ナッシュビル 〜暁のアリーナ〜

 九鬼 蛍

第五話 「山吹色への挑戦」

 その日、アリーナは、王都より街道を東へ抜け、ジャーミン男爵領の領都フリミングハムへ向かっていた。フリミングハム、そして街道を北上し、そのままカーウィン男爵領のキャップウェルへ向かい、また街道を王都へ戻るという旅で、それぞれ領都のヴェーラ神殿、アエルネ神殿及びフラガル大神殿へ文書を届ける、郵便人の仕事だが、正確には郵便人助手であった。

 郵便人は、わずか十四の少女である。図体はでかいが、性格はおとなしく子どもっぽかった。王都の調和神「アエルネ」中央神殿の修道女であり、若くして王立フェンシング道場「サル」の師範候補生というから、簡易ながら神聖呪文を使えるうえ、剣の腕も確かなのだろう。

 少女は、ジャクリーヌという。

 大きな青い目に、濃い艶のある金髪のくせ毛と、あどけない表情が年のわりに幼稚さを助長していた。修道服というより、聖レジーナ流フェンシング剣術の道着に近い上着を着て、調和神殿で見習い神官を示す赤い蝶のブローチがある。栄光ある戦巫女(いくさみこ)を示す山吹色のブローチを手にするためには、ただ強いだけではいけない。

 もちろん、正剣士であるから、神殿の(ただし仮)紋章入りレイピアと、左手用のマインゴーシュを装備している。レイピアは聖レジーナ流の特徴で幅広のソードレイピアとでもいうべきものだったが、女性用なのでひとまわり小さい。

 ジャクリーヌはあどけなさが残る一方、いつもどこか不安げに緊張していた。それは、アリーナに対する人見知りと、初めて王都から出て街道を歩く不安と、そして、剣に対する不安なのだとアリーナは看破した。すなわち、若い道場剣士にありがちな、実戦に対する不安、である。ここは、街中、それも警備が王国一厳重な都ではない。盗賊、人さらい、野獣、はては魔物・怪物から、自分で自分の身を護らなくてはならない。

 なにより、今回の旅は彼女にとって辛いものになるであろうことは、容易に想像ができた。


 アリーナが「王家の紋の入ったオクツキ師よりの紹介状」を手に、平服で王都カーリオンへ来たのは、季節も再び夏となりはじめた、暑さも徐々に厳しくなってきたころだった。昨年、はるかスポールディングの山奥でレンジャー、グウィンと出会ったのも、このような暑さの中だった。故郷ナッシュビルも夏はそれなりに暑い。全体にカーリオンは内陸国家なので乾燥し、寒暖の差は激しかった。

 王都は宮殿とエルヘイム大聖堂をそれぞれ中心にし、二本の大通りが大手門へ向かってV字につながっている。その路の合間に、大広場がある。大通り沿いには商店が立ち並び、王国中の産物が集まって売り買いされている。主に集まるのは建国の七英雄のうちで唯一商人の出だったとされるカーウィン男爵家で庇護するカーウィン商人である。ナインシュランドより先進の複式簿記を持ち込んだカーウィン家は、王国の経済顧問を務める一方、王家の弟筋であるクラウニンシールド家とも懇意であった。

 王都には、ナイン十二神筆頭・法秩序神エルヘイム大聖堂のほか、慈母神と調和愛神の大神殿があった。その内のひとつ、慈母神ヴェーラの王都大神殿の近くには、王立フェンシング道場があった。ここは道場主クロエ・ケンシントンが、現国王リチャードII世とかつて冒険者仲間であった縁から、王立となった由緒ある道場だ。

 本来、慈母神殿の秘技である聖レジーナ流フェンシングは、民間はおろか、他の神殿でも伝えられておらず、慈母神の信者のみ、会得する権利を有する。唯一の例外が、この王立道場「サル」で、ここでは誰でもその独特の戦闘法を習うことができる。もっとも、各神殿の推薦か、一般人は法外な授業料が必要なため、おいそれと入門できるものではない。

 アリーナは云うまでもなく東方剣士オクツキ師より伝授された殺人神流という東方の秘技を使う。その精緻にして豪快、合理的にして神がかり的な業の数々に比べれば、聖レジーナ流など流派というより「戦闘スタイル」とでも云うほどのものだった。ので、アリーナは、最初からバカにしていた。もっとも、それを表に出さなくできるようになったのは、ここ最近のことであるが。

 とはいえ、実際に道場の中へ入ってみると、かなり実戦的な訓練をしていたので、見ると聞くとでは大ちがいだと、アリーナは認識を新たにした。剣による突き、切り、受け流しはもちろん、剣術にしては珍しく(攪乱を含めた)蹴りや接近での肘打ち、頭突き等を多用し、投げ技のようなものもあって、格闘技的要素も含んでいる。ここはけして貴族や上級官僚子弟の教養剣法道場などではなく、アリーナの眼から見ても、少なくとも師範級の剣捌きは侮れなかった。確かに冒険者でも聖レジーナ流の剣士はレベルも高く稼ぎが良い。それは、貴族や神殿の支援もさることながら、やはり実力も伴っていたのだ。

 聖レジーナ流中興の祖とも仰がれるクロエ・ケンシントン。彼女は慈母大神殿の戦闘司教でもあり、整った顔の右側に大きな青痣のある、薄く透けるような金髪の美しい壮麗な中年女性で、気品と凄腕の剣士独特の張り詰めたような気を有していた。ふだんは痣を隠すために、舞踏会で使うような鼻と口を出した、目と頬を覆う仮面(マスク)をかぶっており、独特の気迫に満ちていて、アリーナも思わず背筋が伸びる。仮面を通していても、師オクツキの荒々しい戦場の気とも違う、どこまでも真っ直ぐな、真に貴族然とした高潔な意志を感じさせた。

 「はじめまして、クロエ・ケンシントンです。おうわさはかねがね」応接室で、ケンシントンはアリーナと握手をした。お付の者の侮蔑に満ちた視線をその黄金の瞳で睨み返しながら、「はじめまして、アリ−ナ・ヒツルギ・スカーレットウィンドです。ろくなうわさではないでしょう」

 ケンシントンは、眼は剣のごとく鋭く、口元に優しげな自愛の笑みを浮かべた。「まあ、そのようなこと……うわさはあくまでうわさですので。貴方たち、さがってよろしい」

 「しかし!」

 「おさがりなさい」

 ケンシントンの両脇を護る、道場師範でも、一、二を争うであろう屈強な戦士と、戦闘女司祭の二人が、深く礼をし、憎々しげに「血の色」「外道」「吸血鬼」「守銭奴」「蓮の凶剣」アリーナを睨みつけつつ、退室した。

 アリーナは鼻息も荒く、その視線をはねつけた。ケンシントンはそんなアリーナを静かに見つめ、

 「貴方は、復讐にとらわれすぎています。いまはその憎しみで剣の威力が増している時期ですが、やがて逆に剣を鈍らせるわ。気をつけてね」

 「えっ…」

 「だって、貴方は、本当はとっても優しい子ですもの」

 アリーナは雷に打たれたようになった。ケンシントンへ急に母の面影が重なり、涙が溢れるのをこらえた。

 「し……失礼ながら、初対面の方に云われる事ではありません。このたびは、どのようなご依頼でしょう」

 「そうそう」ケンシントンは何事もなかったかのように、続けた。「貴方の腕を見込んで、一人の師範候補生の修行をサポートしてほしいのです」

 アリーナは意味が分からなかった。「はあ……しかし、私は、他流ですが」

 「流派は関係ありません。いいえ、むしろ在野の貴方でなければできない、裏の仕事です。報酬は、三百五十カリヨンでは?」

 「三百五十!! …ですか!?」法外である。オクツキ師は王家の紋入りの便箋に、紹介状を書いてよこした。それがなくば、アリーナのごとき「外道の剣士」は、この正統道場の門などくぐれぬ。わが師とカーリオン王家にどのような関係があるのかは知る由もなかったが、王家からの依頼、あるいはケンシントンとカーリオン王は懇意であるというから、それへ準じる依頼と考えてよかろう。そう考えねば納得できない額だ。また王家やその周辺に彼女もコネを作っておくのは、悪くあるまい。

 「引き受けましょう。……で、具体的には、誰へ何を?」

 「当道場筆頭師範候補生のジャクリーヌ。彼女と半月ほど旅をして……そうね、なるべく敵を斬って、血を見せてあげてください」

 「………?」

 「血の色≠フ異名に相応しい、仕事でしょう?」
 

 具体的なことは、聴いていない。ただ、大きなバックパックを背負い、流派の特徴でやけに丈の短い無防備なスカートの腰に大きな剣をぶら下げて、もじもじしながら歩く少女の後ろを、鷹のような目つきで睨みながら続く自分は、用心棒というより少女を狙う女盗賊か何かにしか見えぬだろうな、と、おかしかった。(じっさい、宿場街に近づくと街道警備兵に何度か尋問された。)

 フリミングハムまでは王都より徒歩で六日ほどである。天気もよく、幸い、何事も起きずにたどり着いた。ジャクリーヌは、ほとんど口をきかなかった。なぜ自分が文書配達をやらされるのか、まして、この「おっかなそうな」無頼の剣士となぜいっしょなのか、まったく理解できていない。

 「ま、無理もないけどね」アリーナは、内心で、肩をすくめていた。「さて、まず私は何をすればいいかしら」そのことを考え、「まずはこの子の腕前か……」なにかちょうど良いイベントはないか、ずっと思案した。しかし、そういう時に限って、街道は平和なのだった。

 フリミングハムは亜人種が多かった。ここは「建国七英雄」で魔法使いだったジャーミン卿が始祖であり、代々、魔法塾ともいえる私塾が発達し、魔法使いに信者の多い知識の神「フラガル」の神殿本部もある。街中はフェイ種やカザード種、それに国境向こうの荒野に集落群のあるフェリシン種、フルンデのような小トロール種もいたし、さらには敵対勢力ではないが人間属(コモンズ)と完全に異質なトカゲ人間や、南方コートムアーの妖精人種の姿すらある。

 ジャクリーヌは初めて見るそのたくさんの亜人たちを最初は怖がっていたが、やがて興奮して通りを歩き、書店で「本」などをみて感動しはじめた。(「本」は大変貴重なもので、他領ではこのように通りで普通に売っているものではない。)

 「ジャッキー、迷子になるから、あまり離れないで」

 「……!」ジャクリーヌは子ども扱いされたと思ったのか、頬を膨らませ、返事もしなかった。その態度が思い切り子どもなので、アリーナは自分も剣士になりたてのころを思い出し、背筋がむずがゆかった。

 フラガルの神殿本部へ文書を届け(文書自体は、ただの連絡物である。今回の旅の目的は、郵便そのものではない。)まずは第一任務を完了した。ジャクリーヌは少し安心したのか、砕けた調子で話をしはじめた。

 「アリーナさん、私……」

 今日はここで一泊する。ジャクリーヌは神殿の宿所に止まることもできたが、アリーナと同じ宿にした。夕刻、食堂で、ジャーミン名物の荒野の焼き物料理に舌鼓をうち、ジャクリーヌはようやく心を開いてきたようだった。「あたし、どうして、お手紙を配る仕事なんか急に云われたのでしょうか? それも、アリーナさんのような、その……」

 「わたしみたいな? なに?」アリーナは南部産のワインを傾けた。ジャクリーヌはワインを水で薄めて飲んでいる。

 「すっすみません、そのようなつもりではけっして!」

 ジャクリーヌが首振り人形みたいにペコペコしだして、アリーナはいらいらしてきた。いつから自分はこんなに短気になったのだろう。

 「わたしはお金で雇われただけよ。あなたの用心棒みたいなもの?」

 「でっ、でもケンシントン様はどうして、急に……」

 「さあ」

 「あの……あたし、もしかしたら……」ジャクリーヌはそのまま、黙りこくってしまった。ため息をつきそうになるのをこらえて、アリーナは辛抱強く続けた。「なんなの? 云ってみなさい」

 「その……」ジャクリーヌは結局、ぶんぶんとかぶりを振った。「いいえ! やっぱりけっこうです!」そして、席を立って手洗いに行ってしまった。しかも途中で黒髪の商人態の若い女性とまともにぶつかり、何某か云われたようで、またペコペコと際限なくアタマを下げていた。

 アリーナは大きなため息をついた。


 翌日、アリーナは決心をした。「ジャッキー、わたしはここで用事を思い出したから、先に行っててくれない?」

 「えええっ!!」

 ジャクリーヌはこの世の終わりのような顔をしてアリーナを見つめた。「すぐに後を追うから、心配しないで」もちろん、用事などウソである。変装して彼女に気取られぬよう、尾行するなど、アリ−ナには朝飯前だった。

 「あなわ、それめそ……」錯乱したようにジャクリーヌは意味不明なことをつぶやきだした。緊張と不安で、おろおろと瞳孔が開いている。アリーナはちょっと後悔したが、後には引けぬ。

 「ジャッキー、大丈夫よ。頑張って」ジャクリーヌの頬へキスをして、アリーナは送り出した。「やれやれ」すばやく(暑いのに)フードをかぶって隠者へ変装し、後を尾ける。

 北へ向かう街道は、王都からフリミングハムへ来るときより混んでいた。商都キャップウェルへ向かう、あるいは来る商人の列が続く。アリーナは人の中にうまく隠れることができた。ジャクリーヌは路のすみっこを捨てられた子犬のようにとぼとぼと歩いていた。あまりに無防備でひ弱な雰囲気が、アリーナにもイヤというほど分かった。たちまち、周囲に、それとない者が一人、二人と張り付く。スリなら可愛いほうだ。盗賊か、人さらいか。暴行目的の狼藉者か。たいていは、それらをぜんぶひっくるめた、いわゆる「街道筋を荒らして回る」野盗であろうが。

 ジャクリーヌとて街娘ではない。腰には立派な剣が二本もある。左腰にソードレイピアと、左手で抜くマインゴーシュがバックパックの下で腰に真横に装備されている。その他にも、大小のナイフがある。

 しかし、いくら武装していても、それを使う本人の気迫がゼロでは、侮られて当然だ。これで本当に剣術の筆頭師範候補生なのだろうか。信じられなくなった。稽古の時はピカイチでも、試合、ましてや実戦で急に使えなくなるタイプの者は確かにいる。緊張とか不安に、極端に弱いのだ。それを乗り超えられれば、その者は大成するだろう。しかしそうでなければ、組織ではつぶれ、戦場では死ぬ。

 午後すぐ、少し通りが閑散としはじめたころ、ジャクリーヌの後ろについていた二人組が距離をつめた。彼女は、まったく気づいていなかった。後ろの殺気を確認しつつ、剣に手でも伸ばすのを期待したのだが。アリーナも歩を早める。だが、道端の、農家の休憩小屋のようなところで、旅姿の女性が、ジャクリーヌへ手を上げ、呼び止めたので、男達はサッと向きを変え、散ってしまった。アリーナも、物陰へ身を隠す。

 「あっ、先日の!」食堂で、ジャクリーヌとぶつかった女性だった。ジャクリーヌは知った顔に会えたことで緊張が一気にほぐれ、走り寄った。

 「先日は、その、どうも、すみませんでした!」

 「いいの、いいの、気にしないでちょうだい!」女性は背が高く、この国の人間では珍しく深く藍の混じった黒色の巻き髪をし、商人態で、一人旅のようだった。「夜明け前に出ていたのよ。ここまで一気に来て、休憩をしていたの。小父さん、この方にも、お茶を頂戴な」

 「あっ、払います」

 「いいから! 私はキャップウェルの家具商人の娘よ。お茶代くらい、かわいいアエルネ聖剣士様に寄進させてくださいまし」

 「あ、ありがとうございます……ジャクリーヌです……」

 「私は、ベリーナよ」

 「ベリーナさん、どうも……」

 ジャクリーヌは顔を真っ赤にした。アエルネ神殿の見習い神官を示す彼女の胸の赤い蝶のブローチを、ベリーナは目ざとく見つけていた。農家の納屋を改造した、小じゃれたカフェテラスの縁側のような場所で、白磁のカップとソーサーが運ばれ、ティーポットが置かれた。ベリーナは手馴れた手つきで、南部産紅茶を入れた。ジャクリーヌは正しい作法で、カップよりソーサーにお茶を移して、冷ましてから、ソーサーへ口をつけて飲んだ。ベリーナは満足そうだった。最近は熱いまま、直接カップから(下品にも啜って)飲むのが流行っているのだ。

 「ねえ、ジャクリーヌさん」

 「あっ、ジャッキーって呼んでください!」

 「では、ジャッキー、貴女を調和神殿の聖剣士様と見込んで、ひとつ、お願いがあるのだけれど」

 「なんでしょう……」ジャクリーヌは急に不安げな表情を見せた。

 「事情があって、私は一人でキャップウェルまで帰らなくてはならないのだけれど、最近は街道も物騒なの。野盗が増えて。ここから次の街まで少しあるでしょう? 警備兵の眼が最も届かない箇所に差し掛かるのよ。ここは相身互いで、いっしょに旅をしてくれないかしら? 剣士様がいると、私も安心ですし。護衛代も、もちろん、お支払いしますから」

 「そっ、そ、それは……」アリーナの許可(あるいは同意)無くそのようなことをして良いものかどうか、彼女に判断する能力は無かった。

 「ねっ、いいでしょう? お願い! そうしてくださいましな!」

 しかし、断る術も知らず、なし崩し的に、ジャクリーヌは硬直するように承諾した。
 

 「あ、あの、わたし、まだ、見習いなもので……その、お金を頂くなどということは……」

 潅木が周囲を覆う、すっかり人気の無くなった街道で、二人で歩きながら、ジャクリーヌはぼそぼそとつぶやいた。ベリーナは笑顔で、「だいじょうぶですから。貴女が黙っていればいいし、それがおいやなら、報酬ではなく、お礼、寄進ということで報告なさればよろしいかと」

 「はい……」ベリーナの健康的で知的な、それでいて屈託の無い、人を突き放すような貴族然としたものではない、いかにも中産階級、小金持ち庶民ともいうべき雰囲気に、ジャクリーヌは同じく元は中産階級のアリーナを重ねて、親しみを感じ、なんとなく安心しだしていた。また、いざとなったら(そんなことは、まったく実感が無かったが。)自分の剣で、この親切で人の良い美人のお姉さんを護るんだという使命感のようなものに、酔い始めていた。

 しかしその幻想の酔いは、すぐさま、現実に打ちのめされる。


 その日は、野宿となった。地形の関係で集落が無く、次の宿場街まで、女の足では微妙に届かない。夜通し歩けば、夜半につくかつかないか、といったところだ。冒険者の健脚ならば、それも可能だろうが、ジャクリーヌはまだ道場生で冒険者ではないし、ましてベリーヌは商人である。しかも、馬車ならまだしも徒歩だ。

 「私も、だいぶん、野外泊には慣れましてね。今は、行商修行といったところなのですのよ。ジャッキーは、どうかしら?」木陰の暗がりに、小さな火を起こして、糧食を摂った後、ベリーナは水筒より水を飲んだ。

 「は、はい、実習で何回か……」もう足が痛い。腰も痛い。肩も痛い。こんなに長い期間、帯剣しっぱなしなのも初めてだった。緊張が続かない。はやく帰りたい。

 「きれいな金色の髪ね。火に赤銅色に輝いているわ。美しいこと……。私なんかホラ、カラスみたいに真っ黒だから、うらやましい。それに脚もきれい……どうしてそんなにスカート丈が短いのかしら? 動きやすくするため?」

 ジャクリーヌは疲れて、ろくに返事ができなかった。「ええ、はい、流派の特徴で」

 「聖レジーナ流は、有名ですものね」

 「はい……」ジャクリーヌは寝息を立てていた。


 どれくらい眠っていたのか分からなかったが、そうとう深く寝てしまっていたようだ。とても冒険者が街道でとる眠りではない。ハタと眼を覚ますと、もう明け方近かった。飛び起きて、ベリーナを探したが、いない。荷物も無い。自分の荷物まで無かった。

 「……どうしよう……!!」

 血の気が下がった。剣を外すのも忘れて寝てしまったのが幸いか、剣だけはあった。これまで盗まれていたら、もう破門だ。

 「ジャッキー! 助け……」森の向こうから幽かに声がし、ジャクリーヌはレイピアとマインゴーシュを抜き払うと、小鹿のように駆けた。木々の合間を抜け、坂を登り、森の中を数人の男に抱えられてベリーナが拉致されてゆく。不謹慎ながら、ジャクリーヌは思わずほっとした。ベリーナは盗賊ではなかった。

 荷物持ちのような小柄な者がジャクリーヌへ気づき、盗んだ二人の荷物を放り出して、小剣を抜いて走って向かってきた。ジャクリーヌは無我夢中だった。どんどん距離がつまり、心臓が高鳴った。二人は対峙した。

 「イェヤアア!」気合一閃、先んじてジャクリーヌが凄まじいフェンシングの連続攻撃をお見舞いする。その思わぬ腕前に、盗賊は完全に面食らった。「こっ、こいつ……!」それでも実戦経験の差か、うまい具合にジャクリーヌの隙を突いて反撃した。それを左のマインゴーシュで受け流し、「イァア!」すかさず、レイピアが体制の崩れた男の左肩を刺し斬った。

 「うああっ!」男は叫び、膝をついた。血が流れる。試合ならば、もうこれで一本である。しかしこれは試合ではない。男はひるまずに、すぐさま立ち上がって右腕だけで遮二無二攻撃してきた。今度は、ジャクリーヌが面食らった。この場面からの反撃など、稽古でも試合でもあり得ぬ。三本試合だとしても、仕切り直しである。

 「やっ、わ、うわっ…」どんどん押される。盗賊が、下卑た笑いを浮かべた。「ははは、どうしたお嬢ちゃん! 男の相手は初めてか!?」

 瞬間、ジャクリーヌの高い回し蹴りが飛んだ。それは届かなかったが、短いスカートが翻り、下着が眼に映る。盗賊が歓声を上げた。「はっはあ! いいぞっ、おらっ、もう一回やってみろっ!」その瞬間、ジャクリーヌは大きく沈み込み、身をひねって回転脚払いをかけた。一回目の蹴りは奇襲であり、かつ、下着をちらつかせて男の敵の油断を誘う聖レジーナ流の正統な女技(おんなわざ)である。

 「わあっ…」盗賊は豪快にひっくり返り、転がって呻いた。「ち、ちくしょうっ…!」ジャクリーヌは盗賊へトドメを刺さずに、すぐにベリーナを追った。

 「……ケッ! ばかが、次はこうはいかねえぞ!」盗賊がなんとか起き上がったとたん、鋭く空を切る音がし、盗賊の首の急所がぱっくりと割れ、鮮血が噴水のようにとんで落ち葉を染めた。ロータスを音も無く納め、フード姿のアリーナがジャッキーに続いた。


 ベリーナをさらったのは、ここら辺を根城にする盗賊団のひとつで、規模は小さいものだった。大規模な野盗集団に比べたら「こそ泥」ていどのものだ。しかし、女一人誘拐するのには、充分すぎる。三人の薄汚い男が、掘っ立て小屋へベリーナをつれこんで、まずは久しぶりの獲物を存分に味わって楽しんでから、上玉ゆえに売り飛ばす。また実家の商家から身代金をとってもいい。その間、お楽しみは続く。とにかくベリーナほどの女が街道を一人旅など、彼らにとっては鴨がネギを背負ってやって来た以上の大ラッキーなのだった。ジャクリーヌも、街娘ならとうぜん、同じ憂き目にあっていただろうが、盗賊団の人数が少なかったのと、なにより剣を見て怖気づいた。そこが、また、こそ泥のこそ泥たる所以でもあったが……。

 「…あっ、ううっ……」ささやかな抵抗も、押さえつけられ、男たちの重圧に、成す術がない。そこへ、強烈なカカト蹴りでドアをぶち破り、ジャクリーヌが抜き身のまま飛び込んできた。

 「てってめえこのガキ!!」

 「ジャッキー、ジャッキー助けて!!」

 「黙れこのアマ!」一人が当身をくらわせ、ベリーナを気絶せしめた。「しようもねえ、このガキもふん縛ってまわしちまえ!」剣や棍棒をとり、三人をしてジャクリーヌへ踊りかかる。ジャクリーヌは眼を見開いて、三人へ対峙した。多対戦闘は高等技能である。見習いの彼女には荷が重かったが、果敢に相手をした。半身に構え、猛然と右で突き斬りを繰り出した。牽制し、巻き落とし、一人の剣を落とす。「ィヤァ!」そして踏み込んで肩口を突き刺した。横から殴りかかってきた棍棒も、素早く避けてマインゴーシュが腕を斬りつける。そして体を変えて右のレイピアが踊り、顎を切りつけた。残る一人は、彼女の意外な強さに、すぐに剣を捨てた。「わ、わかった、参った!

 へ、へへ、強えな、あんた、お、女は返すからよ、な、な」ジャクリーヌはしばし放心したように荒く息をついていたが、やがて剣先を下げた。しかし、どうするというでもない。試合の号令しか聞いたことのない彼女は、どうしてよいのか分からないのだ。「……?」盗賊たちは眼をあわせ、それぞれの傷を押さえながら脱兎のごとく小屋を出て行った。


 「……ベリーナさん、ベリーナさん!」剣を納め、ジャクリーヌはベリーナを起こした。ベリーナはすぐに気づいた。「ああ…! ジャッキー……!」ジャクリーヌへ抱きつき、「ありがとう、ありがとう! やっぱり貴女といて良かったわ……! あいつらを倒したのね!」 

 「え? ええ、はい」

 「……逃げられたの?」ベリーナは閑散とした小屋の中を見渡した。

 「はい、逃げました」

 「倒さなかったのね。でも、勇敢だったわ」

 「いえ、倒しました!」

 ベリーナは怪訝そうな顔をした。「いま、逃げられたって……」

 「相手は逃げました。私の勝ちです」

 「そ……そう? まあいいけど……私は助かったから……」

 「えっ?」

 「次に襲われる人も、ちゃんとジャッキーのような護衛をつけていればいいけどね」

 二人は外に出た。山の中を歩き、捨てられた荷物を発見して喜んだ。街道まで戻り、少し休むと出発した。「急ぎましょう、ジャッキー、あいつらが、戻ってくるかも」

 「どうしてですか?」

 「復讐よ! 貴女にね! 盗賊仲間を雇って大人数で来たら、次はどうなるか! 倒してしまえばよかったのに!」

 「……!」

 ベリーナの云うことは 倒す=殺す である。ジャクリーヌは、幼いころよりの感情的なこだわりで、絶対に受け入れられなかったが、云っていることは理解できて、自責の念にかられた。自分が見逃したせいで、次の犠牲者が出るとしたら、それは自分の責任ではないのか。ではどうしたらよいのか。縄をかけて、この街道を警備兵の詰所まで延々と連行するのか。不可能だ。

 「アリーナさんだったら」そうも思ったが、アリーナの異名を知らぬでもない。「アリーナさんだったら……。いや! 私には、絶対にできない。もう降伏した相手を殺してしまうなんて! それは真の正義ではないわ!」

 これこそが、ケンシントンの危惧する、ジャクリーヌの剣士としての最大の弱点であった。腕は立つ。しかし、最後にこうして不必要な情けをかけ、結局、負ける。試合でも負けるのである。「負けた者の気持ちを思うと……」などとしおらしいことを云うが、それでは剣をやっている意味が無い。試合なら負けで済むが、実戦ならば死ぬ。また、ジャクリーヌは手を抜いているとか、勝てる勝負をわざと捨てて相手を侮辱しているとか、あまつさえ相手から賄賂をもらってわざと負けているとか、あらぬ誤解も生み、相当の不評を買っている。団体戦では誰も彼女を仲間にしようとしない。勝った方とて袖の下がどうの、などと云われるものだから、試合の相手すらいなくなりつつある。問題は、本人の名誉や周囲の迷惑にまで発展している。聖レジーナ流は実戦剣法だ。貴族のスポーツではない。急所も狙えば、不意も打つ。後ろからも襲う。集団で一人を平気で取り囲む。騎士道は、この「神殿」に属する流派においては、少し扱いが異なる。この流派の本質は神の敵の殲滅なのだから。一度、敵と認識したならば、それは神の敵である。情け容赦なく、問答無用で撃滅しなくてはならない。まして、相手が人間ではない、魔物、怪物だったら。

 アリーナにより、その辺の奇麗事ではない現場体験をケンシントンは期待したのだ。
 

 次の宿場街ブロットム村へは、昼過ぎには到着した。宿が通りに立ち並び、ジャーミンとカーウィンの領境にもなっていて、関所で通行税を払う。関所を抜け、町外れの小さな宿をとった。朝から何も食べていない二人は食事にした。ジャクリーヌはアリーナがぜんぜん追いついて来ぬのを不安に思い、あまり食欲も無かったが、食べないと旅が持たないので無理にでも食べた。オートミールのプディング、茹でポテトや牛肉の焼き物、蕪とキャベツのとろとろ煮込みスープ、それに少量のバター、ミルク、ビール、ワイン、紅茶など、典型的な宿の食事だった。「とにかく、これで人心地ついたわね、ジャッキー」

 「えっ、ええ、はい」

 「元気ないわね。まだ気にしてるの? 大丈夫よ、宿に入ってしまえば。関所なのだから、両男爵家の警備兵もいるし、襲ってきやしないわ」

 「そ、そうですよね、でも……」ベリーナは目元をイラつかせながら、そんなジャクリーヌを睨むようにして、血のような深いベルベット色の赤ワインを急にがぶがぶと飲み始めた。

 「ねえ、ジャッキー、どうして、盗賊を逃がしてしまったの?」

 「だって! もう相手は戦えませんから……」

 「ケガが治ったら、また人を襲うわ。はたして、あんな程度で改心するものかしら?」

 「そ……れは……」

 「怖いの? 人を殺すのが」

 「そういうわけでは……」

 「じゃ、どうして?」

 「どうしてって……殺したくないからです。とにかく。理由はそれだけです!」

 「理由になってないわ。聖人のおつもりなのね。たとえ、自分が殺されても、人を殺したくない。そういうのをなんというかご存知? 偽善者というのよ」

 さすがにジャクリーヌが大きな声を出した。「ひどい! どうしてそんなこと云うんですか!?」それはすぐに食堂の喧騒にかき消された。

 「ごめんなさい、貴女の信念を悪く云うつもりではないの。ただ、そんなこと、現実には何の意味も無い、貴女の自己満足にすぎないのでは? という疑問がわいてきたの。ただそれだけよ」

 二人とも、その日はもう口をきかなかった。


 夜半。

 物音にジャクリーヌは飛び起きた。隣のベッドのベリーナを呼んだが、返事がない。月もない、暗闇に、階下よりガタン、ガタンと音がする。ジャクリーヌは只ならぬ気配に恐怖を感じ、闇をまさぐって剣を探した。しかし、無い。剣が無い! 確かに寝る前、ベッド脇に両剣とも置いたはずなのに!

 「ギャアアア!!」廊下から凄まじい悲鳴と人が倒れる音がして、身体を凍りつかせた。もう間ちがいない。賊だ。それも、こんな貧乏宿に物取りではない。殺しが目的の、凶賊が侵入している。宿の者も、他の客も、すでに全滅か。まさか。目的は……自分か。

 「ジャアァッキィィ……」酔ったような、恍惚としたような、明るい高い声がした。まさか。まさかまさかまさか! ベリーナ!!

 「ベリーナさん!!」ジャクリーヌが悲鳴のように叫んだ。ドッとドアが開いて、ランタンがかざされ、賊が踊りこんできた。眩しさに、ジャクリーヌが硬直する。男たちがよってたかってジャクリーヌへつかみかかり、服や髪をひっぱって、廊下へ引きずりだして床へ這わせた。眼前に、赤銅色の小剣が突きたてられる。血の、べっとりとついた小剣が。

 「………!!」ジャクリーヌは恐怖と衝撃で声も無かった。続いて男達が彼女を羽交い絞めにして立たせ、ブラウスを引き裂いた。「ヒャアッ!」やっとかすれた悲鳴がでた。ベリーナが木綿の胸当て下着を剥ぎ取り、白い肌と歳のわりに大きな乳房が露出し、下卑た笑いがとぶ。

 「ご覧! アエルネの性愛紋が刻まれている! いやらしい快楽で神と交感するんだわ! この子はもう、調和神の奴婢(はしため)なのだから! お前たち、こいつとヤッたらバチがあたるわよ!」

 「試してみねえといけませんなあ!」

 また哄笑がおきた。「どうして……どうして……」ジャクリーヌはただ涙を流しながらベリーナをみつめた。「え? なにをどうしてほしいって? ジャッキー。こいつらは私の手下よ。私がここの内鍵を開けたの。でもね、私たちは盗賊じゃないのよ、かわいいジャッキー。おカネなんか問題じゃないの。命……そう、命よ、人の命を捧げる夜、わがベリアディス様に! 命を捧げる夜なの!!」

 「ベリアディス! 殺戮の女神!」そこでジャクリーヌの顔に初めて、恐怖と衝撃以外の感情が浮かんだ。すなわち、嫌悪と怒りだった。「そっ、そんなこと! 殺戮を捧げる夜! そんなことのために、宿の人たちを!」

 「そんな事とは何事だ!」ベリーナの眼がつり上がった。「わが神を侮辱するか! この淫乱神の汚猥巫女が!!」ベリーナはジャクリーヌの胸を鷲づかみにし、痛がる様子を周囲がさらにあざ笑った。

 「さあ、こっちへ来るんだ! 楽しい夜はこれからよ!」ジャクリーヌは上半身裸のまま、食堂に引っ張られた。宿の使用人や、主人の家族が数人、いた。いわゆる女子どもばかりである。みな震えて泣いていた。

 「さあ、勝負よ! 聖レジーナ流の剣士様! 私の手下と勝負しなさい。そしてジャッキーが勝てばこいつらは見逃してあげる。ただし……負けたら楽しく皆殺し! フリミングハムから眼をつけていたのよ! この子なら、楽しい儀式になると思って! 案の定だわ! ただの戦闘巫女じゃなくって、殺したくなるほど嬉しい偽善者! 殺戮のしがいがある、素敵にお花畑な頭脳の持ち主ちゃん! ほら、とっとと剣をとりなさい!」

 ベリーナが両剣を投げてよこした。ジャクリーヌは上半身を隠していた腕を震えながら解いて、剣をとった。周囲の、全員が返り血で真っ赤に染まった、十人程の殺戮の女神の信徒たちが、いっせいに囃し立てる。

 「さいしょはおれだあ!」

 「いや、私が!」

 「自分が!」

 賊といっても、彼らは、昼間は堅気である。ただ、みな邪神の信徒であり、今日は集会の日なのだ。旅人を装い、遠くは王都より、今日、この宿に集合した。この皆殺しの儀式のために。

 「ベルナデット様、どの者に」グループの中でも幹部らしき者が、ベリーナへ指示を仰いだ。

 「安心なさい、おまえたち、このお優しい戦巫女様は、敵を殺せないそうよ! 安心して相手をしてあげて……さんざんに打ちすえてみんなで存分に楽しんでから、首を刈って手足をちょん切り、生き胆と心臓を抉り出してから腸をぶちまけておあげなさいな! アハーッ、ハハア!」

 また喝采がおきる。

 「じゃあ……肉屋のジョン! 同じ二刀流!」

 両手に大きな肉切り包丁を持った青年が、鋭いが倒錯した目つきで前に出た。

 「さあ淫乱巫女様! せいぜいポルノみたいにイヤらしくクネクネして戦ってちょうだい! 全部脱いだっていいのよ……その代わり、絶対に殺しちゃだめですからね!」

 またまた笑いと喝采である。ジャクリーヌは恥辱と恐怖と混乱で、倒れそうだった。震えながら、なんとか剣を構える。「他神の巫女をバラすのは久しぶりだ! きれいな切り身にして、ベリアディス様へ捧げる!!」肉屋はひきつって、器用に包丁を振り回しはじめた。

 その曲芸のような包丁捌きに、ジャクリーヌは気をひきしめた。が、もうだめだ。足が震えて、嗚咽で息が止まり、まったく、動けない。周囲の者達が、やおら、身体を揺らして楽しそうに讃歌「我が殺戮の女神よ永遠なれ!」を歌いだした。もう、頭の中がメチャクチャになった。

 「そおらア!」包丁が飛んだ。ジャクリーヌが気合を入れてマインゴーシュで受けたが、声も出なかった。たちまち左手の小剣がふっとばされる。

 「どうしたのジャッキー! もっと気張って頂戴!」

 「ベルナデット様、話になりゃあせんぜ、もう少し遊んでいいスか」

 「いいわよ」ベリーナ、いやベルナデットは椅子に座ってワインを飲み、チーズを食べながら観戦していた。その目の前で、奥の暗がりよりふいに躍り出た影が、やおら白刃をきらめかせ、肉屋の片腕を包丁ごとストンと落とした。

 「え?」と、一瞬、呆気にとられてから、血が吹き出して、おそるべき悲鳴がし、肉屋のジョンはひざまずいた。すかさず、フードの人物は振りかぶってジョンの首を一撃で半分も落とす。鮮血がほとばしり、歌も止まって、一同は凍りついた。

 アリーナはサッとフード付マントを取り、ジャクリーヌへかけてやった。ジャクリーヌはそのまま、気絶するように膝をついた。

 「あなた……? ジャッキーの連れの? いまさら!?」ベルナデットが呆然とつぶやく。

 「まあ、いろいろあって……向かいの宿にいたから気づくのが遅れたわ。あんたたち、ここまでしておいて……まさか自分らも同じ目にあうかも、とは微塵も思わなかったのかしら!? 頭がお花畑の信徒さんたち!」

 「こっこ、殺せ、殺しなさい!!」

 残りの信者がいっせいに踊りかかる。しかし、残念ながら、彼らは、凶暴な殺人鬼ではあったが、戦士ではない。一般人である。手に手に包丁や狩猟ナイフ、斧、鉈、小剣を持っていたが(戦士が使う通常の剣は技術的に使えない。)アリーナの怒りと裂帛の気合、黄金の眼光により、たちまち射すくめられ、それをアリーナは容赦なく、人形のように、続々と斬って捨てた。

 「ごぉのっ……!」ベルナデットは、震えている自分に気づき、引きつった顔で生唾を飲んだ。このままでは、本当に自分が自分の信ずる神に捧げられてしまう。「おまえは……!?」

 「ナッシュビルのアリーナ!」

 「おまえが血の色の半魔族!!」もうベルナデットは脱兎のごとく逃げだした。それにはアリーナも意表をつかれた。「ま、待て、この!」

 「誰が待つものですか!」ベルナデットの呪文。彼女は邪神の、神官戦士である。テーブルから何から、ひとりでにひっくり返って浮かび上がり、アリーナへむけて飛んだ。ポルターガイストである。アリーナは突き、蹴り、それに避けですべてかわした。

 そこへ「その場にとどまりなさいな、アリーナ!」金縛りの言葉が飛んだ。アリーナはビクリと身体をすくませたが、気合の一声でそれを破った。

 「私の金縛りを……!」

 「もっと気張ったらいかが!?」

 ベルナデットの顔が屈辱に歪む。「キイイィアアァアア! アアアアアア!!」狂ったように叫びまくり、漆黒の髪を振り乱して、充血した眼が血のように光った。炎の色をした小剣より、本当に火が吹き上がる。ベリアディス神の大使徒たる地獄の番犬の吐く、地の底の炎だ。口から緑の液体を吐き出して、アリーナへ向かった。瞬間、その液体を霧のようにして吹きつけた。毒霧だ。眼にかかったアリーナが、一瞬、ひるんだ。ベリーナの顔が喜悦にひきつった。「ハッ、ハア! ざまあなさい!」その振り下ろされる火の小剣を、鋭い一撃が受ける。ジャクリーヌのレイピアだった。そのまま巻き落とし、回し蹴りがベルナデットの背中をとらえた。豪快に倒れて、起き上がろうとしたところを、アリーナがおもいきり顔を横から蹴りつけた。またぶっとんで転がり、床を舐めたベルナデットは一気に戦意を喪失したものか、頬を押さえていきなりわあわあと泣き喚いた。

 「よっ、よくも、よくも顔を足蹴にしたわね! この野蛮人が! よくも、よくも、このベリアディス様の依代(よりしろ)たるこの高貴なる私の、わッ、わアアたアアァしの顔をヲヲオオォオオ!」そして、また、黒板を掻いたような奇声とも悲鳴ともとれる高音を脳天から搾り出し、呪文と共に炎の中へ消えてしまった。

 ジャクリーヌは、本当に今度こそ、ばったりと気絶した。


 ジャクリーヌはショックで高熱を出し、四日も寝込んだ。翌朝、村は騒然となった。生き残りの証言で、アリーナとジャクリーヌは無罪放免どころか、関所の警備兵より些少の慰労金がでた。

 四日後、二人は話し合った。アリーナは直ぐに王都へ戻ろうと云ったが、ジャクリーヌは文書配達を続けたいと主張した。アリーナはそれを断る理由が無かった。

 二人は出発した。ジャクリーヌの体調を考慮し、荷馬車を雇いキャップウェルまで行く。その荷台の上でのんびりと陽光を浴びながら、ジャクリーヌはうつむいたまま、ぼそぼそと話しはじめた。

 「アリーナさん……あたし……」

 それからかなり沈黙があった。アリーナは辛抱強く待った。御者の老爺が、彫像のようにラバの手綱を握っている。

 「アリーナさん……あたし……妹を殺したんです」

 「えっ!?」さすがに意表をつかれた。

 「小さいころ……誤って……それで、罪深い不吉な子だと、両親に……捨てられました。それで修道院に……あたしが殺すのは……もう、妹だけでいいんです……妹が最初で最後……そう、きめたんです……」

 「そう……なの………」ならば、どうして剣などやっているのか。普通の巫女として、神と不幸な妹へ祈りを奉げていれば良い。それは、口からは出さなかった。ジャクリーヌは、しかしそれを自覚していた。

 「あたし……剣が好きなんです……近所の神殿でやる、聖レジーナ流に憧れて……それで剣術ゴッコで妹を……ふつうなら、それで剣を止めますよね!? 剣なんか見たくもなくなりますよね!? でも、ちがうんです! ますます、剣が好きになったんです! 楽しくって、気持ちよくって! 剣が、こう……! そんな自分が怖くって! 最後まで戦えないんです!!」

 過剰攻撃性快感の性格破綻なのだろうか、それとも、ちがう、彼女の心には、もっと深い闇があるのだろうか。それは、アリーナにも分からなかった。喜悦と、恐怖と、陶酔と自己嫌悪に刻々と移り変わる彼女の瞳を見て、アリーナは驚いた。

 「あたしには分からないわ、ジャッキー。でも、あなたがそう思っているのなら、思っていることを最後まで突き詰めるしかないのでは? 敵を殺すとか殺さないとか、そのずっと後の出来事よ。まずはもっと腕を磨いて、疲れて気絶して記憶が無くなるくらい剣を振って、それでもまだ剣を振るのよ。それが奥儀を極めるということだわ。それから考えなさい」アリーナの自己体験から来る剣士にしか分からぬ重い何かを感じ取ったのだろう。ジャクリーヌは、笑顔で返事をした。

 彼女が、聖調和神正統戦闘巫女として、晴れて山吹色の蝶のブローチをつけるのは、三年後のことである。史上最年少記録であった。



 了



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