二剣用心棒

 九鬼 蛍


        六
                    
 キギノは驚いて目を覚ました。水をかけられたのだ。どうやら、ここまで来る途中に気を失ったらしい。
 キギノは油断なく周囲を確認した。陣幕の中だ。まだ後ろ手に縄で縛られている。鎧武者が四人ほど立ち並び、真正面には鎧を脱いだ先程の大将が、小姓を従え、虎の皮をしいた腰掛けの上で盃を片手に、じっとりと湿った眼でキギノを見下ろしていた。
 体を起こして座りなおしたキギノに、その大将が声をかける。
 「めざめたか」
 鼻にかかった声だ。早口で、慣れていないとよく聞き取れない。キギノは、もうそれだけでこの男が嫌いになった。
 「みてわからぬか」
 その悪態に、すぐさま四人の武将が顔を赤らめ、唾を飛ばした。まるでキギノの態度を見透かしたように、武将たちは叫んだ。どうやらキギノの来訪に、あまり好意をもっていないようだ。
 だが、キギノは聞いていなかった。いや、すでに聞こえていない。一応、手当らしきものはされたようだが、熱がでている。血も思ったより多く出たようだ。照りつける日光も加わり、頭が割れるように熱い。そのくせ、体は氷のごとく冷えきっている。
 武将たちの怒号は蝉の声とまじって、ただの「音」にしかなっていなかった。
 しかし、大将が周囲を一喝すると、怒号はぴたりと止み、蝉の声だけがまたうるさく耳にまとわりついた。
 「二剣用心棒」
 そのまくし立てるような言い方。キギノはとても気になった。面倒くさそうに答える。
 「なんだ」
 「わしがたれだか分かるか」
 「クギラナ公であろう…」
 タカラギ・テイネ・クギラナ。カギマの国三十万石を半月で奪いとった切れ者である。
 当初、用いた兵はたった二百。奇襲に奇襲を重ね、滅ぼした他の分家や累臣の兵を吸収しつつ進軍。ついに三千の兵で三万五千を擁する本家タカラギ・バンドウを打ち破った。
 「ほほう」
 クギラナは嬉しそうに目を細めると、手酌で盃をあおった。年のころ二十四、五。
 若い。
 その若さであの手並み。
 実は、キギノは心底、感心していた。国取りなどにはまったく興味がなかったのだが、同じ年頃の男がわずかな手勢を率いてやりとげたとなれば、話は別だ。しかもその国は東海地方に覇を唱えるカギマ三十万石。
 燃えた。
 同じ事をすれと言われれば無理な話だが、それぐらいでかいことをすれと言われて自分は果してできるのか。
 疑問だった。
 「二剣用心棒」
 クギラナはまたそうささやいた。いや、ささやくように言った。キギノはいいかげん虫酸が走ってきた。せめて名前でよべと思った。
 「キギノ・イシヅミ」
 「それが名か」
 「左様」
 キギノはぶっきらぼうに答えた。もう、口もろくに動いてくれない。
 「では、キギノ」
 「なんだ」
 「従姉妹どの………。ヒナギクをどこへやった」
 「おや」
 キギノは思わず笑いを漏らした。とたんに大将の取り巻きたちの怒号が再び轟き、キギノの具合をさらに悪くする。
 「さわがしいッ」
 キギノがげんなりとしていると、クギラナの喝がとんだ。たちまち重臣らが恐れ入って口を閉じる。そうとう、この若い主君が恐ろしいようだ。
 「おまえらは出ろ。わしはこやつと二人で話がしたい」
 「で、ですが御屋形さま」
 「さっさとせい」
 「は、ははッ!」
 四人はあわてて礼をとり、具足の音もやかましく、走り去るように幕内より出ていった。
 「これで静かになったわ。あの者ども、わしの親の代よりの忠臣。よく働くが、なにせ頭が古い。許せ」
 「ふん」
 キギノは鼻をならした。
 「悪いとおもったら、縄をといたらどうかね」
 「そいつは無理な相談じゃ」
 クギラナはにやにやしながら盃をなめた。
 「それより、何をわらう」
 「いや、なんだか、お大名のくせにずいぶんと真っ直ぐな物の尋ね方をするお人だと思ってね。なにせ身分の高い侍の話には、必ず裏があるのでな」
 「そうか」
 (あっさりした性格なのだな……。)
 楽しそうに手酌を重ねるクギラナを横目に、キギノはそう思った。それから、ヒナギクの事を思った。ちゃんと、どこぞへと逃げおおせたろうか。
 「気になるか」
 キギノは、ぎくりとクギラナの声に心臓を一回高鳴らせた。が、顔はそのままに、
 「なにがかね」
 「従姉妹どのをどこへ逃がした」
 「知らないね。とにかく逃げろと言って囮になった。どこに行ったかまでは知らぬ」
 「そうか」
 クギラナはそう言って盃をすっかりあけると、ぐいと身をのりだし、
 「いや、じつはな、わしの手の者が街道すじを二百ほど走っておってな、それらしき者どもをすでに見つけたらしい」
 キギノは、鷹の瞳でクギラナをにらみつけた。そのクギラナも、飢えた山犬のような眼でにらみ返した。にやにや笑った口許が、とても嫌だった。
 (狸か。あっさりしているのは考えを読まれぬためか。流石だな。)
 キギノはぷいと横を向いて、
 「見つけたのならば、さっさと捕らえたらよかろう。それとも、旅の一座かなにかだったか」
 クギラナは苦笑した。そして、それから天に届くかとおもうほどの大声で笑いだした。その豪快な笑い声に、キギノは気味が悪くなった。
 「いずこで鉄砲を聞きつけた」
 ひとしきり笑った後、クギラナは空になった瓶子を小姓に替えさせ、そう尋ねた。キギノは急に話題が変わったので、
 「なんだと?」
 「答えよ」
 「いずこ………姫どのから聞いたにきまっているではないか」
 「姫どの」
 クギラナはまた苦笑した。キギノからその言葉を聞き出したいがゆえに、その問いを発したかのようだった。いや、恐らくそうだ。
 キギノはそれに気づいて、ますますこの男が嫌いになった。
 「なにがおかしい」
 キギノは、そうくってかかった。
 「うぬごときの下郎にしてみれば、確かに姫であろう。おとなしくわしに降っておれば悪いようにはせぬものを。愚かな女子じゃ」
 キギノは鼻で笑った。
 「どうせ、どこぞへ嫁にだすのであろう。人身御供として」
 「なにが悪い」
 「…………」
 断固とした口調で言い放ったクギラナにキギノは一瞬、呆気にとられ、それから急に悲しくなった。
 (家にしばられるとは………むごいことよのう。)
 そう思ってみたが、一国の主が家を護らずして国を護れないことはよくわかっていた。まるで僻んでいるようで、とても嫌な気分になった。「家」というものに見捨てられた卑屈がそうさせたのかもしれない。
 キギノはクギラナから目をそらして、地面をみつめた。
 そんなキギノを尻目にクギラナはおもむろに腰掛けより立つと、盃と瓶子を手に行儀も悪くうろうろと幕内を歩き回りだした。
 「伯父御には、ながらく子がなくてな」
 バンドウ公のことだ。
 「わしが節句をむかえたころに、ヒナが生まれた。妾の子で、女子であったが伯父御の喜びようは尋常ではなかった。わしも親父どのに連れられて、祝賀の儀に呼ばれたものよ。伯父御自ら吹いた陸王が今でも耳にのこっている。伯父御は楽の名手でな。笛が得意だが、箏も和琴もよくできた。わしのばば様が公家の出ゆえ、幼きころより都の音曲に親しんだそうだ。わしとしては、能楽のほうがやはり好きだが。キギノはどうだ。能は好きか」
 「観たこともないな」
 キギノは地面をみつめたまま、じっと眉をひそめた。脂汗が額よりしたたっている。
 「では、いつか観せてしんぜよう」
 「そいつは有り難い。が、観たい時は、勝手に観るゆえ、おかまいなく」
 クギラナはふふん、と笑ったように鼻をならすと、話を続けた。
 「ヒナの後には三人、女子が続いたのだが、これはみな疫病で十を待たずに死んだ。ヒナはまさに伯父御の寵愛を一身にうけてな。わしは羨ましくて仕方がなかった。わしなど、城の若さまといえば聞こえが良いが、親父どのが兄弟のいちばん下でな。テイネの出城の城主といえば、石高は本家の二十分の一。遠流も同然の扱いよ。わしはうぬも羨ましい。いっそ牢人にでもなってしまったほうが、どれだけ気が楽であったか」
 それを聞いて、キギノはふと顔を上げた。自分は現実から逃げだしたが、逃げたくても逃げれない者もいた。
 キギノははじめて、この男にかすかな親近感をもてたような気がした。
 クギラナは盃をぐいぐい傾けた。機嫌が良かった。
 「やっとクニマツ坊が生まれたのが八年前となる。伯父御の喜びようと他の分家たちの落胆ぶりがわかるか? かなりの騒動となった。生まれたのが坊の運のつきということよ。それも、武運のな。どちらにせよ………伯父御はもう六十。幼い坊が国を動かせるはずもなく、家老や後見人をきどる他の縁者どもに国を奪われるくらいなら、わしがもらってやると、そう思うたのだ」
 「けっこうなことだ」
 キギノはそっけなく言い放った。息が重い。それも、すればすれほど。目もかすんできた。
 (まずいな、どうも……。)
 キギノがふらふらする頭を懸命に支えていると、クギラナはそんなキギノに近づいて、じとりとささやいた。
 「ヒナは絵図をもっていたか?」
 「ああ?」
 「とぼけるな」
 「知らん」
 とたん、クギラナはキギノを蹴り倒した。そして、右肩の傷口をじわりと踏みつける。
 キギノは呻いた。
 「さしもの二剣用心棒もかたなしよの。ヒナに忠義を誓うたか? 剣の道なかばに、かような所で骨と化すのも本意ではあるまい。まずは、素直になった方がよいのではないのか?」
 「い、一理あるね…」
 クギラナは足をどけた。キギノは横になったまま、荒く息をついた。
 しかし、本当に知らないものは知らない。
 (くそ、どうしたものか………。)
 キギノは朦朧とする頭でなんとか考えをめぐらせた。が、無駄な努力だった。まったく頭が働かない。もともと良くもないが、こんな状態ではどうしようもなかった。
 「絵図をもっていたのか?」
 「も、もっていたよ。なにやら小さな筒をな。それのことであろう」
 けっきょく、口からでまかせが精一杯であった。
 「ほほう」
 しかし、クギラナには通用しなかった。
 クギラナはキギノの側にしゃがみこむと、顔を近づけ、
 「おぬし、抱いてはおらなんだか」
 「はあ?」
 キギノは半分とじかけていた目をなんとか見開いて、クギラナの顔を見た。汗が目に入ったが、しばたいて、見据えた。
 「おらぬようだな。もったいない」
 「な、なんの関係が……」
 「それが大ありだ。知らぬのなら無理に知る必要もない。城についたらわしに仕官する気があるかどうか聞くためにいまいちど呼ぶゆえ、それまでゆるりと休まれよ」
 キギノは、もう気絶していた。クギラナはキギノを兵に運ばせたのち、出立の号令をかけた。
                    
        ※
                    
 キギノは、コノギの宿場より歩いて二刻ほどの山中にあるコノゴリの出城につれてゆかれた。そしてそこの地下老に入れられ、見張りがなんと六人、ついた。
 後ろ手のまま硬く冷たい地面にねころがされたキギノは、大きく息をついてその見張りを見た。地面には筵はおろか、敷藁すらない。牢内の大半は天然の岩石が露出し、地下水がしたたっている。暗く、冷たい風がふきこみ、じめじめしてかび臭い。ますます頭はぐらつき、傷口はすでに痛みを感じていない。
 生まれてこのかた味わったこともないほどに気分が悪かった。
 「く、くそッ………。やい、縄ぐらいほどかぬか! こら! 聞こえているのか!」
 キギノは見張りに向かって叫んだ。が、まったく無視された。叫んだとたん、ふらりと意識が遠のく。それを、気力で戻した。
 見張りたちはぼんやりと燃える蝋燭の火に顔を照らしながらじろりとキギノに一瞥をくれただけで、また向こうをむいてしまった。
 キギノはとりあえず寄りかかれる場所を探すと、背をつけた。
 冷たい。
 そこから体温がねこそぎ奪われるようだ。
 が、とても楽になった。
 「ち、畜生、こんな所で死ぬものかよ。あのバカ殿め。いまにみていろよ。こ、この二剣用心棒を……かような目にあわせやがって………こんど相まみえたら………あ……相…………」
 キギノはゆっくりと息をつき、ほとんど無意識のうちにそう独白すると、再び気を失った。
                    
 (まだ生きている。)
 目が覚めたキギノが最初に思ったことは、それだった。どのくらい眠っていたのか。真っ暗な牢では時刻がわからない。
 「見張りが消えているな」
 夜半を過ぎ、見張りの数が減ったのか。それにしてもまったくいないのは疑問だ。
 「小便にでもいったか」
 キギノは体を起こした。意外とよく動いた。
 「サクジリ………」
 キギノは相棒の顔を思い浮かべた。もちろんできることなら、抜け出したかった。だがそれは自分一人ではどうしようもない。やはり、誰かの助けがいる。そしてそれは、サクジリ以外に考えられなかった。
 「が………」
 キギノは苦笑した。
 「無理な相談だ。いまここにサクジリが現れるはずがない。場所が知れん。やつのことゆえ、いまごろは無事に姫をいずこかへ隠したであろうが……。こちらからつなぎをつけることができればなあ………」
 キギノは、とりあえず縄をなんとかしようと、もぞもぞと手を動かした。
 八剣流縄術、八の抜けが一。
 縄術には、縄や鎖を操って武器とするだけではなく、敵に縄をかけたり、自らにかけられた縄を外す術まで含まれている。
 普通は身体の各関節を外して隙間を作り、縄抜けをするのだが、べつに無理をして外さなくともよい場合もある。例えば手を十の字に縛られたとする。よく見ると分かるが、手首というのは掌と同じく、平べったい。縛られる際に、でっぱった骨同士を合わせておく。そして、縛られた後に、それを手の甲側にしろ掌側にしろ、平たい方にずらして合わせる。
 それだけで、いくらきつく縛ったつもりでも、余裕で手を抜くほどの隙間ができる。
 後世、手品によく利用される術だ。
 しかし、もちろんそれを防ぐための特別な縛り方というのも存在しているが、有り難いことに、キギノを戒めていた縛り方は、まったく素人の仕事であった。
 「アツツツッ」
 キギノは肩に激痛を感じ、呻いた。まだ痛みを感じる。と、いうことは、腕が死んでいない証拠だ。治せば、使える。
 「よ……よし………」
 キギノはすっかりほどいた縄をそこいらに放ると、入口に忍んだ。蝋燭の火がちらちらとゆらめき、ひっそりと環を作って周囲を照らしている。この部屋の他にまだ幾つか牢があるらしい。出口は見えない。
 他の牢には誰もいないようだ。
 「骨ならいやがる………」
 斜め向かいの牢を覗いたキギノが、うんざりとつぶやいた。先程のキギノと同じく、岩肌に寄りかかったまま骨と化している哀れな輩が一人、いた。
 「賊かのう。いや、南無妙法蓮華経……」
 キギノは小さく題目を唱えると、じろじろと周囲を見渡した。人の気配はまったく無く、抜け出すには絶好の機会だ。
 が、生憎キギノは鍵を外す術は身につけていなかった。もちろん、牢をやぶる術も。
 「こうなれば、見張りが戻ってきたら仮病でも用いて牢を開けさせるしか手はあるまい………」
 なんとも幼稚な発想だが、確かにそれしかなさそうだった。もしくは、なんとかしてサクジリに連絡をとるか。
 「こちらから文でも送ることができたら………。ああ、くそ! 伝書の鳩でも飼っておくのだった」
 キギノは大きくため息をついて座りこんだ。
 すると、
 「げッ」
 キギノの袖の内でなにかがもぞもぞと動きだした。キギノは驚いて袖をはたき、それを出した。それはキギノの袖から出たとたん羽音をたてて牢内を飛び回り、それからキギノの側に降り立った。
 「こいつは……」
 それは鷺だった。見事な白鷺だ。胸の部分に、朱で星の印が描かれている。
 なんと、タケミツの式ではないか。
 キギノの顔に久しぶりに精気が戻る。
 「お、おい、こやつめ、いつの間にまぎれておった!」
 これはヤスツナの居場所を捜し当てた張本人の式だ。タケミツが符に戻した際にキギノがそれを拾って袖にしまって、そのまま忘れていたのだ。
 「おい、おまえ、物が言えたな」
 キギノはどきどきしながら鷺にむかって話しかけた。
 しかし鷺はくりくりと目を回して首をかしげるばかりだった。
 「おい。………はて、タケミツどのしか話をすることができぬのか」
 キギノは頭を掻いた。鷺はゆっくりと歩きながら、嘴で地面をつついた。
 「まあよい。そら、いま、逃がしてやる。よいか、タケミツどのの所でもよい。できればおれの相棒のサクジリというやつを探して、ここの場所を教えてくれんか。おぬしなら、できるであろう」
 キギノはそう言って、鷺をつかまえようとした。しかし、鷺はキギノの手をするりと抜け、そのまま牢の格子をもふうっといったん消えるようにすり抜けると、そのまま飛んでいってしまった。
 キギノはまたもや呆然とその光景をみつめていたが、やがて我に帰ると、再びその場に座りこんだ。
 「たのんだぞ……」
 そしてそのまま、眠るようにまた気を失った。
                    
 今度はキギノは、何者かの声で目が覚めた。見張りが数人戻ってきている。その見張りがなにかしら大声で騒いでいるのだ。
 その声に聞き入ろうとして、キギノは驚いた。
 縄が外れていない。
 (ど、どういうことだ?)
 後ろ手に縛られたままだ。
 「夢……であったか………」
 キギノはがっくりと肩を落とし、座る気力も無くなって、ごろりと横になった。
 もう、このまま起きる事がないような気もした。全身が濡れている。汗ばかりではない。夜露が出てきている。どこからか外の湿った空気がまぎれているのだ。食事も与えられていない。いよいよキギノは死を覚悟した。このまま朝まで生きている自信は、なかった。
 絶望的だった。
 そのキギノの耳に、見張りたちの声が入った。
 「賊だ。この者の仲間らしい」
 キギノは思わずがばりと起き上がった。いまの絶望感など、一気にどこかへふっとんだ。
 見張りがいっせいに牢内を見る。キギノはわざとらしく、もういちど倒れるように横になった。
 見張りはしばらくキギノを見ていたが、やがて数人を残して去っていってしまった。キギノは油断なくその残った見張りを観察した。
 「三人……いや、四人。いや、五人、いる」
 見えない敵まで数えてこそ、一流といえる。
 「サクかの…」
 どうやってこの場所を知ったのか。やはりあの白鷺は夢ではなかったのか。
 「まぼろしを見るほど頭はやられてはいない。外れていなかったのなら、もういちど外すまでよ」
 キギノは横になったまま、見張りに見えないように慎重に縄を解いた。が、なかなか解けない。どうやら縛り方が複雑なようだ。
 「夢……のようにはいかぬものだ」
 キギノはもそもそと体を動かしつづけた。
 その様子に、見張りが気づいた。
 「おい、なにをしているか」
 「寒いのだ。藁ぐらいしいたらよかろう。気のきかぬ殿さまだ」          
 見張りは鼻を鳴らして向きなおった。キギノは急いで縄解きを再開した。
 「くそ、どうなってやがる」
 しかし縄はいっこう、解ける気配もなかった。その内、見張りの声が牢内に轟いた。
 「賊だ! こっちだ!」
 キギノは息をのんで格子の向こうを見た。棒をもった見張りがだっと駆けてゆく。すると、すかさず反対側の暗がりより、ひょいと小柄な者が現れた。
 「キギノ。無事か」
 「サ、サク………」
 キギノは嬉しさのあまり声がでなかった。
 「まっていろ」
 サクジリは懐より特製の簪を出すと、錠前の穴につっこんで音をたてた。
 すると、その、逆光で影になっているサクジリの後ろに、もうひとつ、影が現れた。影が影に重なり、より大きな影を作ったが、サクジリは熱中しているのか、気づかない。そしてその影は、ゆらりと刀を振りあげた。
 「サクジリ!」
 キギノは声のかぎりに叫んだ。しかし、声が出ていない。どうしたことか。声がでない。
 「サクジリ!」
 もういちど叫んだ。その時には、見張りの兵士がサクジリにその刀をバッサリと振り下ろしていた。
 「サクジリイイッ!」
                    
 キギノは跳び上がって起きた。
 自分の息が牢の岩肌にこだまする。
 「なんだよ………おい、悪い夢だ。まったく………こいつは………」
 キギノは涙と汗を手でぬぐった。そこで、はたと自分の手を見た。
 縄が解けている。
 「いったい、どれが夢なのだ」
 「なにを話している」
 キギノは体を震わせて手を後ろに隠した。
 見張りがいる。二人だ。
 「寝言だ」
 「静かにしろ」
 キギノは答えなかった。
 キギノは見張りを気にしながら暗がりに身を潜めると、そっと袖の内をまさぐった。そして、くしゃくしゃになった紙きれを発見した。
 キギノはそれをとりだして、開いた。懐かしい。ヤスツナ老人とタケミツの笑顔が鮮明に浮かぶ。まだ数日もたっていないのに、妙に懐かしい。
 キギノはその星の印と呪文を眺めながら、つい、それを宙に放った。タケミツが放るとそれはたちまち白鷺と化すのだが、紙は、かさりと床に落ちた。
 キギノは目をつむり、深く、息をついた。
 その時、見張りの交代が来た。交代は一人で、二人に酒を渡した。二人は交代の者になにやら告げると、瓢箪を肩に、嬉しそうに話し合いながら行ってしまった。
 二人の声が遠くなり、やがて聞こえなくなると、その交代はいきなり入口の錠前を外して中に入ってきた。
 「おい、キギノ。生きてるか」
 キギノは涙がでてきた。そして手の甲をつねった。痛い。とりあえず、悪い夢ではなさそうだ。
 「どうやら、生きているようだな」
 「あ、あたりまえよ」
 キギノとサクジリは、涙を浮かべながら、少しのあいだ、見つめあった。
 それからキギノは起き上がろうとした。サクジリがそれを止める。
 「肩をどうした」
 「鉄砲にやられた」
 「てっぽう…か。診せてみろ」
 サクジリは大きな蝋燭でキギノの肩口を照らし、巻かれてある簡素な包帯をとって傷を診た。
 「う……む……肉がえぐれているな。む、何か傷の内に残っているぞ」
 それは変形した弾丸であった。純の鉛で、鉛は毒だ。
 サクジリはキギノに手拭いをかますと、腕を押さえつけ、短刀を抜き、蝋燭でその刃をさっとあぶるといきなり傷口にそれを刺しこんだ。
 「……!!」
 キギノの呻き声が牢内に響く。サクジリは手早く弾を抜きとると、手持ちの薬を丹念につけ、キギノの額の汗をぬぐってやった。
 「もう大丈夫だ。血止めに化膿止めを兼ねた、秘伝の薬よ」
 「あ……有り難い……」
 サクジリはキギノの傷に新しい包帯を巻きつけた。
 「歩けるか」
 「なんのこれしき。そ、それより、姫はどうなった」
 「おれの知り合いの山伏に預けてある。験力も一流。口も貝のごとし。われらも、いまよりそこへ行く」
 「そうか。どうやってここを知った」
 サクジリは牢番屋の出口まで来ると、キギノを置いてまず外を確かめた。ここは城の外れで、すぐ裏は深い森だ。天然の洞穴を改造して、牢に利用しているのだ。
 外は暗く、すっかり夜もふけている。おあつらえむきに月は出ておらず、忍ぶには最適の夜だ。
 「行くのなら、い、いまではないのか」
 「待て」
 サクジリはじっと息をひそめた。キギノが不思議がっていると、なんと、牢屋の反対の方角の建物に、火があがった。
 それは瞬く間に大きくなり、人々の騒ぐ声がここまで聞こえてきた。
 「いまだ」
 サクジリは馬を待たせてある場所まで、キギノに肩を貸したまま、一気に駆けた。一方に火をたててそちらに敵の注意を引きつけ、その隙に逃げる。火遁の術。忍びも顔負けの忍術であった。
 「お、おぬし、いつのまにかような忍びの術を身につけた」
 キギノが驚いて尋ねる。しかし、サクジリはことさら大きな声で、
 「姫さまがの、おまえが運ばれるとしたらこの出城しかあるまいと言ってな。それに、城の方角より白鷺が飛ぶのを見たと。これはおまえがまだ生きているという吉の報せだと言って、自分も行くとまで言いだした。止めるのに苦労したぞ」
 「そ、そうか。白鷺がの」
 キギノは、やはりあの鷺は飛んでいって自分を助けてくれたのだと信じた。心の中にあの若い陰陽師の笑顔を思い浮かべ、礼を言った。
 そして珍しくサクジリが話をごまかした事は忘れることにした。
 目の前に兵が一人、現れたのだ。
 「ろ、牢破りだ!」
 兵は叫んだが、誰も来ない。火事に、それどころではないのだ。兵は、急いで呼び笛をくわえた。
 キギノが駆ける前に、サクジリの手裏剣が飛んだ。その棒手裏剣は寸分の狂いもなく若い兵の喉元に突き刺さり、すぐさま兵は血の泡を吹いて絶命した。
 「……!」 
 キギノは思わずサクジリの後ろ姿に目を奪われた。サクジリが手裏剣を飛ばしたのはもちろん、毒を使ったのも初めて見た。十余年つきあってきたが、まったく初めてのことであった。
 「………」
 キギノが立ちすくんでいると、
 「お、おい。なにをしている。こっちだ」
 「う、うむ…」
 二人はまた駆けだし、やがてこの山城をとりまく高い板塀にたどり着いた。
 そこには、すでに鉤縄が垂らしてあった。サクジリはそこから進入したのだ。
 「よく庭の者に見つからなんだな」
 「そ、そうだな。運が良かった」
 しかし、キギノは暗がりに横たわる死骸に気がついていた。この城を守る、クギラナの庭衆だ。しかもその死骸は簡素ながら軽妙に隠されていた。
 (サクが倒したのか………?)
 証拠はない。しかし、そう考えるのが一番手っとり早い。
 「よしよし、よく無事だった」
 サクジリは真っ暗な森の中で馬を見つけた。ここまで来て、敵に見つからぬよう、放しておいたのだ。そして既に、鞍にはキギノの刀が二差し、くくりつけてあった。
 「し、城の中にまで忍んだのか!」
 「おうよ」
 サクジリは得意気に言い、キギノを馬に乗せた。そして自らは手綱を引き、馬と同じ速度で走りだした。が、これは早足たるサクジリにはまったく容易なことであった。キギノですらできる芸当だ。
 「………サクジリ」
 闇の中を馬に揺られつつ、キギノは手綱をとる相棒に声をかけた。
 「なんだい」
 「………いや、後で良い」
 キギノは、鞍の上で、本当に罪悪感に心を引き裂かれんばかりになりつつ、初めて、この真の相棒の身の上に疑念を抱いた。
                    
        ※
                    
 「キギノさま………」
 髪を下ろし、萌黄色の小袖に身を通してすっかり女房姿に変わったヒナギクは、キギノの顔を見たとたん、走り寄り、キギノに抱きついた。
 「ご、ご無事で……」
 それ以上は声にならない。涙で頬を濡らしながら、キギノの体温と胸の鼓動を確実に感じ取るのに必死だった。生きている証拠の、それらを。
 「もったいなや。姫。お離しあれ」
 「いやにござりまする」
 ヒナギクはキギノの小袖にしがみついたまま、離さなかった。流石のキギノも、照れてしまうほどだった。
 「サク、なんとかしてくれ」
 「贅沢なやつ。さあ、姫さま。キギノを中に入れてやってくだされ」
 「は、はい…」
 ヒナギクは涙をぬぐいつつ、キギノをその山小屋に案内した。キギノとサクジリは一晩中、馬を走らせ、夜もすっかり明けたころ、やっとこの小屋にたどり着いた。ヒナギクは寝ずに待っていた。
 小屋の中には髭を黒々とたたえた大男が囲炉裏端で鉄鍋を見ていた。
 「小屋の主の、タダジンだ」
 サクジリが大男をキギノに紹介する。男は軽く笑みをうかべるとちょいと会釈をした。
 「キギノ・イシヅミにて。こたびはまことに何と礼を言ってよいやら……」
 「いや………サクジリどのの頼みとあらば………なんでも………」
 その熊のような体をゆすりながら、タダジンが低い声を発した。修験道の経文もそんなふうに地の底に響くような声で唱えるのであろうか。小屋の壁にかけてある山伏装束を、キギノは確認した。
 「まずは座れ。タダジンがおれらのために猪をしとめてくれた。精がつく。これを食って、傷を治せ」
 キギノは驚いた。
 「これは、不殺生を誓いとする験者どのにこのような………」
 「いや………」
 タダジンはキギノには目もくれずに、
 「これも衆生の救いと存ずれば。……さ、座られよ………」
 遠慮なく、キギノは囲炉裏端に腰を下ろした。タダジンが鍋の蓋をとる。ぼたんに種々の山草と山芋を入れ、味噌でしたてた良い香りがふわりとただよう。それにくつくつと煮立つ音が心地よく耳をくすぐり、キギノの腹がすかさず反応した。
 タダジンが大きな碗にそれをとる。キギノは唾を飲みこんだ。
 「か、かたじけない」
 熱いのがもどかしい。何度も息を吹きつけ、待ちきれずに脂ののった肉片を口に入れた。
 「うおっ」
 熱さに思わず手で口を押さえる。しかし、それがいったん胃の腑に落ちてしまうと、後は止めることはできなかった。
 キギノはまたたくまに碗をあけてしまった。そしてごそりと自ら勺を持って鍋の中をさらう。
 「お、おい。遠慮というものを知らんのか」
 「知らん」
 キギノはわき目もふれずに箸を動かしつづけた。
 「タダジン。碗をくれ。おれらの分まで食いつくされてしまう」
 タダジンはかすかに笑いながら、サクジリとヒナギクに碗を渡した。ヒナギクがサクジリと自分の分を順次よそった。いっさいの肉食を禁じているタダジンは、なにやら木の実をかじっている。そのころには、キギノは二杯めをぺろりとあけていた。
 「あきれたやつだ」
 キギノは答えなかった。食べれば食べるほど腹が減った。
 やがて巨大な鍋はすべて空となり、余った汁に雑穀を入れて作った雑炊もすっかり平らげたキギノは、大きく息をついて壁によりかかった。
 「いや、満腹至極。かたじけない。かたじけない」
 顔には精気が戻り、皮膚の張りも戻った。タダジンが入れたドクダミ茶をすすりながら、早速これからの話をした。
 「わしは……出ていようか」
 秘密の話ということで、タダジンは小川で鍋を洗うついでに出ていってしまった。
 「気がきく御仁よの。古い知り合いか」
 「そんなところだ。密かに色々と世話になっている。それより、これからの道だが」
 「そうさな……」
 キギノは腕を組んだ。するとヒナギクが、
 「キギノさま」
 キギノは振り返った。ヒナギクが険しい表情で、うつむいている。
 「そのことにてござりまするが……」
 「それ以上は……言われるな」
 「な、なれど!」
 「だまられい!」
 ヒナギクは身を震わせてキギノを凝視した。それからまた床に目を落とし、かすかな声でささやいた。
 「なれどもこれ以上お二人に迷惑をば……」
 「なにが迷惑でござる」
 キギノはヒナギクの肩に手をやり、
 「いちど受けた仕事はなにがあっても遂行する。それが二剣用心棒にて。面子もござる。たかが死にかけたぐらいで依頼主を置いて逃げだしてみなされ。もうニギの城下を歩くことはできもうさぬ。それに、タケユリどのはいかがなされる」
 ヒナギクは部屋の片隅に荷物と共に置いてある白布に包んだ小さな壺を見た。
 「スンプにおちついたら、墓を作ってやりなされ」
 「はい…」
 ヒナギクはあらためて涙を浮かべ、キギノの情けに感謝した。もう、いっさい余計な口を出さず、どこまでもキギノについて行くときめた。
 「よし。では、サクジリ。スンプまでの道だ」
 「おう」
 サクジリは懐より地図を出した。
 「タダジンより預かったものだ。見ろ」
 それはここいらの山中の様子を簡単に記したもので、山の峰をつたって細い線がいくつか走っている。
 「これはの、タダジンが修行に使う秘密の山道を記したものだ。この付近の験者はみなここを通って、各地の霊山へでかけるのだそうだ」
 「ほう」
 キギノはその地図を手にとって見た。
 「しかし、験者が修行で通る道など、とても険しいのではないか。われら……とくに姫どのは大丈夫か。無事に通れるのか」
 「それは心配いらん」
 サクジリはキギノから地図をとると、床にひろげた。
 「これはたんなる山道だ。霊山へ通うのに使う、獣道よ。入山したばかりの素人験者でもちゃんと通れる。おれやキギノではなんの問題もない。姫さまも、ただキギノについていればよろしい。そしてな……」
 サクジリは墨の道のひとつを指でなぞった。
 「これを見ろ。この道からこの沢にはいって、さらに沢を越えて尾根づたいに山を下りると、なんとそこはもうスンプはタメの村よ。街道を行くより、まる三日、かせぐことができる。さらにこの道は山伏の秘伝の道ゆえ、カギマの兵どもに見つかる心配もない」
 「上出来だ」
 キギノはにんまりと笑うと、サクジリとヒナギクの顔を順番に見た。
 「では、明日の朝、夜明けの前にさっそく出立することとしよう。姫どのは、前の衣はまだおありかな」
 ヒナギクはうなずいた。やはり、この小袖姿では山歩きは無理だ。
 「よし。サク。食いものは」
 「おう。タダジンよりいろいろ分けてもらった。干し栗など、木の実が主だが……」
 修験道の修行のひとつに、木食といって人の手で栽培された物を口にしないというものがある。タダジンもそれを行っているから、それは仕方がなかった。
 「それよりキギノ。肩はよいのか」
 キギノは笑って答えた。
 「なに、十日もすれば布できつく縛って剣もふるえよう。八剣流はなんでもござれ。たとえ左だけでも刀を使える。心配ごむよう」
 「では、十日のあいだだけ、ここにご厄介になりましょう」
 ええ? とキギノとサクジリはその声の主であるヒナギクを見た。
 それから二人は顔を見合せ、
 「な、なにを申される。追手がかかる前に先をいそがねば………」
 「なれど、キギノさまは怪我をしておいでです。無理は、断じていけませぬ」
 「こんなもの」
 キギノは肩をおさえ、
 「怪我のうちにはいらぬ」
 すると、ヒナギクはすっと立ち上がり、すました顔でその肩をぱんと叩いた。
 「アイイッ…」
 サクジリが目を丸くして、そのヒナギクの凛とはった顔を見つめる。
 キギノも思わぬ攻撃に涙をうかべ、ヒナギクを見つめた。
 「ご覧なされ。わらわごときの一打もよけられぬようでは、用心棒など勤まろうはずがありませぬ。十日のあいだ、ここで養生なされ。これは雇い主よりの命と心得られよ!」
 ピシャリ。キギノはぐうの音もでなかった。困り果て、サクジリを見た。
 しかし、サクジリはとっくに席をはずしている。 
 (あ、あのヤロウ……。)
 キギノはそろりとヒナギクに向き直った。ヒナギクは目に涙を溜めて、あらためて両手をそろえた。
 「お願いでございます。キギノさま。わらわごときのために、どうか、ご無理だけは………」
 そのヒナギクの声と清楚なふるまいに、キギノは顔を赤らめ、そっぽをむいた。
 「………わ、わかり申した。では、きっかり十日の後に。それまで、しっかり傷を治すよう、大事にしております」
 ヒナギクは、にっこりと顔を上げた。
                    
 「サクジリ……」
 小屋からこっそりと逃げだして、キギノとヒナギクを外より覗き見ていたサクジリは、声の方をむいた。
 鍋を洗い終えたタダジンが立っている。
 「タダジン。われらの役目もついに正念場をむかえた。ここが大事ぞ」
 サクジリは低い声でつぶやいた。
 「うむ……。だが」
 「だが、どうした」
 タダジンは天を指さした。青い天蓋に浮かぶ雲の数々。しかし、それがタダジンにはどす黒いモヤがかかって見えた。
 「空がどうかしたのか」
 「………邪気がせまっている。それも、とてつもない。………今宵、来る」
 「早いな。いったい何者」
 「わからん………」
 「わからんとな。では、あの二人になんと言う」
 「いや、言う必要は……ない」
 「なんだと」
 サクジリは驚いて旧知の修験者を見あげた。それほど、タダジンは大きい。
 「まさか、おまえ一人で立ち向かうつもりではあるまいな」
 「キギノどのは剣が使えん。……かといって……おぬしが振るうわけにもいくまい」
 「いや………まあな」
 「わしの見立てでは………相手は相当な術の使い手じゃ。なにせ………わしの結界をなんなく見破るぐらいじゃからの。………逃げても無駄………すぐに追いつかれる。ここは………わしの験力の見せ所よ………」
 タダジンはふっふと不気味な笑い声をみせると、立ち去った。サクジリは神妙な面持ちでそれを見送った。
 「あのタダジンが笑うほどの使い手か。………これは、相当な化け物が襲ってくるとみてよさそうだ」
 そんな化け物を目の前にして、はたしてキギノが黙っていられるか。答えはもちろん、否だ。サクジリはその敵のことより、キギノの事で頭がいっぱいになった。万が一にも、ここでキギノがやられては困る。どうすればキギノをおとなしくさせることができるか。
 「一服もるか、いや……」
 サクジリは首をひねった。
 「いっそ、適当な雑魚をまわしてもらい、それをキギノに退治してもらうか。いざとなったら、おれも………」
 サクジリは空を見上げた。まったくなんの変哲もない、ただの空だ。
 「キギノ………」
 しばらく空を見ていたサクジリは、やがて小屋に戻った。
                    
        ※
                    
 その夜のことである。
 四人は狭い小屋の中で各々好きな場所にころがって寝ていた。
 窓よりさしこんでいた月光がにわかに消え去り、雲が低くたちこめたことを示した。狼たちの遠吠えもいつの間にか消えている。風が出て、森がざわめき始めた。
 三人は、そっと目をあけた。
 「サクジリ……」
 「まて。賊は賊でもこれは刀や槍を使う手合ではない。餅は餅屋。タダジンにまかせよう」
 「タダジンどのに?」
 キギノは、月光にのそりと影を落とすタダジンを見上げた。その影は、古い伝承の大天狗を彷彿とさせ、キギノはごくりと唾をのんだ。
 すでに修験者の白装束に身をつつんだタダジンは太い錫杖を手に、無言で小屋をでた。
 「姫。起きてくだされ。賊にて」
 「え……忍びにござりまするか……」
 「いいえ。物の怪にて……」
 「ええ?」
 キギノはいきなりヒナギクにおおいかぶさるように飛びつくと、そのまま転がって刀をとり、柄を口にくわえて鞘を抜き払うと左に
持ち替え、ヒナギクをかばいながらその影を斬った。
 「あ、ああッ……」
 ヒナギクは胴斬りにされたその影の正体を見て、言葉もない。
 「キギノ、早う!」
 出入り口でサクジリが叫ぶ。キギノはヒナギクを後ろにかばったまま、次々と影からわき出るそれらを牽制しつつ、小屋を出た。
 「これは……願ってもないことになった」
 サクジリは思いがけずもなった自分の思惑通りの展開に、密かに笑みをうかべた。
 「しかし、なんなんだ、こいつらは!」
 サクジリは立ち止まった。小屋の周囲はすでにその小さな化物どもに囲まれている。背が低く、痩せこけ、病人のように土色の肌をし、頭は禿げあがっている。そしてその禿げた頭につきでる牛の角。
 「こ、これが餓鬼というやつか。初めて見るが………あのツラなど、いかにも死肉を貪るのに都合が良さそうではないか」
 キギノはその小さな牙がずらりと並んだ口を見すえた。
 「おれらの死肉かね」
 「悪い冗談だ。サクジリ、逃げ道は」
 「こいつらをみな打ち倒せば、あるいは………」
 キギノは舌を打ち、背中でぶるぶる震えているヒナギクを抱き寄せた。ヒナギクだけは、なんとしても護らねば。
 餓鬼たちはキーキーとか細い鳴き声をあげ、じわりと三人を包囲する。
 そこに、ごう、と風が吹きすさび、枝葉の重なりよりざわりと何者かがその風に乗って天に影を浮かべた。その影は天に舞ったまま低く、そして大きな声で密教の九字呪法を切った。
 「臨める兵、闘う者、皆、陳烈れて前に在りいッ!」
 その呪文は一喝の気合と共に風にのって、地面の餓鬼たちのことごとくを一撃で砕いた。
 そして影がふわりと地面に下りた。
 タダジンである。
 「お、おみごと……」
 キギノはほとほと感心した。
 「………これを見られい」
 タダジンは地面をただよう紙の切れはしを手にとって、キギノとサクジリに見せた。餓鬼たちが砕けた後に、残った代物だ。
 キギノは目をみはった。ちぎれた紙くずには、朱で五芒の形の星の印が描かれていた。そしてその印を、キギノはよく知っていた。
 「敵は………陰陽師じゃ」
 「陰陽師」
 キギノはつぶやいた。まさか……と、思ったが、あの若い陰陽師が自分たちを襲う理由がどうしても思い浮かべず、首をふった。
 (トヲルどのだけが陰陽師ではあるまい………。)
 「キギノ、陰陽師とは、なんだ」
 横からサクジリが尋ねる。
 「都の占い屋よ」
 「占い屋が、かような物の怪を使うのか」
 「左様。おれの腕が片方使えないとあれば……ここはタダジンどのにお任せするしかないようだ。さきほどは、まるで天狗かと思いましたぞ。たいした験力で」
 「う…うむ………。では……わしはこれより……術者本人をつぶしに参る………。お手前らは………裏の沢の滝壺に行かれよ。………わしの結界が張ってあるゆえ………先程のような雑魚ではびくともせぬ………」
 「かたじけない」
 キギノは刀をおさめると、ヒナギクとサクジリをつれて暗がりに歩を進めた。
 その夜道を進みながら、サクジリが、
 「キ、キギノ。やけに素直だな」
 「なあに、陰陽の術の使い手の恐ろしさを些少なりとも存じているからな。あれほどの数の化け物相手に、片腕では無理だ」
 「ふうん……」
 サクジリはまだ震えの止まらないヒナギクを抱き寄せながら歩くキギノを、見直した。ただの猪武者だとばかり思っていたが、引くときは引く。意外だった。
 (なれば、心配はいるまい。)
 「キギノ。おれはタダジンを加勢に行く。おまえはいわれた通り、滝壺でおとなしくしていろよ!」
 「な、なに………」
 キギノがあわてて振り返った時には、サクジリの姿は影も形も無かった。
 キギノはふうと、息をついて、せっかちな相棒の去った後の暗闇を見つめた。
                    
        ※
                    
 「朱雀、玄武、白虎、青龍、勾陳、帝台、文王、三台、玉女! 朱雀、玄武、………」
 夜の闇の中でまったく目がきかないはずの鳥たちがいっせいに枝を蹴って天に舞った。男の全身よりふきでる邪気をその鋭敏な感覚で嗅ぎとって、森より大急ぎで逃げだしたのだ。
 「朱雀、玄武、白虎、青龍、………」
 こんな山奥に似つかわしくない立派な狩衣に身を包んだ男は、その白い仮面の奥でひたすらくぐもった声を出した。男の側の木の根元には、石の道祖神が置かれている。
 「朱雀、玄武、白虎、青龍、………」
 「なんど印をむすび………呪を唱えても………陰陽の早九字ごときでは………わが結界は破れぬわ………」
 男は声を発するのを止め、木の上を見上げた。高い梢の先より、黒い影が長い袖をひるがえして男の前に下り立った。その影は、まさに天狗そのものであった。
 タダジンだ。
 「ほう、飛行呪まで使えるとは、そこもとがこの結界の主かえ」
 男は仮面の奥で目をほそめた。
 「山法師にしてはなかなかよの」
 「………ぬかせ。この占い屋め。死にたくなくば………さっさと都へ帰るがよい」
 「ふん…」
 男はすっと歩を進めた。とたんに、側の道祖神の目がにぶく唸り、男の前に幾重もの光の壁が現れる。
 「無駄じゃと申したに………むう」
 タダジンはぎろりと眼をむき、男を凝視した。男はその光の壁に手をかざすと、再び呪文を唱えた。すると、光の壁がみるみる薄くなり、やがて男は壁をなんなくすりぬけて、結界の内に入ってきた。
 「こ、これは………」
 流石のタダジンも、唖然とした。常識では考えられない。力まかせに結界をうち破るならともかく、なんの障害も無しにすりぬけるとは。
 「こやつ……いかなる術を………」
 驚きを隠せないタダジンを、男がせせら笑う。
 「たわけ。九字の秘術がただ災いを打ち消すだけのものと思うてか。これはそも大陸において、不老不死を得し仙人が異界の扉を開くのに使いしもの。その本意を知る者にとりて、結界をすりぬけるなど、いとたやすきことよ。麿の式を倒したとあって少しは腕がたつと見ていたが………とんだ見かけ倒しよの………」
 「ぬ………!」
 タダジンはぎりりと歯を噛みしめ、錫杖を振り上げると一撃のもとに男を打ち据えた。
 が、骨が砕ける音と共に地面に転がった狩衣の男は、ふうっと紙の人形に化け、風に舞った。そして隣の木の影から、男がすたすたと現れ、タダジンの横を通って先を進んだ。
 「式神……ッ」
 タダジンは錫杖を地面に刺すと、両手で印をむすび、素早く呪文を唱えた。それは修験道で使われる一風変わった真言で、
 「カリランチョワカリランソワカ!」
 呪文が終わるやいなや、タダジンは錫杖を引き抜き、気合をいれた。すると、錫杖が抜けた穴より、二匹の鬼が飛び出てきて、一気に木を駆け登り、男の前と後ろに飛び下りた。
 「前鬼………それに後鬼か」
 男は前後よりとびかかる鬼を残像を残してすりぬけると、袖の内より呪符をばらまいた。
 (また、式か!) 
 タダジンは急いで九字を切ろうとした。が、それより早く、男の呪文が轟いていた。
 「ノウマクサンマンダバサラダンカン!」
 「金縛りか!」
 タダジンは男に飛びかかり、呪文を唱えさせまいと錫杖をふりあげた。タダジンと鬼たちの三身一体の攻撃を、男は避けもせずにそのまま印をむすび、
 「五行陰陽の理によりそらの動きを禁ず! 禁、鬼、禁、人!」
 その呪をうけて、男の周りを舞う三枚の呪符がタダジンと鬼たちに張りついた。
 「………!」 
 タダジンと二匹の鬼は、その姿勢のまま、空中にぴたりと固定してしまった。
 「よしよし」
 男は満足そうにそれをながめた。
 「朝までそうしておるがよい。さて……」
 男はさらに懐より呪符をだすと、宙にばらまいた。
 「かの者らの居場所を教えよ」
 呪符はさっと白鷺に変わって、闇夜をいずこかへ向けて飛び去った。
 「ま……まて………」
 行こうとした男に、タダジンが言葉をかけた。男は驚いて、
 「これは、口がきけるとは。たいしたもの。何用か」
 男は宙に浮いて止まっているタダジンを見上げた。
 「き……きさま……狙い………」
 男はくぐもった笑い声をあげた。
 「きまっておろう」
 「さ……せ……ぬ……」
 「口の減らぬ………」
 男は仮面の奥で目を光らせ、帯の短刀をすらりと抜いた。そしてすっ、と宙に浮いて、一息にタダジンの喉をかっ切った。
 吹き出る鮮血を避けて、男は地面に下りた。そして刀の血脂を丁寧に拭くと、闇に消えるようにその場を後にした。
                    
 サクジリは完全に男の気配が消えたのを確認すると、そっと暗がりよりその姿を現した。
 「タ、タダジンッ……!」
 しかし、すっかり血も流れ出て、真っ青な顔で宙に浮くタダジンは、すでに息絶えていた。術者が死んで、鬼もすでに消えている。サクジリはその哀れな姿を無表情で見上げていたが、
 「タダジンほどを倒すとは……何者だ?」
 サクジリは脱兎のごとくに男の後を追った。
                    
        ※
                    
 小さいが確かな量の水をどうどうと落とすその滝の側で、キギノとヒナギクはじっと岩に腰かけていた。かすかな星と月の光を反射して、滝は幻想的に浮かび上がっている。
 二人が腰かける岩の周囲には、タダジンの張った結界があった。なにやら真言が書かれた呪符が、岩にずらりと張りついている。
 ヒナギクは相変わらず震えがとまっていない。キギノの着物をしっかりとつかみ、離そうとしなかった。
 「姫……恐ろしゅうござるか」
 キギノはそっとその震える手をとった。ヒナギクはキギノ顔をみつめ、
 「は、はい。あ、あのような妖の物……まこと、この世にいようとは………」
 「ご安心あれ。いくら妖の物とて、剣にはかないませぬ。三百年の昔に都を騒がした、かのカツラギ山の鬼とて、鬼斬り丸といわれし神刀ヤスツナにその首をとられた話は姫も存じておりましょう。伝承のヨリミツ公のようにはいかずとも、命にかえて拙者が姫をお護り申し上げます」
 「はい……」
 ヒナギクは、キギノの手を握り返した。震えてなどいられない。キギノの足手まといにだけはなりたくなかった。
 そのキギノが、いきなり立ち上がった。見ると、周囲に白鷺が数羽、下り立っている。
 「か、かような夜更けに……」
 ヒナギクはぎくりとキギノをみつめた。尋常ではないほどの烈火の気合がキギノより吹き上がっている。キギノは顔面に汗をかき、目をみはり、歯をくいしばった。
 ヒナギクは手を離し、岩の影に隠れた。敵がきたのだ。
 「キ、キギノさま、ご無理はいけませぬ。よろしいか、いけませぬぞ」
 キギノは振りかえり、笑顔でそれに答えた。
 そして、目の前の闇より浮かび上がる巨大な鬼と向き合った。頭が牛の牛頭鬼だ。
 「まさかまこと人ならぬものを斬ることになろうとは……それも………」
 流石のキギノも、額に汗を垂らした。冷や汗だ。しかし、顔は笑っていた。
 にや…。
 「おもしろい!」
 キギノは、身の丈三丈はあろうかというその鬼にむかって、駆けた。
 鷺がいっせいに飛び立つ。
 「勝負だ!」
 鬼は天にむかって吠えるや、その身を巨大な牛に変え、川原の石を踏み砕いてキギノに突進した。
 「っしゃッ!」
 キギノは大の字に立ってそれを迎えた。その杭のような角がキギノの腹をめがけてつきたった瞬間、角をつかみ、体を開き、自らも転がりつつそのまま牛頭鬼の突進力を相手に合わせてひねって後ろに流した。
 相手の重心を完全に操作するという、八剣流柔術でも口伝でのみ伝わる秘技である。後に「合気」いう名で完成される神日琉柔術究極の奥義を、すでに八剣流はその源流として有している。この秘技を究めれば、一人はおろか、数人をまとめて倒し固めることができるし、牛馬、妖物の類ですらその例外ではない。
 その秘技をくらい、牛頭鬼は豪快に転がって滝壺に落ちた。キギノはすかさず起き上がってそれを追い、左で刀を抜くと、もたつく巨牛の首を一撃でたたき落とした。
 すると牛は一枚の呪符に化け、水に流れた。
 「隠れてないで、でてこい!」
 川よりあがったキギノは、闇にむかって叫んだ。ヒナギクはキギノの右腕に目を奪われた。血がしたたっている。いまの攻防で、肩の傷が開いたのだ。
 「キギノさまッ」
 「心配ご無用! そら、おいでなすったぞ………」
 キギノは闇より浮かぶその仮面の男を見すえた。五芒の形、星の印……桔梗紋をつけた白と青の狩衣を身にまとい、星空の下をゆっくりと歩いてその男は現れた。
 「ふん、面などかぶってなんのつもりだ。狙いはなんだ。おれか。姫か」
 男は答えなかった。川よりあがったキギノは走って一気に距離をつめ、男に斬りかかった。刀は男を袈裟がけに両断し、男は血糊と臓物をぶちまけて後ろに崩れた。とたん、男は紙に化けた。
 「……!」
 キギノはヒナギクを向いた。案の定、男がタダジンの張った結界にせまっている。
 「姫か!」
 結界をものともせずに、男は悲鳴をあげるヒナギクに近づいた。
 そして男はいきなり、ヒナギクの額になにやら呪符を張りつけた。するとヒナギクはかくんと気を失い、男の腕に落ちた。
 「させぬ!」
 「禁!!」
 キギノの斬撃を、男の一言と一枚の呪符が止めた。キギノは見えない力に押し戻され、もんどりうって転がった。
 「では、もらってゆく………」
 「ま、まていいッ!」
 キギノは大きく息を吸い、俊敏な動作で手足を動かすと深く気を練った。そしてその気を丹田を中心に身体の正中線上に配し、裂帛の気合で爆発させた。男は、確かにキギノの頭上より天と地を貫いて光の柱が立つのを見て、驚嘆の声をあげた。
 天心とは、天、地、人の気の合和を表す。
 天心を究めし時、八剣の技は無敵となる。
 天心八剣流秘技、八の気術が一、「天心之体」。   
 「ふうううう………!」
 キギノは全身の毛穴という毛穴より吹き出る怒気をおさえつつ、男に近づいた。肩の傷など、筋肉でふさがった。吹き上がる気で、髪が逆立った。怒髪天をつく、と大陸の故事にあるが、まさにそれだ。刀をとり、ゆっくりと男に近づいた。
 「う……お……おお………」
 男はその迫力に圧倒され、動けなかった。金縛りの術にあったようだった。が、やがて思い出したようにあわててキギノの動きを禁じた。しかし、もはやその術はなんら効果はなかった。気合が違った。
 すかさず男は呪符をばらまいた。符は次々と餓鬼となり、キギノに襲いかかった。
 キギノはその鬼たちにむけて無造作に刀を振った。それだけで、餓鬼はばらばらと符に戻った。
 それを見た男は、いきなり逃げだした。もはやこれ以上の抵抗は無駄な努力だ。真の武者に、鬼などなんの役にも立たないことを男はよく知っていた。手持ちの呪符ではもう勝てない。こんな奥義を有していたとは。キギノを、いや天心八剣流をなめていた。逃げるが勝ちだ。ヒナギクを抱えたまま走りだし、呪文を唱えた。
 が、術が完成する前に、キギノの強烈な石つぶてが男の背中に命中した。男は肺までつきぬけた痛みに、その場にくずれた。
 男は咳きこみ、荒い息づかいで、はいつくばった。
 その目の前に、キギノが仁王立つ。すらりと、男の顎の下にキギノ剣がすえられた。
 「観念しろ」
 「う……」
 男は観念して、その姿勢のまま硬直した。
 「なにゆえ姫をさらう。クギラナが手の者か」
 男は、答えなかった。
 「答えよ! 首が落ちるぞ」
 男はまだ無言だった。キギノは急に悲しそうな声をあげた。
 「答えられよ……タケミツどの………」
 そして剣をふりあげ、男の面を真一文字に割った。
 面が音をたてて落ちると、その下には汗でびしょ濡れとなった、タケミツがいた。
 「トヲルどの………」
 「イ、イシヅミどの………」
 タケミツは、キギノの顔を見ることができなかった。
 「こっ、これは、なにごとでござるか。答えてくだされ!」
 「む………」
 「タケミツどの!」
 タケミツは、とぎれとぎれに答えはじめた。
 「ご、ご安心あれ。クギラナ公の手の者にあらず。姫をさらうは、わが使命にて」
 「なにゆえに!」
 タケミツは、口を閉じて、そっぽを向いた。
 「鉄砲かね」
 無言の答えが、それを裏付ける。確かに、あの時代を越えた兵器が手に入れば、これからますます酷くなるであろう乱世をかなり有利に生きていくことができる。
 「ならば、いずこの国の手の者か」
 「………」
 キギノはタケミツの首に刃をたてた。皮一枚が裂けて、血が流れる。
 「そ、それは言えぬ。言うわけには参らぬ。そ、そこもとも武士の端くれならば、君命にそむくは死に等しい事ぐらい、おわかりいただけるであろう。それは、われら公家とて同じこと………」
 「そなたほどの陰陽師が仕える者……?」
 「詮索はご無用!」
 タケミツはそう叫ぶと、キギノの刀を手でどけ、すう、と立った。
 「詮索はご無用。詮索すれば、みどもは命にかえて再びキギノどのと相まみえねばならなくなる。はるか都より、昼となく夜となく御身を呪わねばならぬ。それはいかにも辛いこと。役目をしくじりしこの上は、二度と御前には現れぬ所存。それで、どうか許していただきたい……」
 そう言うや、タケミツは素早く摩利支天の隠形印を唱え、かき消すように消えてしまった。キギノはあわてて周囲を見渡し、叫んだ。
 「か、勝手な事をぬかすな! いつでもわが前に現れなされ! そして再びまみえし時は、いっしょに酒をのむ時だ! よろしいかタケミツどの! よろしいな! トヲルどの! トヲルどの………!」
 キギノはぐいと涙をぬぐい、刀を収めた。
 そしてヒナギクの額の呪符を剥がすと、そっと懐にしまった。
 ヒナギクは、キギノの腕の中で、静かに目を開けた。
 「………ご無理はいたしませなんだか」
 「は」
 ヒナギクはキギノの首に腕を回し、その胸に顔をうずめた。
 川のせせらぐ音の狭間で、ヒナギクはいつまでもキギノの胸に顔をうずめた。
                    
        ※
                    
 タケミツは、闇の中をとぼとぼと歩いていた。見事に役目に失敗した。おめおめ都に戻るのが恥ずかしかった。が、失敗したものは仕方がない。天下の二剣用心棒の字、都でも評判だ。その男に破れたのだから、上も納得するであろう。
 「キギノどの。いつか、また、ご縁があれば………」
 タケミツは、キギノの叫びを正直嬉しく思っていた。
 「ご縁などない」
 タケミツはぎょっとしての声の方を凝視した。その、見た正反対の方から、ふらりと小柄な男が現れた。水干を来た、職人ふうの男だった。
 タケミツはゆっくりとその男に向き直った。
 「いかなる意味か」
 「知る必要はない」
 「ずいぶんと………勝手なことを申す御仁だ。何者か」
 男はその無表情な顔を、にたりと歪めた。
 タケミツはその顔を見て、ぞっとした。ずいぶん久しぶりにぞっとして、思わずタケミツは目の前の男に見入ってしまった。特徴のない目鼻だち。人込みにまぎれたら、二度と捜し出せないような顔だ。
 「か、変わった御仁だ。鬼ではあるまい。まこと、何者」
 男は、答えずに、すらりとその手の刀を抜いた。通常の刀とはどこか違った、短めで反りの少ない刀だった。鍔は色気もそっけもない正四角形。しかもやたらと大きい。
 タケミツは、その刀を知っていた。いや、その刀を使う輩を知っていた。
 (忍びか!) 
 その刀は、忍びがよく使う、いわゆる忍刀であった。
 (なればいずこの忍びか………!)
 とたんに、男がタケミツに斬りかかった。
 タケミツはあわてて懐より咒符を出そうとした。が、それより速く、男はタケミツの胸にむかって刀を振り上げていた。逆手に握られた男の刀は、一瞬のうちにタケミツの胸を逆袈裟に斬り裂いた。
 タケミツは声をあげる間もなく、血をふいて倒れた。倒れる間際、その手の咒符がはらりと舞った。
 男はタケミツの首筋に手をそえ、タケミツが確実に息絶えたのを念入りに確認すると、去った。
                    
 「あ、あ、あの剣は……!」
 木の影で、タケミツは自分のあまりに荒い息を押さえるのに必死だった。男が気づいて戻って来やしないかと、胸の鼓動をきつく隠した。
 あの早業。式を一体、用意するのが精一杯だった。いま戻って来られたら、今度こそ、殺られる。
 キギノに匹敵する剣だ。
 そしてその剣を使い手たちを、タケミツはよく知っていた。さかまく旋のごとくにくりだされるその技の数々。タケミツと同じ主君を持つ者たちだった。
 もっとも、命もなしに互いに協力しあうという関係ではない。あちらは裏の世界。こちらも裏の世界。裏と裏は、相いれない。
 男が完全に去ったようで、タケミツはそこでようやくほっと息をついた。
 「しかし……」
 タケミツは立ち上がると、パキンと指を鳴らした。側の死体がその音と共に紙に戻る。胸を裂かれてばったりと地面に伏す、タケミツの死体が。
 「まったく………主上もお人が悪い! ………まさか、あの者らも動いていようとは…………」
 タケミツはやれやれと言ってこった肩をとんとんと叩くと、天を見上げた。
 そして大きく深呼吸し、
 「あああ、月が笑っておるわ」
 そうつぶやくと、歩きはじめた。




 二剣用心棒