同じように統治を受けながら、一方はその功績にいまだ感謝を捧げ、片や「反日」に血道を上げている始末である。
 このような忘恩の民族に将来はあるのだろうか。
 (本文P98)


 祥伝社 チェ・ケイホ/日韓併合 歴史再検証 韓民族を救った「日帝36年」の真実


 またぞろここにこのような妄言本が現れて、我輩は楽しくてしょうがない。
 
 しかし、この本の「親日派のための弁明」と異なるところは、著者が1923年(大正12年)生で、2005年でなんと82歳になるおじいちゃんであるということ。つまり、現在加耶大学客員教授の崔基鎬氏は、統治中の日本で生まれて、初等教育を受け(巣鴨高校卒)たことになり、チェ氏に限らずこの年代の証言は、多分にお年寄りの思い出話的なところがあって、大抵の場合、思い出は美しいものであるので、必要以上に過去を美化する嫌いがあるが、そこは教授であり統計資料も詳細で、大学の先生としても、生き証人としても、なかなか説得力がある。北朝鮮の工作員だかなんだか知らないが、ただ単にTVの前で泣き喚くだけのおばあさんとはちょっと異なる。

  崔基鎬氏。こんな人。 

 
 話はちょっと変わるのだが、以前、日テレかどこかの番組で、中国東北部に隠れ住む、いわゆる脱北者を取材したとき、顔を隠すモザイクの向こうで、命からがら逃げてきた北朝鮮のおじいさんが、怒り心頭でこのように叫んでいた。「あそこは地獄だ! 植民地時代の方がはるかにましだった!」 わたしはその番組を見て、ものすごいショックを受け、北朝鮮などは論ずる価値もなく、韓国の植民地政策(日帝)批判などというものにも、心から不審の念を抱いたのだった。そのときから、私は韓国や中国の歴史認識に決定的に疑いの眼をもったといっても良い。彼らの云う「日帝支配下」の時代というのは、まさにこの世の地獄、韓半島中がナチスの収容所にも匹敵する人知を超えた塗炭の苦しみを味わった36年間であるらしいのだが、それよりひどい北朝鮮の政治というのは、どのようなものなのだろう? そしてそれを同胞という理由で陰ながら支援する韓国の政治とは?


 韓国人は、あるゆるメディアや教科書が日本を地獄のように表現し、自らを「三千里錦○江山」と誇るが、実体は正反対である。(本文P126 )
 
○=すいません漢字が出ません。糸偏に難しいやつ。


 このページは、前半と後半に分け、前半では本の内容をかみ砕いて紹介し、後半ではそれを検証して、現在の韓国の竹島問題や教科書問題に見られる反日主張と比較してみたい。
 
 さて、このチェ氏は、現在の韓国の主流派に云わせると、このようになるだろう。

 同じ妄言にしてみても、彼らのようなじっさいに日帝の支配をうけた者は、自分の青春時代を懐古して、それを正当化し、美化しないと、現在の自分の存在価値が無くなってしまうため、あえて韓国と民族を貶める自己弁護のための自虐的親日行為だ、と。
 
 このような論調はじっさいに韓国などで官民問わず公然と行われており、また、正調としてまかり通っているが、冷静に考えてみて、ただ自分に不都合なものを無理やり封殺するためのこじつけでしかないのは、容易に判断できるところだ。彼らの云う愛国と反日はたいへんに独善的で、恣意的で、なんというか、真の姿よりかけ離れた反日のための反日であり、60年前の「反民族的行為処罰法」をいまさら復活させて親日派という理由で政敵を抹殺することに精をあげ、日の丸を燃やし、泣き叫び、指を切って血文字の抗議文を書き焼身自殺を図ってまで反日を主張することで、どこからか利益を得ているとすら思えるほどに狂信的で徹底的である。
 
 もしくは、こんな妄言を韓国人が云うはずが無いと断定するやもしれぬ。日本人の捏造本だと。それは私にも分からないけど。
 
 チェ氏の論によると、現在の韓国のはびこる反日理論は、すべて感情的で左派的、なんの根拠もなく、歴史の表面上を舐めるばかりで、奥も見ず裏も考えず、金日成・正日政権への追従の論だと断定し、憎しみを隠さない。チェ氏は、500年にも及んだ李王朝こそがこの世の地獄であり、たとえそれを武力を持って行ったとしても、解放し朝鮮を蘇生させ、王族やヤンバン(貴族階級)に奴隷のように扱われていた民百姓を飢えと暴力より救い出した日本統治を高く評価すべきだと主張する。これはもう、まさに「妄言」に他ならない(笑)
 
 このような「乙巳五賊も真っ青」の妄言が韓国で許される筈も無いのは、先般の、高麗大学の某教授が日本の産経新聞系の雑誌に寄稿した同様の論旨が、韓国どころかそれの尻馬に乗って韓日の分断を図る北にまで利用されたうえに、ついに批判に次ぐ批判でその良心的な教授は嫌気が差し、自分の発言を撤回するにまで到ったことでも分かるだろう。教授は民主国家として、彼らにとっては過激かもしれないが、親日も反日も無く単に議論の種を蒔いただけなのに、問答無用の感情論は議論の場を与えず、ここに己の都合の悪いものには言語道断で親日のレッテルを貼り封殺する狂信的な言論社会がかいま見える。彼の主張はどこも悪くなく、日帝美化どころか、韓国への正しい憂いを帯びた真の愛国行動であり、それへ対して、特にネットを利用した卑劣で卑怯な顔も見えぬ発言の責任も問われぬ無知で愚かで傲岸不遜な阿Q的な連中が、彼を反論の機会すら与えず社会的に抹殺したのは、呆れて物も言えぬ次第であり、これをもって、韓国社会には言論の自由など存在しないのが分かる。年長者への配慮も何もあったものではなく、どこが韓国は儒教社会なのだろうか。
 
 ゆえに、この本は、日本語もペラペラの日帝支配下で日本語教育をうけた著者が、日本で出版したものだと思われる。韓国でこのようなもの、出版できるはずがない。その意味で韓国は中国に次ぐ、言論統制国家であり、悲しいかな、もはや官も民も彼らの言をまともに信じることができない。彼らがいかに日本に反省が無いと怒ろうが泣きわめこうが、少なくとも私は、彼らの言の内容もその感情も、まったく信じられない。


 チェ氏は、著者履歴を信じるならば、80を超えるおじいさんだ。本を執筆するぐらいだから矍鑠(かくしゃく)としてまだまだアタマはしっかりしているだろうが、そのすべてが、正しいことを云っているかというと、必ずしもそうではないだろう。が、人間の云うことはすべからくそういうものであり、そのことに年齢は関係ないので、彼が老年者である、という理由で物を云うのは止めておきたい。
 
 彼の論により、朝鮮の歴史の概略と、日本植民地統治の他国(主に欧米。)の植民地統治とのちがい、そして、日本統治下における朝鮮人への差別をまず勉強したい。

 
1.教科書でたぶん教えない朝鮮の歴史

 
 さて、我々は、中学や高校での歴史の授業で、「日本と深いつながりがある」というだけで韓国や中国の歴史までザッと勉強する。それはそれで良い。右派の人々が云うには、「古代日本がまだ未開な倭国だった時代に中国や韓国にこれほど優れた文明があった、というのを教え込む反日教育」ということになろうが、それはそれで事実だから良いとわたしは思う。歴史に神話も伝説も思想も必要ない。そこにあるのは冷徹な真実のみ。大事なのは、その真実(事象)から今日の我々が何を学び、今日を未来へ向かってどのように伝えてゆくか、だろう。すなわち、いま我々がのんびりと過ごしている時間とて、瞬間のうちに過去となり、それすなわち「歴史」となってゆくのだ。だから歴史は感動的で面白い。歴史とは過去ではなく、現在であり未来であるとすら、わたしは思う。
 
 うろ覚えながら、昔の朝鮮はまず三韓といった国があったように記憶する。馬韓、弁韓、あとなんだったっけ(辰韓)、といった程度だが、そのまえに半島の北には古朝鮮という大きな国があって、それがなかなか大国だったらしい。朝鮮という国号は、それへ由来するため、古朝鮮は大事なのだ。中国における漢のようなものだろう。扶桑社の例の教科書には、その古朝鮮の記述が無い、と韓国は主張するが、ハッキリ云って日本史の教科書にそこまで記述する必要は無い。だって古朝鮮は日本と関係がないのだから。

 ちなみに古朝鮮はその後、漢の武帝にやっつけられ、公孫氏を経てその支配は曹操の魏国へ受け継がれる。邪馬台国の卑弥呼を訪れる張政は、帯方郡という漢の置いた朝鮮支配部局よりやってくる。
 
 日本史に登場する最大の半島国家は、やはり百済であるのは疑う余地も無い。それぞれ古朝鮮とは別系統の三韓が新羅・百済、加耶(任那)へと発展した。

 仏教や他の優れた文化文芸はほとんどすべて百済よりもたらされたため、韓国はいまだに「日本の文化のすべては韓国が伝えた」と自慢してやまない。じっさい、大和朝廷と百済は緊密な関係を築いていたが、百済はやがて滅んでしまう。新羅という同じ朝鮮内の国が滅ぼしたのだ。
 
 さて、ここからが、歴史の裏だ。そのとき歴史が動いた級の裏話がある。
 
 この時代、古朝鮮の系統の高句麗、三韓の系統の新羅・百済があったわけだが、先般、中国が、高句麗は中国の地方政権だと主張して、韓国の怒りを買ったのは記憶に新しい。その後、興味を無くしたのか、何処からか圧力がかかったのか、そのような反中主張は、めっきり失せてしまった。

 しかし、高句麗という国は強大な国家で、最盛期には朝鮮北部より遼東半島はおろか北京のあたりまで支配して、朝鮮人というよりむしろ後の満州族(女真族)や渤海人といった人々が国を治めていたから、いまとなっては「中国の一部」と中国が主張しても、日本人から見れば、そうなのかな、とすら思える。有名な公開土王の碑文というのがこの時代のもの。

 高句麗は隋・唐の侵略をも幾度と無く撃退し、対等に戦うことのできる強国だったが、唐と連合を結んだ新羅によって挟撃に合い、やがて滅亡する。新羅はついで百済をも攻め滅ぼす。その際、百済は関係の深かった日本へ援軍を要請し、日本ははじめて半島へ出兵するが、さすがに唐には勝てず、白村江で大敗を喫する。この後、百済は王族をはじめ多数が日本へ亡命し、さらに貴重な文明を伝え、朝廷に手厚く保護され、高位を与えられる。
 
 このことは日本における古代史の常識だが、韓国においては異なる。

 百済の要請を受け同盟国を応援するべく出兵した日本軍を、日本による初の半島侵略と規定。そして新羅に滅ぼされた百済の王や貴族とその一族郎党が命からがら日本へ亡命したことを、韓国人が日本へ文明を伝えてやったと表現。
 
 アッチョンブリケ! としか云いようの無い話ではないか。
 
 新羅はその後「統一新羅」として半島初の統一国家として韓国では扱われているが、チェ氏はこう憤る。歴史に「もし」は無いが、新羅の裏切りにより高句麗が滅んでいなければ、そのまま中国を統一していたかもしれない。しかし、新羅は高句麗の広大な国土のほとんどを唐へ差し出し、大唐皇帝の属下と成り下がってしまった、と。統一新羅とは反逆者の、売国者の王朝であり、朝鮮の中国への支配を決定づけた歴史の汚点である。
 
 ところで、高句麗の遺民たちは北へ逃れ、満州へ渡り、そこの土着人を配下におき、最盛期には現在の吉林省、黒竜江省と遼寧省から北朝鮮の一部、ロシアの沿海州にまでわたる渤海王国という強大な国家を造って繁栄した。渤海王は唐の皇帝より冊封を受け、日本ともさかんに交易を行ったとのことである。渤海は残念ながら朝鮮の一部ではなく、現在では中国の配下の国のひとつということになっている。(ようするに大昔の満州ね。だから、清王朝滅亡後、元清国皇帝の帰来した満州国がたとえ日本の傀儡だとしても、戦後に、帝国を倒した中国が接収するのは、おかしな話で、朝鮮のように独立させるのが、本来だったのよ。中国は清帝国の国土をすべて継承したというのは、中国の屁理屈です。)
 
 新羅が王や貴族同士の覇権争いで弱体化すると、再び国が分裂し、やがて高麗王朝が成立。渤海も契丹に滅ぼされ、高麗に併合される。これにより、半島は完全に自分の力で統一されたが、中国北部の領土は唐のものとなる。

 この時代、高麗は高句麗の失地回復につとめたが、けっきょく果たされなかった。また文化的にも唐の優れた文化を吸収して、特に青磁の技術は素晴らしく、いまもって高麗青磁は韓国の国宝に指定されたり、たまにお宝鑑定団に出てくると、小さな香炉が千万円単位で鑑定される。
 
 ところがところが、平和な高麗は契丹や女真(後の金、そして清)の南進により弱り、南からは倭寇が突き上げる。さらにはついに元(モンゴル)の侵略をまともにうけ、元の配下(藩国)となる。しかもかの元寇で先陣と大量の造船を命じられて国力を疲弊してしまった上、元に代わった明が侵略してきたさい、その明軍を迎え撃つべき立場であった高麗王朝の右将軍だった李成桂が明について高麗を裏切り、親元派を一掃して高麗を滅亡させ、自ら王朝を建てた。国号を古朝鮮に習って朝鮮とし、李氏朝鮮の始まり。李氏朝鮮では高麗の青磁を排斥し、白磁を推奨する。

 (青磁を造るために山の木を切り尽くしてしまったので、焼くのに温度の必要な青磁を造ることができなくなったという側面もある。)

 ここでチェ氏は2度めの裏切り王朝の誕生とひどく憤る。高麗も元の配下だったが李氏朝鮮も明より冊封を受け、しかも明のおかげで王位についたものだから、その扱いはひどいものだったらしい。国王ですら、明朝の使いに臣下の礼をとらされたという。ついで、いわゆる韓国人が壬辰・丁酉倭乱といってひどく根に持つ文禄・ 慶長の役だが、朝鮮は明の援軍のおかげで日本軍を撃退した。(しかし、もともと、朝鮮侵略というが、秀吉は明国出兵のついでに半島を「通っただけ」だった。)

 李氏朝鮮の国力は、かなり疲弊したようだ。

 しかし明に取って代わった清がその弱った朝鮮をさらに侵略、朝鮮は明に続き清へまだ過酷な支配をうけることとなる。大清皇帝の使者がやってくると、朝鮮王はソウルの近郊まで出迎え、地面へ土下座して冊封の感謝を伝えたという。事大主義という、強いものにひたすら巻かれろというのは、この頃より始まった朝鮮人の悲しい習性である。
 
 その李氏朝鮮、最初は良かったのだろうが後に貴族階級が土地を独占し、民百姓より租税を搾り取り、王を筆頭に官位の売買に没頭、朱子学にのめり込み、ついには「労働とは最も卑しいこと」などというとんでもない考えにはまり込んでしまう。
 
 チェ氏によると、この李朝500年こそ人民を塗炭の苦しみに陥れた元凶であり、文禄・慶長の役の際に九鬼水軍を破り秀吉軍の補給線を断って日本軍の弱体化に務め、現在でも「救国の英雄」とまで敬われているかの李舜臣将軍とて、その功績に対する他の王宮大臣の妬みとそれによる讒言(ざんげん)によりついには没落して、死刑宣告を受け、罪人装束の白衣のまま前線へ送られてそこで戦死したという。


2.閔妃を日帝へ抵抗した悲劇の王妃としてミュージカルで鑑賞して喜んでいるような韓国ではぜったいに教えない李王朝の実体


 李氏朝鮮において、結局のところ、人口は増えず、産業も発達せず、一部の両班が多くの領民より搾取してきたというのは、どうも事実のようである。チェ氏の李朝憎しの論調にはいささか誇張もあろうが、私になりにまとめて羅列してみる。

 1ツ そもそもが反逆者の王朝である李朝においては、家臣の反逆を恐れて、橋も造らず道路も整備せず、交通網を発展させなかったため、必然、流通が発達せず、産業が育たなかった。
 
 1ツ 儒教・朱子学を奨励したは良いが、派閥・党閥を作り王宮内で果てしない党争に明け暮れたため、ますます政治を侮り、ついには「労働とはこの世で最も卑しいこと」として、搾取することに専念する、働かざるもの(両班=ヤンバン)が、働いた者の収穫物をひたすら搾取し、働かずして食うおそるべき貴族社会を造り上げた。従って、李朝500年間に、目立った人口の増加は無い。これこそ、当時の国力発展の推移を観るもっとも適切なバロメーターだと思われる。
 
 1ツ 王が進んで官位を売買し、王宮の保身のみを願って領民を省みず、賄賂を当然の権利として官吏へ定着させた。

 
 韓国史の中でも、賄賂が一掃された時期が三十六年間存在したが、人々は逆にこの時期を収賄の自由が認められなかったとして、呪詛してやまない。(本文P118)

 
 なによりチェ氏は李朝の最大の罪を、このように断定する。

 朝鮮人の心へ、強いものにはへつらい、弱いものはいじめ抜き、自分に都合の悪いものを保身のため歪曲することを「しかたがない」「当然だ」としてすませてしまう考え方(価値観)を植えつけさせ、それが現在でも脈々と受け継がれていることだ、と。
 

3.植民地支配とやらの正体

 
 北朝鮮の云うことをまともに受け取る日本人は数少ないだろうが、彼らの論旨は支離滅裂でウソばかりで出鱈目で空恐ろしいほどだ。金日成はそもそも革命家でもなんでもなく、関東軍によって満州を追われた朝鮮族馬賊の頭領がソ連へ逃げて、スターリンの走狗となり終戦後に舞い戻ったのだ。すわなち、日本があれほど投資した資産をすべて分捕った盗賊にすぎない。何歩か譲って、かつて奪われた国土を取り返しただけだ、と、云われたとしよう。(獲った朝鮮の疲弊しきった前近代的な国土を何百倍にも豊かにしたと仮定しても!) しかもそれをさらに発展させて国家国民を富ますのならまだ救われるが、まったく逆なのだから、たまたま北部に住んでいた朝鮮人には本当に同情しよう。
 
 しかも同胞という理由で、彼らに阿諛(あゆ)追従するのが、左派であり親北親中のキムデジュン・ノムヒョン政権であり、言語道断の、李氏朝鮮にも匹敵する裏切り政権だとチェ氏は憤る。

 つまり、その彼らの云う左翼的に偏った歴史認識など、語るにおこがましいというのだ。
 
 さて、まず彼らの論旨で気をつけなくてはならないのは「植民地支配=悪」という絶対的な唯悪論をもってものを云っているということだろう。従って、日本の閣僚が「植民地支配では良いこともした」などと云うことは、彼らの思うつぼであるのだ。
 
 「戦争=悪」「殺人=悪」という論旨で、日本やドイツの侵略戦争を非難し、アメリカの原爆や連合国のドレスデン爆撃をも非難し、ソ連や中国による非人道的な粛清や周辺諸国への圧政も非難するのは理に適っている。
 
 なにせ、独裁者の人殺し数ランキングでは、スターリンがダントツ1位で7000万人だか、5000万人だかという言語を絶する数。2位が毛沢東で3000万人、3位はポルポトで800万人。みな共産主義者で、虐殺を粛清という美名でおおっているにすぎない。そのうち、金日成・金正日親子が入ってくるだろう。朝鮮戦争にまぎれて数百万人を愛国という名、反共という理由で蠅のごとく虐殺したらしい。(いまでも虐殺を続けているので、累計はまだ不明。)
 
 ヒトラーも真っ青な所業である。

 全住民の2倍〜3倍近い数をたったの数日やそこらで、しかも刀と鉄砲で殺し、死体も残らぬよう焼いたという(アホか)南京の某重大事件とて、毛沢東の偉業の前には霞んで見える。

 人殺しの数を競ってもしょうがないが、人権団体がホロコーストや南京虐殺を忘れないよう活動するのはたいへんけっこうだが、ソ連や中国、共産圏の粛清という名の自国民の虐殺は、最初から知らない人も多い。秘匿されているとすら云える。南京を忘れるなという阿Qの叫びは、自分の国の建国者がかつて国共内戦で反革命派3000万人を殺したことを、当然のように知らないか、それは殺して当たり前と教育されているのだろうと思われる。台湾人が彼らと同じ主張で反日デモをしないのは、殺されたのが彼らの父祖であり、それを忘れないからであろう。

 しかも、左派の人は、どういうわけかそのことへ触れられるのを嫌がる。まさかいまさら、中国や旧ソ連へ味方しても始まるまいに。(他に何か、どこからか利益をうけているのだろうか?)
 
 私が人権派を名乗る市民派の左翼連中が大嫌いなのは、そういうダブルスタンダードを平気でして、社会正義や人道や反戦という美辞を並べ(それらはたしかに大事だが。)、何も知らない人々をいともたやすく欺き、自分らの都合の悪いことは完全に無視するからである。彼らは偽善者ばかりだ。ムカムカする。二枚舌で、云っていることがバラバラだ。無知を洗脳することこそ、農奴やその出身の労働者を洗脳して国を造り上げたレーニンやスターリンのやり方そのものなのだ。我々は、だから、自分で勉強しなくてはならない。(かといって煽情的で、何故か在日の人や被差別階級出身者で構成される、愛国の姿を嫌悪感で埋めつくす宣伝カーの人々と馴れ合えと云っているのではない。)
 
 話がずれたが、そのような共産主義者へ「事大主義」で媚びへつらっているとされるノムヒョン大統領が、いくらその口で日本の侵略主義を罵ろうとも、なんとも信用のしようがない。
 
 私は常々周囲の人にも云っていたのだが、韓国を植民地にしたというのは、間ちがっていると思う。この時点ですでに、朝鮮人に云わせれば立派な妄言であるが、本当だからしょうがない。日本は韓国を吸収合併したのであり、外部植民地にしていない。
 
 仮に、植民地と云っても、物の云い方だから、良いとしよう。では、その経営方式ではどうか。
 
 エッカートの「日本帝国の申し子」(草思社)にもあるし、最近は韓国の学者の中にも数少ないがそのような論調をしている方もいるようだが(本当のことだから、どうしようもないのだ。統計をちゃんと調べれば調べるほど、事実が見える。)日本帝国の植民地経営は、欧米型の「原料簒奪式」ではなく、まったく新しい日本型の「投資発展式」とでも云うべきもので、日本本土、台湾、朝鮮、そして満州までを日本帝国ブロック圏として、その中で原料の調達、工業製品の製造と流通、そして消費までを賄う、21世紀のEU、北米経済圏にも匹敵する大きな経済統制型流通事業だった。それへ中国大陸や南方諸国も含め、まさにチンギス・ハーンにも匹敵する超帝国を造り上げることこそ日本帝国の野望だったが、まあ、日本人にはそれほどまでのスケールの大きな大規模国家経営は、しょせんは夢のまた夢だったということだ。日本のその経済進出を恐れた欧米(特にアメリカ。)により、戦争をしかけられて、しかも行くも地獄下がるも地獄まで追い詰められて、ついに先に乗ったため、負けたいまや、全戦争責任を負わされることになっている。勝てば官軍とは良く云ったものだと思いますよ。戦争は政治経済の一種で、アメリカだってどこだって、正義のために戦ったなんて大間違い、欧米による何百年にわたるアジア侵略と簒奪により得た権益のすべてを、同じく侵略により日本帝国に奪われたから、またも侵略して奪い返しただけだ、というと、人権派の人からは「冷たい」と云われるのが常だが。

 まあ戦争論は置いておき、そのような経営方式はとうぜん、まず台湾と朝鮮から始められ、ついで満州へと渡った。日本本土の長期不景気を、外地で打破しようとする戦略を単純で失政と云うのは簡単であるが、当時の国力では、なかなか自前で解決するのも難しかったのも事実だろう。
 
 台湾に国家は無かったから、そうなのかもしれないが、朝鮮人はいまでもその「植民地支配」を、「国を奪われた」と云ってまず憎む。
 
 次に、植民地経営により、半島と台湾は莫大な投資が成され、それはすべて日本の税金だった。朝鮮と台湾は併合により「日本」となったから、「国内の発展の遅れた地域」に血税を投資してインフラを整備するのは、国家としてあたりまえ。
 
 しかし「植民地=悪」の図式に従うと、好きで投資を受けたわけではないし、そもそもそれは日本のための投資だから、朝鮮人はなんの恩恵も受けてない、という論理になる。
 
 残念ながら、併合によりめでたく大韓帝国は消滅し、韓国人は大日本帝国臣民と相成ったので、日本のための投資は朝鮮のための投資だから、そう云われても、こちらは困るだけだ。したがって、相手が「植民地=悪」の論理でいるうちは、議論にならない。つまり、お話にならないということになる。
 
 チェ氏は云う。植民地支配で、500年間いっこうに増えなかった朝鮮人の人口が、たったの36年間で倍になった。たとえ植民地経営による投資が、日本と日本人の利益のための投資だったとしても、朝鮮人民がそのおこぼれにより、これまでの李氏朝鮮による犬にも劣る生活より抜け出せて、人並みの市民生活をおくれるようになったのに、反省しろだの謝罪しろだの、迷惑だの、その云い方はなんだ、と。あくまで「おこぼれ」だから、面白くないし、屈辱的だし、二次的な恩恵だから色々と不平不満はあろうとも、まずは礼を云うのが、人としての道ではないか、と。

 
 文教部発行の国定歴史(国史)教科書の日本に対する記述には、

 「彼らの国家利益を増やすために、朝鮮を開発し、日帝の侵略政策で、民族の経済活動は大幅に萎縮し、民族産業をも、その発展が抑えられ、沈滞せざるを得なくなった」

 と、まったくでたらめな記述をしている。

 このような教え方では、卑屈な考え方を青少年に植え付けるにすぎない。われわれは併合時代以前の歴史を顧み、日本によって他力本願でありながら、近代的産業開発を学び、教育によって経済活動にも専念することができたのである。
 (P32)

 事実を曲げて、歴史を都合よく書き直すことを歪曲というが、韓国・朝鮮が記す歴史はまさにそれで、独裁権力者が自分の都合に合わせて、故意に改竄しているために、ほとんど信用するに足りない。真実は闇に葬られ、虚偽の蛆が湧くようだ。

 権力者たちの恣意に迎合して作られた「国定教科書歴史編」が、この傾向をさらに強めている。

 そのもっとも顕著な例は、李朝五〇〇年末期の政治紊乱に蓋をして、公然たる売官買職が横行し貪官汚吏が跳梁した事実をまったく教えず、日韓併合がなければ、李朝は立派な国家として独り立ちできたかのような書き方をしているところに表れている。これこそ、実体を知らない歴史観である。(P49)


 後半では、北朝鮮は論外なので、中国と韓国で現在行われている「反日」とはなんなのかを、考えましょう。(どうでもいいが北朝鮮は蔑称で、朝鮮民主主義人民共和国と云え、という人がたまにいるけども、蔑称ではなく略称なんだからどうでもいいじゃん。じゃあイギリスは北部アイルランド及びグレートブリテン連合王国といちいち云うのか? 英語のUKだって日本じゃマイナーだし、DPPKといったってふつうはどこか分からないでしょ。ドイツ語読みじゃデーパーパーカーだから、マヌケで面白いかもしれないけど。)
 
 中国人の現実主義というものは日本人のそれをはるかに超え、欧米人も真っ青であるだろう。
 
 特に政治家など、彼らの口から出ることばを、まともに信じてはならない。それへ踊らされた大衆も同様だろう。いかに言論をもって敵を倒すかという学問が、日本の弥生時代からあった国なのだから。恐れ入るほかは無い。
 
 さて、中国の昨今の行き過ぎた反日行動というのは、其処此処で冷静な分析が成されているので、いまさら私が述べてもしようがないが、以下のようにまとめることができる。
 
 行き詰まった共産主義を打破するため、市場主義を取り入れたは良いが、貧富の差が生じるのは当然。その不満を共産党にぶつけられてはかなわないし、市民も、おおっぴらにぶつけるわけにはゆかない。(公安につかまっちまう。)
 
 それで江沢民が考えたのが、日本を敵視して不満を日本へぶつけるというアイデア。

 日本の侵略を極端に誇張して教育し、中国の偉大さを誇張。

 それは功を奏し、人々は何か不満・鬱憤があると連れ立ってデモをし、シュプレヒコールをあげて、フラストレーションを解消するのだが………。

 昨今は、ちょうど80〜90年代の最盛期に反日教育を受けた世代がちょうど20歳前後に到り、大学生とかになって、ネットとかを活用し、調子こいているということだそうです。行き過ぎたこういう行為はけして将来的に概して親中的な日本人も敵に回しかねないので、政府の方も徐々に抑えてきているようですが、なにせ、そもそもが共産政府への不満のハケ口を他に求めるのが目的なので、痛し痒しなようです。
 
 日本としては、いたずらにあんなアホで無知で傲慢で傲岸で目先の小遣いのことしか考えていないような阿Qどもへいちいち対応せずに、もっと親日的な人々を増やして、利用して行くのが良いかと思います。なにせ、日本語の検定試験に北京で何百人も列を作って並び、日本中に続々と中国人留学生や、労働者がやってきていますので。本当に日本が嫌いなら、来ないでしょう。あの反日行為は、中国人の総意では無いと思いたいですね。

 なんてったって、彼らが懸命に不買運動する日本製品は、ほとんど全部メイドインチャイナなのに!! 連中の頭の中は大丈夫なのか!?
 
 さておき、韓国人はどうだろう。 

 ノムヒョン大統領が歴史認識で人道を語るのは、チェ氏には本当に面白くないようで、人道を知らぬ者が人道を騙り、このような大統領を選び、支持するようでは韓民族は遠からず滅亡すると息巻いている。
 
 何せ韓国政府というのは、常に事大主義、自国民を侮り、抑圧すること李朝に負けぬという。昨今は中国へも媚びへつらい、挙げ句には北朝鮮にまで同胞という理由でおもねっているとチェ氏。
 
 チェ氏による、韓国政府のおそるべき事大主義をかいま見てみよう。
 
 まず拉致被害者においては、日本人は認定された十数人のために政府が真っ先に動いているのに、朝鮮戦争時から数えて何万人という民間人、軍属が拉致されているはずの韓国では、逆に拉致家族を共産政府への協力者とみなし、差別。残された家族は徹底的な差別や批判、そして政府の監視に置かれ、地獄の生活を続けている。
 
 さらに脱北者を支援するNGOのメンバーが中国で拘束された際、日本人は20日程度で釈放されたが、韓国人は9か月もそのままだった。
 しかも拘禁所での待遇は劣悪的で、韓国人は感染症に苦しんだが、たまたま日本人と同じ部屋に入れられた韓国人は、日本総領事の素早い対応で、日本人といっしょに出ることができた。

 
 「山田氏は日本領事から『日本政府で最善を尽くすから、拘留中、健康を守るように』と言われた。一方、韓国領事はわれわれに『おそらく長引くだろう。この事件が中国の法に違反したことを知っているか、処罰される用意はできているか』と言った」(P121)
    
 自国民虐待は、李朝以来、朝鮮半島に勢力を張る両班の特徴である。(P119)
 
 例のシルミド部隊にかぎらず、旧北朝鮮工作員の生き残りへの冷たい態度は昨今になってようやく是正され始めているようだが、日本人旅行者が中国で暴力団に誘拐されたとき、日本政府は総力をあげ、身代金の要求が来た当日に犯人を逮捕したが、とある韓国人旅行者が誘拐されたとき、総領事は何もせず、家族が独自に身代金を払って解放された被害者を救出にもゆかず、警察も何もせず、結局彼は拷問された身体で自力で空港にたどり着き、命からがら飛行機に乗った。
 

 国家とは、人民・領土・主権の三要素から成立する。李朝時代から韓国・朝鮮には、「人権・人民」は言葉の上では存在するが、不法の権力が今日まで続いており、したがって有名無実だ。是正しようにも、日本から学ぼうともしない今日、是正はありえない。日本から学ばないどころか、今になって六〇年前の「反日法」を持ち出してきて「親日派」の迫害を強めている始末である。(P126)
 
 日本人は幸せである。(同)


 さらに先般、キムデジュン大統領が15億ドルという秘密資金を現代グループを通して北朝鮮へ流していたことが判明し、現代のグループ総帥が飛び下り自殺したが、大統領は罪を免れた。
 その資金は韓国人の血税であり、しかも、北朝鮮では何に使われたかなどということは想像するまでもない。けして人民の飢えをしのぐ為ではない。

 韓国の拉致被害者には冷たくあしらい、反日・反米で無知な学生を煽動し、ローソク集会で星条旗を燃やし、竹島問題で日の丸を燃やさせている。
 
 このように韓国の大統領や政府高官は北や中国のごきげんとりに終始しているが、いざ、韓国が北の政権に奪取されたとき、真っ先に粛清されるのは自分たちだということを知っているのかどうか、チェ氏の心配はつきない。

 さて、現在の韓国大統領の云う「反日」は、多分に北朝鮮の主張を借りるばかりで、非常に危険である。韓国の首領は北を向くばかりで、自国民を見ない。日本の侵略史を勉強し直すのはけっこうだが、侵略の結果何がどうなったかを客観的に観て評価するべき部分は評価してほしいものだが、どうせ無駄な期待だろう。
  
 さらに、アジアのバランサーだかを表明して、より一層日米より離れて北中に接近を見せている韓国の、明日はどっちなのだろう。旧ソ連・中国の現代史を観ても、共産主義というものは、敵の敵は敵、味方ですら明日は敵という連中なのに。政府としては、彼らと手を取り合い、「同志」と呼び合って、何も良いことは無い。せめて、対等につかず離れず商売を続けるだけだろう。中国、ベトナム等とは、民間交流としては、友人となるのに、やぶさかではないだろう。


 最後に、韓国・朝鮮人の特異な習性として、キムワンソプ氏もチェケイホ氏も指摘していることがある。これはもはや悪癖というべきもので、この単語が出てきたら、私はまともに思考する気になれなくなる。
      
 それはここにも何度も出てきている「妄言」ということば。
 
 韓国語でなんと発音するかは知らないのだが、日本人が何かというと「妄言」の一点張りなのは、どういうわけなのか?
 
 彼らは自分の都合の悪いものは全て「妄言」と言い捨て、斬り捨てて、そこで議論を寸断させてしまう。日本が何を云おうとも「妄言」。「あ」と云おうとも「妄言」。「い」と云おうとも「妄言」。「う」と云おうとも「妄言」。なんでもカンデモ「妄言」と言い切ってしまう。
 
 だから、次が無い。韓国人同士でも、お互いが妄言だ妄言だの言い合いに終始する。
 
 一度、彼らと「妄言禁止」で討論してみたいところだ。
 
 30秒と持たないだろうけど(笑)
 
 したがって、申し訳ないが、「妄言」がひと言でも出ている朝鮮日報や中央日報の記事や論説を、まともに読んだことは無い。彼らは論理的に行き詰まると、妄言という単語に逃げている。それで自己満足して、勝ち誇っている。単純で感情的な、残念な習慣といえるだろう。

 
 このような政治状況下で、朝鮮の自主的な近代化が充分可能であったものを、あたかも日本がそれを妨害したかのように書かれた韓国の国定歴史教科書は、「妄言」もはなはだしいといわねばならない。韓国のメディアは、いまでもちょくちょく日本の政治家の発言をとりあげて「妄言」とはやしたてるが、己を省みるべきである。(P58−59)


 ついでに、韓国の高速ネット社会を象徴する「ネチズン」の存在を挙げたい。私は韓国メディアによく登場するネチズンという単語の意味がずっと分からなかったが、ネット+シチズンの造語で、ネット市民という意味。しかし弊害が多分にある。韓国では彼らの発言権がたいそう大きいらしく、メディアはおろか、政府ですらかれらの意見を尊重する風潮が既にある。
 
 だが、彼らは顔も見えぬ、住所不定、性別も不詳、職業不詳、年齢不詳、その意見の根拠すら示さず、無責任の言いたい放題、無礼千万で、ネットならば何を云っても許されると思っている。ネットや、BBS やチャットや、それらを否定しているのではないので、念のため。そうだったら、HPはおろか、インターネットそのものをやってません。インターネットは本当に素晴らしい情報伝達の手段です。
 
 しかし、全面的に信じられるかというと、断じて否! 特に掲示板は、私はネタ元や連絡板、おしゃべりの場として以外の価値を認めない。まして、政府やメディアが、単なる掲示板の意見に左右されるなど、あってはならない。将来的に、ネット意見というものが現在の新聞やTVの調査並に社会的地位を獲得するのならば、それはそれで分からないけれど、現段階では、それはあり得ない。ネット意見はけして世論にはなり得ない。
 
 それが平然と行われるのが韓国社会だ。歪んで、狂っている。いくら公平な立場で議論をしようと思っても、ネチズンとやらのお気に入りにならなければ、妄言の大合唱、あっと言う間に社会的に封殺される。韓国社会のネチズンとやらの大多数は、思い上がり、頭に乗っていて、世界が自分を中心に回っている。しかもそれが市民権を得ている。そんな社会は、異常だ。
 
 さらに妄言ついでに、韓国では日本にちょっでも味方したり日本贔屓になると、「親日派」だとレッテルを貼られて差別される。可哀相に。


 結論

 私は、たとえ「侵略」の定義が曖昧だろうとも、日本の侵略を美化するつもりも無いし、正当化するつもりも無い。

 だが、日本の軍隊が学校を造ってくれた、と懐かしがるボルネオのおじいさんがいたのも忘れない。彼らは日本が侵略するまでは奴隷だった。フィンランドのように、地球の裏側の国だったら、日本の侵略とやらも、いまだに語り種なのだろうが。 

 韓国の新聞をよく読んでいると、暇さえあれば日本の妄言を叩き、日本の右翼化を心配しているが、私は彼らがついぞ北朝鮮の傀儡政権なのではないかといつも心配している。彼らはとっくに騙されているようだ。日本の左派的知識人を日本で数少ない良心的義人と持ち上げ、右派的知識人を極右妄言のひと言で全否定する、韓国のメディア、政府とそれへ迎合する大衆、特にネチズンと呼ばれる無知蒙昧で小阿Qな人々の極端化、左翼化を、私は心配する。
 
 いまさら日本が再び再軍備し、アジア中を侵略(笑)したところで、なんのメリットがあるのだろう? 日本人は何の武器も持たず、右の頬を叩かれたら左の頬を出すような聖人となれというのだろうか? バカな。日本人は戦わずして勝つ、天地とひとつ、不殺の剣を究める武士道のある国だ。バカにするな。真の達人は無手でも勝てるのだろうが。
 
 その二枚舌で、あるわけが無い事を心配し、己の都合の良いことのみを云いつつ自分らは後ろ手に武器をもつ。反日デモをしている暇があったら、韓国はベトナム戦争の反省と謝罪をし、中国は国共内戦や朝鮮戦争、チベットや東トルキスタン侵攻の反省と謝罪をすれば、私などは眼からウロコがボロボロと落ち、彼らを真に尊敬するのだが。 




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