火祭の誓い


 数少ない(2つしかない)分類1のひとつ。

 いま掲載された雑誌がどっかいってしまって、何号かは忘れましたがたぶん97年6月号あたりのスニーカー。

 第13回小説コンテストの金賞です。
 
 なんでこんなディープな作品を書いたかは忘れた。あとから聞きましたが編集室でももめにもめて、なんとか金賞がきまったそうです。

 被差別階級に対する北海道人と本州人の意識のちがいをそれなりに痛感した小説。
 
 そんな、社会風刺のつもりはまったく無かったんですけどね。差別問題よりは貧困問題のほうに比重をおいたつもりでしたが。ただ、厳しい環境に生きる人々にとっては、ごく自然発生的に生まれる差別なのかな、と。その差別に負けない「なにか」を生きる希望とできるものが勝ち組に回るのも当然なのでは?

 というか勝手に公開していいのかな? いちおう雑誌掲載作品なんで。(問題あったらご指摘ください)  


 少年がいた。
 少年は、身体が小さかった。力も弱かった。農作業の手伝いをさせてもらえず、妹や姉にまじって家の家事雑用をやっていた。
 少年はいつも独りぼっちだった。戦ゴッコにも当然まぜてもらえない。年下にすら、相手にされない。
 辺境のこの村では、少年のような「小さい者」は、いてもいなくてもどうでもよい存在だった。
 「小さい者」は、なにも少年だけにかぎったことではなかった。大人も含めて、村には何人か、いた。
 しかし、「小さい者」は、けして「村人」ではなかった。正確には「村の運営に携わることのできる大人」だが、とにかく「小さい者」は、あくまで「小さい者」であり、父系社会による村落共同体から完全に脱落した、「社会の落伍者」であった。
 しかし、かれらとて、なにもすき好んで身体が小さいわけではない。ただ、大きくなるのが人より少し遅いだけだった。
 だがその時点で、かれらには充分な食料がまわることは断じてなかった。いつ大きくなるかしれない子より、与えれば与えるほど大きくなる子が、重宝される。それはつまり、
村では女性も子供も重要な労働力であるからだ。
 「小さい者」は、運命という重い足枷をつけて生まれてしまった、きびしい現実と古来よりの習慣の、哀れなる犠牲者であった。
                    
 村はずれで薬屋を営んでいるヤン ホァンルーも、「小さい者」の一人だった。もっとも、ヤンの作る薬はよく効いて、店は繁盛していた。
 しかし、それとこれとは別の問題で、やはりヤンは「小さい者」であり、村の運営にはいっさい携わることを許されていなかった。
 ヤンは、春から秋にかけては、毎日森にでかけ、薬草薬石を採るのを日課としていた。
 ふとした理由で家を出された少年が、とぼとぼと森を歩いていたおりに、ヤンを見かけたことも、まったくの偶然であった。しかし、その際にヤンが薬草の採取ではなくて「ある事」をしていたのは、偶然ではなかったと、言わざるをえない。
                    
 この村では、年に数度、重要な祭りが執り行われる。その中で正月祭と共に一年のうちで最も重要な祭りが、神無の月の「火祭り」である。
 この月は、ちょうど米の収穫期にあたる。つまり、火祭りとは収穫祭だ。稲藁で作った巨大な龍に火をかけ、その年の豊作を神に感謝し、次の年の豊穣を祈願する。
 その祭りの運営に係わるということは、村の構成員としての重要な責務であり、誇りである。
 しかるに、「小さい者」には、なんの役割も与えられることはない。
 言うまでもなく、祭りは、「参加して」初めてその意味を成す。人々が共通の目的のために一丸となって協力し、精神の同調をはかることで、村落としての共同体をより強固なものとする。
 それを外から見物するというのは、「村人ではない」という証に他ならない。
 物語は、その火祭りを中心に進む。
                    
        ※
                    
 少年は、火祭りを「見物する」のは、今年で十三回目だった。もちろん、一番下の、今年四つになる弟を除いて、少年の家で祭りに参加しないのは彼だけである。つまり、彼は十三にもなって、いまだ四つの子供と同様に扱われているのだ。
 厄介者以外の何者でもない。
 少年は、家族にもとっくに見放されていた。あたえられる食事も、お情け程度だ。番犬のシャオシャオのほうが、まだ良いものを食べている。
 少年は、何のために生きているのか、分からなくなっていた。そういう事を考えることのできる歳になっていたのだ。また、そういう事を考えることができるだけの頭を持っていたということも、付け加えておかなくてはならない。
 少年はある日、あらためて、村の他の「小さい者」たちをよく観察してみた。
 四十路にもなって、少年と同じく寄生虫のようにただ家に住みこんでいるもの。村から出ていったはいいが生きる術がなく、戻ってきて、乞食として家々のゴミを集めて生活しているもの。家畜の世話人として奴隷のように家族に仕えているもの……。
 また、先日に数名ほど、自殺をした。
 もっとも、小さい者の自殺など、家で飼っている鶏が山猫に捕られたことより些細なことだ。
 こうして見ると、少年の脳裏に、村はずれの薬屋のヤンの存在が大きく浮かび上がってきたのも、ごく自然なことだ。なにせ、ヤンは「小さい者」たちの中で唯一、りっぱに自立しているからである。
 少年は、ヤンに弟子入りを求めた。薬売りとして。
 しかし、断られた。
 「家に他人を入れるつもりはない」
 と、いうのが理由だった。
 それならば、通いでもかまわないと少年はいった。どうせ、家では誰も相手にしてくれない。たとえこのままのたれ死んだとしても、葬式すら出してもらえないであろう。
 少年は、十日のあいだ、通いつづけた。そしてようやく、薬棚の整理の仕事をもらったのだった。
                    
 その年の火祭りは、つつがなく執り行われた。祭りの最後に、人々は、火龍に誓いをたてる。火龍にたてられた純粋なる「誓い」は必ず成就すると、伝えられている。
 少年は、満点の星空にごうごうと音をたてて昇る火龍を、その小さな瞳に映しながら、涙を流した。
 くやしかった。
 身体が小さいだけという理由で、祭りに参加できない。村人扱いされない。家族にも見放され、友人とてできない。
 たった独りぼっちの人生。
 その火龍は、村のこの悪習と、悪習の意味するところの「余分な人間を養う余裕などまったくない」という、あまりの貧しさの象徴だった。
 少年は、いつの日か、その貧しさと因縁ある習慣とを、自らの手で打ち破ることを、ひっそりと火龍に「誓った」。
                    
        ※

                    
 それから一年がすぎた。
 少年は、ヤンの家に住みこむことを許された。仕事も、薬草の調合を任されるにまで至った。
 しかし、ヤンは、少年が薬草、薬石の採取に山に共に行くことを、けっして許さなかった。
 少年はその訳をうすうす感じていた。幼き日に、山で見たヤン。ヤンは、木を組んで作った人型にむかって、手足を打ちつけていた。それは、明らかに「武術」の訓練であった。武術は技を他人に盗まれないよう、秘密のうちに特訓をするのが常識だったからだ。
 「ヤンが武術士」
 その事実は、当然のごとく、少年をのぞいて、村に住む者の誰もが知らない事実であった。当の少年ですら、うんと昔に一回しか目撃していないのもあって、心底信じているわけでもない。しかしたとえ真実ではないにしろ、少年には大きな励みだった。自立しているだけではなく、人知れない武術の達人。
 少年は、自分の生きる道を見つけた。
                    
 今年もまた火祭りの季節がやってきた。 今年は例年になく豊作で、少年がいままで見てきた祭りの中でも最大規模のものが催されるのには間違いはなかった。
 少年は、ヤンが留守の時には店に立つことを許されていた。少年には話術の才能があり、店はますます繁盛した。小さい者ながら、村人と対等の立場を築くことに成功した。些少ながら、財産もたまりかけてきた。
 そんなある日、少年が私用で町にでかけたさい、途中で賊に襲われるという事件がおきた。賊は覆面をしていたが、少年には正体はわかっていた。村の若衆会のうちの数人だった。声や仕種でわかった。
 多勢に無勢。しかも少年と賊たちは、頭ひとつ以上背が違う。薬を調合する毎日の少年と、農作業の毎日の村の若者。
 喧嘩をしてどちらが勝つか、自明の理とはこのことだった。
 少年はメタメタに殴られ、金を奪われた。しかし、村に訴訟を起こす権利は少年にはなかった。なぜなら、少年は「小さい者」であったからだ。
 仕方なく少年はヤンにこの事を訴えた。しかし、ヤンは「そうか」と、ひとこと言っただけで、早々に床に入ってしまった。
 少年は、うまれてこのかた、これ以上の屈辱を感じたことはなかった。
                    
 事件の後も、店は相変わらず繁盛していた。隣村からわざわざ薬を買いに来る者もいた。村では、異例の事だが、ヤンと少年の二人を村の運営に参加させよう……つまり「村人」として迎えよう、という話もでてきた。
 「『小さい者』とはいえ、あれだけ村に貢献しているんだ」と、いうのが理由であり、そしてそれは誰の目からみても当然の計らいであった。
 しかし、そのことに猛反対した者もいた。村の保守的な長老の一部と、少年を襲った数人の若者だ。
 若者たちは、少年が村に強盗の訴えを起こすのを、恐れたのである。
 この件は、とりあえず今年の火祭りの後に再度話し合われることになった。
                    
 その年の火祭りは、それは豪華なものであった。振る舞い酒や料理の数も、例年にないものだった。そしてなんと、少年とヤンの二人にも、特別にその料理と酒が振る舞われたのだった。
 これは、本当に、村が始まって以来の出来事であるに違いなかった。いつもは無愛想なヤンも、その日はさすがに機嫌がよかった。店のお得意の人達を相手に、よく話した。
 そしてさらに、少年に恋の告白をした者が現れた。それは当然「小さい者」ではない、普通の少女であった。
 古来、「小さい者」が所帯をもったことなど無いし、ましてそんなことを考えたことすらなかったから、少年は心底驚いた。
 男も女も、「小さい者」は「村人」ではない。「村人」ではない者が、どうして「結婚」という村の行事に参加することができよう。それより、村の寄生虫のごとき「小さい者」が、どうやって家族を養うというのか。
 しかし、少年は違う。仕事をもっている。金を稼ぐことができる。所帯をもって、何をはばかることがあろう。
 二人は、火祭りの夜に出会い、結ばれ、将来を誓った。
 ところが、数日の後、そんな少年の前に、再びあの若者たちが、今度は素顔で現れた。
 その若者たちの内の一人が、少年に告白した少女に心を奪われていたからだ。
 「殺してやる」
 若者たちは手に武器をもっていた。
 少年は震えた。その少年の前に、少女が立ちはだかった。
 「どけ、シャオミン」
 「いやよ」
 「おまえの親父にいいつけるぞ! お前が『小さい者』とちちくりあってるとな!」
 「いえば! 父さんはあたしたちの仲をとっくに知っているわ。なんてったって、この人の薬で、父さんの病気が治ったんですからね!」
 若者たちは言葉をつまらせ、すさまじい形相で少年をにらみつけた。
 少年は歯を食いしばった。そして少女の前にでた。
 「やめて、殺されるわ!」
 少女は少年にすがった。
 「逃げるのよ!」
 そんなことができるはずもない。
 少年は、途方にくれて、歯をくいしばったまま、時間が止まったように、そこに立ち尽くした。
 「いまだ!」
 若者たちが少年に踊りかかった。
 「待て!!」
 その声は、ヤンだった。
 少年はほっと安堵の息をもらした。そしてヤンの空気を裂く疾風の拳と、縦横無尽に動く歩、わたわたと翻弄される若者たちを見た。
 若者たちは武器をすべてヤンに落とされ、足をはらわれて地面に倒れた。
 「てっ、てめえ! この……!」
 そう叫んだ一人の顔に、つい先程までその者が持っていた刃物がつきつけられた。
 「この、なんだ?」
 ヤンの低い声が若者を凍りつかせる。
 「この……ことはどうかご内密に……」
 若者はあり金をすべて差し出すと、仲間をつれ、一目散に逃げた。
 「ふん」
 ヤンは手の短刀を放り、青年の置いていった財布をけとばした。そして息も切らさずに歩き始めた。少年はあわててそれを止め、ここぞとばかりにヤンに武術の伝授を懇願した。
 「だめだ」
 ヤンは振り向きもせずにそういうと、店に戻った。
                    
 火祭りの後の、ヤンと少年の二人を村人として迎えるかかどうかの議題は、ヤンの「村の青年からの金品強奪」の容疑に、巧みにすりかえられた。すりかえたのは、言うまでもない。
 ヤンは村人たちの詰問をうけた。
 「すぐ戻る」
 ヤンは少年にそう告げると、縄をかけられた。
 数日後に、ヤンが帰ってきたが、右目がなかった。
 「命を奪われなかっただけ、ましだ」
 ヤンは静かにそう言った。
 少年は、山に走った。そして、泣いた。
 理不尽な暴力。
 それはいつの時代にも、どこにおいても、人々を苦しめる。それを自力で払うことができる者など、ほんの一握りだ。
 それは、人間が「社会」という得体の知れない代物のなかで生きてゆくうえで、けっして逃れることのできない宿命だ。
 皇帝ですら、その宿命からは逃れられない。皇帝が次の日には城門にその首が晒されるなどということは、この国の歴史ではざらである。
 人は、だれであろうと、己で己を護らなくてはならないのだ。
 その為に、古人は武術を開発した。いまやこの国におけるその門派流派の総数は、数えきれない。
 ヤンがいつどこでだれに武術を習ったのかは謎だが、そんなことはどうでもよい。少年は、再度ヤンに武術の伝授を懇願した。
 それは七日七晩におよび、ついにヤンも重い腰をあげた。
                    
 通背拳。
 ヤンが身につけていた拳は、そういう名だった。
 通背とは、この拳法独特の発生方法によって「腰背部」より生じたパワーを腕に「通す」ことを意味し、それはまさにこの門派の最大の特色であり、拳の極意だ。
 そしてこの拳の速度と実戦性、敵の体内の奥深くに浸透する「パワー(勁という)」は、すべての門派の中でもトップクラス。他拳より「神拳」と畏敬の念をこめて呼ばれている。
 それゆえ(まあ、これはどの門派でも同じことだが)、その極意を得るには独特の才能と根気ある訓練を必要とする。
 幸い、少年は才能も根気もあったようだ。
 六年も経過したころ、少年はなんとか初歩の技をものにできるようになった。
                    
 そんな折である。
 遠い都で政変があったと、この辺境の地に風の噂が流れてきた。
 村は騒然となった。
 敗残の兵が逃げこみ、追手によって村ごと焼き尽くされたなどという話は、辺境ではいくらでもあるからだ。
 それでなくとも、戦争がおこれば治安が悪化し、賊が横行する。
 案の定、夏もすぎるころ、近隣の村々が「赤布党」と呼ばれる凶悪な強盗集団の襲来にあっていると、情報が入りはじめた。
 村は得体のしれない緊張につつまれた。しかし、だからといって人々にはどうしようもなく、ただ黙々と農作業に精をだした。
 また、その年の火祭りは中止してはという案が、村の若者の一部から出た。
 火祭りを狙って、賊どもが襲来するのが目に見えていたからだ。
 しかし、古来よりの神事を中止する勇気は村の古老たちにはなかった。
 それから夏がすぎ、なんとか稲の刈り入れも終わり、ついに、不気味な静寂とたとえようのない不安のなかで、今年の火祭りが始まろうとしていた。
                    
 龍が昇った。それから村人たちは、確かに多数の馬の足音を地面に聞いた。ごうごうと火龍のはぜる音とは別に、確かに、馬の軍団のこちらにむかってくる音を聞いた。
 誰かが「来たぞ!」と叫んだ。しかし、村人たちは、何かに憑かれたように、祭りを続行した。村人たちは赤布党に襲われることよりも、祭りを中断して神々の怒りをかうこと
を恐れた。
 村人たちは、どうしようもない絶望感と憔悴しきった顔で、まるで自殺者の集団のように黙々と儀式を続けた。
 ヤンは、その火の明かりを向こうに眺めながら、一人、槍をもって村の門前に立った。
 かつて少年だった青年はあわててヤンを止め、叫んだ。たった一人で、幾人もの盗賊集団を相手になにができましょうや、と。
 ヤンは青年を叱咤した。通背をなんと心得るか、と。しかし、万が一、村への侵入を許した場合、おまえがそれをくい止めろとも残した。
 「すぐ、戻る…」
 ヤンは微笑みながら、遠くの祭壇から天にたち昇る火龍にむかって誓った。
 青年は胸がはりさけんばかりに脈打った。そこまで村人に尽くすヤンを、まったく理解できなかった。そしてその事を、これまでの鬱憤を晴らすかのようにまくしたてた。
 ヤンは、静かに、こう言った。
 「おまえにとって、私はなんだ?」
 青年が惚けていると、ヤンはもういちど、同じことを尋ねた。
 「し、師であり、親も同然……、いえ、親以上の大恩人であります」
 「そうか」
 ヤンは、村の背後に鬱蒼とそびえる山々を見た。
 「私にとっても、同じお方が、あの山に眠っている。この村で私を拾い、育て、ここまでしてくださったお方が、あの山に眠っている。私は、ある火祭りの夜に、そのお方から村を託された。そしていつの日にか、私もおまえに村を託すだろう。通背の伝承者の責務として。正宗白猿通背拳伝承の地のこの村を…な」
 ヤンはいうが早いか、颯爽と槍をひるがえして闇に消えた。
 青年はギッと歯をくいしばった。かつて、将来を誓った少女の前でそうしたように。
 歯をくいしばって、仁王立ちのまま、ヤンの帰りを待った。
 祭り囃子の音玉が、やけにはっきりと聞こえて、頭の中でくるくると回った。
 そして、闇の向こうから、何者かが駆けてくる音で、青年は我にかえった。
 青年の心臓が早鐘を打った。なぜなら、その音は複数の足音であったからだ。
 赤布党!
 青年は咄嗟に通背の基本の構えをとった。片脚を引いて腰を落とし、前かがみになって懐を深くする。引いた脚の方の手は掌を天に向けてするどく前に出し、そして延ばした脚の方の手は縮めて胸を護る。
 一見すると腰がひけてなんだか頼りないが、その尋常ならぬ瞬発力を生み出すのに、最も適した構えである。
 ところで、青年はまだ通背拳の基本中の基本、「五行掌」という技しか習っていない。それはつまり、泳ぎ方を習うにあたって、バタ足を教わったばかりと同じことだ。
 五行掌は五種類の「手の使い方」だ。手だけ動けば実戦で勝てるか。そんなわけがない。
 青年はいまさら不安がこみ上げてきた。
 しかし、やるしかない!
 賊は四人だった。みな手に手に棒や刀をもっている。賊の目に、青年は入っていないようにも見えた。しかし、賊の一人は真先に青年にその刀を振り上げた。
 「ちびの仲間か!」
 ヤンのことであろう。
 青年は腰をさらに落とし、歩を滑らせ、その賊の懐にすっぽりと入った。そしてそのまま習ったとおりに、肩の力をぬき、腰背筋の伸張と体重の移動を存分にきかせて、拳をひねりつつ矢のごとくにつきだした。
 五行掌が一、「鑚拳」。
 その一撃で、賊の一人は悶絶卒倒した。
 通背の極意「浸透勁」が直撃したのだ。その勁は賊の体内を火箸のごとくにつきぬける。
 あとは、もう、無我夢中。
 気がつけば、賊はみな地に伏していた。青年はそこで初めて、自らも全身に打撲、刀傷があるのを発見し、その場に崩れた。
 祭りはそろそろ終わりのようだった。
 青年はヤンが気にかかった。夜明けが近い。立ち上がりたかったが、脚がいうことを聞かなかった。
 その青年の腕を、そっととった者がいた。それはあの少女だった。いまや美しく成長した、かつて青年と火祭りの夜に将来を誓った、あの少女だった。
 少女は流れる涙をぬぐいもせずに、用意しておいた薬で青年の傷の手当てをはじめた。
 そしてやがて、夜明けの太陽のむこうから、ゆっくりとヤンが現れた。傷をうけていたが、無事のようだ。
 青年はそれをしっかと認めると、少女の腕の中で、静かに気を失った。
                    
        ※
                    
 物語は、これで終りである。残念ながら物語のこの後は、伝わっていない。
 しかし、これだけは伝えることができる。
 青年も、少女も、ヤンも。
 その紅蓮の龍にかけて誓った「火祭りの誓い」は、すべて果たされた、と……。
                    
                    
                  終


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