ナッシュビル 〜暁のアリーナ〜


 作:九鬼 蛍

第七章 「遥かなる水晶色への想い」

 その日、ナインシュランド王ハルコン7世は、無事に年に一度のアデュリー(十二月)例年大招神祭を終え、ゲドリー大神官と共に始祖神アーデュリュー大神殿より王宮へ戻ってきた。カーリオンでは混沌の邪神アデュールとして長く伝わるこの崇高なる始原の女神、大気の乙女は、かつてはこのように宇宙の中心にいる大柱神であったが、このナインシュランドにおいても他の神々の勢力が増し、また神の名を冠した戦争に負けたこともあって、地位を完全に失った時期があった。それを再び、現在のような至高の神として復興させるのに、ずいぶんと長い時間と労力をかけた。

 「二百年……かかりましたな」暗く大きな回廊を歩きながら、大神官が重くつぶやいた。

 「かかりました……これもすべて二百年前の一人の騎士の裏切りから始まったこと……もういいでしょう、もう、やるころです」七十六になる老齢な王は、そのぎらぎらと野望に輝く瞳を上げた。

 「混沌の大地を、一千年ぶりに取り返すのです。神の結晶を、今度こそ、我が手に……!」


 アラーム川で思わぬ襲撃を受けたアリーナ一行は、コートムアー北部で最大の都市アルガデアィスを目指していた。かつてこの地は、人間(ギネヴィア人という)はもちろんだが、その他にもフェイやフェリシン、カザードはおろかそれらと敵対するフルデル、ドゥアガー、さらにそれら人間属(コモンズ)とは完全に分離するトカゲ人間や妖精人、獣人などという者まで、確認されているありとあらゆる亜人の集落が群がり、小さな国家として群雄割拠している戦国蛮勇の地であった。それが二百年前のカーリオン独立戦争のときに、ナインシュランドの軍勢がこの地を通り好き勝手にやったものだから、亜人たちの反発を買い、(表面上)一致団結をしてカーリオンへ味方し、それを決起に国としてまとまった経緯がある。現在では特定の王をもたず、人間を含む諸亜人種たちの代表の連合会議による非常に緩い連邦として機能している。なお、その後も何度か南征討伐と称するナインシュランドの侵攻を受け、かの地に対する感情は、現在でもあまり良いものではない。

 アルガデアィス近辺のコートムアー北部は、ギネヴィア人の他は、古くからフェリシンという亜人が主に大きな集落を作ってきた。本来はカーリオン西部の未開拓地域の荒野に多く住んでおり、その地では最大の亜人勢力であったが、コートムアーのフェリシンは「南部フェリシン」ともいい、さらにやや体格が小さい。この人間の半分ほどの小人種たちは、農業と牧畜を愛する牧歌的で陽気、気さくで無責任な(!)特徴を有しているが、何かに集中して事を行うときは異様な馬力と忍耐力を発することで高名だった。

 さて、アリーナたちは、コートムアー側の港町ロンデルベイデルで駄馬を買い求め(馬はそれしかいなかった。)歩くよりは速いかなという速度でちんたら街道を行く事となった。街道をもっと南部へゆき山脈と大森林を越えて首都近辺まで行くとさらに情景が変わり気温も一気に上昇するが、山脈の北側ではまだ、ホワイトフィールドとさほど変わるものではなかった。しかし気のせいか、街道を行くほど気温と湿度は上昇し、フルンゼはついにのぼせて馬から落ちてしまった。

 「小トロールにこれ以上の南方行は無理よ、アリーナ」ティアラが街道より少し離れた大きな木の陰で湧き水を魔法で冷やし、濡れタオルを作って介抱した。

 「でもこの子は、きっと帰れって云っても聞かないわよ」

 小トロールは白クマでも連想していただけると分かりやすいと思うが、防壁皮膚が体温を中に閉じ込めるため、寒さには異様に強いが熱放射ができず、体温の調節が苦手で、暑さ、そしてむしろ多湿に滅法弱い。

 「夜に進みましょう。もう冬なのこれじゃあ、夏にこっちに来たら死んじゃうわね」

 そう云ってグウィンはもう、虫除けの簡易ベッドのようなものを作ると、マントを頭からかぶって仮眠に入った。それはレンジャーである彼女が無理に全員にロンデルベイデルで買わせたもので、どんな毒虫がいるか分からないから、という理由だった。確かに、湿地帯が続くためかとてつもなく羽虫がいる。ジャクリーヌは泣きそうだった。虫除けの香を焚きしめ、木陰でしばし休んだ。

 「アリーナ、アルガデアィスでは何を?」

 ティアラとアリーナは、休みつつもずっと話し込んだ。

 「ナインシュランドからの使者が来ているか、来るかするらしいの。スポールディング家の情報で。それを確かめて、さらに、そこにハンザ騎士がいたら、もう決まり」

 「コートムアーは伝統的に、ナインシュランドとは仲が悪いじゃない」

 「カーリオンでは、ナインシュランドとはあまり関わりがなくなってしまって、よくみんな知らないけど、あの国はさらに遠くの国々との海上交易で、巨万の富を有している」

 「それがなにか?」

 「富があるという事は、国力があるということ。つまり、仲がいいとか悪いとか、そんな程度の感情論を吹き飛ばすほどの黄金と軍隊を持っている。こんな烏合の衆の国なんか、やろうと思えばいくらでも内部分裂を仕掛けられる。力攻めはもう何度も失敗して懲りてるでしょうから……あたしが将軍なら、通らせてもらうだけでいいわ。それだけで、山のような黄金を使ってみせる。だって目的はカーリオンの侵攻であって、コートムアーなんかどうでもいいもの」それは、商人の出であるアリーナならではの分析だった。とても武名一辺倒の騎士にできる発想ではない。

 「コートムアーを……いいえ、コートムアーの一部の豪族勢力を買収して、密かに軍を通してもらう……さらに、味方のはずのホワイトフィールドが、しかも王国最大最強の騎馬兵団が、無傷の敵兵が川を超えた瞬間に寝返り、内側から刺す……あとは内と外とで挟み撃ち……! アリーナ、素人の私でも分かる、カーリオンは負けるわ!」

 「戦争ってのは、がむしゃらに突っ込めばいいってものじゃない……騎士の突撃ゴッコとはちがう。ナインシュランドがそこまで周到に作戦を練っているとしたら、脅威だわ」

 「だけど、どうしてそこまで? トリアングロス結晶は確かに凄い物質だけど、そんなにたくさんあるものなの? そこまでして、得る必要があるのかしら?」

 「それはまだ分からないけど……」

 二人は黙り込んだ。そして、夕暮れ近くまで転寝をした。

 日も暮れると、急に温度が下がった。風が冷たく、体温が地面に吸い取られるように底冷えしだした。フルンゼが復活し、一同はやおら寒くなったので驚いて火を起こした。軽い糧食をとり、すぐに出発する。三日ぐらいで街に着くはずだった。夜半、さらに冷え込んで、ここまで冷えると予想していなかったため(フルンゼ以外は)薄着がこたえた。と、闇夜のずっと上の奥の奥より、白いものが落ちてきた。

 「……雪だ!」

 一同は驚愕した。このコートムアーで雪を見るとは思いもよらなかった。それは一晩中降りしきり、朝もしばらくは積雪があったが、やがて本格的に太陽が昇ると全て融けてしまった。その後はまた次第に気温が元に戻り、アルガデアィスに到着するころには、またフルンゼが上気していた。街は、人間が四割、フェリシンが三割、その他雑多な亜人が三割といったところだった。人間はギネヴィア人がほとんどだが、カリヨン人もナイン人もいた。みな、南方の物資を仕入れる商人だ。驚いたことに、カーリオンでは完全に敵対している勢力の亜人種、フルデルやドゥアガーなども、ふつうに街にいることだった。(もちろん、雰囲気は険悪なのだが。)

 フェリシンは郊外のフェリシン集落は元より、町の中にも小さな半土中の竪穴式住居のようなものをたくさん作っており、一種独特の風景を造っていた。街の周囲は広大な森と平原と湿地で、用水路が街じゅうをめぐり、物資を運んでいる。一向は街外れの、人間もフェリシンも泊まれる半土中式の(ただし二階もある)バンガローが集まっているような宿に入り込んだ。この南方で小トロールの姿は異様に目立っていたため、昼は彼女を残し、四人でフードを着込んで街を偵察し、金も前払い金がたんまりあることなので、惜しまず(しかし怪しまれぬ程度に)ばら撒いて情報を得た。

 退屈なのはフルンゼである。待つのは慣れている。こたえたのは、身体を動かせないことだった。いつのまにか、夜中に町の周囲を散歩したり、森で立ち木にタックルしたり、ハンマーを振り回したりしていた。すぐにのぼせるので、休み休みではあったが、よいストレス解消になった。おかげで暑さにもかなり慣れた。

 そんなある夜。

 いつもより少し森の奥へ来てしまったことに気づき、迷ったかと思い、焦って戻ろうとした矢先だった。ダーン!! と、落雷かという轟音が耳を劈き、森が揺らめいて、鳥がいっせいに飛び立った。そして、爆発の衝撃で豪快に立ち木へ叩きつけられ、崩れ落ちたフルンゼのわき腹には、破裂し、ひしゃげて変形した弾丸の破片が突き刺さっていた。

 「……げはァッ!!」初めての衝撃だった。破片は皮膚を貫通せずにぼろぼろと落ちたが、さしもの彼女とて、アバラにヒビでも入ったか。木の脇にうずくまったまま、しばし動けなかった。呼吸が止まるほどの衝撃だった。

 「おうおうおう、バケモノ鮫すら脳天ぶっとばす、アタシの手製炸裂弾だぜぇ、げはーとかですまされたんじゃ、ちょいと気分が悪いじゃないか」

 マッチをする音がし、葉巻に火をつけた声の主が、その赤い光でランタンに着火し、明りを持って、くわえ煙草で木の陰から現れた。腰のガンベルトに、いま発射したばかりの横二連ショットガン(のようなもの)があり、大きなカットラス刀も吊り下げた、海賊体の眼帯片目の女だ。ついでに短銃もある。にやついた口元から紫煙が漏れる。「トロール狩なんざ、めったにねえ機会だ、せいぜい楽しませてくれや!」そして、煙を豪快に吐き出しながら、夜のしじまに「ゲァハハハハ!!」という下卑た哄笑が轟いた。

 「この野郎ぅるぁ!」フルンゼが怒り狂って立ち上がり、ハンマーを振り上げたが、その見上げるような鬼の影に、女は葉巻をふかして微動だにしなかった。

 それもそのはず、彼女の後ろより飛び出た陰が獣のようにフルンゼへ襲い掛かり、逆立ちから首へ両脚をからめ、そのまま半捻りでフルンゼを横倒しにするや、自らのみ素早く起き上がると寸分狂わずフルンゼの片目へソードレイピアの剣先をつけた。

 「動くな、動けば脳まで刺し貫くぞ!」小トロールとて、眼は急所だ。「……!!」フルンゼは土を握りしめ、屈辱に耐えた。闇へ溶け込む浅黒い肌に、月光に輝く銀髪。それは、フルデルの凄腕の女剣士だった。

 「キヒャヒャヒャ! さすがだね、うちらの出番がないよ、なあベリー」

 聞き覚えのある声に、フルンゼは歯軋りをした。

 「そうね、サーシャ。まずこのブタから……首をノコギリ引きに焼き落としましょうか!?」炎が見える。ベリーナの小剣が、炎を吹き上げている。その後ろに、フード姿のミューもいた。

 「まあお待ち……」アレクサンドラが電撃を発し、フルンゼを麻痺させた。「クリス、ベティ、ご苦労様。大枚を叩いただけあるよ、ヒヒ……」フルデルの剣士、聖レジーナ流の支流である暗黒ディアナ流の使い手、ベートヴィヒが無表情ながら会釈をし、半オークにして銃使い兼盗賊兼傭兵のクリスティーヌはニヤリと口元を歪め、フルンゼを獲物のように片足で踏みつけた。「どうすんでさあ、こんな大物を」

 「小トロールの防壁皮膚は死んじまったら効かなくなるんだ。生きたまま皮を剥いで研究に使う。ふだんはこんなもち肌だが……」アレクサンドラはやおらナイフを出し、思い切りフルンゼの肩へ突き刺した。が、弾力ある皮膚が強力に弾いた。「攻撃を受けると瞬時に防御反応を示す。火と酸には弱いが、それを克服すれば無敵の生体防壁になる」

 「ギャハア! 生きたまま皮むきの刑かい!?」葉巻をぶかぶかとふかし、クリスは楽しそうだった。「その後はそっちのトカゲちゃんが美味しくいただくってのかい? 見ものだねぇ! ゲハハハ!」 

 ベリーナはどうにもこの傭兵が苦手だったが、アレクサンドラは気に入っている様子だったので、何も云えなかった。「ミュー、こいつを縛って運ぶのよ!」

 「ハイでシュッ…!」ミューはアレクサンドラ特製の魔法の鎖で雁字搦めにフルンゼを縛りあげると、易々と前かがみに両肩へ担いだ。「それに、角は生薬になるっていうよ」「高く売れるねえ!」森の中に、アレクサンドラとクリスの愉快な笑い声が、どこまでも響き渡った。


 翌朝、食堂にフルンゼが現れなかったので、おかしいとは思ったが、アリーナのほうも重要な情報を仕入れた後だったので、迂闊にもチームを分散してしまった。それも、本来であるならばアリーナ・グウィン、ティアラ・ジャクリーヌとすべき所を、ティアラの判断力が必要になると思い、ジャクリーヌとグウィンでフルンゼを探しに出してしまった。これは痛恨のミスである。彼女は、国王の衝撃的な姿を見て、宰相より直に依頼されたことに対し非常に緊張し、これまでにない重圧を感じていたのかもしれない。

 アリーナは、ナイン人商人にまぎれて、某という魔法使いがナインシュランドより来ているという情報を得た。魔法使いが何を買い付けに来たというのだろうか? それとも観光か? 探りを入れる必要はある。二人はとある有力なナイン商人へ身分を隠して近づき、ナッシュビルの買付商人の代理店ということで(ここでスカーレットウィンドの名と商家出身の経験が生きた)話は思っていたよりすんなり通った。カネも持っていたし、何より商人同士の話が通じる。

 二人の会食の申し出を受けたそのナイン商人は、南国のフェリシン料理(人間向けにアレンジされているが)に舌鼓を打ち、ギネヴィア人の商人仲間と、食卓を囲んだ。

 「私ども商人にとって、国は違えど商売は変わりないことです。何を売るか、買うか。それだけです。国の都合は、はなはだ迷惑なこと」

 「左様、左様です」街を経済支配するギネヴィア人大人の一人チェット=ウー=ホンが、南部の葉巻をふかして頷いた。ギネヴィア人はグウィネルダと先祖を同じくする異民族で、カーリオン建国の際には旧グウィネルダ帝国からの亡命者が、かなり流れ込んできたという。「ナッシュビルといいますと、距離もおありになる。南部名物といいましても生鮮物はよろしくない。ここはやはり、コートムアー家具や装飾品、香辛料が、商売の手始めとしては常道というところでしょう」

 この大人は遥かカーリオン北部の商人が直接代理人をよこして買付に来たというのがよほど嬉しかったようで、終始にこやかな雰囲気だった。

 「スカーレットウィンド商会といいますと、ナインシュランドにも名は通っております。商会長はギフォードさんといいましたか。その方の代理人です、間ちがいはございますまい」ナイン人商人も機嫌が良かった。彼らとて、王都やカーウィンの商人を介さず地方と直接取引できるのは、値が上がるので悪い話ではない。アリーナも調子に乗って、ついコショウやナツメグ、ターメリック等の香辛料、それにコーヒー豆、南部のヒスイの装飾品や原石などを本当に買い込んでしまった。

 「早馬か何かで、ギフォードに話を通しておかなくちゃね……」ちなみに、これが縁でスカーレットウィンド=ギフォード商会は南部に重要な取引先を得ることとなった。アリーナの目利きはギフォードを唸らせ、まだ間に合うから商人になれと、またくどくどと云い出したという。

 さて、本題である。

 「私のこちらの部下が、商売を勉強中ですが、本職は魔法を使うのです」

 「ほう!」

 「魔法使いなのに商いを……これはお珍しい。どういった経緯で……」

 ティアラはさも困ったように、「いえ、私は宮仕えも苦手で、冒険で食べるような魔法でもなく、純粋に古い魔術文字を研究しているのです。魔法塾もあまり収入にはならず、ご気分を害されるかもしれませんが、副業で卸問屋でも営もうかと……資金が必要なのです」

 商人たちは膝を打った。「見上げた根性です! 素晴らしい! 魔法使いなど、へ理屈ばかりこねて他人へカネを無心するだけかと思っていたのに、自ら商売を起こして資金を得ようなどと、なんという立派な心がけ……ウチへ、金儲けの魔法を開発してやるからパトロンになれと偉そうにぶってくる連中に爪の垢を飲ませてやりたいくらいだ。カネを産む魔法など、この世にありはしない、商売は、足で稼ぐのが一番なのです」

 大人も頷く。アリーナはすかさず続けた。「それで、噂ではナインシュランドから魔法使いがこの街に来ているとか? 後学のため、この者がナインシュランドの魔法社会事情を聞きたいと」

 二人は顔を見合わせた。「はて……聞いていますか? 大人……」

 「さあて、チマローザさんのことですかな?」

 「ああ、あの人は魔法使いでしたか……私はてっきりお役人かと」

 来た。間ちがいない。それだ。アリーナは居場所を聞き込むと、丁寧に礼をし、払いを済ませて別れた。

 「ティアラは演技も上手ね」アリーナは作戦が当たったので上機嫌だった。チマローザを探るべく、滞在しているという宿へ向かった。近くの南国カフェに部屋を取り、ティアラが見張りで、アリーナが聞き込みを開始した。ティアラはキセルをふかしながら、コーヒーを傾けてねばった。アリーナと何度か交代しながら、翌々日の夕刻、遅い夕日が真っ赤に空を染め出したころ、フード姿の人物がふいと宿を出た。魔法使い同士にしか分からぬ独特の雰囲気を悟ったのだろう、ティアラが動き、すぐにカフェの者へ小金を渡してアリーナへ連絡をとらせると、同じくフードをかぶって後をつけた。アルガデアィスはそう大きな街ではない。意外と自分達の宿舎より近いところの魚問屋兼小料理屋の二階に、人物は上がっていった。裏の生簀には湿地の魚介が生きて泳いでいる。ティアラはしめたと思い、隠れて呪文を唱えた。水がちょろりと紐のように伸びて、蔦のように壁を張って二階に伸びた。もう一本の水の線が、道を這ってティアラに延びる。ティアラが水紐の先を耳につめると、部屋の中の会話が聞こえてきた。

 「……副団長、ご壮健で何より」

 「チマローザ卿、御自らのご来訪に感謝いたします」

 「こちらこそ、公爵閣下の意気込みが伝わって参ります」

 「それはこちらも同じこと、ハルコン陛下には、ご機嫌麗しゅう」

 きまった。さすがのティアラも唾を飲んだ。魔法使いは、ナインシュランド王の勅使だ。相手は、ホワイトフィールドの情報騎士だろう。アリーナ読みは、全て恐いくらいに当たった。

 「グワイ=ニー=ミン殿も、もうすぐ来られるでしょう……それまで、コーヒーでも」

 ギネヴィア人の名前だった。何者だろうか。二者会談かと思っていたが、三者会談だったようだ。これもアリーナの読み通りだ。現地有力者へ協力を申し出るのだろう。

 「卿、そう云えば、博士から連絡は?」

 「いえ……その前に……ネズミを殺します、失礼」

 「!!」ティアラは急いで水紐をはずし、術を解いた。ほぼ同時に、水から衝撃が伝わってきて、刃のようになって爆発した。あのままだったら頭を貫かれていた。

 「……!」しかし、まだだ。私服で周囲を護衛していたハンザ騎士が、にわかに動き出した。ティアラは壁を伝って静かに動いたが、たちまち呼び止められた。

 「おい、待て! 追え!」ティアラは用水路に向かって走った。


 時間は少し遡るが、フルンゼの行方を捜しているグウィンとジャクリーヌである。まさか敵に襲われているなどとは夢にも思わず、探すといっても、街中をぐるぐる回るくらいだった。それでも、グウィンの探索能力があればこそ、噂話を聞きつけることに成功したのであって、ジャクリーヌだけでは何もできなかった。

 「さいきん、真夜中に森から変な雄叫びが聞こえる。動物のようで動物で無い。また、つい先日、落雷のような音がした。それきり雄叫びは聞こえない」

 何件かの話を総合するとこうなった。元より森はグウィンの範疇である。日の暮れる前に、行ってみる事にした。

 「うひゃッ…」ジャクリーヌは足首まで沼地にはまって声を上げた。森といっても、湿地から流れこんだ水に地面はぬかるみ、木々は細くうねる様に天へ伸び、カーリオンとかなり様相を異にしている。もっと南へ行ったら、さらに異なるのだろう。常に蟲や蟹が蠢き、冬だというのに巨大な蛇やトカゲまでいて、それらを貪り食う猪や猿、数々の鳥に、いちいち驚いた。

 グウィンは時々音の出ない不思議な笛を吹き、また地面を這うようにし、何かを見透かした。

 「顔にドロがついてます」ジャクリーヌが心配そうに云った。

 「足跡があるわ。見覚えのある。リザーディアンのようでリザーディアンじゃない。しかも、足跡は複数ある。こっちは人間だわ。いいえ……一人はフェイかフルデル。大人が三人、子どもが一人。バケモノの足跡は前かがみで両方とも深い。重い荷物を肩に担いでいる」

 「まさか……」ジャクリーヌは川で襲撃してきたミューを思い出した。

 「まさかフルンゼが……とは思うけど、本調子じゃないし、多勢に無勢……アリーナたちを呼んだほうがいいかな」グウィンは顔をしかめた。なにより、ミューの不気味な顔が思い出されるとゾッとする。この二人であんな怪物とやりあうつもりは毛頭ない。

 「帰りましょう」ジャクリーヌにもちろん依存はない。しかし、いきなり両剣を抜き払い、グウィンを後ろにして森の一点を見つめた。「どうし……」グウィンはジャクリーヌの集中した気合に、声もかけられなかった。

 「さすがだ。我が気配を感じたか……レンジャーにも悟られぬ我が気配を。私も未熟ということか……」影のように現れたのはフルデルの女剣士、ベートヴィヒである。フルンゼを探しに森へ来るメンバーを待ち伏せるよう、アレクサンドラから指示を受けていたのだ。ベートヴィヒも抜剣した。聖レジーナ流と同じ、ソードレイピアである。ただしこちらは、二剣ではない。

 ジャクリーヌが苦虫をかむ。「まさか……まさか! 暗黒ディアナ流!」

 訳が分からないのはグウィンだった。助太刀できるような状況でもなさそうだ。なにより弓を持っていない。街の中は、飛び道具は携帯不可で、そのまま森へ来ている。素早く下がった。

 両剣士はじわじわと間合をつめた。ジャクリーヌが両剣で膝をゆるめ虎が身構えるように低いのに対し、ベートヴィヒは片剣でモデルのように直立である。やおらそのベートヴィヒが動き、空いている左手から風の魔法が放たれた。フルデルや一部のフェイ・人間らの使う暗黒ディアナ流は、非公式な聖レジーナ流の分派であるが、魔法のために左のマインゴーシュを捨てた。基本的に、全員、魔法剣士である。

 ズカッ! と風が立ち木をきれいに切った。バキバキと木が倒れ隙を生む。「ホァアアアア!」無口なフルデルらしくない気合の声が発せられ、ジャクリーヌの避ける方向へ剣撃が放たれた。「イェヤアア!!」迎撃するジャクリーヌ。聖レジーナの名を汚し続けるこの破門分派対策は、しかし、綿密に流派内で研究している。初手は、まず魔法、しかも牽制、魔法に惑わされず、二の手に集中すべし。

 バツッ、と剣と剣がかじりあい、瞬間、同時に蹴りが出て、同時に肘で互いの蹴りを押さえ、さらに長身のベートヴィヒが頭突き、ジャクリーヌは後ろへ倒れるように身を沈めて避けるや、そのまま剣を持ったまま豪快にバック宙後転して蹴り上げ、間合をとった。後転蹴りを避けるため、ベートヴィヒも頭突きを中止して瞬時に下がり、追い討ちはかけられなかった。二人は再び間をとって機を計った。グウィンは息をするのも忘れてその攻防に見入った。一瞬の出来事に思えた。

 しかし、分が悪いのは眼に見えた。ジャクリーヌは既に慣れぬ土地(足場)と凄まじい緊張で息が上がっているが、フルデルは息すらしていないように見える。

 「フフ……山吹色の初陣か……」ベートヴィヒは、手柄目当てに集中的に攻撃され、かつ緊張のあまり動きも鈍って初の実戦で命を落とすことが多い新人聖レジーナ流戦巫女のジンクスを、まさにジャクリーヌの命と引き換えに教えようとしていた。ジャクリーヌは、これまでの修行がウソだったように身体の動かぬ自分に驚いた。これが実戦、そしてこれが格上との真剣勝負か。心臓が破裂しそうだ。

 とたん、ベートヴィヒがジャクリーヌを休ませずに、一気に間合いをつめた。「ィエア!」しかしジャクリーヌが後の先で対応する。「ヌゥウ!」ベートヴィヒが唸った。ジャクリーヌの大上段旋風脚が連続して風を切る。一人で稽古をしている場面を見たならば、踊りか曲芸にしか見えぬ技だ。しかも、蹴りは囮である。大の字でバレリーナのようにクルクル回りながら、上段、下段に、蹴りと両剣回転斬りがベートヴィヒを襲う。ベートヴィヒはたまらず下がった。さすがの大技だったが、一瞬のタメを見抜き、風圧の呪文を唱え、ジャクリーヌを吹き飛ばした。さらに、「フウオオオ!」大気を吸い込むような気合を入れるや、一気に距離を詰め、フェンシングの凄まじい連続剣撃、あわてて防戦一方のジャクリ−ヌ、そこへベートヴィヒが再び風圧弾を地面へ向けた。腐葉土が強力に舞いあがり、眼をかばうジャクリーヌへ、ついにベートヴィヒの飛び膝蹴りがきまった。

 「うあうッ!」とっさに脇腹を庇ったが、衝撃で立ち木へ叩きつけられ、転がって呻いた。トドメの一撃が迫る。グウィンが動いた。話にならずとも、ジャクリーヌを逃がす隙くらいは作れよう。小剣がベートヴィヒを背後より襲う。が、サッと振り返ってよりの、ただの一撃で剣は叩き落され、返す刃でかばった左腕を切り裂かれて鮮血を吹き出し、腰から崩れた。

 「レンジャー風情が何を血迷って!」

 「……レンジャーの戦いはこれからよ!」グウィンは腰のポーチから素早く木の笛を出すと、吹いた。音がしないが、ベートヴィヒには分かった。「お前はグウィネルダか!」

 剣が突きたてられる。ジャクリーヌがそれをかばい、割って入って遮二無二、剣を放った。「ぬぉお!」珍しく、フルデルが動揺の声を出した。防戦しながら、隙を見て力任せにジャクリーヌの腹へ剣が突き刺さるような水平蹴りを見舞った。「………!!」ジャクリーヌは目をむいて崩れた。と、どこから来たのか、南部の森林狼が続々と現れて、ベートヴィヒへ襲いかかった。一匹、二匹は斬り倒したが、「…うう…!」たまらず、呪文で風へ乗り、木々の上部を大きく走り跳びながら逃げてしまった。

 「……グウィン!」狼たちはベートヴィヒを追って、森の奥へ消えた。涙ぐみ、激しく咳き込みながらなんとか立ち上がったジャクリーヌが布巾を出し、包帯がわりにグウィンの左腕へ巻いた。傷は深い。血が止まらぬ。

 「筋も切られたかな……」指が動かなくなったら、もう冒険はできまい。ジャクリーヌは神聖呪文を唱えた。しかし、自身も打撲を受けている。特に最後の蹴りは強烈だった。呼吸が乱れ、涙も止まらず、なかなか神聖力が集中できない。

 「無理しないで、大丈夫、とにかく、アリーナへ報告を」

 「ご、ごめん……」

 「あたしこそ。さ、行きましょう」

 だが、二人の戦闘を水の中よりジッと見つめていた大きな影が、ぬらりと沼から出現したのだった。ミューは、かじりかけの森イノシシの腿を水辺へ捨てると、一気に二人へ忍び寄った。
 

 アリーナが、グウィンとジャクリーヌが二日も戻ってないと宿の者より知らされたとき、己の判断ミスに喚きだしそうになった。「しまった……!」顔を真っ赤にして歯軋りし、拳を握り締めた。甘かった。チームを分断し、1人ずつ戦力を減じてゆく作戦へ、自ら乗ったかっこうだ。相手は、あの「なんとか」という邪神の神官とその一味だろう。完全に侮っていた。そこまで自分を執拗に狙っていたとは。動機は恨み、復讐だろうが、恨みだけではない。何か他の目的があるのだ。

 そこへ、この夜中に濡れ鼠で息を切らし、裸足でティアラが駆け込んできたものだから、アリーナも唸ってしまった。「ごめん、ちょっとへまやった……用水路に飛び込んで、流れに逆らって泳いで逃げてきたけど、どこまでごまかせるか……相手はあのハンザ騎士団よ」

 その一言で充分だ。アリーナは自分の読みが当たったよろこびと、それへかまけて仲間を(ほぼ間ちがいなく)囚われたことに対する憤りで混乱し、頭がヘンになりそうだった。

 「…アリーナ?」

 「だいじょうぶ。着替えてきて。いまハンザ騎士に入ってこられたら弁解できないわ」

 「わかった……」

 ティアラは自室で濡れた服を脱ぐと絞って物干しロープへかけ、急いで髪と身体を拭き、替えの一枚布の服をすばやく巻きつけた。愛用のブーツを囮のため水路へ流してしまったため、南部のサンダルを履いた。

 ロビーへ行くとアリーナがテーブルにつき、ワインを傍らにランタンの下で珍しく眉をひそめて、指をかじっていた。ティアラは、そんなアリーナを初めて見た。

 「アリーナ、どうしたの? グウィンとジャッキーに何か?」

 「……川で襲ってきたあの連中が、まだうろちょろしてるらしいの」絞り出すように云った。

 「囚われたと?」

 アリーナは答えなかった。ティアラが即答した。

 「迷ってる場合じゃないわ。選ぶのは仲間よ。ナインシュランドは探りを入れている私達の正体を見極めるため、しばらく動けないはずだわ。もしくはもうとっくに動いているか。どっちにしろ、いまは、三人を救出するのが先。二人じゃナインシュランドは荷が重過ぎる!」

 こんなことも判断できぬほど、知らぬうちにアリーナは精神的に追い詰められていたのかと、ティアラは驚いた。今回の仕事はそれだけ、いつもと事情が異なるのだろう。少し、彼女に頼りすぎていた。作戦面で彼女を補佐できるのは、魔法使いたる自分しかいないのに……。ティアラは大いに反省し、いまこそ代わって指揮をとるべきと判断した。

 「いつまでも考えていたって、何も進展しないわ! さ、朝まで少し休んで、行きましょう! それから、明日は、フードは無いほうがいい。逆にね。ハンザ騎士どもに変に勘ぐられないためにも堂々としていましょう。それに、あの連中の目的が貴女なら、顔出しのほうが早く来てくれるかも」

 「そ、そうかしら……でも、行くなら急がないと!」

 「いまはダメ。いま出て行ったらハンザ騎士に怪しまれるし、こういうときこそ休まないと」 

 「え、ええ……」もう、眠りの呪文で、アリーナはカックリと頭を垂れた。こんなに簡単に呪文がかかるほど、疲れていたのだ。ティアラは宿の者へ云ってアリーナを部屋へ運ばせると、自らも宿の周囲へ念のため古代文字で結界を張ると、すぐに床へついた。
 

 翌朝、アリーナは幾分か眼に精気が戻っているように感じられた。食欲もあったし、声に覇気もある。ティアラはやや安心した。「さ、行きましょう。街の中で囚われているのなら、それ相応の建物があるはずだし、近郊にアジトがあるかもしれない」

 「そうね……連中の神様、なんていったっけ」

 「……なんだったかしら、ごめんなさい、自分の神様しか知らなくて」たいてい、メロー種はその性質上、水神オネールの篤い信者である。反面、水神を一神教のように奉っており、魔法使いであるティアラの家の祭壇に知神フラガルが脇神としているだけ、まだマシだった。とはいえ、アリーナも記憶が無いほどで、そもそも十二柱神の従神レベルでは、一般人では知らない者もいる。

 「ジャッキーには因縁があったわね、あの女は……」ふだんは上品ぶっているが、半狂乱となって喚き散らすベリーナの姿を思い出した。三人は狂信者の生贄としてとらわれたのだ。アリーナはイラだって指を噛みはじめた。

 「おちついて、アリーナ、考えましょう、川で襲撃してきたとき、仲間はあの魔法使いと、怪物しかいなかったわ。あの三人なら、フルンゼやジャッキー、グウィンなら、逃げるくらいはできると思うの。それがことごとく捕まえられたということは……」

 「新しい仲間を雇ったってこと。こっちで」

 「そうよ。ここの住民で、あんな邪神官に雇われるのを厭わないような、そんな連中を探しましょう。昨日のウーホン大人に聞いてみましょう。お金を払って」

 「それがよさそうね」二人はさっそく、チェット=ウー=ホンの店へ向かった。


 このアルガデアィスは交易中継都市であり、ギネヴィア人太守がフェリシン種の役人なども使い、街を治めてはいたが、それは名目のみで、各種の大商人が実質的に牛耳っている。交易商ウー=ホンもその一人だ。かれらはいわゆるマフィアであり、裏では特に武器、麻薬等の密輸、奴隷売買に携わっており、裏社会の住人にも通じている。アリーナは買付の名目でうまく大人と面会するや、商人でありながら、他の目的でも当地を訪れている冒険者のふうな事も匂わせ、何より豊富にあるカリヨン金貨をちらつかせると、今まで終始笑顔だった大人の隙のない眼がぎらりと光った。

 「何を考えているかは知らないが……深入りはしないことです、特によそ者が」

 「とんでもございません……私達はナイン人ではありません……この地で好き勝手しようなどと」

 「ナイン人といえば、魔法使いとやらは見つかりましたかな?」

 「それとは別件、身内のお話なのです」

 「それは……」大人は葉巻片手にコーヒーを傾けた。「またどういうご事情で」

 「仲間が……囚われたようなのです。敵対する邪神の神官が当地に入り込んでいるようで……それらに雇われてもかまわないというような凄腕の冒険者か、暗殺者……盗賊などの情報が、もしありましたら……」

 「そのような者は、掃いて捨てるほどおりますな!」大人が愉快そうに笑った。「情報収集のやり方も認識もまだお甘い。なにやら夕べよりきな臭い連中が騒がしい。ひょっとして、貴女たちではないかと思っていた。大方、人手を分散させ、そこを突かれたのでしょう」

 図星だった。アリーナは恐れ入った。もう、隠すようなことはない。

 「大人、得体の知れぬ邪神の一味や、ハンザ騎士団が大人たちのあずかり知らぬところで動いているのは面白くないはず」

 「さあて……ご存知とは思いますが、邪神の教団へ麻薬や奴隷を売るのも仕事です……ハンザ騎士へ情報を売るのも……ハンザ騎士は、貴女達を探しているではないでしょうか? そもそも、貴女達の後ろには、どなたがおいでかな?」

 鼓動が耳から出そうなほど緊張したティアラがアリーナを見た。アリーナは大人の虎のような眼へ、鷹のような眼で向かい、一歩も引いていない。大丈夫だ。さすがアリーナである。

 「金貨をよくご覧になれば、おのずとお察しがつくかと。これは取引です、商売ですよ、大人。損はさせませんよ……」

 アリーナは真新しいピカピカの金貨を1枚、差し出した。それには国王の最新の肖像と署名が刻まれている。これはまだ市中に出回っていない。どこで入手するかというと、国王から直接もらうしかない。つまり、アリーナはカーリオン国王からの直接の依頼を受けて、ここにいる。大人の顔つきがやや、変わった。気取られぬように汗を拭き、「これは、これは……まあ、我々は、誰の味方でもあり、誰の味方でもありません。強いて云えば、お金の味方です。ま、それにも限度はありますが。いや……これを受けとってしまったら、ハンザ騎士にはもう会えませんな……」

 アリーナがすかさず押しに入った。「覚悟をお決めください、大人。もう一度云います。損はさせません。どうかカーリオンへおつきください。ナインシュランドから何を云われているか存じませんが、約定を守る連中ではありませんよ……」

 大人は葉巻を消し、汗をさらに拭きつつ、「まあ、そうでしょうな……まあ、邪神と云いましても、いろいろある……アデュール神など、ナインシュランドでは至高の始原神でして、なんと云いましても、その……」

 「混沌神ではありません。殺戮の女神……だということです」

 「えっ……あ、ああ、ベリアディス教団の! 殺戮の真理学会ですか?」大人は、ナインシュランドと正面きって争うのではないと分かって、ほっとしたようだった。まだ、いきなり敵に回るわけにはゆかない。「それなら、南の街外れに施設がある。倉庫のような、目立たないね。裏で信者が多いようです。いま、司祭がカーリオンより来ているとかで、ウチへ出入しているヤツらを雇っていましたな……盗賊兼暗殺者でして……フルデルの剣士で、ナントカ流の使い手と、半オークの、南方の海賊あがりの銃使いを。銃とは、ご存知ですかな? こう……火薬の力で鉄の筒から、これも鉄の弾などを撃ち出す飛び道具です。威力はありますが、構造が複雑で……」

 アリーナはもう立ち上がった。「大人、ありがとうございます。これは……気持ちです」直接その手を握り、金貨二十を渡した。

 「おおっ、これは……」ウー=ホン大人は丁寧に礼をし、丁重に二人を送らせた。そして、二階の窓より素早く道を行く二人を見た。「仲間を救うという情にほだされ、相場の倍以上も出すとは……まだまだ甘い。庶民には通じても、わしのような者には、足元を見られるだけよ……」そうは云っても、その顔には笑みがあった。「水晶のように真っ直ぐな輝きをもっておる」彼は、アリーナの一本気なところを、大いに気に入った。


 教団施設は街外れの空き地へ目立たぬように小さな倉庫のように建ってはいたが、フェリシンの設計と建築で地下には迷路のように部屋がいくつも造られていた。もちろん教団の看板もシンボルもない。地下には大きな祭壇のある本堂と、秘密の殺戮儀式の部屋、生贄を閉じ込めておく牢などがある。街の大商人たちの手前、ふだんは奴隷を買ってきてそれを使っているが、今回は活きの良い生贄があった。しかし、ベリーナたちの運が悪く、フルンゼたちの運が良かったのは、儀式の日が厳格に決められていて、それまで生かされていたことだった。しかも、死にかけを殺すのはご利益が無いということで、信じられぬことに、待遇が良かった。

 「不思議なもんだな。こういう、教団の教えっていうのは……」

 檻と手枷にアレクサンドラの強力な封印の術がかけられているため脱出は不可能だったが、並んだ三つの檻に入っている三人は、ケガの手当てもうけ、食事もよく、沐浴もできてフルンゼなどはすっかり太って顔が丸くなってしまった。

 「人間だってブタを食べるときは太らせるでしょ」そうは云っても、真ん中の檻のグウィンは不安で食欲も無く、能天気なフルンゼにイライラしていた。

 「儀式で殺された後、あたいらはやっぱり食われるのかな、あのトカゲ女によ。けどよう、あいつも、人間と恐竜かなんかの合成魔獣だっていうし、哀れな生きもんだと思わないか」

 「思うわけないでしょう! あんな怪物!! どうしてそんな、気楽でいられるのッ!?」

 「そりゃあ……」

 「アリーナさんとティアラさんが、まだ残っていますから!」

 「ジャッキー、分かってるねえ」

 もう何度目か分からぬ、グウィンの癇癪が爆発した。

 「もう、いい加減にしてちょうだい! どうやってここにいることを知らせるのよ! だいたいフルンゼがさいしょにヘマやって捕まっちゃうから作戦が狂ってきたんでしょうッ!?」

 「おっ、こいつ、人のせいか!? 自分だって捕まったくせに!」

 「好きで捕まったんじゃないわよ!!」

 「やかましいわね! この状況で、どうしてそんなに喚き散らせるのかしら!」

 ベリーナがロウソクを持って地下牢へ入ってきた。二人は黙った。

 「度胸があるのかなんなのか……! しきたりを気にする年寄りの云うことだから儀式の日まで生かしてあげているけど、本来ならとっくにお三方とも五体バラバラになっているところですからね!」

 「うるせえ! この二重人格者が! やれるものならやってみやがれ!」

 「それができれば苦労はないのよ! このアバズレの土蛮亜人がアア!!」

 そう叫び、眼を血走らせてがつがつとベリーナはフルンゼの檻を蹴りつけた。フルンゼは明らかに面白がって舌を出した。「生意気な……! お前は実験のために生きたまま皮を剥がれるのよ! そのときになって、せいぜい苦痛にのたうつがいいわ!」

 「冷たい!」と、ジャクリーヌが黄色い声をあげ、ベリーナが振り返ったが、どうも様子がちがう。「うわっ、本当に冷たいぞ! 水だ!」フルンゼも叫ぶ。ベリーナも、階段の上の入り口から流れくる水に、さすがに色めいた。

 「なっ……なんなの、用水路が氾濫した!?」云うが、水はどっと嵩を増し、あっという間に足首まで来てしまった。呆然としていたが、あわてて、取って返す。「ちょっと、どうしたの、報告なさい!」奥の暗がりへ向かってそう叫んだが、大量の水が狭い通路を津波のように押し寄せてきて、ベリーナはぶっとばされてもみくちゃになり、牢の部屋まで押し戻された。もちろん、牢の中にも水は入る。

 「おい、溺れるぞ!」

 「ばっかねえ、こんなスゴイ水の魔法を使う人が、他に誰がいるの?」グウィンの声がするや、牢の鍵が爆発し、檻が開いた。手枷も、バキッと音を立てて破壊された。開錠の魔法だ。雄叫びを上げてフルンゼが檻へ掴みかかり、鉄柵を外して棒がわりとした。水の妖怪のように濡れ髪のベリーナが立ち上がり、金切り声で何か喚いたが、フルンゼは容赦なく棒を振りあげた。ベリーナの念力の呪文が飛んで、鉄の棒がひしゃげた。続けてミシリと腕から音がしたが、かまわず殴りつける。ベリーナは壁へ打ちつけられ、水の中に沈んでしまった。フルンゼは苦痛に顔をゆがめた。腕へヒビでも入ったか。

 「早く、こっち!」ティアラが出入り口から叫んだ。グウィンとジャクリーヌは先へ行っている。腕を押さえながら行きかけたフルンゼが殺気に振り返る。アリーナと同じく、黄金の瞳を爛々と輝かせたベリーナが、人間の物とは思えぬ、地獄の地鳴りのような唸り声をあげ、水の中に立っている。その念動力で地下全体が揺れるようだ。足元が渦を巻き、水が重力に逆らい、下から上へ迸り落ち、天上に溜まりはじめた。

 「なっ、なっ……」その迫力にフルンゼも息を飲んだ。

 「フルンゼ、行って、アリーナと合流するのよ! ここは私が……!」ティアラが水を操る呪文を唱えた。フルンゼは膝まで埋まりながらも流れに逆らって、急いで通路を進んだ。
 

 アレクサンドラは突然の襲撃に少なからず焦った。こんなに早く場所を特定されたのもさることながら、せっかくの傭兵二人が、街へ行っている時間なのだ。朝方の襲撃は想定していなかった。来るなら夜だと。「とっとと二人を呼びに人をやるんだよ! おのれ、ぬかったわ! ミュー、ミューは!」

 「まだ森でお休みかと……」

 「とっとと呼びにやれ!」信者は狂ったように走った。「こんどはこっちが水攻めにあうとは……!」苦虫をかみつつ、どこか嬉しげでもあった。「フフ……やりおる! あのアリーナとやら、やはりベルナデットより使えるか……!?」

 「あたしがどうしたと?」いま角を曲がったばかりの教団員がアリーナの足元で赤く染まった水へ浮いていた。死体が流れにそってアレクサンドラのほうへやってくる。アレクサンドラの呪文ひとつで、死体が、がばりと起き上がった。その出来上がったばかりの「動く死体」を、アリーナはさらにロータスで斬りつけた。凄まじい死者の悲鳴と蒸気をあげて、死体は土となって水へ崩れた。

 「ほう! 珍しい刀を持っている……相当な神刀……いや、魔刀か……どちらにせよ、どこで手に入れたものか? しかし、かなり無茶に使い込んでいるようだね。寿命が近いのではないかえ? うぇひぇひぇ……」子どもの姿で老婆のように不気味に笑うアレクサンドラに、アリーナは唾を飲んだ。確かにこの刀はもう瑕や歯こぼれがかなりひどく、素人研ぎではもはや如何ともできぬ状況となっている。師のオクツキへ相談しようと思っていた矢先だった。

 「獲物が完全でなくば、我にも勝てる要素はあろうというもの!」アレクサンドラが両手に強烈なプラズマ球電を発したとたん、地震のように地下が揺れ、水で弛んだ地盤が一気に崩れてきた。天上や壁が、音を立てて崩壊する。

 「あのバカが! 我を忘れおって……!」どっ、と、アレクサンドラの頭上へ大量の土砂が落ちる。アリーナも、急いでいま来た道を引き返した。「アリーナさん!」ジャクリーヌの声がした。「ジャッキー、こっち、こっちよ!」ジャクリーヌとグウィンが合流した。指揮系統を失った施設は、もう烏合の衆だ。信者にまぎれて、二人を逃がす。そこへフルンゼもやってきた。「ティアラが残ってる!」アリーナは通路の奥へむけて走った。水が止まらない。ティアラの力が異常に発揮されている。腰まで水に浸かりながら通路の先の階段を下り、地下牢までたどり着くと、水が床と天上の間を柱のように流れる異様な空間で、黒い霧のようなものに包まれ、とても人間とは思えぬ姿となったベリーナが、ティアラの首を片手で締め上げていた。「ティアラ!」ギラリとベリーナがアリーナへ向いた。おそるべき威圧感が本当に空気を押すようにあった。ティアラは白目を向き、口から泡を出していたが、ベリーナがその手を離すと、床に落ちて引きつけをおこすように息をした。

 「あんた……」さすがのアリーナも、その尋常ならざる気配に背筋が寒くなった。

 「おおおおまえさえいいいなけええればああああ!」ベリーナが吠えるような声を出した。

 「知るかア!」意を決しアリーナもロータスを構え、一足飛びに襲いかかった。ベリーナは両手に炎を出し、その合間より真紅の手槍が現れた。「キイイアアアアア!!」手槍の炎がベリーナをとりまく黒い霧のようなものと交じり合い、異臭を放った。その立ち上る黒い炎より、ベリーナへよく似た朧げな姿の人物が浮かび上がった。その冷たく青白く光る冥界の高貴な人物のような「モノ」が(確かに)自分を見てニヤリと笑ったので、アリーナは骨の髄から震え上がってしまった。「カミ」を見た瞬間であった。あの眼は、アリーナは生涯、忘れなかった。

 その顔が現れたのは一瞬だったのか。パッとかき消え、ハタと我へ返ったとき、ベリーナが大量の血を吐いてばったりと倒れ伏した。「……ベリア……ディス……様……?……」ベリーナはいま、微かに降臨したわが信仰する女神がごっそりと精気を吸っていったことを悟った。

 アリーナはとにかく、走り寄ってティアラを抱えると、脱出を試みた。


 倉庫は地盤ごと崩れて地面へ沈み、液状化現象で泥水が地面より吹き出る中、その泥が渦を巻いて、中心より息を吹き返したティアラとアリーナが出てきたとき、三人は抱き合って喜びを表した。何人かの街の者も何事かと見物にきていた。信者達は逃げおおせた者もいたが、埋もれて死んだ者も多かった。五人はなんとか生還した。しかし仕事はまだこれからである。目立ってしまった。この水の魔法にナインシュランドの魔法使いはとうぜん、気づくだろう。姿を消されるか、逆に襲撃をかけてくるか。作戦の練り直しを迫られるが、はたしてそのような余裕があるのか。

 五人は喜びも束の間、野次馬へまぎれ、素早くその場をあとにした。この中に私服のハンザ騎士がいるかもしれぬと思うと、生きた心地がしなかった。

 役人がきて、地下水脈の決壊による地盤沈下と処理して立入禁止の縄を張り、人々が去ったあと、呼ばれて急いでやってきた銃使いのクリスティーヌと、暗黒ディアナ流剣士のベートヴィヒが半ば呆れたように立っていた。

 「やあれやれ、なんの為にアタシらを雇ったことやら……半金もまだもらってねえしよ、これからどうするや」くわえ葉巻へ火をつけ、クリスティーヌがつぶやいた。

 ベートヴィヒは無言で、泥沼を指さした。ボコボコと泡が立ち、アレクサンドラとベリーナを抱えたミューが、まさに大地より生れ出るかのごとく、勢いよく出現した。ベリーナは死体のようにも見えたが、さすがにアレクサンドラは咳きこんで悔しげに何かを喚いており、生きていると分かった。泥まみれのミューが笑顔で、二人のほうへ歩いてきた。クリスは呆れ、かつ葉巻を口から落とすほど驚きつつも、思わず嬉しくなった。

 「アンタ、使えるねえ!」




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