ナッシュビル 〜暁のアリーナ〜
九鬼 蛍
第六話 「暗黒の希望」
その日、ベリーナは、カーリオン王領内某所の広大な広葉樹林内にあるベリアディス教団「殺戮こそ我が真理学会」施設本部の一室において、一人の人物を待っていた。鬱屈した表情と、怒りと憎しみと屈辱にまみれた目つきに、教団職員や一般信徒たちも彼女を避けた。頬には、まだアリーナに蹴られた後が残っている。
やがて、扉が開き、暗がりより袖と裾の長いローブのような地味な衣服へ身をつつんだ背の小さな人物が現れた。ベリーナはたちまち椅子より飛びはねるようにして立ち上がり、人物の足元へ片膝をついた。
「アレクサンドラ様! どうか、どうかお助けを!!」
「このバカが!」そう云ってベリーナを叱り付けたのは、子どもだった。少女である。十歳に満たぬようなあどけない少女であるが、その声には、若々しい調子とは裏腹に、気の強い老婆のようなおそるべき重みと余裕が含まれていた。
「己の立場を忘れおって、そのうえ大切な儀式を台無しに! なんのために己をそこまで育てたのか分かっておるのか! 聴けば相手も半魔族の………」そのまま、延々と説教とも愚痴とも厭味ともつかぬものが続く。ベリーナは内心、怒りの炎で煮えくりかえっていたが、少女の足元を凝視しつつ、耐えるしかなかった。
「このバケモノ! 同じことを何度も繰りかえして! さいきん、またボケてきたんだわ! 一体いつになったらおっ死ぬのかしら!」などと考えて気を紛らわすほかはない。
「……デット、聴いておるのか!」
「はっ!?」
「そなたの望み、幹部会で諒承された。そなたの復讐に教団は協力しよう」
「え……」ベリーナは顔を上げた。「本当ですか! ありがとうございます!」
「ただし!」
「……ッ」ベリーナは舌打ちし、また顔を下げた。
「己の修行が先だ! 己はまだ魔族の血が覚醒しておらぬわ! 血の色のアリーナなる雑種に勝るとも劣らぬ血統のはずのおまえが! 三年はみっちりと槍、剣、それに殺戮の神聖呪文を叩き込んでくれる! よいか、いくら凄腕の仲間を雇ったところで、しょせんはカネの縁、己が弱くては身内から侮られるだけよ! それを避けるためには………」
厭味兼説教は続く。こんな(見た目は)子どもに跪いてくどくどと叱りつけられているのと、返す言葉もないのがまた、ベリーナの倒錯した憎しみへさらに火をつける。ベリーナは悔しさのあまり涙が出てきた。石床が涙で濡れた。この屈辱は、全てアリーナへ向けられる。
ナインシュランドから来た七人の冒険者によって約二百年前に建てられたカーリオン王国では、言語、習俗、習慣、政治、経済、暦、宗教など、ほとんどナインシュランドと変わりなかった。信心深い彼らの信じる神々は、ナイン諸神と呼ばれ、十二柱のそれぞれの分野に最高神がおり、さらに下位神がいくつかいるという体系だった。人々は自由に、主に職業(つまり階級)や、自らの思うところでそれぞれの神を信じ、あるいは、いくつかの神を祀っていた。
神というのは不思議な存在で、恐るべき古い時代より人々と共にいて、強大な影響力を保持しているはずなのだが、人が望まない神はやがて淘汰され滅ぶ。いくら神が強力であろうと、人に祈られなくなった神は時の彼方に滅ぶのである。また、人が望めば神の性格も変わる。人の祈りと望みが、神を変える。すなわち、多神教における善神、悪神(邪神)などというものは、そうして生まれる。より強い神の意向で、敵とされた神なども、けっきょくはそうして、神格を貶められ、歪められて淘汰される。悪神だろうが、悪人より祈りを受けて残っているだけ消えてしまうよりましなのかもしれない。
ナイン諸神最高位の十二柱を簡易に紹介する。
法と秩序の神、エルヘイム神。これは王家の篤い信心と庇護を受け、カーリオンにおいては、ナイン諸神でも筆頭神とされる。王都に、王宮に匹敵する大聖堂がある。
慈母神、ヴェーラ神。大地の女神で、豊穣の神から転じて慈悲神ともなり、信者数では最多。聖レジーナ流総本山。福祉関係に強い。王都に大神殿がある。
愛と調和の神、アエルネ神。人間関係を和ませる役目を持たされた神。転じて夫婦、恋人の信心を得、さらには性愛の儀式に通じる。王都に大神殿があり、この三神が、カーリオンでいわゆる「神様」という大きな視点で語られるもの。
以降は、カーリオンにおいては中規模の神殿か、無人の小神殿、あるいは三神殿の中に祠が乱立したり、人々がお守りを持ったり、あるいは特定の職種の人が祀ったりする、サブの神様となる。三神の神官が同時に祀る場合も多い。これらの下位神もたくさんおり、体系を複雑化している。
知識の神、フラガル神。書物と勉強の神様といったところか。魔法使いに信仰が篤く、フリミングハムに神殿統括本部がある。サブ神では最大規模の神殿。
美と藝術の神、コラーダ神。美の女神であり、吟遊詩人、歌手、楽器奏者、舞踊家、絵描きなど、芸能関係者に信者が多い。また工芸の神様でもあり器用さを願って職人がよく工房に祀る。
水神、オネール神。いわゆる水神様。水源や、カーリオンでは川が多いので川猟師や船乗りに好まれる。この神の巫女は必ずメロー種が務めるしきたりである。
火神、ゴブニュ神。こちらは火と金属の神。鍛冶屋、鋳物屋などが好む。水銀の化身。
戦神、ベリアド神。カーリオンでは長く戦乱が無いので、形式上の神様になっており、どちらかというと病魔を退ける医術神、あるいは商売敵をやっつけるというので商売の神の性格が強くなってきているが、本来は雄々しく荒々しい戦いの神。人間の望みによって神の性格が変わる典型といえるだろう。ベリアドは戦士ではなく、病人や商人から祈られるのを、どう思っているだろうか。祈られないよりマシとでも思って、苦笑しているかもしれない。
運命の神、オハーン神。これは、かつては世界創造に関わった古い神とされていたが、いまや純粋に賭博や占いの神になっているもの。
星の女神、アルヴァラ神。これも、人の祈りが神の性格を変えた例である。星の神も、かつては世界の創造に携わった古代神の一種だったが、創造が終わり人の世が訪れれば、人の営みを司る神が格を上げるのは自然な成り行きなのだろう。いまや、航海や旅の安全の神、神秘の神として命脈を保っている。
また極端に性格がゆがみ、完全に立場が逆転していわゆる邪神として残っている神が二柱、ある。人々は恐怖の対象として、それを恐れ、災厄がないように祈る。また、その負の側面を強調して信仰する人々が必ずおり、良くも悪くも、心の闇に彼らは生き残っている。
混沌の女神、アデュール神。世界は混沌から生じるのはどの神話も同じで、世界創造の最初、宇宙の中心にいる崇高な始原の神、偉大なる大気の乙女だったが、いまや混乱と恐慌の闇の女神として、法と秩序の神エルヘイムの対極にいる妹神として伝えられるまでに到った。
夜の神、ダイレフ神。月と夜の神でいわゆる「死神」の親玉であるが、死を忌避し嫌悪する文化が生じ、恐怖の神と化したときより、この神は死を支配する怪物たちの頂点に立った。
さて……。
戦神ベリアドの双子の娘、名誉と勇気の女神ベリアデールと死と殺戮の女神ベリアディス、その両者の正反対の性格は、戦争や戦闘のもつ二極化された信実をそのまま伝えている。後者を崇める人々は、この世になぜ殺戮が起こるのか、なぜ人は人を殺すのか、殺戮とは何なのか、快感か、宿命か、その人間の真理を、殺戮を通して得ようとする。とは、彼らの言葉で、ようは殺人狂の集団である。ベリアディスは、そもそもがベリアド神の配下神、下位神で、まとまった信者という信者もおらず、人々が密かに隠れて崇めるもので、まして組織立つような性格のものではなかったが、いつのころからか「殺戮こそ我が真理学会」なる教団が組織化され、カーリオン内部で深く暗躍し始めていた。かつてカーリオンには「黒い雷」という同じくベリアディス教団が存在したが、小規模のまま王国に雇われた冒険者チームによって壊滅した経緯がある。その滅んだ教団とのつながりは、解明されていない。王宮政府でも、真理学会のことは「噂ていど」しか認識していなかった。
深い森の中の教団施設で、三年の修行を経たベリーナは、地方指導官より正式に司祭に昇格した。そして、王国中の信者のとりまとめと、より大規模な殺戮の儀式の指導と執行を行うこととなった。それ以前に、彼女にはどうしてもケリをつけておかなくてはならない相手がいた。
アリーナである。
信徒や冒険者斡旋所を通じ情報を集め、アリーナが国内で何人かのメンバーと共に仕事している事が判明した。ベリーナはアレクサンドラへ情報を送り、指示を乞うた。今こそ教団の用意した最強の配下を引き連れ、アリーナを殺戮の儀式に奉げるのだ。
少女の姿を借りた王国でもおそらく最強……いや最兇の魔女は、強力な戦士と魔法使いを送ると手紙によこしてきた。ベリーナは小躍りし、王都の郊外にある某安宿で二人を待った。(宿の主人が教団の信者である。)
半月後、秋も終わり、雪もちらついてきたころ、彼女を客が訪れた。助っ人が来た! ベリーナは喜び勇んで宿のホールに下りた。そこには深くフードをかぶった、二人がいた。やけに大小の差が大きい。一人は子どものようで、一人はドアを潜って通るほどの(体格からして)大男だ。
「よく来てくれました! 百人力の味方を得た想いですわ!」
「百人力!? 千人力の間ちがいだろうが!」
その声は! ベリーナは血の気が下がった。
「アレクサンドラ様! いったい……どうして……!!」
魔女はフードをとった。背も伸び、髪を後ろにひっつめた、以前より少し大人びた少女の小生意気そうな顔が現れた。しかし秘法によって幾度と無く転生し、肉体を禁呪で若返えらせた、三百五十歳の化け物である。宿の主人が、司祭であるベリーナよりさらに偉いのだとすかさず察知し、深く跪いた。アレクサンドラはその主人へ、置物のようにフード付マントをかけた。
「そなたの云う雑種の半魔族剣士に興味がある。国王にも目どおりのかなう、高名な冒険者というではないか。教主様より許可を得た。それにわしの正体を他に知られとうない。常に先ほどのフードをかぶっているゆえ、そなたもアレクサンドラ様などと呼ぶな」
「で……では、どのように」
「サーシャとでも呼べ」
「サーシャ!?」いまさら(見た目は別にして)子どものような愛称でもあるまい。さすがに閉口した。話題を変える。口元が自然にひきつった。
「じゃ……じゃあ、サーシャ、こっ、こちらの大きい方が、頼れる戦士さまかしら」
「ミュー、ベルナデット様にご挨拶をなさい」その猫なで声に、ベリーナは背筋がゾワリとした。しかし、フードをぬぎ、マントをとった下より現れた人物……いや、怪物に、さらに嫌悪を抱いた。
「……なんなの、あんた!!」見上げて、ベリーナが思わず叫んだ。
「ミューでシュッ…」吃音が悪く、鋭く空気の漏れるような音を発するが、しっかりした人間の声だった。そして、恥ずかしそうにうつむいた。人間のようだが、てらてらとした肌はヘビのようで、しかもじんわりと湿っている。長い尾があり、トカゲ人間そのものだが、全体にもっと華奢で、髪もあり、顔は若い人間の女性である。
「でしゅ!? ふざけているの!? アレク……ああ、その、サーシャ、なんなの、こいつは!?」
アレクサンドラが楽しそうに笑った。「驚いたかい!? 殺戮魔法研究部で長年開発を続けていた、殺戮用合成人間、M−12号だよ! やっとここまでこぎつけたんだ、まだ情緒面が不安なのと、舌がうまく人間のように出来ていないから変なふうにしゃべるけど、アタマも眼も耳も声帯も人間だから、云うことも聞くし、話すこともできる。こいつは使えるよ。実用試験も兼ねようと思って連れてきたんだ、ひゃ、ひゃ……」
ベリーナは、大きな図体をして、前でもじもじと(鋭い鉤爪のついた)大きな手を組み、長い尻尾をずりずりと動かして上目遣いに自分を見つめるミューに、本能的に嫌悪を感じた。
「あなたも人前で……いいえ、私の前でフードをとるな! 分かったわね!」
ミューはトカゲのような長く尖った青い舌をべろりと出し、きゅうッと裂けるように開いた大口から鋸状に尖った歯をのぞかせて「わかりまシュった!」と嬉しそうに云った。ベリーナは全身に鳥肌が立った。
「さあ、楽しい狩のはじまりだ。そのアリーナとやらのね、しっかり仕切るんだよ、ベリー!」アレクサドラが高笑いで自らの部屋へ向かった。とんだお目付けである。頭痛がした。ミューがじっと自分を見ているのに気づいた。
「な……なによ」
「私には、お部屋はあるんでシュッ…か?」
「おまえなんか裏の馬小屋で充分だわ!」ベリーナがそう叫んで怒りを露にしたが、ミューはなんだか嬉しそうだった。頭がおかしいとベリーナはますます気味悪がったが、その夜のうちに馬がミューに骨まで食い殺され、翌朝、さすがに宿の主人がベリーナへ弁済を申し立ててきたときには、気絶しそうになった。
さて、アリーナである。
その日、アリーナは、グウィンとフルンゼを連れ、王都を訪れていた。初春に、この三人でホワイトフィールドの山中へ分け入り、メロー種の魔法使いティアラと共に謎の結晶「トリ=アン=グロス」の場所を封じた。その後、三人はいったん別れたが、夏にもう一回会って、政府や結晶とは関係のない仕事をした。それから秋ごろにまた結晶鉱山を一か所つぶし、この冬の初めに三人で王宮へ呼ばれたのである。アリーナは非公式に実は何度か宰相とも面会していた。確実な王家の裏仕事の遂行を評価されての事と、王立聖レジーナ流フェンシング道場「サル」当主ケンシントンの強い信任と推薦があったためである。
その日ばかりは准騎士正装に身を包んだアリーナは、まだ実家で高級商人の子女として暮らしていたころのマナーも身についており、騎士礼を覚えるのも早く、国王へ謁見するのになんの問題も無かったが、さすがに剣闘士あがりのフルンゼと、男爵家直参とはいえレンジャー、ましてグウィネルダ人のグウィンは国王へ目通りがかなう身分ではなかったため、控えの間で待たされた。(もっとも、王宮に昇殿できるだけ、通常ありえぬ待遇である。)
カーリオンは王国とはいえ正確にはそれぞれ自治権を有する七領主家の連邦といった国家体制で、中心のグウァリーフィラス王家は絶対王権を有するというより盟主的存在であった。従って王家の支配力という点では非常にゆるく、建国の基礎が七人の冒険者の同盟(友情)関係にあったことに由来する。七家の結束はもちろん鉄より固いが、それも二百年を経て、軋んできている。
グウァリーフィラス家代十二代当主、国王リチャード2世は、スマートな面立ちをしながら勇猛果敢な騎士王であり、始祖の性格を良く受け継いでいた。五十七にして、いまだ模擬戦では先陣にたって剣を振るう猛者である。その飾らぬ豪快な冒険者気質の英雄的性格で、各領主家はもちろん、遠く東はナインシュランド、南はコートムアー、北はカザード国家ノーザンバランド、そして西は未開荒野の奥地にまで勇名を馳せ、カーリオンのカリスマであった。反面、内政には疎く、信任篤い家老のショーフェルスターが宰相として国務を取り仕切り、王を支えている。
謎の結晶トリ=アン=グロス問題は、建国当初から伝えられてきたことだったが、いつしか途絶えてしまったらしい。それが再発見され、王宮地下の書庫より建国初期の古文書が偶然見つかったのはエルヘイムの啓示としか思えないと宰相は云った。当初は単なる危険な物質の発見という国内問題として彼が対応、処理をしていたが、建国に関わる重大な機密が次第に明らかになるにつれ、事は国王の判断事項に関わってきた。
宰相と国王はアリーナの報告にあった、ホワイトフィールド家の情報騎士団が敵に回ったという事実、ナインシュランドの関与の可能性に多大な関心を払い、重臣会議で慎重な協議と裏取りを重ね、ついにアリーナを召喚するに到った。これからの展開如何によっては、七領主による直接会議を数十年ぶりに開くことになるだろう。そこでホワイトフィールド公爵の詰問という非常事態に発展する。
それを避けられるかどうかの瀬戸際の重大な依頼を、アリーナは託される。もちろん、王家直参の騎士団も動くのだが……残念ながら実直と正攻法を美徳とするこの古風な騎士団は、こういう裏仕事にはまったく向いていないのだった。
「恥を忍んで依頼する。また、南へ向かってはくれまいか……」非公式ゆえ、小さな私用の謁見の間でまみえた、あまりの事態に憔悴しきって、すっかり老け込んでしまった国王に、アリーナは愕然とした。自由人である冒険者とはいえ、国王は尊敬と敬愛の対象である。それはむしろナッシュビルの領主クラウニンシールド伯爵へのそれよりも、強い。彼はカーリオンそのもの、この円楯の王国の象徴であった。
「は、はい……偉大なる国王陛下の思し召しとあらば……」
「なにが偉大か……いい歳をして戦ごっこへ興じてる間に、外敵の諜略を許し、あまつさえ我が油断と過信により鉄より固い同盟の離反を許しかけているとは末代までの恥。万死に値する罪だ。しかも我が誇りある騎士団は、表の正義と大義面目へ凝り固まっておる……諜略は卑怯だとぬかす……堂々と公爵を呼びつけろなどと云う……このような諜報をこなす兵を余はもっておらぬ……なんという愚かなことか、笑っていただきたい」
あまりに自虐的に自信を無くしている国王にアリーナは本能的に危機を感じた。素早く、控えている宰相や近衛長と眼を合わす。冒険者出身の若き神官戦士、リカード近衛師団長は、涙すら浮かべていた。宰相が国王の後ろで小さく頷いた。このような姿の王を都民へ見せるわけにはゆかぬ。人心はいらぬ詮索をし、疑念は混乱を生じさせる。見えぬ敵の思う壺だ。
「そのようなこと! 他領他国はいざしらず、カーリオンにおかれましては、そのような裏の仕事は我ら在野の者におまかせになり、陛下と栄光ある騎士団の皆様方は、あくまで堂々とし、そ知らぬふりをして、逆に敵を欺いていただきたいのです!」
アリーナの張りのある声に、初めて国王は少し笑ったような気がした。
「若々しい……聴けば呪われた身であり、仇討の旅の途中であるというのに、数々のわが国への貢献……感謝のしようも無い……そうさの、余がこのような態では、敵に侮られ、わが民にもホワイト公にも見限られようの」まだ往時を取り戻すとまではゆかないが、その瞳に確かに光が宿ったように見えた。証拠に、椅子へ深く沈み込んでいた王の身体が、しゃきっと背筋が伸び、その顔も高く雄々しく天を仰ぐように建国の戦いの描かれた天井画を見回した。
「これへ」従者へ出す指示の声も、明らかに張りが戻った。宰相が満足げに頷く。
「スカーレットウィンド。いつも、些少の報酬で心苦しく思う。本来ならばその功を讃え、叙勲任官し騎士団へ推薦するところだが、それはそなたの本意ではあるまい」
純銀の盆に乗せられた前払い分の報酬は、なんと金貨八百であった。「成功の暁には、もう一千、だそう」アリーナは、起立し、正しく礼をとってそれを拝領した。国王からはさらに、王家の紋の入った宝飾の短剣と、金と宝石で彩られた紫檀の小物入れが贈られた。(これらは直ぐに実家の商会へ送ってしまうが。)
薄手のワンピースの下にロングパンツをはいた様な姿で、控え室でのんびりとお茶を飲み、金銀財宝に眼もくれず、上等の焼き菓子を食べていたフルンゼは、緊張で息も止まりそうなグウィンにその胆力を見せつけていた。グウィネルダが王宮へ上がったなど、少なくとも聞いた事が無い。グウィンが初めてだろう。父は喜ぶだろうか。従者は偏見無く、彼女らを寓していた。ときたま部屋を通り抜ける貴族官僚や騎士たちは別だったが。
やや興奮気味にアリーナが戻ってきて、二人は席を立った。「仕事かい?」フルンゼも興奮してきた。剣闘士奴隷だった時代には、よもや自分が王宮へ上がれるなどは考えもしなかった彼女である。彼女とて獅子王とまで呼ばれる国王には畏敬の年を抱いている。いまここにいるのはとても光栄な事だと認識していた。それが裏仕事とはいえ、勅命を受けて冒険が出来るとは、夢のようだ。いや、冒険者だからこそできる、裏の仕事なのだろう。ふんぞり返るだけの騎士どもにはできぬ仕事だ。誇るべきことである。
「また南へ行くわ」
「あの山奥か?」
「いいえ、コートムアーまで行くわよ」
「外国に行くの!?」グウィンも、声を高めた。彼女らにとって、王国内の他領へ行くのすら、本来は「外国」へゆくようなものだ。それが本当に国境を越えるというのは、我々で云う、南極やサハラ砂漠にでも行く感覚である。
「そいつぁ武者震いがするぜ! ちょっと暑そうだけどな」
「話によると、いまごろはナッシュビルのアルヴェニー(五月のこと)のはじめくらいみたいよ」
と、アリーナへ、会いたいので来てほしいという人物がいると連絡が入った。従者に連れられて、幾つかの小部屋と廊下を経て、また異なる謁見の間へ通された三人は、そこで王立フェンシング道場主、聖レジーナ流の使い手ケンシントンの出迎えをうけた。
「スカーレットウィンド、おひさしゅう」アリーナが丁寧に礼をしたので、2人も続く。その仮面の下からもれる凛としたやさしげな声に、フルンゼもグウィンも、背筋が延びた。
「ケンシントン様も、その節は」
「こちらこそ」ケンシントンは三人を席へつかせた。「陛下よりお仕事を賜ったのね?」
「はい、報酬も高く、有り難いことです」
「この国には、あなたのような人が必要なの。奇麗事ではすまない事がたくさんあります。特に、対外事情はね」
「心得ております」
ケンシントンは仮面の奥で眼を細めて、頼もしそうにアリーナを見た。「今回の旅に、もう一人、剣士を推薦しようと思って、城で待っていました」
「と、いいますと?」
「お入りなさい」ドアを開けて、かつてのいじけた面影もどこかへ吹き飛んだような、ケンシントンの若きころを思わせる凛々しい立ち姿で、正装したジャクリーヌが入ってきた。
「ジャッキー! 立派になって!」
「ハイ! アリーナさんも、お変わりなく!」
ジャクリーヌの眼は、信念に燃えた、何の迷いもないものだった。あれからどれほど剣を振ったのだろうか。ジャクリーヌの同行を、アリーナは快諾した。
フルンゼやグウィンとの紹介も終わり、一行は退室した。そのとき、ケンシントンが、アリーナを呼び止め、部屋の隅で小さく云った。
「ありがとう、スカーレットウィンド、彼女が山吹色の戦巫女になれたのはあなたのおかげよ、それに今回の修行にも協力してくれて……」
「そのような……」
「ただでとは云わないわ。あなたの仇の行方なのだけれど」
たちまち、アリーナの顔が強張った。実の父親でもある、憎き、魔族「スマウグ」の動向は、彼女も何年も捜索していたが、まるでつかめなかった。
「余計なこととは思いつつ、エルヘイム、アエルネ及びヴェーラの各神殿で正式に捜索網を引きました。あちこちに網を張っているから、近いうちにひっかかってくるでしょう、あれほどの魔族ですもの……」
「………ありがとうございます!!」アリーナは深く礼をした。自分で探し出して退治する覚悟でいたが、半分はもう、諦めていた。まるで噂のウの字も聞かぬのだ。魔族に国境はない。とっくにナインシュランドや西の荒野地帯に行ってしまっていたら、探しようも無い。いつかカーリオンへ帰ってくるのを待つしかない。国中や他国にもパイプがある神殿が協力してくれるのなら、まさに渡りに船だった。
その申し出に勇気付けられたアリーナは、二日後に全ての用意を整え、四人の冒険行として、王都を出発した。その様子を数日前より信徒達の報告で彼女の動向を逐一把握していたアレクサンドラは、静かにベリーナ、ミューと共に後をつけた。
国王よりブリックス産の優秀な馬を拝領した四人は、一気に南を目指した。グロースターにはよらず、街道を迂回して野宿を繰り返し、港町ブルームへ直接入って舟で国境を越える。他国にも名の知られるブリッカー馬の持久力と速度は並の馬の三頭分(三倍)に匹敵する。これにはベリーナたちも参った。ついてゆけぬ。アレクサンドラは臭いで執拗に追跡が出来るミューを放ち、街道を飛ばしてブルームへ先回りすることにした。
周辺諸国でも治安の良いカーリオンとはいえ、魔物や賊退治、宝物探しの冒険業が成り立つ土地でもある。街道筋でも人々は街から遠ざかるごとに恐怖に震える。それが街道を大きく外れた荒野を行くなど、生半可なレベルの仕事ではない。市街地、街道近辺での退治しか経験の無い冒険者では、たちまち迷って野垂れ死にだ。
ここでもグウィンの卓越した野外能力が一行を救う。日も暮れ、グウィンが素早く星を読んで位置を確認する。(ノーリィは歳をとったので実家に置いてきた。)モーザドゥーは、しきりに背後を気にしていた。「アリーナ、風下になにかいるみたい」
「追手かしら?」とうぜんだが、アリーナにも分からぬ。獣で無くば分からぬ気配だ。「夜の警戒を厳重にしましょう。馬を狙って野獣かも」
「草原熊か、狼、それとも剣牙虎か。魔物ではなさそうだけど」
「火をたくさん焚こうぜ」フルンゼが怪力で、立ち枯れた木を根っこから引き抜いた。ハンマーで砕いて薪を作り、大きな石を組んで炉とした。他にも周囲に火をくべる。鍋を用意し、グウィンが昼間に発見した泉より汲み置きの水を沸かす。そしてサッとモーザと共に暗闇に消えたと思ったら、湯が沸くころにはウサギを三羽、獲ってきた。さらに秋の自生ハーブもたくさん。乾パンと干し肉からすれば大ごちそうである。「今日はいいほうよ、いざとなったら芋虫でも草の根でも食べること!」
「はーい」完全サヴァイバル野宿は始めてのジャクリーヌだけ、眼を丸くして、固まっていた。
フルンゼの次にアリーナが夜警に立っていたころ、ジャクリーヌが焚き火に寄ってきた。
「眠れないの?」
「ううん」ジャクリーヌの、薄明かりに照らされる表情は、昼間とはうって変わって、昔のような深い鬱とした不安に彩られていた。「アリーナさん、あの、あたし、まだ……」
「いいのよ。答えなんて、最後に見つかればいいんだから」
ジャクリーヌは、無言でアリーナの肩に頬をよせた。
翌日、ジャクリーヌは馬で先頭を駆けた。自信に溢れているように見えるが、そうやって自信を持つように努力しているだけで、まだ本当に自信があるわけではない。それは、アリーナ戦士団「フレイムレディース」最年少剣士として人々に記憶される彼女が、これからの冒険の中で自ら深めてゆかなくてはならない。
街道を馬で行けば五日半ほどの行程を、十二日もかけて四人はブルームまで来た。幸い、道中は何者にも襲われず、無事に到着した。ただし、何夜か、すぐ近辺まで何者かが接近した形跡があったし、ある夜などはモーザと馬がやたらと落ち着きが無いので、明け方、出発前に周囲を探索したら、大きな草原熊が食い殺されているのが見つかった。それもかなり新しい死体だ。
四人は、不気味な影を引きずりつつ、再びアラーム川へ臨んだ。ここで貨物用の大型舟をチャーターし、馬ごと南方へ行く。
「しっかし、あんな熊を一晩で骨まで食うなんて、どんな怪物だい。ドラゴンか?」
「そんな気配は無かったわ。足跡はリザーディアンっぽかったけど、彼らはあんなことはしない。もっとこう……よく分からない、未知の怪物よ」グウィンとフルンゼはいつまでも話していた。ジャクリーヌは強がっていたが、さすがに不安を隠しきれていない。
「川を渡っちゃえば大丈夫よ」アリーナはブルームの斡旋所で、魔法使いを探した。
「おい、あの人魚を探すのか?」
「ええ、南部は湿地が多いし、あの水の魔法は強力な援軍になるわ」
「たしかに、やつァ、感じは悪いが、あの魔法は頼りになるね」
メロー種の水の魔法使い、ティアラである。しかしティアラは見つからなかった。さいきん、ブルームにもグロースターにもいないという。
「どこか遠くに行ってしまったのかしら」
「いないもんはしょうがねえさ、急ごうぜ、アリーナ」
四人は結局、その人探しと休息、準備で二日滞在し、舟の手配もついて、三日めの昼間に、馬を連れて桟橋より出発した。川といっても、半刻もあれば渡りきってしまう。風の向きも良く、他の舟も荷物をたくさん積んで、カーリオンとコートムアーの国境を兼ねるこの川を行き来していた。
しかし、川も中ほどに差し掛かったとき、舟底に何かがぶつかったような感じで舟が急に揺れて、流れへ逆らって上流に向かい始めた。
「お、お、おい、なんだ、どこ向かってやがるんだ?」泳げぬというフルンゼが心配そうに天を仰いだ。強風が逆風となって舟を押し流していると思ったのだ。しかし、初冬の空は高く穏やかに澄んでいる。
「おかしいわ、アリーナ!」グウィンも叫ぶ。船頭と船員は困惑しきった顔で、狼狽するばかりだ。流れに逆らって、ひっぱられる様に上流へ向かう。
やがて船体が軋み始めた。川渡りの平底舟は、いわゆるキールが無い完全な箱型構造で、捻りの力にとても弱い。ベキベキ! と嫌な音がして板が割れ、噴水のように水が入ってきた。
「ぎゃあ!」パニックとなったのはフルンゼである。それが馬を脅かし、一頭が暴れて川に落ちた。その馬が何者かに襲われ、水が真紅に染まった。
「こんなところに大ワニでもいるっていうの!?」舟縁に掴まって叫ぶグウィンの眼前に、いま引き裂いたばかりの馬のはらわたをくわえたミューがのっそりと水中から上がって舟に乗り込んできたものだから、グウィンは卒倒しかけた。ワニのほうがまだマシだった。思わずジャクリーヌが悲鳴をあげた。
「なっ、なんだ! こ、このバケモノは!!」腰を抜かしたまま、フルンゼが珍しく動揺する。ミューの異形は、彼女らにとってはそれほど衝撃的だった。
「アッ、アリーナ、こいつよ、きっとこの化け物があたし達をずっと!」
ミューはそのグウィンを片手で掴みあげ、悲しげに、また憎々しげにずらりと口中に並んだ牙を剥き、顔をゆがめた。「バケモノじゃないでシュ! ミューでシュッ! シュッ! シャア!」生臭い青く長い舌がぞろりと首筋を嘗め回し、グウィンは気絶した。モーザが果敢に吠えかかったが、尾の一撃で水中にぶっとばされて見えなくなった。その間にも、舟はどんどん沈む。
「いまだよ、ベリー、あの小トロールは情報どおり泳げない。ほっとけば溺れ死ぬ。あの調和神の戦闘巫女はわしが相手をしておく。アリーナを叩きのめせ! 実力は伯仲(ウソだよ、向こうのほうがぜんぜん上だ、ヒヒ……。)だが、いざとなったらわしもおる!」
渦を巻き、水中から漆黒の装束をした二人が出現した。アリーナはとっくに忘れていたが、ジャクリーヌは覚えていた。「ベッ、ベリーナ! ……ベルナデット!」
「はあい、ジャッキー、お久しぶり。そしてそこの雑種の半魔族もね! いまこそ我が復讐を殺戮の神ベリアディス様に奉げる!!」
ベリーナの瞳も、瞬間、魔族の証に黄金に光を反射した。主装備である真紅の手槍を構え、水の上で穂先が炎を発する。アリーナはロータスを抜いた。「あんただって雑種の半魔族じゃないの」
「わ、私は雑種なんかじゃないわ! 栄光ある大魔族……」
「ベリー、いい加減におし!」隣の魔法使いらしき小柄な黒フード姿より子どもの声がしたので、アリーナは驚いた。
「も、もうしわけ……」
「いいからとっととお行き! バカが! 術の効く時間は限られているんだよ!」
「はっ!」ベリーナが、渦より川の上に踊り立った。水の上を歩く魔法である。さすがのアリーナも、唾をのんだ。これはまずい。
そのアリーナの足元を冷たい感触が包んだ。いよいよ水が迫ってきたか、と思ったが、違った。このぷよぷよとした感覚は、そう。
「それでアリーナも川の上を歩けるわ」同じく渦を巻いて、三又槍のような長杖(スタッフ)を持って出現したのは、人魚姿のティアラだった。アリーナは何も云わず、ウィンクを残し、ベリーナめがけて水上を走り寄った。
驚いたのはアレクサンドラだ。仲間にあんな魔法使いがいるとは聞いていない。
「あんたの相手は私よ!」テイアラは水中へ没した。アレクサンドラの周囲の水が、彼女のコントロールを離れて動き出す。「な、なんという魔力! メロー相手に、さすがに水術では不利か……!」もう、逃げる算段を始める。
「ミュー! その戦闘巫女を抑えておけ!」アレクサンドラの両手にプラズマ状の電光が走った。彼女は、本流は雷の魔法使いである。
「サカナ女め、出てきた瞬間を黒焦げの網焼きにしてやるよ!」瞬間を狙い、攻撃しつつ隙を作って逃げる。
その背後から、何かが水を割って出現した。すかさず、雷球が弾ける。しかしそれは流木だった。次に飛び出たのがティアラだった。水が円盤状に薄く回転し、カッターとなって幾つも舞った。それへ、網の目に電光を発して、アレクサンドラが防御する。その攻防の中で、魔法使いの本当の戦いが起こった。
「その口を封ぜよ!」
呪文封じの古代語が同時に炸裂する。それは同時にかかった。ティアラは術を封じられても、人魚である。しかし重いフード付マント姿のアレクサンドラは術が解けて水中に没したらどうなるか。
ティアラは遮二無二アレクサンドラへ掴みかかって水中に引きずり込んだが、ミューが気絶したグウィンを川に放り投げてジャクリーヌへ迫ったので、グウィンを追った。
ジャクリーヌは二剣を構えたが、勝手が違う。水に濡れたミューの皮膚には粘液があって、見るからに滑りそうだった。しかもここは沈みかける舟の上だ。アリーナへ同行した途端にこれである。恐怖を超えてひきつった笑みが出てきた。
「こんなときに笑えるなんて、度胸あるじゃないか!」手足をガクガクさせながら、フルンゼが立ち上がる。「ティアラが来たからにゃ、寝てられないよ!」そのまま、タックル気味にミューへ突進した。体格は互角。しかしぬるりと滑って、バランスを崩したフルンゼはそのままミューの足元へ倒れた。それをミューが豪快に蹴り上げて、尾で水中へ叩き落した。かに見えたが、舟縁につかまり、ミューの長くまとめている髪の毛を掴んで拳に巻きつけ、体重をかけた。たまらずのけぞったミューに、「イェヤアァ!!」気合と共にジャクリーヌが突進する。
斬りつけは効果が無かった。フルンゼにも匹敵する防壁皮膚に、粘液状の物質がさらに剣へ粘りついて刃を弱めた。しかし突きはそれなりに効果があった、まして、腹側の装甲皮膚は弱いようだ。しかし、ついに舟が大きく傾いで、一気に沈没してしまった。ジャクリーヌもミューも、川へ投げ出された。
その沈没を横目に、アリーナは炎槍の鋭い攻撃を受け流すのに必死だった。同じく水上を歩く魔法といっても、ベリーナが水を弾くように完全に浮いているのに対し、アリーナは沈まない靴を履いている感覚で、つまり、アリーナは川の流れにそって動く上にいるが、ベリーナは関係なく歩けた。足場のギャップがありすぎる。
そもそも、槍に刀で勝つには、間合いに入らねばどうしようもない。
赤銅色の槍は炎で穂先がさらに真っ赤に熱せられ、かすっただけで火傷を負う。容赦なく突きを繰り出すベリーナにアリーナは防戦一方だった。しかもずるずると足元が滑る。「ハハハ、どうしたの、三年前のような威勢は! 顔を無残に焼いてから殺してあげるわ!」
そして、ベリーナの眼尻が引きつった。「キイイイィヤアア!」奇声を上げ、頭上で槍を大回転させ、一気に叩きつけた。瞬間、アリーナは体重を落とし、水へ踏ん張りをかけ、頭からつっこむようにベリーナの足元めがけ飛び込んだ。ロータスが下段を這うようにベリーナの足めがけて真一文字に振り払われる。
「…ッ!?」あわてて槍の柄先を返し、ベリーナはそれを受けた。バチッと音がして、火花が散った。さしものロータスも、刃が欠ける。しかし間合に入った。アリーナは柔術も会得している。流れを押さえ込むように深く両足を踏ん張り、ベリーナの動きを封じんと左で炎の槍を掴み右は刀の柄でベリーナの手首をひっかけ、そのまま槍を利用して腕をキメながら捻りあげてまず身体を浮かし、すぐさま体を落とし半身に引いて投げつけると、「う、わあッ…!」バランスと重心を崩されたベリーナはまっ逆さまにひっくり返った。そして槍もろとも、たちまち水中に没した。
ティアラの仲間の人魚たちが、フルンゼとジャクリーヌを助けてくれた。グウィンはティアラに引き上げられた。船員達は戦闘が始まるや泳いで逃げたので無事だった。
モーザはついに見つからなかった。
グウィンはもちろん嘆き悲しんだが、それは猟犬、戦闘犬の宿命である。馬も全て失った。
「なんだったんだ、あいつらはよ!」岸辺で焚き火をし、休みながらフルンゼはアリーナへ尋ねた。「さあ。逆恨みだわ。とんだ邪魔が入ったわね。それより、ティアラ、探してたのよ」
「ここのところ、川沿いに仲間達と、ナインシュランドへ行ってたの」
「なんですって」
「空気が変わったわ、あの国……伝承にある、二百年前の空気と同じ匂いがする」
「……どういうこと?」
「この国……いいえ、この土地をめぐって、また軍団が侵攻してくる。アデュールの軍団が」
「混沌の女神の!!」ジャクリーヌが叫ぶ。親玉登場といった観があった。ナイン十二主柱神の一柱であり、殺戮の女神など小物に等しい。ナインシュランドの主神は、古くからアデュール神である。
「アリーナ、私も同行させて。軍団が来るとしたら南側でしょうね。以前と同じく……川を超えて来る。私達にも死活問題なのよ」
アリーナに、断る理由は無い。
ベリーナとアレクサンドラはミューの両脇に抱えられ、ずっと下流にたどり着いた。ミューは泳ぎがとても達者で、身体を起用にくねらせ、強靭な尾を推進力に速度も速い。水を飲んだ二人は、それを地面へ吐きつけた。アレクサンドラは久々の敗北の屈辱と思わぬアリーナたちの手ごわさに、身体を振るわせた。
「やれやれ、寿命が縮まった」
「本当ですか!?」
「例えだ!! ……三人じゃ悔しいが適わないよ、強力なチームだ……こっちも五人、そろえるとしよう……コートムアーでね」アレクサンドラはくしゃみを連発した。
ベリーナは濡れ髪をかきあげてため息をつき、いちおうミューに礼でも云おうかと思ったが、ミューは川の中で二人を助けつつ捕まえた大きな川ナマズを頭から丸かじりしていたので、やめた。
「アリーナ……私と同じ……半魔族……」ベリーナは、アレクサンドラが何を考えてこの復讐行へ同行したか、分かりかけてきて、強大な不安に押しつぶされそうになった。
了
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