12/31
大晦日は昨年のエリシュカの札響ラストライヴをふり返って締めたい。
スメタナ:「売られた花嫁」序曲
ドヴォルザーク:チェコ組曲
リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェヘラザード」
ドヴォルザーク:序曲「謝肉祭」
エリシュカ/札幌交響楽団 2017年10/27-28ラストライヴ (謝肉祭のみ2010年ライヴ)
当日は自分も聴きに行って、チケットの自動の席振りだったのでなんと前から2番目のちょい右。前過ぎる席は木管や金管など、壇の上にいる楽器が頭の上をすっ飛んでって、かつ目の前のチェロが轟々と鳴って非常に音響バランスが悪い。マーラーなどを聴くと最悪だ。どう背後でCDになるだろうと想い、ちょっと音響は諦めて、エリシュカの最後の有志を堪能することにした。
秋の深まった2年前の中島公園を思い出す。
会場はホールで既に異様な熱気というか、雰囲気。まさにざわめいていた。
エリシュカの写真が飾ってあり、なんと寄せ書きが……。自分も寄せ書きをした。
ま、もともと悪筆ではあるが、大きな布にマジックで書いたので歪んでいるのはご愛嬌ということでw
CDは、当時の模様をかなり詳細に拾っている素晴らしい録音である。
スメタナの売られた花嫁の序曲。いきなりリュスランとリュドミラ序曲のようなハイテンション。快速テンポからの絃楽フーガ、主題が次々に現れ、次々に展開しあっという間の7分間。1曲目からこんなに緊張感と集中力、そして充実感のただよう演奏会は、なかなか無い。
2曲目のチェコ組曲はマニアックだ。ナクソスの廉価盤で聴いたことあるような、無いようなという曲。解説にも、やる気の無い演奏はすぐさま駄曲となると書いてある危うい曲である。
ここにあるのは、曲を知り尽くしたエリシュカとそれへ着いて行きまくる札響である。慈愛に満ちた旋律の節回しと、それを裏付ける滋味あふれる構成の引き立て方。正直、当日はほぼ初体験だったので途中で戸惑ったが、CDで何回も聴くと大変な名演だと分かってくる。こんな地味な曲をよくもここまで……という意味で、だが。特に冒頭の牧歌の朴訥とした田舎の味わい(それでいて洗練されているという、うれしい矛盾!)と、終曲のフリリアントの迫力は特筆。
メインはシェヘラザード。本当はベト3だったのだが、それも聴きたかったがエリシュカが札響との初共演の想い出として、このシェヘラザードを持ってきた。
この曲も、メジャー曲なわりになかなか難しい音楽で、10分を超える楽章が4つ並ぶのだから全体で50分ほどになる大曲である。しかし交響曲でも無く、構成的に非常に弱いものがある。下手をするとダラダラと美旋律が流れるだけの、それこそ駄曲と化してしまう。
1曲ずつ俯瞰して行く。
第1楽章、海とシンドバッドの船。重厚ながら透明と叙情にあふれる冒頭。シェヘラザードのテーマの情感に満ちて美しいこと。ただ演奏するのではなく、音の1つ1つを惜しむような寂寥にあふれている。それからたっっぷりとシェヘラザードの物語の主要主題が歌われて行く。交響曲ではないので主題が特に展開することは無く、ひたすら波がうねるが如く音楽が揺れ動く。そのことを如実に感じさせてくれる。
第2楽章、カランダール王子の物語。シェヘラザードのテーマの切々とした表現は歌いすぎであるが(笑)けして下品でもお涙ちょうだいでも無く、エリシュカへの敬愛である。全体にゆっくりめに、時間を惜しむように音楽を刻んで行く。中間部のテンポの良い部分もけして急がず、しかしダレることなく小刻みに、そして重厚にリズムを刻んで進んで行く。最後の盛り上がりも、騒ぎすぎず緊張感がありとても良い。
第3楽章、若き王子と王女。一転してこのまろやかさというか、しなやかさ。エキゾチックな部分もうまい。下品にならず、かといってお上品にもすぎない。ここらへんのさじ加減が、実にうまい。シェヘラザードのテーマであるヴァイオリンソロの変奏も、ここぞとこれまでで最も情感たっぷり。
第4楽章、バグダットの祭、海、青銅の騎士の立つ岩での難破、終曲。緊張感あるヴァイオリンソロから、小気味よいリズムでバグダットのお祭りがはじまる。緊張感が戻り、冒頭の海主題が登場。海の場面では音調も激しく鋭くなる。83歳の棒とも思えぬテンポ間の揺るぎなさ。速度! 迫力!! そしてバーン!! と視界が開けての難破!! この壮大な音響!! 素晴らしいの一言で、もう会場ではここで涙腺崩壊。グアーン!! ドラが鳴り、終曲へ。物語が終わって行く。エリシュカと札響と我々の物語が、終わって行く。涙が止まらぬ。終わらないでくれ。終わらないでくれ。終わらないでくれ!!! みんな、そう思ったにちがいない。
終わっちゃった……。万感の拍手。もう、云うことは無い。ただ、笑って拍手するのみ。最前列でスタンディングオベーションしていたので、メディアの写真にけっこう嬉しそうに拍手しているのが写っていた(笑)
ボーナストラック、謝肉祭。これも評判の高かった演奏を、ここに収録してきたもの。快活に、そして自信タップリにすすめてゆくエリシュカ的快楽。ドヴォルザークはこうなんだよー! という、決定的な安心感。演奏会用序曲なのでワーグナー並に長いのだが(笑) その長さや経過部の茫洋差も合わせてドヴォルザーク! それを教えてくれる。
12/23
なんとか年内に1回更新。平成最後の天長節である。
サントラ以外の伊福部もので未聴だったものを整理することにした。
2008年に行なわれた、第2回伊福部昭音楽祭のライヴ盤である。もう10年も前か。
映画「ゴジラ」より
室内オーケストラのための「土俗的三連画」
Hommage to Akira Ifukube(作曲:松村禎三)
交響詩「聖なる泉」
管弦楽の為の「コタンの口笛」
映画「大坂城物語」
「土俗的三連画」より<同郷の女達>(オーケストラ判)
映画「怪獣大戦争」よりマーチ
「ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲」より第1楽章(音楽祭の為の特別編制)
堤俊輔/藤田崇文/伊福部昭記念オーケストラ
これは、私も聴いた演奏だが、しょうーーーーじきに云って構成から演奏から、とても褒められたものではなかったので、ずっと遠慮していた盤であった。が、土俗的三連画の確認という諸事情により、今回ようやく聴いてみたものである。
ゴジラはメドレー。この後に流行る生演奏上映の魁のような雰囲気があったのを思い出す。土俗はゆっくりめのテンポで、雰囲気があるもの。ライヴならではの瑕疵もあるが、それだけこの曲は難曲というのが分かる。落ちついて、酔い演奏である。唯一、松村禎三が衣服塀外の作曲家。古弟子による師へのオマージュ曲の中から、どうして松村が選ばれたのかは分からない。
聖なる泉はゴジラのテーマから。極大バスドラが、スリーシェルズの百年紀シリーズへの示唆のように聴こえる。こういう構成なら、ちょっと短いんだよなあ。演奏会全体の進行もあるので仕方のないところであるが。歌はお馴染みの藍川由美さん。コタンの口笛、これが当日は音響バランスの狂いにひっくり返った。指笛は最高だったが、後半、盛り上がってからは藍川の歌すらまるで聴こえぬ。どんな編曲でどんな演奏なのか、客席でチェックしなかったのか、あまりの杜撰さで萎えてしまった。それとも、この音響構成で良しとしたのか。藍川が凄く苦しそうに歌ってるのが印象的だった。録音では、うまく調整してあるように聴こえる。
大坂城物語は重厚な響きが良い。テーマがショパンの葬送行進曲っぽいのもご愛嬌である。これは全体にヴォリュームもあり、構成も良い……和田薫の編曲である。やはりか。
土俗第1楽章のオーケストラ版は、単にいまステージに乗ってる全員で演奏したというほどのもの。いわゆる、弦楽合奏版という、昔のあまり響かない大ステージ用に便宜的に演奏されてきていたものの再現だ。これはこれでなかなか趣がある。だが、1楽章だけだし、参考以外のものではない。
怪獣大戦争マーチはアンコール。指揮者無しなので、拍手もそろわなかったw 協奏風狂詩曲は編曲の意図がよく分からなかった。オーケストラ版の打楽器を加えたというが、そんな楽器入ってないから! というものがある。和田さんがそれを許したのが謎。
4/29
またまた数か月ぶりの更新となる。が、交響曲のほうを更新しているので許されたし。
なんと、伊福部のタプカーラ交響曲の新譜。しかも、DENONで邦人高名作品集をシリーズ化し、かつ、クラシック高名曲とのカップリングでお届けするという画期的な企画。
バッティストーニ/東京フィルハーモニー交響楽団 2017セッション録音
ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」
伊福部昭:シンフォニア・タプカーラ
伊福部昭:ゴジラ〜交響ファンタジー「ゴジラVSキングギドラ」より第7曲
イタリア系だからか分からないが、こんなパッションの高い新世界は初めて聴いた(笑)
とにかく第1楽章からホルンが朗々と吼え、ティンパニが高らかに轟く。絃楽もノリノリである。第2楽章は反面、しっとりと叙情的だが、感傷的ではない。けっこう乾燥している。本来、こういう曲なのだろう。解説によると、ドヴォルザークはアメリカを題材にしたオペラを構想したが、勤めていた学院の賛意をえられず、この交響曲の作曲に変更したのだという。そのオペラの旋律を応用したのが如実に分かるのが、この第2楽章。ここは歌心のニュアンス、フレージングがさすがというべきか。3楽章、4楽章の盛り上がりも良く、オケもうまい。日本のオケにしては金管も良く鳴っているし、なかなか聴き応えのある良い新世界だと思う。
さてタプカーラだ。スタンダードに終始した演奏などというWeb評もあったが、いやいやさにあらず。分かってない。タプカーラを15種類聴いている私が云うのである。間違いない!! というのは冗談だが(笑) スタンダードでありつつ、かなり西洋人ならではのフレージングの強調、裏旋律の動かしがある。外国人には、この曲において日本人には聴こえていない部分が聴こえているのは、ヤブロンスキー盤で経験済みだが、こちらでは良い方向に向かっている。全体的には日本のオケだし、プロデューサーも日本人だろうから基本は外していない。
それでいて特にホルンの鳴らし方や打楽器の叩きこみ方、アグレッシヴな絃の進め方に西洋音楽と共通の奏法がみられると思った。これは、かなり面白いタプカーラである。この面白さを分からない人は、タプカーラの聴き込みが足りない。2楽章の日本ならでは、北海道ならではの静謐も、うまく出来ているし、3楽章の突進はいかにも行進曲調でこれはノリが西洋風かもしれない。
そしてこれを超メジャー曲の新世界とカップリングした企画を褒めたい。さいしょ、ベターな企画だなあと思ったが、じっさいに聴いてみて感心した。これはいい。新世界の演奏も良いのだから、日本人の交響曲など興味ない人でも、そっちをめあてに買っても損はない。そして試しに聴いてみて、タプカーラの魅力に開眼したら儲け物だ。
そしてまたタプカーラも、録音もいいし演奏もいいしで、良いことづくめである。このアルバムは推奨できる。これまで伊福部というと伊福部昭作品集や邦人作曲家作品集としてしか考えられなかったが、その蒙を取り払い、新しい可能性を示唆してくれたDENONには感謝しきれない。
1/20
なんかずいぶんと久しぶりに、武満の新譜が出た気がする。
それでも、セッション録音ではなく、ライヴ録音だ。ここんところ、クラシックの邦人作品は軒並みライヴ録音で、それも悪くないがセッションで録るだけの予算が、もう組まれないのだろう。かつて大手レーベルでは、ポップスで儲けたぶんで現代クラシックを録音していたらしいが、現在はポップスだろうとなんだろうと、CD自体が売れないし、レーベル自体がの売り上げががた落ちしているので、たいへん難しい。ライヴだろうと出てくれるだけましなのである。
山田和樹/日本フィルハーモニー交響楽団/菊地知也Vc/上白石萌歌ナレーション/赤坂智子Va/扇谷泰朋Vn
武満徹:オリオンとプレアデス(1984) 2015ライヴ
武満徹:夢の時(1981) 2017ライヴ
武満徹:系図 −若い人たちのための音楽詩−(1992) 2016ライヴ
武満徹:A String Around Autumn(1989) 2016ライヴ
武満徹:ノスタルジア −アンドレイ・タルコフスキーの追憶に−(1987) 2016ライヴ
武満徹:星・島(1982) 2017ライヴ
武満徹:弦楽のためのレクイエム(1957) 2017ライヴ
現代のヤマカズ、ヤマカズ2世こと山田和樹。武満を直接知らない世代による武満。これまでの、岩城や小澤、若杉、尾高の、武満と交流のあった世代の指揮ではなく、まったく新しい、清々しい解釈の武満を聴ける。
武満はコンチェルトがやたらと多い作曲家だが、○○協奏曲というタイトルの曲はひとつも無い(笑) 晦渋というでもないが、やたらと詩的な、交響詩みたいな曲が、実は協奏曲である。
酔っぱらったネコみたいなソロが面白いオリオンとプレアデス。録音もけっこうある。通常の協奏曲という概念ではなく、寄り添うようなソロとオーケストラが心地よい。演奏は鮮烈で、自由な発想によりスコアから瑞々しい響きを醸しだしている。チェロの美しい朗読みたいな響きと、合間合間を攻めてくる官能的なオーケストラとの対話。いかにも、80年代以降の後期武満らしい音がする。
バレエ音楽として委嘱された夢の時は、初演はコンサートピースでしかも岩城宏之/札幌交響楽団だった。アボリジニの舞踊や音楽に想を得ているが土俗的ではなく、武満トーンの集合体。意外にこってりとした濃厚な演奏になりがちだが、そこはあっさりと進んでゆくあたりが、なんとも指揮者の感性が出てよい。
系図(ファミリー・ツリー)は、10代の少女がナレーションをやるとスコアに書いてあるにも関わらず、やっぱり演技力やカツゼツの関係か、初演の遠野凪子(当時15歳)以来、寡聞ながらベテラン女優等のナレーション以外聴いたことが無かった。少なくとも、CDでは無かったはず。いっそ、少女声のアニメ声優を起用しやがれ、とすら思っていたが、これは、19歳ではあるが上白石萌歌のナレーションは決定盤である。これは素晴らしい。
わかった。この曲に必要なナレーションの極意は あどけなさ だ。
なるほどなるほど。武満はこんな感じの雰囲気にしたかったのか。などと思ってしまった。話し方も素晴らしい。演奏も、もちろんよいけどもw アコーディオンもことさら強調せず、楽器の1つとして美しく調和している。
ちなみに当曲は、本来は初演時のように映像作品であるが、あの映像は造り直した方がいい。または、このように音楽だけで充分だ。
ヴィオラ協奏曲である A String Around Autumn 武満の曲名は詩の一節などからとられている場合もあって、カタカナでア・ストリング・アラウンド・オータムなどと書く場合が多いのだが、はっきり言ってマヌケなので、そのまま英語で記す。小澤征爾と今井信子の演奏を長く聴いてきたが、あれほど生々しくなく、やはり純粋な音楽美として、武満が現代音楽からクラシックになってゆく様を聴いているようで感慨深い。
続いて、ヴァイオリン協奏曲ではあるが、どちらかというとやはりヴァイオリンソロと弦楽オーケストラのための曲、といった風情に停まるノスタルジア。ヴァイオリン協奏曲では他に遠い呼び声の彼方に!があるが、あれより協奏曲的性格は薄い気もする。それは、悲歌に彩られているからだろうか。テンポをたっぷりととって、追憶と祈りに満ちたよい演奏。
星・島(スター・アイル)は早稲田大学創立100周年記念の曲で、変わって明るい。……といっても、大学祝典序曲のようなものではない(笑) 小品のイメージがあるが、ヤマカズはこれもたっぷりとテンポをとって、意外に大きな作品として鳴らしている印象。
弦レクは曲自体がやたらと生々しいので、これをどう演奏するかだが、テンポとアーティキュレーションに変化をつけて、けっこうドラマティックにやってる。武満の初めての演奏会用オーケストラ作品で、傑作なので武満の作品の中ではおそらく最も多く演奏されているだろうが、これで指揮者の個性をだすのは至難かと思われる。ガリガリした、音楽に植えていた時期の武満の心情をだすような響きも本質的で良いが、艶やかに鳴らしているこういう演奏もまた当然良い。
弦レク以外、すべて80年代以降の後期武満を集めた作品集、堪能できました。ヤマカズ2世よ、ありがとう。
1/7
ちょっと遅くなりましたが、2018年、平成30年、皇紀2678年です。謹賀新年、今年もよろしくお願いします。
今年の一発目は、昨年、札響でラストライヴを行った、ラドミル・エリシュカのブラームスとベートーヴェンを。
エリシュカラストライヴは私もキタラで聴いたが、久々に演奏会で感動した……。あんな、聴衆とオーケストラと指揮者が一体となった演奏会は、一生に何度あるかも分からない体験だった。エリシュカと出会えたことを、神様に感謝したい。
エリシュカ/札幌交響楽団 2015年ライヴ
ブラームス:交響曲第4番
ベートーヴェン:交響曲第4番
エリシュカのドイツもの。定期演奏会でモーツァルなども聴いたことのあった自分は、このさっぱりさを予想はしていた。
ブラームスの、ブレーキとアクセルをいっしょに踏んでいるようなある種の音楽的ストレスを愛する聴き手は、このブラームスはさっぱりしすぎていると思う。ブラームスらしくないとか云われるかもしれない。かくいう自分も、ブラームスはふだんほとんど聴かないので、チャイコほどの感動は無かった。
とはいえ、この純粋な響きの美、音楽美はどうしたことだ。ブラームスをなんの抵抗もなく、先入観もなく、ひたすら鳴らしきったらこんなに切なく、美しくなりましたという演奏。けっこうフレージングも動かしてるし、スコアにも最低限の手を入れているのだが、この瑞々しい新鮮さからは、小細工はまったく聴こえてこない。
何度も聴くと、じんわり来る。そんな演奏だが、それはエリシュカのチャイコフスキーやドヴォルザーク、ヤナーチェク、スメタナも同じだ。でも、もっとじんわり来る音楽だ。
特に4楽章、他の指揮者がここぞと情感をこめて鳴らす冒頭も、サクサクと進む。素っ気ないというか、あっさりというか。しかし、この楽章の主眼はそこではない。それを云いたかったのではないか。第1変奏から、やおらたっぷりと歌いだすのだ。最後も、冒頭とは打って変わって熱演である。
ベートーヴェンもいい。4番は元々そんなに熱くなる曲ではないだろうが、クレンペラーあたりで聴くと、けっこう情熱的な音楽の造りになっているのがわかる。エリシュカは、情熱でも軽やかでも無く、やはり、どちらかというと淡々と進む。しかし、無味乾燥的でもない。余計な感情の発露を廃し、音楽のみの力で、情感は充分に伝わる。活き活きとしたアレグロ、しっとりとしたアダージョ。最後はむしろ硬い演奏で、この曲が実は硬質な構成美を持っていることを暴く!
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