型武道とは


 これもいつぞやの藩士8段の先生の講義を自分なりにまとめたのだが、型武道の意義、そして戦い方の考察についての小文である。

 だいたい、実戦形式の武道や格闘技をやってる人が、居合や合気道、古武術などの型メインの武道をやってる人にむかっていうことは、実戦で使えるのか? である。

 それに対して、型武道をやってる人が返す言葉では、精神修養、己に勝つ、敵は自分、である。
 
 それはまったくそのとおりであるのだがw

 そもそも、このご時勢にいくら正当防衛でも日本刀で敵に斬りかかったら逮捕は自分だからして、実戦で使えるのかという質問自体が愚問というほかは無い。(合気道や柔術はやってないので分からないけども。)

 そうはいっても、ヨガじゃないんだから、型武道は戦いを想定しなくては意味が無いし、技量も上がらないと思う。

 これは中国拳法もそうなのだと思うが、型武道が 「型通り」 に戦って、実戦で使えるはずが無いw これはもう笑うほどに当たり前で、型のまま戦うと思うのは、これは型をやったことが無い人の発想だ。
  
 だってあなた、型とは 「敵がこう来たらこうする」 「向いた方向に敵がいる」 「敵がそことここに立っている」 の世界である。

 そんなもの、向いた方向に敵がいるわけねえだろ、敵のいるほうに向くんだよ!! などとしたり顔で解説されても、こっちだってそんなことは百も承知でやっているのだw

 型というのは一つの技に幾つもの動きが集約されている。それを敵を想定して何万べんも繰り返し、身体にしみこませる。

 やがて型が分解され、いろいろな型のいろいろな動きがいろいろなシチュエーションで自在に無意識に出るようになると、ようやく実戦で少し使える。敵の攻撃を避けたり、ちょっと反撃して逃げたりできる。

 そうなって初めて、型が形(カタチ)となり、形(カタ)となる。

 そこまでゆくには、現代の週に何日何時間の稽古というレベルでは、最低でも20年から30年はかかるだろう。

 型武道は、型通りでは使えるはずが無い。形となるまで稽古する。

 形を自在に使う人の動きとは、常人の域を超えている。敵が殴りかかって来た、こう避けて、こうだ、こうして反撃だ、そしてこう抑えて……では遅い。敵が殴りかかって来た……と思ったらなぜか敵が転がっている。究めた人ならば、そんなことが本当に起きる。

 だからといって、型武道の人が無敵かというと、それもそんなわけがないw

 異種格闘技戦で、型武道の人が空手やムエタイやボクシングにボコボコにされるのは、そりゃ体格や年齢、ステージ上の制約の問題で、あたりまえだ。刀もっちゃダメなんだし、急所攻撃もダメだし、ふだん実践形式で稽古もほとんどしていない。

 だがそれを言っては、ボクシングが現役力士に土俵で勝てるかという話で、頑張れば勝てるかもしれないが、まずぶっ飛ばされて負けるでしょう。そんな想定はあんまり意味が無い。型武道の人は、型の見せ合いっこの試合で勝ち負けはあっても、実際の戦いの試合(居合の人は真剣で斬りあえというのか!?)で勝つために稽古をしているのではないのだから、いきなりフルコンタクト空手と素手で戦えったって、無理ゲーなのだ。

 だが想定はできる。仮想敵というやつ、そして敵は自分。

 型を形になるまでやる。道は遠いが、むしろ細く長くできる。





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