ナッシュビル 〜暁のアリーナ〜
原案/イラスト:BAD
作:九鬼 蛍
第4話「群青の水中花」
その日、アリーナは、王国南部の広大な公爵領、ホワイトフィールドの首都グロースターへ来ていた。フルンゼも一緒である。季節は春を向かえ、北部のナッシュビルに比べ、気温も高い。時季は、一か月は進んでいるだろう。ナッシュビルではまだ寒風が吹きすさぶが、こちらでは野の花が満開である。
グロースター郊外では、春の恒例の閲兵式が行われていた。ホワイトフィールド公爵の名にちなみ、白亜の軍団かと、知らぬ人々は思うだろう。しかし、予想は漆黒に光り輝く黒の軍団で覆される。建国に際し、初代国王の弟であったクラウニンシールド伯爵ことパトリック・グウァリーフィラスを抑えて、より位が高い公爵を授かっている事実をみても分かるとおり、ホワイトフィールド家は「建国の最大の功労者」を自負し、領民もすこぶる誇り高い。ちなみにその件もあり、クラウニンシールド領民と非常に仲が悪いのは公然の事実だった。ナッシュビルの良家の子女であったアリーナも、最初は、かなりこの土地の人間の感情に抵抗を感じていたが、王国中を旅し、様々な冒険をこなすようになると、どうでもよくなった。
見物人の前で、重装甲に身を包み、翩翻と王国旗と公爵旗、各騎士団旗が幾重にもひるがえる中、御歳四十八のジョナサン・ホワイトフィールド公爵が堂々と漆黒の巨大戦闘馬に乗って登場し、土山の上で馬を後足で立たせ、剣を四方にかざした。その威厳に人々は瞠目し、喝采をもって応えた。ホワイトフィールド公爵は所定の場所へ来ると馬を下りて壇へ登り、閲兵に備えた。城門を出て会場へ回りこみ、十二の騎士団とその配下の軍団が閲兵に望む。騎馬軍団は人々の前で整然と横歩きや、急旋回、速足、駆け足、ジャンプ、蹴散らし、後足立ち等の騎馬戦闘の乗馬技術を披露し、喝采を浴びた。そして見物人の前を順に通り過ぎ、最後に公爵の前で勢ぞろいして、ファンファーレと軍楽太鼓の後、騎士団長一人一人が壇上で片膝平伏、公爵より直々にその年の騎士団指揮権を示す宝飾の短剣を授かった。最後に軍団長司令騎士長官であるスターマイヤー准男爵が、軍団指揮権の象徴である斧と鎚鉾(メイス)を授かって儀式は終わる。
ぞろぞろと人々が街へ戻る中に、見物を終えたアリーナとフルンゼの姿もあった。二人とも平服に短剣の軽装備だったが、フルンゼはかなり暑そうで、汗を拭きつつ大きな舶来ものの扇をパタパタさせていた。小トロールは王国では珍しく人目も引いたが、闘技場の伝説はグロースターでも知られており、感嘆の眼差しや自己陶酔の微笑ましい熱き視線(あのチャンピオン「白き鬼神」が我がホワイトフィールドの軍団を見物に来た!)はあっても、ちょっかいを出すバカはいない。
二人は出店で南方の亜人国コートムアーより伝わった南部名物の羊の串焼き香辛料風味とエールを買い、歩きながら飲み食いして、街へ戻った。
「しかし、おかしいじゃないか」
「なにが?」子どものように軍団を見ていたフルンゼが、賞賛の声ではなく、疑問を呈してきたのでアリーナは不思議だった。
「旗の種類は十三あったのに、騎士団長は十二人しかいなかったぜ。それに、軍団長の准男爵ってなんだい?」
「意外と細かいところを観てるのね」アリーナは感心した。「公爵には王様の他に唯一、爵位を授ける権利があるの。ナインシュランドの方式に倣っているそうだけど、ほら、カーリオンは実質上の領主でも男爵が四家あるでしょう? だから公爵家といえども、男爵以上は四家に憚って授けないのが伝統なの。だから准男爵。ホワイトフィールド軍団長だけの名誉爵位ってところかしら」
「へえー。で、騎士団長はなんで十二人?」
「知らない」
ちょうど、子どもら相手に騎士団カードを売っている出店があったので、買うふりをして聞いてみた。「おや、ハンザ騎士団のカードが欲しいなんて珍しい」
「ハンザ騎士団?」
「諜報騎士団ですよ」店主の声が心なしか小さくなった。「下請け屋っていうか、斥候と情報収集と……それに裏仕事専門で、こういう公の場所には旗だけ出てくる。ホントにあるのかどうかも定かじゃないんだが、いちおうカードはありますよ、ホラ。売れないからいつもはしまってるけど」
アリーナは、黒地に赤でバラと火竜が描かれたカードを受け取り、銅貨二枚でそれを買った。
「ところでいつ出発すんだ?」宿まで戻る前に、大通りのオープンカフェで二人は南部産のコーヒーを楽しんだ。「ギルドでレンジャーを頼んだから、その人が来てからね」
「レンジャー?」フルンゼは意外そうだった。「必要かい?」
「スポールディングから続く山脈よ。いくら川伝いといっても、いたほうがいいわ。あれは半端じゃないわよ」アリーナはグウィンとの冒険を思い出した。
「川かあ。フネはいやだなあ、あたいは泳げないんだ」フルンゼは頭の後ろで腕を組み、椅子の背へよりかかって天を仰いだ。「そうなの? 初耳。馬でなんか無理よ。せめて山のふもとまでは船じゃないと」
「あたいが乗れるウマなんかないしね」妙に人懐っこい笑顔で、フルンゼが笑った。
そのとき、店の奥より尋常ならぬ女性の怒鳴り声がし、客らは振り向いた。店内のど真ん中の席で、薄いケープのようなゆったりとした見慣れぬ衣類よりすらりとした手足が素肌で伸びる、深い群青の髪を後ろでまとめた女性が、芝居がかって涙ぐみ、眼前で呆然とするハンサムな男性を怒鳴りつけていた。
「なんだ? 痴話喧嘩か?」フルンゼがにやにやして云ったが、アリーナは興味無かった。
「バカじゃないの! なに考えてるの! 会えないのならもう別れるから」男性はうろたえるばかりで、何を云っているのか判別できなかった。ややあって「ちょっと待てよ!」と云うのがやっとだった。「たった三日で………そ、それにあれは知り合いの………」
「しるか、バカ!!」女性は飲み物のカップを手にした。そのまま、男性に中身をかけつけるのかと誰もが思いきや、天井に向かって液体を飛ばして、サッと店を出て行ってしまった。「なんだあ?」フルンゼが面白くなさそうにつぶやいたとたん、天井からバケツ、いやタライ、いやワイン樽をひっくり返したような大量の水がどっぱりと落ちてきて、男性も周囲の席の者も、濡れ鼠になったので、一同は唖然としてしばし凍りついた。
男性が自失としてフラフラと金を払って行ってしまってから、ようやくフルンゼが「なんなんだ?」と云った。アリーナの目は、興味なさげな半開きのものから、鋭い、いつもの獲物を狙いつけるようなものに変わっている。「魔法使いだわ。それも相当の腕前の。あれだけの水使いは、人間にはいないわね」
「亜人だってか? 見たことないやつだ。それも、あんなくだらないことに魔術を使うやつなんて」
「それは、その人の性格の問題よ」アリーナはまた目をつむって心地よい春の日溜まりに瞑想した。翌日、彼女がもうちがう男性と腕を組んで歩いているのを見て、二人は呆気にとられた。
それから約二週間、二人は待った。とっくに見物するところも無くなって、二人は滞在に倦んできた。フルンゼはその中で市場めぐりが楽しみになった。なんといっても、ホワイトフィールドは南部コートムアーから伝わってきたり輸入されたりしている野菜と果物の数が段違いにちがう。フルンゼは生まれて初めて、「野菜」というものを食べたと思った。ここに比べたら北部ナッシュビル近辺は、天然ハーブやワイルドベリー類を除けば青物はやたらと固いキャベツ、果物は酸っぱいだけの貧相なリンゴしかない。根菜は、いちおう馬鈴薯と蕪があったが、それとて家畜のエサとして作られているだけで、あまり食べない。フルンゼは特にトマトと長ネギに興味をもった。またいつもドライフルーツしかかじっていないため、果物が本当は瑞々しい食べ物だと知った。アラーム川をこえてもたらされるイチジク、大きなリンゴ、それに桃、メロンなどは、まさに甘露、蜜あふるる天国の食べ物に思えた。
「これはナッシュビルでも育つかなあ」フルンゼはトマトの苗をみつめて云った。
「知らないわよ」急にフルンゼが農夫みたいになったのでアリーナは呆れた。
「野菜が好きな小トロールなんて、聞いたことないわ」
「ナッシュビルじゃ、なんでこういうのがないんだ?」
「育たないんじゃないの?」アリーナは心の底から興味がなかった。
と、ついに、冒険者ギルドから連絡が来た。待ち焦がれていたレンジャーが、スポールディングより到着したという。
「わざわざ呼んだんだ」フルンゼは驚いた。「そうみたいね」アリーナも意外だった。公爵領には、レンジャーは少ないらしい。そして、ギルドで紹介されたレンジャーに、アリーナは声を上げた。
最初にアリーナへとびついたのは、黒いグウィネルダ犬、モーザドゥーである。千切れんばかりに尾を振って、アリーナの脚へへばりついた。「グウィン!」
「アリーナ!」グウィンがアリーナへ続けてとびつく。
「ちょっと、ずいぶん、背が伸びたんじゃない? いくつになったの?」
「もう十九よ!」
「三年もたつの!」
二人は存分に再会を懐かしんだ後、フルンゼが紹介された。アリーナは、グウィンの肩に、小さくスポールディング男爵家の紋章が縫い込まれているのを発見した。彼女は、父に続いて男爵家の直参になったのだろう。なるほど、今回の依頼はカーリオン王・グウァリーフィラス王家直々の調査である。男爵家より人が派遣されてもおかしくはない。
その晩は三人で再会と出会いを祝してささやかな宴がもたれ、翌日、すぐさま、仕事にかかった。
三人は装備を整えた後グロースターを出て、街道を歩き、宿場村や野宿を経て十日ほどでアラーム川の浅瀬にある船場街ブルームに到着した。川は南部コートムアーとの貿易中継地も兼ねており、川を渡って交易船が行き来している。商人でごった返し、市場はかなり繁盛している印象を受ける。船は川を渡る平底の帆掛船である。メインはコートムアーとの交易船で、上流、下流の「秘境」へ行く船は少ない。
アラーム川はこの近辺では幅はゆうに三十リート(約四十メートル)はあり、上流の荒野地帯よりとうとうと流れてき、水は澄んでいる。ブルームより下流になると急に川幅が狭まり、南部の山岳地帯へ流れゆく。急流で水が山々を削り、典型的なV字渓谷がナインシュランドの最南部を通って大海へ到る。ナインシュランド、コートムアー、そしてカーリオン三国の国境を決めている川でもある。
下流へ行く船は特に急流を渡るので数が少なく、渡し賃も高い。スポールディングより続くスポール山脈の麓まで船は行き、そこから山へ分け入る者は徒歩となる。船は郵便船も兼ねており、郵便配達人が貴重な連絡物を国境地帯まで届ける。国境地帯の山岳民族や亜人への、都に住む仲間からの頼りもあるが、ほとんどは国境警備隊への連絡物だ。船は船頭が一人の少人数用で、便もその日は一便だけ。渡し賃は片道銀貨五十、客は四人だった。つまり、アリーナたち三人と、もう一人、郵便屋。
郵便屋と云っても、実体は屈強な兵士や冒険者あがり、又はそれらの兼業が多い。一人で荒野山川を行き、盗賊や野獣、さらには魔物から郵便物とわが身を護るのだから。(ゆえに郵便代は高額であり、腕の良い郵便屋は高収入を得る。)
その深い群青色の髪と瞳をした郵便屋を、アリーナとフルンゼは既に見ていた。いつぞや酒場で見た魔法使いである。ゆったりとした布をただ巻きつけたような民族衣装の裾を器用にまとめて、すらりとした手足がよけい目立った。荷物は少なく、文書の配達のようだ。腰のベルトには、きれいな装飾短剣と地味な実用ナイフ、それに先が銛のように三叉に分かれた勺杖がある。彼女はアリーナたちのほうをちらりと見ただけで、挨拶もしなかった。船頭の親父とは顔見知りのようだった。
「なによ、感じ悪いわね」グウィンは憮然とし、モーザやノーリィまでも心なしか落ち着きが無かった。(知らぬ不思議な匂いが彼女からするのだ。)
「あんな亜人種は見たことねえって」フルンゼがささやいた。アリーナは、向こうもフルンゼに云われたくはあるいまいと、おかしかった。「それになんて愛想のねえやつだ」
「フネにオトコがいないからでしょ?」
「はあ?」フルンゼはさらに呆れた。「仕事を何だと思ってやがるんだ」
「できる人は、仕事の中にも余裕を見つけて楽しむのよ」
「アリーナはずいぶんやつを買ってるなあ。そんなすげえ魔法使いにゃ見えねえよ」
「彼女の魔法が必要になるかもね」そのアリーナの声が聞こえたのかどうか、ちらりとアリーナを見て、「ティアラよ」とだけ云って、軽く微笑んだ。
「私はアリーナ。こっちがフルンゼで、こっちはグウィン」フルンゼとグウィンがアリーナをたてて会釈をしたが、ティアラはもう見向きもせずに水面へ眼をやったので、二人は非常に憤慨し、しばらく口もきかなかった。
船は、半日ほどは風と流れに乗ってゆるやかに川面を進み、やがて次第に速くなった。そこで日が暮れはじめ、止水域の瀬につけて宿を取った。船の上の簡易コンロで、船頭が火を起こし、トウモロコシ粉でポタージュを作った。堅パンや燻製肉、ドライフルーツのいつもの「旅の食事」を摂る面々とは異なり、ティアラは、なんと船頭が用意した竿で釣りをはじめ、「そうカンタンに釣れるか」とほくそ笑むフルンゼを尻目に、マス、川スズキ、コイの一種などを、がばがばと釣った。船頭は素早くさばいて、身に塩をして干したり、アラでスープをとったりした。
ティアラはポタージュではなくその魚のスープをもらい、ナイフで器用に魚の身を切って、ハーブソルトとオリーブオイルをふって生のまま食べだしたので、フルンゼとグウィンは仰天して、眉をひそめて気味悪がった。アリーナはそれを見て納得した。
「メローよ、南部の人魚だわ」
「人魚! あれが!?」グウィンは目を丸くした。他領の者には、話に聞くだけの伝説の亜人だ。
「でも、脚があるじゃねえか」フルンゼは逆に興味津々に、じろじろと見つめてアリーナにたしなめられた。
「フェイと同じく、メローは天性の魔力を有し、秘術を使うわ。人間に化けるのもその能力としての魔法よ。それだから、魔法使いとしても有能なの」
「へえー、あれ、化けてんの。やっぱりふだんはサカナなんだ。オトコ好きなのに、サカナの下半身とは災難だな」フルンゼはまたニヤニヤしながら干し肉をかじった。グウィンは聴こえないふりをしてモーザやノーリィの面倒を見た。
三日後、船は山脈の麓の集落に到着した。集落で三人は装備を整えなおし、さっそく山道を分け入った。グウィンがいるから安心ではあったが、彼女とて始めての土地であることには変わりなく、油断はならない。
「あの魔法使いはどこへ行ったんだ?」フルンゼは、麓の集落で消えてしまったティアラを気にしていた。アリーナの予想では、「川を下って行ったんじゃないかしら」
「ははあ、なるほどね……」轟々と音を立てて遥か崖の下を流れる急流を見下ろし、フルンゼはつぶやいた。「あんなとこを泳いで行くなんて、さすが人魚だな」
「それよりアリーナ、今回の目的地はどこ?」グウィンが位置を確認するため登っていた木より、するすると下りてきた。「小休止でもしましょう」アリーナは水筒から水を飲み、周囲に気を配りつつ、小声で話し出した。モーザが素早く、偵察に出る。
「今回の調査はもちろん、例の結晶よ。ここら辺は、ガルアム人やフェイ、それに川にはメローもいる情勢の複雑な地域なの。結晶が湖の洞穴の奥にあるという……」とたん、モーザが薮の中から熊のように飛び出てきて、一声吠えて、全身の毛をたてて唸った。
「さっそく来たわよ!」
木や革で武装し、全身に枝葉をつけた十人ほどのガルアム族が、斧や木槍、棍棒を手に奇声を上げて躍り出てきた。この距離までモーザにすら悟らせなかったのはさすがだ。しかもうまい具合に地形を利用し、急に立ち止まったり互いに重なったりして数を撹乱し、波状攻撃をかけてくる。
しかし、残念ながら相手が悪かった。フルンゼは特にガルアムには恨みがある。豪快に蹴りを入れ、ピックハンマーが唸りを上げてガルアムを叩き潰した。叩き潰したが、手足が折れるのはおろか、アタマの半分がぶっとんでも、まだ動いてくるものすらいる。まるで死者の動く怪物だ。「なっ、なんだァ!?」さすがのフルンゼも怯んだ。
「アリーナ!」グウィンが小剣を抜いて闘っていたが、人間離れした力技に、たちまち追い込まれた。「麻薬戦士だわ!!」さすがにアリーナは看破した。「引くわよ!!」号令し、グウィンへ迫っていた一人を胴斬りにすると、手を引いて坂を駆け下りた。フルンゼは殿だ。
回りこんで立ちふさがるガルアムもアリーナが次々に斬り伏せる。やがて全てのガルアムを振り切ったようで、川沿いまで降りてきて、三人は息をついた。
フルンゼが携帯の木のカップで川の水を大量に飲んだ。「麻薬戦士ってなんだい、アリーナ」
「文字通り、麻薬で興奮状態になり、痛みも感じない、狂戦士よ。ガルアムの他にも、ドゥアガーとかに多いわ。私も見るのは初めてだけど……」アリーナは岩に腰かけ、ロータスを抜き身のまま、説明した。グウィンはまだ怯えている。
「外道のやり方だ。そういや闘技場にもいたぜ、そんなやつ」
「問題はなんで私たちを……そうか、公爵家の麻薬監視人と思ったのね。誰かが私たちのことを教えたんだわ」
「誰かって!」フルンゼが吠えた。「あの人魚野郎にきまってらあ! あいつ、あたいたちのことを売ったにちがいないよ!」
アリーナは何も云わなかった。状況がつかめぬうちに、軽々に判断はできまい。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。その程度だ。
「位置を確認しましょう」アリーナが地図を出し、グウィンと打ち合わせた。フルンゼと頼もしい二匹が周囲を警戒する。アリーナの地図は、スポールディング家で作ったものだったので、グウィンは驚いた。自分も知らない、領地の境界を越えた越境地図だ。いつの間に、こんなものを男爵家は用意したのだろう。公爵家に対する、完全な越権行為である。
「それだけ、事は大きいのね」グウィンは気合を入れなおした。
「峰の反対側に来てしまったようだわ、グウィン、越えられる?」
「やってみる」山々を見渡し、グウィンは素早く道なき道に行き筋をつけた。「フルンゼ、行くわよ」グウィンとモーザが先頭に立ち、アリーナが続いて、フルンゼがまた殿だった。ノーリィが、フルンゼの肩へ音も無く乗った。なるべくなだらかな部分を選び、かつ、最短の距離を峰につけるのは、さすがにグウィネルダ人だとフルンゼは思った。もとより小トロールも、深山幽谷に暮らす生き物である。都会育ちとはいえ、フルンゼの強靭な足腰は、むき出しの岩々、深く積もる腐葉土、倒木、グウィンならば背丈も隠れるような薮を、苦も無く踏破した。半日歩き、峰はどうにか超えることができた。窪地を見つけ、グウィンが手早く火をおこし、さらにふらっといなくなったと思ったら、雉や山鳩などの山鳥を三羽、捕らえて帰ってきた。レンジャーは優れた狩人でもあり、野外料理の達人でもある。無言で、山鳥をさばいて腹へたっぷりの香草をつめ、熾き火で蒸し焼きにし、供した。その粗野ながら滋味あふるる大地の味に、アリーナはもちろん、フルンゼもすっかり満足したのだった。互いに夜営にたち、その日は休んだ。
「起きて、起きて!」アリーナの声に、二人は素早く身構えた。すでにモーザは斥候に出ている。いま何刻かも分からない暗黒の森。月すら木々で見えぬ。南部の春とはいえ、気温は下がり、肺に森の冷気が入ってくる。
「囲まれたわ、フルンゼ」
「合点だ」夜目の利くフルンゼが猛獣のように低い姿勢から周囲を確認した。チラッ、チラッと木々の合間に見える「気配」は、間ちがいなく、フェイのそれである。ついでに、人間のレンジャーとおぼしき影も、目ざとく見つけたのはさすがといえよう。
「フェイだ。夜襲だよ、アリーナ」
「暗闇から射かけられたら厳しいわ、後退よ」
「なんだってフェイまで……人魚とフェイがつるんでるとは思えねえけどなあ」
「詮索はあとよ!」三人は素早く身支度を整え、後退した。とたん、「ひゃあー!!」グウィンの悲鳴。足を縄に捕られ、闇の中へ逆さまに宙吊りとなった。罠が既にしかけられていたのだ。
「フルンゼ、グウィンを護って!」宙にブラブラするグウィンは、まるで射的の的である。「護ってったって………」フルンゼはグウィンを吊り下げる縄の伸びる木をへし折ろうとした。その木の影より、一人のフェイが飛び出てきた。お互いに夜目が効く。フルンゼが歯を食いしばって構え、すかさず槍の穂もついているハンマーを突き出した。フェイは身長よりやや低いほどの棒を持っており、それを地面へ立てると一気に跳び上がり、空中で回転して、正確にフルンゼの額へ踵蹴りを入れた。さしものフルンゼも眼から星がでた。フェイ独自の格闘技「森の護り」の達人である!
「この……!」フルンゼが器用にハンマーを振り上げたが、フェイは棒でそのフルンゼの肘の裏を打って攻撃を止め、そのまま喉を突き、さらには水月へ蹴りを入れ、最後に顎めがけて下から叩き上げた。防壁皮膚を持つ小トロールでなくば、悶絶している威力の連続撃である。
トドメの大上段よりの一撃を、フルンゼは頭に受けた。棒が折れて飛んで行った。フルンゼの瞳が怒りで真紅に染まる。「こぉの野郎おおぁあるぁあ!!」
「待って、フルンゼ、待ちなさい!!」アリーナの声に、フルンゼが止まる。
見ると、二人のフェイとアリーナが並んで立っている。
「どうしたんだよ、アリーナ!」
「とりあえず、ゴッサマーのお陰かしら」
「あ?」フルンゼは意味が分からぬ。フェイが無表情で云った。「ゴッサマーは我々グルームジャイム家の本家、アルジャーハイム家の特産です。天然糸による、本家の紋章が透かし彫りとなったゴッサマーを持つものを、我々は攻撃しません」
アリーナが愛用のリボンへ手をやった。この暗闇で、よくそんなものが確認できたと思った。
「レンジャーがいたはずだよ?」
「我々へ偽の情報を与え、あなた達を襲わせたのです。逃げようとしたので、懲罰のため、打ち伏せましたが、斜面を転がって行ってしまいました。おそらく無事ではすんでいないでしょう」
「どういうことだい?」
アリーナは肩をすくめた。詳しいことは、これから聞くのだ。「下ろしてー!」グウィンの泣きそうな声が、やっと闇の奥から聴こえてきた。
フェイは三人とも、「森の護り」の達人であった。代々、ホワイトフィールドの森へ住んでいる。いわば格闘系のフェイといえるか。地元のガルアム人とは激しく対立しているとのことで、昼間の戦闘を話すと、無表情のままだが、喜んだようだった。
「あやつらの麻薬はたちが悪い。薬草と幻覚キノコ、毒虫、それに特殊な木の皮、根を煎じる」
「身の破滅の薬だ。公爵家でも取り締まっているが、都(領都グロースターのこと)にも少しは流れているという」
「あなた達の云う、湖面の洞穴というのは心当たりがある。案内しよう」
だいたい、このような内容だった。
「あのレンジャーは?」
「あなた達が、そのガルアムの雇った傭兵だと。我々を退治するために」
「そのため、奇襲で先手を打ったのです」
「しかし本家のゴッサマー………」
「分かった、分かったから」アリーナは、たき火の明りの前で、三人とも似たような顔と似たような声で順番に表情も無く話すので、眼がおかしくなってきた。
アリーナは、反カーリオンのグウィネルダ組織があるのを思い出し、グウィンを見た。レンジャーはグウィネルダ人だったのだろうか。グウィンは複雑な表情で首を振った。いなくなってしまったいま、分からない。
夜明けを待って、一同は出発した。
フェイたちはみな棒を持ち(一人の物はフルンゼの石頭で折れたが、予備があるらしい。)グウィンよりも素早く、的確に森を進んだ。が、それへついてゆけるのはグウィンだけだった。さしものフルンゼも息をきらし始める。フェイたちは時たま、振り返るように立ち止まったが、冷たく高いところから自分を見下ろしているようにしか見えなかったので、フルンゼはまたアタマに血が上ってきた。「野郎、お高くとまりやがって……だから連中は嫌いなんだ」
最短距離を進んだので大きく時間を稼ぎ、その日の夕暮れ前には、断崖より湖を見下ろす場所にきた。アラーム川が大きく蛇行し、谷間に水が溜まったダム湖とでもいうべきもので山間が切れる箇所から滝が流れ落ちている。フェイの一人が、棒で対岸を指した。「あの山間に隠された洞穴があるのが分かりますか? 湖面のぎりぎりのところに」
三人は眼を細めた。グウィンとアリーナは分かったが、フルンゼはサッパリ分からなかった。
「あなたの仰っているのは、あそこのことでしょう」
「ありがとう。ところであなた達は……結晶は、ご存知かしら?」グウィンとフルンゼの顔へ緊張が走った。無表情のフェイにも、心なしか動揺が見える。
「ハイ。我々と、この湖に住む……」そこで隣のフェイが止めた。「あなた達はガルアムを殺してくれた。しかし、結晶の話は別です。昔から、あの穴の奥に、大きな結晶があるとは私達にも伝えられている。あなた達は誰の命令、あるいは依頼で、結晶のことを調べるのでしょうか?」
「もちろん、グウァリーフィラス王家よ。結晶の調査は勅命なの。もっとも私は現地調査を請け負っている冒険者の一人にすぎないけど」
「しかし王の勅命を請け負うなど、相当の信頼ではありませんか」
「なにが云いたいの」アリーナがゆっくりとだが素早く、身構えた。グウィンとフルンゼも、続く。
フェイは無表情のままニヤリと笑い、手を上げた。木々の合間から、グウィネルダ人レンジャーたちが二十人ほども出現する。(その一人は、昨夜、逃げた者だろう。)
「やはり王家が、結晶を狙っている!」フェイが冷たく云い放った。「ちがっ…」もう、飛び込みざま、棒でグウィンを崖より突き落とした。「チェルシー!!」真ッ逆さまに湖へ落ちるグウィンを、アリーナとモーザが追った。フルンゼとノーリィだけが崖の上に残った。
「やっ、野郎……! 裏切りやがったな!!」
「文句は依頼主の王家に云う事だな」衆人の中より、黒い装束に胸へ小さな紋章を縫いつけ、帯剣した、歳は三十ほどの人物が現れた。フルンゼはどこかでその赤いバラと火トカゲを模った紋章を見たような気がした。
「お前は……!?」
「我が名はカナール。ハンザ騎士だ!」
フェイとレンジャーが動き、まずレンジャーの放った鎖分銅が蛇のようにフルンゼへ巻きついたと同時に、フェイたちの棒が素早くそれを絡めて締め上げ、まるで磔のようにフルンゼを雁字搦めにした。しかも、一瞬といっていい。「沈め、小トロール!!」最後にカナールと名乗った騎士がフルンゼへ体当たりし、フルンゼは大の字のまま崖から落ちていった。
フルンゼは完全に死んだと思った。泳げぬ。いや、これでは泳げても死ぬ。助かるには奇跡が起こるしかない。アリーナが助けてくれるか、違う誰かが助けてくれるか。違う誰かって誰だろう。
ボスン、と柔らかく冷たいものの上に落ちた。感触は完全に水だ。が、沈まない。
「………?」
透明なゲル状の物体が湖面より盛り上がって、自分を支えてくれたのだと理解するまで、しばし時間を要した。それは水クッションの上に、アリーナとグウィン、それに、あの人魚の魔法使いがいると気づくまでかかった。
「あ、あんた!」フルンゼが笑顔で叫んだ。「ティアラ、って云ったでしょう? 物覚えの悪い小トロールのフルンゼさん」フルンゼの笑顔は、一瞬で消えた。
アリーナが、ロータスで鎖を断ち切った。もう、怪力で、全てを引きちぎってしまう。この怒りは、哀れなレンジャーとフェイに向けられよう。
しかし、水の舟(?)は崖をどんどん離れて、湖を進んだ。「ちょ、どこ行くんだよ!!」
「結晶が先よ!」アリーナが厳しく云い放った。フルンゼはたちまち、黙った。それを崖の上から見ていたカナール、「……しまった!! 裏切ったな、人魚どもめ!! 回れ、回り込め!!」怒鳴り散らしたが、この距離から回り込んでも、半日はかかろう。「舟を用意しろ!!」すぐにレンジャーが、斧で周囲の木を切り倒し始めた。筏を組むのである。
「ははは! 地団駄ふんでらあ!」フルンゼは楽しげに対岸の様子を見た。そして水の上にすっくと立って、三叉銛の勺杖(ワンド)がそのまま長く伸びて手槍のようになった杖(スタッフ)を持ち、風に群青色の髪と布巻の衣服をなびかせているティアラを見た。確かに、これはすごい術だと思った。
「なあ、アリーナ、どういうことだい?」
アリーナもよく分からぬ。後で理由を聞くしかない。
よく観察すると、水中を人魚が何人か、ついてきている。
すぐさま、対岸についた。洞穴は目の前だ。そこで、ティアラが、改めて尋ねた。
「アリーナ、あなた、トリ=アン=グロスをどうする気? 王家は結晶をどうしようというの?」
フルンゼとグウィンもアリーナを見つめる。「……」アリーナはしばし考えていたが、話し出した。「私は王家の依頼で、王国中の結晶の在処を調査し、封じている。それだけよ」
「王家は結晶を掘り出して、武器にでもするつもりなのでは?」
「後でそうするのかもね。いまは調査の段階だから」
「そのとき、あなたはどうするの?」
「私は結晶には興味が無いわ。王国を止める勢力が私を雇うのなら、格安で請け負うわよ」
ティアラはニコリと笑った。「そのときは、私も仲間に入れてもらおうかしら」
水舟がゆっくり洞穴へ近づく。四人は無事上陸し、舟はただの水へ戻った。一行は洞穴に入った。
「この湖のメローは、結晶をどうして?」
ランタンをかざし、洞穴を進みながら、アリーナが尋ねた。フルンゼは途中から狭くて進めなくなったので、グウィンと戻った。「この湖は、大昔にグウィネルダが造ったの」
「……造った? 湖を!?」アリーナは驚愕した。
「その機構を維持しているのが結晶の力なの。結晶を掘り出されたら、湖が無くなってしまう。そうしたら私達も住むところがなくなるわ」
「グウィネルダ文明……」アリーナは空恐ろしくなってきた。グウィネルダの牙といい、現代の技術を超越している。それが二百年前、建国の七英雄という名の冒険者達により、あっけなく滅んでいるのだ。
やがて、路は無くなり、眼前に池というか、洞窟湖が出現した。「水中に、まだ奥へ行く穴が続いているけど、人間では息が続かないわ」
「そう」アリーナは装備をはずし、鎧を脱ぎだした。「もう、人間じゃないから」自嘲気味にそう云って、どぶんと跳び込んだ。ティアラもすぐに続き、人魚へ戻った。長い尾ひれが、優雅に水中へ踊る。そのまま、二人はしばらく進んで、やがてアリーナといえども息が厳しくなってきたころ、水面の上にぼんやりと明るい部分が出現し、ティアラが指差したのでアリーナは浮上した。そこは完全に人工的な場所で、祭壇のようになっており、二人は噴水池から出てきたようなかっこうだった。高い天井からは日光が差し込んで、鏡のように磨かれた床石に反射し、空中に浮遊する大きな一つのトリ=アン=グロス結晶を照らしていた。結晶は虹色に輝き、脈打って静かにゆっくりと回転して、どこかへエネルギーを供給している。
「すごい……!」アリーナは素直に驚嘆した。
「ダムの貯排水をここで担っているの。どういう仕組みかまでは、もう伝わっていないけど」
「こんな技術……いや、もうこれは私達の概念で云う技術ではないわ。超技術だわ。魔法ですらない……!」
アリーナは知らぬうちに震えていた。自分達は何も知らずに、こんなものの上で暮らしているのかと思うと、凄まじい未知と、己らの無知に対する恐怖が走った。「……ナ、アリーナ」
「えっ?」
「どうしたの? 寒いの?」
「いえ……」
「封印って、どうやって?」
「王家の魔法の鍵をかけるの。宮廷魔法使いの作った、強力な封印よ。メローは、ここをどうやって管理を?」
「管理なんかしてないわ。ただ見に来るだけ」
「鍵をかけても?」
「かまわないでしょう」
二人は水中を戻った。元の場所へ来ると、荷物の中より、本当に錠前の姿をした道具をアリーナは取り出し、空中に鍵をかける動作をした。すると、洞窟湖がいきなり岩の壁で覆われてしまった。
「すごいわね」ティアラが感心する。触ってみて、「幻影でもない。本当に岩。すごい魔法よ。こういうものを作ることのできる人がいるなんて………!」
アリーナは複雑だった。こんな魔法と、先ほどの結晶より莫大なエネルギーを取り出す技術と、どちらが凄いのだろうか。
そこへ、暗闇の中を、白イタチのノーリィが現れて、アリーナの足元を走り回った。「……敵が来たのね!」二人は急いだ。
先に発見したのはグウィンだった。筏が三艘、オールで漕がれてやってくる。レンジャーと、騎士、それにフェイも乗っていた。筏の下を人魚がウロウロしていたが、特に何かするような気配はなかった。グウィンはすぐにノーリィを走らせた。木陰より、矢を射掛ける。正確にレンジャーの漕ぎ手が一人、湖に落ちた。変わりに弓が返ってくる。向こうもレンジャー、正確だ。グウィンは動けなくなった。
「あたいに矢なんか、効かないよおッ!」フルンゼは大きな石を拾って投げつけた。あわてて筏が旋回し、直撃を避けたが、大きく波うって揺れ、また何人かのレンジャーが落ちた。(落ちたレンジャーは、浮かんでこなかった。)
「その調子よ!」グウィンが歓声を上げ、フルンゼはいい気分となり、薮の奥からさらに大きな石を出そうとしたが、その薮がいきなりガサガサと動いて、フルンゼに掴みかかってきた。ガルアム人たちだ!
「わああ!」さすがに驚いた。倒れたフルンゼへ乗り掛かり、数人のガルアムが手斧をどかどかと叩きつけた。彼女でなくば死んでいる。フルンゼは暴れたが、脳天に何撃もくらって、さすがに気を失った。
グウィンは成す術がない。至近から矢を射掛けたが、麻薬戦士は矢を一、二本くらってもまるで動じぬ。そうこうしているうちに、カナールたちが上陸してきた。
「王家の間諜は中か!」
「わたしたちはスパイじゃないわ!」
「スポールディング家までが何を云う!」グウィンはサッと肩の紋章を隠した。「六領主筆頭の公爵家がどうして?」
「我々をないがしろにし、結晶を独り占めにせんとしている!」
「誤解だわ!」
「ではなぜ、お前達は公爵家に黙って勝手に調査を!」
グウィンは何も云えなくなった。その辺の経緯はアリーナしか知らぬ。
「いつまで手間取っている! ……おい、おい!!」カナールは舌を打った。「もういい、殺せ!」レンジャーがガルアムごと、雨のようにフルンゼへ矢を射掛けた。フェイは、油袋を用意した。「お待ちを。小トロールは火でないと死にません」
「まかせる」火打ちが叩かれる。「フルンゼ、逃げて!」グウィンが叫んだが、フルンゼは動かなかった。そのフェイの額に、がっつりと棒手裏剣が突き刺さった。崩れるようにひっくり返り、湖まで転がった。アリーナとティアラが洞窟から飛び出てきた。
ティアラの呪文で、湖から怪物タコか何かの触手のように水流が出現し、レンジャーたちを捕らえて次々に引きずり込んだ。悲鳴が山中に轟く。アリーナは、居をつかれて初動の遅れたカナールへ居合の一閃で跳びかかり、その右腕の肘から下を抜き払った剣ごと吹っ飛ばした。
「があああ…!!」腕を押さえ、カナールは呻いた。グウィンが心配していたが、水流が動かなくなったガルアムごとフルンゼへ大量の水をぶっかけた。
フルンゼはすぐにとび起きた。
短剣で自害しようとしたカナールを、アリーナが掴んで止めた。「話しなさい」その黄金の瞳に呪縛されたように、あるいは催眠でもかけられたように、カナールはがっくりとうなだれた。
「王家は公爵家をないがしろにしている……クラウニンシールド家は王家の弟筋……伯爵家ばかりを取り立て、その上にいる我らを疎んじている……結晶も我々には詳細は知らされていない……我々は独自に調べているのだ……それを、我が物顔で王家や他領の者が、我らが土地を歩きまわって……公爵家を王国より排除せんとしている……防衛は当然の権利だ!」
「公爵家を排除なんて被害妄想もいいところだわ! それにそれが反カーリオン組織とつながっていい理由にはならない。反逆罪よ!」
「あのグウィネルダ人たちのことか?」カナールはちらりとグウィンを見た。「連中は滅びた帝国の末裔だ。一枚岩でもない。どうということはない」
「その後ろに、ナインシュランドがいても?」
「ナインシュランドがいてもだ! 警告しておく! 王家がこれ以上我らを愚弄し、やがて滅ぼそうとするのであれば、いざというとき、公爵家はナインシュランドにつくだろう!!」
カナールは出血のため青白い顔で悲壮的にそう叫ぶと、走り去り、そのまま湖へ身を投げた。
「どうしてメローは私たちの味方を?」
川を下る水舟の上で、アリーナが訪ねた。
「公爵家からの手紙を、湖へ届けたわ。そして長老が一族会議で諮った。私達の村は、グウィネルダ時代にここへ住まわせてもらった恩があるし。王家にも公爵家にも関わりを持たないってことになったけど……それは無理な相談なのよ。古の帝国は滅んで、いままた、王国が割れようとしている。ナインシュランドの方角に、不吉な血の匂いがするわ。分かるかしら?」
「い……いや……」アリーナたちは眼を合わせた。
「ナインシュランドと手を結ぼうとする公爵家には、私達はつくことはできない。でも、早く手を打たないと……私達も、王家も、滅ぶでしょう」
「それは……予言?」
「私は占い師じゃない。確信よ」
ティアラの厳しい眼差しに、一同は不安をかきたてられた。
了
次回予告!
アリーナはオクツキ師の紹介で、聖レジーナ流フェンシングの正統道場「サル」を尋ねた。そこで若手の天才剣士にして見習い戦闘巫女と出会う。彼女の修行につきあう羽目になったアリーナだが、殺戮の女神の使徒が立ちはだかる。次回「山吹色への挑戦」
よろしくお願いします! (`・ω・´)ゝ
前のページ
表紙へ