堀井友徳 プロフィール


 作曲家。北海道在住。本名、堀井智則。1973年生。2007年10月、友徳(とものり/ゆうとく)に改名。

 1992年、東京音楽大学打楽器科にマリンバで入学。マリンバで入学するも、元より作曲に興味があり、大学1年生より伊福部教室に通う。3年生になる、1994年より作曲科へ転科(入学し直し)。さらに4年間をすごす。伊福部昭、池野成、有馬礼子、藤原豊へ作曲を師事。

 伊福部門下最後の弟子、あるいはゴジラVSデストロイア、組曲「わんぱく王子の大蛇退治」のスコア書き、またキングレコードの一連の作品集等、数々の録音のアシスタントとして伊福部ファンには知られる。

 最後の弟子というが、正確には、後輩は何人か入ってきたのだが、事実上、伊福部昭に具体的に師事した最後の人、ということで、伊福部ゼミナールの最終学生となる。

 堀井世代の最大の特徴としては1994年より箏の野坂恵子が自作演奏や作曲レッスンのために伊福部教室へ通うようになり、野坂の企画で、伊福部の弟子に作品を委嘱するという機会に恵まれた事だろう。

 それを端に、箏の作品を10作以上も書く事になったし、その中で自己の作風の変遷、確立という経験もしたという。

 2008年1月より道新文化センター講師。 


管理人(九鬼 蛍)の所見

 当初は、師譲りの「旋律性」を顕著に発揮していたが、2003年を過ぎたころより、旋律性を含めつつも、現代的な手法を含む現在の音楽として未来まで通ずる芸術としての「普遍性」に関心を示す。そしてその底辺にありその音楽を支えるのは、これも師やその高弟たちの特徴である「律動性」だろうと推測される。その変化の中には、ただ単にシリアス曲調ということでは片づけられない、確かな構成や音楽全体としての技術・精神性のレベルアップが見られよう。

 私の個人的な嗜好としてアレグロが得意な作曲家を好むが、その反動としてレントやアダージョ的な音楽も聴く。少なくとも戦後の現代クラシック音楽としては、日本は大きく伊福部流のアレグロ嗜好と武満流のレントあるいは無拍嗜好に「分かれる」といっても過言ではなく、第3の嗜好として三善などの音響嗜好というのもあるだろうが、それらに特徴が分岐していると思う。

 堀井は嗜好的にはやはりアレグロ流となるのだろうか。50〜60年代生の中堅作曲家が未だに(いまや!)前世紀の遺物と化したゲンダイオンガクしか書けないでいる中、70〜80年代生の作曲家が逆に自由にその遺物を引き継いだり音楽の本質を求め返したりして、21世紀にふさわしいまったり感を私に与えているのは面白い。

 その中で現代日本音楽の巨匠中の巨匠の直系である1人とその音楽の間近にいられる面白さをも体験できることを、幸せに思う。
 
 これまでは委嘱等の関係でソロ曲、アンサンブル曲が中心だが、これからさらなるジャンルの曲が書かれる可能性があるとしたら、非常に楽しみである。

 また、ポピュラー曲の金管合奏、民謡のマリンバ独奏等の編曲もこなす。




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