第2回 「伊福部作品を語る」(戦前編)


 聴き手 九鬼 蛍(以下「九」という。)
 語り手 堀井友徳(以下「堀」という。)

 日時 2008年1月12日午後3時ころ
 場所 北海道某所

 作品リスト

 ピアノ組曲(1933)
 日本狂詩曲(1935) 
 土俗的三連画(1937)
 バレー音楽「盆踊」(1938)※未音源:Perc Pf
 交響舞曲「越天楽」(1940)※未音源
 ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲 (1941)
 交響譚詩(1943) 
 古典風軍樂「吉志舞」(1943)
 フィリピンに贈る祝典序曲(1944)
 兵士の序楽(1944)
 管絃楽のための音詩「寒帯林」(1944)※未音源
 北日本の民謡による組曲(?)※未音源


九 「えー、では第2回インタビューということですけれども」

堀 「はい」

九 「あいにくのお天気ではありますが」(外は雪、気温は−5℃くらい。)

堀 「あいにくですね(笑)」


ピアノ組曲

九 「戦前編ということで、(映画音楽は他に語る方が多いので、これからも)純粋音楽を中心に、いろいろお話を聴けたら良いと思います。では作品リストにそいまして、ピアノ組曲から、何か伊福部先生とのエピソードはありますか?」

堀 「これは、いちばん最初に譜面を買って、先生の所へ持っていったのですが、これは、どう見ても、(ピアノというより)オーケストラのために書かれたというか、オーケストラへするのを前提に書かれたとしか見えなかったんですよ。後になって、あれはギターで作曲したと伺いました」

九 「ギターで作曲したのですか、あれは」

堀 「ギターで作曲した。後で分かったのですが、ギターの開放弦で、ミラレソシミとあって、あれで弾くと弾きやすいんです。ピアノの場合だと(鍵盤の)距離が離れてしまって、正直云って、ちょっと弾きにくいんですよ。盆踊に関しては。佞武多もそうでしょうか。七夕と演伶はそうでもないのですが、盆踊と佞武多は、ちょっとピアノ曲らしからぬ、いわゆる西洋のリストとかショパンのピアニズムとは、ぜんぜんちがう書き方なんですよね。かといって、パルトークとかプロコフィエフとかとも、ちょっとちがう。これはちょっと、ピアノ曲としては弾きにくいですねと、先生の前で云ってしまって(笑)」

九 「先生の前で(笑)」

堀 「後々まで、この人はこういうことを云う人なんです、とか云われまして(笑) 先生の前で何回も弾きました。それで、ポロッと云ってしまって、ピアノを書く人の曲じゃないですよねって」

九 「先生は何と云ってましたか?」

堀 「チェレプニンが弾いた時に、これは(技法としては)難しいのではないでしょうかって、先生も聞いたそうなんですが、チェレプニンが(弾きながら) Very easy 問題ないと(笑) だから書いたって」

九 「チェレプニン基準ですか(笑) 西洋人は手が大きいからでしょうか」

堀 「そうかもしれません。正直云って、弾きやすい曲ではないですね。それがその、なかなか演奏されない理由のひとつかな、と。あと、難しいといっても、もっと難しい曲はたくさんあるじゃないですか。リストとかショパンも。演奏されない理由は、先生から聴いたのですが、恥ずかしい、という理由で。これはずいぶん云われたそうです。ずっとピアノを勉強してきた人たち、西洋音楽をずっとやってきた人たちが、盆踊の出だしとか、ダッタカダッタ、ダッタカダッタと。あと先ほども云った、弾きやすい曲ではないというのと、その、気恥ずかしいというので弾かれない。難しいから弾かれないのならまだしも、ああいう曲は恥ずかしいから弾かれないというのは、先生も残念がっていました」

九 「(恥ずかしいというのは、いわゆるジャポニズムだということで)西洋音楽の中でのジャポニズムに注目した最初期の1人ですよね、伊福部昭は」

堀 「ただ、ジャポニズムの解釈がちょっとちがう。いわゆるワビサビ的な、陰音階、陽音階の、日本庭園ふうな、落ち着いた感じ。そういう曲はけっこう弾かれる。現在でも。まあ陰音階、陽音階ではないけど、武満さんとかね。ああいう雰囲気の。伊福部先生は、そういうのとはちょっとちがう、ただのジャポニズムではない」

九 「なるほど、それで、恥ずかしいにも二種類あると思うんです。本当に恥ずかしいのと、むずがゆい様な、気恥ずかしいのと」

堀 「気恥ずかしい」

九 「気恥ずかしいんですか」

堀 「僕も仲間から云われましたよ。何を弾いてるんだって(笑)」

九 「何を弾いてる(笑) 失礼な、学長の曲なのに(笑)」

堀 「ピアノ科の先生にも薦めたらしいのですが、誰も弾いてくれなかったと。録音だってぜんぜん無かったでしょう」

九 「無かったですね。最近になって、出てきましたね」

堀 「あとでオーケストラ版ができるじゃないですか。あれはもっと、恥ずかしいと。聴く人が」

九 「聴衆がですか」

堀 「弾く人も恥ずかしいと。その、恥ずかしいと云われるのが、先生はいちばん辛かったのではないでしょうか」

九 「恥ずかしいと云いましても、先ほど云った様に、こんな曲は日本の恥だ、的な恥ずかしさと、やはりその、どうにもムズムズするような気恥ずかしさと」

堀 「先生は、その、気恥ずかしいと云われるほうが嫌だったと。恥ずかしいのは分かるけれども、その、日本人が日本的なものに恥ずかしさを感じる心が、寂しかったと」

九 「外山雄三のラプソディーがそうだったと。(N響世界一周演奏会の)壮行会では評判が良くなかったそうなのですが」

堀 「外国では良かったんでしょ」

九 「バカウケだったと」

堀 「でもね、八木節とか、けっこう奏者も聴衆も違和感が無いんですよ。あと小山清茂さんの木挽歌とかね」

九 「木挽歌のほうが恥ずかしいと思いますけども(笑)」

堀 「木挽歌は評価が高かった。初演のときから。何故だか分かりますか?」

九 「いいえ」

堀 「あのですね、直接的ではないところがありまして、伊福部先生の場合はダイレクトにこう、力強さが出てきますが、小山さんの場合はあるていど西洋的な部分があって、1曲目とか、トーンクラスターの、現代的な技法もちゃんと使っている。(3曲目などの朝の情景の)キラキラした部分も、モダニズムだと。そういう部分が評価されて楽壇も一目置いている。教科書にも載ってるじゃないですか」

九 「木挽歌がですか?」

堀 「そうですよ、鑑賞用教材として。これと、日本狂詩曲が、教科書に載せるのでどちらかということになったんです」

九 「知りませんでした」

堀 「有馬先生が録音した狂詩曲がありましたでしょ、あれへ木挽歌も入ってまして、文部省が、木挽歌を選んだと」

九 「そうですか」

堀 「ただね、先生も、恥ずかしいとはおっしゃってましたよ。19歳の曲だし、素材がその、あまりにも生々しすぎると。盆踊のメロディーがそのまま出てきて。けど、やはりこの曲が自分の原点なのだという、自負みたいのは相当あったっぽいですね。だから、後になってオーケストラ版を作ったりしています」

九 「なるほど。私は、初めて聴いたときから面白い曲だと思いました」

堀 「僕もそう思いました。面白い。ユニークだと思いますよ。恥ずかしいとは思わなかった」

九 「私も恥ずかしいとは思いませんでした。しかし、私は既に他の伊福部の曲を聴いたあとに聴きましたから」

堀 「なるほど」

九 「それこそ、ずっとピアノをやっていた人で、いきなり聴かされたら、恥ずかしいと思うかもしれませんね」

堀 「せっかく楽譜も出てますから、もっと弾かれても良い曲だと思います。面白いし。実際、面白いということで取り上げる人もいます。特に海外で演奏活動をしている人が多い」

九 「海外ではウケるでしょうね」

堀 「しかし、日本で、ふつうにピアノのお稽古をしてきた人は、あんまり演奏したがらない」

九 「恥ずかしいというのは、確かに分かりますけどね。しかし、クラシックに民謡を使っているから恥ずかしいというのは解せない」

堀 「私もそう思います。九鬼さんが書いている通り、国民楽派や、ストラヴィンスキーなんて」

九 「民謡をパクリまくりだという(笑)」

堀 「そうそう(笑) ペトリューシュカなんて、聴くに堪えないとむこうでは云うようなメロディーが出てくるのに。ハチャトゥリアンとかね、剣の舞とか」

九 「剣の舞は恥ずかしいですね(笑)」

堀 「でも、あれは堂々とみんな弾くんですよね、でも、日本の物になると、みんな引いてしまう。永遠の課題ですね、これは」

九 「しかし(国民楽派にあるように)他の国では、自分の文化を使って西洋音楽をしても、誇っているのに、なんで日本はそうならないのでしょうね」

堀 「それは、他国の文化に囲まれすぎだからですよ。それはしょうがないですね。明治以降ですね、あそこから日本の価値観が変わったと、伊福部先生が。脱亜入欧とか和魂洋才とか。音楽の世界だけ、洋魂洋才みたいになってしまって。いまでこそ邦楽器は見直されていますけど、数十年前くらいまでは、邦楽器なんて本当に遅れた楽器だと思われていた。伊福部先生も、邦楽器に関しては、このころはあまり書いていなかった」

九 「本当だ、書いてないですね」

堀 「意外にね、この頃はまだ先生も邦楽器には興味を示さなかった。このころは、オーケストラしか眼が無かったと先生は云ってました」

九 「本当ですね、戦前編ということで、リストアップしても、ほとんどオーケストラですね」

堀 「ピアノの組曲も、オーケストラのマテリアル的な感じで書かれていて。やっぱりこれは、先生はオーケストラを想定していたと思いますね。しかも凄いのは、これは19歳のときに書いているけども、2年間、作曲にかかってますから、16、7から書いてるんです」

九 「ありえないですよ(笑)」

堀 「日本狂詩曲は19から書いている。完成したのが21歳のとき。10代のときからこのふたつを書いていたという」

九 「天才ですね」

堀 「ピアノ組曲と日本組曲とどっちが好きかという話がよくあるんですが、九鬼さんはどうですか」

九 「いや、それは難しい、どっちも好きですけどね。ペトリューシュカとペトリューシュカからの3楽章のどっちが好きかと同じようなもので、比べられないですね」

堀 「なるほど、比べられない」

九 「ただ、日本組曲の技法が、打楽器とかも、数は少ないのに逆に目立っていて、数だけ多い日本狂詩曲と比べて、書法として遙かに完成されているというか」

堀 「そうですね、これは90年か91年にオーケストレーションされていて、60年くらい経っていて、これが凄くって、ふつうの作曲家じゃ、ありえない。自分の処女作をアレンジできるって、これが凄い。しかもオーケストレーションが洗練されている。日本狂詩曲のオーケストレーションも確かに凄いんだけど、まだちょっと、やりすぎかな、と思うところもある」

九 「じっさい、2楽章とか、うるさいですよ。もちろんそれが良いのですが」

堀 「音を重ねすぎかな、と」

九 「ピアノ曲自体が、ずっとこれだけですよね、オリジナルは」

堀 「実質、これだけ。貴重な曲ですね。それが気恥ずかしいという理由だけで弾かれないというのは、つまらないですね。やはり、家でピアノを習うというのが、モーツァルトとか、いわゆるお行儀のいい、そういうのでずっと育ってきた人が、音大に入って先生になって」

九 「そうか、そういう人は弾かないでしょうね」

堀 「多いですよ、そういう人は」

九 「日本人の曲だとしても、飛び越して、前衛に行ってしまうと」

堀 「そうそう、この曲、うるさいわね、って云われてしまう。あとしつこいって云われてしまう。女性なんかも、しつこいと云われる。伊福部音楽はしつこいから嫌だという人は多い。特に女性に」

九 「その割に(ピアノ組曲で)CDを出しているのは女性ばかりですね」

堀 「そうですね」

九 「岡田(将)さんの映像で、初めて男性が弾いているのを見ました」

堀 「舘野さんは? 七夕だけって?」

九 「(前に、会って伺ったときは)七夕だけいいって云ってました」

堀 「でも、舘野さんは、これ、協奏風(交響曲)を弾いてるんですよね。けっこう喜んで弾いてましたよ」

九 「ちょっと話がずれるのですが、舘野先生は病気になる前は、ハチャトゥリアンのピアノ協奏曲が十八番だったそうです」

堀 「それは意外ですね」

九 「だから、協奏風(交響曲)も、面白かったのではないでしょうか」


日本狂詩曲

堀 「日本狂詩曲は、やっぱり、先生の初めの管弦楽の曲で」

九 「1楽章が、カットされたと?」

堀 「そうです。じょんがら舞曲ですね。交響譚詩にモティーフが。チェレプニン賞へ出すのに、規定時間におさまらないので、2楽章にした」

九 「結果として、これは2楽章で良いと思います」

堀 「これはね、オーケストレーションが、さっきはうるさいとか云いましたけど、やっぱり、斬新なんですよね」

九 「面白いですよね、点描的ですよね」

堀 「点描的ですね」

九 「チューバとか、ピアノとか、ポツンポツンと入ってきますよね」

堀 「1楽章ですよね。オーケストレーションは、1楽章のほうが絶妙ですね。あとそれから、絃のハーモニクスの使い方とかね。コントラバスの低音域と、ヴァイオリンの高いところのハーモニクスをやってる間に、中音域で、他の楽器が。あれを独学でやってるっていうのがね。相当スコアを読み込んでいたのではないかな、と思います。ストラヴィンスキーからそういうところは学んだのではないかな、というのはありますね」

九 「レコードでハルサイを聴いて、こんなのならおれでも書けるぞと思ったといいますから、思うだけでも凄いと(笑)」

堀 「そうそう(笑)」


土俗的三連画

堀 「これは、ランプの下で書いたとか、チェレプニンにこの編成を薦められたとか、いろいろありますね。ちなみに、私は、先生の北海道時代の作品の中ではこれがいちばん好きです」

九 「これは渋いですよね。伊福部作品の中でも、もっとも渋いと思います」

堀 「渋い。これは、九鬼さんも、前に九鬼さんと知らなくてホームページを見たときに、日本狂詩曲とか、フランス的と書いてあって、凄いと思った」

九 「まあ、あれは(笑) オネゲルとか、ルーセルとか、イベールに認められた曲ですし、そういう響きに聴こえたのですが」

堀 「それで、三連画もフランス的」

九 「なるほど、これもフランス的」

堀 「フランス的というと、(いわゆるドビュッシーやラヴェルの)印象派っていうイメージがありますが、ちがう。オネゲルやイベールとか、ミヨーとかは、ちょっとちがう。これはね、タイトルもフランス語でつけられている。トリプティーク・アヴォリジェンヌという。これも先生はこだわりがあるらしくて、日本狂詩曲は、ジャパニーズ・ラプソディーですが、パリへ応募するときにフランス語にした。しかし、出版するときに、また英語に戻したんです。で、三連画はフランス語。先生に、この使い分けは理由があるのですかと聴いた。すると、ジャパニーズ・ラプソディーという英語の力強さのほうが、この曲(狂詩曲)にはいい、とおっしゃった。三連画は、洒落た感じを出したいから、語感として、フランス語にした、と」

九 「確かに、洒落てますね、この曲は」

堀 「こっちも、民謡的なフレーズは出てくるんだけども」

九 「ぜんぜん、洗練されていますね、エスプリですね」

堀 「そう、また、楽器の使い方が、絶妙なんです。私は、これは無条件で推しますね」

九 「1管編成というのがまた」

堀 「そう、1管編成って、難しいんですよ」

九 「室内楽と、オーケストラのギリギリの境目ですよね」

堀 「そう、私も思うし、先生も云ってたけれども、3管編成書くより、1管編成のほうが難しい(笑) 楽器の数が少ないから、ちょっとね、書き方がちがうんですよ。組み合わせができないから。ふつうの人はほら、大きな編成のほうが大変で難しいと思うでしょうけど、実はね、小さいオーケストラのほうが、鳴るように書くのは難しいわけです。絃も1本、1本ですから、重音の使い方をちゃんと知らないと鳴らないじゃないですか。大人数だと、分奏でできますから。絃なんて、凄いですよ、これは。あと書法だけではなくて、その、北海道の風俗的な薫りみたいなものも出ているし」

九 「しかし、正直、私は伊福部を聴き初めのときは、この曲は難しくて分かりませんでした」

堀 「私もそう。難しかった」

九 「CDに、他の曲といっしょに入っていて、日本狂詩曲やタプカーラとかはちゃんと集結するじゃないですか、ジャン!って。でもこれは、プイって終わるじゃないですか(笑)」

堀 「そうそう、洒落てるんですよね(笑)」

九 「分からなかったけども、聴けば聴くほど味が出るというか」

堀 「そう、味が出る。それでこれは演奏が難しくて。正直云って、失礼ながら、まともな演奏は聴いたことがないですね。プロでも難しい。各楽器が、ヴィルトゥオーゾ的というか、けっこう難度の高い技術が散りばめられていて」

九 「これは面白い曲ですよね」

堀 「これなんかはだから、コンクールとかが、もし当時にあったら、絶対に入っていたと思いますよ」

九 「なるほど」

堀 「日本狂詩曲と、対照的ですよね。どちらも素材は民族的なのだけれども」

九 「そうした対照的な音楽を並べて書けるというのが凄いと思います」


バレー音楽「盆踊」−8場面よりなる舞台舞踊音楽

※これはピアノ組曲の第1曲「盆踊」へチェレプニンが打楽器を加えて編曲したもの。


交響舞曲「越天楽」

九 「では、越天楽を。これは、奥さんと初めて会ったという、イベントの曲ですよね」

堀 「その話は、北海道の図書館とかで探しても、かならずあるエピソードですね。先生が、長い指揮棒を持って指揮している写真が、けっこう出てきます。見たことあります?」 

九 「あります」

堀 「でもこれはね、越天楽というのはようするにその、越天楽ってあるじゃないですか、雅楽の。あれを主題にして、先生のオリジナル部分との、なんか、ロンド形式の曲のようです」

九 「イベントの曲だったと?」

堀 「イベントだった。イベント音楽なんですよ。合唱もある。すごい大編成だったと」

九 「楽譜は残っていないのですか?」

堀 「いや、分からないけど、あると思いますよ。ありますよ、きっと。伊福部先生は、絶対に譜面を捨てないから。先ほども云った、写真があるでしょう? 後ろに合唱が写った、先生がオールバックで長い指揮棒で指揮をしている、あの写真はけっこう有名なんですよ。それで振付が勇崎アイさんということで、まあいろいろやってるうちに、いい仲に(笑)」

九 「うらやましいですな(笑)」

堀 「先生も奥さんも、当時は、ダンディと美人で。翌年、結婚したときに新聞に載ったというのがね(笑)」

九 「聖火祭に結ぶ恋、でしたっけ、どんだけ有名人なんだと(笑)」

堀 「それは当時はやった、天国に結ぶ恋という歌をもじったんです。クラシックの作曲家といっても、いまよりステータスが高かったと思いますね。他に作曲家もいなかった時代だし。早坂さんも注目されていたし、あの2人はやっぱり、当時の北海道の双璧ですよね」

九 「その2人はいまでも、北海道出身の作曲家はたくさんいますが、やはり、双璧でしょうね」

堀 「当時、先生は20代ですからね。ちょっとしたスターですよ」

九 「越天楽はちょっと、復活してほしいですね」

堀 「たぶんスコアはあると思いますよ」


ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲

九 「スコアが見つかると云えば、これはもう、ちょうど堀井さんがアシスタントをしていたころの」 

堀 「そうそう、松隈陽子さんから、いろいろ貴重なお話を聴きました。21歳だったと。それこそほら、松隈さんなんてのは当時のピアノを弾けるお嬢様で、リストなんかもバリバリ弾けるパワフルな人だったと。それで起用されたのではないかと云ってました。レオ・シロタの日本での一番弟子みたいな感じだったと」

九 「私はこの曲が大好きですね。この1楽章のね」

堀 「いや、この曲ね、レコーディングのときに誕生日でしてね(笑)」

九 「あ、そうですか(笑)」

堀 「まあそれはどうでもいいのですが(笑) その、パート譜がね」

九 「パート譜が、見つかったのですね?」

堀 「そう、パート譜が見つかった。パート譜しかなかったんです。スコアが、焼失して完全に無くなっていた。なぜか、パート譜だけがNHKに保管されていた」

九 「なぜでしょうね」

堀 「50年だか、60年経っていたんですよ」

九 「よく出てきましたね」

堀 「で、それを集めて、見せてもらいましたけれども、生のパート譜を、セピア色の、匂いのする(笑) いや、(作品)リストにはあったから、私も気になっていて、先生これはどのような曲で、と聴いたことがあるのですが、先生は最初、渋い顔をして、あーこれね、ハイハイハイ、と(笑)」

九 「ハイハイハイ(笑)」

堀 「一時期、先生はこの曲に関して何も公言していなかったでしょ、土俗的三連画の次は交響譚詩だと云い張っていた」

九 「それはあれですか、この曲に関しては分解して他の曲に使ってしまったから、ですか」

堀 「そう、だから、先生としては、もう触れられたくない曲だったようです」

九 「しかし、そうは云いましても、聴いてみたらぜんぜんいい、聴ける曲じゃないですか」

堀 「そうなんですよ」

九 「それで、実質ピアノ協奏曲とは云っても、交響曲じゃないですか、内容も」

堀 「私もそう思う。これはコンチェルトじゃない。シンフォニーです。コンチェルトだったらもうちょっと全面に出ますよね。2楽章はシベリウス的ですよね。(中間部に)絃のトレモロがあるじゃないですか、(オーボエの次に)フルートが出て、あそこが寒々しくて、ああいうのは北海道の人間じゃないとちょっと分からないかな、と」

九 「そうなんですよ! 伊福部の曲は、本当は道民こそ聴いてほしい」

堀 「フルートのソロが延々とね(笑) ティンパニはロールだけですが(笑)」

九 「札幌(札響)でも聴きましたよ。舘野先生がお元気だったころね」

堀 「映像、持ってますよ」

九 「私も録りました(笑)」

堀 「これはその、話が戻りますけれども、パート譜が見つかってね、どんな曲になるのかなと、レコーディングのときはいちばんワクワクしていました」

九 「スコアは、先生が手書きで起こしたのですか?」

堀 「(先生の弟子の)甲田潤さんが、民俗音楽研究所の職員で、当時(作曲ソフトの)フィナーレをやっていて、甲田さんがパート譜を集めてフィナーレでスコアを作ったんです」

九 「フィナーレなら、きれいなスコアになったのでは?」

堀 「ところがね、パート譜がめちゃくちゃだったそうで(笑)」

九 「(笑)」

堀 「当時これでよくやったと。小節がズレている。先生と甲田さんがいろいろ打ち合わせをして、最低限、そこだけは直したんです」

九 「そのスコアから、またパート譜を作り直して」

堀 「そうです。先生の話だと、当時はやっぱり、リハーサルはめちゃくちゃだったらしいです。先生も若かったので、あんまり真剣にはやってもらえなかったようです(笑)」

九 「でも、3楽章とか、クラスターの部分とかすごいですよね」

堀 「そう、松隈さんが、手が真っ赤っになっちゃったって(笑)」

九 「女の人が弾くにはちょっとキツイかもしれないですね。しかしこの曲は好きですね」

堀 「片山(杜秀)さんが推してましたね。当時日本のコンチェルトで、クラスターとか復調とかをやったということは、歴史的にかなり評価が高いことだと。復調の影響はミヨーでしょう。ポリリズムはストラヴィンスキーでしょうね。いまでこそね、クラスターとか常套ですけど、戦前のね」

九 「それは、伊福部先生はトーンクラスターという技法を知らないで(オリジナルで)使っていた、ということなのでしょうか?」

堀 「その可能性もありますね」

九 「ペンデレツキより前ですよね」

堀 「前か、同じぐらいではないでしょうか。少なくとも、日本では初めてなんですよ」

九 「なぜ、誰も評価しないのでしょうか。私は思うのですが、前衛といっても、前衛的表現と前衛的手法があって、手法ありきの前衛的表現というのはもう終わってると思います。これからは前衛的手法を単なる手段、技術のうちとしてふつうの音楽の中にどうやって組み込んでいくかの工夫といいますか」

堀 「前衛っていうのはね、やった時点で前衛じゃなくなるんですよ」

九 「それはまた、深い言葉ですね(笑)」

堀 「先生はね、前衛をやろうと思ったわけではなく、そういう音が欲しかったから前衛的手法で書いたまでだと思うんですよ」

九 「こういう手法で書いてやろうというのではなく、こういう音が欲しいから、この手法を使ってやろうと。いまは逆ですよね。こういう前衛的手法を使った表現ありきで曲を書いてゆくから。もう、飽きました。つまらないですよ。まあでは、時間もありますので、譚詩に行きましょうか」


交響譚詩

九 「譚詩は、しかし、(エピソードといっても)戦前から有名ですからね」

堀 「これはでも、ビクターのレコードの賞のために書いたのでしょう?」

九 「これを交響曲にしても良かったけど、しなかったという」

堀 「これは、ですから、これも規定の時間があったんですよね。これはね、見たことあるんですよ、このコンクールの募集要項を」

九 「あ、そうですか、すごいですね(笑)」

堀 「ぜんぶ漢字で書いてありましてね(笑) ビクター、大日本帝国なんだかかんだか(笑) 審査員が諸井三郎さんらで、それでね、賞金が高いんですよ!」

九 「いくらなんですか?」

堀 「いまの作曲コンクールって、せいぜい最高100万円くらいじゃないですか、しかし、チェレプニン賞とか(当時)300円、家が一軒買えたみたいなんですよ。芥川さんの交響管弦楽のための音楽で、当時で、10万、もらってるんですよ」

九 「戦後すぐで10万!」

堀 「豪邸一軒買えたって。そんな話をしてもしょうがないのですが(笑) レコード化が前提で、当時はSPでしたから、SPに入る時間で募集した。ぜんぶで15分。それが要綱に書いてある。それで3楽章にできなかったのではないかなあ」

九 「なるほど。それで、譚詩の賞金はいくらだったのですか?」

堀 「2000円だと思いました」

九 「戦前で2000円というと、今でいうと2000万円くらいでしょうか?」

堀 「高額だったのは確かですね」 

九 「1楽章は(珍しく)ソナタ形式ですね」

堀 「そうですね。それでちょっと構成が、頭でっかちですかね」

九 「3楽章にアレグロでも来たら完璧でしたでしょうか。でも、私はこの曲は好きなんですよ。黛先生が、伊福部音楽は対位法を欠如していると書いてますが、対位法らしきもはある」

堀 「ありますね、でも西洋の対位法は無いですね。でも、話は戻りますが、これまでの曲は海外では評価が高かったけれど、日本の評論家からは叩かれたでしょう。しかし、交響譚詩に関しては、誰一人叩かなかったと。その理由というのが、ソナタ形式なんです。ソナタ形式でちゃんと書かれているから、って(笑)」

九 「当時はそういうものなのでしょうね」

堀 「交響譚詩はクラスターもないし、古典的だし、それで評価が高かったのですね」

九 「しかし1楽章は変拍子でなかなか難しいですよ。いきなり5/4拍子が入ってきて」

堀 「そうそう、さいしょとか、アタマのジャンが弱拍というか、5/4なんですけど、4/4のウラ、アウフタクトなんですよね。裏拍なんです。ふつうの人が聴くとよく分からない、5/4に聴こえるという」

九 「タン、タタ、タタ、タタ・ターですね。N響でやった映像がありましたよね。外山さんの指揮が分かりづらかったですね(笑)」

堀 「1、2、3、と予備振って4でトンと入りましたね(笑) あれはやっぱり、アタマで(笑)」

九 「3つと2つで振れば良いのでは?」

堀 「これは指揮者の人によっていろいろ振り方があるんですよ。これを弱拍ととるかで、弱くなっちゃうんですよね。アタマの音で、弱いとね。5/4の振り方で振ったほうがいいと思う。アマチュアオーケストラでもけっこう取り上げられますよ」

九 「ハープが難しいですよね」

堀 「ハープが難しい」

九 「田舎のオケでやるときは、ハープの先生を呼ばなきゃいけない」

堀 「けっこうペダリングが多いですよ」

九 「ライヴ録音で聴くと、ハープがあんまり聴こえない。けど、ヤマカズさんのやった古いスタジオの演奏だと、ハープが大きく入ってるんですよ」

堀 「伊福部先生はね、正直云って、ライヴでやるときは、ハープの書き方が、あまり聴こえないんです。でも、録音のときに面白いのは、いつもエンジニアさんに、ハープ上げてください、ハープ上げてくださいって(笑)」

九 「(笑)」

堀 「伊福部先生の監修のときは必ずハープが大きく入っている(笑)」

九 「しょうがないですね(笑) いやとにかく、私の中では、この曲はハープとティンパニがミソなんです。ティンパニのリムショットがあるんですよ」

堀 「あるある」

九 「あれが録音によってはリムだけの人とか、(皮と)同時打ちの人がいて面白いです」

堀 「これは確かに、アマチュアでもできるサイズだし、レベル的にも。戦前レコードになったせいで、けっこう聴かれたし。レコード買った人がやりたいと云ったり。だから戦前から代表作だった。芥川さんも黛さんも戦前から聴けたというのはこのレコードのお陰だった。当時、(伊福部といえば)これしか無かったから」

九 「そうですよね。大きいですよね」

堀 「昔は3分でSPをひっくり返さなきゃいけないから、1楽章両面1枚、2楽章両面1枚ですね」

九 「あ、そうか、そういう規格なんですね」

堀 「昔は大変でしたよね」

九 「SP復刻の大地の歌とかあるじゃないですか、だから、何枚組なんだと(笑)」

堀 「そうそう、春の祭典とか。しかもガーガー雑音の入る。あんなレコードで勉強していたというのが、すごいですよやっぱり」


吉志舞

九 「これが、吹奏楽のCDで出ましたね、最初に、2枚組の、黒船以来という。あれはでも、吹奏楽関係にはマニアックな曲がたくさん入っていて、とてもいいCDなんですよ」

堀 「あれはいいCDですね、企画がね」

九 「しかし、吉志舞がマッカーサーを出迎えたというのは、本当なんですか?」

堀 「でもね、先生がそうおっしゃってるんですよ」

九 「先生が云ってるのなら、そうなんでしょうか」

堀 「でも自衛隊すじの人の話だと、あれは海軍のための曲だから、厚木の出迎えにはやらないはずだって云うんですけどね」

九 「陸軍が兵士の序楽ですか」

堀 「それは、よく分からないみたいですね、詳細は僕らですら分からないですよ」

九 「これはフランス式の編成で?」

堀 「そう、サクソルンとかビューグルとか入っている。いまの吹奏楽とはちょっとちがう。吉志舞の最初のフレーズはウポポですね」

九 「あ、そうそう、タラタラタッタ〜タ〜ラ〜ですね(笑) それでウポポの後に怪獣大戦争ですね」

堀 「怪獣大戦争が第2主題ですね」

九 「あのテーマは先生のオリジナルですよね」

堀 「あれは、先生はお気に入りでしたね(笑) ドレミファミーソーレーソーってね」

九 「あれは秀逸ですよ(笑) 1回聴いたら忘れられない」

堀 「あれはお気に入りでしたね。あれを発展させたのが、後のロンドインブーレスクですね」

九 「私はその曲は、正直、あまり聴けないですね」

堀 「そうですか」

九 「そもそも、ロンド形式が苦手でして。分からなくなりますね、発展しないですし」

堀 「あれはそれこそ、重くて、最後が、しつこい(笑) ボレロがね(笑) もともと、オケ版というのはSF交響ファンタジーの抱き合わせですしね」

九 「ブーレスク風ロンドですか、吹奏楽の。あっちのほうが(音色的に)聴けます」

堀 「なるほど」


フィリピン/兵士の序楽

九 「兵士の序楽は、この戦前偏の中では私は、いちばんダメですね。いちばん苦手」

堀 「これね。なるほどね。これも奇跡的に楽譜が見つかりましてね」

九 「これもですか、兵士と吉志舞は、楽譜はどこにあったんですか」

堀 「これもNHKにあった」

九 「そうなんですか、これもNHKにあったんですか」

堀 「フィリピンはね、当時初演したヴァイオリニストの遺品の中にあったって」

九 「なんでヴァイオリニストがひとそろい持っていたんでしょう」

堀 「片山さんの想像では、その人が責任ある立場の人で、回収して、たまたまそのままだったと。トランクに60年間鍵がかかっていた。その人が亡くなって、娘さんが開けたら、深井史郎さんの楽譜といっしょに出てきたって。びっくりですね。タイムカプセルですよ。娘さんが、なんだろうこれって捨ててしまったらもうおしまい。協奏風交響曲もそうですよ。NHKがもうパート譜なんかいらないからといって捨ててしまっていたらもう」

九 「フィリピンはピアノを2台も使って、豪勢な曲ですよね」

堀 「そうそう(笑) とにかくね戦後に音になったというだけでもうね」

九 「リストにはあったんですか」

堀 「リストにはあったんです。これ(吉志舞、兵士、フィリピン)はね」


寒帯林

堀 「この曲は甘粕さんに呼ばれて満州へ赴いて、曲を書くためなら満州国のどこへ行っても、何を食べてもいいって」

九 「甘粕大尉に呼ばれたってのが歴史的ですよね(笑) ラストエンペラーの、坂本教授の(笑)」

堀 「そうそう(笑) しかもね、ギャラを2度もらったって話、知ってますか」

九 「知りませんよ(笑) なんですか、それは」

堀 「先生がね、満州国からギャラをもらって、領収書を書かないでいたら、もう1回ギャラを送ってきたんですって。それで、さすがに書こうと思ったら、終戦で、満州国が無くなっちゃったという(笑)」

九 「ヒドイ(笑)」

堀 「けっこうな額のギャラを二度もらって、恐縮だ、とか云って(笑)」

九 「恐縮とかいう問題ではないような(笑)」

堀 「この曲を書くためなら、なんでもしていいって。飛行機にも乗ったって」

九 「これは、何分くらいの曲なんですか?」

堀 「大作だって云ってました」

九 「30分くらいの?」

堀 「何分かは分かりませんが、10分、15分ではなく。かなりの大作だって云ってました。編成はでも、2管なんですけどね。オーケストラのみですね。おそらく」


北日本の民謡による組曲

九 「では、最後の、問題の(笑)」

堀 「これはねえ、ぜんぜん知らない。(民謡の)アレンジものじゃないですかね、これ」

九 「アレンジものではあるでしょうね。N響でやったのだから、それこそN響に楽譜がありませんかね」

堀 「でもオケって、意外と楽譜を捨てちゃいますからね。だって、「釧路湿原」も、パート譜が無いという」

九 「まさか(笑)」

堀 「そうですよ、あれはたかだか10年くらい前ですけどね。スコアからパート譜をおこすオカネも無いので、演奏されない」

九 「にわかには信じられない話ですが……(笑) まあ話がズレましたが」

堀 「組曲の話ですね。しかしよく記事を見つけましたね、新しい本ですよね、本屋でみかけました」

九 「この本(文藝春秋社「N響80年全記録」佐野之彦)にいきなり出てきまして。そりゃ驚きましたよ」

 ※戦後初めてのN響ラジオ放送にて、1945年8月28日、尾高尚忠指揮、尾高自作の「ピアノと管弦楽のための狂詩曲」と、この伊福部の「北日本の民謡による組曲」を放送したという。また、翌月9月14日、15日の戦後初の定期演奏会では、ワーグナーのヴェーセンドンクの5つの歌、ベートーヴェンの英雄に加えて、土俗的三連画が演奏されている。

九 「そもそもこの本の人も、伊福部研究家ではなく、N響研究家ですから、そんな伊福部に関して詳しいというわけではない。前から、N響のラジオ放送のリストにこれがあったのを、伊福部研究家が見逃していただけだと思うんです」

堀 「まあ、N響は伊福部先生はやらないから、見逃していたのでしょう」

九 「当時はやっていたということですね」

堀 「当時は、他にオケも無かったですし(笑)」

九 「いやそれで(N響が)伊福部をやらないという話で、この本のエピローグで著者が外山雄三の言葉を引用しているのですが、現在のN響は確かに技術的には世界的にも一流で、どんな現代音楽でも、技術的に難しくてできませんという曲はおそらく無い。しかし、アルルの女とか、くるみ割り人形をやらせたら、こんな下手くそなオケも珍しい、と。ガチガチで。伊福部はカラーが合わないというか、できないのだと思います」

堀 「日本のオケはたいていそうですよ。やっぱり、どこかアレなんです、なんというか、繊細な曲をやりすぎている」

九 「武満のやりすぎなんでしょうか(笑) 札響も、武満はうまいんですけど、伊福部は、なんというか、アンサンブルが合わない」

堀 「そうそう、逆に、難しいのでしょうね、ちがう意味で」

 ※その後の調査で、「北日本の民謡による組曲」は「土俗的三連画」を、タイトルを変えて演奏したようであることが判明した。GHQの統制を恐れてのことと推察される。


戦中ものを総括して

堀 「ここらへんの、吉志舞から寒帯林というのは、その、当時の軍からの委嘱ですから、先生としてはやはり複雑なのでしょうね。やはりその、半強制的に書かされたという面もあって、先生としては不本意な部分もあったとのではないかと。他にも、軍から書かされたというのは、苫小牧航空隊隊歌とか、けっこう書かされたようです」

九 「そういう意味では、音楽的には、ワンランク落ちますよね」

堀 「落ちますね」

九 「まあ、面白い音楽ではありますが。いまとなっては」

堀 「フィリピンなんかは、ピアノも2台あって3管編成でいちばん豪華。ちゃんと日比谷公会堂で初演されたと。これはまあ荒いけれども、突出してできていると思います」

九 「これは(CDの)解説にもありましたが、内務省の情報局から、フィリピンはアメリカ統治だったからきっとうまいオケもあるという話を真に受けて書いたら、現地では人数もそろわなかったという(笑)」

堀 「そうそう(笑) けっきょく現地では演奏できなかった」

九 「あの曲はピアノが本当に2台、必要なんですか(笑)」

堀 「いやー(笑)」

九 「(卒寿記念の演奏会場で)ピアノが2台も並んでいるから、どんなドッペルコンチェルトで、さぞかしすごいピアノかと思いましたら、なんか、その(笑)」

堀 「当時はその、祝典序曲というか、豪華な感じということで、書いたと。祝典なんですけど戦争中でもあるし、短調なんですよね、暗いんですよ。で、これも60年ぶりに音になると言うことで話題になったのだけど、スコアを見せてもらいましたが、音としてやっぱり、聴いてみたというのはありましたね」

九 「意義深いですよね。やっぱり。こういうのが復活するのは。音楽的にどうのと云いましても。こういうのが無かったら、戦前の伊福部音楽は、ピアノ組曲、日本狂詩曲、土俗的三連画、交響譚詩と、4曲しかないですよ」

堀 「最初はそうだったんですけどね。最近になってからですよね、こうやってたくさん発見されてきたのは」

九 「90年代になってからでしょうね」

堀 「因縁めいていますよね」

九 「いやもう、伊福部が復活するようにと(八百万の)神様の、アレですよ。こんな作曲家はいないですよ。当時の作曲家で。こんな楽譜が発見されるという」

堀 「いないでしょうね。まあ、探した人も探した人ですよね。協奏風交響曲は、東京音大の最初の弟子の永瀬さんという方が、ヴァイオリン協奏曲の楽譜を探していたら、そのヴァイオリン協奏曲の横に、イフクベの I のところに、あったんですよ」

九 「それもまた、すごい話ですね。先生も、驚いたでしょうね。これを見つけてしまったか、君は、という(笑)」

堀 「先生としてはだから、協奏風は完全に燃えて無くなったものだと思ったので、スケッチは残してあったので、他の曲に使ったと」

九 「それが出てきたのだから、先生も気まずかったでしょうね(笑)」

堀 「気まずかった(笑) 云ってましたよ、気まずかったって。参ったな、って。先生としてはだから、ためらっていたんですよね」

九 「でも、いい曲ですよね」

堀 「でも、リトミカを聴いてしまった後はね、どっちがいいかと云われたら」

九 「リトミカと比べましたら、さすがに」

堀 「完成度から云うと、作曲家としては、どうも」

九 「でも、そういう(比べるような)レベルではなく、この時代の作品として、面白いという」

堀 「面白い。書法からすると、でも、かなり粗削りな部分がある。突然、モティーフが変わったりして。ちょっと、先生としては粗削り的な部分が感じられる。ある意味、特殊な位置づけですよね。洗練されているものではないです」

九 「荒々しいというか」

堀 「荒々しいです。曲が荒々しいというのではなく、書法が荒々しい」

九 「ガタガタしていますね」

堀 「ガタガタしている。形式もよく分からない。他の曲(土俗的など)が洗練されているから、よけい目立つ」

九 「ただ単に、推敲する時間がなかったのでは?」

堀 「それもあると思います。先生にしてはイライラを感じますね」

九 「後で直そうと思っている内に、無くなってしまって、まあいいやという。だからか、ちょっと長いんですよね」

堀 「長いですね。30分くらいありますね」

九 「ちょっとコンサートの真ん中に奥には、弾きづらい曲でしょうか」

堀 「フィリピンにゴツさが近いですね」

九 「同じ、ピアノものですしね」

堀 「そう、ピアノの使い方も、ピアノ組曲に通じてきますが、西洋音楽のピアノの使い方とぜんぜんちがう」

九 「ピアノを打楽器として使っているということでしょうね。ストラヴィンスキーとかバルトークから勉強したのでしょう。メカニックというか、ちょっと、ヨーロッパのピアニズムとはちがう。あえて狙って書いたのでしょう」

堀 「変拍子もすごく多いし。なかなか通して弾ける人がいない。戦後はまだ、いろいろな音楽を聴いた後ですから。初演が」

九 「松隈さんが(笑) なんですか、先生、コレ、って(笑)」

堀 「そうそう(笑)」

九 「では、そろそろ、時間が。第2回はこれで終わりましょう」

堀 「第3回は戦後編ですか。タプカーラからですか?」

九 「戦後すぐに、歌曲が」

堀 「歌曲ですか。先生の歌曲の話は重要なので、ぜひやりましょう」

九 「45年〜50年代編ということで近い内に」


 以上



 前のページ

 伊福部昭のページ

 後の祭