九鬼 蛍(管理人)の所見

 作曲者より貴重な音源をご提供いただいたので、小文を呈する。


○津軽三味線とチェンバロのための演舞組曲(2005)

 非常に珍しい編成の曲。楽章は以下の通り。20分ほど。

 第1楽章 律動的演舞(二重奏)
 第2楽章 即興的演舞(津軽ソロ)
 第3楽章 滑稽的演舞(二重奏)
 第4楽章 幻想的演舞(チェンバロソロ)
 第5楽章 野性的演舞(二重奏)

 この、第1・5の両端楽章をコンサート・アレグロ(2007)へアレンジすることになる。

 津軽三味線の奏者が、五線譜はおろか邦楽譜も読まない完全に伝統的な奏者だったので、たいへん作曲に苦労したとのこと。1楽章はポップなビートが特徴的な音楽で、特にチェンバロがシンセっぽく響く面白さ。逆に三味線ではやや運指が厳しいようで、テンポが指定より遅く演奏された。

 2楽章は伝統的な三味線ソロに近く、記譜は最小限に止められた物。3楽章は当初無かったのだが、委嘱者の追加で急遽挿入されたといい、そのためか、そのまま二十絃箏のための4つの小品集の第3楽章「戯れ歌」のアレンジである。

 4楽章のチェンバロソロは民族調のこの音楽で唯一、西洋的かつ現代的なウネウネした雰囲気が面白いが、他の楽章と違和感はぬぐえない。

 5楽章で再び激しいアレグロが訪れる。やはり、両端楽章が面白い。

 全体的に再演が難しいのと、やはり三味線パートは西洋楽器で演奏されたほうが効果が高い音楽だろうということで、コンサート・アレグロに編曲された経緯がある。


○フルートとギターのためのデュオローグ(2004)

 ここでも、フルートの実に伸びやかな、自由な、開放的な旋律は堅持される。それを支えるギターは、萌葱色の十二絃箏に通じる。しかしギターならではの主張もみられる。2楽章制で、7分、5分の12分ほど。続くアレグロ楽章にはギターのボディノック奏法もあり、フルートも古楽器のような音使いとなって、音色に変化を持たせ、かつ原始的かつ民族的な雰囲気も出している。どこか吉松隆をも想起させる爽やかさで聴きやすい。YouTubeで試聴できます。 


○リコーダー、バスガンバ、チェンバロのためのトリプティーク(2004)

 これはハッキリ云うが、とても良い曲。古楽器三重奏というジャンルなためか、なかなか再演できなさそうなのが残念だが、古楽器でしか出ない味わいがある。リコーダーはいいとして(笑) まあフルートでも良いが、チェロとピアノでやっても、この味は出るだろうか。いや、やはり出るまい。チェンバロの現代的なメカニック伴奏が、緊迫感を出し、それへ地を走るシックな馬車のようなバスヴィオラダガンバと、空を駆けるナウシカのメーヴェのような疾走感が加わる。ファンタスティックな装いにあふれつつ、どこか懐古的。強い郷愁と、現代的スピードが合体した、他では聴けぬ面白さがある。

 3楽章制で、第1楽章はアレグロ。チェンバロの細かい刻みの伴奏の上に、リコーダーとガンバが古風な、アンデスあたりの民俗音楽のような音色を乗せる。もう胸をかきむしられるような郷愁が聴き手をおそう。とはいえ、旋律の進行は近代的でもある。すぐに旋律がガンバの刻みとなり、装飾的にリコーダーが入る。常にチェンバロがメカニックに響くのが印象的。孤独感のあるメロディーがよく耳に残る音楽。4分ほど。

 第2楽章はアンダンテほどか。ガンバの切々とした歌よりはじまり、それをリコーダーが受け取り、チェンバロが装飾する。7分ほど。

 第3楽章は、プレスト。シャーロックホームズのラストシーンのような、なんというかこの(笑) とにかく独特だ。他に聴いたことがない。中間部ではテンポを落とし、一休み。またテンポアップし一気に終わる3部形式。3分ほど。全部で14分ほどの力作。全曲を通して、ペシミズムに満ちた曲風だが、悲痛という感じではなく、むしろ逆境の中で勇気を与えてくれる、といった作風。

 堀井のアレグロは、息の長いアレグロで、非常に特徴がある。近代音楽でのアレグロというと、伴奏がアレグロのリズムを刻み、主旋律もショスタコーヴィチやプロコフィエフ、師・伊福部昭、または高弟の兄弟子たちたる芥川、黛、松村あたりを見ても、同じく刻みを続けながら突き進み、その突進力のようなものが大きく音楽の魅力になっているが、堀井はそこで自由に長い旋律を奏で、それが独特の味わい生んでいる。つまり、息の長い旋律に、アレグロのリズムがスピード感を与え、実に爽快な、薫風のようなイメージを聴き手に与えることに成功している。これは、面白い効果だし、私は好きだ。この乾いた、といっても草と雲の匂いのあふれる風の音は、北海道の人でなくば想像できにくいかもしれない。意識せずとも、師伊福部は北海道の大地を音にしたが、果して堀井は風を音にするのか。


○賛歌 北風のしらべ(2003)

 日本木琴協会札幌支部より、演奏会の閉幕用の音楽として委嘱されたもので、調性のメロディーもの。やわらかでさわやかな堀井の特徴が如実に現れ、「みんなのうた」にも出てきそうなほどの正統で上品なメロディー作品。難しいことは考えずに、純粋に聴きたい。

 日本木琴協会札幌支部創立30周年記念演奏会での模様はこちら。


○チェンバロのためのノクチュルヌ(2003)

 ピアノバージョンで初演を聴く。音域が狭く、メカニックな動きをするチェンバロをピアノで弾くと、また独特の味わいがある。全体的に幻想的な響きがして、ラプソデックに動く。ノクチュルヌ(仏)とは、英語でいうノクターンのことで、幻想的なのもむべなるかな。月光がよく似合う音楽。愛らしくもあり、大人の雰囲気もある。とても女性的な音楽。当人は和風の味わいも加味したという。特徴的な上昇系の主題よりアンダンテ(ほどか?)で始まり、アレグロとなると、またなんともいえぬ雰囲気となる。速度は一定せず、自由に音楽の小道を往く。この透明感と、静寂感、なによりレトロな薫り漂う大正ロマン風の気品は、特筆。淡いガス灯の下に立つ艶麗の貴婦人が、貴方を待っているとしよう。さあ、人目をはばかって馬車へ乗り、これからどこへ向かうのだろうか。2人にいったい何があったのだろうか。最後の激しい感情の迸りは、何を表しているのか。すべては夢だったのだろうか。8分ほど。


○ギターのためのモノローグ(2003)

 ミッテンヴァルトよりセッション録音でCDが出ている。調性であるが、抽象的でシリアスな、人間の遺憾的な内面的感情を表してみた、とある。9分ほどの作品だそうだが、CDでは13分となっている。3部形式。確かに暗く重い内容だが、作者が云うほど、抽象的では無い。メロディアスというほどポップな作品でも無いが、かなり渋く、元気が無くなる音楽ではある(笑) その分、何度も繰り返して聴きたくなる味わい深い仕上がりになっている。人間本質の遺憾的感情的な部分というより情念的人間ドラマそのものである感情の発露であって、その意味では、抽象的ではないだろう。いや、抽象的ではあるが、人情的な味わいがそれをうまく隠している。


○トランペットと3台のマリンバのためのディヴェルティメント(2002)

 5分に満たない小品である。トランペットの鄙びた、滔々とした旋律に、マリンバ群が幻想的にからんでくる佳品。マリンバというのは用法はマンドリンに似て、長い音はすべてトレモロで出すため、これも独特の音運びとなる。いわゆる木琴の音なのだが、3台の絶妙なズレがヘテロフォニックな味を生み、ぼやーんとした燈籠の光のようなイメージを作る。それへ金管の中でもっとも鋭い音を出すトランペットが切り込む妙。


○箏三重奏曲 譚饗(2002)

 これは作者がスランプだったという時期に書かれたもの。旋律が楽しい作品だけ書いていて良いのか、という自問の元、シリアス調で、それでいて深い構築と旋律線がある曲。私はそれほど悪くないと思うが、(特に関係者の)評判は良くなかったらしい。思うに、前半部のモヤモヤ感から来る不安定さ、あるいは作者の心理を繁栄した戸惑い感だろうか。確かに、シリアスというか、ただ単に暗いと云われたら、そうかもしれない。旋律は良いと思うし、最後もアレグロで盛り上がって、展開もしっかりしている。なにが悪かったんだろう?? 12分ほど。


○マリンバとピアノのためのパミールの響(2001)

 新疆ウイグル自治区、タジキスタン、アフガニスタンにまたがるパミール高原のローカル音楽を元にした「パミールの春」という民族曲のアレンジもので、マリンバ奏者が中間部ではタンバリンも叩く。民族風でもあるが、マリンバの動きはむしろ現代的である。冒頭の単純なリフレインから、マリンバの重音によるフレーズ、そしてピアノが入り、タンバリンが高原の風を呼び込む。後半は2本マレットで激しいアレグロに、騎馬民族の勇姿を見る想いである。タンバリンは委嘱者からのリクエストとのことだが、個人的には、特段の必要性は感じられない。8分ほど。


○フルートと二十絃箏のための萌黄色の朝への前奏曲(2001)

 フルートと箏のデュオというのが珍しい。フルートの扱いが独特で、これまでに無いようなリズム感やフレーズ感が面白い。フルートがかなり自由に飛翔し、それを箏が(伴奏というほどでもないが)支えるといった感じ。箏はだからピアノのような役割か。旋律線も非常に伸びやかで、無理をしておらず、自由である。曲名と関係あるかどうか、仄かにドビュッシーの香りがする。それがまた心地よい。速いというわけでもないが、リズムもしっかりしていて、跳躍感もある。とにかく、フルートが良い。アレグロからの、アンデスあたりの草原を吹き抜ける風に飛ぶ鷹のようなイメージは非常に素晴らしい。後記する古楽器のためのトリオにも通じるのだが、異様な爽やかさと郷愁である(笑) これはしかし、箏の演奏会で発表するより、フルートの演奏会で発表すべき作品だ。10分ほど。


○クラリネットとピアノのためのロマンツァ(2001)

 リライト作品であるが、楽器が変わるだけでかなり雰囲気が変わる。やはりチェンバロとピアノの違いは大きい。音色がグッと落ち着いて、室内楽という雰囲気となる。VnとCembのためのロマンツァではやはりどこか軽BGMふうのイメージが漂ったが、こちらは、演奏会用作品として完成度を増している。もしくは同じBGMとしても、よりシックな、夜のイメージがわき出る。しかしこの曲のアレグロ部分、私は好きだなあ(笑)


○二十絃箏曲 艶楽(2000)

 こちらは、その名の通り、箏の扱いにかなり色がついており、あざとくもあり、楽しくもある。好き嫌いが分かれるかもしれない。何かのBGMっぽい。夜桜お七とかの雰囲気。まさに艶歌の世界。9分ほど。


○ヴァイオリンとチェンバロのためのロマンツァ(2000)

 冒頭、バッハ的なチェンバロに、ヴァイオリンの十二分な歌い上げが見事にマッチしている。ヴァイオリンの旋律はやや純粋音楽というより歌謡小品っぽい嫌いはあるが、メロディアスな音楽を好む人には、たまらないものだろう。じっさい私はたまらない。確かに名称は「ロマンツァ」なのだから、どちらかというと、ロマン派的小品の趣がある。チェンバロのバロック風なドライな感覚と、ヴァイオリンのロマン派風のウェットな感覚とが織りなす、一種のミスマッチの妙も面白い。後半のアレグロからは、まるで上質の映画のワンシーンのよう。それも蒸気機関車に引かれる列車に飛び乗るような、昭和10年代を舞台にしたような、レトロな映画の。10分半ほど。ピアノ伴奏版では、純朴さは無くなるが、さらにその響きの奥行きは広がるし、何よりヴァイオリンとピアノの相性がバッチリ。


○二十絃箏曲 譚楽(1998)

 独特の寂寥感を味わえる、静寂の中の月光のような作品。もしくは、古い寺の夜に一人庭を眺めるイメージ。このピンと張りつめた雰囲気は、前作までとは一線を画す。旋律線がしっかりしており、かつ、伝統的な部分もかいま見られる。水滴が落ちるのを聴くような侘の世界でありつつ、しっかりと現代的な歌が宿っているのが面白い。10分ほど。


○二十絃箏のための4つの小品集(1997)

 紡ぎ歌、挽歌、戯れ歌、愁歌の4曲からなる。これも幅の狭い音域内を逆に箏の垣根を超えて自由に駆け抜ける旋律線が聴きもの。やはり撥絃楽器を思わせる音色と雰囲気。紡ぎ歌の主題はなかなか日本情緒にあふれているが、すぐに海を渡ってシルクロードを思わせる。糸を紡いでいる様子を模している。挽歌は自由な独白調の曲。戯れ歌はジャズテイストが楽しい。三味線っぽいがテンポがそれより遅いので、やはりギターに聴こえる。愁歌はかなり禁じられた遊び調(笑) 4曲で10分ほど。


○二面の二十絃箏のための譚章(1994)
 
 9分ほどのデュオ作品。堀井の公式作品としてデビュー作となる。しっとりとした音域の狭い旋律が特徴的。箏っぽくない音色で、ギターやリュート、マンドリンを思わせる。次第にテンポが上がってゆき、桜の花の乱舞を思わせる調子となる。その後もテンポと曲調は激しく揺れて、主要主題を展開する。構造的にも旋律的にも非常に分かりやすい作品で好感がもてる。





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