ナッシュビル 〜暁のアリーナ〜

 九鬼 蛍

第八話 「虹色の明日へ」

 その日、非公式に、カーリオン王国の各封建領主が、王家宰相ショーフェルスター家の別荘であるコールウォード城へ集合した。非公式である。各々が目立たぬ馬車を仕立て、極秘裏に集まった。六十七年ぶりの領主会議であるばかりでなく、非公式会議、そして、ホワイトフィールド公爵家の処断を決める秘密会議であるというのは、王国始まって以来の重大事件だった。アリーナとの謁見でやや元気を取り戻した国王であったが、すっかり胃を壊し、ここへ来るまでに激しく揺られる馬車の中で三回も吐血した。かれは王国領主家の「鉄の結束」を安易に考えていたことがいかに愚かだったのかを、痛感していた。自らの妄信と過信が侮りとなり、公爵へは後で仔細を話せばきっと理解してくれると考え、性急にトリ=アン=グロス結晶の調査を命じた事で逆にホワイトフィールド公へ疑心を生じさせたのだと思うと、いたたまれなくて死にそうになった。公爵は、信頼し兄とも敬愛する王より国家の重大事に対し何の相談も無く、しかも除け者のようにされて物事を進められたことが、よほど悲しかったのだろう。裏切られたと思ったのだろう。許せなかったのだろう。

 国王リチャード2世はどうやらいちばん早く着いたようだった。先入りし、準備に追われていた宰相が出迎える。国王は滅多に表へ出ぬ宮廷魔法使いのグラディウス卿を伴っていた。いまこそ、イモータル種である彼女の知恵と力を必要としている。三人は回廊から外を見た。ここは湖を見下ろす山間の明媚な場所だった。国王はここの景色が好きでよく訪れていたが、こんなに辛い気持ちで湖を眺めるのは初めてだった。このままあの冷たい冬の湖面へ身を投げることができたならば、どんなに楽か。

 会談会場の「肖像の間」には、建国七英雄の肖像画が並んでいた。ナインシュランドの地方騎士だったという「アーサー」ことアルトゥス・グウァリーフィラス。その弟で敬虔な法秩序神の地方神官「パット」ことパトリック・グウァリーフィラス。ナインシュランドの王宮魔法使いで、一行の監視役だったともされる「レモ卿」ことレイモンド・ジャーミン卿。商人兼戦士「アル」ことアルベルト・カーウィン。レンジャーの「エド」ことエドリック・スポールディング。傭兵「ラド」ことランドルフ・ホワイトフィールド。そして、旅の途中でアーサーに拾われた女の子、騎士従者兼盗賊「エト」ことエーティン・ブリックスである。それぞれが初代の領主としてこの地に国を建て、二百年を経て現在に至る。国王は、お互いに得がたき親友であったという黒髪の巻き毛に鷲鼻、勇ましい漆黒の鎧を来た強持てのラドと、直毛金髪碧眼もまぶしい細面の我が先祖アーサーの姿を順に見て、涙が出てきた。宰相も思わず、目を拭いた。

 やがて国王の待っている城へ、ひっそりと各人が集まってきた。まず訪れたのは十七歳という最年少領主であり、現在唯一の女領主でもあるアマルダ・クラウニンシールド女伯爵だった。後見人であり、叔父(本当は実父である)である家老のオーウェン・クラウニンシールド卿も当然、いっしょだった。アマルダは質素なドレスで国王へ丁寧に礼をした。国王は無理をして笑顔を作ったが、その皺や隈に刻まれた苦悩を見て取って、若いアマルダの心は痛んだ。

 それからヘンリー・ブリックス卿(三十八)、エリエイザー・スポールディング卿(二十四)、アーサー・ジャーミン卿(七十)、シモン・カーウィン卿(五十五)の四男爵家が相次いで到着した。カーウィン卿は国王の長女フラウアを長男オーガスタスの嫁に迎えており王家とは深い縁があった。ジャーミン卿は領主家最長老であり、国王と同じく若いときはお忍びで冒険者も経験し、一家言あった。スポールディング卿は男領主では最年少で、グウィネルダ人との融和を図る心優しくも血気盛んで改革精神をもった青年領主。ブリックス卿は乗馬の名手で温厚な性格、政治には疎いがその人望で各家の調整役だった。

 ここに、誇り高く最も勇猛豪気で、皆に頼られる人気者のジョナサン・ホワイトフィールド公(四十八)がいるはずなのだが、今回は呼ばれない。呼ばれるはずもない。なぜなら、彼の謀反の処断を決する予備会議だからである。皆、国王を盟主としてナインシュランドや南方・西方の蛮族等からこの地を護るという先祖の教えを忠実に護ってきたつもりだった。しかし、いつしか、その教えも平和という麻薬のような快楽の中に埋もれてしまったようだ。千年の永きにわたりこの地の奪還を目論んできたナインシュランドの執拗に長い手は、ようやく「円楯の国」カーリオンの牙城の一角を崩すことに成功した。この、トリ=アン=グロスを産出する伝説の地を、護りぬかなければならない。

 「では、会議をはじめよう……」宰相、副官、相談役らを書記官席へつかせ、それぞれ円卓についた領主達の沈痛な面持ちは、国王のその凛とした声に、たちまち引き締まった。


 アリーナたちは、まだ、アルガデアィスに滞在していた。あの後、ハンザ騎士たちはプッツリと姿を消した。当然、ナインシュランド王勅使の魔法使いも、霧が消えたように消えた。残る手がかりは、グワイ=ニー=ミンなるギネヴィア人であった。この者が、ナインシュランド軍の手引きを画策する現地協力者であろう。

 「その前に、報告だけはしないと……」アリーナはまた指をかみはじめた。

 「しかし、どうやって?」王都への道は、必ずホワイトフィールド領を通る。既に国境をハンザ騎士……いや、他の通常騎士団が検閲しているかもしれぬ。

 「来たときみたいに街道を迂回している時間は無いわね」さしものアリーナも腕を組んだまま目をつむった。

 「川を遡って、西の平原からカーウィンかブリックスへ入るとか」

 「山脈を伝ってスポールディングまで行くというのは?」

 ティアラやグウィンが色々とアイデアを出したが、いまひとつパッとせぬ。「いちばん速いのは空だろうな」フルンゼが天を仰いだ。

 「空なんて、どうやって飛ぶのよ、そんな魔法すら聞いたことが無いわ」ティアラは呆れたが、アリーナは乗り気だった。「グウィン、鳥は使えないの?」

 「鳥!? 鳥ねえ……鷹狩の、鷹を使う技はあるけど……どんな鳥?」

 「神殿では、たまにハトを連絡に使いますよ」ジャクリーヌの言葉にティアラも頷く。「連絡バトの話は、聞いたことがあるわ。でもあれは、ただのハトじゃダメなのでしょう?」

 「詳しくは……訓練は、しているとは思いますけど」

 「迷っている場合じゃないわ」アリーナはウー=ホン大人へ相談した。大人はここでも使えた。

 「南方のレース鳩はいかがかな? 鳩でレースをする娯楽がこちらにはあるのです。鷹や隼に襲われないのであれば、カーリオン王都までなら……まあ天候にもよりますが、今の季節なら遅くとも三日でつくかと」

 「三日!?」アリーナも驚いた。

 「いまは北から向かい風が吹いておりますからね。夏なら南方風に乗って一日……いや、一日もかからないでつくでしょう。問題は王都へ行く訓練はしていないということですが」

 「それは、私が鳩へ魔法をかけますわ」

 「はあ……そうですか、便利ですな。ではさっそく手配をしましょう。選りすぐりの鳩をご用意しますよ。ところで、スカーレットウィンドさん、先日の……買付の件なのですがね、どうかその、ひとつ、北方の塩(岩塩)など、安く入りませんかね……」大人のねらいは、コートムアーでは貴重な塩を安価で入手できるルートの開発だった。ホワイトフィールドやカーウィンの商人が持ってくる塩は高くてかなわぬのだ。元よりノーザンバランドの、カザードたちの掘る良質な塩は商会の重要な取引産物だった。アリーナは便宜を図ることを誓った。

 アリーナは鳩へ仔細を連ねたメモを託し、ティアラが道しるべと防御の魔法をかけ、空へ放った。鳩は天候が良いのもあって、二日後には王宮へついた。

 極秘領主会議が召集されたのは、その報告の翌日という、異例の早さだった。


 さて、これからである。

 アリーナに残されている手は、その現地協力者であるグワイ=ニー=ミンとやらを強制的に排除するしかない、と結論付けた。しかしそれとなくウー=ホンへ聞いても、そのような人物は知らぬという。少なくとも、この街の大人仲間にはいない。

 「偽名か……それともよほどの新参者か……あるいはこの地域の者ではないとか」

 「コートムアーの首都から来てるとでも?」

 「こんな、種族、民族、部族のモザイク模様みたいな国で、首都といっても便宜上のものよ。ナインシュランドがわざわざそこまで通じるとも思えないわ。そういう規模の話じゃないと思う……この地域の有力者だと思うけどな」

 「でも大人は知らないと」

 「やっぱり偽名かな……」

 「この街に、大人と呼ばれる人は何人?」

 「五人よ」

 「それぞれ当たるしかなさそうね……」

 アリーナとティアラの作戦会議は延々と続いた。グウィンとジャクリーヌは、話を聞くだけで良い勉強になった。しかしフルンゼは、こういうのは苦手だった。とはいえ、また一人で外をウロウロして迷惑をかけるわけにはゆかぬ。辛抱強く話に加わる。

 「まあとにかく、探りを入れましょう!」アリーナはグウィン、ジャクリーヌ、ティアラを放った。フルンゼは目立つのでやはり留守番である。アリーナは「おかしら」なので本部から動けぬ。もちろん自分も探索に出たかったが、指令塔は無闇に動いてはいけない。よい機会だからロータスの手入れをした。先日、水をかぶったので、特に柄の痛みがひどい。緩くなってガタガタいう。目釘を抜き、柄より刀身を外して、丁寧にぬぐったが、もう鋼が研ぎ減ってきている。柄は分解せぬと中より腐るだろう。木と鮫(実はエイ)皮、牛革紐(柄糸の代わり)と各種の金具で出来ている。

 フルンゼが不思議そうにその取り外された柄を手に取った。「武器の柄だってのに、精巧にできてるなあ。装飾品みたいだね。東方の国の人は、器用なんだな」

 「師匠から色々教わったけど、やっぱり見よう見まねではね、柄巻を巻き直すくらいはね」

 「新しい刀にするのか? オクツキ先生はたくさん仕入れてるんだろう?」

 「でも、これはお母様の形見だし……特殊な剣らしいのよ」

 「魔法の剣なのか?」

 「魔法使いに見せても、そんなことは云われたことはないけどね、一人を除いて」アリーナは先日、アレクサンドラがやおら「神刀、魔刀」と云ったのを思い出した。そしてもう寿命だと。

 「あれっ? なんか、入ってるぜ」柄穴の奥を覗いて、フルンゼが云った。アリーナは柄の中など、いままで覗こうとも思ったことが無いので驚いた。「光ってるよ、ホラ」

 云われて、覗いてさらに驚いた。柄頭の中に何かあるのだ。アリーナは丁寧に分解した。合わせてある柄木を割ると、柄頭の辺より水晶のような、五角形の小さな透明な物体が出てきた。

 「ガラス?」

 「水晶じゃないか?」

 「ちがうわ……これは……」太陽光を浴び、やおらそれは脈を打って光り始めた。

 「トリアングロス……! どうして……こんなものがこの中に……!!」アリーナは、訳が分からなかった。「お母様が作ったのかしら……?」

 「アリーナ、刀が光ってるぜ!」アリーナは言葉も無かった。ただの鋼の塊だと思っていた刀身にも、魔法的な細工がしてあるというのか? それとも鋼ではないのか?

 と、刀身がウネウネと動き出したものだから、悲鳴を上げて席を立った。刀はまさに生き物のように伸び上がって、五角柱へおどりかかるや「食べて」しまった。そうとしか云いようのない現象だった。とたん、刀は研ぎ減った分がやや太ったようにも見え、まったく新品と化して光るのを止めた。手元に彫られてある勢至菩薩が、最後まで光っていた。

 「…………!?」二人は愕然と見つめていた。特殊能力とかいう次元を超えている。これはトリ=アン=グロス結晶を食って若返る能力を有しているのか? それより、東方の国にも結晶があるのか? それとも、母のカオルがこちらでこういう加工をしたのか? 何も分からぬ。無知は恐怖につながる。アリーナは愛刀に底知れぬ不気味さを感じかけた。しかし、無知を興味と感じるものもいる。フルンゼがまさにそれだった。

 「すっげえ! すげえ! すごいじゃねえかよ!」興奮し、いきなりそう叫んで刀身の柄(中茎)をつかんだのでアリーナは仰天した。「ホラッ、アリーナ、凄い能力だ! そういや、いつだったか結晶の力を使って敵の魔法をはね返したこともあったなあ! アリーナは知ってたのか!? きっと元からそういう力を持ってるんだ! トリアングロスを食ってその力を利用できるんだ! その能力を解明したら、もう結晶なんか怖くないぜ! ヒャッホウ!!」

 なんというプラス思考。何の不安も無いのだろうか。アリーナは泣けてきた。


 アリーナは、常備している替えの柄木や鮫皮、柄巻き革で、急いで柄を製作しはじめた。母の残した「寸法帳」の通りに、鞘も新作することができる。金具も、目貫、縁金、切羽からハバキまで、自作できる。もちろん代替品で、鞘も既に塗りは無くこちらの剣と同じ革巻き。出来も本国の職人の通りとはゆかないが、オクツキに叩き込まれたのだ。とにかく、いまは装備を整えることが先決で、刀の秘密は今度実家へ行ったときに母の遺品でも何でも捜して研究するしかない。

 「しかし……」トリ=アン=グロスを食ってしまうとは恐れ入った。これも国王に報告せざるを得まい。今すぐに、ではなくとも。鋼だと思い込んでいたが、違うのかもしれぬ。あの五角柱は、携帯糧食のようなものだったのだろうか?

 「そもそもトリアングロスってなんなの?」それも、今後の旅の課題になるだろう。ただ単に、魔族の実父・スマウグを倒すために始めた旅だったが、運命は彼女を否応無く、巻き込んでゆく。

 一同は、夜となく昼となく、情報集めに奔走したが、何も得られなかった。五人の大人の中に「グワイ=ニー=ミン」という名はやはり無い。ただ、「どうも、やっぱり大人たちはみんな偽名を持っている……」らしい。アリーナは苦虫をかんだ。よそ者の身では、どうにも調査にも限界がある。

 「お手上げかなあ」そんな状況で、なんと、王宮から鳩が帰ってきた。アリーナたちは食い入るように、足に結わえられた小さな筒を開け、中より密書を出した。折りたたまれた油紙へ、流麗な宰相直筆の書面があった。

 「ホワイトフィールド公と会われたし……?」みな、顔を見合わせる。しかも、である。「仲介人はアルガデアィスの商人、グワイ=ニー=ミン……」


 その夜は徹夜で話し合った。しかし、結論はでぬ。

 「どうやってグワイニーミンとやらと会うのかも書いていないわ! ホンモノなの?」さすがにティアラも声が上ずる。

 「宰相の署名は本物よ……」アリーナは眉間を押さえ、深いため息をついた。

 「なんのために公爵と会うの? まさか謀反の証拠をつかめとか、無茶を云うんじゃないでしょうね」グウィンの言葉はまったくその通りで、一同は黙り込んだ。密書が短すぎて意図がつかめぬ。

 「とにかく会うしかない。会ってから考えましょう」

 「危険です! 敵かもしれない人の城へ乗り込むなんて!」

 「だから、そもそもグワイニーミン……」

 堂々巡りである。その渦中の人物より使者が来たのは、夜半もすぎて明け方に近いころだった。

 驚きつつも、アリーナ、ティアラ、ジャクリーヌの三人で、使者の案内する場所へ向かった。とある建物の地下である。最深部のドアを開けると、なんと、いたのはウー=ホン大人であった。

 「やっぱり貴方の偽名でしたのね!」驚愕する二人をよそに、アリーナがそう云ったのでさらに驚いた。「いやはや……これだからスカーレットウィンド殿は侮れない……良い勘所です。国王陛下が気に入るというもの。宰相閣下よりお手紙は行きましたかな? 今日は皆さんに引き合わせたい御仁がおります」

 「ハンザ騎士ですか?」

 「えっ、いやっ、まあ……これは、これは、あまり物事を読みすぎるというのも、損をしますよ!」大人は汗を拭き、隣の部屋よりハンザ騎士団副団長のデイヴィッド・デイヴィスを呼び、紹介した。大柄で、地下では天井に頭がつきそうだ。恰幅が良く、顔はカザードにも負けぬ立派なヒゲに覆われている。その声を聞いてティアラは内心アッと思った。ナインシュランドの勅使と話をしていた人物である。

 アリーナは油断無く二人と接した。「これはいったい、どういった経緯でしょうか? 大人……それにデイヴィス卿……」

 「まあ、そのように怖い顔をなさらずに」デイヴィス卿は努めて朗らかにしているのが分かった。

 「大方、あっさりとナインシュランドに逃げられて、振り上げた剣の置き所に困ったのでは? 千年も待ったナインシュランドが、いまさら焦って事を進めるとも思えませんので。話が都にまで伝わっているのを知って、あわてて手打ちをお望みとか?」

 一瞬、ティアラも冷や汗を流すような、凄まじい形相でデイヴィスが睨みつけてきたが、すぐに笑顔へ戻った。ことごとく図星らしい。「まあ、しかし……」押し殺すようにして続ける。「事の発端は王家が勝手に領内のトリアングロスの調査をしたことにある……王家が先に裏切ったのです。公爵家だけが責められるものではありますまい」

 「それはどうかしら」

 さすがにデイヴィスの声も強張った。「それを決めるのは貴殿ではない! 領主会議だ!」

 「ホワイト公は、会議への参加はもう認められないのでは?」

 「なにを…!!」

 「まあ、まあ……」ウー=ホンが取り成す。彼はここでも、両勢力の仲介役として利益を得ようと企んでいた。見上げた商魂である。そして確かに、彼にはそれをやれるだけの影響力があった。

 「ここで云い合っていても埒があきますまい。公爵閣下へは私めもたいそう世話になっております。私が取り成しますので、どうかスカーレットウィンド殿には王家と公爵家を取り成していただきたい」

 なんという回りくどいことをするのかとジャクリーヌは思った。しかし、それが「世の中」というものなのだ。まして、このような雲の上のレベルなら。そのような場にアリーナがいることも感動したが、アリーナのおかげで自分もその一端にいることが、凄いと思った。

 「仲介料の請求書は王家へ回しておけ!」デイヴィスがそう息巻いたが、アリーナも黙ってはいない。「王家が仲介を望んでいるわけではないわ。せめて七三にするべきよ。もちろんそっちが七」

 「公爵家とて望んでいるわけではない!」

 「それを公爵閣下の前でも云うことね!」

 またウー=ホンが間に入った。「こんな時にお金の事で揉めるなんて……」ジャクリーヌは思わずそうつぶやいたが、ティアラがささやいた。「金額なんてホントはどうでもいいの。交渉の主導権を握る戦いは、もう始まっているのよ」

 ジャクリーヌは言葉も無かった。剣を振り回し、魔法を唱えあうだけが戦いではない。


 数日後、アリーナ一行はハンザ騎士たち、そしてグワイ=ニー=ミンことチェット=ウー=ホンと共にアラーム川を渡った。公爵家も、あまりにナインシュランドが呆気なく手を引いたので驚いたのだろう。上った梯子を外されて、まだ飛び降りる事ができる高さのうちに、痛みは伴うが飛び降りてしまおうということか。

 それはティアラも気になっていたようだ。「ねえ、アリーナ……向こうは……ナインシュランドはあっさりと引きすぎではなくて?」野営で、二人は声を潜めて話し合った。

 「そうなんだけど、どうしようもないわ。ぜんぜん分からないし、調べようも無い。予測するしかないのよ」

 「考えているけど、答えが見つからない。どう考えても、いま、こんなに素早く手を引いて、ナインシュランドが得をすることが思いつかない。ホワイトフィールドが完全に王国から離脱するかどうかの瀬戸際だもの。たぶん、このままなら、公爵に何らかの処罰は下るでしょうけど、公家は王国に戻ることが出来る。せっかく諜略してきたのに、それをむざむざと許すなんて……」

 「ティアラはしばらくナインシュランドに行っていたと?」

 「ええ……」

 「王様ってどんな人?」

 「王の勅命だと!?」

 「だって勅使でしょ?」

 「……ハルコン7世。見たわけではないわ。話に聞いただけ。辺境の街でね。でも評判はいいわ。もうかなり歳なんだけど、王太子が病気で死んでしまって、孫が跡を継ぐまで頑張るみたい。野心に溢れていて、海上交易に力をいれ、また兵団を組んで海を渡り、海外領土を倍にしたそうよ」

 「そこから生まれる無尽蔵の黄金が、侵攻の資金源よ……そこまでしてカーリオン侵攻を仕込んできたなんて、そうとうのやり手だわ。絶対裏があるはず……」

 「まさか……二重カラクリ!? 実は使者は公爵のところに隠れてるとか!?」

 「それは、さすがに考えすぎだと思うな……まあとにかく、公爵の話を聴きましょう」

 半月後、一向はグロースターへ到着し、城へ入った。

 しかし驚くべき事態が一行を待っていた。公爵には、会えないという。デイヴィス卿が何より驚いて、ハンザ騎士団長のロック卿や、公家の家老でもあり軍団長のスターマイヤー准男爵へ詰め寄った。玉座の間では十三人の騎士団長も勢ぞろいで一行を出迎えた。ホワイトフィールドは公爵を頂点として騎士団が政治も見る、完全な「軍事国家」なのである。

 准男爵が云うには、公爵は自ら法秩序神エルヘイム神殿へ入り、謹慎しているという。もちろん、何人かの騎士団長には、王家と一戦交える覚悟で兵を展開し、それから交渉に入ったほうが有利だと主張する者もいた。いやむしろ、騎士団の総意として、半数以上の団長が似たような主張をした。なぜなら、王国防衛の要、ホワイトフィールド騎馬軍団と重歩兵部隊で、王国全軍の半数を占めるのだから。

 だが、それは内乱を意味する。この非常時に内乱などしている場合ではないというのも、理解できた。ナインシュランドがやおら内乱に乗じて兵を出してきたとき、ホワイトフィールドもついでに潰される可能性が無いわけではない。当初の目論見であった、ホワイトフィールド家が新たにこの地を治めるのをナインシュランドが後見するという盟約をとる前に、先走って内乱などできようはずがない。その点、彼らはまだ冷静だった。

 しかし、なにより、公爵自身が、それを望まぬ。それゆえ、自ら謹慎している。彼は今後も何も語ることはなかったが、そもそも今回の「同盟離脱劇」そのものが、平和ボケした王家や各領主家への警告程度の意味合いしかなかったとしたら、公爵も思いもよらぬほど事態が大きくなってしまったことに……内省問題へナインシュランドの干渉を許し、あまつさえ結果としてカーリオン侵攻の片棒を担いでしまったことに、ある種の責任を感じているのではないだろうか。

 それは騎士たちにも与り知れぬことであったし、ましてアリーナには。

 アリーナたちは、ウー=ホンやデイヴィスと別れ、今度はスターマイヤー卿を引き連れて、王都へ向かった。


 事態がどのように収束するのか、アリーナには想像もつかなかった。軍団総司令の准男爵は騎士団とすべての兵を城へ置き、自らと側近、それに些少の護衛のみを引き連れていた。それは異例中の異例だった。彼は、そうすることで公爵の誠意を示し、また、主君の代わりに処刑されるのも辞さぬ覚悟だった。アリーナたちはそんな准男爵の護衛も兼ねていた。なぜならば、平原の遠くから、いつとも無く街道に不審な影が集結してきていたのである。

 グロースターから王都までは、徒歩で七日ほど、馬なら数日の距離である。商人や旅人が行き交い、ちょうど街道半ばの宿場街キンドウェルで、事件はおきた。敵も首都へ入る前に片をつけたいだろうし、場所も頃合。襲撃するなら、自分でもこの街だ。

 准男爵もそれとなく気づいていたようだったが、立場上、専守防衛が徹底される。アリーナは密かにチーム会議を開いた。

 「いったいどこの刺客だっていうの!?」グウィンが驚いてつめよった。

 「どこだっていいさ! 来たらぶっとばすだけだ!!」

 「フルンゼは黙ってて!」あまりの剣幕にフルンゼは驚いた。

 「王家の刺客? ……それはないわ。宰相の独断? ……でもいまスターマイヤー卿を襲って、誰がいちばん得をするかしら?」一同が首を振る。アリーナはティアラを見た。

 「ナインシュランドでしょうね……今このタイミングで准男爵が死んだともなれば、それは闇討ち、暗殺よ。たとえ王家の刺客で無くとも、暗殺されたとなれば騎士団が動く口実になる。騎士団が立てば、謹慎中の公爵も動かざるを得ない。反乱がおきるわ」

 「ナインシュランドの刺客が、どうしてこんな王都の近くにいるのですか!?」ジャクリーヌの疑問も、もっともだ。答えは一つだが、アリーナもティアラも、さすがに云い出せなかった。

 「他の領主家にも、裏切り者がいるって事さ! いや、むしろそっちが本当のスパイだね! 公爵家も騙されていたんだ!」

 フルンゼは、たまに核心を突く。愕然として、グウィンもジャクリーヌも、声も無かった。

 アリーナが立った。「まだ分からないわ。もしかしたら騎士団で、まだナインシュランドに通じている者がいるのかもしれない。いい機会だわ。とっ捕まえて、吐かせるのよ! 何がなんでもね!」その瞳が怒りで静かに光った。

 「どうか本当の裏切り者が、スポールディング家ではありませんように……」グウィンには、祈ることしか出来なかった。主君であり、また彼女はスポールディング卿に見初められ、身分上、公では無く密かに通じていた。愛する人が反逆者だとしたら、どうしたら良いのだろうか。

 夜半。刺客はすみやかに宿場街へ集結した。夜襲を予期したアリーナたちは准男爵と打ち合わせをすませ、護衛官たちへ宿の一室で厳重に准男爵を警護させると、宿の者へ知らせ、全て逃がした。風も無く、冷たい月夜に黒い衣服へ身をかためた熟練の暗殺者達が、アリの様に集まってきた。その中には、反カーリオン派のグウィネルダもいるだろう。しかしまさか、スポールディング卿がその反カーリオン派とつながっているとは考えにくい。グウィンはそう思って少し安堵した。月明かりで弓を射るのは、最上級の技術である。彼女は宿の屋根の上から、暗殺者たちと同じく闇にまぎれる衣装に着替え、アリーナの合図でさっそく通りを音も無く走る暗殺者たちめがけ次々に矢を放った。

 「……!」さすがにうめき声も出さぬ。また動揺もせぬ。頭目の指示ですぐに散開した。グウィンは素早く位置を変え、個別に、散らばった敵を見つけ次第、容赦なく射殺した。

 宿舎、そして准男爵の部屋にはティアラの古代魔法による防御術がかかっている。しかし敵の中にも魔法使いがいるようだ。強力な解除魔法が攻撃を仕掛けてきた。ティアラがそれへさらに呪文で対抗しつつ、敵の呪文の出所を特定してジャクリーヌへ指示を出し、陽動として後方へ回らせた。闇を見通す神聖呪文があるためだ。グウィンと合流し、魔法使いを逆暗殺である。


 ジャクリーヌが闇から闇へ通りを走り、屋根の上からグウィンがそれを援護した。暗殺者たちが根城にした宿の中より、開錠の呪文が飛んできている。最初は、偶然、敵と遭遇した。敵の暗殺者たちも夜目が利くとはいえ、呪文で完全に見えるジャクリーヌ相手ではさすがに分が悪い。グウィンの援護を待つまでもなく、「…ィヤッ!」息を鋭く吐いて、マインゴーシュで敵の顔へ牽制の一撃を放ちつつ、右のソードレイピアが下段より心臓を貫く。

 喉の奥より呻き声と泡血の浮きでる音を同時に発して、男は倒れ伏した。まったくなんの抵抗もさせずに、倒した。かつてはまるで敵へトドメを刺すことのできなかった彼女が、ずるずると地に伏した男より剣を抜き、それを見下ろして引きつるように笑みを浮かべた。

 「ジャッキー! はやく、回り込まれるわ!」

 軒の上よりグウィンの声がして、我へ返る。すぐに走り出したが、回り込まれた。振り返ると路地の後ろからも人が来た。倒れた男が、何かくわえて死んでいる。彼らにのみ意味の通じる呼子でも鳴らしたのだろう。ジャクリーヌは舌を打った。見つかったらからには仕方がない。「ウアア!」鬼のような形相で踊りかかる。暗殺者が毒短剣で応戦するも、狭い路地で突進するフェンシング術の敵では無かった。暗闇に血しぶきが散る。後ろから襲いかかってきた一人には、グウィンの矢が喉元に命中した。すぐにその場を去る。

 狭い宿場町である。ジャクリーヌは通りを挟んで中央広場を抜け、一直線に敵術者の隠れている宿屋を目指した。何人かが追ってくる。グウィンは広場を抜けるため屋根を伝って回り道をしているようだ。

 もうすぐ広場を抜けるジャクリーヌめがけ、足をからめ捕る分銅が飛んできた。ジャクリーヌは跳び上がってそれを避けた。そのまま、通りをめがけて駆け抜けることもできたが、ジャクリーヌは振り返って追手に対峙した。恐るべき殺意を自分へ向ける相手が刻々とせまってくる状況に、しかし視界の利く自分が絶対的に有利な状況に、首筋から背中にかけてゾクゾクと何とも云えぬ快感が走り、唾を飲みこむ喉もへばりついて、口を半開きにし、神聖力に満ちた蒼い眼を皿のように見開いて、舌を出して荒く呼吸をついた。

 それを離れた場所より月明かりで確認したグウィンは驚いたが、冷静に屋根より追手達を次々に射抜いた。この中距離ではむしろ、狙撃兵のグウィンは無敵であった。

 興奮して迎撃しようとしていたジャクリーヌは眼前でたちまち数人の敵が矢に倒れたので驚いて、思わず広場の向こうの屋根の上で弓を構えるグウィンを睨みつけた。遠目でそれに気づかぬグウィンは手を振って、先を急いだ。

 ジャクリーヌは我に返り、息を飲みこんだ。戦いを邪魔されたことに対する敵意をまさか大切な仲間へ向けるとは。ジャクリーヌは思わず身震いすると、敏感になった下半身に耐えながら、先を急いだ。

 目的の宿屋へはそれからすぐに到着した。グウィンが屋根より樹を伝う容量で窓を蹴り破って、ジャクリーヌは入り口を突き破って雪崩込んだ。二人は小さなホールで合流した。意外や、中は暗闇で、人の気配はなかった。いちばん奥の部屋に、ろうそくを前に一心不乱に杖にすがって呪文を唱え、敵がここまで来ていることにも気づかぬ哀れな若い術者がいた。緊張に硬くなったグウィンは、確かに「ンフッ…!」という吐息を発したジャクリーヌの、口元がきゅっとつり上がり、すずめを狙うネコのように魔法使いへ踊りかかるジャクリーヌを見た。


 アリーナとフルンゼが、囮も兼ねて宿の正面に仁王立ちする。フルンゼは機嫌が良かった。

 「四の五の云う戦いは嫌いだね!」

 アリーナも久しぶりの純粋な斬りあいに興奮した。「あたしもこっちのほうが性に合ってる」

 「いっちょやりますかねえ」フルンゼがハンマーをぐるぐると回して肩を慣らした。

 もう、通りの両側から、賊が殺到した。宿舎は、呪文と呪文がまともにぶつかり合い、建物全体が唸り、軋んでいた。テラスも無く、一気に正面を突破するしか暗殺者達に道は無い。仲間の強力な解除魔法が、いまにも扉を開こうとしている。少しでも開いているうちに、一人でも多く内部へ侵入させなくてはならない。が、番人が悪すぎる。暗がりにアリーナとフルンゼの眼が光った。

 「何匹かは生け捕りよ、分かってるわね!」

 「アリーナにまかせらあ!」

 通りに躍り出たフルンゼのピックハンマーが、雄叫びと共に空を薙いだ。爆発するように人間が、いや人間の破片が宙を舞う。瞬く間に、十人はなぎ倒したであろうか。返り血で真っ赤に染まったフルンゼの白い肌は、嫌でも白い戦鬼の称号を思い出させた。アリーナの出る幕なしである。

 だが敵も然る者だった。

 頭目が懐より小袋を出し、中より黄色の粉をまいた。粉は流れるように死体へまとわりついた。すると、砕かれ、倒れた死体が、不気味な黄色い光に包まれて、むくむくと起き上がり始めた。さらには、死体同士がグチグチ、ベキベキと音をたてて合体して、怪物となる。

 「うえぇ!!」顔をしかめてフルンゼが引いた。彼女はこういう「動く死体」系統の怪物が大の苦手であった。ここはアリーナの出番だ。入れ替わり、復活したロータス刀が稲妻のように煌めく。不気味な黄色の光が蛍の塊を蹴散らせたように飛び散って、死体は死体に戻った。

 「さあすが!」

 云うが、建物の軋みと唸りが落ちるように消え、開きかけの正面扉が再び硬く閉ざされた。ティアラが勝った、というより、敵の術者が倒されたと云ったほうが正しい。ジャクリーヌだろう。

 「おのれ!」さしもの暗殺者集団も、色を失った。

 「いかがいたします」

 「まだ引くのは早い……そろそろアレが来る」

 頭目がそうつぶやいた、まさにその時である。闇夜を劈く轟音がして、巨大な何かが火を吹いて振ってきた。通りに降り立った、木と鉄と石で出来たその物体は、二人にはもう馴染みのものだった。

 「グウィネルダの牙!」だが様子がおかしい。物体はどう見ても、

 「足しかないぜ!」

 しかしまた音がして、胴体とおぼしきものが飛んできた。それがなんと、電光と電光で結び付きあい、「合体」したのである。さらに、頭と腕が飛んできて、変形し、音をたててまた合体した。通常の三倍はある、二階建ての家よりも巨大な、超合体グウィネルダの牙だ!

 「……!!」アリーナ、声も無い。巨大な牙は、暗殺者達の歓声を受け、通りをゆっくりと進み始めた。

 「あわわ、あんなものが歩くのかよ!」フルンゼもびっくりして、声が震えていた。牙が、鋼鉄の装甲のある大きな手を振り上げて、手近な家の屋根を破壊した。その瓦礫に暗殺者の何人かが悲鳴をあげて埋もれたのは、もはやご愛嬌だ。

 「どうする、どうすんだよ、アリーナ!」

 どうするったって、どうしたら良いのだろう。アリーナも奥歯を噛む。地響きに、准男爵が窓を開けて巨大な牙を確認した。

 「どうしてあれがここにいる!!」声を潜めつつ、狼狽して側近に云った。ティアラは聞き逃さなかった。「誰が博士と連絡をとったのだ! しかも……狙いが我輩とは……!!」歯軋りして、スターマイヤーは足を踏み鳴らしたが、どうしようもない。

 「弱点は無いのですか?」ギョッとして振り返り、しまったという顔をしたが、もう遅い。准男爵はティアラに問いに、答えるしかなかった。

 「トリアングロス結晶を取り出すか破壊するしかない……王家でも研究しているだろう!」

 「それは知りません。結晶はどこに?」

 「あの型は三機それぞれ独立した駆動機を有し、合体して直列する……それぞれ潰しても互いに補完して、止めるまで手間がかかる……一撃で沈めるには、三機同時に潰すしかない」

 もう、巨人のように、一つ目の顔が二階の窓より彼らを覗き込んでいる。

 ティアラが呪文を唱えた。水の量が足りないが仕方が無い。町中の井戸から水が逆流し、水流が渦を巻いて牙を襲った。蔦のように巨大な腕や足へからみついて戒め、動きを止める。牙が唸りを上げ、蒸気を噴射してそれを振り払いにかかった。凄い力だった。ティアラがガクッと傾いた。アリーナがもう、牙へよじ登っている。

 「おおい、三か所いっぺんだ! 頭と胸と腰の部分だ!」窓よりスターマイヤーが叫んだ。額と胸、それに腰背部に、明滅するガラスの窓があった。中に大きな結晶が設置されている。アリーナがよじ登っても、牙は動くのでままならない。フルンゼもしがみつくように足へ上った。

 「おい、させるな、撃て!」暗殺者たちがクロスボウを撃った。宿からここぞと、准男爵が討って出ようとしたが、アリーナに止められた。それは本末転倒である。しかし、グウィンとジャクリーヌが駆けつけるまで持つか。巨大牙の力は恐るべきもので、水の呪文も引きちぎられてきた。クロスボウが寸断無く射掛けられるが、当たらない。

 「良く狙え、バカ……」叱咤する頭目が、そのまま、肩口より股下まで、一撃で両断された。

 「えっ…」

 「わあ!」

 人間の背丈ほどもあり、馬をも断ち切る幅広大湾曲刀を両手で振り上げ、ミューが暗闇から暗殺者達へ踊りかかる。人間などかすっただけで手足が飛んだ。最後に三人を一撃で串刺しにし、その隙に背後より毒塗りの短剣を果敢にもかざしてきた一人は、避けながら腕へかみついて肩ごと引きちぎった。

 「バッ、バケモノだアア!!」残った者達も、さすがに逃げ出す。

 「ミューや、もういいよ、後はほっておきな」アレクサドラと、その後ろにはクリスもいた。しかしベリーナとベートヴィヒはいない。彼女らは密かにアリーナの後を尾けていた。

 「しかしまあ……」呆れたように、アレクサンドラが牙を見上げた。「サンダー博士も、いつの間にあんなものまで造っていたことやら……金づるがついたと云っていたが、公家では無くナインシュランドのことだったとはねえ」

 「どうするんでさあ」相変わらず余裕をかまして葉巻をふかし、クリスが機械の巨人を見上げる。その眼はしかし、笑ってはいなかった。

 「ベリーナの意識が戻らない以上、万が一にもあの赤毛に死なれちゃ困るんだ。ちょいと助けておやりよ」

 「了解! ほら、行くぜ、トカゲちゃん」ミューは無言でクリスに続く。しかし走りだしてクリスを追い抜くと、そのまま振りかぶって力任せにその大刀を斧でも打ち込むように牙の足へ叩きつけた。凄まじいことに一撃で装甲が割れ、火花が散り、がっくりと巨大な牙は片膝をついた。

 「おおッ!」誰もが感嘆しつつ、クリスがそのショットガンでもう胸部のトリアングロス窓を狙っていたので、アリーナとフルンゼは急いでよじ登り、それぞれ剣とハンマーを振り上げた。彼女がサンダーショットと呼ぶ通り、雷鳴のごとき怒涛の銃声がし、牙の胸の窓が爆発したのと、額と、腰背部の窓が突き破られて結晶が割れ、同じく火を吹き上げたのは同時だった。見事なタイミングであった。巨人は合体が解け、崩れるように通りへ倒れた。

 准男爵が歓声をあげ、アリーナとフルンゼが胸を撫で下ろしたときには、もう、ミューやクリスは消えていた。


 王家の動きは速かった。宿場の護衛所より早馬が走り、翌日には回収部隊が来て、いかにも手順良くグウィネルダの牙をバラバラに分解して荷車へ乗せ、いずこかへと運び去ってしまった。また、厳しく緘口令を敷くのを忘れなかった。アリーナは襲撃者を捕らえて黒幕を吐かせるつもりだったが、牙を相手にしているうちに逃げられ、どこの刺客かは不明だった。二日後、彼らは無事に王都へ入った。

 アリーナたちは、そのまま、一か月近くも城の中に隔離された。もっとも待遇は素晴らしく良く、重要人物として遇された。ただし、ただの一回も、准男爵がどうなったのか、国王はお元気か、他領主家の様子はどうだ、などといった質問に答えが返ってくることは無かった。

 いい加減、グウィンやジャクリーヌが不安になり、フルンゼが飽きてきて、アリーナとティアラが魔法で抜け出そうかと画策し始めたとき、王宮魔法使いのグラディウス卿が彼女らを訪れた。

 王宮魔法使いと行っても正式な官職ではなく、国王の相談役として城にいるとみな信じていた。ちなみに、トリ=アン=グロス鉱脈を封じる数々の魔法の道具を作っているのは彼女である。アリーナは遠目に何度か見たことがあるだけだった。また卿はおそらく王国で唯一のイモータルという亜人種だった。古代語魔法の産みの親とも云われ、現在の人間属の文明の前に超文明を作り上げた古代人という説もある。なんにせよ、彼らイモータルが何も語らぬので、何も分からない。そもそも、イモータルとは人間がつけた「不死者、不朽のもの」を意味する名で、彼らが本当はなんという種族なのか、誰も知らないのである。

 ティアラは初めてイモータルを見たので、古代語魔法についてアレコレ聴きたくなり、上気してパニックになってしまった。人間はおろか他の亜人よりも遥かに長命な彼女は、見た目は人間の三十代だがゆうにその十倍は生きているはずで、古代語を駆使し、その秘術を極めつくしているはずなのだ。

 それはさておき……。

 「基本的に人間社会へ不干渉がイモータル種の原則……貴女様がなぜ長年この城にいるのか、お話くださる機会ととらえてよろしいのでしょうか?」アリーナはその超然とした雰囲気に少しばかりの嫌悪を感じつつ、鋭く眼前の真の魔法使いと対峙した。

 「アリーナ・スカーレットウィンド。極めて特殊な血液と環境を持つ貴重な素材。(そして我が希少なる友のこよなく愛する弟子……。)貴女のよく回る頭脳ならば、これまでの経験と知識で幾許かは予測がつくのではないかしら?」

 「では遠慮なく。貴女はトリアングロスの番人としてここにいる。グウィネルダの時代より、貴女はここにいたはず。しかし、多少の利用は認めてきた……それがいま、結晶を求めナインシュランドの手が本格的に伸びてきたとき、貴女の本当の役目が果たされるのでは?」

 「ハハハハハ!」やおら、甲高い哄笑が響いたので、驚いてグラディウスを凝視した。「スカーレットウィンドは過去を見るガラスの鏡でも入手しているのかしら!? まあ、当たらずとも遠からず……あの結晶を作ったのは私達の祖先だとお思いか? 残念ながら違います。しかし、結晶を利用する原理を発見し、それを動力源とした各種の装置を発明したのは、我々の祖先だと云われている……残念ながら、私にも伝承が伝わっていないほどの昔……八千年以上も前だということよ。貴女のその不思議な剣の生まれたずっと東方にも我々の技術者はいたし、旧帝国でも幾つか、再発見して利用していたけど、それも失われた。もう、私一人がどうだこうだと云っても、何もできなくなった。私はね、スカーレットウィンド、助言するしかできません。私が、いまさら天地がひっくり返るような魔法を使ったところで、一人では世の中は何も変わらない。私は、貴方達が信じようが信じまいが、聴かれたことに答えるしか仕事が無いの。それも、貴方達でも理解できるように、なるべく砕いて話すのですよ」

 アリーナの癇に火がついた。「そうやって達観しているとよろしい! 神の代理人のような顔をして! 素晴らしい古代の知識があるのなら、どうしてそれを活かされないのですか!」

 「活かしますよ、もちろん。国王や領主達にはもう助言はしました。いま、内部で争っているときではない、公爵を罰するのはほどほどに、と。それくらいですよ。私が云えるのは。それ以上、どうしろと? トリ=アン=グロスの組成式や、最大三〇〇倍にもなるエネルギー増幅率の基礎理論を話して理解できるのかしら? チンケなカラクリを分解するくらいはしますけどね。だからどうしたと云うことは無い。結晶を無力化する方法は……貴方達が貴方達の方法を見つけるしかないのです。ではそういうこと。私はずっとここにいますから、いつでも尋ねてきてください。さようなら」

 さっさと、王宮魔法使いは退室してしまった。それから、一行はようやく解放された。領主会議で延々と取調べを受けた准男爵は、採決を下す王家の使者とともに、グロースターへ帰っていた。それからすぐ、国王は、倒れ付すように病臥したという。面会はできなかった。


 翌日、王宮で、アマルダと家老で彼女の実の父である(但し、アマルダは知らない。父であるはずだった先代伯爵の弟たる叔父と母の不義の子がアマルダなのである。)オーウェン卿が、アリーナへ面会を求めた。今回の働きに対する謝礼と、挨拶のためだった。美人でつつましく心優しいアマルダは、領民には絶大な人気があったが、本当にただの可憐なお姫様で、なんの政治的手腕も無かった。名目上は叔父のオーウェン卿が実質の領主なのである。それはそれとして、スカーレットウィンド=ギフォード商会はナッシュビル一の豪商でもあり、クラウニンシールド家の重要な経済顧問でもある。本来ならそこの一人娘であるアリーナも、商人としてアマルダとよしみを通じているはずなのだが、運命は彼女を凄腕の冒険者として、いま王宮で領主と対面させていた。

 ひとしきりの儀礼的なやりとりの後、非公式ながらアマルダより勲章を与えられ、さらに褒章金として五百カリヨンが贈られた。さらに、次からが重要なのであるが、

 「スカーレットウィンド、これはまだ、未確認の段階なのですが……」会見室で、アマルダはオーウェンをちらちらと見ながら、話を続けた。「ノーザンバランドのブリュネル女王陛下より、法秩序神殿を通じてもたらされた話なのですが……いま、北国で赤い髪の魔族が猛威を振るっていて、北国でも討伐隊を繰り出しているのですが、ことごとく返り討ちにあっているとか……これ以上は、云う必要はないでしょう……」

 アリーナは、それを聴いた瞬間より凍りついたようにしていたが、やがて、頬や耳が見る間に紅潮し、そして息遣いも荒くなった。アマルダがハラハラして見守っている中、アリーナは、眼をつむり、瞑想していたが、やがて眼を開き、丁寧にアマルダへ礼を云った。

 「北国へ行くのですか?」

 いま、彼女にカーリオンを去られては、正直、困ると人形のような領主の顔に書いてあった。

 「分かりません、伯爵閣下。なんとも……云いようがありません」

 オーウェン卿が口を挟んだ。「さしでがましいようだが、クラウニンシールドとしても、援軍の要請があれば、何かしらの対応はせねばならない。カーリオンがこのような状況の中で、正規に軍を出すにしても、数は限られる……傭兵として冒険者を集めることになるだろう」

 「お心遣い、感謝いたします、オーウェン卿。しかし、私めがそれへ参加することはないでしょう。これは、私と……」アリーナはそこでグッと言葉をこらえた。そして決然と云い放った。「私と、魔族スマウグの個人的な問題です!」

 アリーナが退室した後、オーウェン卿は重くつぶやいた。「父とは認めぬ……か」


 結局、ホワイトフィールド公爵は処刑を免れ、幽閉処分となった。男子が次々と夭逝した公の跡継ぎは、唯一生き残った男子である九歳の四男エセルバートと決まった。アマルダを遥かに抜いて、王国最年少の領主であるばかりでなく、九十年ほど前に第五代カーウィン男爵であったエドガー卿が十一歳で領主となったのを抜いて、史上最年少の領主であった。ホワイトフィールド公は、一切の弁明をしなかったし、その後も何も語ることはなかった。

 こうして、建国以来最大の危機は去ったかのように見えた。しかし、その後、胃潰瘍を悪化させて臥せっていた国王が夏も盛りに、大量の血を吐いて突如として崩御。それを聞いた元公爵ホワイトフィールド卿は、猛暑の中、隠し持っていた小刀で自ら命を絶った。忽然と、王国の要を二人も失った痛手は、誰にも想像できないほどだった。

 「……ナインシュランドは、こうなることを見越して、今回はあっけなく手を引いたんだわ……あの老獪なハルコン王は……!」

 アリーナは、自らの力をもってしても、どうにもならないほどの事態の大きさに、歯噛みした。かの大国の侵攻は、これからが本番であろう。むしろ、コートムアーへの勅使の派遣のみでカーリオンの実力者を二人も排除できたのだから、諜略としては大成功だ。憎き実父・魔族スマウグの行方も気になる。何もかも捨てて、北方へ仇討の旅へ出てしまうことだって可能だが、せめて実家やナッシュビル、それにアマルダが戦争に巻き込まれるのは避けたい。アリーナは商家の出なので、あまり国家というものに固執はない。商売はどこでもできるし、為政者が変わってもできる。そのために、ナインシュランドとも交易をしてよしみを通じている。いやむしろ、ナインシュランドの侵攻に際し、平定後の通商利権の独占などという条件を出されたら、敵側へつくのも当然という商人の世界なのだ。

 アリーナは、盛大な国王の葬列へ仲間達と参加した後、重く沈みこむ夏の曇り空を仰ぎ見て、せめてその空に虹でもかかるように、明日への希望を見出したい気持ちで一杯だった。

 だが、虹は、かかっていない。
 
 了








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