第8回 「キングレコードの伊福部昭作品集について」

 聴き手 九鬼 蛍(以下「九」という。) 
 語り手 堀井友徳(以下「堀」という。)

 日時 2009年12月20日午後3時半ころ 
 場所 北海道某所


 九「企画の最初は、どのような経緯だったのでしょうか?」
 
 堀「それは分かりません。キングのプロデューサーの松下さんのほうで録音したい曲目も決まっていました。あのシリーズは売れました。タワーレコードでも先生のイベントをしたり、凄い盛り上がっていました。1枚につき2万枚くらい売れまして、4枚とも売れました。クラシックのCDでそれだけ売れたのは珍しいでしょう。1〜4までは、私はお手伝いとかではなく、先生にこういうレコーディングがあるから、勉強になるから来なさいと云われまして。初日だけは、当時の学生が全員見学に行きました。初日に日本狂詩曲をやるというので、編成も大きいし、珍しいからと。基本的に1日1曲のペースでした。交響譚詩と(土俗的)三連画は短いので、2曲を1日で録りましたが。だいたい午後1時に始まって、5時くらいに終わる。予算の関係もありましたけど。4日続けてやって、2〜3日休みを取って、また4日くらいやる。そういうサイクルでした」

 九「曲目は、1枚目が初期三連作ということで、日本狂詩曲、土俗的三連画、交響譚詩。2枚目が日本組曲とタプカーラ交響曲。3枚目がサロメと兵士の序楽。4枚目がSF交響ファンタジーとロンドインブーレスケです」

 堀「先ほど云いました様に、基本、1日1曲ですから、1枚目で2日、2枚目は組曲とタプカーラで2日とりました。サロメに1日とって、そこでちょっとスケジュールに狂いが生じまして、兵士の序楽を1日でやりました。序楽は短い曲ですから、本当は1日も必要なかったんですけどね。SFとロンドは1日でやって大変でした。オケのスケジュールの都合で真夏にやりまして、とにかく暑かった記憶があります」

 九「兵士の序楽は当時、新発見でしたっけ?」

 堀「そうです。吉志舞と。その後、協奏風交響曲が出てきて、フィリピン(に贈る祝典序曲)が出てきました。序楽は当時としてはレアでしたね。とにかく凄い企画ですよ。丁寧に録ってます。先生もお元気でした。また、これは最初のシリーズはぜんぶアナログ録音なんです。オープンリールで録りました。100%アナログです。次からデジタルになりました。6と7はHDDレコーダーで録りました。ちゃんとアナログを録れるキングのベテランの、いまはもう退職されたエンジニアの方がついてくれまして。先生もこの録音は喜んでいました。必聴のシリーズですね」

 九「それでは、曲目ごとに何かエピソードがありましたらお願いします」

 堀「はい。では、日本狂詩曲は先生がオリジナルの打楽器、拍板とか持ってきて、それを使いました。くわしくは解説に書いてありますが……独特の音がします。日本狂詩曲は以前にもセッション録音はけっこうあって、ヤマカズさんのものとか、(発売はされてなかったけど)若杉さんのものとかがありましたけども。重要なのは、テンポです。日本狂詩曲のアレグロは、ペザンテって書いてあるんです。2楽章のクライマックスのところも、速くしてとは書いてません。たいていの録音は速くなっています。先生が想像している、先生の頭の中で鳴っている音楽はそうとうゆっくりなんですね。いちばんテンポが正確だと先生が云っていたのは、ナクソスの沼尻盤です。あれが自分の理想に近い。あれはゆっくりで、テンポが良いと」

 九「ヤマカズさんの90年の録音がありますでしょう? ライヴの。あの演奏が私は最も好きなんです。あれも2楽章は遅いですね。あれはいいです」
 
 堀「あれはいいですね。ヤマカスさんは基本的にアッチェレでバーニングしちゃいますが、あれは良いです。広上さんの録音はハープとかもピックアップしてちゃんと聴こえるので、それが面白いねと云ってましたよ。例のハープ上げて、ハープ上げて、がここでもありまして(笑) 先生、ハープちゃんと聴こえてますよ、と云っても、いや、聴こえないなあ、とか(笑) 土俗と譚詩は何事も無く、スムースに録り終わりました」
 
 九「次が、日本組曲ですね」

 堀「日本組曲もテンポが大変だった。盆踊りはアレグロって書いてますので、広上さんがアレグロで勢い良く振ったら先生がちがう、と。速いって云うんです。それで先生が振ったらオケが吹き出しちゃった(笑) 遅すぎて。アレグロをダンダンダン・ダカダッタ、とすると、ダアン、ダアン、ダアン……て(笑) ペザンテくらいなんです。広上さんはけっこう速くなるタイプなので、それでけっきょくあのテンポに調整されました。流石に先生の指定するテンポは遅すぎじゃないかという事で。もう倍ほどのテンポなんです。佞武多もテンポが遅かったですね。あと、広上さんは伊福部先生の曲の中では、七夕や交響譚詩の2楽章とか、静かな音楽がいちばん好きだと云ってましたよ」

 九「舘野さんもアンコールで七夕をよく演奏していたとか。CDにもなりましたが」

 堀「七夕はけっこう褒められてますね。先生はテンポをメトロノームではなくストップウォッチで決めてましたから、適当というと語弊がありますが、けっこう違うんですよ」

 九「楽譜に書いてあることが全てではない、という良い事例でしょうか。タプカーラ(交響曲)はどうでしたか」

 堀「タプカーラは、やはり1楽章の出だしが速いって先生がおっしゃって。出だしって、アレグロじゃなくってレントのところですよ。レントのところで既に速いと。もっともっとおおらかに、雄大な感じで、という事です。3楽章では主題の4拍目を意識して強くしてほしいというのが初めて云われました。解説にもありますけど、それは楽譜には書いてないのですが、フィーリングとしてはそうなんだと。タプカーラは前回(のインタビュー)でもやりましたけど、ライヴでもたくさん録音がありますし、参考演奏もありました。日本組曲は、当時は珍しかったです。3番目くらいの録音ですね。セッションは初めてでした」

 九「次がサロメですね。サロメも当時は珍しかったですね」

 堀「サロメも3番目だと思います。セッションでは初めて。初演のヤマカズさんの演奏が凄くて、あれほどは出せないにしてもセッションで細かくやるというのが良かった。トラックが細かいでしょう。あれで構造がよく分かります。スコアを細かく表現するのでは、セッションの方が良いと思います。あれは長い曲でしたから、録音が大変でした。最後、サロメが死ぬところで戯曲とストーリーが違います。これも解説に書いてますね。本当はサロメが押しつぶされて死んだ後、月光が降り注いで静かに終わるんですが、音楽的に盛り上がらないというので、一気に終わっています」

 九「兵士の序楽というのは、好きな人は好きなんでしょうが、ちょっと失礼ながらイマイチな音楽で(笑)」

 堀「先生もなんか演奏されたかどうだったか覚えてないとか書いてましたね。やっぱり軍隊関係は複雑だったようです。あれはNHKからひょこって出てきたんです。後でモティーフは特撮ものとかに使われていました。あれはすぐ(録音が)終わりましたね。スコアに練習番号が無くって、それは大変でしたけど(笑) いったん止めてから、指示を出して再開するのに最初から小節を数えて。資料的価値は高いです。やっぱり資料として、音にしてみないと」

 九「4枚目がSF(交響ファンタジー)ですね」

 堀「このときは、ジャケット(裏)の撮影用にゴジラが来たんですよ。これが一番売れました。これが売れて、宣言になったんです。やっぱりみんな特撮が好きですから。タワーレコードでイベントをして、先生がサインをしまして。100人くらい来ましたよ。当時、先生も若かったですから。宣言も凄くて、熱気がありました。5番目のコンチェルトは、あまり売れなかったらしいんですけども」

 九「5番目のコンチェルトは1枚だけでしたし、インパクトが無かったでしょうか。SFは80年代に編曲されて、その時にロンド(インブーレスケ)は吹奏楽からオケになったんですね。ロンドに使われた主題というのは、どうしてSFには入らなかったのでしょう?」

 堀「ロンドは、レコーディングのときは本物の櫓太鼓が来ましたよ。主題がSFに使われなかったのは、それはロンドとかぶるからですよ。ロンドが先にもう既にあって、それからSFですから。それは意図的なものです。SFはけっこうサクサク進んで、オケの人たちもビデオ見たりして予習してきて(笑) たしか、 1、3、2の順番で録りました。1でみんなまずは盛り上げようと(笑) 1はいいですね、ゴジラですから。3は地球防衛軍がありますね。2は地味ですが、いい曲です。2番と3番はなかなか演奏されませんね。やっぱりゴジラが無いとダメでしょうか。しかしいっぺんにやるのはちょっとキツイですね。しかし、あれは良くやりましたよ。1、2、3を1日でしましたから」

 九「そして、2年後に(ピアノと管絃楽のための)協奏風交響曲と(ヴァイオリンと管絃楽のための)協奏風狂詩曲ですね。これは、どっちも協奏風なんですね(笑)」

 堀「そうですね(笑) あれは交響曲のほうは、発見自体はだいぶ前から発見はされていたんですが、その、渋る先生を説得するのに。コンチェルトはお金がかかる上にソリストのスケジュールの都合もあって、これは指揮者も違うでしょう、スケジュールが合わなくて、この2曲を録るだけで大変でした。狂詩曲はジプシーヴァイオリン的な独特のテクニックがちょっと難しいです。セッション的には、わりとスムーズにいきましたけど。狂詩曲はよく演奏されますね。交響曲のほうはなかなかされません。初演当時は松隈陽子さんがよくやりましたよ。リハーサルのときは国民服を来て、防空頭巾を持参してやったという時代です。
 
 しかも松隈さんが20歳ですからね! 1940年代の日本の20歳のお姉さんがこの曲を初演したんですから。当初は違う人がする予定だったのが、急遽松隈さんになったという事です。シロタの弟子で、リストとかばんばん弾く、当時は日本でも珍しい人だったので白羽の矢が立ったのでしょう。当時、先生はといえば27歳で、びしっときめて蝶ネクタイして、二人で写っている写真を見たことありますけど、当時からタバコもって構えているんですよ(笑) このとき、日比谷公会堂に上京したんです。松隈さんはこの録音をするという電話が来たとき、流石に忘れていたそうです。60年前の話ですから。話を聞いて思い出して、録音当日ホールに来てくれたんです。聴いているうちに、こんな曲だったですかねー、というような感じで、だんだん思い出していった。当時、伊福部さんという若い人の曲をやったという程度しか覚えていなかった」

 九「女性が弾いたというのが凄いですね」

 堀「そうですね、それも20歳で。それで初演されて、楽譜が戦争で燃えちゃったと思っていたら、パート譜だけ出てきた。奇跡です。当時はコピーも無いし、総譜が無くなったらおしまいです。早坂さんの左方の舞と右方の舞、それに渡辺さんの野人といっしょに初演されたんです。民族派ばかりで。伊福部先生がトリだった。しかし、コンチェルトは録音が難しい。けっきょく、重要な3曲が残ってしまった。リトミカ(オスティナータ)とラウダ(コンチェルタータ)とヴァイオリン(協奏曲)の2番です。あの時、録音できていたらと今でも思います」

 九「6と7はどうでしょうか」

 堀「6と7は、5が97年で次が03年ですから、ちょっと間があきました。先生は流石に体力的に弱くなられたので、私が全面的にお手伝いしました。久しぶりに松下さんから電話が来まして、わんぱく王子(の大蛇退治)をやるからと。アルバムタイトルも私がつけましたよ。「幻」ってやつ。「亜」は松下さんがつけましたが。わんぱく王子のカップリングに何をするかという話で、さいしょは釧路湿原という事だったんですが、楽譜が総譜しか無くなっていまして、予算の関係でパート譜を作れなくってボツになりました。三菱未来館の組曲はどうかと思いまして、私が提案したんですが、先生が2曲分をやる体力が無いということで先生に反対されてダメになりました。だったらセールス的にもやっぱりゴジラだという事になりまして、喜寿記念のCDに入っているゴジラVSキングギドラの組曲を持ってきました。あれは譜面もありましたし。で、映画音楽で1枚作りました。SFに比べると流石に構成が大雑把ですが、スコアを見ますと、全部のテーマにリピートがついてましたので、全部リピートしました。ですからフルサイズ初演ですね」

 九「2枚やるというのは決まっていたんですか?」

 堀「決まっていました。1枚は映画音楽、残りの純音楽で、フィリピンをやるというのは決まっていた。前年に見つかっていたんですが、あれも凄いですよね。当時演奏したヴァイオリン奏者の鞄の中からスコアとパート譜の両方が出てきた。本当にタイムカプセルですね。1回も開けられていなかったというのですから。フィリピンは3管に2台ピアノで、大作ですよ。時間的には短いですが、序曲なんですね。管絃楽序曲という名前がついていましたが、先生が今ではちょっと変だというので、祝典序曲に改題されました。あれは、音になった瞬間は感動しましたね。60年ぶりですし。初日にやりまして、レコーディング自体はすぐできました。で、残りは何にしようかと。日本の太鼓をサロメのときに録り損ねていまして、その時にバレーつながりでいっしょにやろうという案もあったのですが、時間的にも納まらないのでボツになっていたんです」

 九「バレー音楽でまともにステージ演奏会に乗せられるのは、サロメと日本の太鼓だけでしょうか」

 堀「あと釈迦です。交響組曲ですけど、いちおう入れて良いと思います。日本の太鼓は2種類ライヴ録音が出ていましたが、セッション録音は初めてでした。(LPの)手塚幸紀さんの録音はご存じですか? あれが、凄い速いんですよ。冒頭とかもマーチみたいな感じなんです。先生が振ると、もう、倍くらい遅い(笑) 喜寿のときのね。で、先生のテンポが正しいと思いますでしょ、ですがスコアを見ると実は手塚さんの方が正しい(笑) そのテンポで書いてあるんですよ。アレグロといい、先生のテンポ指定はやっぱり独特です。あとあの、変拍子のところ」

 九「あれは9/4でしたっけ」

 堀「スコアは9/8なんですよ! (正しくは3/8 4/8 2/8) 8分音符なんです。ダアン・ダアン・ダアン・ダダ、ンダダダ、ンダ、ダアン・ダアンというのが先生とすると、手塚さんのはダッダッダッダダ、ンダダダンダダッダッ、ってロックみたいな速さになってしまう(笑) あれは流石に、4分音符が正しいので、その場で直しました。日本の太鼓はそこのところが大変でした」

 九「それはでもちょっと困りますねえ。先生も亡くなって、もう指摘する人がいないんですから、今後はどんどん間違った演奏が流布する可能性がありますね。知ってる人が口伝で伝えて行くのは限界があるでしょう」

 堀「混乱を生みますね。あの鹿(しし)踊りというのはNHKのドキュメンタリー番組などでよく出てきますが、背中に差した長いササラを地面や床に叩きつけるやつ、あの動作を考えますと、やっぱりテンポはそんなに速くないです。あと、手塚さんのはスネアドラムのスネア(響き線)がオンなんです。スネア入りなんですよ」

 九「なんでオンなんでしょう? 日本の太鼓なのに」

 堀「スコアにオンかオフか、書いてないんです。だから、ザッザッザッとモダンな軽い演奏に聴こえますよ。手塚さんの演奏はおかしいという人がいますが、実はスコア通りなんですよ。あれはちょっと困りますね。未出版ですからまだ良いのですが、演奏が混乱しますよ」
 
 九「しかし、オフだとしても、日本の太鼓にスネアなんてありましたっけ?」

 堀「タンブロ・ミリターレって書いてるんです」

 九「あ、軍楽用太鼓ですね。あれは……そうか、あれは、元々響き線の無い太鼓ですから。だから書いてなかったのでしょう。珍しい楽器ですから、テナードラムや胴の深いスネアで代用される場合が多いです」

 堀「ああ、なるほど、管弦楽法に書いてましたね、混同しやすいって。普通のスネアだと音が軽いですね。この曲は変拍子のところなど、音楽的にも面白い曲です」

 九「最後が(二十絃箏と管絃楽のための交響的)エグログですが」

 堀「コンチェルトはソリストを急に手配できたのが野坂さんだけでして、先生が自ら直談判されて、それで無理なお願いを通してもらいましてエグログになりました。これもこれまでにライヴ録音しかなく、セッションは初めてでした。電話で依頼してから7日くらいで準備してもらったんですよ。」

 九「エグログというのは、伊福部のコンチェルトの中でもちょっと変わっていると思います」

 堀「それは、先生がもう60代の曲ですから。それまでとは路線が違うという事です。凄くセンチな曲ですよね。あのころから先生はセンチメンタル系な曲を書くようになりましたね。箏曲が多いですが。お箏でね。私はそのお箏のセンチメンタル路線時代の弟子ですから、一番その路線に影響されています。この時代の路線は伊福部ファンでも好き嫌いが別れるようです。それまでのイメージと全然ちがう曲ですから。いわゆる伊福部的なアレグロが無いですからね。これも長い曲です。28分くらいあります。メロディが長いですね。アダージョです。同じ伊福部節でも、リリカルな方です。(先生が)自分でもちょっと寂しいかな、と云ってましたけどね(笑) ヴァイオリン協奏曲の2番なんかもセンチ系ですが、あれはもっとドライでしょうか。とにかく、エグログは伊福部の中でもかなり湿っています」

 九「お芸者さんって感じですよね(笑)」

 堀「あれのセッションはスムースにいきました。さすが野坂先生でした。まあ野坂さんじゃないとできなかったですけどね」

 九「私は野坂さんのコンサートで、現代製作の箏にはチューニングキーがついていると知ってびっくりしましたよ」

 堀「ついてます。話は飛びますけど、鞆の音ってありましたでしょ。オーケストラに邦楽器群がくっつくやつ。あの時に、邦楽の人は西洋楽器の人とリズムの録り方が異なるので、合わせるのに苦労したと云っていました。アインザッツの話なんですが、西洋楽器の人は点で3、4でぴたっと音が出ますが、邦楽の人はちょっと遅れて出てきます。3、4、ヨッって感じです。合わないので、1拍ずらして譜面を書いてます」

 九「ちょっとそうしましたら、わんぱくに話を戻しますが、わんぱくのサントラCDがありますでしょう、あれが凄い楽曲がありますが、まとめるのは大変だったのではないですか?」

 堀「大変でしたよ。あれはだってM63までありますからね。長いです。当時の録音は4日かかっている。松下ディレクターからシェヘラザードのようにやってくれっていう話が来て、あれを参考に編成しました」

 九「そうか、シェヘラザードのイメージですか、似ていますね」

 堀「構成がね。似てますでしょ。それで室内楽的な部分はばっさりカットしまして、なるべく派手なオーケストラの部分を選んで。合唱もついてますよ」

 九「合唱と独唱付は、再演しづらいでしょう」

 堀「でも、まだ再演を考えて邦楽器とかコンボオルガンは外しました。それでも(再演は)難しいでしょうか。3曲目のアメノウズメの踊りは面白かったです。あれは良い曲ですね。他の曲も、色々な部分の音楽をつぎはぎして編曲したんです」

 九「2曲目冒頭の、ロンドインブーレスケの第2テーマになっている主題はとても良いですね。あれは船出のシーンとは知らなくて、あれを聴くと元気になります」

 堀「フィリピンの第2主題と、わんぱくのメインテーマは同じですので、同じCDに入れないようにとさりげなく先生から指示がありました(笑) 最後の合唱は、ちょっと弱くて残念でした。あれは録音時間が切羽つまっていてテイクがあまりとれなかったんですね」

 九「では、一気に1から7まで来たわけですが」

 堀「そうですね。最初の日本狂詩曲の最初の先生の挨拶から、最後の(録音の)わんぱくの最後のお疲れ様ですまで、全レコーディングの全時間、先生に張りついていたのは私だけですから感慨深いです。貴重な体験をさせてもらいました。生き証人ですよ。で、8と9はライヴ録音ですね。8のタイトルも私がつけました。「頌」っていうやつ。だから8までですね、私が関与しているのは。まあ、タイトルをつけただけなんですけど、製作協力って事で名前が載ってますが(笑) まあそれで、先生も亡くなってしまいまして、景気も悪いし新規の録音は難しいですね。これは伊福部昭に限らない事でしょうけど」

 九「次は、何をしましょうか」

 堀「次は伊福部昭を含めて、日本人作曲家の現状ということで考察してみましょうか」

 九「それは凄いですね。伊福部、武満を含めて戦前の作曲家とか、演奏とか曲とかをテーマにやりましょう」

 以上







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