になるでしょう」
 
 堀「武満徹さんや三善晃さんも、直接知らない世代が活躍するようになってきています。今後は、伊福部先生の正しい演奏や解釈というのを、ちゃんとやってもらえたら、と思います。もっとも、ベートーヴェンやショパンとちがって、伊福部先生は現代の作曲家ですから、まだまだ直接関わった方がご健在ですので、ちゃんと伝わってゆくと思います」

 九「伊福部先生の思い出話は語ったらきりがありませんので、それではこのへんで、本題である堀井さんのお話を」


○堀井友徳:作曲の変遷と世界「守破離の精神で」
 
 九「そうしましたら、94年にデビューしてから、少なくとも20年以上もやってこられたということは凄いことだと思いますし、それを振り返ってと、これからの創造・創作についてを掘り下げてゆけたら、と思います。まず最初に、調性時代というか、メロディアスな時代があったということですね。そこから、ふりかえってみたいと思います」


・初期調性時代をふりかえって

 堀「まず、調性ということですが、作曲をやる人は、最初は必ず調性からやるんです。習うにしても、やるにしても。調性音楽の基礎をしっかりやらないと、無調も12音もうまくゆきません。それらは、調性が基礎となっての、調性あっての応用なんです。最初からいきなり無調という人は、あまりいないと思います。和声学にしても対位法にしても、調性からです。どこの音大でも、1年生は調性からやるようになっていると思います」

 九「最初の作品は箏の曲ですが、これは伊福部先生のツテとのことでしたが」

 堀「そうです。以前の対談でもやっていますが、そのころ伊福部先生が箏の野坂先生の曲をたくさん書いておられて、その縁で、新作を並べた発表会に、伊福部教室の生徒たちに書かせるというのをやって。私は(打楽器科で入学してから作曲科に入り直して)1年生でしたから、伊福部先生がまだ早いんじゃないかとおっしゃったんですが、そのうちせっかくの機会だからやってみるか、と、なりまして。しかし、箏という楽器がどのようなものかもわかりませんでしたし、どう作曲して良いかもわからず、何を書いて良いのかも分かりませんでした。邦楽器の現代的な曲というのは当時からあったんですが、ぜんぜん知らなかった。いまではそれこそ、YouTube でいろんなものが聴けますが、当時はなかなか聴けませんでしたし、なによりボキャブラリーも無くて、結局は調性の曲になりました

 また、伊福部先生のお弟子さんの先輩方は大オーケストラを鳴らすことが上手ですし、パワフルな曲を書く方が多かったので、私はその間逆でやりたいな、という思いもありまして、室内楽というかソロ曲でやってみよう、と思いました。それで、二面の二十絃箏のための『譚章』(1994)という曲ができまして。当時は、ショパンとかも好きでしたし、そういう叙情的な曲が好きだったのも確かです。また当時はそういう叙情的な曲が復権してきた時期でもあったのです。だから受け入れられました」

 九「しかし、初演していざ聴くと、恥ずかしかったとか」

 堀「そうです(笑) 我ながらメロディーがあまりに直接的すぎました。しかし箏の演奏サイドの人や、聴衆からはとても評判が良かったのです。これまで、なかなか無い曲だ、というので。箏のそれまでの曲というのは、メロディアスといっても日本的な音階であったり、あるいはシリアスな現代調のものであったりして、そういう西洋的な音階でもってメロディーを直接やる曲はあまり無かったのです」

 九「二十絃箏のための『四つの小品集』(1997)というのが、2作目ですか?」

 堀「2作目です。そのときはもう4年生になってました。これも、同じようなコンセプトで。これも、たいへん受けました。箏の世界では、インパクトが強かった。ギターっぽかったり、ジャズっぽかったりして、通俗的で、いまとなってはちょっと……。技術的にも稚拙です。稚拙でけすど、聴いている人には技術は分かりませんし、関係もありません。いま思うと、技術的にも精一杯だったというか。また、『よくこういう曲を書くよね』とも言われました。良くも悪くもいろいろな意味で。また、どなたに言われたのか失念しましたが、『こういうメロディアスな曲は、映画音楽などでやるべきだよ』とも言われたことがあります。当時は若かったし、良く分かっていなかったので、余計なお世話だな(笑) と思いましたが、いまとなっては納得できる有り難い苦言だったと思います。いまだったら絶対やらないですから」

 九「当時の伊福部教室などで、こういう感じの調性の曲というのは、堀井さんだけだったのですか?」

 堀「調性というより、私の場合は調性にとどまらずメロディーが凄くストレートで、そういう人はいませんでした。当時はそれが精一杯でした。伊福部先生の弟子の先輩がたも、『守破離』というか、先生について勉強しているときは、あまり無調とかはやらないで、先生から離れて自分の世界に突入してゆくと、無調にも挑戦しているということです。私の場合は、その先生についている段階でこういう曲を書いた。また、伊福部先生にも『息の長いメロディーを書きなさい』と言われまして。そういう人は、当時あまりいなかったから。また、『あなた(堀井さん)は、シンフォニストではなくラプソディストだね』とも言われました」

 九「堀井さんは、交響曲タイプではなく、歌曲タイプということなんでしょうか」

 堀「どうでしょう。それはわかりませんが」


・過渡期(無調へのきっかけ)〜描きたいと思うようになった時期

 九「で、調性の作品を書き続けて、過渡期と言いますか、途中から無調にも興味を持ち始めた、ということですか?」

 堀「そうですね、音大を卒業して、私も伊福部先生から離れたわけです。しかし、その余韻というか、しばらくそういったメロディアス路線が続きました。ヴァイオリンとチェンバロのための『ロマンツァ』(2000)というのは、その時期の集大成の作品です。『ロマンツァ』はチェンバロが書けるというので張り切った覚えがあります。チェンバロの曲を作る機会は、あまりありませんので。そしてヴァイオリンは歌える楽器ですし、思い切り歌いました。しかし、このころから、私が聴く曲の趣味が変わり始めまして。わりと現代的なものを聴くようになって、書く方もそういったものを書きたいな、と思うようになった。学生時代は、無調ものはまったく興味が無かった。今では好きな作曲家も、当時は超つまんないと思っていたのです(笑)」

 九「好みというのは、けっこう変わります。私も、前はぜんぜん無調ものはダメでしたが、いまではけっこう聴ける。大好きというわけではありませんが、好き嫌いは別にして、聴けるようになりましたよ」
 
 堀「子供のときに食べられなかったものが、大人になったら食べられるようになるのって、ありますでしょう。それに似ているのではないでしょうか」

 九「90年代は行き過ぎた無調ものへの反動から、確かに調性ものの受容がありましたが、00年代になると、またこんどは一気に行きすぎた調性ものから無調ものへの軽い反動というか、揺り戻しがあったような気がします」

 堀「そうですね。ですから、いまの音大の学生さんは、調性と無調と同格・平等で受け入れているんじゃないでしょうか。調性か無調か二者択一などと、あまり大げさに考えないような気がします。私のころは、そういうせめぎ合いの時期の最後の方だった気がします」

 九「しかし作曲の賞をとるのは、相変わらず無調もの一辺倒ですが(笑)」

 堀「はっきりしているということですかね。ああいうアカデミックな受賞ものは無調、映画音楽などは調性で書くと。昔は、武満さんなど、映画で無調や実験音楽をたくさんやっていました。いまは、そういうのはあまり無いと思います。というかそもそも、現代音楽畑の作曲家が映画音楽に起用されていませんし」

 九「無調と言ってもいろいろで、完全な12音主義というのは、いまだに苦手です。調性っぽい無調というか無調っぽい調性というか。そういうのは聴けますけど」

 堀「難しいですね、何が無調か、となると。中心音がちゃんとあって、調性と無調が入り交じっているような作風というのは、聴きやすいと思います」

 九「完全な12音というのは、個性が聴き分けづらいです。違う曲というのは分かりますが、違う作曲家というのが分からない。どれを聴いても同じ人が書いたようにしか聴こえないのです」

 堀「伊福部先生流に言わせると、完全な12音技法は、『国籍が無くなっちゃう』んですよ。それと『馬の顔のようなもの』だと」

 九「なんですか、それは(笑)」

 堀「馬の顔って、普通の人が見たらみんな同じでしょう? しかし、馬の専門家が見ると、一頭一頭、全部顔が違うんですよ。それと同じで、一般の聴衆には見分けがつかなくても、現代音楽の専門家には違いが分かるのです。これはクセナキスだ、ブーレーズだとかは、通にしか分からないという意味です」

 九「なるほど!(笑) で、話は戻りまして、『ロマンツァ』から少し作品の間隔が空いているでしょうか?」

 堀「いえ、いろいろ書いてはいたのですが、なにせ『ロマンツァ』のイメージが強くなりすぎてしまいまして、他のタイプの作品が書けなくなった。と言うのは、委嘱作品ですから、こちらが違うタイプの作品を書きたくても、『ロマンツァ』と同じような感じで、という注文が来るわけですね。それで、書きたくても書けなくなりまして。模索期というか。私は2000年代はもう、無調をやってみたくなっていた。で、さりげなく無調はどうでしょう? と提案しても、全部却下されました(笑) 最近までもそうでしたよ。『そういうのは、堀井さん以外の人が書いているから、けっこうです』と。別に私が書いてもいいじゃないか、とは思いましたけども(笑) そこで悩んでしまいまして」

 九「堀井さんは調性にこだわってやっている人だ、という固定概念がついてしまった」

 堀「そうかもしれません。確かにそれまで、そういう曲しか書いていませんでしたから。今振り返るとその時は、悩んでいた作品が多いですね。幸い、それでもなぜか曲が受けまして、おかげさまで続けてこれましたが」


・無調作品へのきっかけ

 九「で、2006年に伊福部先生が亡くなりまして、それで心境の変化がありましたか?」
 
 堀「それはもう強くありました。やっぱりひとつの、自分の人生の転換点というか。キザに言えば青春が終わったというか(笑) 92年に初めてお会いして、14年ですか、先生と関わっていました。また私は先生を中心に人脈が回っていましたから。その師匠が亡くなりまして、こちらに帰って来て、やっぱり仕事は無くなりました。離れて縁が切れましたから。しかし、ショックで曲も数年書けなくなっていましたので、今にして思えば、頭を冷やすには逆に良かったかもしれません。あのとき、無理に書いていたら、ちょっとガタガタになっていたかもしれません。かろうじてアレンジの仕事はありましたけど、作曲はしていませんでした。あのころは、まだグラグラしていたというか。で、2010年に『トロッタの会』で昔のご縁が復活しまして、そのころから落ち着いてきたといいますか、作曲もできるようになった」

 九「トロッタでは、最初は合唱かつ調性でしたが、これは意図がありましたか?」

 堀「合唱スタイルは、トロッタ側ではなく自らの希望でした。また、合唱は調性で、というのは今でも変わっておりません。合唱は調性、器楽は無調というスタンスです。と言いますのも、合唱ってアマチュアが多いじゃないですか。やはり、合唱は基本的に音程がとりづらい実験的なものというのは、歌う方も限られますから。歌詞もありますし。器楽というのは、メロディー以外の表現もできますし、詞もないですから、いろいろなことができます。新実徳英さんが、合唱はとことん分かりやすくメロディアス、器楽曲はとことんシリアスで、と完全二極化していると著書で書かれており、実は私もそういうのをめざしています。その中間はもう興味無いのです。新実さんも中間は興味がないと言われてます。私の初期の作品は、セミクラシックというか、あれは中間音楽みたいなものです」

 九「その中間音楽というのは、TBS ヴィンテージJ クラシックの塚原哲夫にもありましたが、どういうものなのですか?」

 堀「中間音楽というのは仮に名付けられたものでそういうジャンルは明確にはないのですが、まったくの、大衆向けのイージーリスニングのようなものと、シリアスなクラシックの中間という意味ですね。高名な人では、ピアソラとか、ガーシュインとかカプースチンあたりになるでしょうか。ハイブローとローブローの中間の、ミドルブローというか。いま、そのミドルブローの音楽というものが無い。年末の音楽番組も、大衆向けの紅白歌合戦か、通向けのクラシックしかないみたいな」

 九「なるほど。堀井さんの初期の作品はその中間音楽に近いというのですね。しかし、私の感想では、堀井さんの無調も、まだ中間に近い気がします」

 堀「そうですね。これから変わるかもしれませんよ(笑)」


・最近の無調作品について

 九「それと関連して、次のテーマにも入ってゆきますが、堀井さんの無調ものを聴いていましても、全体が全て無調というよりかは、曲の中に突然ド調性の部分が出てきたり、第1楽章が完全調性で、第2楽章が無調というような対比があったりと、やっぱり中間という気がしますが、それについては」

 堀「それは、あまり意図はないというか。木管五重奏曲(2011)なども、滅多に書けない編成でしたので、単純に調性と無調を両方を書いてみたかったのです。フルート、ヴィオラ、ハープのための『冬への幻想』(2013)などもそうです。特にハープを扱ったのもあり、無調と調性と両方書いてみたかった。滅多に無いチャンスなので」

 ※木管五重奏のためのディヴェルティメント 第1楽章 第2楽章

 九「あ、単純にそういうことなんですか(笑)」

 歩「そうそう(笑) 3人のフルートのための『オブジェ』(2013)は、ぜんぶ無調です。しかし旋律的な部分はあります。無調でも旋律は残そうと思っています」

 ※3人のフルートのためのオブジェ

 九「その、無調の旋律というのは、何をもって旋律になるのでしょうか?」

 堀「旋律っていうのは、文字通り律動が旋回するみたいな、リズムがあって初めて音が動くわけで、そうするとメロディになるっていう」

 九「動機というやつとは、違うのでしょうか?」

 堀「動機はモチーフといってもっと短いものです。旋律はもっと長い。動機(モティーフ)が連なって旋律となる」

 九「無調の旋律というのは、そもそもその動機が、とても分かりづらい、お客さんにはなかなかとらえられないもののように思いますが」

 堀「確かに、無調のメロディーはお客さんには分かりづらいかもしれません。主になる音、調がありませんから。いわゆる歌謡旋律ではない。歌えるようなメロディーじゃないんですね。そこが特徴です。確かに言われてもピンとこないかもしれません。『ロマンツァ』は、イ短調に近い旋法で書いています。そういう、基礎となる旋法を使っていないのが無調といいますか。そういうのを、全部自分で決めて作ってゆかなければなりません。だから、調性音楽をしっかり書けないと、無調作曲も行き詰まっちゃうと思います」

 九「無調への興味というのは、どこまでですか? そういう、いま現在の無調と調性の狭間から、この先、12音技法までも?」

 堀「どうでしょう。いまのところの興味が、そこまでということです。12音技法は12音対位法も勉強して一度自作でトライしたこともありますが……いまのところ、やらないかな、と思います」

 堀「で、ふりかえりますと、これまで調性と無調の両方をやることができて、良かったなと思います。守破離の守の部分、先生の言うことを聞いてそのままやる時期が終わって、破の部分、先生の教えを破って、自分のやりたいことをやる段階。自分はいま、破なんだと思います」

 九「守破離、そして序破急の破ですね。序破急も、守破離と同じ意味です」

 堀「離というのは、もっと凄い上のところで、まだまだ遠い。伊福部先生も、離は遠いなあと言ってました。『なかなか離に行けませんからねえ』なんておっしゃって(笑) 離は遠く破と離のあいだが、凄く離れている。自分はまだまだ破の時期です」

 九「話はちょっと戻りますが、昨年初演した独唱とピアノのための『北方幻譜』も、1楽章が無調で2楽章が調性です。合唱曲というか歌ものは調性でゆくのでは?」

 堀「それも、『冬への幻想』などと同じです、独唱はあまり無い機会だと思いまして、両方書いてみようと」
 
  ※独唱とピアノのための北方幻譜【2014・改訂完全版】

 九「そうなんですか(笑) それでは、合唱と独唱というのは 、作曲の仕方というのは違うのですか? 別物といいますか」

 堀「私の場合は、合唱曲も最初にメロディを一本通して書きます。一気に最後まで。そこから、それを合唱に直してゆきます。じゃないと、あとでアレンジが利かない。最初から合唱でパートを固定発想してしまうと、混声四部から男声のみとか、女声のみとか、独唱とかにアレンジができない。音域とかの関係で。一本のメロディーを最初に書いておくと、編成が自由なんです。だから私の合唱曲はメロディアスです。それこそ新実徳英さんもそのように言われていました」


・形式的な興味について

 九「では、次のテーマに移りますが、調性的には無調に移ってきて、形式的にはどうでしょうか。ここでいう形式とは、ソナタ、ロンド、スケルツォ、ワルツ、狂詩曲などの曲種にもつっこんでゆきますが」

 堀「私は、あんまりソナタ形式とか、ロンド形式とかは意識していません。伊福部先生のお弟子さんは、みなあまり強くは意識していないと思います。かなり自由な三部形式とか、せいぜいソナタ形式のようなもの、とか。メドレーのような、ファンタジア形式とか。ABCDE 形式ともいいますが(笑) そういうのはありますが」

 九「確かに、伊福部先生もそうですが、そのお弟子さんがたも、あまり主題は大きく展開しませんね」

 堀「有機的な、ドイツ的な意味での展開は無い」

 九「ひとつの旋律が少しずつ変わってゆくような、凡東洋主義ではないですが、そういうものはありますけど、完全なソナタ形式というのは少ないですね」

 堀「はい。ですから、伊福部先生の『ヴァイオリン・ソナタ』は、先生にしては後年になってソナタ形式を意識し、挑戦したものです。厳格なそれではありませんけども。アカデミックな人は、最初にそういう形式をがっちりとやる。それは、確かに必要な技術です。曲をどうやって展開してゆくか、ということですから。ただ先生は『交響譚詩』もそうですが、形式には結構シビアでしたね。ドイツ音楽にはアンチみたいだけど、形式美は尊重したそうですから」

 九「構成ですね。私はクラシック音楽をクラシック音楽たらしめるものは、構成だと思っています。どんな歌謡旋律でも、ベートーヴェンやモーツァルトのように構成がしっかりしていればクラシックになるし、構成が無いと、それこそ中間音楽になる」

 堀「構成と展開です。まったくの自由形式というのもありますけども。ファンタジア形式です。実は、伊福部先生は『ファンタジア形式は止めなさい』とおっしゃっていた。あれは『よくない』と。ただの数珠つなぎのようだからと」


・現代音楽のありかたは?

 九「ところで、矢代秋雄さんや三善晃さんが堀井さんへ影響を与えたのは、最近ですか?」
 
 堀「最近です。どちらかというと、三善さんは生と死を意識した曲が凄く多くて、自分もトロッタの会で最近そういう内容の詩の曲に曲をつけてますので、参考にもなりました」

 九「私も、邦人作品を最初に意識したのは、ほかでもない、矢代秋雄さんの交響曲の4楽章を吹奏楽で聴いてからです。純粋にあ、かっこいいなあ、と。それで原曲のオーケストラを聴きたくなって、CDを買いに行ったら武満も芥川も伊福部もあった。フォンテックのCDです」

 堀「私はブランクの時期に、矢代さんの書いた本を読みまして。それが、けっこういままでの考えを反省させられることがいっぱい書かれていました(笑) たとえばショパンを聴いても、ただメロディーが綺麗だなと聴いていてはだめだ、作曲家ならば構成を聴け、とかです。ショパンというのはムーディなイメージばかりでしょうが、実は凄く構成がしっかりしていると。また純音楽では日常を出してはいけない、とか。たとえば、変拍子の多用なども、日常のポップスなどは4/4 のみで書かれているのがほとんどでしょう。そこで純音楽では変拍子を入れることで、心情や情景といった日常から離れられる。変化を持たせられる。矢代さんは、純音楽でそういう日常音楽と同じようなものを『洗練されてない音楽』と定義しています。むきだしの旋律を純音楽でそのまま出すというのは、生のもの(素材そのもの)を、そのまま料理しないでお客さんに食べさせる様なものだと。大衆音楽を卑下しているわけではなく、それとは違うものを作れということですね」

 九「ジャンルをしっかり分けろ、ということでしょうか。ロック、ポップスと現代のクラシックは、しっかり分けて考えなさいよ、と」

 堀「そういうことでしょう。はっきりいえば藝術作品やコンサートステージ用の音楽に、そういう生のポップス旋律をそのまま乗っけちゃだめだよ、ということです。ショパンの旋律だって、いまでこそ通俗的、大衆的な言われ方をしてますが、作曲された当時は、特段そんなことはない」

 堀「また三善晃さんが言うには、現代音楽の主な技法は60年代にはほぼ拡散されており、それをベースにして自分の語法や理論を開拓するべし、と。また藝術作品にドレミファスタイルやペンタトニックに回帰するのは反対だ、とも。かといって、これも三善さんが調性そのものを否定していたというのではなく、アニメの主題歌などでは、すばらしい曲を書いています。要するにこれも、ちゃんと分けなさい、ということですね」

 九「しかし、池辺晋一郎さんや一柳慧さん、あの湯浅譲二さんですら、最近の作品は調性っぽくないですか」

 堀「そうですが、ポップスメロディをそのまま投入まではしてないですよ(笑) そういう藝術作品は非調性であるべき、という時代も過ぎて、いまは、なんでもあり、ということなんでしょうか。ただ一柳慧さんの近作『ピアノ協奏曲第四番JAZZ』などはもう完全にガーシュインを感じさせるところもありましたね。矢代さんも、完全に調性はダメとは、言ってないんですよ。つまり、初期の自分はドレミファスタイルだった。いまは、それに反対しています。つまりこれは守破離の破なのです。伊福部先生は、そのような藝術作品に調性はよくないなどとは、当然言われなかったので。また私は、自分の作風として、伊福部先生のような民族的なものというのは、あまり合っていない、自分が書くのはよくないと思っています。また伊福部先生からも、民族的に書け、などとは言われたことはありません、私の時代は。ああいう土俗的な音楽スタイルは、そういうバックボーンをもった人でないとリアリティは出ないですね」

 九「ま、民族的と言いましても、伊福部先生の書く音楽のようなコッテコテの民族は、正直日本にいませんからね(笑) だから私は、伊福部の作風が民族的というのには少し違和感があります。北方的とか、辺境的というのは理解できますけど。もしくは、それこそ北海道的というか。純粋なアイヌだけではない、いろんな移民が混じったという意味での異世界的としての民族的というべきか。それか、もっと古代に返って縄文的というか」

 堀「初期は、伊福部先生もペンタトニック主体だった。『日本組曲』や『日本狂詩曲』とか。それはちょっと素材が生すぎると戦後に反省した、と先生もおっしゃってました。民謡の主題をそのまま使ってしまった。若かったからしょうがなかった、とも。でもそこが師匠のチェレプニンに認められたという意味では、伊福部先生の守の時期ですね。戦後の作品が、先生にとっての破でしょう。ギター作品とか、歌曲とか渋いものは、20代では書けなかったでしょう。晩年の箏曲などはもう離の境地に入っていると思います。」

 九「テーマが戻りますが、つまり、堀井さんはソナタなどの形式には、あまり執着しないと」
 
 堀「そうですね。私は昔から、ソナタとかの作曲はやってなかったし形式ばったものを書くのが嫌だった。よく音大の作曲科を卒業できたなと思うけど(笑) ただ、形式で書くというのが大事な部分もありますよ。形式が無いとただの羅列になってしまう。構成がしっかりしてないと、逆に自由な曲も書けません」
 
 九「私は、その形式というか構成がしっかりしているかしていないかが、素人作曲と玄人作曲の壁だと思っています。ポップスとクラシックの壁もそうです。クラシックはやっぱり構成です」

 堀「音楽が流れがちになりますね。形式に凝りすぎても、ちょっとアカデミックになってしまいますけど」


・これからについて

 九「えー、では最後に、我々ももう40代ということで、下の世代に言わせるとおっさんですが、上の人に言わせるとまだまだ若いという、ちょうど中間音楽ならぬ中間世代というか、中間管理職というか(笑) そんな年代に突入しました。今後、堀井さんの作品の方向性ですが、最初の方で、伊福部門下の先輩方がオーケストラ作品が得意で高名なので、その逆で室内楽的なものをメインでゆこうと思ったということですが、今後、吹奏楽とかオーケストラをやる機会があればやってゆきたいとは思ってるのでしょうか?」

 堀「そうですね。注文があれば(笑) 悪い習慣で、僕は尻に火がつかないと、切羽つまらないと書かないんですよ。作風としてはシリアスなものを。比べるのもなんですが、芥川也寸志さんも、最初は調性ものを書いておりまして、40代くらいにそういうものを離れて、『エローラ交響曲』や『チェロ協奏曲(コンチェルト・オスティナート)』などを書いていますでしょう。ちょうど、そういう暗いシリアスな感じのものを書きたくなる歳なんだと思います。三善さんも、40代で一番暗い曲を書いている。やっぱり、そういうものを書きたくなる年代なのかもしれませんね(笑)」

 九「いろいろ忙しいですし、私生活で悩みも出てくるときでしょうからね」

 堀「昨年はそんなこともあって一曲も作曲できませんでした。今後は、思い切ってイメージを変えたいですね。最初のころの、『ロマンツァ』のイメージを。未だに、こういう曲を専門に書く人だと思われているふしがあります。だからあれはYouTube から外したんです。作曲家は昔と変わらないとだめで、矢代さんいわく進歩しない人は巨大な毛虫を見るようだと。つまり幼虫のころは青虫で小さくてかわいいけど、成長しても青虫だったら見ていられないと(笑) やはり美しい成虫に進化しなきゃいけないということですね」

 九「実際、しかし、無調の現代音楽を聴いて、いいイメージを持つ人もいませんでしょうしね。印象に残らない」

 堀「いえ確かにそれはありますけど、反応はどうであれ、自分らしいものを書くのが一番だともう悟りましたね(笑) 昔の自分の曲を知っている人からは、『変わっちゃったね……』とも残念そうに言われますが、逆に僕の最近の曲しか知らない人からは、再演の話もありまして『オブジェ』はアマチュアの人たちに再演されました。YouTube で聴いたと言って。それは嬉しかったですよ」

 堀「無調メインと言いましても、調性も平行して書きます。両方やるということです。同じ曲の中で無調と調性もあるというのは、組曲のようなイメージです。あと対比の妙。また、機会や目的があっての調性音楽は、もちろん書きますよ。こういうのは純音楽と違ってしがらみなしに仕事ができますから」

 九「今後の目標はどうですか?」

 堀「今後の目標は、やっぱりいままで書いたことのない楽器編成を書くということです。書かない編成というのはありません。あと書きたいものはまだまだ、オブジェもシリーズ化させたいし、あと合唱も。今後はパフォーマンスを伴った器楽曲なんかもトロッタで計画しています」

 九「まとめはありますか?」

 堀「そうですね、今年は何曲書けるか分かりませんが、がんばりたいと思います。あとライフワーク化している(笑) 渡辺宙明先生の演奏会の譜面作成の仕事もありますし。そういうのと、作曲活動は精神的には分けてやりたいですね。また、きざな言い方ですけど、自分のオリジナルである純音楽では矢代さんの言う質や純度の高いものを目指したいですね。次回作できっぱり態度で示したいと思います」

 九「今年はまず、朗読の室内楽のための『ポエジー第3番』ですね。それでは、今年はこのへんで。また来年」

 ※朗読と室内楽のためのポエジー 蝶の記憶

 ※朗読と室内楽のためのポエジー第2番 黒い翅


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