二剣用心棒

 九鬼 蛍


 
                   
 天心とは、天、地、人の気の合和を表す。
 八剣とは、二剣を上下に構える様を表す。
 以て、天心八剣流と成す。
                    
 天心八剣流は
 八の手、
 八の歩、
 八の体、
 八の斬り、
 八の突き、
 八の受け、
 八の避け、
 八の抜きに…
 八の拳、八の蹴り、八の投げを以て八十八の技段と成す。
 それが大刀、小刀、二刀、無手、その他の武器として表影にあり、さらに八の活法を以て八百八十八の技段と成す。
 さらにその他の術、奥義、秘技口伝の類、数かぎり無し。
                    
 天心八剣流をよく修めるもの、まさに百戦して負けなし。向かいみて敵なし。はむかう者は、その天地幻妙、烈火剛直の剣にことごとく斬りふせられる。
 それが天心八剣流なり。
                    
                    
   天心八剣流伝書
        天之巻 冒頭より抜粋
             口語訳は筆者
                    
                                                                                                                                            
                    
 暗闇の中を進む、いくつもの影。
 影たちは、なるべく音をたてないよう慎重に歩をはこび、やがて、とある屋敷の前に集合した。
 すると屋敷の勝手門が、ぎい、と音をたてて開いた。そして店の者とおぼしき男が静かに現れ、門前の影たちを家内に招いた。
 招かれたのは、盗賊であった。
 盗賊たちはこの日のために、長い時間と高い賂をもって、この背の小さな番頭を買収していた。
 盗賊たちは滑るような勢いで、自らの影をひっぱるように一気に門の内に進入した。
 その門内に滑りこんだ最後の一人が、振り向きざまに、ひきつった笑顔の番頭を一刀のもとに斬ってすてる。
 それから盗賊たちは、ゆっくりと母屋のほうへまわり、二手にわかれ、闇に消えた。
                    
 盗賊たちは、いったんことが始まると、まるで容赦がなかった。扉や障子を豪快に蹴やぶり、土足で畳を踏みにじる。びゅんと空を裂く白刃は闇に光って、次々と哀れな犠牲者たちを斬り伏せた。
 家人みな殺し。
 それがこの時代の賊の常識だ。
 ゆえに盗賊は、人々からまさに悪鬼のごとくに恐れられていた。
 その盗賊たちが、ついに、家の主人の寝間に上がりこんだ。
 「………コノミヤだな」
 賊の頭が、覆面の奥から鋭い眼光とともに低く尋ねた。その覆面装束にはびっしょりと返り血がこびりつき、刀も紅に汚れている。
 主人は白髪のはんぶん混じった髷を振り乱し、寝間着姿のまま、がたがたと震え続けた。
 とても答える余裕などない。
 それを見た頭は無言のまま、右手を上げた。
 すると、手下たちによって家の女子供が縄で縛られたまま連れてこられ、コノミヤの前にひきだされた。みな、あまりの恐怖に顔がひきつり、泣くことすらできないでいる。
 頭は、なんのためらいもなく、その子供の一人の胸をいきなり刀で貫いた。
 それはいちばん歳の小さい丁稚であった。
 叫ぶ間もなく、丁稚は絶命した。
 「もういちど聞く。きさまがコノミ屋の主、コノミヤ・マクザイモンだな」
 コノミヤは涙と汗で顔をびしょびしょにしたまま、何度もうなずいた。
 頭は、嬉しそうに目を細めた。
 「い……いの…ちばかりは………」
 コノミヤがなんとか腹の底から声をしぼりだす。
 「だめだ」
 その頭の言葉を合図に、盗賊たちがいっせいに刀を振り上げた。
 その時、
 「お、お頭ッ!…」
 盗賊たちは物音に驚く猫のように、素早くそちらのほうを向いた。見ると、部屋の入口に、手下の一人が、あわてふためいた表情で立っている。
 またよく見ると、その障子をにぎる手が、小刻みにふるえている。
 「なんだ。どうした」
 頭に代わって、側近の一人がたずねた。その若い盗賊は何かを訴えようと口をあけたが、声がでなかった。それから怯えるように後ろをふりむいて、一瞬間、恐怖に顔をこわばらせ、そのまま、物もいわずにばったりと後ろに倒れた。そしてその体より、まぶしいほどの月光に導かれ、赤いものがじんわりと廊下の板に流れる。
 「…………!」
 部屋の盗賊たちは、死んだ仲間と、その死体の側に立つ謎の人物に注目した。人物は障子の向こうにうっすらと影を映し、障子と月光の合間からは、たったいまその盗賊を斬って捨てた刀の切っ先が、ひんやりとのぞいている。それには、たらりと血潮がこびりついて、てんてんと雫を落としている。
 「なにやつ!」
 頭が叫んだ。
 タン、と障子が開いて、男が現れた。
 「二剣用心棒」
 低いが、けっして暗くはなく、どこか飄々とした感のある声だった。凄味があり、太く夜の空気に響いたが、聞く者によっては、酒が入っているのではないかと思うほど、どこかうきうきとした感じもした。
 馬尾のように後ろでまとめた髷が夜風にさらりとたなびき、月明かりにその丹精な顔だちがよく映えた。それは、顎の発達したどこか異国の雰囲気も漂わせる、武に生きる者の貪欲で信念に満ちた顔だった。藍の小袖と灰色の袴にはまだ濡れる返り血もある。その量から察するに、外の見張りの盗賊たちをすでに全員斬りふせてきたようだ。
 その男が、ずい、と一歩、前に出た。
 にや…。
 月明かりに不敵にうかぶ、男の笑み。
 それを見た盗賊たちが、声をあげて男に踊りかかった。男は、垂らしていた切っ先をすっ、と上げた。
 刹那、鋼の塊の空気を裂く鋭い音がした。
 その音と同時に、まず先頭の盗賊が畳に血糊をぶちまけた。そして男がすばやく滑るように畳をこすって前に一歩でたと思ったら、二人目の盗賊の胴がばっさりと破けた。
 続けて男はくるりと振り返って、後ろからせまっていた三人目の額を縦一文字に割った。
 男は、それからゆっくりと盗賊の頭にむかって刀を向けたが、その男の眼があきらかに「笑」った。いままでは、顔はふざけたように笑みをたたえていたが、眼だけは真剣だった。それが、その眼が、真っ赤な返り血を浴びて確かに「笑った」のだった。
 盗賊たちは、恐怖した。その眼を見て、戦慄した。かれらが恐怖することなど、これがまったく始めてだった。
 頭は舌をうち、懐から黒い球を取り出して男の足元にぶつけた。するとその球が勢いよくはじけ、中よりもうもうと白煙がたちこめた。
 「う…ッ」 
 男がつぶやく。
 「やりやがったな………」
 男は、残った盗賊たちがいっせいに斬りかかってくると思った。充分に残心しつつ、刀を構えた。しかし、殺気はすでに無く、気配もすっかり引いていた。
 盗賊らは、煙にまぎれて一目散に逃げだしていた。
 ふん、と男は鼻を鳴らした。
 「口ほどにもない………」
 ビュ、と血振りをして、白紙で刀をことさら丁寧に清めると、男は刀を収めた。あれだけ人を斬って、男の刀は刃こぼれひとつしていない。よほど刀が名刀なのか、よほど男が名人なのか。
 それともその両方か。
 とにかく、男はただ者ではなかった。
 「おい」
 男はコノミヤにずかずかと近づくと、しゃがんで、にやけた顔をずいと近づけた。
 コノミヤはなにがおきたのか理解できずに、ただひたすら震えていた。
 コノミヤの女房や娘たち、幼い奉公人らにいたっては、盗賊らの返り血を全身にあびて、すでに意識はない。
 男は、コノミヤの縄を脇差で切った。
 とたんにコノミヤは額を畳にこすりつけた。
 「どっ、どうか、どどどうか、命ばかりはおた、お助け、おたっ………」
 男が目を丸くする。
 「お……、おい、待て。おれはそんな無頼の輩ではない。ニシギ城下にこの者ありとうたわれし押しかけ用心棒、人呼んで二剣用心棒を知らんのか」
 男はそう言ってにやり、と笑った。自分でいうのもなんだが、城下の商家でこの名を知らない者はモグリだ。
 「い、命ばかりは………」
 しかし、コノミヤの顔は上がらなかった。男はほとほと当惑して、
 「いや、まて。まいったな。………そうだ、用心棒代をいただいたら、すぐ帰るとしよう」
 「えっ…」
 コノミヤの顔がパッと明るくなった。そして凄まじい速さで茶箪笥の奥からニシギ小判をきっかり十枚、とりだした。
 「どうか、どうかこれでお目こぼしを……」
 男は眉をひそめた。
 なにかちがう。
 コノミヤは小判を男の前にうやうやしく置いて、ひたすら頭を畳にこすり続けた。
 「いや、こいつは………」
 しばらく、その状態が続いた。が、やがて男は意を決し、ざらりと小判をとると、懐に入れた。
 「では、さらばだ」
 男はそうのこして、盗賊たちの死体を跳び越えると、うっすらと闇を分ける月明かりに颯爽と黒髪をなびかせ、消えた。
 「に……二剣用心棒………」
 コノミヤは、明け方近くになって、ようやく正気をとりもどし、微かに記憶にのこるその名を、つぶやき続けた。
                                                                                                                                                                                                    
                    
        壱
                    
 都に幕府が建ってより百と三十年。
 その治世は、とうに限界をむかえていた。
 かつて、将軍家は武家の棟梁として、この「神日琉(ジペール)」全土を治めるにあたり、各地に配下の武将をその地方統治者として赴任させた。
 それを守護という。
 守護は将軍家により地方自治の全権を与えられた、まさに地方国家の王である。
 しかるに、その栄光ある武断の政治の実行者たちの大半は、将軍とともに都に永住をきめこみ、舞だ歌だのと放蕩三昧の毎日を送ったのだった。
 加えて、それが、百年つづいた。
 時代が動かぬはずがない。
 まず動いたのは、地頭とよばれる存在であった。
 地頭とは、守護により、守護の名代として地方の統治を命じられた役職である。つまり地頭は、主たる守護が都で生活している間、国元の政治のいっさいを任された、一種の中間管理職といえる。
 そのかれらが、百年のうちに力をつけた。
 なぜなら、主たる守護が都に行ったまま、まったく帰ってこないのだ。ちょっと頭と欲を働かせれば、国を乗っ取ることなど、造作もなかった。
 やがてかれらは、地侍とよばれる先住の武士たちを次々と配下にいれ、いつのまにやら守護にとってかわってその国の支配者となっていった。
 また、中には、早々に将軍家を見限った先見ある守護もいた。かれらはけっして都には住まず、代々、自国を強国とすることだけを考えた。
 そうして生まれた新たな時代の構図者たちを、守護大名とよんだ。
 幕府後期。
 権威は完全に失墜したがまだまだ影響力だけはある将軍家と、その後釜を虎視眈々とねらう各地の守護大名が織りなす不安の時代。
 やがてその不安は現実となり、全国に修羅の嵐がふきあれることとなる。
 戦国の世。
 下克上の世の到来である。
 その戦国最初期。または幕府末期。
 ニシギの国はニギの城下町に、ひとりの剣客がいた。
 名を、「キギノ・イシヅミ」。
 武術、天心八剣流の使い手である。
 生まれはニシギの城に古くから仕える家老の家だが、末子ゆえにいっさいの相続権がなく、かといってその性格ゆえに厄介として家に居候するのも養子にゆくのも嫌だとて、若くに家をとびだし、長らく牢人の身の上である。仕事は…………
 用心棒。
 この物騒な時代は、大国の城下といえど、落ち武者くずれの盗賊団やら野党集団やら、はては狐狸、妖怪変化の類まで、およそ腕におぼえのある者は食うに困らなかった。
 ではキギノは腕におぼえがあるのか。
 ある。
 はっきりいって、ある。
 少なくとも、ニシギ、カギマ、スンプの東海三国ではかなうものはないとされている。
 二剣を扱わせたら、さらに鬼神のごとき強さという。
 齢二十三にして、斬った数はゆうに百と五十を越えている。つまり十七で家を飛び出し、一月に二人、斬っていることになる。
 まさに百戦連勝、天下無敵。
 「西に如月ジンヴゥいれば、都に赤眼ギュウゲンありし。そして東に八剣イシヅミ。そろいもそろい、天下未曾有の剣客よ」
 と、いま流行りの都歌にある。
 そしてついた字が、
 「二剣用心棒」。
 その「字」はもう、一種の看板のようにひとりで街道を歩いている。
 普段は藍の地味な小袖に灰の袴で、ひょいと腰に自慢の二剣と瓢箪をぶらさげて、町を悠々と歩いて遊んでいる。
 ずさんに後ろで束ねただけの長い髷。無駄な肉のいっさいついていない、細身だが、しかしがっしりとした身体。顎のよく発達した顔つき。
 それらの特徴は、このニギの城下にあってよく人目をひいた。それは、長年武に生き、剣と遊んできた結果である。
 少々ずぼらな性格が玉に瑕だが、腕っぷしの良さとと酒好きにものをいわせて、飄々と世をわたっていた。
 さて、この日も………
                    
        ※
                   
 「おうい、聞いているのか」
 窓の外にむかって気楽に手をふるキギノに、サクジリは眉をひそめて、まるで山のむこうに呼びかけるように、言い放った。
 「おう、聞いているとも」
 キギノはとりつくろった返事で尻を座布団に戻し、再びニギの城下名物、ニシギの新そばに箸をつけた。
 「いったい、なにに手をふっていたんだ……?」
 サクジリはそうつぶやいて、自らもひょいと窓の外を見た。笑いながら通りをむこうへ行くのは、どこかの大店のお嬢らしい娘と、その連れの娘だ。
 サクジリはあきれて顔を戻した。
 「人の話もきかずに………」
 「まあまあ。サクはすこし身がかたいぞ。いやまあしかし、この時節は細そばにかぎる。ほら、おまえも、もっと食え。珍しくおれが払うといっているのだ」
 「それは有り難いが……」
 サクジリはざるにのこった最後のひとそばを杉の箸でつまむと、タレにちょいとつけて一気にすすった。
 「おおう、いい食いっぷりだ。おい、代わりだ、おい!」
 「よせよ、おれはもう食えないぞ」
 「なんと遠慮する奴があるか」
 「そばばっかりそんなに食えるかい」
 「では、おれが二人分食ってやる」
 サクジリは苦笑して、そば湯に手をのばした。
 「おまえといると、飽きなくてよい」
 「褒め言葉か」
 「そんなところだ」
 「おお、きたきた」
 キギノは、やってきた二人分のざるそばに手をのばすと、そのふたつのそばをひとつのざるにあけ、すごい勢いですすりはじめた。
 サクジリはその音をよそに、しばし湯を楽しんだ。
 「それでな、キギノ」
 「おう」
 キギノはもうそばを食べおわっていた。サクジリは相も変わらずのその食欲に苦笑しながら、湯飲みを傾けた。
 「よく噛まんと、腹をこわすぞ」
 「そばをよく噛んで食うやつがどこにいる。それより、おまえこそ暑くないのか」
 キギノも、サクジリの湯飲みを見て眉をひそめた。まだ梅雨もあけきらないとはいえ、この初夏の盛りにわざわざそば湯をのむとは。
 「暑いときに熱いものをのむ。これが風雅というものだ」
 これにはキギノが苦笑した。
 「カギマの山猿が、都人のようなことをぬかしてやがる。それより、話の続きをしてくれんか」
 「ああ、それそれ」
 サクジリはずいと身をのりだした。卓に肘をつき、そしてささやくように、言った。
 「カギマに、たいそうないくさがあった。大いくさだ」
 「ほう」
 カギマの国は、このニシギと同じく東海地方に覇を唱える強国のひとつである。強国ゆえに、滅多なことではいくさなどしない。周辺諸国への影響が大きいのだ。それが、
 「大いくさ」
 キギノは獲物をみつけた鷹のように、ぎらりと光る眼をサクジリにむけた。
 しかし、いったいどこの国があのカギマに攻め入ったというのか。カギマの国と対等にいくさができる国など、それこそ同じ東海三国に数えられるこのニシギか、スンプしか考えられない。
 「まさか………」
 「いや、ちがう。スンプでも、ましてやこのニシギでもない」
 では、カギマがどこかへ攻めこんだのだろうか。しかし、ニシギ、カギマ、スンプの三国はここ十年来の三すくみ状態で、互いの連絡なしにどこかへ攻めることは盟約で禁じられている。いま、その盟約をやぶって、カギマが得することはなにもない。
 やはり、いずこかから攻められたのであろう。
 「ではいったいどこだ」
 「どこだとおもう」
 首をかしげるキギノに、サクジリは楽しそうにつづけた。
 「謀叛だよ」
 「な…」
 キギノは息をつまらせた。
 「内乱かね」
 「そうとも。よいか、これはいまだ城の殿さまと家老たちしかしらぬことゆえ、他言は無用。もっとも……おまえがこんなことをふいてまわったとて、誰も信じぬだろうがな」
 「よけいなお世話だ。はやく話せ」
 「よしよし。では話そう。キギノ、かねてよりいくさ上手で知られた、カギマのクギラナ公を存じておろう」
 「おう」
 キギノはそこで水を一杯あけた。
 「カギマの国はテイネの里の領主だな。タカラギ・テイネ・クギラナ。カギマの大殿のいちばん下の甥子にあたるお方だと思ったが………」
 「その通り」
 サクジリはそこで、ますます声を小さくした。
 「そのクギラナ公が、謀叛をおこしたのだ」
 「なんと…!」
 キギノの声も思わず小さくなる。
 「かねてより不意打ちの用意があったらしい。寝返りも多かったと。ちょうど十日前のマツラ山の合戦で事がついた。あのバンドウ公があっさり討ち死に。軍もちりぢりになって敗走。残党狩りも徹底的に行われ、本家の直系はすべて斬首。御歳九つのクニマツ君も、ばっさり首を刎ねられたと」
 キギノは顔をしかめた。
 「むごいことを……」
 その声に、サクジリは驚いた。
 「いくさなんだ。むごいもへったくれもあるもんか」
 「しかし………、なにも九つの童まで斬ることはあるまい」
 「これは……」
 サクジリはおもわず口許をゆるめた。
 「これは、武神、剣鬼と世に恐れられる二剣用心棒の言葉とも思えん。必要とあらば、おまえだって童ぐらい斬るだろうに」
 サクジリのその揶揄をふくんだ言葉に、キギノは少なからず不満を顔に出した。サクジリが敏感にそれを見てとり、
 「まあまあ。冗談だ。それに、わかるだろう。タカラギの嫡子が生きていたとあってはだな、今後のクギラナ公の政に………」
 「わかっている」
 キギノはぷいと外を見た。
 「ふてるなよ。それより、キギノ」
 キギノはそのサクジリの言葉に顔を戻した。
 「仕事か」
 「ああ」
 キギノはにんまりと不敵な笑みをうかべた。
 三度の飯より、剣が好き。まったく、常人の感性ではとてもついてゆけない。
 「そろそろ街道ぞいに、その合戦の落ち武者くずれの野盗があらわれはじめた。行商や隊商も襲われてきている」
 「よし、どこへ行く」
 どこへ行くとは、どこへ用心棒に押しかけるかという意味である。天下無敵の二剣用心棒は、押しかけ用心棒としても名高い。
 「うん、近いうちにな、サヌキ屋でスンプ行きの荷がでるらしい」
 「よし、それだ。さっそく、行こう」
 「まあ、まてよ。とりあえず明日、サヌキ屋を訪れてみようじゃないか」
 「よしよし」
 キギノは揉み手をした。
 「そうときまれば、酒だ」
 「こんな日が高いうちから?」
 サクジリは半ばあきれた口調で言った。いくらきままな用心棒家業とて、昼間から酒をくらうとはさすがに遊興がすぎる。
 しかし、キギノはいっこう、意に介さない。
 「日が高かろうが低かろうが、のみたいときにのむのがおれの流儀よ。それともなにか、こんな昼間からはのめんかね」
 サクジリはにやりと口を曲げた。
 「もちろん、のめるとも」
 「ようし、よしよし。おい、酒だ! こっちこっち! 冷やでな!」
 「おれは、燗!」
 そうして、二人は通りのそば屋の片隅で、昼間から、ささやかな宴をあげた。
                    
        ※
                    
 翌日。キギノとサクジリの二人は、連れ立ってニギの城下でも有数の諸物卸販売座の棟梁、サヌキ屋を訪れた。
 さて、紹介が遅れたが、キギノの隣を行くこのサクジリという男。薄萌黄の水干に身をつつみ、いつも小さな烏帽子をかぶっている。背は低く、眉が薄く、目が細い。耳たぶもな
い。顔ものっぺりと特徴がない。しいていえば、その特徴のないのが特徴である。何度会っても顔を覚えられないと、へんな評判がある。
 この男は、飾り職だ。町のすみのほうの小路の脇で、ささやかに簪などを造って飾り物屋におさめたり、たまに門前にゴザをしいてひっそりと路地売りをしたりしている。だがその平凡な顔に似合わず、作品は都風のしっとりと雅びたもので、数が少ないのも手伝い、町衆といわず、武家屋敷の女房衆といわず、隠れた人気があった。
 そんな飾り職人が、なぜ、キギノのような用心棒という血なまぐさい輩と共に歩いているのか。
 実は、サクジリには裏の顔がある。かれは色々な情報を得てはそれを必要とする者に売って収入を得る「情報屋」でもあるのだ。
 一口に情報屋といってもいろいろだが、サクジリはどこからその情報を仕入れてくるのか、じつに様々なネタを常にもっている。それも、第一級の代物ばかりだ。
 昨日のカギマの謀叛のことも、自分で言っているように、そのことはいまだ城の殿さまと家老たちしか知らないネタである。
 キギノとは、歳も近いせいもあり、なにより若いころよりのつきあいで、よく行動を共にしていた。サクジリがネタを仕入れ、キギノが剣をふるう。この二人は、同業の者たちにとっては知る人ぞ知る二人組であった。
 さて、二人は、城の正門までつづく城下の大路に面した一等地に堂々と店を構えている「サヌキ屋」の正面にきた。
 「ごめんよ」
 サクジリがまず暖簾をかきわけて中に入り、番頭に声をかけた。
 「おや、これはサクジリさん」
 「親爺どのはいるかね」
 「はい。奥におります」
 「ちょっと、話があるんだけど………」
 番頭は手をたたき、店の若い者を呼び出した。
 「旦那さまに、サクジリさんと………」
 番頭は暖簾のむこうで向こうをむいて立っている侍にちらりと目をやった。
 「キギノさまがいらっしゃったと、お伝えなさい」
 丁稚は大きく返事をすると、店の奥に駆けていった。
 やがて、丁稚が戻ってきて、サクジリとキギノの二人を奥に案内した。
 その、サヌキ屋の奥間へ行く時に、必ず中庭を通るのだが、キギノはそこの風景がとても気に入っていた。縁側から眺める中庭には色々と樹木が植えられ、水が引かれて鹿脅しの小気味よく響く様など、なんど見ても楽しかった。
 キギノは、意外と風流を解する。
 茶の湯などもいつかはやってみたいと思っているし、詩歌に興じてみたいとも思っている。
 「剣だけに生きるのが道ではあるまい」
 この十余年ものあいだ、ひたすら剣に生きてきたキギノだったが、最近はそんな事も考えるようになっていた。
 しかし、剣がいちばん好きな事には、変わりはない。
 キギノは中庭を尻目に、サクジリに続いて屋敷の書斎に入った。
 「これは、キギノさま、サクジリどの、ようこそおいでくださいました……」
 キギノとサクジリを迎え、サヌキ屋主人、サヌキヤ・カツヱモンは嬉しそうに帳簿から顔をあげた。
 その笑顔に目をやりながら、二人はゆっくりとサヌキヤの前に腰をおろした。
 それからサヌキヤが、二人に煎茶と、茶請けにかきもちをだした。
 「その節はどうも……」
 「なんの」
 深く頭を下げるサヌキヤを、キギノは軽くあしらった。
 「礼ならこやつに言ってくれ」
 それは、先月のことである。サクジリがこのニギの城下といわずニシギの国といわず、東海三国はおろか都にまでその名を轟かせている諸物卸販売座棟梁「サヌキ屋」に、なんとこれまた東海三国にその名を轟かせている盗賊団「ガマラ党」が入ると、極秘のネタをキギノに提供した。
 当日未明。すかさず二剣用心棒が推参。
 先日のコノミ屋よろしく、真夜中の大活劇の末、二剣用心棒は二十二人からなるガマラ党をなで斬りにしたのである。
 この一件で、二剣用心棒の名がさらに街道中に響きわたったのは言うまでもない。そして二人はサヌキ屋と親密な仲となった。
 「いやいや」
 サクジリは照れつつ、茶請けのかきもちをぱりぱりやりながら、こう続けた。
 「キギノの剣があったればこそにて。おれはただ、ネタを用意しただけ………」
 「なんの、それをいうなら、おまえのネタがなければ、おれは剣をふるえなかった」
 「いやいや」
 「なんの」
 「いやいや」
 「なんの」
 「いやいや」
 「まあまあ」
 キギノとサクジリのやりとりを楽しそうに眺めていたサヌキヤが、そこで笑いながら横やりをいれた。
 「なににせよ、お二人のおかげでわが身代は救われもうした。キギノさまだけでも、サクジリどのだけでもない。お二人の、おかげでございます」
 「そう言ってくれると有り難い」
 キギノはそこで始めて、茶に手をのばした。
 「ところで、キギノさま。本日はいったい何用で」
 「それが」
 キギノがサクジリに目をやる。サヌキヤもそれにつられてサクジリに顔をむけた。サクジリは、すかさず本題に入った。
 「親爺どの。そろそろ、スンプの方へ荷を運ぶというじゃないか。近ごろ、街道すじにはどこぞの落ち武者くずれの追剥が出回っているというよ。それでね………」
 サヌキヤは軽く声をあげて笑うと、
 「おやおや、さすがは界隈一のネタ屋のサクどのだ。ネタの通りが誰にもまして早いねえ。その通り。数日の後に、スンプの方へ荷を運ぶのさ。そして、なにやらカギマの方で大きないくさがあったと、これはわしの方にも聞こえてきているよ。いくらお城で禁をだしたって、聞こえるところにゃ聞こえるもんだ。ようし、いいでしょう。用心棒を、お願いいたしますよ」
 キギノとサクジリはにやりと目をあわせた。
 「お代は、キギノさまが金三両。サクどのが一両と銀一分のところをイロをつけて三分でどうだね」
 これは、用心棒代としては超破格の大金である。いかにサヌキヤがこの二人を買っているか。そしてこの二人がいかに優秀な用心棒かが知れる。
 二人は、快諾した。
 「それより、お二人とも」
 そのサヌキヤの低い声に、二人はすぐ目をサヌキヤにむけた。サヌキヤがこういう声を出して含み笑いをもらす時は、必ずなにかおもしろいネタを握った時なのだ。
 「この話は知っているかね」
 「なんでござる」
 サヌキヤは、楽しそうに小さく笑いながら二人の目を交互にみつめた。
 「驚くんじゃないよ」
 「だから、なんでござる」
 「その大いくさは、実は謀叛なんだよ」
 二人はちらりと目をあわせた。
 「どうだい、驚いただろう」
 「あ、ああ、驚いたとも」
 「なんだ、知ってたのかい」
 キギノのとりつくろったような返事に、サヌキヤはつまらなそうに身をひいた。
 「まあ、それくらいは、なあ、サクよ」  
 「ああ。それくらいはねえ」
 「じゃ、こいつはどうだい」
 サヌキヤはまた得意の含み笑いをもらしながら、再び二人に低く顔を近づけた。
 「バンドウの大殿は、生前に、異国わたりのすごい獲物を手に入れていたというんだよ」
 「異国わたりの?」
 キギノは眉をひそめた。
 「そうさ。クギラナの殿が謀叛をおこした本当の訳は、その獲物を奪うがためだったというよ。その獲物さえあれば、カギマの国が都の幕府を滅ぼして、容易に天下をとれるってね」
 「それは………」
 キギノは鋭い眼をサヌキヤにむけた。
 「尋常じゃないね」
 「ああ、尋常じゃあない。だがバンドウ公は生来気性のおだやかなお人だったから、せっかく手に入れたその獲物も、カギマの国を護るためだけに使おうとしていたようだな。だがしかし、いくさ上手で知られたクギラナ公が、それをだまって見すごすはずがない。機をみて、あっというまに本家を滅ぼしちまった。クギラナの殿は、やる気だよ。その獲物をもって、すぐにもこのニシギやスンプに攻め入るつもりだったそうだよ」
 「だったそう、と、いうと………?」
 「それがさ………」
 サヌキヤは白いあごひげをなでながら、キギノにひっそりとこう告げた。
 「いざお城を落としてみると、その獲物もそして絵図面すらも、影も形もなかったということさ………」
 「ほう……」
 「どうだい、おもしろいだろう」
 「おもしろい」
 キギノはうんうんとうなずいた。
 「しかし、親爺。いったいぜんたい、その異国わたりのすごい獲物とは、どのような代物だ」
 サヌキヤはそこですかさず首をひねった。
 「そこまでは……知らん」
 「なんだ」
 「なんだとはなんだい。お城の殿さまも知らない、至極秘中の極秘のネタだよ。すこしは驚いたり騒いだりしてくれなくちゃ、教えたはりがないねえ」
 キギノは笑って詫びをいれた。
 「こいつはすまなんだ。だが、どのようなものなんだろうね。特別な鍛練をした鋼でつくった異国の刀だとか、槍だとかかね」
 「いや、わしが思うには、機械じかけの弓だとおもうな。ほら、たしか、海のむこうの華の国に、そんなのがあったじゃないか」
 「おお、大華国の『弩』というやつだな。それならおれも知っている。こう見えても大陸の物語など読むのだ。至極強力で、中には連発のきくものもあるという話だ。巨大なやつは、攻城兵器としても役立つそうだ。しかし……たかが弩弓ごときで、なあ」
 「そいつもそうだが………まあ、自分で言っておいてなんだが、どこまで本当の話かわからんよ」
 「なんと、これは…」
 キギノは苦笑した。
 「さすがは『タヌキ屋』! 人を化かすのがうまいではないか! 商売もそうして客を化かして、たいそう儲けているのか?」
 「いやいや、それほどでも。ただ………」
 「ただ?」
 「それは、化かされるほうが間抜けとぞんじます」
 キギノは、その瞬間のサヌキヤの表情に、自分とおなじ修羅の影を見て取って、笑えなくなった。自分が剣の修羅なら、サヌキヤは商売の修羅だ。
 「それはそうと、キギノさま、用心棒のほうですがね、三日の後の、明け方前に店の前に旅支度をすっかり整えて来てくれませんか。実は、お二人のほかにもう四人ほど、ご牢人を雇っているんですよ」
 「ほう」
 「どうか仲良くお願いいたしますよ」
 「承知した、承知した」
 キギノは何度もうなずいた。
 「よし、話はきまった。ではサクジリ、帰るとしよう」
 サクジリは、はたと顔をあげた。
 「あ、ああ」
 「………ちゃんと聞いていたか?」
 「聞いていたとも。いまは少し、考え事をしていたのだ」
 「そうか」
 キギノとサクジリは、腰をあげた。
 「じゃ、三日の後だよ。おくれるんじゃないよ」
 表玄関まで二人を見送りにきたサヌキヤは、最後までそう繰り返した。
 「では、御免」
 そしてキギノとサクジリは、サヌキ屋を後にした。
                    
        ※
                    
 当日。
 キギノとサクジリの二人はとある場所でおちあって、そろってサヌキ屋の前に現れた。夜明けの、少し前であった。
 店の前には、すでにサヌキヤの言っていた四人の牢人が、キギノと同じような古着の小袖袴に二本差し、連尺姿で、笠をかぶって立っていた。
 初夏とはいえ、まだ朝の空気は冷たい。ひんやりと、足の先あたりから全身にまとわりついてくる。それは、その冷気の流れまで見えてきそうなぐらいに、やけにはっきりと感じることができた。
 キギノは、うっすらと朝もやにたちこめる冷気のまとわりにぶるっと身をふるわすと、ずかずかと四人に近づいた。
 そして、サクジリと共に、まず挨拶をした。
 四人はそろって笠をとった。なかでも、歳のころ十六、七の若侍は、
 「名高い二剣用心棒どのと共に仕事ができるとは、身にあまる栄誉にござります」
 と、握手をキギノに求めた。
 キギノは笑いながらその手を握りかえした。
 「若いのに用心棒とは………」
 「貧乏御家人の三男ゆえ、食い扶持を減らすのが孝の道とぞんじ、家を出ました」
 「………感心だ」
 キギノは、素直にこの若者に好感をもった。自らと同じ境遇に、共感したのだ。
 牢人たちは、三十前後で牢人には似合わない立派な髭をたくわえた者と、頬に大きな刀傷がある者が二人に、キギノと握手をした若侍、最後はもう五十もすぎた老武者の四人であった。
 その時、店の納戸が開き、サヌキヤが現れた。
 「やあやあ、みなさま、お早うございます。ささ、まずは裏へ。もう出立の用意はすっかりできておりまするゆえ、まずはゆるりと朝餉など召し上がってくださいまし」
 一同はサヌキヤに連れられ、店の裏手の路地へとまわった。
 そこでは地面の上に炉が組まれ、大鍋にはたっぷりと青菜の粥がうまそうな音をたてていた。
 その周囲には、荷の輸送にたずさわる人々が勢ぞろいをしている。人夫に主サヌキヤの名代としてスンプで商いをする手代にキギノら警護役を含め、輸送隊は全部で二十人を越える。三国屈指の商家、サヌキ屋ならではの大所帯である。
 しかしそのぶん、街道筋に縄張りをもつ盗賊たちが、手ぐすねひいて待ち構えているのだ。なにぶん、荷の中にはニシギ特産の高価な紙や良質の炭、山の漢方薬などにまじって、ニシギ連山で産出される大量の銀と水晶がある。
 通常、そういう貴金属類は専売として国の方ですべて掌握するのだが、サヌキ屋は特別にそれらの商いを一部許されてた。
 それは、この家がもつ各国の商家との太いつながりを、城も利用しているからに他ならない。
 「さあさあ、どんどん食べておくれ」
 サヌキヤはそう言って、自ら勺をもって粥をついだ。
 人夫たちにしてみれば、米などめったに口にできるものではない。大きな鍋は、あっというまに空になった。
 それから一行は、荷車のところに集まった。荷車はしめて四台。馬が四頭と人夫十二人でそれを引く。サヌキ屋からは商人が三人。護衛としてキギノら牢人が五人。サクジリは、斥候・雑多役として随行する。
 しめて二十一人。
 「さあて、みなさま、道中、じゅうじゅうお気をつけて。よろしくお頼みもうします。それでは神主さま、お願い致します」
 ニシギノ大社から、旅の無病息災と商売の繁盛を願って、神主が呼ばれていた。
 神主の祝詞と、さっ、さっ、と玉串のふりかざされる乾いた音が、ひっそりとした朝の路地裏にしんみりと響いた。意外と信心深いキギノは、そのありがたい祝詞にジッと聞き入った。逆にサクジリは大きなあくびだ。
 「それでは、いってらっしゃい」
 サヌキヤと店の者一同の見送りを後ろに、一行はスンプにむけて、出立した。
                    
 ニギの城下町からスンプの国までは、徒歩で十五日ほどの距離である。ニギの城下を出て街道を南下し、峠を二つほど越え、平野を進み、海に出たら西に三日も歩けばもうスンプの城下だ。一行は紙と炭、それに銀と水晶をスンプで売りさばき、スンプの塩と海産物を買ってくるのが主な目的である。
 さて、ニギの城下を出てから、しばらくは農村地帯が続く。ニシギの国の中央部の、いわゆるニギ地方のあたりは、山脈に囲まれた盆地だ。土の質と水はけの関係で、あまり米がとれない。ゆえに、民衆の主食は雑穀と芋である。朝にサヌキ屋が用意した米の粥は、いかに貴重で贅沢なものか、おわかりいただけるであろう。つまり、それだけこの商いはサヌキ屋にとって重要なのであり、また、ニギの城下の人々にとっても、塩という、まさに銀や水晶にも匹敵する貴重な物資の調達ということで、重大なのである。
 一行は、キビやアワ、ソバ、里芋の畑を両翼にながめながら、がたごとと荷車を押し、ゆっくりと進んだ。が、やがて、昼も過ぎると、その畑もとぎれ、ただ荒れ地に細い道が蛇のようにはっているだけとなった。
 一行は、その蛇道を若侍と髭の牢人を先頭に、次に車が二台つづき、二台目と三台目のあいだにサクジリと水干姿の店の者三人が歩き、四台目の両脇に老武者と頬傷の牢人、しんがりにキギノという順序で進んだ。
 そしてその日はなにごともなくすぎ、盆地もぬけて山道に入り、日も暮れるころ、梅雨の名残といった雨が振りはしたが、一行は無事に国境の宿場町にたどりついた。この宿場からのびる街道の先の峠に、最初の関がある。
 さて、一行は手配していた宿に入り、荷と馬を預け、それぞれの部屋について一段落した。
 キギノとサクジリは牢人たちと同室であった。つまり、大部屋に七人ということになる。
 汗と埃で汚れ、雨で冷えた身体を湯浴みで清めたキギノたちに、夕食のついでにサヌキ屋の支払いで酒がふるまわれた。
 「やや、これは有り難い。ささ、キギノどのも、サクジリどのも、これへまいってまず一献」
 髭の牢人がそう、二人を呼んだ。二人はさっそくその輪のなかに入った。
 「若いの、おぬしもどうだ」
 髭はキギノとサクジリに順に酌をすると、若侍にも声をかけた。
 「いいえ、拙者は……」
 若侍は窓の側で静かに膳をたて、その申し出を手で制した。
 「なんだ、その歳で、酒ものめんのか!」
 すぐに、そう、わざとらしく驚いてみせたのはキギノである。
 「おれなど、十五の時から一升をあけたものだぞ」
 それを聞いてサクジリが苦笑する。一升というのはうそで、実は一升と五合である。
 「いや、二剣用心棒どのは、盃をもたせても三国一ということですな。ささ、お若いの、かれのお酌で酒がのめるなど、滅多にあることではござらんぞ。ささ、ささ、早うこっちへまいられよ」
 老武者がひとなつこそうな笑顔で若侍を呼んだ。若侍は照れながらも、輪の中に加わった。
 「よく来た。まずは三杯!」
 キギノの酌で、若侍は次から次と盃をあけさせられた。
 「おう、いけるではないか! ささ、皆ものまれよ、ささ、ささ!」
 キギノはどんどんと酌をし、名物のぼたんの味噌漬けをぱくぱくとつまみながら、自らも手酌と返杯でのみにのんだ。
 外では、再び、夕暮れ時に火照った地面を冷やすように、しとしとと雨が降り始めた。
                    
 キギノたちはそれから次々と盃をかたむけつづけたわけだが、雨も小降りになったころ、昼間の疲れもあってそれぞれに布団をひっぱりだすとすぐに寝てしまった。
 その、しばらく後のことである。
 ふと、サクジリが、うすい布団からもそりと起きた。
 夏の夜といっても、べつだん特に蒸して寝苦しいというわけでもない。またその月下に光るやけに鋭い目つきから、厠というふうでもない。
 サクジリはじっとりと暗がりに目を走らせ、音もなく布団から出た。そしてまるで影のように部屋から出た。
 サクジリは、すべるように足を運び、そのまま外へと出た。外はすっかり雨もやみ、上弦の月が天に光っていた。地面はしっとりと濡れて、あまい匂いもたちこめ、まだ雨があ
がって間もないことを教えている。
 雫のたれる草々を両脇に揃え、街道がまっすぐ南へ、つまり海へとむかっている。この街道をあと半日も行けば、ミノベの関所だ。
 そこを過ぎると、一種の自由地帯のような地域になる。ニシギ、カギマ、スンプ、そして幕府の天領や有名寺社領がいりまじる、とてもやっかいな地帯である。そこは過去幾度となく小競り合いがおきている場所であり、現在では三国と幕府との盟約により、どこの国の軍も入ることができないようになっている。
 すると、それを良いことに、いつのころからか街道筋の盗賊たちがそこに根をはりはじめた。どこの国の軍もはいってこれないのだから、盗賊たちにしてみれば丁のよい逃げ場所であるといえる。
 隊商は、これからそのような物騒な場所を堂々と通り抜けなければならないのである。いくら三国、はては都にまで字を轟かせている二剣用心棒が護衛についているからとはいえ、いざ事が起こると状況は多勢に無勢である。どうなるかわからない。
 サクジリはかねてよりそれを恐れていた。
 そして、サヌキ屋の名代のうちの一人の様子がおかしいことを、サクジリは密やかに見抜いていた。それはほんの一瞬の表情の変化とか、口調の変化とか、その類の、本当に見る「目」をもっている者ではなくては気づかないほどの微妙な「変化」であったが、サクジリはそれを見抜いたのである。
 サクジリは部屋を出て、手代たちが眠る部屋へと向かった。この三人はサヌキ屋の名代としてスンプで商いをするため、店でも将来を担う有能な若手が集められている。
 その一人が、何を思ったか、
 (荷を売りやがったな。)
 サクジリは胸の内でつぶやいた。その挙動不審ぶりは、あきらかに裏切り行為に対する罪悪感のそれである。つまり、賊を手引きしているのだ。
 (いくらで売ったかは知らんが、その見返りなど………たいてい己の命なのになあ………。)
 サクジリは襖を音もなく開け、中の様子を確かめた。一人。二人。
 (あれ。)
 三人めの布団が空だ。
 サクジリはさっとその布団に近づき、手をかざしてまだ温かいのを確認すると、外に向かった。
 外は月が雲に隠れて、真っ暗だった。サクジリは闇の中を鼠のように移動すると、手代を探した。そして、街道を少し行った所の大きな松の木の側におろおろしながら立つ人影を発見した。
 サクジリは近づこうとしたが、ちょうどその時、雲が移動して月が出た。いま物陰より出たら姿を見られてしまう。サクジリは小さく舌をうつと、その場に留まった。
 案の定、それは手代の一人だった。誰かを待っている。
 すると、街道の向こうより、数人の男が現れた。
 みな一様にぼろぼろの具足をまとい、髪はぐしゃぐしゃ、背には野太刀を縄でくくりつけてある。一人は槍ももっている。顔は見えなかったが、なに、かつての凛々しい侍顔はどこへやら、小汚い、飢えた山犬のような目をした「山賊面」であるに違いない。
 賊たちは手代をみつけると手を振り、手代はぺこぺこと頭を下げてそれに応えた。四人は松の木の下でしばらく話し合った。
 (明日の打合せか。)
 サクジリは何を言っているのか知りたかったが、我慢した。どうしようもない。
 やがて山賊たちは手を振りながら行ってしまった。手代もそれを見えなくなるまで見送った後、こそこそと周囲を充分に気にしながら、サクジリの目の前を気づかずに通って、宿に戻った。
 「さて、どうしたものか」
 サクジリは腕を組んで、顔をしかめた。
 キギノに言おうかどうか迷ったが、
 「………あいつのことだ。『心配いらぬ。その連中が襲ってきたら、おれが一網打尽に斬り捨ててくれる。それまで余計な手をだすなよ。面白くなくなるから』などとふざけた事をぬかして、怖い顔でおれの胸に人指し指をつきたてるにきまっている。そしてその後、いやらしくにたにた笑うのだ」
 かといって、事がおきてからキギノが剣を抜いたとて、こちらにも被害がでる可能性が大きい。
 サクジリは、しばらく思案した。
 「さっき、とっつかまえて皆の前で白状させればよかった………」
 それは、後の祭。
 「やはり、キギノに報告しよう」
 帰ってくる答えがわかっていても、それしか方法はなかった。
 サクジリはしかめっつらで、手代の後に続いた。
                    
 「そいつは面白い」
 つい今まで寝ぼけ眼だったキギノの瞳が、サクジリの話を聞いたとたん、らんと輝いた。
 「面白いものかよ」
 「これが面白いと言わずして、何が面白い」
 キギノは朝食の膳もそこのけに、夕べサクジリが目撃したその手代に鋭く目をむけた。
 「どれだ。あれか。ふうん、そんな顔をしている。ばかだなあ。どうせ自分の取り分など、冥土への手形なのに」
 サクジリは、キギノの答えを聞くのが嫌だったが、とりあえず尋ねた。
 「どうする。みすみす賊の待ち受ける中にだな、我々がとびこむのだ。なにか手をうたねば………」
 「いいか、サクジリ」
 キギノは怖い顔をして、サクジリの胸に人指し指をつきたてた。
 「余計なことするなよ。ほっとけばいい。そんな落ち武者くずれの賊の十や二十、このおれがなで斬りにしてくれる。他にも牢人が四人もいる。心配はいらぬ」
 にや…。
 サクジリは肩を落とした。
 もうすぐ存分に剣が振るえるというキギノのにやにや笑いを見て、どうとでもなれと割り切ることにした。
                    
 同日。昨夜の雨もすっかり上がり、天は透き通るかのごとくに晴れわたった。遠く山の端には夏の証拠の入道雲が顔をだし、太陽は容赦なく隊商を照りつけた。一行はふうふう言いながら、ぷんと夏の匂いのする山道を進んだ。
 そして昼もすぎ、無事ミノベの関も通りぬけ、件の場所にさしかかったころである。
 一行は峠の下り道を、車が暴走しないように、上り以上に気と労力を使いながら、慎重に進んでいた。
 それは非常に疲れる行為である。
 途中、坂の緩やかなところを選んで一休みした。
 水をのみ、弁当のアワとキビの握り飯をいくつも食べた。おかずはニシギ名物ぼたんの味噌漬け。
 「キギノどの」
 食事が終わって、ゆったりと木陰で休んでいるキギノに、老武者が話しかけてきた。
 「この峠をずっと下ってゆきますると、あのあたりにフジの山が見えてきましょう。古今未曾有の天下の霊峰。あの御姿は、なんどお目にかかってもよいものでござります。キギノどのは、お手をあわせたことはおありかな?」
 「ええ。スンプへ行くサヌキ屋の用心棒は、これで二度目で」
 「左様で。いや、じつは拙者には城の勘定方に勤める者に嫁いだ娘がござってな。父親が牢人ではなんともかっこうがつかぬので、孫にも滅多に会えもうさん。さてそのこと。拙者はこの用心棒仕事でかせいだ銭でスンプで土産を買い、それをもって孫に久しぶりに会うつもりなのでござる」
 「それは重畳」
 キギノはそのひとなつこそうな老人の顔を眺めながら、ゆっくりとうなずいた。
 天には鳶が舞っている。
 心地よい風がふいた。
 キギノは素早く身をひるがえし、木の影に隠れた。サクジリにいたっては、どこへ行ったのか、すでに姿すら見えない。
 「なにをしている! 賊だ!」
 そのキギノの叫び声とともに、峠道の脇の藪の奥から、矢が雨のようにばらばらと飛んできた。
 地面や荷に次々と矢が刺さる。侍たちは次々と抜刀し、人夫と馬は半狂乱となって叫び回った。
 「ここで襲うとは、やるのう!」
 キギノはあまりの矢の多さに木の影から出るに出れなくなっていた。すでに人夫とサヌキ屋の者が数名、もの言わぬ存在となって地面に伏している。
 「逃げれぬ!」
 なにせここは坂である。戻るにも、進むにも、どうにもならない。
 やがて、藪の中から音をたてて鎧に身をかためた落ち武者たちが現れた。
 「うお……」
 キギノは目をみはった。すぐさまその異変に気がついた。
 落ち武者。うち壊れた鎧かぶとに、憔悴しきった、しかし山犬のように飢えた顔。鬼のような目。
 だが隊商の前に現れたのは、その山賊も顔負けのごとき姿とは似ても似つかぬ立派な鎧に身をつつみ、ぎらりと日に反射する刀をふりかざす屈強な武装兵であった。なにより統率された動きにカギマの国タカラギ家はクギラナ公の紋の入った背中の幟………。
 落ち武者などでは断じてない。
 「カ……カギマ兵!」
 キギノは叫びに叫んだ。
 「走れ! 荷はすてて走りぬけ!!」
 そのすきにも、兵たちはわあわあと鬨の声をあげておそいかかってくる。その数、ざっと二十。
 もう矢は飛んできていない。
 キギノは木の影よりだんと出て、抜刀し、兵たちの前にたちはだかった。
 「おもしろい!」
 キギノはペッと掌に滑り止めの唾を吐き、せまりくる足軽の長槍のひと突きを半身になってかわしつつ前に出て、刀を振った。
 瞬間、豪快に足軽の右腕がふっとぶ。
 若い足軽は絶叫を天に轟かせながら地に膝をついた。キギノは刀を振り、そんな足軽の首をはねた。
 「手の内をしめる」 と剣術ではよく言うが、キギノほどの達人ともなれば、まさにその手の内をしめるだけで、人の首がとぶ。
 それからキギノは、再びふりむきざまに、後ろにせまっていた兵士の一撃を刀で受けた。
 その瞬間、すばやく片歩を後ろに下げてくるりと回転しつつ半身になるや、刀をほんの僅かに螺旋に動かしつつ地面に向けた。
 すると、相手は勝手に自分の前につんのめって転んでしまう。
 敵にしてみれば、自分の刀がキギノの刀に磁石のごとくにすいついて誘導されたように感じたであろう。
 天心八剣流、八の受けが一「はしかかり」。
 敵の攻撃を受けつつ、体を崩してしまう妙技である。
 自分の足元に転がった兵士を、キギノはゆっくりと刀で突いて止めをさした。
 三人めと四人めは、二人並んで斬りかかってきたので、キギノは二人の間に縫うように歩を進めるや、まずむかって右の兵の手首をすり抜けざまに一斬。つづいてふりむきざまにのこった一人の首筋を一斬。
 とたんに、その二人の兵士は傷口より噴水のごとくに血を吹き出して、あっというまに絶命した。
 どちらとも、動脈をねらった、まったく一部の隙も無駄もない動きだ。
 これが、「剣術」である。
 人を制し、時には殺すための、まったく芸術的ともいえる動きが形や口伝となって累々と継承されてゆく。
 それが武術であり、それを継承する者が武術家である。
 キギノの周囲に集まっていた兵たちは、動くに動けなくなっていた。手練の剣士の間合いにうかつに飛びこむことは、すなわち死を意味する。
 キギノはさっさっと周囲に目をくばり、その兵たちの様子を確認した。
 にや…。
 キギノにいつもの不敵な笑みがうかぶ。
 「おいおい、どうしたどうした、おいっ! もうおしまいか! カギマの兵、口ほどにもないではないか!」
 喜々とした口調が夏の青い空にとんだ。
 一方、サクジリといえば、荷車の影にひそんで状況をじっと見ていた。
 「相変わらず強いなあ、あいつは。それにしても、あんな連中がでてくるとは……」
 ふと、場が静かになった。
 見ると、キギノの前にこの隊の長らしき者が歩み出ている。足軽大将だ。
 「名をなのれ。いい腕をしている。殺すのは惜しい。おとなしく姫をわたせば、わるいようにはせんぞ」
 「姫………?」
 サクジリは、聞き逃さなかった。
 しかし、キギノは、聞いていない。豪快に怒鳴りかえした。
 「ばかやろう! ふざけるな! 盗賊まがいなことしやがって! 返答しだいによっては、ただではおかぬ!!」
 とたん、その足軽大将は驚きの表情をみせ、
 「な、なに? するとおまえら……」
 その時には、足軽大将はキギノの強烈な一撃を肩口にどっかりとうけていた。
 噴きあがる血をおさえつつ、大将が勢いよく尻餅をつく。
 「ただではおかぬといったろうが!」
 「お、…のれ……!」
 「ケッ」
 キギノは、大将の脳天に豪快に刀をふりおろした。
 兵士たちの一部に、殺気がみなぎる。
 キギノはその殺気を感じて、嬉しくなった。
 「されば最後までつきあうぞ、そら、そらそら、よおし! かかってこい!」
 そのキギノの挑発に、数人の兵が雄叫びをあげてキギノに斬りかかった。
 キギノは砂利を鳴らして歩をすべらせ、間合いをはかるや、猛禽のような眼で順番にむかってくる兵を見極め、まさに電光石火の早業で刀をふるった。 キギノの刀は、雄叫びと大気の裂ける音をその身にあびて、次から次へと兵たちの身体にくいこんだ。
 気がつけば、キギノを襲った兵はみな、赤い水たまりにその身を浮かべていた。具足ごと胴をまっぷたつにされた者までいる。
 あとはもう、兵たちは完全に浮足立ち、キギノの一喝で我先に逃げだした。
 「なんだというのだ。畜生め」
 キギノは返り血で真っ赤に染まったまま、悪態をついた。知らぬものが見たら、まさに鬼か修羅に見えよう。
 そしてキギノは自らの刀を見て、舌をうった。刃がすっかりこぼれている。
 人を斬るには力がいる。
 しかしけっして、「力をこめて」斬るのではない。
 ここの感覚が難しい。
 キギノほどの達人ともなれば、瞬時に斬られた者は痛みを感じない。それほど鋭く、自然な刀の「振り」を行える。正しい振り方で振られた刀は、ちょっとやそっとでは刃などこぼれはしない。
 しかし、いかにキギノとはいえ、幾人もの武装兵を相手にチャンバラでは、これはいたしかたない。鎧、胴丸はいうに及ばず、人の骨とてやわではない。血脂はのっぺりと刀身を鈍らせる。
 そんな刀は、もはや使い物にならない。
 キギノは半年つきあった愛刀をしばしながめて、それからちらりと地面に横たわるカギマ兵の刀を見た。
 「おう、こいつはなかなかのものだ」
 そして刃がこぼれた自分の刀をあっさりと放ると、死体のもつまだ新品であるその刀をとって二、三度ふってつぶやいた。
 「近頃はいくさが増えて刀剣が足りず、なにやら粗悪な代物が出回っている。しかしこれはなかなかだ。銘入りやもしれん。たかが足軽がもつには充分すぎる」
 キギノはその刀をしばしみつめた。
 「では、ただの足軽ではないということか………?」
 「おい、キギノ」
 キギノはふりむいた。サクジリだ。
 「大丈夫か」
 「サクジリこそ無事……のようだな。いずこに潜んでいた」
 「車の下だ。それより………」
 サクジリは周囲を素早く見回した。
 夏の日差しに累々と横たわる死体。血と生肉の臭いと草いきれが入り交じり、気が通くなりそうだ。気の早い蠅もたかってきている。夜には狐狸に山犬、狼なども現れよう。熊とてこないとはかぎらない。
 幸い、馬はすべて無事だった。
 「何人生きている!」
 キギノが声をあげた。死体の影やら、しげみの中から、細々と返事をしつつ、人夫たちが現れた。
 八人と、意外と多い。
 サヌキ屋の付添いは、二人やられた。死んだうちの一人には、昨夜盗賊と落ち合っていた例の男が含まれていた。この先でおそらく待ち伏せしているであろう盗賊たちには、まことにもって災難だというほかはない。もっとも、災難といえばこちらもとんでもない災難だが。
 牢人たちにいたっては、髯と頬傷はさっさと逃げだし、老武者と若侍は討ち死にという有り様だった。
 キギノは目をつむり、重く首をふった。
 「これでは話にならん。戻ろう。ニギに帰るのだ」
 生き残ったサヌキ屋の手代は、涙ながらに承諾した。
                    
        ※
                    
 その後、一行はなんとか無事に宿場まで帰り着いた。荷も無事だった。こうなれば、さっさとニギの城下に帰るのが賢明な行いというものだ。
 サヌキ屋の手代は、一も二もなく了承した。
 一行は、とりあえずここで一夜を明かし、明日の朝いちばんでニギの城下に戻ることとなった。
 湯浴みで身を清め、宿から新しい小袖と袴をもらったキギノは、少し酒をのんでから、そのまま瓢箪に酒を移し、外に出て夜風にしばしあたった。
 人夫たちとサヌキ屋の手代は、宿場まで帰ってきて心底安心したのか、泥のように眠っている。
 キギノは、できるならば身内の死体を宿までもってきたかった。特に、老武者と若侍の二人の武士を。
 「あやつらのように、さっさと逃げてしまえばよかったものを………」
 キギノは月を見上げた。黒雲にその身を横たえた半月は、やたらと輝いてみえた。
 その雲が急いで駆けぬける。
 後に残った黄色い半円は、キギノの目にくっきりと映った。
 若侍は、若かった。老武者は、年寄りだった。それが、死につながった。
 「若い武士は血気がさかんすぎる。古い武士は、頭がかたすぎる」
 キギノは月を眺めながら、静かに盃をかたむけた。
 「いまのご時世、己の腕がかなわぬ相手から逃げて、なんのはばかりやあらん。恥や外聞を気にしていては、いのちがいくつあっても足りん。あの二人は、利口だね」
 誰にむかってでもなく、キギノは独白を続けた。
 「このおれとて、無敵よ不敗よとさわがれつつも、いつ、もっと強い輩の刃に倒れるやもしれん。そんなことはわかりもしないし、わかりたいとも思わん」
 キギノはゆっくりと喉をならした。
 「なにを独りでぶつぶつと……」
 後ろから、ひょいと影が近づいたとおもったら、そんな声がした。
 キギノはだまってサクジリに盃を渡した。
 サクジリもだまってそれをうけとり、キギノの酌で一杯のんだ。
 「さて、キギノ」
 サクジリは上目をキギノにむけた。
 それを見たキギノは苦笑して、
 「もうネタを仕入れたか」
 「なんのだ」
 「昼間のカギマ兵だ」
 「そんなばかな」
 今度はサクジリが苦笑した。
 「いくらおれでも、そいつは無理だよ。それより、本当にこのままニギの城下に戻るのか」
 「おう、戻る」
 「二剣用心棒の名折れじゃないか」
 「名折れではない」
 「どうして」
 「賊を退散させた。一人でな」
 「なれど………みすみす旅をとり止めたとあっては、いくら賊を退治したとて、意味がないではないか」
 「そんなことをいったってな………」
 キギノは口を尖らせた。
 「ならば、どうすればよいのだ。せっついたところで、人夫たちが行きたがるまい。おれとおまえと、たったの二人では用心棒も無理だ」
 「そこがむずかしいところよ………」
 「なんだい」
 キギノは呆れた口調で、再び盃に酒をついだ。そしてそれをぐいとやり、
 「こたびだけは、どうにもならん」
 「くやしいではないか」
 「くやしかろうが、どうにもならんよ。さっさと帰って、次の仕事をみつけよう」
 「なんだ、そりゃあ!」
 サクジリはそう叫んで、やりきれぬ思いを隠しもせずにダンと地面を蹴ると、宿に戻ってしまった。
 キギノは、独り、また盃をかたむけた。
 しばらく、そうしていたが、やがて酒がなくなると、勢いよく盃を地面にたたきつけた。
 「くそったれめが!」
 続いて瓢箪もたたきつけた。
 「こ、この二剣用心棒が、なんたる様だ! たかが鎧武者幾人を相手に遅れをとり、隊を戻すはめになるとは!」
 キギノは月光に拳をふりあげた。
 「修行がたりん………!」       
 情けなくて、涙が出た。
 その時、側の茂みに、気配がした。キギノは素早く息をついて気を丹田とよばれるへその下のあたりに沈め、意識を集中した。
 そして静かに体を半身にひらき、腰を沈め、刀に手をかける。
 同時に、暗がりから何かが現れた。
 (血の匂い………。)
 殺気もなく、キギノは駆け寄った。
 「大丈夫か」
 男は、傷ついていた。刀傷。それも、深手だ。背中に矢も刺さっている。
 「動くな。いま、薬をもってきてやる」
 キギノは走り去ろうとした。しかし、男はそれを止めた。
 「せ…拙者はもう………。それ……より……ここで会うたもなにかのご縁……。ど、どうか……どうか拙者が最期の願い………」
 初老の男はそこで激しく血を吐いた。
 「よ、よしよし、なんだ。言え」
 「ニ…ニシギの国はニギの城下に、凄腕の用心棒がいると聞く。そ……その……名も二剣……用心棒……。その者に…こ…ここ……この……書……を………」
 男は震える手で、懐より血染めの封書をだした。
 キギノはしっかとそれを受け取った。
 「お……頼み……もうす………!」
 男は、そのまま息たえた。
 「………」
 キギノは男をその場に寝かすと、再び月光の下に出て、白地に赤斑の封書を開いた。
 それは用心棒の依頼の書だった。
 依頼人が隠れているという場所の簡単な地図と、依頼料であろうカギマ小判が五枚、入っていた。
 キギノは金貨を袖にしまい、書を懐に入れた。
 そして宿に戻り、素早く旅支度を整えた。
 「なんのまねだ」
 宿を出ようとしたキギノに、サクジリが声をかけた。すでに、サクジリも旅姿である。
 「用意がいいな」
 「おかげさまでな」
 サクジリはキギノに近づいた。
 「二剣用心棒が動くとき、その影には常にこのおれがいる」
 「おう!」
 「依頼人はどこのだれだ」
 「それは行ってみなければわからん」
 「では、行こう」
 そうして二人は、まず宿の者を起こして、無念にも使命なかばで死した男のその後の処置とサヌキ屋の者に事情を伝えておくよう頼むと、月光のひたひたとそそぐ下を、音もなく歩きはじめた。
                    
        ※
                    
 封書の絵図には、宿場より東に数里ほど山に入った所に洞穴があると記してあった。そしてそこに依頼人が隠れているとも。
 夜の森は、真に闇の支配する所と化す。そこには、魑魅魍魎がひそんでいると信じられているし、実際、ひそんでいる。
 人々は、森には滅多に近づかない。
 森、すなわち「山」には神が住んでいるといわれているからだ。森は、聖域であり、神域であると同時に、闇のむこうには黄泉の国への道が続いているといわれている。どちらにせよ、人知のおよばぬなにかがひっそりと息づいているのに間違いはない。
 そして夜ともなれば、その神秘の威力は否応なしに増す。
 夜の森を自在に歩く者は、狐狸、狼などの獣の類と、鬼などの闇に住まう者ども、そして人の世の闇に顔をのぞかせている者に限られる。
 人の世の闇に顔をのぞかせているとは、すなわち、人の生き死に、命のやりとりで糧を得ているということだ。
 キギノとサクジリも、人の世の闇に顔をのぞかせて、すでに久しい。
 キギノとサクジリは、かすかな月の明かりと星の位置を頼りに、細い山道を進んだ。
 そして宿を出てからどのくらい山道を進んだであろうか。ふと、前を行くサクジリが闇の中でその歩を止めた。
 「どうした」
 キギノのささやきが虫の音にまぎれてサクジリの耳にとどいた。
 「みろ」
 谷を越えたむこうの山肌に、松明の筋ができている。
 「山狩りのようだ」
 「まずいぞ」
 キギノはそうつぶやいて、その松明の川を指さした。
 「絵図にあった洞穴は、あの火の川の行く先のあたりだ」
 「こりゃ、急がねばならんな」
 「おう。天下の二剣用心棒が、前金をもらっておいて用心棒をしそこねたなどと、あってはならんことよ!」
 二人は、闇の中をさらに駆けた。
                    
 二人はその超人的な足取りで、闇の中を走りに走った。人の身でここまで夜の森を自在に走ることができるのは、まさに後は忍びぐらいのものである。
 昼間ですら、その突如として出現する倒木や沢、崖、藪などで遅々として進まない。夜の、しかも木々のうっそうと生い茂っている原始林の中の完全なる闇の下を「走る」こと自体が、ものすごいことなのである。
 そもそも、この時代、「走る」というのは一種の特殊技能であった。「走る」ことができるのは、その特殊技能を訓練した者、すなわち飛脚や駕籠かきなどの一部の者の他は忍びと優れた武術家ぐらいであった。言葉をかえせば、その「走る」ための特殊技能がなければ、走ることができないということになる。
 実際、町衆や農民といった一般の人々は、走ることができなかった。
 それはなぜかというと、この国の人間の歩き方に問題があったからである。
 両手を腰にそえて。また、片手をそえ、もう片手は袖口をもって。前掛けの下につっこんで。道具を担いで。等々。
 とにかく、手を固定して重心を低くとり、少し前かがみにすべるように歩く。大陸ふうの、背筋をのばし、手と足を交互に動かして地面をしっかり踏みしめる歩き方ではない。
 もし、手を固定しなければ、右手と右足、左手と左足が同時に動くことになる。
 同足歩行というものである。
 後世、能や舞踊にみられる、「難波」という歩き方がそれで、その歩き方だと、なんと走ることができない。と、いうか、とても走りづらい。難波で走るには、特殊なコツがいるのだ。
 つまり、そのコツこそが、走るための特殊技能ということになる。
 飛脚や忍びにいたっては、その速度と走破距離は信じられないほどである。
 「走る」と表現しているが、実際は「凄まじく速く歩いている」か「地面の上をすべり跳んでいる」などといったほうが適当かもしれない。
 また、その技能を習得した者を早足とか早道とかいったらしい。
 特に忍びはとにかくその走りの速さと走る距離で有名だが、それに代表されるように、早足は、一日に百何十里も、疲労もさほどなく走ることができる。
 後世、青い目の異人がこの国に渡来し、その早足を馬の手綱持ちとして雇った。すると早足は馬と同じ速度で同じ距離を走ったあげく、仕事が終わると平気な顔で疲れた馬の世話までしてのけて、異人を大いに驚かせたという。
 よって、早足たる二人は、なんなく谷を越え、松明の流れの先端に回りこむことに成功した。
 「どこだ」
 しかし、回りこんだからといって、それで安心するのはまだまだ早い。
 「洞穴とやらは、どこだ」
 山狩りをしている連中より先に依頼人と接触しなくては、ここまでの苦労も水の泡だ。
 「サクジリ、どこだ。おれではわからん」
 「まて! やつらだ! ひそめ!」
 二人は闇の中にジッと身を縮めた。息を細め、気配を消した。
 忍びの言うところの「うずら隠れの術」である。
 その者たちはどうやら斥候のようで、五人ほどがそれぞれ松明を片手にぶつくさ言いながら木々の合間をぬって歩いていた。胴丸をきこみ、刀をさしている。
 そして目と鼻の先を通ったにもかかわらず、キギノたちにはまったく気づかずに、行ってしまった。
 「兵だ」
 キギノがささやいた。
 「カギマ兵だろうか」
 「すると依頼人はカギマ兵に追われている何者かということになる」
 「どうする、キギノ」
 サクジリが困った様子でつぶやく。
 「なにがだ」
 「へたにかかわりあいになると、めんどうなことになるやもしれん」
 「おもしろいではないか!」
 サクジリはため息をついた。
 「しょうのないやつ……」
 「連中はくわしい地図をもっているかな」
 「殺して、うばうのか」
 「おう」
 「そいつは、やばい」
 「やばいか」
 「それより、おれに考えがある。一列になってこの場所を目指していたところをみると、連中がくわしい場所を知っているのは間違いない。やつらは斥候隊のひとつだろう。ここはやつらに洞穴を見つけてもらい、そこを襲って、その隙にご依頼人と………」
 「悪党め」
 キギノは苦笑した。
 「しかし、いい考えだ」 
 同時に二人は動いた。
 そして先程目の前を通った斥候隊の後を、ひっそりとつけた。
 やがて、斥候隊は、大きな杉の木の側にある岩の隙間を松明の先に発見した。
 どうやら、ここが目指す場所のようだ。
 斥候隊がお互いにうなずいているあいだに、キギノは闇からとびだしていた。
 そして五人の兵士を、あっというまに物言わぬ屍に変えた。
 一つを残して松明を消し、まずサクジリが人ひとりやっと通れるような狭い洞穴の入口に顔を入れた。
 「まて、サクジリ」
 キギノがそう言おうとした時には、サクジリの頬を槍の穂先がかすっていた。
 「あぶ……!」
 サクジリはあわてて顔をぬき、その勢いで尻餅をついた。
 「まて、これを見よ! おれたちは味方だ」
 キギノは急いで懐より封書をだした。
 槍の主は、入口より槍をだしたまま、ジッとキギノの手の封書をみつめているようだった。
 「中にいれてくれまいか」
 「それをどこで手にいれた」
 若い声だ。少年のようだ。
 「男に託された。そなたらの仲間だろう」
 「その者はどうした」
 「死んだ」
 「きさまが殺したのではあるまいな」
 「無礼をもうすな!」
 キギノは憤然と抗議した。
 「かの者は、りっぱに役目を果たしもうした。この二剣用心棒をここに連れてくるという役目をな!」
 「二剣用心棒だと!?」
 槍の穂先が下がった。
 「きさ……いや、貴公が、二剣用心棒だといわれるか!?」
 「いかにも! さあ、お顔をみせよ。そしてご依頼人に会わせてくれ」
 槍がひっこんだ。キギノは、ほっと息をついてサクジリと顔をあわせた。
 しかし、それから槍の主はぷっつりと音沙汰がなくなった。
 「おい、なんのまねだ、カギマの兵たちがやってくるぞ」
 しびれをきらしてサクジリがそう叫んでも、返事はなかった。
 「主とまだ相談しているのだろうよ。思うに、こりゃあ………ご依頼人はカギマの本家の落人だぞ………」
 キギノのその声に、サクジリは驚いてキギノに顔をむけた。
 「バンドウ公の一族か!」
 「恐らくな」
 「おい、キギノ」
 サクジリの頭に、昼間、隊商を襲ったカギマ兵の部隊長がぼそりと漏らした言葉がうかんだ。
 キギノはサクジリと顔をあわせた。
 「なんだ」
 「やばい。こいつは、やばいぞ」
 「なにがやばい」
 「わからんか! こいつばかりは相手が悪い。めんどうごとではすまされん。へたをすれば、カギマとニシギのいくさにまでなりか
ねん。おれやおまえの気まぐれで事をはこんでは………」
 「心配いらん。とりあえず、会ってみよう」
 「そんな悠長な……」
 「もう銭をもらっちまった」
 「かえしちまえ!」
 「おちつけよ」
 その時、再び洞穴の入口に人の気配がした。キギノとサクジリは素早くそちらに顔をむけた。
 土をふむ音がして、中から人が現れた。キギノは松明をかざした。目鼻だちのすっきりとした、若い侍だった。
 「おまたせもうした。拙者は、カギマの国の守護、タカラギ・ノ・カミ・カギマ・バンドウ公の小姓を務めておりました、ヒナギともうすものにござります」
 若侍は澄んだ声でそう言った。
 「キギノ・イシヅミだ。こちらはおれの相棒のサクジリ」
 サクジリはちょいと会釈をした。
 「で、ご依頼人は」
 「いま、まいります」
 そして、一人の女性が現れた。質素な小袖姿に身をやつしているが、その身のこなしは明らかに上級武士の子女であった。
 「バンドウ公がご息女、タケユリさまにございます」
 「ほう…」
 キギノは松明を片手に、ぎろりとその年の頃二十前後の女性をにらんだ。
 「タケユリ姫………」
 「左様」
 「クニマツ君に、腹違いの姉上がいたとは聞いていたが………」
 「それが、このタケユリさまにございます。タケユリさまはいまやタカラギ本家の血をひくただ一人のお方。憎きクギラナめがそのお命を奪わんと、日夜兵を走らせております。もう十日も山野をさまよい、すでに手の者は拙者一人………。どうか、天下に名高い二剣用心棒どのに、スンプ城下までの用心棒をご依頼したいのでございます」
 そうして、ヒナギと共に、タケユリも深く頭を下げた。
 「ふうむ………」
 キギノは腕を組み、その二人を見下ろすように見つめた。
 「タケユリどのは………」
 そのキギノの言葉に、タケユリはふと顔をあげた。箱入り娘にしては気丈な目をしていたので、キギノは言葉を続けた。
 「なにゆえ自害して果てん」
 「な、ぶ、無礼者!」
 ヒナギが驚いて叫び、刀に手をそえる。
 タケユリはそのヒナギを制した。
 「………お家を再興し、父上の仇をうつまで、死ぬわけにはまいりませぬ。たとえそれが夢物語でも」
 凛とした表情だった。
 サクジリは不安を顔いっぱいに表し、キギノを見つめた。かかわりあってはろくなことにならないと、目で訴えた。しかしキギノはそれを知ってか知らずかにやりと口許をゆるめ、
 「気にいった。ひきうけよう!」
 サクジリは顔に手を当てた。
 「あ、有り難き幸せ!」
 ヒナギとタケユリは再び深く頭を下げた。
 「ただし! スンプまで行くというのであれば、あれでは金が足りん。よけいな事はきかん主義だが……残りは誰が払う」
 「スンプに、母方の伯父がおりますれば、その者を頼って参る所存にて………」
 「そやつが払ってくれるのだな」
 「左様にて…」
 「よしよし」
 キギノは一人で、にやにや笑いはじめた。
 「二剣用心棒、一世一代の大仕事だ。こいつは面白くなりそうだ………!」
 その隣で、サクジリが、その鋭い眼光をヒナギとタケユリにむけていた。
 「タケユリ姫………か」
 サクジリは、何かを思い出そうとしていた。




 二剣用心棒