平成12年3月 U山噴火 


平成16年1月記。
 
 いまさらなんなんですが、なんとなくわたしもいろいろ体験したなあ、と唐突に思い出して。
 
 うーんと、私の実家で勤め先の近くにあるU山が、平成12年3月27日、20数年ぶりに噴火しました。前の噴火のときは子どもだったですね。空から石が降ってきたのを覚えています。軽石だなあ。もちろん灰も降ったけど。
 
 今回の噴火では、わたしは会社で仕事をしてました。いつするかいつするかとニュースにはなってましたが、よりにもよって、まさかあの年度末に、しかも新年度契約の見積合わせの真っ最中に、「ただいまU山噴火」 と放送が流れて。業者を前に、部長や課長と、みんなで固まったのを思い出しますなあ。(封筒とか開いて読み合わせをしてしまって、やめるにやめれず、しかも部長はすぐ社長方と対策会議に入らなくてはならないのに、どうしようもなかった。とりあえず契約を終わらせましたが。)
 
 近隣ということで、被害地区ではないので、直接の噴火関係の仕事はしませんでしたが、じっさいにしたとなると、避難所の夜番と救援物資をどう使うかみんなで考えたことぐらいかなあ。なんてったって、みんなとにかく送ればいいと思って、物資をドコドコ送ってよこすんですよ。有り難いんですが、非常に困るのも多々あった。
 
 生のトマトとかスイカとかは、みんなで分けれるからね、いいですね。カップめんとかジュースとか、非常食とか、箱単位で来るんですよ。メーカーから。置くとこないし、避難所(私が行ってたのは、なんていうんだろ、体育館でもないし、会館というか、サークル施設みたいなところ。)のボイラー室が卸問屋の倉庫みたいになって。年寄りばっかりでカップめんとかそんなに食えねーッつうの。若い人らだって、毎日だから飽きちゃってみんな食べないし。三度の食事がコンビニ弁当で、食欲も無いのさ。物資は次から次へと来て、どんどん処分しないとどうしようもない。いらないから次のとこへ持ってけったって、配達トラックも荷物を処分したいから、強引に置いてくし。仕方がないから、我々で飲んだり食べたりしてました。それでもたかがしれてたけど。

 いちばん困ったのが、キノコとか山菜の水煮!!
 
 避難生活でどうすれってえの。何を考えて送ってよこしていたのだろう?

 しかも何箱も来るんですよ。ひと箱に24パックとか入っていて。だれも食べようが無い。最後までだれも手を着けなかったなあ〜。避難していた人も、自由に倉庫に入って物資を手にとって良かったのですが。だれも見向きもしなかった。配ろうとしたらいらないっていうし。あたりまえだ。
 
 笑ったのが佐渡から生の米、何百キロと来たよ。食ってくれ! って。いや、有り難いんですけど、

 
避難所に炊飯器ありませんからw

 どうしようもない(笑)

 でもみんなで考えて、給食センターでぜんぶ炊きましたよ。ええ、炊いたそうですよ。

 おにぎりにして配ったと思ったなあ。でも、米だけなんですよ。そこでミソ汁があったほうが高齢者は食べやすいんじゃないかとか、おかずがいるんじゃないかとか、おかずは何にしようとか、から揚げがいいとか漬け物がいいとか、ああでもないこうでもない、おかずを造る業者はどこにしようかとか、入札になるのかとか、もうどうにでも好きにして〜〜。
 
 4月か5月くらいまでそんなふうだったなあ〜。
 
 そこで、6月か7月だったと思います。
 
 当時わたしは会社で組合の委員をしてましたが、北海道中の組合員がボランティアで、除灰作業をすることになったわけですよ。
 
 200人ぐらい終結したと思ったなあ。なにせ、灰がドカドカ降って、いまは散策路とかに整備されている洞爺の温泉街とか、道路からまだ噴煙が上がっていた。
 
 もちろん、許可なく立入禁止。許可をとって作業したわけですが。人家とかも庭に何十センチも灰が積もっていてね。帰りに温泉に入って飯をただで食わしてくれるというので、半強制で参加したのですが。(サン○レスだった。)
 
 正午に現地到着。まず駐車場で班分けですね。長靴とスコップと土嚢袋(灰をいれる。)と軍手とタオルを渡されて。まず驚いたのが

 「地元の人はカテゴリーAでーす」
 

 ………………。




 
えっ、カテゴリーAッッ!?!?



 
 カテゴリーAって、
自衛隊とかしか入れない


 
あの噴火口の真下じゃないのか!?
 


 おいおいおいおいおいおい。
 
 をいをいをいをいをいをいをい。



 シャレにならんだろwwwそれwwwww 何を言い出すんだ、この人は。と思ったが、どうやら本気らしい。
 
 まあ滅多にできない体験だから。AでもBでもいいけどさ。

 ヤケでしたね。なにせ暑くて。珍しく気温が高かった。しかも前日まで雨で、湿度も高かった。
 
 そして、おそるべきことに、積もっていた灰が、前日の雨で水を吸って午前中までドロドロの泥沼だったのが、午後になって乾いて、ガッチガチのセメントか粘土のようになってやがるのよ!!

 
スコップ入ってかねー!!! ツルハシ持ってこーい!!!

 
しかも人家の庭とか堆積量数十センチ!!
                            
 ぎええ!!
 
 うおおおおおお!! おもてえええーッッ!!
 
 いや、しんどかった。しかも、カテゴリーAですよ。坂の上が、そそり立つように土が盛り上がっていて、そこから噴煙がモクモクですよ。何メートルだろう、100メートルも無かったんじゃないかなあ。
 
 
「あれねえ、雨で、噴火口に水がたまって、熱湯の池になってるんだよ。あの縁が決壊したら、泥流が襲ってきて、おれらは全滅だから! ははは!!」





 
ちょww 全滅ってwww ハハハじゃねーよwww!!



 マジでシャレならんと思ってみんなワッサワサと仕事したのだが、なにせ本当に重い! しかもとってもとっても灰だらけ! とってる傍から、どんどん降ってくるし。サラサラーッとですね、空から灰がね、ひたすら降ってくるのですよ。桜島の人とかは分かると思いますが。
 
 水を含んだ粘土状の灰が土嚢に一杯で40〜50キロはあるから、何人かで運んで、積み上げた量が数百袋におよんだ。いっしょにきていた家の人は、玄関から入れて喜んでいた。家の人は家の中のことをしていた。
 
 他のカテゴリーCとかの連中は、道路の端の灰とか楽ちんにとってただけだった。なんちゅうこったい。 
 
 午後4時ぐらいに気力と体力の限界となり、一同撤収。
 
 カテゴリーAは再び封鎖された。

 除灰できたのは、我々の地区だけで、全体の1/3ぐらいだった。
 
 我々は大自然と格闘し、負けた。敗残兵のようだった。

 噴火口は決壊しなかった。


 温泉に入って、バイキングの夕食をタダで食って帰ってきました。






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