11/17
吉松チクルスを行った原田/東響によるシリーズの第3弾。3枚目はチェロ協奏曲。
原田慶太楼/東京交響楽団/宮田大Vc
吉松隆
チェロ協奏曲「ケンタウルス・ユニット」
4つの小さな夢の歌(Vcソロ)
ベルベット・ワルツ(Vcソロ)
吉松は交響曲作家と云われていると思うが、その実態は協奏曲作家であり、交響曲の倍近く数がある。録音も恵まれており、当作も初演コンビ以来2種類目。まだ未録音の作品もいくつかあり、今後の録音に期待する。
さて、当作は作曲家としてはちっとも再演もされず、「なんとなく失敗作だと思っていた」そうだ。じっさい、私も初演コンビの録音はかなり冗長で重たく、軽快さが売りの吉松っぽくないなあ……と感じていた。
それが、演奏というか解釈というか、ここまで印象が違うかなあ……と感じ入った。元々原田は新古典的な解釈で、交響曲第3番は私も、いくら軽快さが売りといっても軽すぎ、堅すぎるんじゃないか? と思ったが、今作はそれが良い方向に作用したように聴こえる。
とにかくフレーズさばきがキビキビ、キリキリしている。それがカッチョいい。お堅いのではなく、キリリとしていて端整だ。30分を超える長さを感じさせない。吉松が良く云う「メリーゴーラウンドのような」という、メリーゴーラウンド形式とでも云える、次々に動機が現れて幻想的に回ってゆく様を、軽やかに描く。2楽章の「琵琶っぽさ」も、偏見かもだが日本人がやるとやはりそれなりにそれっぽいw 3楽章の爽やかさは、やはり日本のオケならではだ。
どういうわけか日本のオケは欧米のオケに比べて音が軽くて、表現というより根本的な音の出し方の差なのかなと思っているが、詳細は知らない。しかし、マーラーやブルックナーは物足りないかもだが、日本人の曲をやるときにこれが実によく合う。吉松もそうで、シャンドスの作品集はとにかく重くてクドイ。響きは豪華だが、鈍重というに尽きる。胸やけするほどだ。
指揮者の岩城宏之が60年代だかにドイツで武満をやるときに、参考音源として日本の録音カセットを持って行った。お世辞にもうまい演奏ではなく、岩城は向こうのプロデューサーに聴かせるのが恥ずかしかったそうなのだが、ドイツ人たちはこれこそが武満だ、水墨画の味わいだと褒め、岩城は不思議だったそうだ。日本のオケには、そういう味わいがあるのだといい、ドイツのオケは、技術的にはうまいかもしれないが、そういう味わいを全く理解していないのだと、ドイツオケのP氏。
ちなみ岩城は帰国してその話を武満にしたら、武満は「上手な演奏が一番いい」と意味深なことを云った。皮肉なことに、武満本人は、もっと濃厚なドビュッシーみたいな音楽作りが理想だったとか。
残りの2作は、ピアノ曲(さらに原曲はギター曲)を作者自身の編作によりチェロとピアノに直したもの。
これがまた優しくて実にいいわけよ。いかにも吉松だ。これが吉松だ。たぶん、こういうのが吉松隆の本領中の本領で、永遠にこういう世界にいたいんだろうな、と思わせる。
ところで、このシリーズのかなり初期のころに演奏された交響曲第2番(4楽章版)のCDはいつ出るのか……。
11/4
このところ急激にトゥランガリラ以外のメシアン(主にオケ曲)を渇望しているが、やはりイイ。響きがイイ。
というわけで、若杉のライヴ盤で、素晴らしいのがある。
若杉弘/NHK交響楽団/木村かをりPf/原田節Om 他
メシアン作品集(収録順)
忘れられた捧げもの
教会のステンドグラスと鳥たち
かの高みの都市
我ら死者のよみがえりを待ち望む
聖体秘蹟への賛歌
キリストの昇天
天国の色彩
神の顕現の三つの小典礼
輝ける墓
なんと9曲ぶっ通しで聴ける。これらは、1996~98年にかけて行われた若杉/N響のブルックナーチクルスの際の、ブルックナーの前座としてメシアンの主な管弦楽曲を演奏し、そのメシアンのみを集めたアルバム。9曲というのは、つまり、ブルックナーの1番~9番に呼応している。なんでブルックナーとメシアンなのかというと、両者とも敬虔なカトリック教徒で、神に捧げた音楽つながり……らしい。小曲が多いので、9曲もあるのにCD1枚で聴ける。なお私が聴いたのはSACD盤である。
我ら死者~以外は、初めて聴く曲ばかり。簡単に紹介と感想を。※楽章ごとのタイトルは聖書の引用でやたらと長いので割愛
忘れられた捧げもの~交響的瞑想(1930) は初期の高名な小品で3楽章制、演奏時間は12分ほど。そもそもクラシック音楽は西洋キリスト教文化の音楽なので、ときどき怒りの日の主題だの、十字架の主題だのが現れる。ここでも第1楽章はメシアンオリジナル? の十字架の主題とそのゆったりとした展開の後、罪とタイトルのつけられた第2楽章は激しい楽想に。第3楽章は、後のトゥーランガリラも想起させる静謐な響きとなる。変化にとんだ、聴きやすい曲。解説によると、メシアンのほぼ初めてのオーケストラ曲だそうだ。
教会のステンドグラスと鳥たち~ピアノ独奏と小オーケストラのために(1986) は、後期の作品で8分ほどのピアノとオーケストラのためのコンチェルティーノ。当録音が日本初演。弦楽器抜きの、ピアノと管打楽器のみの編成。広義の吹奏楽だが、いわゆる吹奏楽編成ではない。管打合奏とでもいうべきもの。メシアンはこういう編成が得意というか、好きだった模様。かなり複雑な音響と、鳥の声のいつものピーチクパーチクを各楽器に移した妙ちくりんな音調が面白い。笑っちゃ行けないと思いつつ笑っちゃう。メシアンの指定では、15分ほどの作品らしい。
かの高みの都市~ピアノ独奏と小オーケストラのために(1987) も同様に後期の作品で、8分ほどのピアノとオーケストラのためのコンチェルティーノ。日本初演。なんとこちらも編成はピアノと管打楽器のみの。作風も似ている気がする。響きの面で違うのは、金管が抑えられていた教会~に比べ、明らかに金管が拡大されていること。あとは、一般的な耳では何が違うのか良く分からないほどだ。ピアノの独奏が、より目立っているかも。
我ら死者のよみがえりを待ち望む~木管・金管オーケストラと金属打楽器のために(1964) は中期の高名な作品で、収録も多い。25分ほどの組曲で、これまた管打楽器のみの合奏曲。広義では吹奏楽だが、いわゆる吹奏楽編成曲ではない。5曲からなる。この曲は管楽器と打楽器だけの曲で、最高傑作の1つと思う。とにかく響きと音楽的表現が圧倒的だ。こういう曲は、ストラヴィンスキーとメシアンが極めつけにうまい。なんでだろう。特に忙しい音調はなく、全体にじっくりと進み、時に不気味に迫る。とにかく、変幻自在な音響が凄まじい。
聖体秘蹟への賛歌~大オーケストラのために(1932) は17分ほど初期の作品。日本初演。メシアンの指定では12分らしい。ソナタ形式ではないが、2つの主題が現れて、発展してゆく形式。独奏楽器を持たない、純粋なオーケストラ曲。初期らしいというか、ドビュッシーっぽい一瞬も垣間見えるような、まだメシアン独自の書法の確立に至っていない時期の作品だが、その萌芽はあり、聴きごたえがある。
キリストの昇天~大オーケストラのための4つの交響的瞑想(1932-33) は初期の高名な作品。4楽章制で演奏時間は25分強。大編成のオーケストラ曲で、各楽章ごとに楽器編成が特徴的。トランペット独奏が際立つ第1楽章は、2種類の移調の限られた旋法を同時使用するという高等テクニックw 聴いている分にはなにがなんだかわからないが、静謐な説得力にうなずくものがある。第2楽章は、木管が主体で穏やかな音調。第3楽章はまたトランペット群による重要な主題そしてシンバル。シンバルのアレルヤ。第4楽章は静謐と信仰を極めたような祈りの音楽。すばらしい。
天国の色彩~ピアノ独奏、3本のクラリネット、3台の木琴、金管オーケストラと金属打楽器のために(1963) は18分ほどの中期のピアノコンチェルティーノ。1楽章制。これも、編成を見てわかる通り広義の吹奏楽だが、ちょっと特殊な響きに彩られる。3台の木琴というのがなんというか、メシアンらしい。ホントに、そんなに必要なのかいな……。これがまた、けったいな曲なわけだ(笑) 研究者により。8つの部分に分かれる、4つの部分に分かれるなどあるが、一般聴衆には良く分からんだろう。全体に、煌びやかな色彩を味わいにとどめたい。
神の顕現の三つの小典礼~ピアノ独奏、オンド・マルトノ独奏、チェレスタ、木琴、打楽器、斉唱による女声合唱、弦楽オーケストラのために(1945) は中期のカンタータで、今アルバムでは一番演奏時間が長く、編成も豪華なのでは。歌詞もメシアンの作詞とのこと。管楽器抜きのオケというか、弦楽合奏プラス管楽器以外諸々というか。演奏時間は3楽章制で35分ほどにもなる。特に第3楽章が17分ほどと長い。合唱も旋法に厳密に従うので、メシアンの特徴が色濃く出ているし、作曲時期がトゥーランガリラと重なるので、実にクリソツな音調だ。オンド・マルトノもある。ただ、管楽器がないので、トゥーランガリラよりけばけばしくない。第2楽章の、すっきりした星々の血の喜び感がなんとも(笑) 最も長大な3楽章は、いくつかの緩急の部分に明確に分かれていて、ABA'の3部形式。後半は、OMがひょんひょんと飛んでいて心地よい。コーダでの静謐な祈りは、メシアンの面目躍如か。
輝ける墓~大オーケストラのために(1931) は最初期のオケ作品で演奏時間は18分ほど。2楽章制というか、2部制というか。4分半ほどの激しく短い第1部と、13分以上の静謐と動乱、また静謐という静と動に明確に分かれた長い第2部からなる。諸事情により、初演後はしまいこまれ、メシアン生前には再演されなかったという。忘れられた~の翌年の曲だけあり無国籍ながら当時のヨーロッパの主流だった響きを忠実に我がものとしている若きメシアンの腕が味わえる良品。
この他にもすでに彼方の閃光などは聴いているが、ここまで聴いて、特にイイのが彼方の閃光、世の終わりのための四重奏曲、キリストの昇天、我ら死者の蘇りを待ち望む、七つの俳諧。
ここいらは学生時代にいちどハマりかけたんだけど、けっきょくチンプンカンプンで終わった。30年ぶりに聴いて、かなり面白さが分かるようになった気がする。
次はクロノクロミー、峡谷から鳥たちへ、イエス・キリストの変容あたりを狙いたい。
10/13
なんか、ずいぶんと久しぶりにマーラーの新譜を聴いたような気がする。
ジャン・マルティノン/フランス国立放送管弦楽団 L1970
マーラー:第10交響曲(クック版)
フランスの指揮者やオケのマーラーはあんまり無いのが実情だが、これは珍しいのではないか。しかも、クック版だ。さらに、1970年の演奏なので、珍しいクック第2稿(1964)ではなかろうか。
クック版の変遷は以下の通り
第1稿 1960年
第2稿 1964年
第3稿 1972年1976年出版
第3稿第2版 1975年1989年出版
発売されているクック版の録音のほとんどが第3稿か第3稿改訂版で、これが第2稿ならけっこうレア盤なのかもしれん。と思ってググったら、発売情報には何も書いてなかったけど、他のクック版のCDの発売情報に第2稿の演奏指揮者にマルティノンとあったので、第2稿っぽい。
さておき、クック版は、第1楽章以外ほとんど草稿(4段簡易オケ状態)だったマーラーのバラバラの楽譜を、あくまで「演奏できるようにしてみた」版であり、必要最低限のオーケストレーションにとどまっている。そのため、クック版の実演に接したことのある人は、他のマーラー曲と比べて、異様に編成が小さいのに驚かれたことだろう。
ま、小さいと言っても管楽器は4本あるし、その意味では4管編成なのだが……。クック版を下敷きにし、さらに金管や打楽器を加えた独自の版が出回る素地を残している。
ただ、そこまでゆくとマーラーのエッセンスは薄れ、むしろ編曲者の色が濃く出てくる。そのため、むしろ薄いクック版は偉大で重要なのである。
マルティノンの指揮は、かなり新古典的解釈の部類に入るだろう。まず速い。タメがあまり無い。ねっとり、こってり、じわじわした感情の吐露の極であるマーラーが好きな人は、あっさりかつセカセカ進みすぎて物足りないと思う。特に1楽章はなんというか……もうちょっとこう、情感というか、歌いこみが欲しい。
しかし、中間部の3つの楽章の切迫感が逆に素晴らしいし、終楽章のアレグロ部の流れるような進行も凄い。白眉は、その終楽章だろう。けっこう楽想がコロコロ変わって、9番の究極の音世界から明らかに新世界に飛翔しているマーラーの10番の、面白さを充分に引き出していると思う。大地の歌~9番と来た独特のマーラー宇宙の極は、10番の第1楽章で終わっている。
巨大なA音の後もセカセカ進み、ラストのむせび泣きも感情が入らず、あくまで純音楽的表現。だが、それがいい。それもいい。
9/18
やってまいりました、夏の不気味社。今回は特に我輩好みの純音楽で、しかも大物がドカンと2枚。と、+アルファ。
たまりませぬなあ、ゲフッゲフッ。
コントラバスの咆哮 ~日本組曲とゴジラ~
河原田潤とウィアードコントラバス絃樂団
伊福部昭 編曲:八尋健生
日本組曲(1933/91)/コントラバス合奏編
ゴジラ(1954)より/コントラバス合奏編
・平和への祈り(PS)
・主題(M1)
・呉爾羅神楽(M6)
・嵐の大戸島(M10)
・調査隊出発(M11)
・水爆大怪獣の猛威(M14)
・水中酸素破壊剤(M20)
・東京湾へ(M21)
・海底下のゴジラ(M22)
・平和のの祈り~終幕(M23)
でました、不気味社の楽器シリーズ。ななな、なんと今回は絃バス合奏団!!!!
ホルン合奏で伊福部も大概ヤヴェエと思ったが、今回はその上を行ってきた。コントラバス合奏である。
曲は、定番の日本組曲と、音応解所長八尋健生氏独自編のゴジラ組曲。
日本組曲は既に作者の手により絃楽合奏になっているので、違和感はないと想像できるが、それにしたって絃バスのみとは……! 恐れ入り谷の鬼子母神である。
それはそうと、開始から轟轟たる嵐のような盆踊が凄まじい! 絃バスだけで、このように重層的な響きと、明確な音の粒が際立つものだろうか? もっと高名な人の作曲した、例えばコントラバス協奏曲などを聴いてみても、ソロ楽器としての絃バスは、速いパッセージでどうしても音がつぶれてしまい、やはり16分音符を演奏する楽器じゃないんだなあ、としみじみ思ったものだが、ここではそれが完全に払拭され、絃バスたちの優雅な競演に参りましたと舌を巻く。加えて、低音の安定さよ!! 後半部の、トロンボーンが受け持つ5連符などは、まさにゴジラの咆哮と言える。
続く七夕、滔滔と流れる天の川の流れが、まさに黄河の濁流がごとし(笑) 絃バスでこんな高音が安定して出るんだなあという感嘆にあふれる。演怜も、旋律部は豪快に鳴り渡って、情緒的というよりただただホントに豪快。豪快乙。速くなってからも、パッセージがつぶれておらず見事というほかはない。そして最後の佞武多。遠くから迫ってくる佞武多の迫力が、ゴジラ級の巨大さ。終盤の躍動感は、とても低音楽器だけのアンサンブルとは思えぬほどで、合奏団の実力の高さがうかがえる。ブラボー!
ゴジラ組曲は、何と言っても所長の選曲がシブい。シブすぎる。平和への祈りを最初と最後に持ってきているのがこだわりだろう。そして、音楽的価値の高いセレクトと映画のキモをおさえたセレクトとが、見事に融合している。この映画と映画音楽を知り尽くした人の、真にこだわり尽くした選曲だというのが分かる。ゴジラと言えばゴジラの主題なのはもちろんだが、単にそれを中心とした組曲になりがちなところ、そうではないという強力な主張と自負が現れている見事な選曲だ。オーケストラ組曲でも、ぜひこれを採用してもらいたいほどの組曲である。
演奏は、うまいのも然ることながら、曲ごとの性格の違いというものを、同じ楽器のアンサンブルという単一で同質の響きでたいへん上手に再現しているのが唸る。大戸島の呉爾羅神楽でのボディノックも工夫だし、どんどん響きがヘテロフォニーになって不気味さを増すのが凄い。嵐の大戸島の不安感と、調査隊出発の明るい響きの差がちゃんと出ている凄い。水爆怪獣の猛威の低音は、元々低音の曲なので低音が凄い凄すぎる。低音祭である。低音萬歳だ。ピアノの低絃の余韻みたいなものまで再現されているし、凄いとしか言いようがないくらい凄い。オキシジェン・デストロイヤーの実験の際の曲は、組曲ではまず採用されない曲だろう。低音が美味しいからの採用かもしれないが、レア度や物語の核心度で言えば、流石の採用だ。そして伊福部マーチ2曲目は一瞬で終わり、もう、死に至るゴジラとなる。ゴジラの死が、人々の死と重なる荘厳な瞬間に涙する。伊福部レクイエムの真骨頂が、低音のみで歌われる迫力よ。
豪快な日本組曲 ~とリトミカとタプカーラ~
オリュンポス三十二盆踊
伊福部昭 編曲:八尋健生
日本組曲
リトミカ・オスティナータ
シンフォニア・タプカーラ
(以上男声無伴奏合唱編)
なんと、またまた驚愕、全て2024年新録音である。これまでの録音を見直し、編曲にも手を入れ、最新バージョンというわけだ。代表作3つをまとめて聴けるのもうれしい。まるで、伊福部特集の演奏会を聴いたような満足感と充実感がある。
まずは日本組曲。不気味社はなんとコントラバス合奏と含めて、一気に2種類も録音していた。凄まじい暗躍ぶりだ。全体に、歌に満ちているのが如実にわかる。いや、歌っているのだからそうなんだろうけども……旋律戦を重視し、リズムも内声も、実に生き生きと「歌って」いるのである。感情にあふれているというより、むしろここは情感に満ちていると言ったほうが良いだろう。全編にわたって躍動し、とにかく伊福部を歌う喜びにあふれている。流石不気味社、さすがオリュンポスの三十二神だ。高らかに歌われる大地の生命力と人生の讃歌は、伊福部を聴く醍醐味を思い起こさせてくれる。そして、我ら伊福部の使途は、嗚呼、伊福部を聴いていて良かった、と初心にかえるのだ。
そして、というわけで、前回の録音と聴き比べてみる。
前回録音は伊福部先生御存命時の2004年。「豪快な大戸島」に収録されている。20年前。私が知ったのは先生没後の2006年ころだから、我ながら不気味社との付き合いも長い(笑) ここでは、録音はよりデッドで、なにより勢いがある。盆踊には、掛け声まであるぞ。そして編曲もけっこう違う。リズムはより際立ち、先鋭だ。しかし音楽的かというと、より遊びの部分が大きく、八尋氏も若気の至りといったところだろう。以前は気づかなかったが、ちょっと音が割れている部分も……。フレージングというか、不気味社得意のボイパの使用もあり、旋律戦よりリズム感の強調が特徴的か。
続いて、リトミカ・オスティナータを。伊福部ファン第5号執筆に際し、かなり聴きこんだ旧録音「豪快なリトミカ・オスティナータ」も既に在庫が無いということで、今回新録となった。伊福部ファン第5号で、私は、リトミカ・オスティナータの最新録音が7年前で、しかも男声合唱版だと書いたが、それから久しぶりの新録音も不気味社で男声合唱版ということになった。凄いぜ不気味社!
ララララ……と人の口で歌っているため、流石にテンポは速すぎない。それが心地よい。ここでも、刺すような鋭いリズムの強調が抑えられ、全体に歌いこみが音楽的な表現の向上を見せている。それが生きるのが、アレグロよりむしろ緩徐部だ。この悠久の大地を吹きすさぶ風のような、人の声が大草原に響き渡るような、広大な大地に沁みいる天空の蒼さのような、歌だからこそむしろ器楽より生々しく伝わってくる。感情を揺さぶられる。日本組曲と同じく、より楽曲としてのまとまりと、音楽的な歌に立ち帰ったような名演である。そう、これは単にオーケストラ曲をクドくて珍妙で不気味な男声合唱で歌ってみた~という、いわゆる「ネタ」ものではなく、完全に正統な音楽表現の1つとして、例えばオーケストラをオルガンに編曲したような、2台のピアノに編曲したような、正統な編曲ものとして通用する音楽表現だ。ただし、残念ながら改訂前のバージョンは無い。
そしてこちらも旧録と聴き比べる。2017年以来なので、7年ぶり。まず、意外にテンポが速い。歌い方もラララ……ではなく、バババ……とかダダダ……に聴こえる。いや、ラララ……と歌っている部分もある。ように聴こえる。緩徐部は、こちらのほうが厚い響きがする気がする。テンポと、歌い方の違い以外、大きな変化は無いように聴こえるが、歌いあげは新録のほうが軍配が上がるかもしれない。この歌いあげというのは、新録の大きな特徴であろう。
最後は、シンフォニア・タプカーラだ。
こちらは、冒頭のレントから、やや速い。そしてアレグロも快速だ。様々な歌い方や、控え目のボイパが素晴らしいし、何より音応解所長八尋氏は、フレージングの処理に格段の進歩を見せており(……などと書くとえらい偉そうだが、そこは御容赦……)指揮者としてもより伊福部曲の理解を深めていると確信する。第1楽章緩徐部の格調の高さは、そこらの指揮者を軽く凌駕している。とにかく伊福部曲は緩徐部が鬼門で、構造より旋律が先に立ち、流されがちになる。それを引き締める緊張感と、何より雄々しさや気品が、伊福部を一段上に押し上げる。この合唱版がそれに成功している稀有の演奏だということは、これを聴く我々は肝に銘じておきたい。第1楽章緩徐部がそうなのだから、第2楽章はどうなってしまうのか。伊福部によると、これは夜のねむりに着く音楽であるという。私は、冬の音更の雪原のようなイメージだったが。なんにせよ、静謐を音にした感覚。それを、歌で行う難しさ。持続する伴奏が、祈りの声として心地よく響く。抒情に流されない厳しさが必要な楽章だが、緊張感のある声の持続が、それを可能にしている。第3楽章の躍動感と、地に足をつけたどっしりとしテンポ感の両立も凄い。最後の追いこみは、聴いていて血沸き肉踊り、勝手に体が動く。
シンフォニア・タプカーラは、2016年「豪快なシンフォニア・タプカーラ」以来となる。8年ぶりだ。旧録を聴きなおすと、やはりテンポが速め。1楽章中間部はしかし、対比してたっぷりと間合いを保つ。ただ、より重層的なのは新録のほうに感じる。モノフォニックというか。言い方が悪いが、少し薄っぺらく聴こえる。録音のせいかもしれないが。聲明のように響く第2楽章も新録のほうが重層的に聴こえる。気がする。第3楽章も印象としてはそうで、伴奏部が薄い声楽オーケストレーションに聴こえるが、編曲的な差は、よく分からない。テンポ的には、旧録の3楽章はたっぷりとした間を採用している。拾っている音も、レンジが広い気がするが、全体に薄い印象は変わらない。なお旧録には豪快なリトミカと同じく大澤徹訓氏の簡単な解説がある。
さらにもう1枚。
伊福部昭を演奏してみた7
2024年 エイプリルフール妄想編
オリュンポス三十二歌神
伊福部昭 編曲:八尋健生
SF交響ファンタジー ~侵略者編~2024.4.1 妄想~
Μογελα No.2,5
WAR No.7,22,33
MU No.26
DOGOLA No.4
Mashin No.4
Kaiju SS No.9.,10
KESSEN No.3
Mecha-G No.2
こちらは2024.4.1に企画された、音応解所長肝入りの選曲で妄想した、架空のSFSFシリーズ。それを、シンセと暑苦しいいつもの男声合唱で演奏してみたバージョンである。同人らしい、好きなものを好きなようにど直球で投げつけた代物。名付けて「SF交響ファンタジー 侵略者編」とのことである。
我輩はサントラは門外であるので、どれがどうとまで詳しく解説できないのだが、モゲラやムー、ドゴラ、メカ-Gなどの楽曲タイトルが確認できる。要するにそれら地球を侵略しにはるばるやってきた面々を集めた楽曲による、架空SFSFというわけだ。ドゴラのにょわわーー~~とかいう不思議音形を合唱でやる面白さ。いつものシャガー~もあるよw
8/31
最近は新譜を聴く時間がぜんぜとれず、この稿も年に数回しか更新できなくなって久しいが、それでもちびちびと更新できるときは更新してゆきたく思う。
さて、このところ私はゆっくりとメシアンを聴きなおしており、もともと好きな作曲家ではあったが、大好きと好きの中間ほどまでランクアップしてきた。
とはいえ、高名なトゥーランガリラ交響曲ではない。
トゥーランガリラでは、第5楽章「星々の血の喜び」だけが好きだが、それ以外はむしろ豊穣すぎてケバケバしく、音とリズムの殉教者みたいなメシアンらしくない。
トゥーランガリラも凄いには違いないが、メシアンの凄さは、トゥーランガリラ意外のほうが分かりやすい。最近、聴きなおして魂消たのは彼方の閃光である。それ以外にも、世の終わりのための四重奏曲や、我れ死者の復活を待ち望むなどは既にCDを有していた(武満の併録)が、それ以外をコツコツと集め始めた次第。
まず、中古盤で
ブーレーズ/クリーヴランド管弦楽団
メシアン:ミのための詩、鳥たちの目覚め、7つの俳諧
ブーレーズはメシアンの格別に優秀な生徒の1人だが、トゥーランガリラは嫌っていたという。それ以外の作品は、実に素晴らしい響きを見せる。1937年、初期の作品である歌曲集のミのための詩は、ピアノ版とオーケストラ版があり、ここではオーケストラ版。この時代のストラヴィンスキーにも似た響きで、とても聴きやすい。ブーレーズはいつも通りの、新ヴィーン楽派の作品集にも通じた明晰な指揮で、作品の音の合間に潜む神秘を抉り出している。
次が1953年の鳥たちの目覚め。実質のピアノ協奏曲だが、なんとメシアンが採譜した様々な種類の鳥の声を、そのまま楽器で演奏しているという奇妙な作品。ピアノソロも奇妙だが、オケもひたすら鳥の声という。初演の評判は、前衛過ぎて芳しくなかった模様。確かに、何の意味があるのかは不明だw だが、この曲の影響は大きかったと思うし、そもそも田園交響曲などで先例はある。が、鳥の声だけで1曲作ってしまったのは、狂気的だろう。ブーレースの指揮は冷徹で、むしろこの曲の無機質な不気味さをあぶりだしている。
7つの俳諧は、メシアンが日本滞在時に山中湖や軽井沢で採譜した鳥の声や雅楽の音色等を反映させた曲で、1962年の曲。ここから日本的な情緒を感じることのできる人は、もはや超能力者だと思うが(笑) ジャポニズム的な西洋音楽としては、かなりレベルは高い。1管と2管の中間くらいの、大きめの室内楽編成で、序奏などはポリリズムを極めており、かなり難解だが響き自体はメシアンらしく聴きやすい。第4楽章の雅楽における笙の響きや、第6楽章のやけに先鋭的なウグイスなども非常に面白い。
メシアンはほかにも主要オーケストラ作品の作品集を手配したので、そのうち更新したい。
2/12
またまた不気味社の伊福部関係を聴く。(1枚は読む)
婆羅陀魏山神 ~バリトンによる伊福部歌曲集其二~
豪快ファンタジー ゴジラVSメカゴジラ
SFSF考
この3枚。
なお、最後の1枚は音楽CDではなく、PCで再生する音応解所長のF公共ファンタジー考察であり、CD-ROMらしく不気味者の音源を再生しながら考察を読むことができるもの。
まずは1枚目。
バリトンの北村哲朗による、伊福部の映画の中の歌唱を歌曲のとして再現する規格の第2弾。「婆羅陀魏山神 ~バリトンによる伊福部歌曲集其二~」である。
収録曲は、以下の通り。不気味者のHPより
1.婆羅陀魏山神(「大怪獣バラン」M5)
2.婆羅陀魏讃(「大怪獣バラン」M1)
3.母のない子の子守唄(「わんぱく王子の大蛇退治」No.4)
4.海の魔神~復讐の歌(「鯨神」No.1,2)
5.マッコウ亭(「鯨神」PS.2)
6.刃刺し踊り壱(「鯨神」PS.3)
7.刃刺し踊り弐(「鯨神」PS.4)
8.杏花之歌(詩経から「桃夭」/「秦・始皇帝」PS.)
9.摽有梅~梅の実(詩経/「奇巌城の冒険」PS.1)
10.平和への祈り(「ゴジラ」PS)
11.千古の子守唄(「ゴジラVSメカゴジラ」M22)
12.ファロ島(「キングコング対ゴジラ」M7)
13.巨大なる魔神(「キングコング対ゴジラ」M1,8)
14.マハラモスラ(「モスラ対ゴジラ」PS.99)
※一部、特殊文字があるので、環境によってはうまく表示されていないかもしれません
前作の第1弾「あはれあなおもしろ」が、特撮以外の時代劇等の歌も多く、やや初心者にはむずかしい面もあったが、今回は特撮曲(SF交響ファンタジー(以下単に「SFSF」という。)にも通じる曲)が多く、あまりサントラに詳しくない人でも、充分に楽しめるのではないだろうか。
まず、勇壮にして格調高いバラダギ様に手を合わせる。サントラやSFSFとも異なる独特の味わいに、音応解所長である八尋氏の編曲の見事さもうなる。わんぱくの子守歌、原曲はソプラノだが、バリトンで歌われるとやたらと優しさより力強さが引き立つ。これで眠れる人は、もう立派な数寄者(すきもの)ならぬ不気味者(もの)だ。
続いて、しばし映画「鯨神」から諸曲が続く。映画は未見ながら、どこかで聴いたことのあるフレーズが聴こえてきて、伊福部節を味わえる。
「秦・始皇帝」「奇巌城の冒険」に続いて、後半はゴジラシリーズから諸曲が並ぶ。平和の祈りの、なんという荘厳さか。ここには、同じ平和を祈る旋律ながら、原曲に比べ深い精神性と藝術性が際立つ。千古の子守唄から、ファロ島の不気味さは筆舌に尽くし難い素晴らしさだ。伴奏のピアノも良い。巨大なる魔神から、いよいよマハラモスラで締められる。このマハラモスラの、まさに大自然の象徴のようなモスラの神々しさよ!
続いて、豪快ファンタジーシリーズの新作、ゴジラVSメカゴジラから音応解所長の自由な選曲によるSFSF風メドレー。
豪快ファンタジー ゴジラVSメカゴジラ (「ゴジラVSメカゴジラ」から選曲したメドレー)
M7,2,39,26,5,8,24,18,41,1,29,34,16,12EX,40,4,43
豪快ファンタジー 昭和メカニック (昭和メカニックライトモチーフから選曲したメドレー)
REVENGE OF MECHAGODZILLA M5(サイボーグ少女),M7(メカゴジラ2号)
BATTLE IN OUTER SPACE M30(戦闘ロケット製造)
KING KONG ESCAPES M4(メカニコング)
THE MYSTERIANS M5(モゲラ)
ATRAGON M26(ムウ潜航艇),M21(ムウ飛行兵器)
LATITUDE ZERO M8(黒鮫号)
YOG: MONSTER FROM SPACE M2(ヘリオス発射)
VARAN THE UNBELIEVABLE TV2(ロケット発射)
MONSTER ZERO M12(X星人円盤出現)
THE MYSTERIANS M8(ミステリアンドーム)
GHIDORA THE THREE HEADED MONSTER M13(松本市広報車)
DESTROY ALL MONSTERS M23(探検車メーサー攻撃)
GODZILLA VS. GIGAN M2(ガイガン戦)
DAGORA, THE SPACE MONSTER M14(シコルスキーH-19はつかり),M16A(蜂毒噴霧器)
(以上男声無伴奏編)
豪快ファンタジーシリーズとしては、「ゴジラVSキングギドラ」「ゴジラVSバトルモスラ」に続き、3枚目となる。平成メカゴジラの、あの独特の「どどどど」のオンパレード。重量感の極み。素晴らしいの一言。いつものマーチも入っているし、私が大好きな、「メカゴジラ全速飛行」が入っているのも、激烈にポイントが高い。ミレニアムシリーズの、飛行ユニットのついた機龍も恰好良いのだが、メカゴジラがあのまんま飛ぶというのが最高なわけである。
続いて、昭和のビックリどっきりメカ特集。と、言っても特撮映画の、だ。誤解なきよう。
それにしても、選曲のマニアックなことよ。サントラのプロフェッショナルの仕事であろう。正直言うと、私はそこまでのサントラ厨ではないので、サッパリ分からないのだが(笑) それならそれで、純粋に音楽として楽しめる。ときどき、SFSF等で知ってる曲も出てくる。「シャガー~」もあるよ。ガイガン戦の、火山の噴火感は異常()
最後は、音楽CDではなく、PCで読むSFSFに関する音応解所長八尋氏の独自の解説(原曲等とのSFSFの違い、編曲の分析、解説)であるが、不気味社のリンク音源付きなので、どの部分を解説しているのかが分かりやすい。
不気味社版「SF交響ファンタジー第1~3番」 2004~2023年の全テイク
不気味社首魁の論文満載 コンピューターオンリー(非音楽CD)
これがまた、マニアックの極みィ!!!! ちょっと、詳細すぎてちんぷんかんぷんというレベルではないのだが、それでも所長のこだわりがたっぷりと詰まっていて、読み応え1億点の、同曲に関する最高の解説であろう。
特に、原曲(サントラナンバー)と比較した微妙な編曲の妙(音や強弱記号、オーケストレーションの変更)の詳細は、研究者も顔負けであり、むしろ八尋氏こそが同曲の随一の研究者であることがよく分かる。
また、演奏譜とスコアの微妙な違い(写譜間違いと推察)の考察も外せない。どこの部分かは、ぜひ同盤を御購入のうえ、確認されたい。間違いなのだが、神のいたずらか、偶然か、その間違いが絶妙な効果を発揮し、伊福部の正しい編曲のように聴こえて、間違いのままの演奏が一部流布しているという。ちなみに、私の耳ではよく分からないのは御愛敬である
不気味社の伊福部探求は、さらなる高みに達している。
前のページ
表紙へ