3/22
ラトル/バイエルン放送響ライヴ、お次は2024年の来日演奏直前の現地での7番ライヴ。
ラトルは若いころから当時はマニアックなマーラー7番を好んで取り上げ、一家言ある。満を持しての、好きなようにやる自由な指揮ぶりである。
ラトル/バイエルン放送交響楽団(BRSO)
マーラー:交響曲第7番 2024ライヴ
1楽章冒頭からフレージングがやけにのびやかで、またマーラー特有そして7番特有の曲想の変化、テンポや楽想の変化を自家薬籠中、自在にコントロールしつつ、ダイナミックかつ繊細に音調を操ってゆく。スゴイ。
2楽章は、美しさの中にも不気味さ、なによりリズミックさを忘れない。下手な7番はこのリズムの行き来とした感じが死んじゃってる場合が多い。同じく7番で、リズムの権化みたいなベートヴェンにも通じるリズム処理がマーラーの7番にはあり、それを分かっている指揮者はリズムの扱いを消しておろそかにしない。
そして、リズムと云えばさらに不気味なスケルツォ第3楽章だ。ここをことさらおどろおどろしくやるのも面白いが、不気味なところは不気味に、コケティッシュで妖艶なところは妖艶に、きれいなところはきれいにと、意外に素直にやると面白さも際立ってくる。
4楽章は速めのテンポで、とてもチャーミング。ここを「夜曲」だからと、やたらとなんというかムード音楽のように演奏する向きもあるが、アッサリし過ぎて合わない聴衆もいるだろうくらい早歩きで進む。その心は、やはりそういった「間違ったムード」を払拭し、純粋にこの愛らしいナハトムジークの姿をさらけ出したいのだろう。とはいえ、相変わらず不気味なところは不気味だし、美しいところは美しい、大変に素直な表現であると分かる。
問題の多い終楽章、ここもラトルは素直だ。正直だ。てらいが無い。マーラーがそう書いているから、バカ騒ぎなのだ。あっぱらぱーだ。それの何が悪い。とはいえ、指揮や奏者まで本当にあっぱらぱーで演奏できる曲ではない。そこが難しい。特に金管は地獄だ。ここまで来て、金管バリバリなのは流石だ。日本のオケは、申し訳ないがこうは行かない。ヘロヘロである。しかも、テンポ変化が抜群だ。速いところは速く、ガクンと落ちるところは容赦なく落ちる。そのメリハリが、この長大な難曲を生き生きと立ち上がらせる。さらにラトルの棒はスコアを余すところなく鳴らし、このゴチャゴチャの音調に道筋をつけてマーラーの意図を明らかにする。まさにラトルはここにマーラーの使途に列したのではないか。
3/9
ラトルのマーラーはバーミンガムもベルリンフィルも個人的にはちょっとそっけなくてイマイチだったが、晩年のこのバイエルン放送響で何かふっきれたのか、集大成のような大演奏を出してきて魂消ている。手始めに6番を聴く。
ラトル/バイエルン放送交響楽団(BRSO)
マーラー:交響曲第6番 2023ライヴ
マーラー6番も概算で100枚くらいあるので、いまさら内容がどうのこうのもなく、まさに暗記するまで聴いたものをまだ聴くのかよという感じだが、この演奏はやはり何かが少し違う。これまでのラトルとも違って、妙に生々しい。指揮者は老境に限るというつもりはないが、バーミンガムの演奏ともベルリンフィルの演奏とも違う。余裕なのか、なんのしがらみも無くなった自由さなのか、とにかくリラックスしている。マーラーを演奏する楽しみというか、肩ひじ張らない奔放さというか。1楽章の豪快さは好感。
ラトルの常で第2楽章がアンダンテ。かなり慣れたが、好みとしてはやはり2楽章はスケルツォがいい。しかも、テンポはホントにアンダンテでちょっと速め。それが以前はまことに素っ気なく聴こえたものだが、フレージングが良いのか、じつに朗らかで爽やか。素晴らしい。
スケルツォもことさらにグロテスクさ、諧謔さを強調しないのは変わっていないが、やはりフレージングがより自然かつ盛り上がるものとなっている。
最高なのは終楽章だ。前半部の静かな部分の陶酔感や神秘さも良いし、アレグロに突入してからの突進も良い。なによりハンマーが重くて詰まった音で最高w
今後、7番、大地、9番と順次聴き進める。
どうでもいいが、先般クラシック音楽館で同コンビによる来日公演でマーラーの7番をやったのを見たが、やっぱりうまいのも然ることながら、さすがに終楽章まで来ても誰もへばってない。特に金管が最後までバリバリなのは唸った。別にBRSOだけじゃなく海外の一流オケはどこもそうなのだが、どうしても日本のオケはマーラーやブルックナーはエキストラだらけになるし、特に金管が終楽章でへばっちゃうのだ……。体力や体格が根本から違うからなのか?
3/1
昨年からメシアンの管弦楽曲にハマっているのだが、究極作の1つについに手をだした。
「我らの主イエス・キリストの変容」(1969)である。
演奏時間90~100分、全14楽章、100人の合唱を含む大編成オーケーストラのための作品で、メシアンのなかでも最大規模。
ケント・ナガノ/バイエルン放送響/バイエルン放送響合唱団
ジェニー・ダヴィエ:ソプラノ(ミのための詩)
メシアン:我らの主イエス・キリストの変容 ~混声合唱、7つの楽器の独奏と大オーケストラのために
メシアン:ミのための詩 ~ソプラノとオーケストラのために
メシアン:クロノクロミー ~大オーケストラのために
(CD3枚組)
昨年よりメシアンの主要作品を軒並み聴き続けてきたが、ここに究極が現れた。イエス・キリストの変容、とんでもない作品である。ちょっと驚いた。聖書のいろんな部分を歌うものだが、メシアン芸術の集大成の1つだろう。
そもそもメシアンは大曲と云えども、長い楽章で15分ほど。短いものは数分。そういった音楽の多楽章制を好む。編成も大オーケストラや特殊楽器を山ほど要求しつつ、ピアノソロやホルンソロの楽章も入れ込むし、室内楽のような楽章も平気で入っている。あらゆるジャンルの音楽の集大成といったもので、感動した。
私はキリスト教徒ではないので、内容については門外だし何を歌っているのも分からないのだが、とにかくメシアンの生み出す響きの美しさ、面白さだけでも音楽ファンとして楽しめる。
「峡谷から星たちへ…」「彼方の閃光」と合わせて、「イエス・キリストの変容」を我輩メシアン三大大曲に認定。
併録のうち、クロノクロミーは初聴。20分ほどの管弦楽曲で、リズムを含めてかなり複雑な音響を持っているが、耳障りは良い。やたらとシロフォンが活躍する印象。1961年の初演時に、賛否両論の騒動を起こし「問題作」となったというが、いまとなってはそんな過激な音響や音調には聴こえない。いつの世、どこの世界にもアンチは存在するものである。
1/2
今年の新譜は、ヨハン・デメイの交響曲第5番「Return to Middle Earth」から。
2018年の曲(2019初演)だが、デメイが新しい交響曲を書いていたのを5年以上も知らなかったわいガハハ。
この項を基本に、後で交響曲の項も更新したい。
さて副題の「Return to Middle Earth」だが、3番みたいにまた地球系の環境交響曲かな? と思いきや、交響曲第1番「指輪物語」初演30周年企画で書かれた、1番に対応する曲なのだそうだ。つまりこのミドルアースというのは、J.R.R.トールキンの指輪物語を含むシルマリルの物語、ホビットの冒険等の舞台である「中つ国」のこと。
5番は1番に戻るという意味合いを持っているので、個人的に「中つ国への帰還」と訳したい。
とはいえ、自分はシルマリルの物語を読んでないので、1番に比べていまいち内容理解に不備が残る。
デメイ:交響曲第5番「中つ国への帰還」~ソプラノ独唱、合唱とウィンド・オーケストラのための~(2018)
6楽章制、40分ほどの曲で、大規模ウィンド・オーケストラと合唱、ソプラノ独唱が入り、初演ののちすぐ日本で再演された以外は、されていないかほとんどされていない模様。記念企画だからと言って張り切りすぎると、そうなる。
各楽章の副題は、以下の通り。
第1楽章「フェアノールの宝玉(宝玉シルマリル)」
第2楽章「ルーシエン・ティヌヴィエル(小夜啼鳥)」
第3楽章「黒竜アンカラゴン」
第4楽章「アルウェン・ウンドーミル(宵の明星)」
第5楽章「怒りの戦い」
第6楽章「スリングウェシル(隠密なる影の女)」
簡単に解説すると、6つの楽章のうち、主にシルマリル物語に関連する事柄が5つ、指輪物語が1つだが、互いは綿密に関係しあっている。
フェアノールはシルマリルという3つの宝玉を作ったエルフの王。宝玉シルマリルは後に(初代)冥王モルゴスによって奪われ、その奪還のために物語の中核を担ってゆく。
ルーシエンはシルマリル物語に登場するエルフの乙女。物語後半で、人間のベレンとの愛の成就のための試練として、ベレンと共に冥王モルゴスに奪われた3つのシルマリルの奪還に挑み、うち1つを奪還する。その代わりベレンは死に、彼女も悲嘆のあまり落命するが、共に有限の命のものとして生き返って添い遂げる。ティヌヴィエル(小夜啼鳥)は別称。
黒竜アンカラゴンは、シルマリルの時代、冥王モルゴスの創造した中でも最強クラスの竜で、黒いドラゴン。怒りの戦いというシルマリル物語の佳境の戦いで猛威をふるったが破れ、冥王モルゴスの敗北が決定したという。
アルウェンは当曲中唯一、シルマリル物語の後世の話である指輪物語の登場人物。アラゴルンの妻のエルフの王女。ウンドーミルは別称で宵の明星のこと。ルーシエンの子孫で、ルーシエンは祖父の祖母に当たる。
当曲中最大の楽章である怒りの戦いは、冥王モルゴスとの最終決戦。
スリングウェシルは、冥王モルゴスの配下サウロン(指輪物語では、モルゴス亡き後の2代目の冥王)配下の吸血蝙蝠女。日本人の手にかかるとゴスロリ吸血少女になるようだが、メス吸血コウモリと人間を合わせたような外観をしたバケモノである。どうして、こいつがこの記念すべき交響曲の終楽章なのかは……サッパリわからないw
音楽を聴いてゆこう。1番の指輪物語ほどのインパクトは無いのだが、合唱や独唱のおかげか、スケール感や神秘さは5番が勝っているように聴こえる。歌詞はなんなのか、良く分からない。物語の引用なのか、デメイの作詞なのか……。
第1楽章は神秘和音と金属打楽器で始まり、ソプラノ独唱が(たぶん)シルマリルのことを歌う。合唱もすぐに加わり、シルマリルのテーマと思われる動機を執拗に繰り返すが、やがてそれは遠くへ消えてゆく。5分半ほどの曲。
第2楽章は神秘の伝説のエルフの女王。1番の第2楽章にも匹敵するが、独唱と合唱が神秘さと壮大さを増している。ルーシエンの悲しさと美しさ、そして人間と共に生きて、エルフとして初めて人間と同じ寿命で死んだ運命を表現した、6分ほどの曲。後半には、朗読のような場面もある。
第3楽章は、1番の第3楽章「ゴラム」に呼応している。最強のドラゴンを表しているにしては、少しコケティッシュなところもある、5分半ほどの曲。なんの楽器かわからないが(ソプラノサックス?)特殊奏法の甲高い声が、ドラゴンの鳴き声なのだろうか。ちょっと迫力に欠ける。中間部は、ファゴットの長いソロ。後半は勇壮な飛翔シーンか。声は入らない、器楽だけの曲。しかし、やっぱりこの猫の声みたいな高い啼き声は、最強の黒い竜のイメージにあわないなあ。
第4楽章、アラゴルンの妻でエルフの王女アルウェン。独唱が重要な役割を果たす、歌曲楽章。後半には少し合唱も入る。5分半ほど。しっとりとした音楽で、宵の明星の美しさと人間と添い遂げる覚悟を表す。
第5楽章は最大の曲で、12分にもなる。冥王モルゴスを追討する最後の戦いである。ホルンによる戦争の開始から、勇壮な進軍の様子や、打楽器合奏による軍勢の集結する様子、ホルンによる掛け合い、武器を打ち合う音、合唱による雄叫びも加わった激しい戦闘の様子が描かれる。いったん、静かになるが、次第に盛り上がってゆき、最期の戦いの幕がきって落とされる。最期は輝かしいファンファーレと歓声が鳴り響いて、エルフや人間の勝利が表される。
最終楽章である第6楽章が最も不思議な曲で、8分ほどだが、悪の盟主サウロンの手下の吸血蝙蝠女だ。しかも皮をはがれて、その皮をかぶってモルゴスのところに忍び込むのに使われるという悲惨さである。デメイがどうしてこいつを記念すべき交響曲の終楽章に持ってきたものか、誰か教えてくれください(笑) 独唱がきれいな歌をずっと歌っており、歌詞が分かれば、まだ少しは謎が解けるのだが……CDの解説にも歌詞は無かった。合唱も加わって、曲は大きく盛り上がる。常時金属打楽器がキラキラと鳴って、エルフの王女たちの楽章に負けないほど美しく展開し、まるでそのまま大団円に向かうようだが、5分ほどから急に悲しげな音調に変わる。そのまま悲愴的に盛り上がって、絶叫のようなソプラノで唐突に終わってしまうのである。実に不思議だ。
前のページ
表紙へ