12/27

 不気味社、ホルンシリーズの後半2作です。

メカゴジラホルン 作曲:伊福部昭/編曲:八尋健夫/演奏:大貫ひろしとウィアードGMホルン合奏団

 キングギドラときたら次は当然、ゴジラの2大ライバルであるメカゴジラである。また、平成メカゴジラのテーマは、「つばめを動かす人たち」 「雪にいどむ」 など、国鉄物の科学ドキュメント映画の主題を流用していることもあり、重機械のテーマとしての側面を持つ。まさしく、その究極がメカゴジラなのだ。

 従ってここでは、それらの共通テーマも含めて、「−叡智の結晶と調和−」 「−繁栄の明暗と陰影−」 「−科学の暴走と終焉−」 「−復興の朝霧と曙光−」 の起承転結を持って4つの楽章にうまくまとめられたホルン合奏を堪能できる趣向となっている。

 なお、タイトルの妙は三菱未来館のパロディのようにも思えて、面白みに深さを与えている。

 「−叡智の結晶と調和−」 平成メカゴジラことゴジラVSメカゴジラのテーマをメインに、人類が造り上げた究極の対ゴジラ兵器としてのメカゴジラの誕生が描かれる。冒頭のキングギドラの首が見つかる改訂シーンの低音部から、タイトルテーマの圧倒的な重厚感と、神々しさが良く表現されている。そして、メカゴジラの飛行シーンのテーマ。あんなのが飛ぶという発想が凄い。重厚かつ高速感に溢れる格好よさだ。最後はメインタイトルで堂々と締める。

 「−繁栄の明暗と陰影−」 人類の持つ科学力の明と暗、光と影。伊福部の音楽は、それらを重厚に彩る。そして、その全てをホルンだけで表現する。ややコミカルに響くのは、土木作業のテーマでもある。ダム工事や、怪獣を落とす落とし穴を作るシーンだ。いずれ、その盲信した科学力が人類自身へ返って来る。

 「−科学の暴走と終焉−」 ここでは、全てメカゴジラの逆襲より採られている。ここのメカゴジラは、宇宙人の作った対ゴジラにして地球侵略用兵器である。より凶悪な旧メカゴジラの面構えが想起される。科学は、より強大な科学に押しつぶされる宿命にある。

 「−復興の朝霧と曙光−」 ここでは、テーマの源流である主に国鉄ドキュメント映画から採られる。人類は科学で大自然を克服し、繁栄を築いてきた。大自然への挑戦と克服のテーマが、堂々と吹き鳴らされる。まさにホルンのホルンによるホルンのための勝利の栄冠だ。同じテーマでも音調が変わり、ここでは明るく希望に満ちたものになっている。戦いのための音楽でなく、人類の技術の結晶のテーマだ。

 前作で黄金に輝くホルンがキングギドラに見えたが、ここでは白銀に輝くホルンがまさにメカゴジラの如し。


Gフォースホルン 作曲:伊福部昭/編曲:八尋健夫/演奏:大貫ひろしとウィアードGフォースホルン合奏団

 ホルンシリーズのラストは、その名の通り伊福部マーチ集である。ホルンといえばマーチ、マーチといえばホルンではあるが、マーチにおけるホルンの役割というのはスネアドラムと一緒で、永遠に後打ちを行う羽目になる。

 そこを主旋律は吹く、当然後打ちはする、前打ちもする、低音は吹く、装飾も吹くという、聴いているとノリノリで楽しいが、地獄のようなアンサンブルスコアに仕上がっており、シリーズ中難易度は屈指だと思われる。

 さまざまな映画よりマーチが集められ、「GARUDA−迦楼羅の章−」 「NEPTUNE−海神の章−」 「SABRE−剣刃の章−」 「ATRAGON−轟天の章−」 の4楽章に別れている。

 「GARUDA−迦楼羅の章−」 メカゴジラのテーマに続き、颯爽と空を行くGフォース部隊。それらを全て、ホルンで行う不思議さと不気味さ、そして格好よさ。続いてVSデストロイア、さらには地球防衛軍、怪獣総進撃と力業が続く。こんな連続では、ホルン部隊は脳の血管が切れているのではないかと心配になる。それほどの高揚感と高音と連続難パッセージと、テンポの速さだ。

 「NEPTUNE−海神の章−」 続いてドレミファミーソーレーソ〜でおなじみのテーマは、海上自衛隊のフリゲートマーチである。そう、ここは自衛隊艦艇のマーチ集だ。伊福部マーチでは、空も海も陸も全て同じようなテンポで突き進む。暑苦しき不気味なホルンの群れがカノンでテーマを吹き鳴らし、複雑にして明快な伊福部マーチの隅々まで吹き渡る。

 「SABRE−剣刃の章−」 ここでは、云うなれば攻撃のテーマだろうか。怪獣あるいは侵略宇宙人と、地球人類の戦い。血が沸き、肉の踊る熱き決戦の模様が、めくるめくホルンの響きで再現される。しかし……これは録音物ならでは、の楽しみかもしれない。この勢いと熱量と音符の量を実演では、マジで死んでしまうw

 「ATRAGON−轟天の章−」 最後は、日本特撮に特有の、巨大マシンが悠然と空を舞うシーンの音楽に満ちた楽章だ。まさに、まさに伊福部に相応しいシーンの数々。自分も大好きな、海底軍艦のテーマ。海底軍艦あってこその、宇宙戦艦ヤマトかもしれない。宇宙船ではなく、海を走っている艦船がそのまま空を飛ぶのは、それほどのインパクトだ。サンダ対ガイラで再びメーサーマーチ、さらにVSメカゴジラのGフォースマーチへ戻る。そして! メカゴジラの飛行テーマ!! さらにGフォース!! 激熱い!!

 ホルンシリーズは、これでおしまいかもしれない。しかし、この1枚が最後のホルンシリーズとは思えない。きっといつか、姿を変えて戻ってくるだろう。それは、SF交響ホルンかもしれない。サロメホルンかもしれない。タプカーラホルンかもしれない。リトミカホルンかもしれない。

 不気味社の挑戦は続く。


12/21

 半年ぶりの更新も、なんと不気味社でございますw

 不気味社は、歌のシリーズだけではなく、器楽による活動も非常に魅力的である。音源はおろか、フィルムすら残っていない幻の映画音楽を演奏してみたシリーズである 「国有林」 「レ・ミゼラブル」 等に続き、ホルンアンサンブルにて、不気味社音楽応用解析研究所所長八尋健夫によって特別に編曲された楽曲を演奏するホルンシリーズである。これまでに4作出ているが、順次聴いた。

 まず、2作を聴く。

黒部谷ホルン 作曲:伊福部昭/編曲:八尋健夫/演奏:大貫ひろしとウィアードホルン合奏団
 
 1作目、黒部谷ホルンは、伊福部映画の中に現れる 「山脈のテーマ」 あるいは 「大自然のテーマ」 とも云えるテーマを集めたもの。それらを共用のテーマごとに編集し、4つの楽章に編纂している。すなわち 「−佳境−仰ぐ」 「−探訪−先へ」 「−彼方−憧れ」 「−鎮魂−祈り」 である。
 
 「−佳境−仰ぐ」 ここでは、仰ぎ見る大自然の伊福部テーマが、複数の映画より抜粋され連続して演奏される。ゆったりとした重奏の、侘しさと雄大さが同居する独特の伊福部節。そして 「ぱぱぱぱー〜」 の孤独感。黒部といえば 「ぱぱぱぱー〜」 であろう。惜しげも無く主要テーマを次々に使い、まさに異境、そして最果ての地を眼前にした人間の心象を音にして行く。
 
 「−探訪−先へ」 特撮映画にはつきものの、科学調査隊、政府の調査隊などによる調査のテーマが集められている。異邦の地にたどり着いた不安、そして探検に心踊らせる調査隊の盛り上がり。大海原を行く船の、広大な水平線の向こうに、未知の物との遭遇を夢見る。低音から高音まで、全てホルンで描かれる見事さだ。

 「−彼方−憧れ」 探検の末に現れる、神秘の巨大生命。怪獣。それを目の当たりにした、人類の小ささ。小さき者から大きい者への憧憬。仰ぎ見る威容。まさに、それは神だ。神なのだ。神と相対する人類のテーマが集められた。キングコング、そしてモスラ。それらは、ゴジラとはまた異なる、人間の手によらない(ゴジラは水爆実験で生まれた、ある種の人工怪獣である。)純粋な、大自然の驚異なのだ。大自然の咆哮こそ、本来は狩猟の合図を送る角笛だったホルンという楽器の音色に相応しい。聖なる泉もあるよ。最後の、ハモンドオルガンを模した響きは凄い。
 
 「−鎮魂−祈り」 怪獣は人類に、そしてゴジラに倒される宿命にある。最後に、人類は怪獣に殺された人々へ、そして怪獣へ、大自然へ祈りを捧げる。崇高にして悲哀、孤高の祈りである。伊福部の祈りのシーンには必ず現れる子守歌(鎮魂歌)のテーマが、ホルンによるやさしき響きに包まれ、なんともいえぬ味わいを持つ。そして、ラストはVSデストロイアのゴジラのテーマを引き延ばしたレクイエム。まさに、伊福部が書いた最後のゴジラ・テーマであろう。


キングギドラホルン 作曲:伊福部昭/編曲:八尋健夫/演奏:大貫ひろしとウィアードキングギドラホルン合奏団
 
 原作映画よりも先にSF交響ファンタジー第2番に接した身としては、「ぱぱぱぱー〜」 の後にはすかさず伊福部無調による全オーケストラグリッサンド、どぉぅりゃあああああ!!! が無いと物足りない。

 するとすかさず、どぉぅりゃあああああ!!! グリッサンドをメインとするキングギドラホルンが現れるあたり、さすが不気味社。ホルンの、ホルンによる、ホルンのためのグリッサンドである。第1作と同じく、複数の映画から共有のテーマを集め、4楽章にまとめている。「−降臨−」 「−進撃−」 「−深淵−」 「−決戦−」 と続く。

 「−降臨−」 天からの使者、火の玉に包まれ、重力を超えて落ちてくる驚異の三頭二尾巨大黄金竜。それを降臨と云わずして、なんというのだろうか。前作の余韻、「ぱぱぱぱー〜」 からの、待ってました! 「キイイイイ〜〜ング! ギ・ド・ラ・ダ!!」 の無調テーマ。不気味社の不気味に侵されている者は、「シャガー〜!」 と勝手に合いの手を入れる。そしてキングコング対ゴジラに端を発し、VSギドラではUFOの飛び交うキングギドラテーマが鳴り響く。最後は大自然の驚異、三菱未来館から災禍のテーマ。
 
 「−進撃−」 伊福部は巨大な怪獣の移動する様に、重厚な音楽をつけた。ここでは、そんな迫り来る怪獣たちのテーマが並び、聴く者を圧迫する。不安、そして恐怖、または驚怖である。

 「−深淵−」 世界の果てには、深淵がある。深海、宇宙の果て、事象の地平線、はたまた人の精神世界の淵。闇と光の境目。さらには時間と空間の狭間より、侵略者はこちらを覗き見る。凄い低音から高音まで、ホルンが縦横無尽。高音はまだしも、低音が凄い。さらには、トランペットも真っ青のスプラッター。その深淵の奥から、金色の猛威は現れるのだ!

 「−決戦−」 ついに、キングギドラとの戦いが始まる。この宇宙からの侵略者と戦うには、人類とゴジラは命をかけなくではならない。大宇宙もまた大自然。三菱未来館より火山の猛威も含め、人類を襲う自然の驚異に、時に挫けそうになるが、それを跳ね返す力を伊福部の音楽は与えてくれる。最後には奏者たちの足音による、ボディノックならぬフロアノックも加えて、キングギドラが再び降臨。ゴジラと対峙して幕を閉じる。

 しかし、金色の管を巻くホルンが、まさにキングギドラの首にも見えるほどの、ホルンとキングギドラのなんという親和性よ。


6/14

 ここのところ、ガチで新譜を買わなくなったので、この項も存在意義がほとんどなくなって久しい。

 それでも、年に数枚は聴くので、数か月に一度でも更新して行けたらと思う。

 というわけで定期的に良作を発表し続ける音楽同人グループ、不気味社。その昨年冬の新作、2作である。

 あはれあなおもしろ 〜バリトンによる伊福部昭歌曲集〜
 北村哲朗 Br
 下村恵子 Pf
 不気味社 男声合唱

 不気味社の演奏してみたシリーズ、今回は伊福部の歌曲である。歌曲と云っても、正規の歌曲集は録音も多い。ここでは、映画の中で歌われた秘曲とも云える歌曲を集めた。警察予備隊隊歌や、タイトルのあはれあなおもしろ、そして高名な聖なる泉、さらには釈迦から4曲も入っている。釈迦は、バレエ音楽と共に後にオーケストラ作品「交響頌偈 釈迦」に使われる原曲といえる。

 それらを、バリトンの北村、下村のピアノに合唱は不気味社で表現される。編曲は、不気味社音楽応用解析研究所所長の八尋健夫である。

 前作の、伊福部映画の中の打楽器アンサンブルもそうだが、まず発想が素晴らしい。まさに好事家というに相応しい。仕事も本気オブ本気で、相変わらずこれぞ同人活動の鑑だ。
 
 楽しい曲は重厚に、重厚な曲はより重厚に、美しい曲はもっと重厚に。ひたすら叙情的かつ重厚に。飽くことを知らず、聴くことができる。また映画を知らずとも伊福部歌曲の様々な側面を観ることができて楽しい。
 
 特に釈迦からの4曲「釈迦頌偈」「クナラの歌」「ラサッタの讃」「釈迦頌偈、合唱」は、交響頌偈との関わりが面白い。

 そしてもう1枚。自分が不気味社の中でも特にが大好きな、純音楽シリーズ。

 豪快な舞踊曲サロメ
 32のヴェールの男達

 いくら不気味社得意のシリーズとて、サロメを全部男声合唱にしてしまう発想。しかも、相変わらず再限度がとてつもなく高い(笑) 脳内補完もされるが、気がつけば自分もオオオーーと歌っている。伊福部を歌いたい。その思いの結実。歌っている不気味社と、聴いている我々の思いが同一化する。
 
 不気味社を聴いていると、知らぬ間に自分も歌っている。そして、寸分違わず 「シャガー〜!」 とか 「ぱぱぱぱー〜!」 とか 「ダダダ・ダダダダン!!」 とか入れたとき、自分の伊福部度が試されている気がするのである。

 サロメの編曲ものとして、違和感も無い上に希少性もあり、凄く楽しめる逸品に仕上がっている。


2/9

 エリシュカ/札幌交響楽団/石川祐支Vc 2013年ライヴ 
 ブラームス:第3交響曲
 ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

 ブラームスはあまり得意な作曲家ではないのだが、エリシュカのは聴ける。ドイツものだからドイツの指揮者で聴いていたが、どうにも重すぎて血圧が上がるような気がしていた。つまり不快だった。自分には、これくらい軽やかで爽やかで幽愁なほうが、合っている。

 4曲の交響曲のうち、特に3番は馴染みがなかった。最も幽愁な気がしたから。聴いていて気が滅入った。しかし、エリシュカのはどちらかというと古典的な、音楽美のみを追求して、幽愁だが気が滅入らぬ。美しさだけが、迫ってくる。かといって、耽美主義かというとそうでもなく、温かみや憤りもある。それが、直接的に来るのではなく、どこか柔らかい。これが良い。

 ドヴォルザークは自家薬籠中。ドヴォルザークの持つ旋律美、切なさ、哀愁、鄙びた景色、そして愉悦。全てがある。どこかブラームスに通じる交響曲と異なり、このチェロ協奏曲の大傑作は、ある意味後期ドヴォルザークの持つ世界の全てを表している。

 その全てを、これでもかと全面に押し出しつつ、異国情緒でも無い、ドイツ風でも無い、かといって過度に田舎趣味でも無い、ニュートラルな感情とそれに基づく表現がが表されている。

 札響首席の石川のチェロも素晴らしい。独奏としてこれだけの実力がありつつ、ふだんはオーケストラの一部と化している。だからか、これも過度に華美なソロではなく、しっとりとしてクドくなく、さらに雄弁。エリシュカの棒を分かりきっている頼もしさが憎い。

 3楽章の迫力は、もはやこれが協奏交響曲にも聴こえてくる。


1/13

 もう、毎週3連休にしたらいいと思います。

 エリシュカ/札幌交響楽団 2014年ライヴ
 ヴェーバー:魔弾の射手序曲
 モーツァルト:第38交響曲「プラハ」
 ブラームス:第2交響曲

 エリシュカのドイツオーストリアものライヴシリーズ。エリシュカも天国に旅立ってしまって、こんな名指揮者が極東で最後の最後に花開いたなんて、なんて素敵な話なんだろうとしみじみと感じ入る。

 魔弾の射手、エリシュカが得意だったのかどうかは知らないが、この軽やかさと洗練はまさにエリシュカ。それでいて、どこか鄙びている。
 
 この相反する感性は、プラハでも如何なく発揮。特に、タイトルがプラハというだけあってチェコの名匠エリシュカの愛着もひとしおだろう。実に丁寧な音作り。けして重くならず、どこまでも軽やかに。しかし、軽くはないという……。モーツァルトの神髄を聴いているようだ。モーツァルトの神髄なんか知らないけど。

 そしてブラームス。血管切れそうな演奏もブラームスらしくて良いけど、やはり、どこかブラームスらしくないこういう、透き通った演奏の方が好きかも。

 確かに、北ドイツの曇天が、ブラームスには似合うかもしれない。だが、ブラームスの天才的な地味ながら超効果的オーケストレーション、内声部の異様な執着、執拗に細かなパッセージのヴァリエーションなどを味わうには、こうした透明感が大事なのだと認識させてくれる。

 冒頭からむしろやさしい。こんな朗らかでやさしいブラームスが、果たして許されるのかw あくまでリズムのキレが良く、曖昧な部分は無い。急がず、遅れず、キチンと楽譜が音になって立ち上る。パッセージの1つ1つが丁寧で、この 「構成のバケモノ」 の交響曲の勉強にもなる。

 1楽章に続き、2、3楽章も良いが、特筆すべきは4楽章。この生き生きとしたリズム、あふれんばかりの生命感、まさにブラ2。ここが重いと、いかにブラームスとは言えブラ2ではなくなる。ベートーヴェンの運命動機への敬意かどうかは分からないが、アタマに休符を入れた執拗な後追いの主要動機の輝きよ。

 なお、4楽章のコーダ前の静かな部分で、マーラーの1番の4楽章とそっくりのテーマが一瞬、流れる。気がするのだが、関係あるのかないのか、偶然なのか、私の気のせいなのか(笑)


1/3

 アケマシテオメデトゴゼマス。令和最初のお正月。令和2年、皇紀2680年でございます。本年もよろしくお願いします。

 ここ数年は年に10回くらいしか更新できておらず、特に交響曲の項で更新リクエストがたまっており、せったくお楽しみいただいているのに申し訳なく思っております。

 ここでブチブチ云ってても状況は好転しないので、できる範囲でやってゆきます。

 というわけで、今年はエリシュカの未聴だったものをまとめて聴いてゆこうと思い、中でも特に感動し、感心し、感嘆したのがまず、ブラースの1番。

 エリシュカ/札幌交響楽団 2017ライヴ
 メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」(ヘブリディーズ)
 シューベルト:第5交響曲
 ブラームス:第1交響曲

 2枚組。エリシュカ・ラストコンサートの前の定期演奏会の模様を丸ごと収録。ライヴ録音。
 
 エリシュカの定期もけっきょく、全体の1/4くらいしか行けなかったが、前プロでは意外にあっさりというか、手を抜いてるとまでは云わないにしても、かなりサッ……と終わらせて、メインプロに全力を傾けるといった感じであった。特にコンチェルトは特別なメニュー意外は、こんなもんか、という聴後感だった。

 フィンガルの洞窟は日本だけの通称のようなもので、原題はヘブリディーズ。これは、フィンガルの洞窟のある、イギリス北部のヘブリディーズ諸島のこと。ここは他のイギリスの作曲家もインスピレーションを得ている場所で、北の海の絶景を見ることができる。描写音楽ではなく、印象音楽といったところ。日本で云えば、知床のようなものか。

 エリシュカは、派手さを追わず、しっかりと音を鳴らしてゆき、その中から大作曲家の表現したいエッセンスを描き出して行く。こういうと、無味乾燥なザッハリヒな新古典派の演奏に思うかもしれないが、表面の響きは、確かにロマン派というより透明感や楽譜通りのテンポ感を重視したそういった演奏だが、どこかふっくらとした人情味というか、ある種の緊張感の「抜け」があり、たまらない旅情が染みてくる。

 シューベルト5番、自分はほとんど聴かない曲で、まるでシューベルトらしくない(と、自分が思っている)曲。若いときの習作以外の何物でも無い、とふら思うが、これはけっこう好きな人にはたまらない魅力のある佳品でもある。1楽章からこの若々しさ!! びっくりする。音楽的には、たいしたものではない()が、2楽章アンダンテのの瑞々しさも実に良い。3楽章はメヌエットという古風さ。むしろ淡々と進むさまがちょっと恐いくらいである。トリオ辺りを聴くと、歌謡旋律がいかにもシューベルトだなあと思う。

 出来物はブラームス!! 1番ンン!! 圧倒的にして圧巻!! こんなブラ1、聴いたことない。ブラームス自体、そんなに聴かないけど……。テンシュテット、カラヤン、クレンペラーあたりもそりゃすごいけど、こんな清浄なる響きのブラームスはもはやブラームスではない!? 

 前プロとも、冒頭から音が違う。透明感があり、きれいな音なのに、ブラームス特有のブレーキとアクセルを同時に踏んでるようなギューッ、という音圧もよく出ている。1楽章が特に素晴らしい。ちょっとゆっくりめのテンポが、地獄の響きのようだ。2、3楽章はブラームスとしては短い部類で、力感は少なく楽日に進行する。4楽章の冒頭のコラールもすごい。そこから現れる、高名な主要主題の伸びやかさと瑞々しさ。たっぷりと旋律を歌いながらも構成を1ミリも外さない鋼鉄の棒。アンサンブル。コーダの盛り上がり。ブラボーというほかはない。

 




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