二剣用心棒

 九鬼 蛍


                  
        七
                    
 「おぬし、いずこへ行っていたのだ」
 小屋に戻って、ヒナギクに肩の傷の手当をしてもらっていたキギノは、ふらりと帰ってきたサクジリに、そう詰めよった。
 「タダジンどのは」
 サクジリは悲しそうに首をふった。
 「………そうか」
 「墓を掘っていた。そっちこそ、どうなった。敵の術者は………?」
 「あ、ああ。姫どのをねらってきたが、倒した。もう……二度と現れまい………」
 「そうか」
 サクジリはキギノの横に腰を下ろした。
 「で、どうする。ここに留まるのか」
 「ああ。傷を治さねばな。おう、かたじけない、姫どの」
 新しい包帯を巻いてもらったキギノは、腕を袖に通した。ヒナギクは薬を棚にしまい、騒ぎで荒れた寝床を片づけはじめた。夜が明けてきたのだ。
 「すみませぬな。姫どのに、さような女房仕事をさせて」
 「いいえ……」
 ヒナギクは赤くなって目をそむけ、
 「た、楽しゅうござります。今朝の朝餉はぜひ私めに。それに……キギノさまもサクジリどのも、どうか、かような亡家の娘をいつまでも姫などと呼ばないでくださいまし。ヒナギク、と、呼び捨てでけっこう………」
 「では、ヒナどの」
 「は、はい。こ、米をとぎに参ります」
 ヒナギクは額いっぱいに汗をかいて、逃げるように出ていってしまった。キギノはそれを笑いながら見送った。
 「自分で言っておいて………何を照れておるのだ」
 そしてふと、隣で暗く沈んでいるサクジリが気になった。
 「どうした。なにをふさぎこんでいる」
 サクジリは囲炉裏の中の火箸を灰に刺したりぬいたりしながら、ぼそりとつぶやいた。
 「十日のあいだ………何事もなければよいが………」
 「珍しいな。弱音をはくなど」
 「弱音ではない。おまえは剣が使えぬ。頼みの綱のタダジンが殺られたいま、何事かあったらどうする。妙な術者はもちろん、クギラナの忍びも恐い」
 「なあに。なんとかなるさ。いいか、サクジリ。そんな、びくびくしているとな、うまく行くものも行かなくなるのだ。それが物事だ。タダジンどのの張った結界とやらはまだ大丈夫なのであろう? 見つかるはずがあるまいて。まずはおれの傷を治さねばな。あんな無理は、まいどまいどはできぬ」
 「無理をしたのか」
 「多少……な。ヒナどのには、内緒ぞ」
 はにかみながら手を合わすキギノを見て、サクジリは可笑しくなり、
 「ヒナギクどのは、よいお方だ。なんとしても、無事にスンプまでお届けせねばな」
 「おう。その意気だ。さあ、ではヒナどのが炊いた飯でも食おう。生きている者は、飯を食わねばな!」
 「おう!」
 二人は気を取り直して、ヒナギクの飯の支度を待った。
 が、ヒナギクが炊いたのは、見事なまでにぐしょぐしょの「粥のごときもの」であった。真っ赤になりながら釜よりその「粥のごときもの」をよそったヒナギクを、キギノもサクジリも苦笑してみつめた。
 「キギノさまの傷が治るまで、ちゃんと御台を炊けるようになりまする」
 ヒナギクは二人の前でそう公約し、そして、何事もなく十日が過ぎたころ、その公約をみごと果たしたのであった。
                    
 サクジリのたっての願いで、タダジンの小屋は焼き払うことになった。キギノは、残しておいて他の山伏に使わせればよいと思ったが、ここはタダジンの隠し小屋だという。なれば主がいなくなったいま、真に隠してやるのが道理というものだ。
 三人はうっすらと立ちのぼる煙を何度も振り返りながら、無口だが人のよい山伏の残してくれた地図を頼りに、深い山中へとわけ行った。
                    
        ※
                    
 山にはなにがいるのか。山とは、なにか。山に入って、なにをするのか。
 修験道とは、山という巨大なるものに対する、命をかけた質問の旅路である。
 古来より山に入る者は限られていた。特にこの国に農耕が定着してからは、なおさらだ。
 「山」は千数百年来の秘境であった。
 そこで生きるには、特殊な能力が必要とされた。山人よばれる、農耕をまったく行わない狩猟採集氏族の能力が。山伏や忍びの者とて、深い山を行き来するには、かれら山人の助けが必要不可欠だといわれる。
 そもそも、地図には獣道が編み目のようにはってはいるが、じっさい歩いてみるとそれはお世辞にも道などと呼べる代物ではない。
 「だ、誰だ、われらでも余裕で通れるだなどと大風呂敷をひろげたのは」
 考えてもみれば獣道など、狐狸や狼、鹿の類がたまに通るにすぎず、およそ人が通るには細すぎる。サクジリは先頭に立ち、タダジンの小屋より持ってきたナタで周囲の藪を断ち切って道を広げた。
 「い、いや、まさかこれほどとは……」
 ヒナギクの隠れていた洞穴へ到る山など、この連山にくらべれば林に等しい。傾斜は急で、水を大量に含んだ腐葉土は容易に足を滑らせる。突然切り立つ大岩。その岩には苔、シダがびっしりとはびこり、登るなどもっての他。仕方なく、いま来た道を戻る。
 「猿なら、登れようが……」
 そう言ったとたん、サクジリが落ち葉に足をとられて一気に斜面を転がった。
 「サ、サクッ!」
 しかし、流石サクジリ。そこらの木に手をかけて、止まった。
 慎重にキギノたちと合流したサクジリは、かなわんといった顔で再び地図をとりだし、
 「い、いま、ここを歩いている。この尾根まで行って、道をはずれよう。この様子では道を外れたところでたいして変わらん。一刻も早くスンプに入ろう」
 ごもっともであった。
 三人は、大岩を避けて歩きはじめた。蔦のはう大木の隙間を通り、某かの茸がむらがる倒木にまた道を遮られ、地割れを跳び、小川を越えて、やっとの事で足を運んだ。
 季節は夏。
 雑草、下草は時に腰まで伸び、熊笹にいたっては背丈を越えた。気の遠くなりそうなほどの草いきれは太陽が高くなるにつれてますます酷くなり、延々とまとわりつく羽虫の大群にはいいかげん狂いそうになる。鋭い葉や枝先は、丈夫な革の手袋や脚半があっても、容赦なく手足を切り刻む。
 何十頭という猿が縄張りに進入した妙な人間たちを威嚇しながら頭上を横切り、狼も遠くにちらちらと見え隠れした。熊にも一回会った。もっとも、その時は熊のほうで腹がいっぱいだったのか、さして興味も示さずに行ってしまった。
 いちど、大きな青大将がぼとりとヒナギクの顔に落ちてきたときは、天をひっくりかえしたような大騒ぎとなった。
 「も、もうしわけありませぬ。もはや一歩も進めませぬ」
 やがて、ついに、ヒナギクが音をあげた。いや、ここまでもった事をむしろ褒めるべきだ。
 「で、では、ここでしばし休むことと致しましょう」
 正直、キギノもまいっていた。人並み以上に体力はあるつもりだったが、山登りはいささか経験不足だった。息があがり、足腰がたたない。これでは大嫌いな人足仕事のほうがまだましだ。
 サクジリも、このままでは少なくとも無事にスンプに着くことはないであろうと判断した。特に、ヒナギクになにかあったら、ここまでの苦労も水の泡だ。山というものをなめていた。一応、地図の通りに来たが、それが正しいかどうかすら怪しいものだ。
 サクジリは、辺りを見回すと、手頃な木にのぼりはじめた。
 「な、なんのつもりだ」
 キギノが見上げる。
 「助っ人を呼ぶ。このままではいずれ迷ってのたれ死にだ。タダジンがいないので、来るかどうかわからんが………やってみる」
 サクジリは木の上で、指笛を吹いた。鳥の声のようだった。某かの信号になっていた。
 「まこと、頼りになりまする」
 ヒナギクのその言葉に、キギノも、木の上で必死に笛を吹くサクジリを見上げ、うなずいた。
 「よいご相棒をおもちで………」
 「は…」
 確かに、これ以上頼りになる相棒は考えられなかった。しかしキギノは、あの、出城より抜け出した夜以来、ずっと、気になっていた。サクジリの、身の上にである。
 知り合ったのは、十の折だ。町の飾り職の子で、十五の時に独り立ちした。後で聞いたが、その親は養い親で、まことの親は顔も知らないということだった。
 ニシギの国の家老職の家に生まれたキギノであったが、五男で末子という事も手伝い、家では生まれたときから「厄介」であった。家に居場所はなく、だからといって外に遊びに出ても、相手をする者は皆無だった。町の大人たちは触らぬ神に祟りなしと、自分の子がキギノと遊ぶのを許さなかった。万が一キギノが怪我でもすれば、重い処罰が待っている。
 幼いながら、キギノは自分を孤立させている「家」というものを明確に意識し、怒りと疑問を感じていた。
 そんな時、一人だけ、彼と口をきいてくれる者が現れた。
 それが、サクジリだった。
 「おい。名前は」
 「………」
 「名前はっていっているんだ。答えろよ」
 「………イシヅミ。キギノ・イシヅミ」
 「なんだ、侍のくせに情けない声だな。おれは、サクジリっていうんだ」
 「………何か用?」
 「用ってほどでもないけどよ、なんだ、その、暇そうだからよ」
 「…………書も剣もつまらないし、屋敷ではだれもかまってくれない。父上がお城のえらい人だから、外でもだれもかまってくれない。だから…………」
 「じゃ、川で魚をとって遊ばないか?」
 「………え……?」
 「暇なんだろ? つきあえよ」
 「……い、いいの? 拙者でも」
 「拙者なんて言うなよ。自分の事は、おれっていうんだ」
 「お、おれ……?」
 「いいから、いこうぜ」
 サクジリに手を引かれ、初めてキギノは他人と接触したといっても過言ではない。それから、今に到るまで、サクジリは常にキギノの隣にいた。キギノが狂ったように剣に夢中になったのも、「外の世界」で生きていくのに、なんでもかんでも自分より優れた物を持っていたサクジリより、ひとつで良いから上回る物を持ちたかったからだ。
 十七で家を飛び出たキギノに、用心棒を薦めたのも、サクジリだ。と、いうより、早く家を出て用心棒になれと、サクジリは会うたびにキギノに言った。
 いまの自分があるのは、すべてサクジリお陰であるとキギノは思っていたし、サクジリの事は他の誰より知っていると信じていた。
 それが、ここ数日のサクジリの見せる、まるで知らない一面に、キギノは戸惑っていたのだ。
 指笛を吹きおえたサクジリがするすると滑り下りてきて、ジッと自分を見つめるキギノに気がついた。
 「な、なんだ」
 「おぬし……サクジリだよな」
 「なんだと?」
 「サクジリは、サクジリなのだ。うむ」
 サクジリは開いた口がふさがらずに、
 「ヒ……ヒナギクどの。こやつは、あの、いかがしてしまったのか」
 ヒナギクは肩をすくめた。キギノが憮然として言い放つ。
 「おれは何ともない。おかしいのは、サクよ、おぬしだ」
 「失敬な」
 サクジリは眉をひそめた。
 「バカを言ってないで、少しは周囲に気をくばったらどうだ。すでに山人が近くまで来ているやもしれん」
 「あやつらの事か?」
 キギノは、藪のむこうから顔を出す、猟師たちを顎でさした。
                    
 「いや、まさか来ていただけるとは思いませなんだ」
 サクジリは嬉しそうにその男たちに向かって話しかけた。しかし、その三人の猟師たちは、無表情のまま、いっこうにその場所から動こうとはしなかった。
 「あ、あの、山伏のタダジンの仲間にて、サクジリともうす。こ、この侍はキギノ。こちらはヒナギクどのともうして……」
 サクジリは、口を閉じた。自己紹介しても無駄だと気がついたのだ。
 その時、男たちの内の一人が、藪をかきわけて近づいてきた。
 サクジリはホッとして、
 「やっと話を聞く気になったか」
 「止まれ!」
 サクジリはキギノを見た。けわしい表情で男を制止したキギノを。
 「な、なんのつもりだ」
 サクジリのささやきを無視して、キギノは男にむかってさらに加えた。
 「いちおう尋ねるが、クギラナが手の者か」
 サクジリは息をのんだ。
 「な、なにを言っている! なんでもかんでも忍びと決めつけて、おい………」
 「おぬしは黙ってろ」
 「だが………」
 「左様にござりまする」
 「ええ」
 サクジリは言葉を失い、猟師とキギノを見比べた。
 「よくここがわかったな」
 唖然とするサクジリを後ろに下げて、キギノは不遜な態度で猟師に向かった。
 すると、猟師たちはいっせいに藪を出て、素早く刀に手をそえるキギノの前で片膝をついた。
 「そちらより指笛が。正直、われらも御身らを見失っておりましたが、助かりました」
 サクジリは肩を落とした。助っ人を呼ぶどころか、敵を呼んだとは。
 「で、膝などついて、どういう了見だ」
 「は。クギラナ公は、そなた様をお召し抱えたしと強くご所望。スンプに逃げられるまえに、姫様ともども生かして公の御前にお連れするのがわれらが役目」
 キギノは唾を吐いた。
 「ふざけるな。だれがあんなタヌキに仕えるか。顔を洗って出直してまいれ」
 「では、腕ずくでも」
 忍びたちが三方に散るのと、その一人をキギノの抜刀術がとらえるのとは、ほぼ同時だった。全身のバネで刀を抜き、その威力をそのままぶつける。忍びの一人は、空中で胴斬りにされた。
 「サク!」
 と、キギノが叫んだ時には、サクジリはヒナギクを抱えて茂みに消えていた。まだ手足がびくびくと動く忍びの死体を跳び越えて、キギノは二人目に迫った。そこに後ろから縄が飛んできて、キギノの腕や首にかかった。
 舌を鳴らすキギノの腹に、目の前の忍びが正拳を入れる。しかし、一発ではキギノを気絶させるには足らなかった。
 二発、そして三発めで、突然キギノを捕らえていた縄が緩んだ。すかさずキギノは、目の前の忍びを一刀の元に斬って捨てた。
 キギノは縄をはずしながら振り返った。忍びの気配はすでに無い。何者かがキギノに縄をかけた忍びを倒してくれたのだ。
 サクジリしか考えられなかった。
 が、サクジリに礼を言おうとしたキギノは、再び刀を構えた。縄を手にしたまま絶命している忍びの背中に、深々と矢が刺さっている。
 「サ、サクジリ! どこだ!」
 そう叫んだが、サクジリもヒナギクも、返事はない。
 「もういい。忍びは倒した。出てこい!」
 やはり返事はなかった。
 「サク!」
 「お、おうい…」
 キギノは、ひと息ついた。そして、サクジリとヒナギクに続いてぞろぞろと茂みより現れた、背の低い、猟師というより異国人のような風体の男たちを見つめた。
 「………どちらさまだ?」
                    
 男たちは毛皮をまとい、布はほとんど身につけていなかった。背が低く、サクジリと同じか、それよりもっと小さい者もいた。鼻が高く、彫りの深い顔で、眉や髭が濃かった。そしてなによりその弓が変わっていた。茂みの中でも射れるよう、小型で、原始的だった。
 「いや、とびこんだ茂みにぞろぞろっとおられてな。肝を冷やした」
 サクジリが頭を掻きながら言う。忍びが来るより先に来て、様子を見ていたのだ。まさに獣並の感覚で、気配を消していた。
 かれらこそ、いわゆる山人。はるか米作伝来以前の先住民の血を引くといわれる、完全狩猟氏族。そして、かつて朝廷より「土蜘蛛」や「鬼」として正史より抹殺された者たち。
 「まことタダジンさまの仲間か」
 山人の一人が、ぎろぎろと光る目で三人をみつめた。話がややこしくなるのを恐れて、サクジリが代表で交渉する。
 「まことだ。サクジリという。聞いたことがないかね」
 「ない」
 山人の一人は憮然と言い放った。
 「……まいったな」
 サクジリは腕を組んだ。そしてすぐ、
 「銭か?」
 山人たちはちらちらとお互いに見合った。いくら人里離れた所で独自の生活を送っていようと、銭はあるにこしたことはないだろう。
 「よしよし」
 サクジリはキギノを見た。前金としてもらったカギマ小判がまだいくつかあったはずだ。
 キギノはしぶしぶ、懐より金貨を一枚、とりだした。
 とたんに、山人たちからおお、と感嘆の声があがる。
 サクジリはいい感触を得て、ほくそ笑んだ。
 「どうだ。スンプのタメ村まで案内してくれたら、やるぞ」
 しかし、山人の一人が、
 「それで、酒がいくら買える」
 「さ、酒………?」
 サクジリは言葉をつまらせた。カギマの金相場までは知らない。
 「はて……カギマ金はいくらぐらい買えるのかのう………」
 「米でもいい」
 「こ、米ねえ………何俵ぐらいかのう」
 「………マガイモノか」
 「ち、ちがう! だが………」
 「昨年は豊作でしたので、四俵は買えますよ」
 これぞ天の助け。サクジリは交渉役をヒナギクに譲った。
 山人たちは、ヒナギクが前にでると少し、下がった。里の女に慣れていないのだ。特に男装の麗人など、なおさらだ。
 「よ、よんひょうとは俵でよっつか。まことか。まことに俵でよっつも買えるのか」
 「はい」
 山人たちはお互いにひそひそと話し合い、やがて、一人が前に出て、小判を受け取った。
 「わしが案内する。来い」
 小判を仲間に渡すと、その山人は茂みの中に入っていった。
 三人はあわててその後を追った。そして、なにやら道なのかそうなのかわからない、だが不思議にも楽に通ることのできる箇所を伝って、日も暮れるころ、眼下に人の営倉する場所を望んだのだった。
 「あ、有り難い!」
 キギノが叫んだときには、山人は影も形もなかった。三人は山にむかって、深く頭を垂れた。
                    
        ※
                    
 三人は、互いに顔を見合った。
 「………どういうことだ」
 村は、異様なほど静かだった。
 「畑にでているのかな」
 「に、しても、誰もいないというのは……」
 そうつぶやいたヒナギクが、キギノの袖をつかんだ。振りむいたキギノは、言葉を失い、ぎりっと奥歯をかんだ。家々のあいまより、わらわらと兵が現れて、あっというまに三人を槍襖でかこんだ。
 「いずこの兵だ」
 キギノがささやく。
 「わからん。スンプか。カギマか」
 「カギマだと………」
 キギノはサッ、サッと兵たちを見回した。総勢約二十。キギノにとってやってやれない数ではないが、なにせいまはサクジリとヒナギクがいる。おとなしく、兵たちの誘導に従った。
 兵たちは、三人を村の真ん中の広場に連れた。そこには既に陣幕が張られ、その陣幕に染め抜かれた見覚えのある家紋にキギノは顔をしかめた。
 三人は幕の前で待たされた。するとすぐさま、幕内より幾人も武将をひきつれた大将が現れた。
 「御前である。片膝つけ」
 武将の一人が威張って言った。しかし、三人は突っ立ったままだった。
 「こ、この下郎ども………」
 「かまわぬ。ほうっておけい」
 「は、ははっ……」
 キギノは、再びその声を聞くことになろうとは、夢にも思わなかった。サクジリは初対面だ。ヒナギクにとっては、憎き親の仇となろう。
 しかしヒナギクは平静な態度で、
 「従兄弟さま。お久しゅう」
 「おう、ヒナ。元気そうでなにより」
 相も変わらず盃を片手にほろ酔い加減で、クギラナはヒナギクにそう言った。
 「あんたも大儀だのう。三十万石を治める大名が、自ら兵を率いてたった三人を捕らえるために他国まで出向くか。このことがスンプの城に知れたら、ただではすまぬぞ!」
 「なあに」
 キギノの脅しをクギラナは笑いとばし、
 「村の領主どのに大枚をはたいてな。村を二十日のあいだ、借りうけたのよ。ヒナを手に入れるためならば、わしはなんでもするぞ」
 「それほど鉄砲がほしいか」
 「ほしい!」
 クギラナは叫んだとたん、ぎろりとキギノをにらみつけた。その迫力に、流石のキギノもたじろぐ。
 「わしはカギマごときで終わる男ではない。東海三国はおろか、都の幕府をもたたきつぶす所存。そのためには、五千丁の鉄砲と五十門の巨筒は、無くてはならぬ」
 「五千……」
 サクジリが声をつまらせる。
 「どうだ、キギノ。わしに仕えよ。その剣をいくさ場で存分に働かせてやるぞ。どうせニシギにいてもうだつが上がるまいに。働き如何によっては、奉行にひきたてる。ヒナも嫁にやろう。さもなくば、相棒ともども首を野にさらすことになる」
 それを聞いて、ヒナギクはうつむいたまま、ぎゅっと自分の手を握りしめた。いまここで二人を殺すより、はるかにましな選択が目の前にある。
 ヒナギクは、顔をあげた。その顔を、キギノがみつめた。そしてキギノは、ゆっくりと首を横に振った。
 「サクジリ」
 「なんだ」
 「後はたのむ」
 「…………」
 キギノは、一歩まえにでた。
 「殿さまよ。そいつは無理な相談だが、おれも命は惜しい。そこで、どうだい。武士らしく、こいつで話をつけんか」
 そう言って、腰の物をぱんと叩いた。クギラナが大声で笑う。
 「なにが可笑しい」
 「戯れ言はよしてもらおう。わしが腰の物で、天下の二剣用心棒に勝てる道理がない」
 「なんと、謙虚なことよ」
 「まことのことじゃ」
 「ならば………都合がよい!」
 言うが、キギノは猛然とクギラナに斬りかかった。すべるように歩を運んで間合いをつめ、刀を抜き払いざまに斬りつける。天心八剣流、八の抜きが一、「初斬」。
 しかし、クギラナは驚きもせず、それを見透かしていたようにふらりと後ろに下がった。その時には小姓が二人、クギラナの前に出ていて、キギノの剣はその内の一人の胸をばっさりと裂いた。
 「チイィ!」
 キギノはもう一人の小姓を斬って捨てながら、クギラナを目で追った。クギラナは既に幕の内に入ってしまっている。キギノはそれを追おうとした。
 そのキギノに、後ろから雄叫びを伴った槍襖がいっせいに突きかかる。キギノは大きく跳んで、それを一気に避けた。
 場は騒然とし、武将の怒号と兵士たちの具足の音でまったくわけがわからなくなった。
 すでにサクジリとヒナギクは影も形もない。さすがサクジリ。隠れ技は天下一品だ。
 キギノは安心して、幕内までクギラナを追った。幕が邪魔して、槍は入ってこれない。
 そのキギノの前に、刀を抜いた武将が立ちはだかる。勇猛で名高いカギマの兵。クギラナの配下ともなれば、まるで怒れる獅子のごとくだ。
 キギノは奥歯をかみしめた。
 具足を帯びた武者と戦うとなれば、柔術も剣術も平服相手とは勝手が異なる。実際、これからの戦国の時代にはいわゆる「甲冑組手」や「介者剣術」と呼ばれる、鎧をまとった姿を前提とした柔術なり剣術なりが全盛となる。漆黒の戦国鎧に身を固めた武者が放つ抜刀術などは、迫力満点だ。
 キギノは、武者の一撃を受け流すと豪快に蹴り倒した。全身をおおう鎧が仇となって、武者は容易におき上がれない。キギノはその隙に首筋に正確に刀を刺し入れ、ひと突きのもとに武者を倒した。
 そして振り返りざまに、せまっていた足軽を両断。
 さらに左右からの二人を流れるように順次斬りすてる。
 それから返り血に真っ赤にそまったまま刀をつきつけて幾人かを牽制しつつ移動し、近づく者をかたっぱしから斬ってすてた。
 相手を斬るころには、目はすでに違う方を見ている。ただ見ているのではない。瞬時に間合い、敵の種類、力量を見定める。
 目付。
 一対多数を想定とした「多人数剣」はまさに各流派の奥義中の奥義であるが、この「目付」こそが奥義の重大な鍵である。
 八剣流においては、それは奥義「八方分身」とよばれる。
 たとえ何人が相手であろうと、物理的にそれの全てがいっせいに襲いかかってこれるはずがなく、道理からいって一度に襲ってこれるのはせいぜい八人までである。では、その八人を目付をもって見極め、順次倒せばよい。されば一騎当千の文字通り、千人が相手でもなんら恐れることはない。と、いうのが術理である。
 が、言うが易し行うは難し。
 実際にそれを行うとすると、もはや人間の力を越えた神がかり的、動物的な洞察力と判断力、実行力が必要とされる。
 まさに秘奥義である。
 ところがキギノはそれをやってのける。
 ようするに、勘、がすべてだ。
 目付にも限界がある。ましてこのような乱戦のさなか、人間が見て回れる範囲など、たかがしれている。
 あとはもう勘に頼るしかない。
 バッタバッタと斬り捨てるのに、何がいちばん大事かというと、勘なのである。
 しかし、大抵はこのように己の技術の粋と勘を頼りに数名を斬り殺し、深手をおわせ、相手が少しでもひるんだ時点で素早く逃げるのが理想だ。
 が、いまキギノは逃げるわけにはいかない。自分は囮である。大勢の武装兵を相手にしながら、ひたすら、クギラナを追う。
 キギノは目前の足軽の額をたたき割った後、横からせまる槍を脇に通してかわし、そのまま間合いをつめ、恐怖にひきつるその兵の首を一撃でふッ飛ばした。
 つづけて斬りこんでくる足軽の両腕を刀ごと斬り飛ばし、横にせまっていた者の喉を一閃の元に裂き、後ろを胴斬りにすると隣の一人の両手首をすぱりと落とした。
 キギノの歩いた後には、腕やら首やら死体やらが累々と重なり、まさに地獄絵図のごときであった。
 にや…。
 キギノは笑っている自分に驚いた。こんな乱戦、しかも多人数剣は生まれて始めてであったが、意外と楽しい。余裕がある。
 何人斬ったかすでに覚えていない。が、槍襖がキギノの移動に合わせて動く様子をみたら、すでに足軽たちが恐れおののいて容易に襲ってこれなくなるほどの数を斬って捨てたようだ。
 キギノはにやつきながら、ずんずんと歩を進めた。
 足軽たちはそのキギノの顔に恐怖した。この状況で「笑う」という、その現実に恐怖した。こんな奴に立ち向かっては、命がいくつあっても足りやしない。それにやっと気がついた。 
 そして気づくのをキギノも待っていた。雑魚にかまわず相手を追える。
 「なにをしておるかァ!」
 そんなへっぴり腰の足軽たちに、一人の武将の怒鳴り声が発破をかけた。が、足軽たちは逆にその武将を恨めしそうにみつめた。
 「な、なんだ、おまえら!」
 「おぬしがこられよ………」
 ぞくりとするような声だった。武将はやけになって、刀を抜くとキギノに斬りかかった。
 「ヒュッ」
 キギノはその武将の横に歩をすべらせると、下段に刀を振った。同時に武将の片足が地面を転がり、倒れた武将が叫び声をあげる前にキギノは兜ごと脳天を割っていた。
 「ふん」
 キギノは血振りをして、刀を見た。そろそろ使い物にならなくなってしかるべきだ。
 が、刀はまだまだ大丈夫だった。さすが天下の名刀、ヤスツナ。鬼はおろか神仏をも斬ってすてると豪語するだけはある。
 キギノは周囲を見回した。クギラナはいったいどこへ逃げたのか。まさか馬を駆ってとっくに村から出ていったわけではあるまい。あの男の性格から考えて、それはない。
 なれば家の中に潜んでいるのか。村中の家を一件一件回るのは流石に無理だ。
 そのキギノのすぐ側に、気配がした。間合いに入られた。キギノは本能でその者に斬りかかった。
 「お、おれだ!」
 「サ………」
 キギノは驚いた。
 「な、なにゆえおぬしがここにいる!」
 サクジリは苦悶の表情で答えた。
 「すまん…………はぐれた!」
 「なんだと!」
 そう言って、キギノはここぞとばかりにせまってきた足軽を二人、斬った。
 「なにがあった!」
 「し、忍びが、すでに」
 「庭か」
 「そうだ。襲われて、かばって戦っているうちに、さらわれた。め、面目ない!」
 「……おぬしが無事なら……よい」
 「キギノ………」
 「クギラナは姫を殺さぬ。それより、当のクギラナはどこだ。わかるか」
 「ここじゃ」
 キギノとサクジリは、声の方を見た。兵士の向こう、とある家の前で、重臣をひき連れて立っていた。その家老の一人が、ヒナギクをしっかとつかまえている。
 「キ、キギノさま!」
 ヒナギクはもがいたが、家老の太い腕がそれをけっして放さなかった。
 キギノはクギラナを射抜くような瞳で見つめた。兵士たちの壁が、その視線を避けるように割れた。
 「そう恐い顔をするな。どうじゃ。もういちど聞く。わしに仕えい」
 キギノは無言で近づいた。すぐさま、クギラナが脇差を抜いてヒナギクの喉元に当てる。
 キギノは止まった。
 そしてすかさず、一計を案じた。
 「よし、殿さまよ。おれと勝負して、勝ったら、考えてやってもよいぞ」
 「たわけ。何度も言わせるな。勝てるわけがないわ。腰のものではな」
 「………」
 キギノは聞き逃さなかった。
 「では、なんなら勝てるというのだ。………鉄砲か」
 「この間合いで役にたつか」
 クギラナはにやりと笑うと、拳をにぎってキギノにつきつけた。
 「これじゃ!」
 キギノは眉をひそめた。
 「拳……だと………?」
 「左様。いつぞやは、わが従兄弟が世話になった」
 「従兄弟?」
 「猟師の姿で身分を隠し、うぬに手合わせを挑んだが、破れた」
 「なに………!」
 キギノは、いつか山中で戦ってかろうじて勝った猟師を思い出し、唾を飲んだ。クギラナの一族だったという驚きもさる事ながら、もし、クギラナがあの猟師と同じぐらいの強さとすると、殿さまとたかをくくっていては死ぬこととなる。
 「………おもしろい」
 キギノはサクジリを下がらせた。
 「相手になってやる」
 クギラナも、兵に鎧を脱がさせた。家老がなにやら諌めたが、もちろん聞きもしない。
 「わしが勝ったら仕えると、武士に二言はないな?」
 「ない」
 キギノはそう言って、ちらりとヒナギクを見た。そしてサクジリを確認する。クギラナを斬りすて、その騒ぎの隙に逃げる。それしかない。
 「どこを見ている!」
 そのキギノに、クギラナが襲いかかった。
 が、足元がおぼつかない。ふらふらと、千鳥足だ。
 「なんだ?」
 キギノは驚いた。
 「酔っているのか!?」
 しかし、これ幸い。大きく刀をふりかぶる。両断にしてやるつもりだった。
 そのキギノに、クギラナの強烈な拳打がきまった。
 キギノは両目をむき、あとずさり、腹を押さえた。熱い。背中までつきぬけるこの感触。
 さらにクギラナはよろよろとキギノに近づくと、ひゅんと体を回転させてその勢いで肘をたたきこみ、そのままキギノによっかかるようにして抱きついて、鋭い指をキギノの喉にくいこませた。
 「ッ………!」
 キギノは、クギラナに何度も蹴りや柄当てを入れ、なんとか離れた。その際に喉をひっかかれ、血がにじんだ。
 「油断大敵だのう」
 「……てめえ………!」
 にやにや笑いながらふらふらと体を揺らすクギラナを、キギノはぎろりと見据えた。
 「酔って戦うかよ」
 「修行が足りぬわ。これぞ、酔拳! 大陸拳術でも変わり種よ」
 「また大陸か。テイネの里は、大陸と交易でもしているのか」
 「できたら苦労はないわ!」
 クギラナは下品な笑い声をとばした。
 「ようは知らぬ。知らぬが、テイネの里には古くから大陸の拳術が幾つか伝わっておる。わしの親父どのが、一族に修めさせた。言い伝えでは、昔、大陸からいくさに破れた拳術使いが多数流れてきたというがの………」
 「ふうん」
 キギノはにやりと笑い、大刀を地面に刺すと、すらりと小刀をぬき、右に大刀、左に小刀として、それを上下に八の字に構えた。
 「ほほう、二剣を見せてくれるか」
 「ふん。あんた、あの猟師より強いだろ」
 「さあてね」
 クギラナは腰の瓢箪をとって、ふらふらしながらぐいと傾けた。
 「楽しいぜ。こんな気分は久しぶりだ!」
 闘気を立ちのぼらせ、だっとキギノが駆け寄る。クギラナはひょいと瓢箪を飛ばして、キギノの刀に瓢箪の紐をからめた。キギノは咄嗟に大刀を放し、小刀で斬りつけた。
 「おおっ」
 クギラナがよろけるように、それをかわす。皮一枚、かろうじて避けた。血が吹き出る。
 すかさずキギノの蹴りがとんだ。クギラナはそれを盃を持つ手をかたどった酔拳独特の手で受けると、キギノの袴を引きちぎった。
 キギノは間合いをとるついでに大刀を拾い、再び斬りかかった。まず大、そして小。くるりと回転して二刀同時突き。それが避けられるとそのまま歩を運んで柄当て。
 それはクギラナの肩をとらえ、クギラナは後ろに転がった。キギノはさらに追い打ちをかけた。が、転がったクギラナが脚を振り回して逆立ちをしたので、キギノはいったん引いた。
 クギラナは逆立ちのまま、
 「二の秘剣、見切ったり!」
 「なんだと?」
 「変幻自在が二剣の極意なり。これまでの剛直なまでに形通りの一剣に慣れた相手は、その自由きままな二剣に対応しきれず、うぬの意のままに翻弄され、そして死ぬ」
 「う………」
 その通りだった。
 キギノはまた顔をゆるめ、
 「こいつは、とんだ所で大物に出おうた!」
 キギノは斬りかかった。クギラナは宙返りをうって元に戻ると、突然、地面に倒れた。それからごろりと前転して、寝た姿勢から蹴りを出す。
 キギノはその脚を斬りつけた。すると脚はひょいとキギノの刀を避け、密かにのびていた反対の脚がキギノを足を刈る。
 しかしキギノは跳んでそれを避けた。
 が、いつのまにか起き上がっていたクギラナが回転しながら飛びこんできてキギノに頭突きをみまい、キギノはふっ飛んだ。そこにクギラナがそのまま肘をはって倒れこむ。その全体重をのせた肘はキギノの胸にきまり、キギノはうめいた。
 「どうした、二剣」
 クギラナはゆっくりと立った。キギノも立って、刀をひろう。
 「太極には勝てても、酔漢には勝てぬか」
 「ふ、ふざけるな」
 キギノは歩を運び、両刀で袈裟と逆袈裟から同時に斬りつけた。これを避けるには後ろしかない。
 案の定、クギラナはふらりと後ろにのけぞった。そこにキギノの前蹴りが襲う。が、クギラナは避けながら自らも脚を前にだし、その脚でキギノの蹴りを受けると、からめて、自分が後ろに倒れる勢いでキギノもひっくり返した。
 キギノはまた妙な攻撃をうけてはかなわぬと、急いで起き上がった。
 そこに、応じてすかさず立ったクギラナが追い打ちをかける。駆け寄り、いきなり、がくん、とつまづいたような勢いで拳を出す。キギノはその意表をついた攻撃に惑わされ、その拳を腹にくらった。だが倒れずに、刀を振った。クギラナはふらふらと後ずさる。
 「よ、酔っぱらいが……」
 腹を押さえてキギノがつぶやいた。クギラナは頭をぐらぐらさせながら、しゃっくりをひとつして、小姓に瓢箪を換えさせた。酒が切れたのだ。
 「酔えば酔うほど強いのが、酔拳じゃ」
 「そのわりに、酒臭くないではないか」
 キギノのその言葉に、クギラナは飲みかけの瓢箪を口から離した。
 「鋭いの」
 「中身は水か。それとも空か。どちらにせよ、酔ったふりは、もはやきかぬぞ!」
 キギノは両足をふんばると、深く息をつき、丹田に気を沈めた。そして改めて、二刀を上下、八の字に構えた。
 「遊びはここまでだ」
 くるな、と、クギラナは再びゆっくりと体を揺らした。これが酔拳の構えだ。
 キギノは雄叫びと共にクギラナに駆けより、大刀を振り下ろした。クギラナはそれを体を回転させて避けたが、下段からすかさず小刀の追い打ちがせまる。クギラナはそれもなんとか、かわした。すると右下から大刀が。続いて左上から小刀が。かと思ったら正面から二刀突き。大刀で足払い。小刀で小手……。
 まるで、ふたつの刀が別個の生き物のようにクギラナを襲う。さすがのクギラナも、その変幻自在の攻めに、ついに体を崩した。
 「うおお!」
 両人が同時に吠える。キギノは大きく歩を運んでクギラナを追い、二刀も天地左右から唸りをあげてクギラナを追った。その大刀の一撃は虎の咆哮がごとき。その小刀の一撃は隼の風をきるがごとき。縦横無尽に、微塵の隙もない。
 天心八剣流、秘技「二剣八歩」。
 心技体がそろって初めて可能な、必殺奥義の一である。
 クギラナはそれでも懸命に体勢を立て直そうとしたが、酔拳特有の千鳥足歩方を封じられた時点で、勝ち目はなかった。キギノの大刀の足払いを跳んでよけた瞬間、小刀の柄当てをくらい、地に倒れた。
 そこに、
 「死ね!!」
 轟然と二剣が吠える。
 その殺気に、クギラナは背筋が震えた。ぞっ、と戦慄した。キギノの刀が止まって見えた。
 が、
 「お待ちをッ!」
 「…………!!」
 キギノは、凍りついたように動きを止めた。
 クギラナも、目を見開いたまま、キギノの二剣を見つめていた。
 やがて、キギノは刀を振りかぶったまま、その声の方を向いた。クギラナも、息をのんで声の主をみた。
 それは、ヒナギクだった。
 驚きのあまり力の緩んだ家老の手をふりきり、ヒナギクは二人に走り寄った。そしてそのままキギノに土下座し、
 「キ、キギノさま。お願いにござります。どうか命ばかりはお助けくださいませ。従兄弟さまはこれからのカギマの国に、無くてはならぬお人なのです」
 「………ヒナ」
 クギラナは、呆然としてヒナギクを見つめた。キギノは、ぶるぶるとその振り上げた刀を震わせた。
 「な、…………」
 そして叫んだ。
 「なんでござるか、そりゃあ!!」
「お怒りはごもっとも。なれど……!」
 キギノは歯をぎりぎりと鳴らすと、刀を下げ、むこうを向いた。
 「……ここまでか………」
 無念だった。依頼主に裏切られるとは、思ってもみなかった。
 だがクギラナはすっくと立ち上がり、
 「皆のもの。余興はここまでじゃ。カギマに戻るぞ」
 キギノとヒナギクは小さく声をあげた。そしてキギノは、その後ろ姿に声をかけた。
 「よ、よいのか……」
 「借りた物はすぐさま返すのがわしの流儀じゃ。五千丁ごときの鉄砲、わしが自力でかき集めてみせるわ」
 クギラナは振り返らずにそう言うと、矢継ぎ早に抗議する側近たちを怒鳴りつけ、行ってしまった。兵たちは、無言でそれに従った。
 後には、キギノとヒナギクと、サクジリの三人だけが、残った。
                    
        ※
                    
 街道の果てに、スンプ城が見えた。この時代の主流は山城だが、その中でも最先端の技術を使って建てられた、堅固な城だ。背後に大海をせおってそびえるフタマ山の中腹に見える板塀は、高さ十間を誇る。
 その山の下の平野に開けた交易城下町が、スンプだ。いまや戦乱に荒れ果てた都をもしのぐ勢いで発展し、スンプを一躍神日琉有数の強国にした。このまま街道を進めば、やがてその町に入る関に到る。
 やっとついた。
 キギノとサクジリはその城を眺め、大きく息をすった。潮の香りがいやでもスンプに来たことを示す。あとは、ヒナギクの母方の伯父にあたるという、スンプ筆頭家老マツトシ・カノダイにヒナギクを渡すだけだ。
 また、後払いの用心棒代も楽しみだ。スンプ金は良質なことで有名で、ニシギにもって帰れば価値は倍近くになる。ニシギは銀、水晶の産地だが、金は他国から仕入れるしかなかった。ニシギで金は、貴重品なのだ。
 二人は喜々として歩をすすめた。
 が、ヒナギクは、歩くたびに、悲しそうに肩を落とした。
 「………いかがなされた」
 見かねたキギノが尋ねると、ヒナギクはいきなり、往来で地面に両手をついた。キギノは驚いて、
 「お、お顔をお上げなされ。いったい、何事………」
 「もうしわけございませぬ。キギノさま。どうか、どうかここでこの愚か者を成敗してくださいまし!」
 「なあ?」
 キギノはサクジリを見た。サクジリも、首を横に振るしか対処できない。
 「落ちつきなされ。もうすぐ、伯父上の元に着くというのに、何をお言いになられる」
 キギノは興奮するヒナギクをなだめつつ、とりあえず街道ぞいの松の木の下に連れた。
 「私は………私はスンプへは行きとうござりませぬ。伯父上が待っているのは私ではなく………私の持つ絵図にて。伯父上は、生来の小心者。そのくせ野心だけはひと一倍強く………父上のお残しになられたものをご自身の立身のみにつかわれるはず。伯父とはいえ他国の者。そのような者の世話になるくらいなら、キギノさまの手にかかって死んだほうがはるかにましでございまする……!」
 そう叫んで泣きじゃくるヒナギクを、キギノはただ狼狽して、言葉もなくなだめるだけだった。
 「これだから女子というやつは……」
 サクジリはそれを横目に、ほとほとあきれはて、
 「なんの為に命をかけてあんたをここまで連れてきたと思っているのか! ふざけるのも大概になされ!」
 「で、ですから、死んでお詫びを……」
 「話にならん! の、残りの代金はどうなる!」
 「申し訳ありませぬ。あの伯父が払うとも思えませぬ」
 「な、な、な、なんだとお!?」
 「いや、いや、いや、まあまあ」
 キギノは汗をかいて、サクジリとヒナギクの間に立ち、なんとかおさめようと、
 「ええと、サ、サクよ! 銭の事なら心配無用! おれが、働いて返す。これからしばらくの取り分は、みなおぬしがとれ」
 「そういう事柄では……」
 「まあまあ。ええ、それから、ヒナどの。行きたくなくば、それも良し。ご依頼人を売ったとあっては、二剣用心棒の名折れだからの。ああ、好きにするがよろしかろう」
 「キギノ!」
 「いいから! いいから」
 ヒナギクは涙をぬぐった。
 「ま、まことにござりまするか……?」
 「まことにござる」
 ヒナギクが笑ったので、キギノはやっと一息ついた。ヒナギクは、
 「では、キギノさま、私は、何をしてもよろしいのでござりまするか」
 「ああ、よろしいとも。おれが手伝える事ならば、遠慮なくもうされよ」
 「お約束にて」
 「ああ。約束する」
 キギノのその言葉を充分に確認すると、ヒナギクはすう、と息を吸った。
 「では、一生、お側に置かせてくださりませ!」
 「ああ。置け置け。………なに?」
 口をとがらせて聞いていたサクジリは目を丸くして、うってかわってはしゃぐヒナギクを見た。キギノは、声もでない。
 「お約束にござります。キギノさま、置いて下さると、いまおっしゃいました!」
 二人はその豹変ぶりに愕然とし、しばし時が止まったように硬直した。
 「………役者がちがうわ」
 やがて、サクジリがほとほと感心してつぶやいた。キギノは眉をよせ、
 「………うそ泣きにござるか。卑怯な………!」
 「だまされるほうがお悪うござります。約束をやぶるのは、もっと卑怯にて」
 「う、…む………」
 サクジリは苦笑して、キギノの肩をぽんと叩いた。
 「キギノ。おまえの負けだ。天下の二剣用心棒を打ち負かした強者を嫁にもらえるのだ。有り難くちょうだいしろ」
 「む、むむ………」
 キギノは突然訪れた年貢の収め時に、しばらく眉をひそめていたが、童のようにはしゃぐヒナギクを見ているうちに、なんだか妙に納得してしまった。悪い気がしない。
 キギノはほっと息をついた。ふと天を見上げると、夏のやけに青い空に雲がくっきりと映えて浮かんでいる。
 キギノはその晴天を後ろに抱え、本当に晴れやかな笑顔でヒナギクを見た。
 「………では、ヒナ。ニシギに、帰るとしよう」
 「はい!」
 二人は、いま来た道に歩を戻した。その後姿をサクジリが、やれやれといって見つめる。
 「これだから女子は……」
 サクジリはまるで生まれ変わったような笑顔をみせるヒナギクと、柄にもなく顔を崩すキギノを見て、なにやら妬けてきた。二人に、妬いた。キギノも取られたし、ヒナギクの心を捕らえたキギノも羨ましかった。
 「………まあ、たまには、こういう仕事もよかろうて…………」
 サクジリは急いで二人に追いついた。
 そうして三人は、連れ立って、ニシギへ到る道を歩きだした。
 蒼天は、どこまでも続いて、三人をその懐に抱いた。
                                      
                                        
                                        
            八
                    
 今年の冬は雪が多かった。
 年も明けて、睦の月も終わりをむかえようとしていたころ、夕暮れもせまった時刻に、突如、キギノが全身白装束でヒナギクの前に現れた。ヒナギクは驚いて、夫に事の次第を問いただした。
 「ついに、この時がきた」
 キギノは、いままでにヒナギクが見たこともないほど険しい面持ちで、妻に言った。
 「わが生涯でおそらく、もっとも手ごわい相手である。そなたの名誉と、おれの心のために行く。生きて帰るあてはない。許せ」
 しばらくの沈黙の後、ヒナギクはいきなり帯に常備している短刀を抜くと、髪の先を三寸ばかり切って白い紙につつみ、キギノに渡した。お護りだ。
 「なにも聞きませぬ。なにも言いませぬ。ただ、ひたすらそのお帰りをお待ちしておりまする」
 その目に、涙はなかった。凛とした光が、キギノの顔を映す。
 「わかった。待っていよ」
 夫が待てというのなら、妻は死んでも待ちつづけるだろう。理解できない者もいるに違いない。武家とは、武家の心とは、かくも神妙なるもののようである。
 キギノは受け取った護りをたすきにくるむと、鉢巻きをしめ、袖をその護りの入ったたすきで掛け、腰には一口神酒を吹きかけた二剣を携え、ひとり狭い家を出た。
                    
        ※
                    
 キギノは、早くも日の暮れはじめたニギの城下を、人々の奇異の目も省みず、ひたすら歩を進めた。そしてキギノはそのまま町を出て、街道に到る細い道を深雪に足跡をつけながら歩き続け、やがて街道に到ると林にまぎれて立ちすくんだ。
 人を、待っていた。
 折から、激しい雪がふってきた。
 キギノは頭や肩につもる雪をはらいもせずに、じっと、誰かを待ち続けた。こんな季節のこんな時間に、いったい誰が街道までやってくるというのか。
 しかし、やがて、ある人物が遠目に見えた。小柄で、人目を忍ぶように深い編み傘をかぶっている。その荷物は大きく、遠出をすることを物語り、足運びはやたらと速かった。
 キギノは林から出ると、道の真ん中で、その人物を待った。人物は、すぐに現れた。
 「よう」
 キギノは、サクジリに声をかけた。
 「キギノ」
 サクジリは傘をあげ、驚きの表情で白装束のキギノを見た。
 「よくわかったな」
 「長いつきあいだ。わかるさ」
 「それにしても、なんてかっこうだ」
 「言うなよ」
 キギノは、そっと刀に手をあてた。サクジリは、傘をとった。
 「いつ気づいた」
 サクジリはそう言いながら荷をおろし、その中より一振りの刀をだした。その刀を持った顔はすでに、能面のように冷たく固い。
 キギノはその顔に少なからず胸を痛めた。すでに、自分のよく知る「サクジリ」はそこにはいない。
 「……何に」
 「おれが草だということにだ」
 その刀は、忍刀であった。草とは、庭と同じく、忍びを示す言葉だ。庭と違うところは、他国に時をかけて忍ぶ駐在諜報員を意味する。
 「あれだけ忍びの術を使っておいて、それはなかろう」
 「あの時は、ああするしかおまえを助ける事はできなかった。……あまり上手い策ではなかったが」
 「おれが死んでは困ったか」
 「ああ」
 サクジリは、すらりと刀を抜いた。
 「ヒナギクの持つ絵図を手に入れることができるのは、おまえだけだ」
 「サ、……サクジリよ」
 刀を片手にじっと上目遣いで自分を見るサクジリを、キギノは唇をかみしめてみつめた。正直、この期に及んでもまだ、信じられなかった。信じたくなかった。
 サクジリは、そんなキギノを無表情で見返して、
 「キギノ。忍び相手に、情は命とりとなる。いつものおまえらしく、修羅鬼神となりてかかってこい」
 その言葉を聞き、キギノは思い切って抜刀した。大、そして小。二剣を抜いた。
 「………二剣用心棒が命をかけるか。うれしいぞ」
 サクジリは刀を逆手に持ち直した。
 「ひとつ、聞きたい」
 キギノが言った。サクジリはしばらく黙っていたが、
 「………いいだろう」
 「おぬしはいったい、いずこの草だ。図面をいかにして手にした。いつ、忍びとなった。なぜ、いまごろ国をでる」
 「ひとつと言ったろう」
 サクジリは、思わず苦笑した。こんな場面でも、図々しさは変わらない。
 「おれは………禁裏の草よ」
 「禁裏………?」
 禁裏とは、朝廷のことである。帝が忍びを抱えていたとは、キギノも初耳だった。
 「絵図は、コノギの宿場で、湯にほてったヒナギクの背に浮かんだ黒子と痣を見つけてな。絵図を表す秘術と見た。はたして、それはその通り。だが、それだけでは絵図は完成しなかった。黒子と痣はまだ胸、腹、内股などに現れた。抱きでもせぬかぎり、そのすべてを見ることはかなわぬ。それは、おまえの役目だ」
 「のぞきみたか」
 「人のまぐわいに興味はない。安心しろ」
 「ふざけるな……!」
 キギノはじりっ、と歩を縮めた。サクジリも、身を屈める。話しあいながら、次第にお互い臨戦態勢に向かう。
 「キギノ、面白い事を教えてやる」
 「なんだ」
 サクジリは、無表情のまま、その口許だけをにたりと曲げた。
 「五千丁の鉄砲など、嘘八百。いや、いまとなってはそれもまことやもしれぬが………幼きヒナギクの身体に施されし隠し絵図の秘術の正体。それはカギマの開発した新型爆雷! それを利用した超巨筒! さらに連発鉄砲! バンドウ公は、とんだ学者よ……!」
 しかしキギノはそれには興味を示さず、
 「禁裏がさような物を手に入れて、なんとする」
 二人はじわじわと、雪の中に足首を埋めたまま間合いをとりあった。
 「きまっている。幕府を打倒! そしてこの神州を血に穢れし武家の手よりとり戻し、主上を天と崇める律令の世を復活させる」
 サクジリはそこでカッ、と目を見開き、
 「侍ども! 天に唾し、かつて禁裏の犬であった己が身分をわきまえずも長きにわたりて帝をないがしろにし続けたその罪! まさに、まさに万死に値する!! …………」
 「狂ってる」
 キギノは奥歯をかんだ。すう、と元の無表情に戻ったサクジリはまた上目遣いに、
 「………まだ答えることがあったな。おれは生まれながらに禁裏の草よ。おれの親も、その親も。三代にわたってニシギに潜んでいたのだ。いつか、こういう好機があると信じて………な」
 「ばかげてるぜ……」
 キギノは、呼吸をはじめた。丹田に気を沈める、深い呼吸を。
 サクジリも、腰を沈め、逆手に構えた刀の先をキギノにむけた。
 だが、この期に及んでもキギノはまだあきらめきれなかった。サクジリと戦うなど、やはりどうしても信じられなかった。
 「サクよ」
 サクジリは答えなかった。
 「まだ遅くはない。ニギに帰ろう。これまで通り、暮らしていこう」
 「……それが命とりになるというのだ!」
 サクジリはいきなり懐より煙玉を放った。雪にまじって、もうもうと黒煙がたちあがる。キギノは、その目眩ましの中、自分にむかって飛んでくる手裏剣を音を聞いた。
 サクジリの手裏剣には毒がある。
 キギノは音だけを頼りに、それを避けた。
 その避けた場所をめがけて、サクジリは刀を振っていた。
 しかしキギノの小刀はそれを受けた。
 にぶい衝撃を残したまま、すかさず距離をとる二人。
 煙が風にのって消えてゆく。
 二人は一瞬だけ見つめあった。
 刹那、キギノが猛然と斬りかかった。雄叫びをあげ、秘技、二剣八歩を発動する。
 サクジリは天高く舞い上がった。修行を積んだ忍びともなれば、家の屋根まで一気にとびあがる。
 キギノを飛び越したサクジリは、着地と同時にキギノの背中に刃をつきたてた。キギノは咄嗟に振り向き、それを小刀で受ける。
 鉄と鉄のぶつかる音が雪の降りそそぐ合間に響く。キギノはすかさず小刀をひねり、サクジリの刀を誘導して体を崩そうとした。が、サクジリはいきなり刀を離すと、袖にしこんだ手裏剣を至近よりキギノに投げた。
 「!」
 体が崩れたのはキギノであった。避けるには避けたが、サクジリを見失った。サクジリはその隙に刀を拾い、低い姿勢のまま逆手に斬りかかる。
 キギノは大刀でそれをかろうじて受け流し、急いで間合いをとった。
 二剣八歩がやぶられた。
 「………!」
 キギノはぞくぞくしてきた。本当に、生涯最強の相手と確信した。
 「………やるではないか! サク、それはなんという剣だ! 先が読めぬ!」
 サクジリも、不敵な笑みをうかべた。
 「神帝流という」
 「禁裏の秘剣か!」
 「他言無用にな………」
 言うが、サクジリは再び宙に舞った。が、こんどはキギノもそれをよく見た。宙に浮いた相手を斬るのは、いともたやすい。
 が、キギノはいきなり下段に刀を振った。すると、強い衝撃が刀に響いた。サクジリの下段斬りを受けたのだ。キギノはそのまま螺旋を描いてサクジリの刀をはね上げると、小刀を見舞った。サクジリはそれを今度こそ宙返りで避ける。
 二人は対峙した。
 「………気配だけ上に飛ばすかよ」
 キギノは笑みをうかべつつも、唾を飲んだ。
 「見切るおぬしもただ者ではない」
 サクジリも、頬に汗が伝った。いつも側で見ていて、二剣用心棒の剣は完全に把握しているつもりだった。それが、いざ実際に剣をあわせてみると、まるで違う。その威力。技のキレ。読み。なにより殺気。どれもこれもが、見ると味わうとでは大違いだ。
 「キギノ」
 サクジリは、口をひきしめた。
 「勝負だ」
 「おおう!!」
 キギノは踏みこんだ。サクジリもそれにあわせて踏みこみ、キギノの機をずらす。そしてすかさずその間合いの隙間に、すべるように剣を入れる。
 それはキギノの腹から胸にかけて、皮を斬った。しかしキギノでなけれは、五臓をぶちまけていたところだ。
 キギノは踏みとどまって体勢を整えると、左右より大小の横斬りを見舞った。
 サクジリはそれを前に倒れて避けた。そして倒れざまに、キギノの下段めがけて刀を振る。……と、思った瞬間、顔面にキギノの膝が入った。
 サクジリは鼻や口より血を吹き出すと、たまらずに地面に転がった。
 そこにキギノの追い打ち。サクジリは、雪の中を赤い斑点を落としながら転がった。
 「ぬうッ」
 サクジリは、寝た姿勢のまま刀を振るい、キギノの剣を止めた。
 そして両者は離れ、間合いを測り、唸り声をあげて気合を入れると、同時に斬りかかり、しばしこの誰も通らない真冬の街道に刀の風を裂く音とかじりあう鋼の牙の音を響かせた。
                    
 雄叫びと激しい歩の運び。ぶつかる魂。鋼の刃。いつしか雪は止み、両者は互いに致命ではないが傷をつけ、周囲は真っ赤に染まっていた。
 荒く息をつき、じっと立っているだけでもその鼓動は純銀の地面にぽつぽつと真紅の斑を作る。身体より白い蒸気が冷えきった大気の中へもうもうと立ちのぼる。したたる汗はすべて袖の先で凍りついた。
 日はもうだいぶん沈み、冬特有のまたたきのない星が天に輝きだした。月が雪に反射して、それを刀が受ける。きらきらと、微細な光を雪と刀が宙にまく。
 かすむ目。流れる血潮。とめどない汗。いまにも爆裂しそうな鼓動。肺にささる冷気。
 限界だ。
 二人は、そのまましばらく対峙していたが、唐突に、お互い最後の踏みこみに出た。
 死を、覚悟して。
 先に動いたのはキギノだった。サクジリは後の先。大刀の上段袈裟斬りを逆手の刀で受ける。その瞬間、キギノは刀をひねってサクジリの腕をきめた。逆手に持った刀をひねると、相手は肘がきまる。
 が、サクジリはいきなり肘の関節を外し、キギノの技をすかした。
 疲れも出ていたキギノは、勢い余ってそのまま地面に刀を刺してしまった。
 すかさずサクジリが、その刀をキギノが引き抜く前に蹴り折る。
 「……!」
 「ばかめッ」
 サクジリは刀を左に持ち替えると、渾身の踏みこみをもってキギノに斬りかかった。これで最期だ。逆手に持たれた刀は、意外な方向より弧を描いて水の流れるがごとく、旋のさかまくがごとくに襲いかかる。
 「死ね!」
 「死んで………たまるかよ!!」
 キギノは歯をくいしばり、その一撃にむかって頭突きをだした。ちょうど、刀の中で最も切れ味の悪い鍔元に、キギノの左目がくいこむ。
 「な………」
 サクジリが息をのんだ瞬間には、その胸に、キギノの小刀が根元まで突き刺さっていた。
 「なん………」
 二人は、同時に離れた。そして、同時に雪の上に膝をついた。
 キギノは顔面の巨大な裂傷に手をそえた。ぼたぼたと血がしたたり落ち、雪を溶かす。白装束も、すでに紅装束だ。
 サクジリは、胸に刺さった刀を抜くこともできずに、そのまま、倒れた。そしてかすれる声で、
 「キッ、キギ、キギノッ………」
 サクジリが呼んでいる。キギノは、あわててサクジリに駆け寄った。手を握り、起こした。
 「サ、サク、なんだ、なんだ」
 サクジリは、息がある内にと、
 「さ、最期だ。おれ、おれ………」
 そこでサクジリは豪快に吐血した。それから荒い息のあいまに、なんとか言葉を吐き出した。
 「キ、キギノ、お、おれが御内儀どのより得たものより、はっ、半年……かけて作成した絵図面が、に、荷の中にあ、ある。お、おまえのものだ。焼く、焼くなり、売るなり、す、好き……にしろ………ッ」
 「あ、ああ」
 キギノは涙と血をサクジリにこぼしながら、必死にその遺言を聞き取った。
 「お、おれはこの、このまま、狼にでも食わせろ。………は、は、墓は、む、無用!」
 「わ、わかった」
 「に、に、荷………の中に……く、くす、薬があ、ある。そ、それを………使え」
 「有り難く使う」
 「キッ、キッ……キギ…ノ……………」
 サクジリの声がみるみる細くなる。キギノは、覚悟をきめた。別離の覚悟を。
 「………なんだ」
 「ゆ……許………せ……………」
 サクジリは白目をむき、痙攣しながら、うわ言のようにつぶやいた。キギノはなにも言えずに、ただサクジリの手を握りしめた。
 「キギ………楽し……った……………」
 サクジリは、死んだ。
 キギノは、しばらくその手を握りつづけていた。
 が、やがて、手を離した。そして立ち上がり、サクジリより刀を抜いた。サクジリの荷を調べ、薬と包帯をみつけるとそれで顔の深手をはじめとして一応の手当をすませた。
 それから、サクジリの荷を持つと、月明かりに鈍く光る雪の道を通って、城下に戻った。
 振り返ると、すでに二人の血の匂いをかぎつけた狼が、林の中に見えていた。いつからいたのか。誇り高きあの獣の王、森の神は、二人の戦いが終わるまで、じっと待っていたのかもしれない。
 そして勝者には敬意をもってその勝利を讃え、敗者にも敬意をもってその死を悼む。
 のこらず、食いつくして。
 天下の剣豪、二剣用心棒を讃えるいくつもの遠吠えが、夜道を行くキギノの耳に、いつまでも残っていた。
                                        
                                                            
                                        
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 その後、キギノは用心棒をやめ、弟子をとった。ヒナギクと二人でささやかに道場を営みはじめた。
 キギノ・イシヅミ。二剣用心棒。道場主となってからもその腕はいっこうに衰えず、隻眼二剣と呼ばれ、長く東海三国にその字を轟かせた。
 キギノの腕と人柄を慕い、弟子は全国より集まった。そしてキギノの次の代に、天心八剣流はニシギの国の正当流儀、御流儀となり、正式に往来にその看板を掲げた。天心八剣流の使い手に率いられたニシギの兵はよく戦い、国は長く後の世を生きた。
 隻眼二剣が死んだのは、幕府崩壊のちょうど十年前であった。
 享年、五十八。
 妻、ヒナギク、同六十二。
 二人は三人の子にめぐまれ、それぞれ流儀を継ぎ、あるいは興した。
 長男イシノギは正統天心八剣流を。次男マツイシはその棒と槍の流儀のみを継ぎ、後に杖としてまとめ上げ、天心八剣流杖術を。長女ナデカは、天心八剣流抜刀術を。
 それぞれが、戦国の世にその名を残す、剣豪女傑であった。
 流石、キギノの子供たちである。
 隻眼二剣。
 長き人生の内の真剣勝負で、いちどたりとも負けはなかった。
 ただ、彼の片目をうばった者はいったい誰なのか。
 二剣も、その妻も、ついに明かさなかった。
                    
                  終




 二剣用心棒