6/30

 伊福部昭公式サイトの企画による震災義捐金販売CDで、伊福部の高弟であった小杉太一郎作曲のカンタータ「大いなる故郷石巻」を買って聴いた。

 小林研一郎/東京交響楽団/石巻合唱連盟他
 小杉太一郎:ソプラノとバリトンと大合唱と管弦楽のためのカンタータ 「大いなる故郷石巻」

 詳しくは分からないのだが、このカンタータは1973年の石巻市市制40周年記念に演奏され、その後1983年に再演されたようだ。その初演の模様を録音した非売品LPをCD化しようとしたようだが、大人の事情で断念。

 その後、小杉家より初演を録音したサブマスターのオープンリールが発見され、一気に進展。CD化された。ナレーション付、全4楽章、1時間にも及ぶ大作で、オペラのようでもあり、交響曲でもある。

 ちょっと音質が悪く、モノラルのようなステレオのような、関係者の会場録りっぽい雰囲気がアリアリなんだけどw 音楽は面白い。時代劇っぽくもあり、低音部が伊福部っぽくもあり、分かりやすく作曲され、盛り上がりもあり、聴き応えがある。(→関係者より情報を頂き、ステージマイクのモノラル録音だそうです。)
 
 1楽章は平安初期ほどの蝦夷が住んでいた時代からの石巻の風景を歌う。ティンパニの連打による主題提示がなんとも伊福部楽派。バリトンと混声合唱による。ムチも鳴り、骨太なテーマが大河ドラマふう。バリトン独唱の民謡風の調子が心地よい。やおらアレグロとなり、時代劇調に。重厚なカンタータが織りなす交響楽は、日本語のオペラや合唱が苦手な私も問題なく聴ける。根底にあるこの大衆的な祭典の力強さが、素晴らしい。

 2楽章は江戸時代に置かれた「たたら」による鋳銭場を舞台にした悲哀歌。ちょっとジャポニスク・オペラっぽい雰囲気とカラミがある。アリアが聴きもの。個人的には、こういうのは苦手だが(笑)

 3楽章は一転して、支倉常長による慶長遣欧使節団を歌う。帰って来たらキリシタン御禁制。政宗もどうしようもなくダンマリ。まあ歴史絵巻ですな。冒頭のアンダンテ部分の低音の三連符がまたしても伊福部節で馴染みがあるw セビリア地方の民謡も飛び出し、遠く異国のロマンをかきたてる。(録音が悪く、なんのカシャカシャ音かと思ったらカスタネットだった。たぶん……。) この楽章が最も長く、16分を数えるが、正直、ダラダラしてちょっと長い。

 4楽章は現代(昭和48年当時)の石巻を深く讃える。大漁節が鳴り響き、児童合唱から、元祖ジブリみたいな盛りあがりを経て、ドドーン!とハ調となって大いなる讃歌が響きわたる。まるでショスタコーヴィチ的プロパガンダが如きお役所音楽(お役所の意向に沿った音楽)という印象も無くはないが、祭典だからこれでいいのだ。ラストのカルミナ風の怒濤のアッチェレも良い。

 ところでどうでもいいが、このナレーションの人、初見で読んでる様な、たまにかみつつ、ぶっきらぼうな読み方は、こういう芸風なのか?(^^;

 あと地元の合唱団の音が外れてるのは良いとして、東響がトチりすぎなんだが……。まあ音楽がいいから別にいいけど。

 いわゆる 「ご当地もの」 であり、上手に民族派として作ってある。いま、こういうのは流行らないのかもしれないし、なにより資金の問題で難しいのだろうが、この大震災もあるし、ぜひ、現地は無理だから東京で義援コンサートでもやれば良いのに、と思う。わけのわからないオペラの一部を歌ったって……と、思ったが、まあ、一般のお客さんも、そういうのを求めているのだろうから、クラシックファンとやらの認識の問題である。

 ちなみに歌詞と朗読原稿は地元の脚本家・石島恒夫さんという方だが、やはりちとイマイチ……である。頑張っているが、いかにも郷土愛に満ちています、祝典を盛り上げましょう、目一杯詰め込みました的な作為が多く、なんとも田舎臭い。というか長い(笑) まあそれがいいという話もあるのだが。私はイヤ。


6/16

 黛敏郎の映画音楽で「天地創造」というのがあって、洋画なんだけど、これがまたイイ音楽なわけであります。

 まずLPがあって、それから抜粋版のCDがあって、今回、全曲版が出たんですが、諸事情により、抜粋版で既に出ている部分だけステレオ、残りの未CD化の部分はモノラルという残念なCDになっている。なんでかというと、音源の使用に際し、えらい法外な版権料を提示されて、予算が無く、映画から直接音だけ抜いたようである。

 そういうのはよくある話で、特にクラシックは使用料が高い。ましてオーケストラは高い。そしてまだ著作権が生きている人の使用料は目玉が出る。それもそうで、オーケストラ全員分に演奏料や演奏版権が発生しているのだから使用料も高い。また、有名な人は高い。手塚治虫のアニメに展覧会の絵のラヴェル版を使用しようとしたら、まだラヴェルの著作権が生きていて、完全に予算オーバーになり、違う人が最初から編曲したとか、バレーにR..シュトラウスのサロメを使用しようとしたらそもそも使用許可が下りなくて、仕方なく伊福部昭に最初からオリジナルで作曲してもらったとか、この業界では本当によくある話なのである。

 それはそうと、肝心の未CD化の部分がモノラルで、前知識で先に聴いた人が、音質が悪い悪いとつぶやいていたので、すっかり戦前のSP録音並かと思い込んでいたら、流石にそれよりははるかに良く(笑) ぜんぜん気にならない。むしろ、これではいい方であり、逆に妙な生々しさがあり、ざらっとしたカンジが殺伐とした旧約聖書の世界にぴったり。

 曲としては、豊かなテーマが変奏として随所に登場し本格的な音楽を作っている。また未CD化の曲に味があるものが多い。もちろんノアのテーマやバベルの塔などの既曲も良いが、いきなり幻想のパロディみたいになる Banishment from the Garden や、恐らく民族楽器であろう楽器の独奏が面白い Dance at Sodom それに打楽器アンサンブルの Dance of Issac などが印象に残った。


6/13

 吹奏楽による奏楽堂の響き 3 を聴く。吹奏楽による邦人旧作、新作、編曲の好評シリーズ作品集の第3弾である。

 福田滋/リベラ・ウィンドシンフォニー 2010年ライヴ

 佐藤勝:日本万国博会ファンファーレ−大阪万博 EXPO'70
 古関裕而:モーターボート行進曲−モーターボート競争法制定20周年記念曲
 深井史郎:英魂を送る−故山本五十六元帥の霊へ捧ぐ

 團伊玖磨:皇太子殿下入場ファンファーレ
 團伊玖磨:吹奏楽のための「ぞうさん」
 團伊玖磨:行進曲「希望のあしおと」−警視庁機動隊創隊50周年記念作品
 芥川也寸志:JALマーチ
 黛俊郎:交響組曲「東京オリンピック」(編曲:堀井友徳)

 川島素晴:ファンファーレ'88
 川島素晴:吹奏楽のための協奏曲
 江原大介:フレイム −吹奏楽とクラリネットのための協奏曲
 佐藤勝:「ゴジラ対メカゴジラ」より(編曲:堀井友徳)
 伊福部昭:SF交響ファンタジー第3番(編曲:福田滋)

 小曲のオンパレードでもあり、小文を連ねる。

 佐藤勝は今や専ら 「映画音楽の巨匠」 であり、純音楽の作品は珍しい。この立派で華やかな技巧に走らないしっかりと大地に立っているファンファーレは、いかにも民族の祭典であった万国博にふさわしい。

 古関のモーターボート行進曲は競艇による波の行き来を表現した音形が特徴的な楽しい逸品。演奏はちょっと難しそう(笑)

 深井の超レア曲である山本五十六のための追討音楽は、なんでオーケストラではなく吹奏楽なのか分からないが、凄まじく重苦しく激しい、鎮魂というより慟哭の曲。14分もあり、作風に変化が少なく長く感じた。まあ、純粋な演奏会用音楽ではないので、仕方がないのだろうが。でもこういう超レア曲を聴けるという事実が素晴らしい。

 演奏会第2部は3人の会より。團のファンファーレは詳細不明なのだそうな。團のマーチの冒頭にはよくファンファーレが付随しているが、金管がスカーッと響きわたる実に爽快な物で、それへ気品が加わった逸品。続く吹奏楽のための「ぞうさん」は團作曲の童謡「ぞうさん」の主題による本人作・編曲の珍品である。これはとても興味深くかつ面白い曲だった。さらに最晩年のマーチには、マーチの中に打楽器アンサンブルも飛び出す斬新さ。老いてなお、新しい表現を模索する真の創造者の気迫や執念を感じた。

 芥川のマーチはこの企画も含めて何曲か出てきているが、リズムパターンになんといっても特徴がある。メロディーや和声よりも私はそのリズムが気になる。リズムといってもスネアドラム(小太鼓)なのだが、16分音符のタカタカを多用し、いかにも小ぜわしいうえに、アクセントのつけ方がいかにもソ連音楽だ。ショスタコーヴィチやプロコフィエフの短いマーチを彷彿とさせる。で、これもレアなJALマーチという曲は、オーケストラと吹奏楽が同時に演奏するという妙なスコアで、合唱まであったらしい。その中で、オーケストラだけの部分というのもあり、そこを吹奏楽の部分に組み込んで演奏したという。が、曲としては、いまいちパッとしなかったなあ。

 黛の映画サントラを演奏会用に堀井友徳が選抜・吹奏楽編曲した東京オリンピックは、違和感無く上手に移してあって面白い。もともと管楽器が多用されていて、編曲作業自体はそう苦でも無かったようだが、演奏会用ではなくセッション録音用なので、スコアがムチャな書き方になっている箇所もあって、そこは悩んだようだ。4曲ピックアップしてあり、特に映画では採用されなかった終曲は黛流のゴージャスかつダイナミックかつ尖鋭な響きが聴き応えがある。

 第3部冒頭のファンファーレは、気鋭・川島が高校生のときに作曲したもの。無駄に複雑な動きは才気ある若者らしいドヤ顔が鼻につくが、それでもここまで書けたらその事実へ感嘆するほかは無い。同じく、こちらは最新作の 「吹奏楽のための協奏曲」 はスピード感に満ちたこれも複雑なパッセージを連ねる不思議な響き。この人はきっとアタマがいいので、音楽へ、聴く方には心底どーでもいい妙な理屈がついてしまうのだろうが、曲だけでも面白い響きを出している。これで曲もワケがわからないと悲惨を極める。音楽で数独やってるような音楽的知的遊技ではあるが、数字遊びは嫌いなので、その部分にはそんなに魅力は感じなかった。

 江原のクラリネット協奏曲は同じく現代調ではあるが、メロディアスなパッセージもあって聴きやすい。時間も長いかなと思ったがそうでもなかった。ただ、川島もそうだが、パッセージの1つ1つにいちいちついて回るメシアンくさい打楽器はうざかった。鳴ればいいってもんじゃないし、とても小賢しく感じるのである。

 そこで次に堀井編曲による佐藤のゴジラ対メカゴジラのシンプルかつ、その力強さといったら!! 音楽のもつ生命力が爆発している。その対比も、企画者の狙いといっちゃ狙いなんでしょう。サントラ盤と比較して、もっとアップテンポなイメージがあったが、サントラもこんな感じだった。大編成だからテンポが遅いと思ったのだが違った。大人数の迫力とジャジーな重量感が、まさしく初代メカゴジラの 「悪さ」 を出している。メカゴジラは良くも悪くも、「悪いやつ」 いや 「憎いやつ」 なのだ。そしてニヒルでカッコイイ。音楽までそうなのだから恐れ入る。シーンとか、雰囲気とかではなく、キャラクターを音楽で完璧に表現している。そんなの、そうそうできるものではありませんよ。

 最後が大トリでSF交響ファンタジー第3番。これで1番から3番までぜんぶ吹奏楽になった。とはいえ、私は安易な吹奏楽編曲には辛い人間なので、このSF交響ファンタジーの吹奏楽版もイマイチなのである。でも、3番は初めから管楽器の出番が多く、最も違和感が無かった。特に海底軍艦のテーマ部は最高だった。


6/7

 伊福部昭の珍しい曲を2曲。けっこう前に出ていたが、ようやく聴く。

 本名徹次/オーケストラニッポニカ 2010年ライヴ
 
 伊福部昭:管絃樂の爲の音詩「寒帯林」
 深井史郎:「平和への祈り」−四人の獨唱者及び合唱と大管絃樂の爲のための交聲曲−

 今ではもう云う事もできる部分もあると思うが、寒帯林は満州国委嘱で、当地でヤマカズの指揮で初演された後、戦後、総譜は中国に接収され、北京の博物館だか図書館だかにいまも眠っている。伊福部ブームもあり、特に90年代のキングレコードのシリーズの辺りには何度か演奏許可の打診もしていたが、日中の微妙な関係もあり、恐らく戦争賛美、満州国肯定につながるという理由で、それは未だに許可されていない。(中国で、じっさいに見せてもらった人はいるようである。)

 寒帯林は伊福部ファンにはそのようなわけで 「幻」 の曲となっていたが、作者の死後の遺品整理において、なんと寒帯林の総譜がそっくり出てきて関係者一同驚いた。

 北京の楽譜がいつの間にか戻ってきたのかと思いきや、作者が 「コピー」 として、満州へ送る前に書き写していたらしい。

 関係者によると北京に残るものとは 「若干のちがい」 があるそうだが、殆ど変わらないようだ。

 そんなわけで、その 「控え譜」 で、演奏に至ったという経緯である。

 作品としては、現地のオーケストラのレヴェルを鑑み、「平易に書かれた事」 が特徴としてあげられる。また、楽想としては、第3楽章に 「ゴジラ音形」 が認められる。これまでゴジラ音形はヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲に出てきてそれが元だと云われていたが、戦前の曲に既に現れていた事が音として判明した。

 3楽章で30分ほどの、シベリウス流の 「音詩(トーンポエム)」 で、実質は交響詩。ただし、1楽章で15分ある。この1楽章が凄い。茫洋とした北方の大森林、大平原を彷彿とさせる寒々とした情景の描写なのだが、音楽と云うよりもはや音の流れのみで構成され、聴く人が聴いたら動きも何も無く、まったくつまらない楽章であろうが、やはり北海道人の我輩が聴くと、なんともシブイ、なんというか、
分かる!!(笑) これはたまらん。この寒々しさ、本州以南の人は分かるかなあ。東北の人はかろうじて分かってくれるかもしれないが、なんたって寒帯林ですからね!! ブラキストン線から下の人は、わかんねえだろうなあw ブナ林じゃねえんじゃよ。

 などと云っている間に、2楽章、3楽章へ。ここらへんは、土俗や後の譚詩、タプカーラ等との共通モティーフもあって、耳に馴染みがある。ただオーケストラレーションがけっこうスカスカで、ちょっと安っぽく聴こえる。このあたり、平易に作曲したという部分なのかどうか。

 深井はあまり得意ではない作曲家なのだが、このカンタータは迫力がある。ただ、どうしても日本語のクラシック(合唱・独唱)は聴きづらいなあ。作風というか詩の内容はリベラル派であるが、皮肉な事に音楽は戦前の国威発揚音楽である信時潔の交声曲「海道東征」を彷彿とさせた。
 
 山田玲子、ゴードン、ロウPf

 伊福部昭:舞踊曲「プロメテの火」2台ピアノ版(全曲)
 伊福部昭:ピアノとオーケストラのためのリトミカ・オスティナータ(第2ピアノ:オーケストラリダクション版)

 目玉はなんといっても、プロメテの火の全容だ。残念ながら、オーケストラ譜が行方不明で、地方公演用の2台ピアノ版のみ遺品調査で発見された。その後、古弟子の今井重幸が当時の公演を思い出しつつ、演奏時間半分ほどの組曲と編成し直してオーケストレーションしている。

 全曲は50分もの大曲であり、曲によってはリフレインされるものをカットしてるとの事で、本当はもっと長いようだ。

 
ところがどっこい、このCDでは全く長さを感じさせない。

 いやあ、恐れ入った。意外に(失礼)新しいモティーフの連続で、新鮮味に溢れているし、構成も素晴らしい。バレー音楽は、本来は踊りがあるので、特に 「踊りに曲を合わせている場合」 は、音楽だけでは苦しいシーンもある。ましてや2時間、3時間のグランドバレーをCDだけで鑑賞するのは苦行だ。いかに、音楽が踊りを超えてしまっていても。ストラヴィンスキーの火の鳥だって、音楽だけなら全曲はきつい。40分だが、もっと長く感じる。DVDを見ると、魔王の指の動き1つにまでストラヴィンスキーが丁寧に曲をつけているのが分かる。そういうのが分かればまた面白さも変わるのだが、知らないとちょっと間延びしている。ストラヴィンスキーのエライ所は自分もそれが分かっていて、版権の関係もあるけど、色々と組曲版を模索したのである。

 しかしこれは音楽だけでも充分に耐えられる。
その意味で、伊福部は崇敬していたストラヴィンスキーを超えた。

 間奏曲もそれぞれ工夫があるし、シナリオもそうだが音楽にメリハリがある。メインの火の歓喜も、単独で聴くとその長さがネックだが、全曲だとまさに歓喜の状態が持続されていて心地よい。エピローグもまたなんとも情感がある。プロメテやアイオのテーマとその変奏も良い。音になっている伊福部のバレー音楽では、サロメ、日本の太鼓、そして交響頌偈だが釈迦があるが、プロメテがいちばん良い。

 
今井先生には悪いが、これはオリジナルのオーケストラで聴きたい!!

 譜面残ってませんかねえ〜〜。

 2台のピアノ版によるリトミカは、ソロより伴奏の方が難しいとすら云われる難曲であり、今録音では一部3人で録音している。演奏はセッションでもあり、まあ完璧と云って良いだろう。表現として私がオッと思ったのは、2回目のアレグロが鎮まって行く部分……オケ版では絃楽でザンザンザンザン、ザン、ザン、ザン……とテンポも遅く、デクレッシェンドしてゆく箇所が、ちょっと作為的な感じがするのだが、この演奏ではあまりリットもデクレもしないで、ドライに演奏していて、むしろ直後のレントの部分との対比が素晴らしい。


6/6

 ナクソスの細川俊夫フルート作品集。

 
この人、もう 細川 TAKEMITSU 俊夫 に改名したらええよ。

 次。

 和田薫のドイツでの自作自演作品集。2009年ライヴ。

 上間博明/WDRケルン放送管絃楽団/ヴェンホルトVc/木乃下真市(津軽三味線)
 
 和田薫:オーケストラのための民舞組曲より「囃子」
 和田薫:オーケストラのための民舞組曲より「土俗的舞曲」
 和田薫:津軽三味線とオーケストラのための「絃魂」
 和田薫:管絃楽のための交響的印象「海響」
 和田薫:チェロとオーケストラのための「祷歌」

 和田薫/WDRケルン放送管絃楽団/林英哲、上田秀一郎、田代誠(和太鼓)

 和田薫:犬夜叉幻想
 和田薫:和太鼓とオーケストラのための協奏的断章「鬼神」

 すべて2009年ライヴ

 まあーいかにも和田らしい楽しい曲ばかり。いや、本人はシリアスな曲を書いているつもりだろうが、どれもこれもよくも悪くもアニメ調で、とても聴きやすく、ノリもあって素晴らしい。民族的な 「音調」 に貫かれた、諸曲の中で、珍しく祷歌だけが、西洋的なニュアンスに満ちている。これはむこうのオーケストラの副首席奏者をソリストに迎えたもので、「西洋」 へ敬意を表しているのかもしれない。いつもノリノリで基本的に明るい和田の音調の中で、師の伊福部にも似た重く暗いシリアスな曲作りが、私としてはかなりツボにハマった。

 和太鼓協奏曲は自由形式によるもので、コンチェルトというには構成的にはイマイチだが、短い曲が多い和田にしては16分もあって聴き応えがある。

 三枝成彰が自分で出している1000円の自作シリーズ。その中で太鼓協奏曲があったので買ってみた。

 大友直人/東京交響楽団/林英哲(太鼓)/大倉正之助(語り・能楽大鼓)/稲葉明憲(篳篥)/グリミネッリFl

 三枝成彰:太鼓協奏曲「太鼓について」
 三枝成彰:フルート協奏曲

 2003年ライヴ

 太鼓協奏曲は珍しいボレロ形式で、しかも妙な朗読付。朗読と太鼓とオーケストラの三位一体的な協奏というより対立。さいしょは朗読が主で、しかもこの録音では能楽なので、そのまんま能。録音が遠いためもあって、何を言っているのか判然としないし、合いの手ではなくまともなソロとしての太鼓が聴こえて来るのは半分近くになってから(9分以降)である。しかも30分もあって、けっこう長い。最後に迫力ある和太鼓のソロがあって協奏曲と分かるが、個人的には協奏的作品に感じる。途中から篳篥も入って、大河ドラマのオープニング調に拍車かかかる。

 フルート協奏曲は3楽章制の古典的なものだが、編成にサックス4本を加え、独特の疾風感を出している。フルートはサックス部隊の大音量に対抗し、マイクとアンプを通してある。古典的な内容だが、響きとしてはなかなか斬新だ。サックスが混じると、私としてはやはり吹奏楽っぽくなって面白い。フルートのソロは切れ目なく吹き続けていて、凄まじい技術である。ジャズや民俗音楽も少し混じっており、雑多ながらも上品に仕上がっている。


6/5

 デンオン……いや、いまはデノンから、吉松隆の編曲ものコンサートのライヴ盤が出た。

 藤岡幸夫/東京フィルハーモニー交響楽団/中野翔太Pf

 吉松隆:タルカス(オーケストラ版) キース・エマーソン&グレッグ・レイク(吉松隆編曲)
 黛俊郎:BUGAKU
 吉松隆:アメリカRemix ドヴォルザーク(吉松隆編曲) 〜絃楽四重奏曲「アメリカ」によるオーケストラとピアノのための〜
 吉松隆:アトム・ハーツ・クラブ第1番

 すべて2010年ライヴ

 正直いうとタルカスもアメリカも原曲を聴いた事ない(笑) ので、そのままこの編曲版の面白さを。

 と、そもそも、いまさらタルカスをオーケストラにしてなんの意味があるの? とか、(題名のない音楽会でちらっと)聴いたけど、ただオーケストラにそのまま移したただけじゃん、何が面白いの? といった冷めた声もあったようなのだが、そんなクラシックオタクのためのコンサートではなく、オーケストラなんか聴いた事ない、それって食べれるの? 的な人々に、タルカスを聞かせ、プログレもいいけど、オーケストラはこんなデッカイ音も鳴るんだぜヘイヘイ!! カッコイイだろ!? 的なノリの一種の「遊び」であるので、そんな批評は的外れも良いところである。

 じっさい、初めてオーケストラを聴いたけど面白いじゃん! といった声が多数あったようで、企画としては成功だったと感じる。そうでもしないと、オケの聴衆なんて減る一方である。まだクラシック業界の人々は何かの上に胡座をかいているのだろうか。

 で、タルカスなんですけど(^^;

 元がプログレなんで、構成がどうのとかではなく、純粋に曲を楽しむ。こういうのは下手にするとオケがイモ臭く安っぽくなるが、さすがタルカス愛に満ち満ちた吉松だけ合ってうまい。ドラムをあえて使わないで、マルチパーカッションにドラムパートをやらせているのもセンスがある。ドラムを使おうかどうか迷ったとの事だが、使わないで大正解。ドラムの音色とオケは決定的に合わない。チープこのうえないのである。また、管楽器の使い方も素晴らしい。こういうマーラー的な、いかにも吹いてますといった使い方は聴いていて気分がいい。

 意外に黛の舞楽が素晴らしい演奏。岩城のは現代音楽を意識してギスギスしすぎている。藤岡のふっくらとした雅びな演奏も良い。これは、若き黛(33歳!)が雅楽をオーケストラに「編曲」したという意味。

 ドボルザークの絃楽四重奏曲も高名ながら聴いた事なくて、これで初めて聴く。クラシックとも思えぬ疾走感やメロディーラインが吉松のお気に入りで、なんとピアノ協奏曲にしたてた。絃楽四重奏はどれだけグルービーでもやはりどこかシブイのだが、これは明るくて解放感にあふれ、最高である。

 最後は吉松のアトム・ハーツ・クラブ第1番で、これも本来は「プログレ風」の絃楽四重奏だったが、自分で絃楽オーケストラにしたもの。シャンドスのものはちょっとノリが悪かったが、これはまあまあ。でも、この曲はやはり絃楽四重奏のほうがジャジー感があっていい。

 次にマリンバ奏者・作曲家の吉岡孝悦による自作自演サードアルバム。

 吉岡孝悦:マリンバ協奏曲第1番
 吉岡孝悦:マリンバとティンパニと4人の打楽器奏者のための協奏曲
 吉岡孝悦:5人の打楽器のための「セレモニー」
 吉岡孝悦:打楽器四重奏曲第2番
 吉岡孝悦:3台のマリンバのための組曲「神話伝承」
 吉岡孝悦:箏のための「アラベスク」(マリンバ版)

 打楽器アンサンブルのアルバムは、たまーにこのCD雑記で取り上げるが、自身が打楽器を(少々)嗜んでいる割には聴かない。なぜなら、ろくな曲が無いからである。いや、曲(音楽)になってないものすらある。打楽器で1曲作るのは、かなり難しい。

 そもそも打楽器アンサンブルは他のジャンルの室内楽に比べて圧倒的にレパートリーも名曲も少なく、現代曲ばかりになるし、仕方がないから奏者が自分で作るしかない場合も多い。その際、どうしても奏者が奏者のために書くので、奏者の都合が優先され、演奏すれば楽しいが、ただ聴いている分には苦行のようなものも多い。しかし演奏して楽しいのでコンサートにも頻繁に取り上げられ、「人気曲」となるが、お客さんはけっこうシラケている場合がある事を奏者も作者も気づくべきだ。

 ただ、中には、普遍的な本当の名曲としての地位を会得している曲もある。少ないから、そればっかり聴かされる事になるが。

 吉岡はその中でもかなり本格的に作るほうで、構成よりも旋律重視な面がマリンバ曲に向いているし、また打楽器アンサンブルとしての面白さも追求している。音楽そのものとしては、流石に本式の作曲家が書いたものに劣る部分もあるが、全体としては、このジャンルではかなり頑張っていて、質の高いものになっている。

 面白いと感じたのは、マリンバ・ティンパニのコンチェルト、セレモニー、打楽器四重奏曲第2番である。スクリーンに作曲の発想元となった絵画を写しながら演奏する神話伝承は、面白いんだけど全体にちょっと長い。マリンバアンサンブルはマンドリンオーケストラと同じく、長い音符はトレモロにならざるを得ず、同質な木質の音色が続くと耳が疲れてくる。

 二重協奏曲はマリンバとティンパニの両方がおいしく両立され、伴奏の打楽器もそれぞれ見せ場所があって、打楽器の事をよく分かっている人が書いてあると感じる。そのくせ、しっかり音楽的に確立している。やもすれば全パートがオレがオレが的なただ目立ちたがるだけで、アレグロとアンダンテが適当に順番に出てきて、タイトルだけは大層で中二病的な意味不明な曲が多い中、シンプルなつくりとクラシックな曲名も好感がもてる。

 セレモニーはコンクール用に書かれたという事で、5分と短い。楽想は二重協奏曲に似ておりその短縮版のような印象。こういうフレージングが本格的な曲は、ただ叩きまくるものより、技術的には難しいのではないかと思う。

 打楽器四重奏曲は、4人の奏者による四重奏の打楽器バージョンで、厳密な古典的な曲ではなく擬似ソナタによる。絃楽や管楽にはよくあるカルテットを打楽器でやったという面白さ。1番もあってこちらは2番。すっきりとまとまった展開が良いが、1番のような衝撃は少ない。


6/4

 PC不調によりお久しぶりに更新。

 邦人作品集を幾つか入手したのでそれをゆるゆると書いてゆきます。

 まずはエクストンで一昨年のライヴ録音、芥川也寸志作品集。

 本名徹次/オーケストラニッポニカ 

 芥川也寸志:子供のための交響曲「双子の星」《交響管絃楽と児童合唱と語り手による》−宮澤賢治作・雙子の星より−
 芥川也寸志(甲田潤編曲):映画音楽組曲「八つ墓村」
 芥川也寸志:映画音楽組曲「八甲田山」

 すべて2009ライヴ

 双子の星がやはりメイン。本来ならさらに珍しい、ヤマハの鍵盤付シンセサイザーGX1のために書かれたGXコンチェルトも演奏されたのだが、現在では稼働できる当機がヤマハにも無く、なんか違う機体で演奏は再現されたものの、調整ミスにより本番中にガピー!! と、音割れが生じたらしく、惜しくも収録されていない。やはり電子楽器とオーケストラを合わせるのは難しいのである。音程以前に音量バランスが。

 双子の星は管絃楽伴奏とナレーション、児童合唱による音楽物語形式で、曲としてプロコフィエフの「ピーターと狼」を参考にしたようなもの。これを交響曲とした芥川が面白い。解説によるとこのまま多楽章制のエローラ交響曲につながる大切な曲のようである。

 しかし、まあ中身は童話なわけで(笑) 音楽は素晴らしくマジメなものだが、お話自体は宮澤流の毒もあるが他愛のないもの。純粋に曲としていま大人がコンサートで鑑賞して面白いかどうかは、別れるだろう。交響曲だが、純音楽かというと、難しい。むしろ親子で楽しむオーケストラ的な企画にお薦めである。変な子供騙しのチープな曲を並べるより、ガツンとこういった曲をしたほうが良いに決まっている。

 八甲田山は他にも録音があり、特筆するものはない。そこで、八つ墓村だ。これはサントラも長く廃盤のはずなので、貴重な演奏であり、映画音楽組曲としても、面白い出来になっている。

 次にナクソスの松村禎三作品集を。

 湯浅卓雄/アイルランド国立交響楽団/神谷郁代Pf

 松村禎三:第1交響曲
 松村禎三:第2交響曲
 松村禎三:ゲッセマネの夜に

 1番は昔から録音も多い。岩城や若杉あたりのドロドロして緊迫した演奏も素晴らしいが、音響的にも余裕もあって、新しい演奏はやはり良い。特に湯浅の指揮が良い。湯浅はナクソスで芥川のエローラも振っているが、はっきり云ってうまい。ナクソスの日本人シリーズで、いちばんうまい指揮者だと思う。国内では昨今邦人演奏に定評があるといえば、なんといっても本名に大友だが、ずばり湯浅のほうがいい。国内というよりむしろ、海外のオケでもっと邦人を振ってほしい。

 で、問題作の2番交響曲だが、ピアノ協奏曲ふうの作風、調性への大規模な回帰、短い3楽章などで、賛否両論だったそうな。ブログによると、弟子の吉松隆も、色々と想いがあって初演のときは師に 「声をかけられなかった」 そうだ。

 しかしこれは、独奏はあるが、やっぱりコンチェルトじゃないですねえ。シンフォニーですよ。松村の師・伊福部の「ピアノとオーケストラのための協奏風交響曲」にも似て、これはコンチェルトじゃない。調性のほうも、そんな大胆な調性というでも無く、晩年の松村様式を超えるものではない。そしてあっけない終楽章は、2楽章のコーダあるいは全体のエピローグに聴こえます。これはフィナーレではないな。なかなか面白い曲だと感じます。

 で、ゲッセマネなんですが、これがいい! これがいいんですよ、このアルバムは!!w

 2002年の初演版も岩城の指揮であるが、そっちはOEKの編成に合わせてあって、こちらはトロンボーンを加えた2管改訂版。響きに厚みがあるし、演奏も骨太で、キリスト受難のテーマにいかにも合っている。日本のオケじゃやっぱり日本画。分厚い油絵のような演奏が、なんともデロデロした裏切りの雰囲気が出ている。これはお薦め。

 
後半部のシンバルも最高!!


3/19

 札響のマーラーの7番に行きたかったが、けっきょく行けなくなったので、ゲルギエフ/ロンドン響のマーラーの7番を聴いた。正規盤ではなく、CD-R盤である。

 ゲルギエフ/ロンドン交響楽団 マーラー:第7交響曲 2008ライヴ

 なんか、正規のシリーズがいまいち評判がよろしくなく、先日聴いた1番も可もなく不可もなくというほどだったので、これも期待せずに聴いたのだが、
けっこう面白い(笑)

 とはいえ、アンサンブルが雑多なのは、まあロンドン響だからか、ゲルギエフだからか、といったところか。そのぶん、勢いを楽しむものだと思われるが。

 1楽章が凄く良い。これだけで拍手がきても良いレベル。勢いもあるし……そのぶん雑なんだけど……何をしたいのか分からないといった演奏には感じられない。だから3楽章もイイ。緩急の格差が音楽の面白味を強調しているし、トリッキーな動きも面白い。

 その代わり、2・4楽章はちょっとセカセカして、この楽章独特の味が無い。セレナードなので、そんなアダージョのようなものにはならないのだろうけど、それにしても速いと思うな。しかも4楽章に音飛び(^^;

 そして注目の5楽章。1番もそうだが、7番はこの乱痴気騒ぎになりがちな5楽章をどう料理するかで、全体のキメが変わる。5楽章がキモ。

 速すぎるwww

 推進力はまだ感じられるので、イケイケという意味では良いが、リズムの面白さや音響の凄さがグチャグチャだよー。

 打楽器もちょっとお祭り過ぎ。マーラー特有のユーモアを強調した結果ではあるが、やりすぎたかな。

 音質はCD-Rにしては良いです。いいところと悪いところの落差が激しく、★3半つで。


2/27

 珍しくブルックナー(笑)

 教育関係の知人より、PMF2010の頒布CDを頂いたので有り難く聴く。

 ルイージ/PMFオーケストラ ブルックナー:第7交響曲

 先日、名曲探偵でブルックナーの7番をやったおかげで、だいぶん「聴き方」が分かるようになった気がしますな。旋律の重ね方、和音の進行の仕方、全体の構成。

 眠くなるのには変わりないので、まあ結局は好き嫌いなんでしょうけども。

 ではさっそく聴いてみましょう。パチッ(指の音)

 いきなりナレーション入りでワロタw 「このCDは宝くじの助成金がどうのこうの」

 ううむ、やたらと深刻ぶらないのが指揮者もオケも若い証拠か。ずいぶんとサワヤカ。

 しっかし、わっかりづらい音楽だなあ(笑) 主題の入れ代わりが唐突すぎる……。ま、それがいいんでしょうけども。

 2楽章がやっぱりもっとも聴きやすい。ノヴァーク版である。シンバルいらないと思う。ハース版がいい。それにしても薫風のごときサワヤカさ。いいのか、これで(^^;

 3楽章はちょっと泥臭いというか悠揚な部分もあったが、概ねすんなり進む。最も表現の難しい4楽章。オルガンの即興曲のような。PMFはうまく演奏している。たまにラッパがトチってるけどw

 最後まで明るくて能動的な、前向きな幸福感に溢れるブルックナー。

 まあよくも悪くもPMFらしい演奏だった。サンティや、MTT、デュトワにハイティンク、ゲルギエフと、学生オケでも出すものを出す指揮者もいるんだから、こりゃルイージの今のところの限界だろう。

 ヒトラーってブルックナー愛好家だったんですってね。


2/16

 まだまだマーラー。

 正規盤を買う前になぜかCD-R盤があるハーディング。正規盤は2006年の録音だそうだが、こちらは2004年のライヴ。

 ハーディング/ヴィーンフィルハーモニカー マーラー:第10交響曲(クック版)

 ウィーンフィルってのがちょっとうれしい。マーラー直系の音の1つであるから。好き嫌いは別にして(笑) 

 1枚ものという事からもわかるが、1楽章なども軽くてサクサク進む。軽いと速いというのはつまり、フレージングによけいなタメや伸びが無いという事なんですが。ネットリしない10番の1楽章が意外と、冷たい光を放つ。ゾクゾクする。いいですね。とはいえ、テンポの上がるところでセカセカするのも事実。最後の絶叫部分もアッサリで純音楽的。音響としては逆にそれが刺さり込んでくる。

 2楽章のやや荒々しい表現も面白いというか「それっぽい」。急と緩の比較もうまい。変拍子も自然。続く3楽章の短い煉獄は、スケッチしか無い状態では間奏曲以上の存在のしようが無い。3番の5楽章みたいなものだが、世界観の確率には役立つ。でもこれは、演奏云々より、曲が問題だよなあ。これでホントにいいのかな。

 4楽章冒頭は、たぶん第3稿第2版だと思うが、冒頭スネアなし、シロフォンなし。しかも、ちょっとふわっとした演奏。そしてやや速い。舞曲を意識しているのだろうか。不協和音も次第に激しくなり、悪魔が哄笑する。

 おっと、テューバの前のバスドラ1回。完全にラトル流。バスドラの後の客の咳が雰囲気ぶちこわしwww

 ここは、我輩は2回の方が緊張感があって良いと思うけどなあ。バスドラ自体は短い音で胴の浅い太鼓を再現していて良。

 そして唐突なコケティッシュなアレグロ。ここもちょっと疑問が残る部分。3楽章の変奏なのですが……。それに続くアダージョはマーラーの中で最も美しく、希望に溢れている。

 10番を聴くのに全曲版でなくては、もう聴く意味が無い。

 あっさり系ではあるが、普遍的な解釈が好感がもて、★4半。


1/18

 というわけでまだマーラー。

 ゲルギエフ/ロンドン交響楽団。 マーラー第1番。なんとSACD。2008年ライヴ。

 ヴァレーリィ・ゲールギエフのマーラーシリーズ、イマイチ評判がよろしくないようで、まだ1番だけしか買ってないが、不安が募る。CD-R盤の昔の5番はまあまあだったのだけれども。

 とにかく聴く。

 うーん、特に瑕疵も無くふつうなんですけどw 特別良くもないなあ。音がいいように聴こえるくらいか。合奏が雑なのはロンドン響だからか、ゲルギーだからか……。荒々しい魅力はある。2楽章は田舎っぽさが強調されている。

 うーん、私には特に本当に可も鳴く不可もなくだ……。メチャクチャにすれっていうわけではないですが、
つまんないぞ(^^;

 特にテンシュテットの努力の結晶みたいな完璧な脚本の演奏と比較してしまっては……。

 うん、いや、しかし、普通の演奏でなにが悪いのだろうか。とも、言える。

 うーん、4楽章だけいいな。でも、相変わらずアンサンブルがガタガタ。それくらいの熱演ならまだしも、気が抜けているとしか思えない部分が多すぎる。
 
 こりゃ○3つですわ。


1/1

 というわけで昨年に引き続き元旦からマーラー。

 
マーラー没後50年!!

 聴くのは一昨年の新譜w

 テンシュテット/ロンドンフィルでBBC放送。

 マーラー:1番交響曲(1990ライヴ)と、グリンカの、ルスランとリュドミラ序曲(1981ライヴ)。ついでにテンシュテットの1990年のマーラーを熱く語るインタビュー。(うわあ声が既にガラガラ (;_;)

 序曲から聴く。ルスランとリュドミラはCD-R盤で1982年ライヴのフィラデルフィア管とのものがあるが、そちらより音質は良いし、ノリもアンサンブルもいいように感じる。ティンパニは小気味良く、管楽器も独特の強調による鳴らし方が面白い。スピードも速すぎず、遅すぎず……でも迫力は充分。

 マーラーの1番なんか、さすがに暗譜はしてないけど暗記するくらい聴いているので、もう滅多に聴かないのだが、テンシュテットは別だ。面白い。聴き尽くしているパッセージの1つ1つが刺激的。冒頭のフラジョレットから緊張感が違うし、木管の動きも工夫してある。カッコーなんか突き刺さりそうである。冒頭数分で、どこにも弛緩が無い。この緊張感が最後までゆくのだから恐ろしい。

 主題の伸びやかな事! そしてどこか締まっている。伸びきらないという人もいるだろうが、マーラーがわざとアッパラパーにしてるとはいえ、そのまんまでは藝が無い。アッパラパーを演出しているという事を忘れてはならない。ティンパニのたった1小節のトレモロですらおどろおどろしい。これらが全て、指揮者の演出なのである。完全に劇場型の成功者。テンシュテット。

 構成的には、まったく大した事無い音楽である1楽章の魅力は旋律のダイナミックスさであり、進行の面白さであって、完璧に演出している。

 クエエエ! 息つく間も無い怒濤の2楽章! 抉り、突き刺さるスケルツォ! 夢見心地のトリオ! こんな2楽章は嫌だ! もうこれ以外聴けなくなるから!!

 3楽章はフレーズ間のタメがwww こんなにタメでよいのだろうか。そしてトリオ部の甘美さ。マーラーの旋律美。マーラーの本質であるホモフォニックさ全開。さらにはマーラー得意のエキセントリックな部分のさらなる強調。でも嫌らしくない。自然。(←ここがミソ)

 HP内のあちこちでしつこく書いていますが、マーラーは(正統な)ポリフォニックな作曲家じゃないです。それはマーラー本人も言ってます。中途半端に入学試験の成績がよかったため、マーラーは音楽院で対位法の授業を免除されましたが、「習っとけば良かった!!」 と後悔しています。マーラーは自分でバッハを研究して自分で対位法を身につけなくてはならなかった。

 それであの5番以降のメチャクチャな超対位法が出来上がった。マーラー流の。正規の対位法を習わなかったゆえの。

 なんといっても、嘆きの歌で大失敗したマーラーがわざと単純に書いた(つもり)の1番に、構成の妙などあるはずもなし。この曲は単純にフレーズの面白さ、全体のストーリー性の面白さを味わうもの。それをちゃんと演出してくれないと、5番とか6番じゃないんだから、ただ楽譜を鳴らすだけでは、つまんないというかそんなに中身無いですので、聴かせてもらわないと。

 そして、その中でも最もつまんない4楽章(笑) たぶん、まともに聴くと陳腐の嵐! 第九の4楽章と大して時間的に変わらないというのに、この内容の無さ(笑)

 それをここまで面白く聴かせるのは至難!!w

 本当にテンシュテットの4楽章は語り口が完璧です。私にとって、ですけど……。こんなの実演で聴いたら失禁するんじゃないだろうか。

 素晴らしく
級だが、さすがに音質が放送音源でエコーが聴きすぎ。CDにしてはね。たぶんホールで聴くとこんな感じなんでしょうけど。CDとしての評価も含みますので。★5つ!

 かのシカゴ響と同じ年ですが、シカゴ響がちょっと慣れていなくて堅苦しいという人は、ぜひこちらを!!

 
あー、マーラーの1番はテンシュテットに限るわ。




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