12/30

 令和元年も終わりにならんとしております(汗)

 なんだかんだと、年末くらいしか新譜を聴けなくなってはや数年です。

 それでも、興味を持ち続けられているので、まだよしとしましょう。かなり、珍しい曲の探求とかは意欲というか、興味が失せてしまいました……。(というか、キリが無い)

 羽田健太郎:交響曲「宇宙戦艦ヤマト」
 大友/東京交響楽団 大谷康子Vn 横山幸雄Pf 小林沙羅Vc
 
 これは昔、1984年の初演の模様のテレビ放送の再放送を見たことがあって、1990年代に衛星放送でやったやつだと思った。録画したのだが、サントラの交響組曲みたいのを期待していた私は、意外に本格的な曲だったので戸惑って処分してしまった。しかも、ヤマトの映像を流しながらの編集で、曲がサントラじゃなくて本格的な変奏だから合わないことこのうえなく、わけがわからんかった。勿体ない。いまあればYouTubeにアップできたのだが……。

 それの再々演の模様がCD化された。というのも、ハネケンの遺品から、完全版のスコアが見つかったのだという。まるで伊福部みたいな話だ。
 
 完全版というのは、4楽章のピアノソロをハネケンが担当したのだが、アドリヴなのでスコアにパートが書いてなかったそう。それが、書いてあるスコアが出てきたということ。ハネケン生誕70年にあわせて2018年に演奏。それのライヴ録音である。

 詳細は、近々交響曲のページにアップするので、ここでは聴いた感じを簡潔に。

 流石にソリストもオケも、ヤマトを見たことない人もいるであろう世代の演奏。えらい垢抜けてるwww なんかもっとこう、泥臭い曲だった記憶がある。ヤマト自体、かなり今にしてみれば泥臭いアニメだったわけだし。ヤマトリメイクが現代風に泥くささを完全にとっぱらって、成功したのかしなかったのか微妙なところだったけど、音楽としては、この明朗さは良い印象。

 4楽章制で、けっこう長い。60分くらいあると思う。各楽章で宮川奏によるヤマトのモティーフを使ってはいるが、変奏に次ぐ変奏で、1楽章などしっかり展開部も構築されたソナタ形式であり、最近のポップスやサントラ書きの書いた自称交響曲のような、耳障りのよい旋律が現れては消える鳴り物とはちょっと違う、堅苦しい趣がある。反面、昔の自分のような、サントラの交響組曲を期待するとガッカリすると思う。

 壮大、華麗な音楽絵巻というに相応しい内容で、ハネケンって只者じゃなかったんだな、という想いを新たにした。


6/24

 ご無沙汰しております(汗) 生きてます。4か月ぶりの更新は、不気味社の昨冬の新作を聴いたのであります。

 豪快なシンフォニア・タプカーラ
 シンフォニア・タプカーラ
 SF交響ファンタジー第3番
 
 これは褒め言葉だが、最初に分厚い和音でむくつけき男共が歌いだした瞬間、笑ってしまった。まさにフヒヒ! といった具合だ。それからはもう、フフフフフ、フヘホハハハハ、ウヒィャハホヘヘヘ! と笑いが止まらない。再現率と本気度が段違いである。

 それからはもう、気がつけば自分も歌っている。タプカーラを歌っているのだ。ボイスパーカッションからラーラーラー、オーオーオーオオオ〜〜〜!

 1楽章のノリノリから、一転して2楽章の重厚感。こ、これはロシアの合唱か……? ハープのポンポン音は無いが、重厚な絃の方がこれでもかと合唱で迫ってくる。3楽章は圧巻だ。重厚かつあふれまくる躍動感。ブラボーというほかは無い。
 
 しかし、これはスコアの内どれほどを声に落としているのだろうか? まさかスコアの全段を編曲しているとは思えないが、5段くらいは落ちているように聴こえる。素晴らしい。

 そしてSF3番。豪快なSF交響ファンタジーぶりだろうか? なぜ、いま3番なのか。シャガー〜! 私はシャガー〜! を忘れていた。不気味社の原点にして神聖。シャガー〜! なんにせよ私は伊福部マーチの中で轟天号のテーマが最も好きなので、これは嬉しい。最後のピッコロの鬼フレーズを歌で表現するのは、さすがというほかは無い。あとボイパ。

 そして隠しトラック……いつもの不気味社である。タプカーラ1楽章のアレグロ主題(大坂城?)をCD録音帯のつきるまでエンドレス。

 あえて云おう! バカである!! 伊福部バカであると!!(褒め言葉)


 打楽器曲集 伊福部音楽を打つ! 田中祐哉とウィアード打楽器集団 不気味社(男声合唱)

  熱帯雨林と原住民たち/人跡未踏/古代土俗の神/軍鼓律/雑踏、酒、祇園太鼓/魔神封じの祭/南海の結婚式と祈祷

 伊福部の管絃楽曲にはいつも打楽器群が大活躍だが、意外にも打楽器アンサンブル曲というものが存在しない。そこでだ!! 映画音楽の中の打楽器アンサンブルに匹敵する楽曲を集めに集め、時には楽譜が存在しないため耳コピで採譜し、演奏しまくっているのが今アルバムである!

 これは、いつも素晴らしいが、いつにも増して素晴らしいと云わざるを得ない!!! 楽曲として構成されていないので、どちらかというと粛々と、淡々と、打楽器が打ち鳴らされる。ここにあるのは、ただ打つという行為。映画の画面もストーリーも関係ない。時に、映画の場面に合わせて雄々しい男声合唱が入る。それ以外は、延々とただ打つ。太鼓。太鼓だ。太鼓なのだ。

 太鼓の他は、ドラがゴワアッ、ゴワアッ……と鳴り、たまにガムラン調のマリンバがリトミカっぽいリズムを伴って現れるが、これは釈迦の音楽である。それ以外は、まさに土民が儀式で打つ朴訥な、音楽とも云えぬ太鼓にイメージが近い。全てがミドルテンポで、伊福部特有の快速アレグロは無い。それも意外だった。

 従って、重厚な律動がゆっくりと推移し、大軍団が異動する様、密林の土民の祈り、市井の名も無い人々の日常が、シンプルなリズムと音色で歌われる。和太鼓の合奏もあるが、いま流行りの和太鼓の派手なアンサンブルというでも無く、ひたすら単純なリズムを打つ。ただ打つ。そして繰り返す。

 ここには爽快感もカタルシスも無い。あるのはひたすら純朴な祈り、そして繰り返される人間の生きざまのリズムなのだ。


2/24

 気がつけばもう3月も間近。

 バッティストーニ/東京フィルによるスタンダード名曲+日本人作曲家作品集の第2弾を聴いた。

 バッティストーニ/東京フィルハーモニー交響楽団/のん(語り)

 チャイコフスキー:第6交響曲「悲愴」
 武満徹:系図−若い人たちのための音楽詩−

 前回はドヴォルザークと伊福部だったが、今回はなんとチャイコフスキーと武満。何か共通するものがあるような、無いような。

 新世界もぐいぐいとひっぱる独特のラテン系のノリが面白かったが、悲愴はどうだろう。あまりお涙ちょうだいも今更だが、かといってあえてクール感を狙っているような冷たい、というか素っ気ない演奏も醒める。意外に難曲な悲愴交響曲。意外にも何も、改めて聴くと技術的にも相当な難曲だし、やはり計算され尽くした相当な名曲であろう。

 1楽章冒頭はかなりゆっくりめで、時代がかっているとも云える。アレグロからテンポ感良く、第1主題の躍動感と第2主題の冒頭部分から引き継がれたたっぷり感との対比が凄い。クラリネットが爽やかだ。じっくりと音を確かめながら進んで行き、最後まで侘しさと美しさをじっくりと醸しながら、後半戦の怒濤のアレグロへ。快速だが濁っておらず、現代的な演奏。だが豪快だ。第2主題の再現に入るとまたも悠然たるテンポ。だがけして遅くない。見事。この演奏され尽くした大名曲を、ここまで新鮮に聴かせるというのは、名人の証拠だと思う。コーダの管楽器の響き、ティンパニの連打の茫洋感がよい。

 2楽章の、貴族的なまでの優雅さも特筆。変拍子を感じさせないチャイコフスキーの練達のうまさ。中間部の永遠に続くような広がり。ロシアの大平原。民謡的な歌心。バッティストーニの指揮が、えぐいまでに突き詰めて行く。

 地味に2楽章より長い3楽章スケルツォ。だが、実はスケルツォではなく、アレグロ・ヴィバーチェ、4拍子である。このヴォリュームは異常で、たぶん音符の数は4楽章の10倍はある。本来であればこれが終楽章なのだろうが、続く終楽章の与えてくれる感動は、3楽章の比ではない。巧妙に計算されたチャイコフスキーの神級交響曲の神級たる所以。

 バッティストーニの3楽章、寄せては返す波のごとき音楽の流れを重視したスピード感あふれる表現に続き、4楽章の情感たっぷりのすすり泣きが身と心に沁み入る。最後の銅鑼もドワーンという中華料理屋みたいな味も素っ気もないものではなく、ズム……と聴こえるか聴こえないかという絶妙なもの。指揮者のセンスのよさが聴こえてくる想いだ。

 悲愴交響曲がラテン的ロマンの一面も持っていることを示してくれた良演奏。

 さて、のんも例の騒動の後、さっぱりテレビに出なくなったが、実力があるので地道に活動を続けて行ってほしい。

 この武満の中でも最調性な作品のナレーションは、作者の指定によると「十代後半の少女」である。なにを思ったかベテラン女優などの録音や演奏もあって、雰囲気が台無しなのであるが、なんでそんなロリコン趣味なのかということだが、私の考えでは、あどけなさを表現したいのではないか。あどけなさといっても、幼稚園児や小学生のそれではなく、思春期の少女の持つあどけなさだ。それが、谷川俊太郎の詩とマッチすると考えたのではないか。

 しかし、なかなか本当に十代少女を起用しても、棒読みでせっかくの雄弁な音楽と合わない嫌いもある。芦田愛菜クラスではないと。

 そこで、声優など使ってはどうかとずっと考えていたが、本当にアニメ声優では声がアニメすぎてダメかもしれない。

 そうなると、のんなどは意外と大当たりなのではないか。朴訥していて、演技もうまい。このたどたどしいあどけなさを演技でできる人。よいと思った。

 「はいまたのんでます」 の投げやり感が最高。全体として武満のほっこりした音楽と、のんの時に辛辣なナレーションの妙は凄く心地よい。


1/3

 謹賀新年。平成最後のお正月。平成31年、2019年そして皇紀2679年でございます。本年もよろしくお願いします。

 ここにきて、あと21年生きれば皇紀2700年を迎えられると気づき、少し生きる希望が沸いてきました。

 新年早々の更新は伊福部の新譜 伊福部昭の古歌 を聴いた。
 
 これは古楽歌唱奏法を究めた山田千代美と、伊福部をスペシャリストの1人ピアノの山田令子による山田山田コンビの新しいアルバム。ギターのヴァンオーイエンも含めて1枚のアルバムとしている。

 伊福部:ギリヤーク族の古き吟謡歌
 伊福部:古代日本旋法による踏歌
 伊福部:サハリン島土蛮の三つの揺籃歌

 山田千代美 ソプラノ
 山田令子 ピアノ
 ダーヴィッド・ヴァンオーイエン ギター

 バッハも何も聴かないので、古楽唱法がどのようなものかまるで分からないが、第一声を聴いて、いかに自分が藍川由美のいわゆる普通のオペラや歌曲の唱法に洗脳されてきていたか頭をぶん殴られた気がした。

 誤解なきよう、藍川由美の凄さは、これまで何度も語られているし自分も真に伊福部の伝道者と認めているのだが、正直、慣れすぎていた。その歌声でなくば物足りないと思っていた。

 根底から覆された。これは凄い、素晴らしい、まったく新しい伊福部である。

 朗々とした歌唱というより囁き、そっと歌いかける、まさに発話旋律というか、発声そのもの。まさに古代の少数民族の息吹そのもの。そういう発想からのアプローチ。新鮮極まりなかった

 さらにその歌声の冷たい湧き水のごとき清浄感たるや!!! 北方の冷たい澄みきった風の音のような、その清涼感!! 本当に心が洗われるようだ。

 ギリヤークの巫女の呪文めいた歌い方は凄いし、ちゃんと彼方の河びもハイFで歌っている。と思う。

 ※日本語版クレジット、ギリヤーク族の古い吟謡歌、2曲目と3曲目が逆になっている。

 ギターは古代つながりだと思われる。使用されているギターは19世紀製作の古楽器で、ガット絃の張りが現代楽器より弱く、儚い音がする。テンポをゆっくりめでとり、古代に夢を追わせてくれる。

 サハリン島は、タイトルが新版の「先住民」ではなく、旧版の「土蛮」になっているのか注目される。伊福部は土人や土蛮に悪い意味を持たず、むしろ崇敬の念を抱いて、あえて土蛮という言葉を使ったが、世のボリコレの流れに逆らえず、新版出版の際に土蛮を先住民へ改めたのである。

 ここでその古いタイトルを使っているのは、あえてなのか本当に旧版を使っているのかは分からない。

 ここで歌われるのはまさに神話の世界のような、ユカ
のような語り口。朴訥として、それでいて雄弁なものだが、清浄感は失われない。神聖な子守歌である。

 惜しむらくは、初期伊福部歌曲3部作のアイヌの叙事詩に依る対話体牧歌が無いことだが、あれだけ伴奏がティンパニなので、手配が難しい。いつか機会があったら、ぜひそれも演奏してほしいものである。






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