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 今年の新譜は、しらばく邦人作品集。

 藤岡幸夫/東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団/東京シティ・フィル・コーア

 伊福部昭:交響頌偈“釈迦” L2025.2.14
 貴志康一:「仏陀」 L2025.2.20

 両方の曲とも、藤岡の良さとそうでもなさがよく出ていて、両曲の新しい面を良く引き出しているような気がした。

 指揮者のキャラクター的に、藤岡はコテコテの爆発演奏をしているように思えて、意外に? クールで新古典的に攻めてくる。本人の談では、釈迦の第2楽章もかなり土俗的にやったようなのだが、録音から聴こえてくるのは、伊福部的にかなり醒めた印象のものだ。

 第1楽章、もっと粘っこいフレージングで演奏されがちな主題も、美しさを前面に出してサクサク来る。スムースに進み過ぎる嫌いもあるが、逆に清浄さや軽妙さが光る。とはいえ、テンポ的に速いというでもなく、実に憎い、フレーズに合わせた進め方のようにも思える。伊福部だからと言って特段にアヤをつけたり、タメをつけたりするわけではない。最後の鐘なども、他の演奏ではもっとタメがあるように聴こえるが、インテンポで進む分、より光の差し具合が明瞭だ。

 第2楽章は降魔であり、大本の映画でも釈迦に襲いかかる悪魔の群れが印象的。合唱が現れるが、もっとどぎつい表現に聴きなれていると、いかにも軽い調子で音楽は進む。その代わり、音の移り変わりや、音調の変化が分かりやすい。クリアーな音調造りは、意外にゴチャゴチャのコテコテになりがちなこの第2楽章を、見通し良く聴かせてくれる。

 第3楽章も、壮大さとサクサク感がうまく共存している。重すぎず、重量感をひっぱりすぎない。テンポ感が優れているが、ちょっと急ぎ過ぎ(早歩きていど)と感じる聴衆もいるだろうな……とは思う。だが、これまでに聴いたことのないタイプの釈迦で、なかなか面白い。ロマン派というより、新古典派解釈の伊福部の真骨頂だろう。

 それは、貴志の仏陀に関してもそうで、この曲はやや構成感に欠けると思っているので、あまりたっぷりとフレーズをとって演奏されると、間延びしてしまう嫌いがあった。それが、うまい具合にてきぱきと進んで、実に良い。むしろそれが良い。第1楽章の、どちらかというとこってりとした東洋趣味を全開にした主題も、サッパリしてあまり後味を残さずに演奏されてゆく。展開部も劇的なドラマ感は残しつつ、流れを重視しているように感じる。あと、どうでもいいけどこの楽章の第1主題の出だしの音は、フランクの交響曲に似ていると思う。

 第2楽章はさらにゆったりとしたテンポをとりつつ、フレーズの処理は重すぎずに、軽やかな旋律美が心憎い。マヤ夫人の美しさ、高貴さ、優しさがにじみ出るようだ。第3楽章はヴィヴァーチェ(スケルツォ)の速い楽章だが、こちらはデュカスの魔法使いの弟子に似たフレーズが面白い。これは、他の録音の解説でも触れられているものだ。コミカルでありつつ、シニカルに進んでゆくが、藤岡はあまりそう云った要素を強調していないように感じる。

 第4楽章はしかし、たっぷりとフレーズを鳴らし、壮大かつ荘厳な響きを強調してゆく。中間部からラストにかけての、マーラーのような進行具合も、うまい。アダージョだが、アンダンテほどの表現に感じる。

 装丁:瀧沼亮氏提供

  






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