7/ 26
ラトル/ベルリンフィルでシェーンベルクの「グレの歌」
シェーンベルクはこいつや歌劇「モーセとアーロン」交響詩「ペレアスとメリザンド」のような、べらぼうに巨大なものから、「五つの小品」のごとくえらい小さなものまで、ありとあらゆる規模の作品を残している。中でも、このグレは、最大規模に巨大なもの(CD2枚組100分超)であるにもかかわらず、無調・12音とゲンダイオンガクの教祖であるシェーンベルクの作品の中にあってまさに「異色」なほどに分かりやすい。
親しみやすい旋律、変幻自在のオーケストレイション、そしてその名の通り歌の作品でありストーリーもあるので、楽しい。シェーンベルクの象徴「シュプレッヒシュテンメ」(ただしまだお試し期間)も飛び出し、飽きさせない。
シェーンベルクの中でも、まっさきにお薦めできる作品の1つです。
演奏はうまいなあ、流石にもう。同曲では小沢征爾/ボストン響だけ持ってましたが、そちらは小澤らしいカチッとした硬質な、青磁のような演奏(シャレじゃないです)でしたが、こっちは同じ陶磁器でもマイセンのような豊かさ、優雅さが、艶やかさあります。
なんて、青磁もマイセンも鑑定番組でしか見たことありませんが……。
でもラトルの演奏って、わし本当に苦手ですね。これで確信しましたよ。
こんなにすばらしいのに、こんなに上手なのに、特別に感動はしませんでした。
やっぱり、上手すぎるのかなあ。
7/ 23 そしてたまには演奏会なども。
PMF2002インターナショナルズ・アンサンブル演奏会。
ロッシーニ 弦楽四重奏のソナタ 第2番
ドビュッシー フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ
ネリベル 協奏的五重奏曲
サン=サーンス 幻想曲
ドヴォルザーク 弦楽五重奏曲 第2番
ロッシーニは12歳のときの作曲だそうで、佳曲とはいえ、ハッキリいってトンデモ曲です。天才の才を味わう音楽といったところでしょうか。
ドビュッシーはなんとも武満くさいですなあ。(あ、逆か) しかし時々激しい感情が高ぶるのはドビュッシーらしいですし、旋律がね、いいですよね。単独ソナタ曲というとたいてい独奏曲ですか、こういう自由なアンサンブル的響きもいかにもドビュッシーで、この人なくして20世紀音楽の戸は開かなかったというのは、まぎれもない事実です。
ネリベルのレア曲がうれしかった! ブラバン愛好家にはおなじみのこの人、室内楽でも魅せます、聴かせます。ヴァイオリン、トランペット、トロンボーン、ピアノ、シロフォンという編成もいかにも現代曲。しかし、内容はそうでもない。ファンファーレの迫力、ピアノとシロフォンの完璧なシンクロ術、ヴァイオリンの自在な動き、良いです。
サン=サーンスはヴァイオリンとハープという、なんともおフランスな響きで、ちょいと疲れた方はそのまま幻想の彼方に逝ってしまう事でしょう。(逝ってきました)
メインのドヴォルザーク、四重奏にしろ五重奏にしろ、ベートーヴェンやブルックナー、ブラームスの例を出さずとも、ソナタ形式・スケルツォ・アンダンテ・ロンドの4楽章制と内容もここまで本格的ならば、これへオーケストレイションを施せばそれはそのまま「交響曲」となるほどに充実しているので、聴きごたえは充分。ふだん室内楽など滅多に聴かぬわたしも、たいへんに満足して家路につきました。
ちなみにメンバーはこちら。
シャンタル・ジュイエ(ヴァイオリン PMF室内楽主任教授)
イザベル・ヴァン・クレーン(ヴァイオリン)
今井信子(ヴィオラ)
ナタニエル・ローゼン(チェロ)
ジェフリー・ターナー(コントラバス ピッツバーク交響楽団首席奏者)
ジェフリー・ケイナー(フルート フィラデルフィア管弦楽団首席奏者)
ポール・メルケロ(トランペット モントリオール交響楽団首席奏者)
ピーター・サリヴァン(トロンボーン ピッツバーグ交響楽団首席奏者)
ドン・リウッズイ(パーカッション フィラデルフィア管弦楽団首席奏者)
ぎゃあ大ごちそう!!!
7/20 というわけでたまには書籍なども。
藤田紘一郎/コレラが街にやってくる
藤田先生は寄生虫の権威であり、その手のマニアには高名だ。また文章もご達者で、著作はおもしろい。その先生が一風変わった角度より地球温暖化を斬る。
地球が温暖化すると日本人にとって免疫もないコワイ熱帯性の病気が、それを媒介する蚊やダニ等といっしょにガンガン北上する。さらにコレラなぞは古典型という昔の「三日コロリ」の強い菌が死に絶えたと思っていたら実は休眠状態であり、東京湾なんかにもウヨウヨいて、温暖化によりいっせいに目覚める。東京や大阪でマラリア、コレラなんて当り前の世の中になりつつある。また地球規模の温暖化による紫外線の害、溶けた氷河に眠っていた古代の未知ウィルスの活性化、または環境の激変による生物群の大絶滅に、人間だけが助かる道などありはしない……。
あなおそろしや。産業界の反対に従ってるバアイじゃないだろ、アメリカ。
そして途上国には申し訳ないが、日本はこのままゆけば伝染病対策に厚労省の予算が大幅に食われ、援助などする余裕は無くなるだろう。
また瘧(ぎゃく)というのが「おこり」すなわちマラリアのことだとは知らなかった。平清盛が「おこり」で死んだというのは本当にマラリアだったのね。マラリアは別に熱帯に限定の病気ではなかった。日本でもかつてフツーに見られた病気だった。
ということは瘧師(ぎゃくし)さんという苗字はかつてマラリアのお医者であったか何かしたと考えられる。(苗字ページそのうちつくります)
むかし平成リバイバルを果たした植木等がその勢いに乗って「地球温暖化行進曲」という曲を出したが、たいして評判にはならなかった。そんなトコロにも人々の意識の希薄さを感じてしまうわたしであった。
7/14〜18 テンシュテット三昧。
ボストン響 ドボルザーク 交響曲9番
北ドイツ放送響 ベートーヴェン エグモント序曲
交響曲3番
北ドイツ放送響 ブラームス 交響曲1番
ボストン響 ヴェーベルン パッサカリア
ハイドン 交響曲100番
シューベルト 交響曲9番
北ドイツ放送響 ブルックナー 交響曲8番
みんなテンシュテット指揮。みんなライヴ。
特に印象にのこったもの。
ベートーヴェンはEMI正規盤もよかったけど、このエグモントと英雄も相変わらずすごい。しかも2楽章が、もう、いやすごい。泣きというより、哭きでしょうなあ。
パッサカリアも緻密な、メのつまった上等のチーズのような、こ〜い演奏で、ブーレーズとは五味ぐらいちがう。ブーレーズもいいんですけどね。でも私はブーレーズよりはカラヤンがいいし、ケーゲルもいい。それらとは正反対といっていいです。
驚くのがハイドンで、ロマン主義というか、でも、じつは宮廷とかではじっさい問題、こんな演奏が行われていたんじゃないか、という古典的な演奏のようにも聞える。「現代の古典主義」の人には、敬遠されるでしょう。私は別に古典のファンでもなんでもないので、こういう刺激的なハイドンは大歓迎。西洋庭園のような様式美? 確かにそれは無い。でも、生きて、動いて、感情が爆発している。ブラボー。
ブル8はテンシュテット得意の曲で、正規盤であるし海賊盤(とはいってもそれらの正規盤が無いのだから厳密には海賊ではないと思うが……)でも種類は私が把握しているだけでボストン響、ベルリンフィル、フィラデルフィア、シカゴ響、この北ドイツと5種類もある。正規盤は買い損ね、BPOとフィラデルフィアを既有であったが、北ドイツを入手した。テンシュテットはマーラーがすばらしいがベートーヴェンやブルックナーも断然すばらしい。そちらの方が、演奏頻度は高かったのではないか。これは数分の差で1枚組、また内容の方も、私がいままて聴いた8番の中では最高峰。伸びすぎず、縮まりすぎず。響きは濃縮され、緊張感があり、1楽章も全体に比べてやけに短い意図が分かったような気がする。終わりが唐突で、次を印象づけている。スケルツォはリズムが凝縮されて緊張感があり、BPOとのライヴの4番のよう。3楽章も怒濤のスケール。はたしてここは本当に安寧と平安を求める楽章だったのか? むしろ不安と期待の楽章ではないのか。
4楽章は気絶。
もっともわたしはブルックナー自体をそんなに得意としていないので、あまりアテにはならない。
テンシュテットはどうして海賊盤ばっかりあるんだろう。正規メーカーでは売れないと思ってるのかしら。じゃ海賊盤も売れないじゃないか。でもたくさんある。矛盾。ばか。どうにかしろ。EMI様してください。
7/12〜13
ショスタコ数種。
テンシュテット/フィラデルフィア管。1985年ライヴで5番。
深刻度はムラヴィンスキーに匹敵するのではないだろうか。当然かもしれないがロシア色は無く、純然たる20世紀傑作交響曲が鳴っている。2.3楽章は特筆。しかし4楽章はわたしは、もっと突進性があってもいいかと思った。テンシュテットは何をどう思っていたのだろう……。
スヴェトラーノフ/ソビエト国立響。(CD屋の追悼コーナーに売ってた、メロディアの音源を使った2枚組の海賊盤)
5番。
なんちゅううるさい演奏だ!
伝説的名演と聞いていたが、本当だった。低音、金管、うなりを上げている。特に1.2楽章でグッ、ゴッ、ゴッと吠える弦バスが心地よい。しかし、うるさいだけなら伝説にはならぬ。繊細な弱音といい、情景といい、情緒といい、大ロシアの古き良きショスタコーヴィチでした。4楽章も問題なし! ☆の気絶級。大大大満足。
9番。
こんな9番きいたことがなーい!! 1楽章は驚きの表現。9番は全体的に華奢な演奏がまかり通っているが、本質はちがった。ちがうにきまっている。まぎれもないショスタコーヴィチ。の、交響曲。ジャズ組曲の系統の解釈もいいが、私は満足できなかった。この曲ってこんなもの? 4.8に次ぐ名曲として指示している身としては、名演奏の不足が説得力を無くしていたが、これを聴け!! ……と息巻いてもメロディアはつぶれてしまったし……。こうなったら1人でひっそりとにやにやしていよう。(ケーゲルの演奏もあるらしいので、いつか入手して聴いてみたい)
7番。
まってました大本命!
7番は作品としてはあまり評価していないのだが(10番よりはまし)それを補ってあまりある大演奏に出会ったときの感動はそれだけに大きい。バーンスタイン、コンドラーシン、ムラヴィンスキー。そしてスヴェトラーノフ!!
1楽章は、意外と速い。ムラヴィンスキーと同じぐらい。やっぱり、この曲は推進力をもってガンガン進む方が性にあっているのかもしれない。
代わり、2.3.4楽章はたっぷり。といってもバンスタほどではないが……。
構成の惰弱さを指摘される分、ソロやメロディーで勝負するのは正しい方向なのではないかと思った。
今回の白眉はスヴェトラの9番でした。5.7番も含めて、新録ではぜんぜんおとなしかったので、この爆発演奏はうれしかった。法より力の正しい大ロシアを観た気がした。
7/3〜7/11
マーラー三昧 その1。
シューリヒト/フランス国立管で2番。
こいつは迫力がある。冒頭からなんという緊張。ドキドキする。ワクワクする。手に汗握る。1950年ライヴ。モノラル。1楽章第2主題のこの甘美さ。展開部からの怒濤。クレンペラーを思い出しますなあ。
前世紀初頭、マーラーがウィーンフィルを率いてパリ万博に登場。この2番交響曲を自演した。デュカやドビュッシーらは2楽章で憤然と席を立ち(あまりにシューベルトチックなのが不満だったらしい、という伝承がある)、演奏会は大赤字で、マーラーは自ら借金をして楽団員たちの帰国費用を賄った。……パリは、マーラーにとってそんな鬼門の土地だった。
この演奏を聞かせてあげたかった。
時代の変遷というのはなんと恐ろしいものなのだろうか。
それにしても、どうしてむかしの人の演奏はこんなに「凄い演奏」なのだろう。いまはステレオでデジタルで指揮者も奏者もとっても上手で、現在の演奏の方が断然凄いはずなのに。手に汗握る演奏は滅多に……まあCDの話ですけれど。
5楽章ラストは、絶唱・絶演。どうしたって仰ぎ観るような雰囲気になるのに、そのままひっくり帰ってしまう。巨匠ってやつなのかなあ。
パリの客大満足。わしも大満足。過去と現在がシンクロする素敵な瞬間。
ちなみにどうでもいいが1、2楽章の最後の音が抜けているのは録音のせいか指揮者の意思か。
いや、指揮者じゃねえなあ、録音だ、コレ!!
かんべんしろよもう。
わたしが一目おいているマーラー9番指揮者。クレンペラー、テンシュテット、バーンスタイン。こんなもん。こんなもんです。いまんとこ。
ベルティーニとバルビローリは、とりあえず次点としておきます。(シャイーに期待)
今回、そこに、カラヤンを加えたい。バースタインとのアレのあった後の、1982年。
美白の女王ならぬ美音の帝王、カラヤン。いまにして思えばそれはそれですごい。
pppの鬼だそうだが、透明で繊細で強靱なピアノあってこそのフォルテだ。はっきりいってピアノの方が難しい。ピアノは「弱い」のではない。「小さい」だけ。
同曲はそれなりに聴き倒しているが、いろいろ振り返って最近1楽章でいつも気になるのは展開部の後のほうの、ホルンとフルートの狂気じみたデュオ。スコアみながら聴くと異常さが分かる。なんだろう、これ。不思議。重要。
ここをさらりとやるなよ! 他の指揮者!!
バッハ的な室内楽的要素がふんだんに認められる9番で、総奏部分が速かったり大きかったりは自慢にならぬ。かといって世紀の大交響曲でもあるのだから、数人でやってるがごとくアンサンブルがピッタリ合ったところでスケールが小さくなっては困る。2・3楽章は特に。楽譜のネリが足りない部分は棒でカバーだ! 難しい部分こそ、指揮者のウデの見せ所。(4番の3楽章といっしょか?)
バーンスタインやテンシュテットののめり込んだ鬼気せまる表現もよい。クレンペラーの泰山のような威厳・風格・至芸もよい。ベルティーニの耽美芸術の極致もよい。バルビローリのどっしりと、ふっくらとした中身の濃さもよい。そしてカラヤンの完璧で緊張感あふるる楽譜表現もよい。
4楽章は独壇場! ひぇぇー。涙がでるほどのソロの数々。弦の響き。頂点の迫力。タメ、ノリ、感情移入のスゴサ。爆発。誰だバーンスタインとは対照的とかいってたやつ。おんなじじゃないか。まったく同じ。
伝説と化しているラストは、さすがに会場じゃないとこれは真価が分からないなあ。(聞こえない:笑)
カラヤンのライヴ、興味がでてきたぞ!
さて、そうなるとアバド/ベルリンフィルの9番なんてのは……いや、こっちもとってもすばらしい演奏です。★は疑うことなく5つ。でも個人的には3番のほうがすごかった。ベルリンの客なんてこれぐらいの演奏は慣れっこなんだろうか? 拍手もフツー。歓声チョットだけ。ええ−、フツーの演奏なのか!? コレ。
美音です。特に4楽章は美音の洪水です。すばらしい! 綺麗、というより、豊穣、です。2、3楽章も迫力です。3楽章は特に息をのみますなあ。1楽章もはじめて聴くような表現が多発する。
でも正直、3番より感動がない。
余裕こいてるように聞える。いったいぜんたい、誰のなんの曲をやってると思ってんだ。(ラトルもそうなんだよなあ)
いやじっさい余裕なのだ。なんてったってベルリンフィル。技術的にはそうかもしれない。でも……。
ベルリンフィルをよくも悪くも必死にさせる指揮者なんて、やっぱり滅多にいないのだろうか。
カラヤンやバーンスタインには「強靱」ということばが出てくる。が、アバドには「柔軟」だ。拳法でいうと前者は八極拳、後者は太極拳。しかし太極拳はじつは内部に強大なパワーを秘めて敵を倒す。見えないだけだ。(逆に八極拳にも繊細な業がある)
すなわち、どっちも表裏一体、同じ「音楽」していることには変わりなく、客の好き嫌いはあるが音楽的な上下はない。質のちがいがあるだけで、よいか悪いかではない。
アバドは、少なくとも私がいままで聞いたマーラーでも、そう、かなり異質だ。
かなり自己主張しているが、かなり控えめだ。細かい上に隠し味なので、漫然と聞けば聞き逃しかねない。渋い芸といえば渋い芸。欧米人らしくないなあ(笑)
でも、あの3番はよかった……!! ラストは全身が震えた。
「これでどうだー!!」
という意思が目に見えた。その日その時のオーラが機械を通してまで感じることができた。時空を超え、奇跡の瞬間に、少しでも立ち会うことができた。
CDは一種のタイムマシンなのだ。
それに比して、9番はまだちょっとだけ不満が残る。いや、当然ながらそこいらのドッタンバッタンしている演奏よりは段違いにレベルは上なんですがね(マーラー自体、さらに9番6番なんてのは、特に日本のオケにはまだまだ難しいのではないだろうか……)
カラヤンで述べたように、室内楽的な傾向が強すぎて、スケールが小さくなっている気がする。会場ではそんなことはないと思うのだけれど……。CDではちょっとだけそう思った。カラヤンの後に聴いたからかなあ。3番はあんなに開放的だったのに。9番が曲として内向的? ホント?
1999年のライヴです。
3番ときたところで朝比奈隆。1995年。
朝比奈は何度もいうがベトやブルよりマーラーのほうを高く評価する。いや、マーラー自体がそれらより好きなだけなんですが……。(よくありげ)
それにしてもああ、大阪フィル……日本のオケにマーラーは無理なのか!? ほんとうに無理なのか!?
などと思ってみたり。
プラスの部分もあるがマイナスの部分もあって……プラマイゼロじゃ!!
棒としては、5楽章・6楽章が特にすばらしい。ラストの伸び、タメ、開放感、いやあ、最高だ。
しかし、まあ、朝比奈はこんなに立派で堂々として劇的なマーラーをするのに、なんでベートーヴェンやブルックナーはあんなにつまんないんだろう。
「それはね、ニンゲンのミミとココロというものが、いかに頼りないかの証拠だよ」
いま、神様が教えてくれました。
中古で買いました。ノイマン/チェコフィルの8番。(デンオン:スプラフォン)
おー、何がすごいって、1部と2部の二枚組、トラックがそれぞれ1つしかない。
1ッ!?
ハルサイですらいまどきそんなCDないよ!? (しかも8番ですぞ!!)
演奏は、テンポはゆっくりめで、丁寧に楽譜を処理しています。発音は柔らかく、正統な感情が入っており、フレーズは長め、巨大な音楽ですがそれを感じさせません。でも、スケールは大きい。(マーラーするのにこれは大事だと思います)
よくも悪くもノイマンらしい。
カラヤンと同じ年、1982年の録音。
ゼイタクな時代でした。
迫力に欠けるとか、突進力に欠けるとか、ぬるいとか、いろいろ欠点をあげればあるが、聴き終わって幸福な気分に浸れるというのであればそれは、この曲(8番)の神髄のひとつということができ、それはつまり、この曲の究極の演奏のひとつだといえる。
ノイマンのマーラー、いろいろな意味でレベルは高いです。
マーラーメダルは、伊達ではない。
そして、どうでもいいが、はじめてこの曲でマンドリンがちゃんと聞こえた。
マーラー三昧その1として、5枚聴きましたが、どれもすばらしいものでした。
みな色々な意味でマーラーとマーラーの曲を愛する指揮者の演奏で、そういう演奏はやはり与えてくれるものも大きい!
かたよりマーラー道、はるかなる天国への道です。
6/20〜30
フルトヴェングラーの交響曲なんぞ買ってしまった。
アルブレヒト/ワイマールシュターツカペレ。
第1交響曲
つまんね〜。
いや、半分ぐらい冗談ですが。
2番は既にもっていたのですが、たいしたことない記憶しかなくてマルコポーロのシリーズを放っておいたら国内版で安くちがうシリーズがでまして、そんなわけでまず1番。
2枚組ですよ。
ロマンの権化みたいな音楽ではありますが、そうはいっても現代音楽でもある。
悪くはない。頑張ってる。巨匠! 悪くないですよ!!
でも、マーラーやブルックナー聴いてるほうがいいや……という人はきっと多い。
ついでにCD棚から2番もとりだしてかけてみた。
アルフレッド・ウォルター/BBC交響楽団(ロンドン)
さらにつまんね〜。
いや1/3ぐらい冗談です。
主題が少しづつ展開するのと、どうにも深刻なのが特徴らしい。
そのくせ長いんだよな〜。長いのは関係ないか。
せっかくの素材が無駄に消費されているような観があります。まあこれもゲンダイオンガクなのかな……ロマン主義の神みたいにいわれている巨匠には悪いが。
神と紙とは紙一重ということで。
紙のように軽いオンガク。にはならなかった。
それをやったのはビートルズだった。
アルブレヒト/ワイマールシュターツカペレ。
第3交響曲
いよいよ冗談じゃすまされなくなってきた。この閉塞感は尋常ではない。マーラーとブルックナーとリヒャルト・シュトラウスが眉間にシワをよせて集まっている、との評はかなり正しい。
好みで言えば、ダダ伸びしている1番より、これぐらいが私には丁度よいのだが……。
さて、本業が指揮者で日曜作曲家の大先輩にはマーラーがいる。R.シュトラウスやブリテンなんかは両方とも器用にこなしていたようだが、仕事の比重としてより忙しかった方が指揮者だったのは、だんぜんマーラーだ。後輩には有名どころでブーレーズやバーンスタインがいるが、こちらもコンスタントに指揮と作曲とやっていた(いる)が、まあどちらかと言えば指揮者の仕事の方がメジャーなのではあるまいか。ストラヴィンスキーは、自作しか指揮しなかった、ように思える。
話はもどって、マーラーとフルトヴェングラーを比較するに、どっちも「作曲の仕事の方に価値をみいだす」なんて言っている。仕事量としては完全にマーラーが勝っている。なにせ交響曲の鬼だ。フルトヴェングラーは才能はあるが、ベートーヴェンから連なる巨大な交響曲世界と「同じ土俵」で挑んでしまったため、生涯に3曲を残すのがやっとだった。3番はしかも未完。
質としてはどうだろう、フルトヴェングラーの深刻さは、救いようがない点でペッテションにも通じるのだが、あっちの方が徹底している。
まとめると、この3曲の価値というのは、同時代の作曲家がとっくに見放したドイツ・オーストリーの系統による「交響曲」という怪物への果敢なる挑戦、ととらえる事ができはしまいか。新ヴィーン学派の室内交響曲、ショスタコーヴィチらのロシア・ソ連系交響曲群とは、明らかに質がちがう。応用や引用、影響、ではなく、真正面から先輩たちの仕事に挑んでいる点が、不器用というか、えらいというか。
そしてその結果は……おして知るべし。
PS
クレンペラーも実は作曲が好きでけっこう交響曲とか弦楽カルテットとか残してるが、もっとサバサバしてて、けっして「作曲のほうに価値を見出す」なんて師匠の受け売りはしなかった。EMIにもちょっとだけ録音があるが、まあ趣味の世界。フルトヴェングラーも趣味だけにしときゃよかったのに……。真面目だったんですね。
6/15〜17
現代音楽3種
サロネン/ロスフィルでメキシコの作曲家レブエルタス。
ガハハ。これはよいなあ。メヒコの伊福部かハチャトゥリアンか。
天賦の才で活躍したが、その才を疎まれて才では劣るチャベスに追われた。そして革命の夢想にとりつかれ、スペイン内戦なんかで共和軍を応援したりしてたが、最期はアル中でのたれ死んだ。
なんてロックな人生なんだ!!!!
その音楽がロックじゃないはずがない。
……まあ、クラシックなんですが(笑)
ゲンダイオンガクばりの不協和音も金切り叫ぶが、ウンボコバコバコと民族打楽器が踊ったりもする。なんとも楽しい!!
サロネンの指揮はたぶん現地の指揮者/オケにはノリとか味の点では負けるのだろうが、その分完成度は高い。よいですぞ!
沼尻/都響で武満作品集(Vol5)
武満もここまで聴くと食傷ぎみになるのだろうか?
いささか感動が薄い。
初期のガツンとした曲はもっとガリガリと、後期のトロンとした曲はもっととろろんとするとよいのかもしれない。いや、わかんないけど。
バルシャイ/水戸室内オケでショスタコーヴィチのバルシャイ編による弦楽四重奏曲の室内楽バージョン。
弦四第1のアレンジのアイネ・クライネ・シンフォニー
弦四第8のアレンジの室内交響曲
弦四第3のアレンジの弦と木管のための交響曲
期待して聴いたが、みんなアレレだった。
なんででしょう???
骨をさらに削ったようなギリギリした音楽が魅力のショスタコーヴィチの弦楽四重奏。肉付けしてなんか意味あんの???
まあ、ある人にはあるのでしょうが……作曲者本人も、8番のアレンジなんかは気に入っていたようで、中には「弦楽合奏のほうが向いている」と弟子のバルシャイに断言した曲もあったとか……そんなものでしょうかねえ。
6/6〜6/12
ストラヴィンスキー自作自演集。ソニーの9枚組み。
ぜんぶの感想はムリなのでピックアップで。
春の祭典
なんかい聴いてもドライ。しかしもりあがる場所はもりあがる。もう、天邪鬼というか……。変拍子は確かにあぶなかしいが、78歳でこれだけ振れれば充分じゃないか?
ぺトリューシュカ組曲
どういうことかというと、むかしのSPレコードの収録時間の関係かと思うが第3幕がカットされてる。演奏はけっこう凶暴。47年版で、演奏会用のドハデなラストはCDでは始めて聴いた。これもけっこう衝撃的。(正確には1946年組曲版)
火の鳥1949年版
作曲者納得の組曲最終版。全曲は長すぎる、1919年版は短すぎる、というヒトには。さすがに出来がいい。選曲の。
詩篇交響曲
意外や、ナマナマしい宗教的な音色。カラヤンの美音を聴きすぎたか?
七重奏曲 八重奏曲
作曲年代がちがうので単純にはくらべられないが、これらのようなマニアックなのがたくさんきけた。詳細は作成予定のストラヴィンスキーディスコグラフィーで公開予定。
星の王
ずっと気になってた、私のとっての「幻の曲」。献呈されたドビュッシーが「演奏はムリでしょう」といった難曲。4分の小品にハルサイ並の複雑さ。宇宙の神秘。
無伴奏合唱のための アヴェ・マリア クレド ペーター・ノスター
なんともマニアックな3曲。別に連作ではない。これぞ音だけの音楽。
カンタータ・バベル 説教、説話、祈り アンセム・舞い降りる鳩が風をおこす
マニアックの極致の3曲。他じゃ聴けない。
他にもいろいろです。
残念なのは交響詩「ナイチンゲールの歌」が無いことかなあ。
6/5
キングの復刻シリーズの中古。「日本の現代音楽の古典」
外山雄三 ラプソディ 子守唄
小山清茂 木挽歌
渡辺浦人 野人
尾高尚忠 フルート協奏曲
武満 徹 弦楽のためのレクィレム
これらを岩城/N響が1961年に録音。当然ながらみなワールドプレミアム。ライナーノートも、当時のLPのままで、武満の写真の若いこと! 31歳です。(岩城宏之も若い!)
録音は古いが、熱気と気合の点において刮目すべき演奏でした。
5/28〜6/2
ショスタコーヴィチ三昧
ショスタコーヴィチはマーラー直系の遺産相続人の1人であり、20世紀のエッセンスをよくふまえた現代音楽作曲家であり、かといってけして旋律を忘れぬネオロマン主義者でもあり、よくも悪くも15曲の「交響曲」を書いてそれが広く浸透している偉大なシンフォニストでもある。
今回いろいろと古い演奏を聴く機会にめぐまれた。
まずはバーンスタイン/シカゴ響による交響曲1番と7番。
1番は19歳の学生時代に書かれたものだが、いきなりものすごい傑作。しかもかなり現代的。それをバーンスタインが指揮するともういうことなし。
7番は誇大交響曲を誇大に演奏した典例。もうすべてがオオゲサ。一度手放したのだがまた入手。
「もう好きにしてくれえ!」 という気分で聴くとなかなか楽しい。
1楽章の行進のところ、不気味な低音の表現はさすがバーンスタインのセンスがいい。
なかなか入手が困難になってしまったコンドラシンのシリーズより7.8.9.15番を。
7番はこのモダンで先鋭的な演奏が「古典的な名演奏」というのだから、7番交響曲は演奏されるたびに退化していったにちがいない。これに勝るのはムラヴィンスキーだけだがそれはモノラルなので、こちらの価値は高い。2楽章などバーンスタインより4分も速い。速けりゃいいってものでもないだろうが、ショスタコはやはり先鋭的な演奏がよく似合う。なにより作者の音楽的嗜好がそうだったようだし、曲がそうなっているのだから。
気合の入らぬ7番なんかダダ長いだけで聴いててつらい。音楽自体は、中途半端だから、演奏でビシッと引き締めてもらわなくては。
8番を期待と衝撃の1枚だった。構成的にも内容的にもショスタコの真の傑作たる第8。気をぬくとすぐうるさいだけになってしまうのは、ショスタコの交響曲の難しいところではないだろうか。
冒頭の低弦から異様なほどの生々しさ。旧ソ連に生きた同時代の指揮者の特徴なのだろうか?
緊張感も恐ろしいほどで、スタジオ録音とは思えない。スネアの1打が一撃になっていく。そう、これは銃声だった。弦も管もこんなキリキリしていて、奏者はリハで胃が痛くならなかったのだろうか。
3楽章以降はやや先鋭度がさがっている。
9番もスゴイ名曲なのに地味なのかブラックユーモアが効きすぎるのか、録音が少ない。こういう正統派(?)の演奏はすごい貴重だと思う。最後のやけっぷりがよい。
15番はムラヴィンスキーのすごすぎる演奏で充分だったが、これもよい。ぢつは新古典主義交響曲だった。薄めのオーケストレイションに厚い打楽器が小気味よく重なるのは圧巻。あたりまえだけど録音が古い(1960年代のソ連録音)がそれも味のうち。
5/26
アバド/ベルリンフィルのマーラー3番交響曲。
オークションで高値更新!? というほどびっくりした、いまどき2枚で5000円超。
しかし演奏は、さすがの気合だった。
特に後半にゆけばゆくほど気合が乗り、6楽章が白眉。アルプスの威容、牧歌的な風景、手にとるよう。こんな6楽章は聴いたことがない。生で聴いたらたぶん全身が震えて泣く。絶対。無敵だ。無敵の3番だ。
細かい芸では、5楽章の児童合唱が、ちゃんと本当の鐘が響いているように、ビムー、バムー……と、余韻がのびているのに特に感心。3、4楽章ともゆっくりと、ゆったりと、かなり余裕があって、そのまま6楽章への布石のように感じた。歌も控えめな表現で、好感。神秘的な雰囲気をよく出している。オーボエの吹きかたが面白い。レークナー/ベルリン放送響もこんな感じで、まるで笙のように響く。
1楽章で唯一の不満は再現部を導くスネアドラムが、なぜかピアノの大きさで、なんの意味・効果があるのか分からなかった。それ以外は、主題の描きわけもさることながら、深刻な部分はより深刻に、楽しげな部分はより楽しげに、遅めのテンポで、「ほら、あなたも、ゆっくり散歩しませんか、マーラー先生といっしょにね」 というアバドの笑顔が見えてきそう。とはいえ、展開部の最後は怒濤の進撃! 急に坂を転がっているよう。あー、分かった。この後の例のスネアが小さいの、この疾風怒濤さをいったん鎮めるための措置か。あるいは、単にホールでのライヴ録音だからか。。。
さて、しかし、ここで問題。合奏的にも内容的にも、あまりに完璧すぎるこの演奏……私が3番に求めている幻想……もっと素朴な、田舎の散歩道、湖の輝き、風の匂い、牛の声、ついでに牛の糞の匂い……郵便屋の吹く、本当のポストホルン……ちょっと聞えてこない。木訥とした雰囲気が、もう少しあってもいいかもしれない。それには、オケが、ソロが、上手すぎるのかもしれない。シャープすぎるのかもしれない。素朴には素朴なのだが、まるで、「日曜午後9時。デジタル・ハイビジョンで観るアルプス」のよう。現代的なマーラーといえば、語弊があるか!?
別荘地にマーラーを訪れたワルターが言う。
「すばらしい風景ですね、先生」
マーラーは得意気にこう答えた。
「そうかね、きみ。しかし、もうこの風景を観る必要はないよ。なぜなら、我輩はすっかりこの風景をそのまま交響曲にしてしまったのだからね!!」(ただし裏も表も)
ワルターは何と答えたであろう。
とにかくここで描かれているのは100年以上前の風景で、空の上にあるのは天国だけ、スペースシャトルなんか浮いてない。
1〜4番交響曲の特徴は、歌謡性と、複雑だがあくまで木訥としたオーケストレイション、メルヘンチックな語り口、若さゆえの激情と素朴さ(ムリクリに関連づけたはいいが結局後で全廃する妙なタイトル含む)、生き生きとした感情、等であり、4番でその頂点を迎える。4番では死神が踊りをやるが、3番は、特に生命讃歌、人間讃歌、自然讃歌を純粋に音楽に込めてある。その意味で、3番と8番を関連づける研究者もいる。
私は3番の森と湖と山々の美しい風景と、ヨーロッパの深くて暗い森の深部を写した闇の部分と、そうした自然とは対照的でありつつ密接的な、人間の視点から観た神や哲学との対話が交錯した部分が特に聴きごたえがあると思っているが、それをどう表現するか、あくまでゴツゴツした19世紀末のファンタジーを回帰的なまでに直接伝えるか、常に時代性をもって、現代の視点でとらえるか。
ま、どっちにせよ、そんなヘリツクが音楽を楽しむのに必要なのか? というほどに、この演奏はちょっといままでに類をみない特殊で有無をいわせぬ3番で、まったく新しいマーラーだった。
この90分近い大交響曲を、一気に2回聴いてしまった。
木訥とした雰囲気は大事だが、それへあまりに主観をおかれると、こんどは3楽章など長くて聴いてられない。退屈なのだ。
アバドの棒では、そんなことは許されない。
そして6楽章は……いや〜ちょっとこれは何回聴いてもスゴイ。スゴスギル。
9番の4楽章みたいな深い精神性をもって訴えてくる。ただのお耽美ミュージックじゃない。
これを超える演奏はまず出ないと確信する。
ドイツグラモフォン
UCCG-1095/6
5/20〜25
テンシュテット三昧。
ブラームスはドイツ・レクイレムと運命の歌だったが、1番交響曲もそうだったが、内向的(?)なブラームスとテンシュテットの性が合わないのか、スタジオ録音なためなのか、私がブラームスが嫌いなためなのか、イマイチだった。立派な演奏ではある。
ベートーヴェンは珍しい1番とその1.2楽章リハーサル付CD−Rだ。熱心で丁寧なリハで、いちいち「ダンケ、ダンケシェーン」とストップをかけるのが印象的。あとはドイツ語なんでチンプン。演奏は一気に呵責なく進む炎の塊のよう。
しかもオケは最初どこだか分からず、ドイツ語の辞書と地図帳を見比べて、旧東ドイツ・メークレンブルク地方のシュベリン・シュターツカペレである事が判明。
録音が1968年。テンシュテットが西に亡命したのが70年代といわれているので……わあお、亡命前の貴重な録音!? かもしれない事に、これを書いている時点で気づいた。
EMIの正規盤の3番交響曲は、こんなに熱中して聴けるはじめての英雄。(ドイツ流に)ベートーフェンは私にとっては古典の部類に入る渋い音楽なので、それほど得意ではなく、特に3番は長くて苦手。いろいろ有名盤とやらを試してみたが、(マタチッチ、朝比奈、フルトヴェングラー)どれもサパーリ。でもこれは相変わらず音楽の蠢く、生命力にあふれたもので、充実していた。マーラーの6/7番、ブルックナー4番とともに正規盤のライヴシリーズでも最高峰。
ケネディとのバイオリン協奏曲は、キョンファとコンセルトヘボウの方が良い。かなあ。
ドボルザークの8番は、フィンランド放送響とやらに続き2枚目。ベルリンフィルなので期待して聴いたが、演奏はすばらしいが録音がぼやけていた。海賊版の限界。
小曲ではベト3と共にムソルグスキーのはげ山。ドボ8と共にプフィッツナーのハイルブロンの娘ケート序曲。後者は珍しい。
5/8〜5/19
若杉弘/東京都交響楽団にてマーラーの連続演奏会(チクルス)の模様を。
これは前から評判だったものだが、機会がなくついぞ聴かずじまいだったもの。このたび1番と6番をバラで買おうとも思ったらもうメーカーでは在庫無しのところを、札幌の行きつけのCD屋に売れ残りの全集ボックスがあり、一気に購入した。
若杉のマーラーはうまいと言われていたが、じつは私は以前、若杉/札響でマーラーの9番を聴いたときに、なんだか気合がカラ回りの一人でドッタンバッタンやってるような、ぜんぜんチグハグなマーラーを聴かされて、3楽章で寝てしまった事があったので、若杉なんかたいしたことないなあ、などとずっと思っていたのだが、たいしたことないのは札響だった。
こんなすばらしいマーラー、滅多に聴けるもんじゃないです。
オケだって、日本のオケではぜんぜんマシ。外国の1流に比べたらそりゃ劣るが、補って余りあるものが若杉の指揮棒。
私は日本人でいちばん聴けるマーラーは小林研一郎だと思っていたが、若杉弘に大訂正いたします。コバケンは得意な曲は超スゴイが、そうでもない曲は本当にそうでもない。が、若杉はマーラー全体を俯瞰的に見通し、一貫したポリシーにおおわれ、どの曲も安心して聴ける。いや、スゴイ。
若いときにマーラーの弟子だったプリングスハイムに師事したという若杉は、その意味でマーラーの孫弟子にあたるという。このすばらしい日本におけるマーラーの系譜を、ちゃんと後世にもつたえてほしい。
番号別
1番
なんといっても交響詩・巨人のころだったハンブルク(ブダペスト)稿による、世界でも演奏例の少ない貴重なもの。カットされた花の章と他楽章との関連性が比較できるほか、編曲に関する細かなちがいも認識できる優れもの。
2番
1楽章が葬礼稿という実験演奏。10年以上も前に,葬礼のこれだけの演奏が日本でなされていたことに驚愕。演奏内容も充実。若杉は特に現行の2番の1楽章とのちがいを際立たせ、カットされた部分を大きく演奏している。2楽章以降も立派。
3番
すばらしい。木訥とした、古風な、マーラーの原初をみるような、初期交響曲の傑作を余すところなくつたえている。ライヴゆえの集中力もグッド。曲が長いので、どうしても途中で気が抜ける嫌いがある演奏もあるが、これは持続している。
4番
これは普通。特徴をいえば、3番の延長にある書法を強調して、角笛交響曲の締めくくりとして考えている、と思われる演奏。
5番
いやすばらしい。情に流されず、かといってスコアの表面だけを磨かず、作曲家にして指揮者だったマーラーの音楽……というのを把握しきっている。
6番
指揮はどちらかと言えば淡白なほう。冷静にこの大交響曲をとらえている。オケがもう少し……合奏力が上だったら。日本のオケには6番は無理なのかなあ。
7番
しかしこちらはオケもよい。演奏も、よく各旋律・書法が把握されて強調されたもので、聴いていて気持ちがいい。5楽章でこんなに気合が入ってるのははじめて聴いた。
8番
白眉。燃えあがるような天上世界交響曲。壮大にして華麗、極彩色の音世界。
大地の歌
しっとりと、しかし情に溺れることのない、太い大地。クレンペラーや朝比奈の系統だろうか。アルトがちょっと……冷めすぎかなあ。1楽章や6楽章の間奏部分のオケもすばらしい表情。
9番
さすがに札響とはちがう。2、3楽章の表現がく考えられている。ここがキまってこそ、1、4楽章が生きる。文句無しだが、これはさすがに合奏力で他の演奏に軍配があがるCDがあるのは否めない。気のせいか、ちゃんと「子どもの死の歌」からの引用が分かりやすいようにデカイ。
10番・1楽章
虚無の精神世界を伝えるまことに信じられないような交響曲。1楽章だけでも、充分伝わる。世界に誇れる演奏。
5/17
ひさしぶりに惑星の新譜なんか買ってしまった。ホルスト好きとしては秘曲の「神秘のトランペッター」の魅力には勝てなかった。
原曲は何かは知らないが、マシューズと娘のイモージェン・ホルストによる編曲。
ところが惑星が、すばらしい演奏ですげえ得した気分。演奏もうまいし指揮もうまい。
カラヤン/ヴィーンフィル、ボールト/フィルハーモニア管と肩を並べるスゴ演奏としてしまったですよ。
ただしマシューズの冥王星は邪魔。
イギリスでこの冥王星付で演奏するのが急速にひろまりつつある……とのことだが、英国人のただのご当地びいきにすぎん。
トランペッターはホルストくさくない。と思いきや、ぢつをいうとこんなカンジの曲がホルストには多かったりして(合唱交響曲、雲のメッセンジャー、他いろいろ)あなどれない。
実はホルスト先生合唱大好き。声大好き。
惑星がけっこう特殊。ナクソス 8.555776
5/13
下野/大阪フィル
大栗裕管弦楽作品集。
ああ……わたしはこのCDの登場をいったい何年待ち続けたことだろう。(といっても10年ぐらい。)
大栗にたいする偏愛ぶりは作曲家等のページの吹奏楽の項にあるので繰り返さないが、一気に3回聴いてしまった。
ヴァイオリン協奏曲はさすがの出来。私はピアノよりヴァイオリンが好きで、苦手なコンチェルトもVnなら聴ける。20世紀民俗学派Vnコンチェルトではなんといってもハチャトゥリアンが最高峰だが、こっちも負けてませんぜ!!
大阪俗謡はやっと新録がでました。いつ聴いてもすんばらしぃです。
神話のオケ版は、吹奏楽に弦が入るだけでこんなに色彩ゆたかな響きになるのかと再認識させてくれた。ゼンゼンモノがちがう。(吹奏楽ももちろんいいけどね)
わらべうたは大栗の秘曲で、大満足の一品。
と、ここまでは曲のハナシ。
演奏のほうは……
こんなに荒くていいのかなあ。朝比奈じいさんの俗謡や外山(いかりや長介)雄三のVnコンチェルトは、もっともっとキリッと締まってたような……。
もしかして下野サンなめられてね?
なにいうてんのやこの若いの、なんて。
Vn コンはあらあらしいというか土俗的さを強調したというか。全体的にそうだが俗謡もなあ。
神話の重いこと。
重厚的といえば聞こえがよい。ボンゴとコンガ、革しけってないか???
わらべうた狂詩曲は初めて聴くんでわかんないや。
意外とハルサイなんかも作曲者の演奏はサバサバしてて、大栗指揮の小狂詩曲や朝比奈の神話(吹奏楽)は新古典主義の曲みたいです。大阪は繊細。
そうなるとこの暴れ演奏は見当はずれかというと、そうでもなく……大阪は細かいことは気にしない。
こんな逸話がある。
指揮者の岩城が(たしか)その著書で書いてあったが、むかし、ドイツで武満を演奏することになった。それで向こうのプロデューサーがあらかじめ岩城に
「初めてやるのでデモテープを送ってくれ!」
と言ってきたので送った。(60〜70年代)
ドイツに行って指揮するとさすがにドイツのオケは上手くて、デモテープの日本のオケがあまりにヘタなので岩城は恥ずかしくてしょうがなかった。
しかし、演奏会がおわると、プロデューサーは、
「まったく連中ときたら! バッハとベートーヴェンしかやったことがないんだ! せっかくの武満が台無しだ!」
岩城びっくり。
「ええ!?」
「たしかに日本のオケは技術的にはまだまだだ、しかし、この情緒はさすがだ、水墨画の雰囲気だ。これをわたしは求めていたのに、オケの連中はぜんぜん理解していない!」
岩城はそんなもんかなあ、と思いつつ、日本に戻ってきて、武満を訪れ、ドイツの演奏会のテープを聞かせた。すると、武満は
「いやあ、さすがにドイツのオーケストラはうまいねえ」
岩城はワケが分からなくなり、武満に上のことを話して聞かせた。武満の答えは
「上手なのがいちばん嬉しい」
だった。
興味深い話です。
5/5〜5/8
ストラヴィンスキー三昧なり。
マルケヴィチ/ワルシャワ国立フィルにて春の祭典。
気絶。
録音がよければ解脱。(音量でかすぎで音ワレテる。もったいない)
とんでもないほどの荒れ狂いよう。しかしあくまでメカニックに設計されつくした人工的で巨大な響きが「バレエ音楽」というより「ストラヴィンスキーの音楽」でうれしい。機械といってもブーレーズのような精密機械ではなく大戦当時の巨大戦艦のよう。
こんな演奏が1962年にやられているのだから、後の指揮者はクールだったりノリノリだったりエレガントだったり、ちがう方向性を模索するしかない。
ハルサイ帝王。
アコード DICA20004
併録のチャイコ・ロメジュリ、ブリテン・性……、もとい青少年、硬質で激しい演奏、こちらもよいです。
ヤルヴィ/スイスロマンド管弦楽団
分厚いハルサイ。肉厚で食べ応えが充分にある。表現はこちらもバレエというよりコンサート用で、けっこう芝居がかっている。特に11/4でアッチェレランド(だんだん速く)してくのは初めて聴いた。その速度に思わず前のめりになったですよ。
芝居がかっているといってもゲルギエフのように作為がかってはおらず、好感がもてます。
なお、私にとってのハルサイ四天王、マルケヴィチ・ゲルギエフ・小林研一郎・ブーレーズのうちマルケヴィチが帝王に昇格してしまったので、このヤルヴィを加えたい。
ノリやリズムだけのハルサイは苦手です。あくまでメカニックでかつ生き物みたいに蠢いていなくては。最近の、不気味なぐらいによく動くメカ昆虫みたいなものですよ、ハイ。
そして併録が12音技法の傑作レクィレム・カンティクルスに珍しいカンティクム・サクルム。後者は初めて聴いた。さらにマニアックなバッハのコラールヴァリエーションのストラヴィンスキー編曲。
演奏はどっこいでもアルバムの出来では完全にゲルギエフに勝っている。シャンドス CHAN 9408
そうなるとドラティ/デトロイト響なんてのは、学生時代にハルサイのピッコロティンパニがあまりにヘボくて頭にきてうっぱらったのを、先日の火の鳥の感動に気をよくし、また買い直してみたが、やっぱり悪くはないが、他にすばらしい演奏がありすぎるのでしょうがない。ペトリューシュカはまだそれでもよく楽譜を読み込んだ大変な演奏だが、ハルサイはなあ……対抗馬が多すぎですなあ。デッカ POCL 5041
5/1〜5/5
マーラーいろいろ連続で。(クレンペラー以外)
まずはバルビローリ/シュトゥットガルト響で2番。
とっても表現力の強い、すばらしいマーラー。弦楽器の情感が特に凄いと思いました。でもラッパとか大事なとこで音はずしまくり。ああ、ベルリンフィルならなあ、と無意味な落胆をする演奏。そして私はこいつの海賊盤も持っていたが、そちらは極悪なモノラル音質で、先日のクレンペラーと合わせ、EMIはどれだけすばらしい正規録音を死蔵しているか、痛感したCD。東芝EMI TOCE−59600−1
また2番。先日逝去した朝比奈じいさん/大阪フィル。
わたしは特に朝比奈隆のファンではないばかりか、朝比奈の代名詞のようなベートーヴェンもブルックナーも何がいいのかサパーリ分からない1人。
でも大地の歌は良かった。大栗裕のオペラや大阪俗謡による幻想曲(オケ&吹奏楽両方録音アリ)も良かった。
そして2番。良かった。例えていうならやはりクレンペラーになるのだろうか。芯が太く、唄うところはたっぷり歌い、タメるところはタメ、見得を切るところは切り、テンポだってぜんぜん普通。よく言われるようにまったく遅くない。そして最後の荘厳な盛り上がり。たいへんにグレートな芸の効いた復活でしたよ。しかし合奏力はそりゃ……まあ、ねえ。札響よりはうまい。(笑) 個人個人は気合入ってたけど。
しかし冒頭の「ボボシー」というマイクに服が触れたような雑音(?)はなんなんだろ。キャニオン PCCL−00521
テンシュテット/ロンドンフィルの5番。テンシュテットの5番はこれで6種類目。うち4種が海賊盤で、同じ演奏なのかちがう演奏なのか、分からない。これは「80年代」の録音で、1984年の録音と同じかどうか。かなり似ている。
というのもテンシュテットのリハーサルの綿密さと中身の濃さは北ドイツ放送響やウィーンフィルから吊るし上げをくらうほど凄まじかったようで、その入念なリハーサルという意味では論文的な演奏をしたヴァントやチェリビダッケにも似ているし、計算による演出という点ではメンゲルベルクにも似ている。リハで行った微細で丹念な演奏を基本に、ライヴでドカンとゆく。彼の大見得は完璧に計算されつくした結果であり、ゆえにライヴで燃え燃えといえども、細部まで表現がよく似ているのだ。
いや、似ているというか同じというか。
テンシュテットは情熱的ではあるが、けして感情的ではない。
演奏はもう、5番の神髄のひとつ。神様。 リ! ディスカバー RED46
アバド/ベルリンフィルで7番。
昔のアバドの演奏が苦手だったため、BPOの指揮者に就任してもたいして興味を示さなかった。心臓の手術より蘇ったばかりのときのヴェルディのレクイレムの模様をBSで観たときは自分のレクィレムとかいうほど見ていて痛々しく、曲を知らないせいもあってか、パッとしなくて、そんなに具合が悪いのならはやく引退すればいいのに、と思った。
2001年5月のライヴ。
さっそく聴く。
ありゃぜんぜんいいですよ。
いいどころかスゴイですよ。
早めのテンポで颯爽と、伸びるところ、タメるところ、バッチリ曲と合ってます。
2楽章なんかもじつにのびのびしてます。開放的というのかな? 明るいというのかな? ノーテンキ? それはどうかな。
BPOを辞めて何かふっきれたのか、たいへん情熱的で、伸びやかです。生命力にあふれています。こいういうマーラーがすばらしいマーラーだと思いました。
このシリーズ集めてみよう。ドイツグラモフォン UCCG−1103
クーベリック/バイエルン放送響で大地の歌
このクーベリックのライヴシリーズもいよいよ大詰め。大地がでました。
しかしこの曲は誰の演奏を何回きいてもまったくもって美しい。旋律、オーケストレイション、もうしんぼうたまらん。ベルクやヴェーベルンがメロメロになるのもわかる。
しかし、このシリーズで5番や2番を聴いたときのような鮮烈な感動はもうない。慣れちゃったのか、それほどの演奏ではないのか。録音年代にもバラツキがあるので出来不出来がけっこうあるのだけれども、アルトの表情はすばらしい。お耽美で。大地の醍醐味。
4楽章の件の箇所は超息継ぎでマシなほう。audite 95.491
4/30
曲を献呈されたイギリスの作曲家で指揮もするブリテンが指揮をしたショスタコーヴィチ第14番「死者の歌」。全11楽章、ソプラノ、バス、打楽器多数の室内オケによるこの死ぬほど暗い音楽のどこが交響曲!?!?
でも冒頭の主題が最後に回帰されたぐらいにして、なんとなく交響曲してる。
悲しくも乾いて美しい音楽です。
BBCミュージック
BBCB 8013−2 (ブリテンのノクターンと併録)
4/29
先日CDの買い出しにいってまいりまして、しばらくかけて聞こうと思ってます。 (目玉はもうメーカー在庫無しの若杉/東京都響のマーラー全集)
そして今日はまたショスタコでこんだは11番「1905年」です。
ムラヴィンスキー/レニングラードフィルの1959年録音。モノラルだが異様に音がいい。そしてムラヴィンスキーのショスタコはどういうわけか大変生々しい。私はきっとその生々しさが凄い好きなのだろう。他の指揮者だとどうしてもB級映画音楽みたいに聴こえる交響曲だが、皇宮前の不安、皇帝への直訴行進、血の惨劇、累々と横たわる労働者の屍、虚しく響く革命歌……あわわ、なんでこんなにリアルなんでしょう。
ムラヴィンの11番は1967年のチェコにおけるライヴもある(これはこれで凄い演奏。なぜって……衛星国家において革命讃歌音楽をするというのはソ連への絶対服従を迫るものであるから。しかしムラヴィンの演奏は、皇軍の銃撃に倒れる労働者をたぶんソ連の圧政に苦しむチェコの民衆にダブらせているはず)のだけれど、こちらは白黒のドキュメント画像をみているみたいな感じ。
革命讃歌として構想されているはずなのに、どうしてこんなに焦燥感にあふれているのか、そこがポイント。
ラスト前の淋しいオーボエの旋律たるや……。
最後はヤケ。
1905年の第1次ロシア革命はロシアが日露戦争に負けたすぐ後の出来事だったのだが、これにより皇帝は議会の開催を余儀なくされる。しかし怪僧ラスプーチンに踊らされたまま国政は停滞し、1912年の第2次革命により捕らえられ、処刑される。ここに史上初の社会主義国家ソビエトが誕生し、新「皇帝」レーニンが歴史の舞台に躍り出る。
音楽としては私は12番「1912年」の方がまとまっていて好きです。 BMG BVCX−4025
4/28
ショスタコーヴィチ8番2種。
新譜のヤンソンスとムラヴィンスキーの秘蔵録音。
親がショスタコと面識があり、自身は若いときクルト・ザンデルリンクと共にムラヴィンのアシスタントだったというヤンソンスの演奏は、けして悪くはないです。いやむしろ現役でここまで真実味を帯びた8番を演奏する指揮者は……他に誰かいますでしょうか!? (私はかのミュンフンの4番ですらちょっと生ぬるいと思った。特に3楽章)
まあゲルギエフ先生の正規盤……いつか出るのだろうか、期待するしかないでしょう。 (もう出てるのか???) ← でてるようです。
ムラヴィンスキーのショスタコーヴィチは正統とか王道とかなんだとかいう以前に、どの交響曲を聴いても異様な緊張感と殺気に満ちていて怖い。これでもか、これでもかっちゅうぐらいに音がとがっている。やはり盟友同士、しかも同時代を生きたもの同士、他の指揮者とは考えるものが根本からちがうのだろう。
現代の指揮者に同じ演奏をしろといっても無理だろうし、無理にする意義もないと思うので、ヤンソンスがダメだというのではないけれど、それにしたって、このムラヴィンの8番は特に狂気じみている。
1960年のイギリス初演の模様だそうで、録音はBBC。そう、なんとステレオ!!
こいつァ貴重だぜ。
ムラヴィンの8番は初演のすぐ後の1947年、それから1961年、晩年の1980年の録音が旧ソ連のメロディアに残っているそうだが(1961年は未蒐集)今回のは4番目の8番ということになるのだろうか。
47年盤はモノラルながらまだ生々しい戦争が終わったばかりのうすら寒さが残る名演奏だったが、80年のは過去の戦争の恐怖を真に追体験し、かつ未来へ残すものだった。
そしてこの60年はその中間に位置し、まさに脂ののりきったムラヴィンの迫真の演技と表現であるのだが、イギリス人は平気で演奏中にゲホンゲホンと咳をするんだなあ(笑)
ヤンソンスは珍しいリハーサル入りで、アメリカのお気楽(?)団員にショスタコの生きた時代を一所懸命に説明している。
これは恐怖と鉄と血、そして無常の交響曲なのだということを。
ヤンソンス/ピッツバーグ交響楽団
EMI
TOCE−55368
ムラヴィンスキー/レニングラードフィルハーモニー管弦楽団
BBCミュージック
BBCL4002−2 (モーツァルトの33番と2枚組)
4/28
クレンペラーの演奏をまとめて聴く機会にめぐまれました。
モーツァルトはふだん聴かないし、クロールオペラ時代の古い演奏は演奏云々よりも録音が悪すぎるのでとりあげないこととし、3種類のマーラーについて。
まずは2番。EMIよりけっこう前にでてたバイエルン放送響との1965年ライヴ録音。これは実は私は海賊盤をもっていて、それがひどいモノラルだったので、同じだと思って聴かないでいましたが、正規盤だから少しは音が良いのではないかと思いなおして買ってみましたが、良いどころかステレオだあ!!
ううむ、あなどれぬ正規盤……。
モノラルでもその激しくも雄大な表現は好きだったのですが、それがステレオ! もう何もいうことはありません。マーラー正統演奏の極致、2番の決定盤、我々は温故知新の精神をもって、この演奏を受け止めるべきでしょう。楽譜に忠実ながらも、味付けも独特のものです。我々は、作曲家の音楽と共に、指揮者の音楽も楽しんでいるのです。
すばらしいです。
4番の、バイエルン放送響とケルン放送響のライヴ。こちらはモノラル。
バイエルンのやつは、モノですが音がずいぶんと瑞々しく、驚いた。逆にケルンのものは、表記はステレオだが、モノラル。
演奏はそっけないという人もいるかもしれないが、絶妙な音楽の間合いとか、3楽章の変奏が描きわけとか、さすがにおもしろかった。
2番 EMI 5 66867 2
4番 geenHILL GH-0013
4番 MEMORIAL CME 1
4/25
大栗裕 オペラ「赤い陣羽織」
朝比奈隆/大阪フィルハーモニー管弦楽団
吹奏楽で大ファンになった大栗裕の初期の傑作が、朝比奈隆追悼復刻記念でCDになった。
いやはや、こんなおもしろい音楽は初めて聴いたずら。
「♪なあ、孫太郎〜」
いわゆる「オペレッタ」に分類されるものと思うが、これを聴いてはじめてわかった。
クロールオーパー等にて、こうもりとか、軽騎兵とかを観て欧州人がゲラゲラ笑うというのは、きっとこれと同じ感覚なのだろう。
と、なると、クラシックの奥義といわれる「オペラ」において、ホントウの本当にその真価を味わうには、原語を完璧に解さなければどだい不可能だということだ。
ドイツ語もようわからん日本人が魔笛を聴いて云々いうのは、ドイツ人はきっと内心鼻で笑っているにちがいない。
イタリアオペラもそうだろう。なんだってそうだろう。
それはつまり、「音楽」としてしか聴いていない事になるからだ。オペラは音楽を超えた総合エンターテイメントであるのに。
日本の創作オペラの大事さを日本の作曲家や指揮者が訴えるのには、そういう背景があるのかもしれない。クラシックも本質的に音楽に変わりないので、芸術作品であろうと、きいて楽しくなければ意味がない。
オペラはきいて楽し、観て楽し、の究極のクラシックだというのが、初めて理解できた。
とはいうものの、オペラに目ざめたわけではない。
外国語わからんし、いまから勉強する気もない。
CD3枚組をじっくりきいてる時間もないですし……。
でも、武満のオペラ、聴きたかったですなあ。
東芝EMI
TOCE−55395
4/12
クレンペラー/フィルハーモニア管によるブルックナーの4番交響曲を、中古にてようやっと入手。
ウィーン響との古い録音は聴いたことはあって、そいつはやたらと速い演奏で、50年代のクレンペラーらしいじつに趣のある特殊なブルックナーのように感じたが、こちらはそれと比べるとまだゆったりしているが、それでも、他のブルックナー演奏と比べるとずいぶん速い。
そうはいっても3楽章が逆にゆっくりとしたテンポだ。普通は逆で、スケルツォなんかたいてい速め。ここの音楽は苦手な部分で、マヌケなんですよ。軽くて。急に軽い。作曲者は息抜きのつもりなのかな?
テンシュテットは、ここで狂ったようにテンポを速めて、えれえ緊張感にあふれていてマヌケさ加減を吹き飛ばしているが、クレンペラーはどうやら逆の考えで、それまで淡々と進めてきた音楽が、ここでいきなり雄大な景色に変わってしまう。ここまで雄大にやられては、これはこれで納得。おもしろい。
ヴァントや朝比奈は聴いたことないけど、このヘンどうなんでしょう。
4楽章は速いには速いが、ラストの迫力やホルンの朗々たる響きなどは大クレンペラーの面目躍如で、特にすばらしく感じた。
EMI
TOCE−1570
4/5
す、すごいCDを入手してしまいまった。
アンタル・ドラティ/ロンドン響によるストラヴィンスキーの作品集。
まずもってすさまじい「火の鳥」を聴いてしまった。
著書にも少し書いたがこの「火の鳥」という曲はストラヴィンスキーの出世作ではあるが、「ペトリューシュカ」や「春の祭典」にはまだ音楽の出来そのものという点で及ばない。従って、楽譜のまんま演奏されたのでは、大団円ストーリーや美しい旋律にまどわされ、ただそれだけ、で終わってしまう傾向にある。
ゆえに真に満足のゆく演奏は少ない。というかわたしは今までただの一度も出会った事がない。
本来、踊り一つ一つにあわせて曲が作られている全曲版は、特にそうだ。
組曲はそりゃあ、作者が演奏会用に編曲・選曲してあるから、いいのだ。
しかし全曲版で踊りなしで音楽だけで勝負するというのは、よほど考えて演出しなくては難しい。
と、このドラティ盤。
いやあビックリした。こんなすごいスコアを他の指揮者はどこを見て演奏しているのか。
こんなすごい音楽を、他の指揮者は何を考えて演奏しているのか。
いままで聴いたこともない金管のフレーズ、木管のスピード、打楽器の迫力、弦楽器の幻想。
火の鳥を……ストラヴィンスキーをナメてました。
同時収録の「花火」「タンゴ」「ロシア風スケルツォ」の小品もグッド。
そして私の好きな交響詩「ナイチンゲールの歌」がまた……マシーン指揮者ケーゲルの対極にあるような、情景感たっぷりの、なんとも瑞々しい(生々しい)演奏。こういう新古典時代ストラヴィンスキーも良いなあ。特にバルトークの「中国の不思議な役人」をも思い出させるようなキリキリした表現なんか、きいたことないし、こんな楽器のこんなソロがあったっけ? 等々、いろいろと気づかせてくれたのに特に感動した。
新譜ではないです。
マーキュリー(日本フォノグラム)
PHCP−10237
4/3〜5
中古で買ったミトロプーロスのマーラー撰集より、5.6.9を一気に。
マーラー演奏初期の代表格の一人、ギリシャの指揮者ミトロプーロス。
5番6番ともこれがステレオだったら、と、嘆息。でもモノラルでも、この情感のうねりは特筆もので、バーンスタインがこの人のマーラーを参考にしているはず。
5番は1楽章と2楽章が緩急自在でスゴイ。3楽章はこれぐらいの速さでないと「弑逆的なスケルツォ」にならないのでは? その点でワルターやスィトナーと同じ論理。
ライヴなのだけれども、3楽章が終わるとなんと拍手が入っている。
むむ……1960年ごろは、たとえマーラー自身が指揮をしたNYフィルの客といえども、マーラーの5番なんて珍しく、曲間に拍手なんか入ってしまったのだろうか。
4楽章の淡々とした歌い方、5楽章のうってかわった狂乱(狂喜?)も面白い。
まさに分裂交響曲をそのまま楽しめる演奏のように思った。
6番は5番にあわせて久しぶりに聴いた。
1楽章のアドリヴ的なまでの表情が面白い。ディフォルメ? これは好き勝手ではなく、計算だろうと思うが。(特にこの指揮者では)
9番はクレンペラーのすばらしい演奏をきいたすぐ後だったのでイマイチ印象に残らなかった。このタイプの(速い)9番ではコンドラシンやシェルヘンが同じスタイルで、悪くはないですよ。共通しているのは「焦燥」で、ワルターの昔の録音もそうでした。たっぷりと旋律や音楽を味わう人には、不向きかもしれません。
ちなみにこっちも、2楽章が終ると拍手!!
考えさせられる。
アルカディア
CDHP 521.1 (9番)
CDHP 522.1 (6番)
CDHP 523.1 (5番)
4/4
復活したスクロヴァチェフスキ/ザールブリュッケン放送交響楽団(なんて名前の長いコンビだ……)によるブルックナー5番と7番。
ブルックナーはマーレリアーナーとしては好きな曲もあるが嫌いな曲もある、といったところ。
評判の高い7番と8番はわたしはじつは嫌いで、4.5.9が好き。(その他は無関心。いちおう聴いたことはあります)
スクスキさんの5番は評判の高いもので、期待して聴いた。またまた世評の高い朝比奈やヴァントの5番にガッカリしていた私はこれは良いと思いました。でも、大クレンペラーの大演奏と比してしまっては、さしものスクスキさんも、第2位というところでしょう。
5番はすごい構成的でゴツゴツした曲だと思うので、クレンペラーの解釈が大本流のように感じます。
7番は誰の演奏を何度きいても、3.4楽章がゼンゼンダメで苦手。
1.2楽章はすばらしすぎる。 (8番は逆に1.2楽章におおいに不満があるのです)
BMG
BVCE−38045 (5番)
BVCE−38046 (7番)
3/30
クレンペラー/VPOのヴィーン芸術週間におけるマーラーの交響曲第9番・1968年ライヴなどを。
海賊版で表記はモノとあるがモノとステレオの中間ほど。
聴いてみて私は卒倒しかけた。音質をのぞけば、これほどのM9はテンシュテット以来の感動と驚愕だった。
いかにもクレンペラーという悠久たる流れと城郭のごとし構築さに、VPOの音の艶(録音は悪いのですが……)が加わり、さらに何といってもクレンペラーの情熱が全開!!
1楽章より細かなニュアンスが行き届き、かといってなんの外連味もなく、もうクレンペラーの「これで文句のあるやつァ会場から出て行け!」という磐石たる意志がスコアのすべてに行き届いているようだ。
2楽章も緩急自在で特にすばらしかった。9番は2.3楽章が鬼門で、4番の3楽章もそうなのだが、1.4楽章がどんなにすばらしくても、2.3楽章がつまらないのでは画竜点睛を欠く。その意味で、これは特にすばらしかった。
3楽章も、今度はクレンペラーらしい(?)どっしりとしたもので、金子先生の文章にあるのを参考にすれば、マーラーの未推敲スコア通りの、テンポ指示のあまりない演奏。
でも細かいニュアンスは、よく考えられていると思います。
4楽章も淡々としていつつ情熱的、スケールはいつもにも増して大きく、特に最後の方の表現は、ことさらに「死にゆくように」を強調した「絹のようなピアニッシモ」ではなく、実は同じ太さの鋼より硬いという「蜘蛛の糸のような」強靱さと儚さだった。
もし上質のステレオだったら、と思うと、鳥肌がたった。
わたしにとっては、それぐらいの演奏だったが……ちょっと音が悪すぎる、と思う人がいるかもしれない。
なんせ海賊版ですし……。
ライヴィング・ステージ
LS347.05
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