第3回 「管弦楽法とヴァイオリン協奏曲集」


 聴き手 九鬼 蛍(以下「九」という。)
 語り手 堀井友徳(以下「堀」という。)

 日時 2008年6月14日午後5時ころ
 場所 北海道某所


九 「半年ぶりのインタビューですが、本来は伊福部作品戦後編の1をやる予定でしたが、急遽、企画を変更しまして、両方とも堀井さんの携わった、管絃楽法とミッテンヴァルトのピアノ版ヴァイオリン協奏曲のCDをやることになりました。では、管絃楽法の新版が出ることになった経緯とか、ありましたら」

堀 「2003年くらいに、旧版の管絃楽法が絶版になってしまったというのですね。昔の活版印刷のころの原版ですから、原本が薄くなってきたり、あと、旧漢字や昔の言葉づかいで書かれていましたから、読みづらいという声があった。それでそろそろ、新しい管絃楽法があっても良いのではないかという事になったのですが、現実はなかなか難しかった。それで2003年に、古いほうを絶版にして、新しい管絃楽法を作ろうということになったのではないか、と思います。絶版の前に話が出ていたのかもしれませんが、そこまでは分からないです。で、2003年ころにイデア(編集)の林さんという方から、お話は頂いていました。こんど出すことにしたから、協力してくれ、という。ですから私は、この編集委員会の中では、かなり初期から加わっていたメンバーなのです」

九 「具体的には、どのような作業をしたのですか」

堀 「具体的には、協力者の方々とイデアの事務所に集まって、文字打ちから始めました。古い漢字を新しいものに直して、直したものを全てワードで打ち直しました。分担作業で。それでチェックをまた分担でやりました」

九 「作業はどのくらいかかったのですか」

堀 「2003年から初めて、作業自体は早く終わりました。出るまでに時間がかかってしまいましたが、出て良かった。上下巻を合本にするというのは、最初からありました。けっこうな厚さになるかと思いましたが、思っていたよりそうでも無かったです。百科事典くらいになって、大きさもちょうど良かったです。旧版はもっと厚くて小さいですね。それで少しこう、読みにくいという。2003年に一気に廃刊になってしまったから、若い作曲家が困ってしまった。今年、1年生になった作曲科の学生はラッキーですね」

九 「ちょっと学生には高いですが、大学の教科書としては、妥当でしょうか」

堀 「みなさん苦労して作業をしたので、出て良かったですね」

九 「打楽器の項の一部を読みましたが、非常に面白い。奏者としては、体感的に分かっているものが、どうしてそうなるのかが書いてあります。例えばティンパニは、音域のあまり高い部分は、音としては出るのだけど、響かない。それは体験として知ってはいるが、その理屈が書いてあるという」

堀 「そうですね、普通の管弦楽法の本には書いてない部分です。音響学的にとか、物理学的に説明が書いてある。絃楽器だって、絃の圧力がどうのこうのとあって、とても詳しい」

九 「(楽器や作曲を)やらない人が読むと、ちょっと分からないかもしれませんね」

堀 「それはありますね。で、この本はですから、ちょっと余計な説明が多いという人もいます(笑) 吉松隆さんが書いていたのかな、自分の必要な、読みたい所までたどり着くのがたいへんだ、と(笑) あと、イタリア語で楽器名などを書いてある。これも伊福部先生の特徴ですね。先生は、これにはすごいこだわりをもっていた。あと、絃の字ですね。戦後の漢字統一で、弦に統一されてしまったが、それは武器の弓の弦のほうで、楽器の絃は糸偏ですね。先ほど云いましたが、新版にする際、旧漢字を全て直しましょうという時に、この絃だけは直さなかったのです」

九 「イタリア語というのは、どのようなこだわりがあったのですか?」

堀 「英語で書くと、非英語圏でなかなか演奏されない、フランス語で書くと、例えばドイツではなかなか演奏してもらえない、そういうのが、むかし、先生がチェレプニンに習ったころ、あったようなのです。イタリア語だと(音楽の共通語だから)大丈夫だという。いまは、英語で全て大丈夫です。先生は頑固でしたから(笑) ですから、トランペットを調べようと思っても、目次に無いんです、トランペット。トロンバとか、書いてある(笑) しかし、イタリア語を直そうというのは、先生は譲らなかったですね。しかし漢字を直しただけで、かなり読みやすくなりました。とっつきやすいというか」

九 「中身は、さすがにやや古いのですか?」

堀 「そうですね、当時の復刻ですから、中身は当時のままです。ですから、現代奏法があまり載っていないので、非難する人もおりますが、それは、現代奏法の本を読めばいい。とにかく、出るまでに時間がかかりましたので、本当に感無量というか、自分にとっても今年の最大のトピックですね」

九 「では、堀井さんの個人的な見解で、この本の魅力というはありますか?」

堀 「魅力は一杯ありますが、やはり、池辺先生も書かれているように、これほど各楽器の詳細について書かれた本は、他には無いですね」

九 「管弦楽法、という名の本というのは、世の中にどれくらいあるのですか?」

堀 「ベルリオーズのものをリヒャルト・シュトラウスが改訂したものが有名ですね。あと、ウォルター・ピストンというアメリカの作曲家のものと、ゴードン・ヤコブという人が書いた薄い本があります。両方とも和訳されていますが、読みやすいです。ピストン、ヤコブ、そして伊福部が、管弦楽法名著御三家と云われています」

九 「ほう! で、その中で、日本の伊福部のものが、いちばん詳しいのですか」

堀 「詳しい。ピストンも詳しくないというわけではないのですが、趣旨がちがいます。ベルリオーズのものは、オーケストラの為のアナリーゼみたいな本なんです。ピストンというのは、もっと実用的な、ピアノ曲をどのようにオーケストレーションするかとか、逆にオーケストラをどのようにピアノにするか、とかが、形容詞的に書いてある。伊福部先生の本は、(そういう形容詞的表現が)無いでしょう。もっと科学的に、これとこれを合わせるとこういう効果が生じてよく響く、というように書いてある。ヤコブのものは、著者の主観が強いですね。薄い本ですよ。形容句よりも、物理的な理由付で書いてあるのが、伊福部先生の特徴です」

九 「そういう、物理的に書いてあることで、作曲家が受けるメリットというのは、あるのでしょうか?」

堀 「それは、物理的に書いてあるということは、著者の好みとか主観が入っていないわけですから、音響はこうです、という客観的な事実ですから、例えばそうですね、オーボエは鼻にかかったような音で、あまり良くない、著者は好きではない、とかもし書いてしまったら、知らないで読んだ人は、ああ良くないんだと思ってしまうでしょう。しかしこの本には、そういうことは書いていない。ここはこうだから、音響的に響きにくいので、避けたほうがいい、というふうに書いてあるでしょう。また、上巻が、楽器の説明ですが、下巻の部分が、あの本の最大の特徴ですね。ほとんど音響物理学ですね」

九 「下巻というのはどこからですか?」

堀 「下巻はですね、この第3編の『管絃楽の共同効果』からですね。作曲科の学生がもっているのはほとんど上巻ですね。上巻のほうが実用的ですから。下巻は、読み物ですね、どちらかというと。本当にもう、物理学の理論書です。私なんかも、正直辛いなあ、という(笑)」

九 「私などはチンプンカンプンですよ(笑)」

堀 「ある学者さんがいうには、これはもう、壮大な論文だと。ただの読み物とかではなく」

九 「管絃楽論、ですよね」

堀 「下巻の内容というのが、昭和28年に出た上巻の延長で書かれています。昭和43年に上巻に補遺(捕捉)をつけて、改訂版という形にして、下巻といっしょに出しました。15年かかって下巻を書いてます。それがやっと合本という形でリンクしました」

九 「譜例もマニアックですね」

堀 「そうですね、譜例も特徴のひとつです。昭和28年当時にしては、というか今でも、かなりモダンな作品が多いですね」

九 「英訳とかの話は無いのですか?」

堀 「英訳はされてほしいですね。しかしこれだけの量ですし、難しいでしょう。そういうインターナショナルな内容の本が日本で書かれたということに意義があると石丸(基司)さんも新聞に書かれていましたね。しかしこれは、私が学生のころ出してほしかった!」

九 「しかし、学生にはかなり難しいのでは?」

堀 「確かに、それは(笑) 先生に当時云いましたからね、これは読みにくいです、って。ですが、これくらい読めないと作曲家になんかなれないよ、とからかわれてました(笑) さらに、これを書いたのは、芸大の先生になったころで、しょせん北大の林学出の素人が書いたという風評もあったらしいんですよ。そういうのに、その、対抗した気持ちもあったようです。そして当時先生は30代でしょう? 30代の、北大の林学出の人が書いた本が、これですから。やっかみみたいなものもあったのでしょう。今見ても、凄いですよ。30代でこれだけのものが書けるのは」

九 「私が思うに、伊福部先生は理学部の卒業なので、逆に書けたという部分もあったのではないでしょうか」

堀 「それは云われています。音楽専門の人に、逆にこれは書けません」

九 「視点がちがうのでしょうね」

堀 「視点がちがう。それも魅力ですね」

九 「つくづく、伊福部昭というのは天才だと痛感する次第ですが、作曲家としては、モーツァルトやショスタコーヴィチのような鬼才タイプとは異なりますね」

堀 「異なります。伊福部昭は作曲家としては不器用なタイプの作曲家です。器用な人は、こんな本は書けません。15年も粘って、このような。最初は、自分で勉強用として、控えとしてとっておいたメモやノートの寄せ集めなんだそうですね。下巻は最初から研究して書かれましたが、上巻の初めのほうは、自分用として書いていた」

九 「誰がそれを本にしようと云ったのでしょうか?」

堀 「当時の音楽之友社らしいです。また、最初に、本を献呈している王さんという方が、載ってますでしょう? あの人は、当時芸大で先生が教えていた留学生の方だったのですが、その人が、本なんて書いた側から古くなるものなのだから、そんなものにエネルギーを費やすのは止めなさい、って云ったというのですが、内容を見たら、意見が変わり、これは素晴らしい内容だからぜひ書きなさい、と云った。その王さんと先生はけっこう親しかったらしく、尾山台の家も王さんの紹介だったと」

 ※管絃楽法冒頭に「畏友 王 可之に捧ぐ」とある。

九 「そうですか。しかし、モダンですね、当時、中国はできたばかりで日本と国交も無かったのに、日本に留学してくるなんて」

堀 「しかし、(中国に戻って後)王さんは文革のときに自殺されたということです」

九 「なんと……」

堀 「王さんはとてもまじめな方で、よく世話になったらしく、この本も王さんの後押しがあってできたので、それで王さんに捧ぐということになったようです」

九 「古き良き、中国の良識的知識人ですね。いまはもうぜんぜん残っていません。ではまあ、話は尽きないですけれども、次にミッテンヴァルトの、ピアノ版ヴァイオリン協奏曲のCDのほうに」


堀 「そうですね、こちらのほうが、私はよく係わっています。協奏曲集の録音の経緯は、(ブックレットの)中身にも書いていますが、先生が亡くなったあと、ミッテンでは、もうひとつ何か先生のCDを出したいねということになり、私が、それでは、ヴァイオリン協奏曲のピアノ版しか無いじゃないですかと云ったら、すんなり企画が通ったんです。以前から話はあったのですが、理由があって頓挫していた。それで先生の追悼盤ということで、話がまた持ち上がったのです」

九 「そもそも、ピアノ伴奏版ができた経緯というのは分かりますか?」

堀 「できた経緯は分かりません。1番は、全音で出版するという前提で、先生が最初からリダクションされた。晩年のお仕事です。2番は、作曲当時に、練習用として作ったものです。実は1番も練習用はありましたが、パーカッションとかが書いてなかった。出版された1番には、打楽器とかも書いてある。音楽祭で藤田さんがやったのは、それへさらに少しティンパニとかをご自身で加えたものです。2番に関しては、私もミスチェックを手伝っています。2001年くらいかな? 先生もこれらは音があるといいね、とおっしゃっていた」

九 「では、オケ版と比べて、ピアノ版の魅力はなんでしょうか」

堀 「魅力というか、話は少し飛びますが、けっこう好意的に受け取られまして、演奏が良いというのもあるのですが、何回も聴いていると、伴奏がピアノでも違和感なく聴こえてくる」

九 「別個の作品として魅力があるということですね。その魅力というのが、聴き手の立場からすると漠然としたものなのですが、作曲家の立場として、こうだからこう魅力がある、という論理的なものはありますか」

堀 「そうですね、オケ版だとこう、複数の楽器が集まって、ハーモニーとかを出すわけですが、ピアノだとリダクション、つまり縮小されて、逆にストレートに素材が伝わると云うのがあるかもしれないです。発売が2年も遅れたというのは、残念でした。本当は追悼盤の予定でしたが」

九 「演奏が、やや力みすぎという声もありますが、それについては」

堀 「そうですね、ちょっと力が入っています。それが魅力でもあり、欠点でもあるかもしれません。気合が入りすぎて、(ヴァイオリンの)佐藤さんのG線が切れてしまいました。でも、お2人とも一所懸命演奏してくださった」

九 「2番は録音が少なく、ピアノ版とはいえスタジオ録音というのが貴重ですね」

堀 「2番はレアですよ。みんな(ピアノ版の)2番は初めて聴いたと思います。1番(のピアノ版)はけっこう公開演奏されていますが、CDとしては初めてです。2番はたぶん、(ピアノ版は)誰も演奏したことがないと思います。小林武史さんは、練習では弾かれていましたが。ただ公開ではやってないはずです」

九 「録音の苦労話とかはありますか」

堀 「特に苦労はありませんでした。非常にスムースに行きました。が、録音時間が短かったのがたいへんでした。5時間しか無かった」

九 「5時間というのは短いのですか?」

堀 「短いです。普通は、余裕もって2日間で、10時間以内くらいでやります。もうちょっと時間があれば、もっと詰められたと思います。編集も私がやりました。秋まで出すというので急いでやったのですが、2年かかってしまった(笑) 追悼盤にはもう遅いので、ミッテン10周年記念盤にしました。早く伊福部ファンのみなさんに聴いていただきたくて、うずうずしていました。解説も10周年記念ということで厚いです。管絃楽の絃の字がちがうこととか、ラヴェルのことも書きました。この(後にゴジラに使われる)テーマがラヴェルの(ピアノ協奏曲の)パクリだという人がいて、それはちがうんだよ、ということで。直前にラシド、ラシド、という音形が出てきて、単なるその反行形でドシラ、ドシラになっただけなのです。確かに似ていますが(笑) ラヴェルの引用ではないですよ。1番と2番では書法も大きくちがう。書いた時期がちょうど30年ちがう。これは私も先生に直接云ったのですが、1番と2番では2番のほうが渋いですよね、と云ったら、それはさすがに、30年も生きたら、人生経験も色々と辛いこともあるから、渋くもなるよ、とおっしゃって。先生ご自身としては、後になって書かれたほうが経験もあって書かれているから、2番のほうが自信を持たれていたようです。1番も何回も改訂して苦労されているからそれはそれで思い入れはあったようですが、2番は、なかなか演奏もされないので、残念がっていました。あと演奏されないというのはこれが長い、単一楽章だというのもあった。単一楽章だと、切れないでしょう。1番は1楽章だけの演奏とかも可能ですが、2番はできない」

九 「キングのシリーズで、コンチェルトで残っているのは、2番、リトミカ、ラウダですね」

堀 「そうですね。コンチェルトの録音はソリストのスケジュールとかギャラの関係で難しいようです。あと1番と2番が1枚で入っているのは、これが初めてです。九鬼さんは、1番と2番のどちらがお好きですか」

九 「どちらが好きかというと難しいですが、さいしょ、2番は渋すぎてよく分かりませんでしたが」

堀 「私も最初は難しかった」

九 「しかし、こうして聴きこむと断然2番ですね」

堀 「そうですね、私も2番です。先生も喜ぶと思いますよ」

九 「先生のコンチェルトでは、2番、ラウダ、リトミカが最高ですね」

堀 「そうですね、私もそう思います」

九 「エグログがちょっと分かりづらいです」

堀 「そうですか、エグログは、先生のコンチェルトの中では、最後のほうなんですよね。あれは先生の作品の中ではそれまでに無かったタイプで、叙情的、センチメンタルで、メロディー中心にしている。メロドラマなんかに出てきそうで、その時期の作風の影響を受けたのが私なんですが(笑)」

九 「(笑)」

堀 「あの作品以降、先生の作品はリリカル路線になってゆく。野坂さんのための箏の作品とか。私がだからその辺の世代で、影響を受けているんです」

九 「構成面より抒情面が優先なのですか。エグログは、ラプソディックというか、伊福部的な色が少なくてちょっと難しくて聴きづらいのです」

堀 「土俗的な色がありませんからね。なるほどね」

九 「最後に、このふたつ、管絃楽法とミッテンのピアノ版ヴァイオリン協奏曲CDについてまとめを」

堀 「ふたつとも時間がかかってしまったので、本当に安堵したというか、肩の荷がようやく下りたという想いで一杯です。本当に安心しました」


 以上



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