最初に……

 北欧はマニアな作曲家の宝庫で、見た事も聞いた事も無い人が山ほどいる。それらを網羅した北欧フリークな人々も存在し、奥の深さを伺わせる。中で御大はもちろんフィンランドのシベリウスだが、それ以外のメジャーシンフォニストは、スヴェンセンがまだメジャーなほうだろうか?

 ノルウェーのグリーグに交響曲は無いし(あるけどw)、となると私などは、どうせマイナーならと、ひたすらスウェーデンのペッテションを聴くこととなる。

 某著名評論家U氏が、クラシック界三大ネクラというのでチャイコフスキーとブラームスとショスタコーヴィチを挙げていたが(マーラーが入っていないのがミソ。)なるほど、チャイコはドヨドヨ、ブラームスはウジウジ、ショスタコはブツブツといった風情。

 それ以外ではシューベルトが虚無的なクラサだし、バルトークも暗い〜。悲痛的クラサとでもいおうか。

 マーラーとて、やはり暗い。お耽美的なクラさ。

 しかし、そうなるとペッテションはどうなってしまうのか。

 暗いとか、もうそんな次元ではない。

 コワレル寸前で、なんとか、芸術によっかかって自己崩壊を支えている。

 ただのネクラなどとはレベルがちがう。狂的な暗さ。。。

 スラム街での貧困。アル中の親父に宗教の電波母。感化院での地獄。大人になってヴィオラ奏者となり、音楽に人生を見いだそうとしたら強度のリウマチ性関節炎。全身を襲う激痛。痛くて痛くて楽器を棄て、作曲家になっても病気が進行してペンすら持てなくなった。そして晩年には癌。

 ど う し よ う。

 運命、そして境遇に対する怨念、情念、殺意、それらが入りまじり、ついには、そんなものすらとっくに昇華してしまい、この世の絶望と不幸を一身に背負って、微かな希望と夢とを、北欧流の透徹した美の中に凍りつかせたような抒情に託している。ドイツのハルトマンもこんな感じの交響曲群で有名だが、それよりずっとずっと重く、美しく、激しく、個人色が強くて、痛い。7番あたりよりスウェーデンにおいてはかなり権威ある地位につくことができたようだが、けして人生の幸福というものを「信じな」かった。

 そんな魂の交響曲をまさに、まさに執念で17曲も書いたペッテション。1番は破棄され、また、17番は未完成であるから、全15曲。ショスタコーヴィチと同じ数で、運命を感じる。

 ブルックナーのごとく、初期から晩年まで一貫して同じ書法で同じ精神を書き、9番で最高峰を迎え、後は自在に羽ばたいた。

 そんな凄まじくも素晴らしい交響曲の魅力を皆さんに紹介するという責務を自らに課してみた。。。

 グスタフ アラン ペッテション(1911−1980)


 よくみるとマーラーの死んだ年に生まれているではないか。

 関係ないけど。

 CDを入手できるのなら、7・8番から聴くと良いと思う。ペッテションの代表作にして最高傑作。

 ペッテション交響曲の最大の特徴は、単一楽章であるということ。つまり、楽章が1つしかなく、それでいて延々と40分だの、60分だの、70分だのを音楽が途切れなく進行する。聴く方も一種の拷問といえる。

 音楽を紹介するといっても、正直、どうやれば良いのか、見当もつかない。楽章は1つしかないから、それを紹介するしかないのだが、何せ長い。それが時に無調であり、無限形式でもある。旋律は美しく、激しい。マーラーの後期交響曲のアダージョ楽章が倍になったといえば、まだ分かりやすいだろうか。共通するものは陶酔的なまでの美であるが、音楽は厭世的ではなく、頽廃でもない。苦闘の現実に押しのめされ、怨念が渦巻き、殺意がほとばしる。
 
 しかしその中に、暗黒を見た者のみにしか見出せぬ、神々しいまでの本当の美があるのです。

 (なお表記の関係でペッテルソン、ペテルソン、ペッターション、ペッタションとなっているものもあります。)

 ※さらに詳しい解説風コラムページを作りました。ペッテションの交響曲のページ


 7番はまず低音のオスティナートへのり、高弦が悲歌をうたう。ブラスは叫び、打楽器は悲劇を彩る。まあどの曲もだいたいはこんなものだが、7番は特に動きが激しく、ドラマティックだ。

 しかし20分も近くなると、天上の光、極北のオーロラのごとき微細な光が、微かに差し込む。ここがまた、たまらない。胸をかきむしられる。ここは本当にすばらしい。暗雲が静かに開けて、確かに、暖かい光が安らかに差し込んでくる。もう、神の瞬間としか云いようがない。

 これは、何の希望なのか。魂のか細い声か。

 しかし、また美の無限地獄のような渦の中に音楽は戻ってゆく。いや、引きずり込まれてゆく。あとは抒情に消え入るような清らかなアダージョが、聴くものの胸をうつ。

 と、残り8分というところで、不安と恐怖が、作者を襲う。何だ、これは。

 すなわち、現実が待っている。希望は、もう、無い……。

 これは、我々の概念でいう 「音楽」 ではなく、時と感情の 「流れ」 を音にしたものだろう。明確な切れ目は無いが、めくるめき音の変化の流れに静かに身をひたす。

 そんなもの何が面白い、といわれれば、面白いものなどひとつも無い、と答えよう。

 ペッテションの音楽は、そうではない。

 キーワードはやはり 「浄化」 となるのではないだろうか。これ以上、下なモノは無い、という想いが、自分を救ってくれる。いったん最底辺に到ってしまえば、あとはもう上へ昇るだけなのだ。胸にしみ入る。真の共感がなくば、理解不能度はマーラーの比ではなく、真に共感すれば、ぜったいに手放す事のできない宝物が手に入る事を約束したい。


 ベートーヴェン以降、第8は、実は交響曲作家が到る至高の境地みたいなものが多い。それを経て、みな運命の第9へ往く。

 ペッテションの第8交響曲もまた、傑作の誉れ高い。

 冒頭より、いきなり不安におののく低弦に支えられ、冷たく、物憂げなメロディーが現れる。

 と、数分もせぬ内に緊張がひたひたと寄ってきて、大きく高揚する。そしてすぐにまた、静かで、しかし、強い意志の感じられる展開になる。アーチを形成している。

 8番は単一楽章といっても、第1部と第2部に別れ、一瞬の休止で遮られる。本当に一瞬だ。一部は冒頭の一つの主題が延々と展開する形式で、この主題がどこか異国情緒も漂わせて、面白い。そういや打楽器もどこかエキゾチックだ。いつも思うが、スネアドラムやシンバルの扱いが、マーラーというより、ショスタコーヴィチを思い浮かばせる。なぜなら、マーラーのそれは基本的に軍楽隊のそれであり、どこかユーモラスでうらぶれていて、鋭角さは少ない。ショスタコやこのペッテションとは趣も違うし、方向性も違う。また、ペッテションがショスタコと異なる点は、アレグロだけではなく、アダージョやアンダンテでも鳴る。ひたすら鳴る。とにかく鳴る。ゆっくりと、しかしものすごく鋭く突き刺さる。よけい怖い。

 第2部は、いきなり地獄の底から響く呻き声だ。もしくはスラムの路地裏か。なんだか戦闘開始というふうだが、何と闘うつもりなのだろうか。貧困か、絶望か、この世のすべてか。それは分からない。

 その闘争が15分ほど続いた後、再び冒頭の主題が回帰する。再現部なのだろうか。あとは、自由に展開して、静かに終わりを迎えるが、一貫して強い緊張感と意志力、そしてある意味清浄さを感じる仕上がりとなっている。
 
 とにかく、全編を通して現れる物憂げな統一主題がたまらない。


 ペッテションのCDはいまのところほとんど輸入盤しか無いので、解説に何と書いてあるのか分からない。北欧のレーベルなどに数種類CDがあるようだが、ドイツのcpoというレーベルになんと全集があり、この文章はほぼその全集CDを元としている。大きな輸入CD店で手に入るだろう。もしくは有名店でのインターネットで通販ができる。

 そのCDのブックレートをみる。と、この第9、ノンストップの一楽章制なのであるが、全曲が17ものトラックに分かれている。それぞれ、

 「Two measures after No.10」

 「One measure befoer No.31」

 などといった、奇妙なタイトルがつけられている。

 とりあえず、「……『メジャー』って何だ!?」 ということで、辞書をなぞってみた。

 まさか測量や観測ではあるまい。が、ページのあとの方に 「音楽」「小節」「拍子」 といった意味が現れた。長調・短調と関係あるのかは、不明。ナンバーは、譜面の練習番号の事だろうか。まだスコアを確認していないので分からない。

 さて、この曲はやはり 「第9」 だけあってたいへんな曲だと思う。

 導入部よりその躍動感に驚く。この躍動感はしかし、妙な不安と緊張に彩られ、生き生きとしたものではない。不安の主題。金管の信号音。小刻みに動く弦。奇妙なシロフォン。木管はサイレンのように耳を襲う。
 
 闘争。そんな気もする。何と闘争しているのか、その闘争に意味があるのかは不明だが。
 
 が、30分もすると、音楽は少し落ち着く。トラックは9になっており、折り返しだ。8番にも出てきたような、ちょっとエキゾチックなメロディーが、不気味な低音にのって展開される。

 ペッテションの場合はティンパニよりも特にスネアドラムとサスペンダーシンバルが大変に重要な役割を持っているのだが、それまで目立ったシロフォンは消え去り、スネアとシンバルが容赦なく突き刺さる。細かな連続音を奏で続け、苦悩を、精神の中のノイズを表している。スネアは音程の違うものがどう聴いても最低でも二台用意されており、重厚なトレモロによるステレオ効果が我々を襲う。

 あとは40分間、乾いた嵐をジッと耐えつつ、音楽が終わるのを待つのみ。リズムはどんどん重くなり、もう冒頭のような躍動感は無い。枷のついた足を引きずるようにして、ひたすらどこかへ進んでゆく。

 いったいどこへ行こうというのか。そこまでして、いったいどうして、なぜ進まなければならないのか。そんなボロボロの身体で。

 なんの宿命が、運命が、彼を襲っているのだろうか。

 ラスト数分間、トラック17、「Three measures befoer No.208」 における延々と鳴り続ける弦楽による悲歌の、なんという悲しさと力強さだろう。

 作曲者の、鬼のような精神力のみが、この暗黒の旅を支えている。出口の無い、無限地獄の巡礼の旅を。美しくも痛々しい、永劫なる旅を。

 冥府から呼びかける微かなサスペンダーシンバルですら、鼓舞の拍子に思える。

 彼は歩く。暗黒の中を。嵐の中を。噴火の中を。

 最後に輝く、本当に一瞬の、フルートによるかすかな光明を、頼りに………。

 神の声か。それとも、空しい幻想か。

 その感動と無常観たるや、魂の底まで浄化されるようです。本当に、じんわりとすばらしい!!

 傑作とかいう次元を超えた、ベートーヴェンの神の第9を、マーラーの宇宙の第9を、ブルックナーの彼岸の第9をも精神性と語法的に超えてしまった、完全にアッチの世界の音楽。

 いや、これは本当に音楽なのだろうか。


 では、ここで最初に戻って、2番をきいてみよう。1番は秘匿(破棄、もしくは未完、断片のみ。)されたということで、この2番が最初のシンフォニーとなる。

 40歳ほどの作品であるから、交響曲作家としては、ブラームスやブルックナーばりにスタートが遅い。

 若い時は主に室内楽や歌曲、また 「弦楽のための協奏曲」 を書いた。この合奏協奏曲は、第3交響曲や第4交響曲の合間にも書かれている。その後、ペッテションは阿修羅のごとく交響曲道をつき進む。

 何を思って作曲の主眼を協奏曲より交響曲に変えたかは分からないが、この2番ではまだ作曲者の感情が前面に反映されてはおらず、純粋な音楽的技術の中に、どうにか、心の中を表現しようともがいてる。

 ブルックナーのように、全交響曲を支配する重要な指標はもう既にみる事ができるが、まだまだ浅い。ちょいと暗めの、ありがちなゲンダイオンガクといったふう。

 アレグロを主体に、中間部に緩徐部分をおき、最後はアレグレット・コン・メランコニアで終わる。

 逆に、CDに併録の 「交響的楽章 シンフォニックムーヴメント」 の方が重要だろう。
 
 時代的には10番・11番の頃と同時の作品で、10分ほどの小品。テレビ番組用の音楽というのだが、こんな悪夢のようなBGMを書かれた番組プロデューサーには心より御愁傷様と云いたい。が、ペッテションの魅力を知る手がかりには充分な量と質。オーケストレイションが粗削りという見方もあるが、なに、初心者向けなのに違いは無い。濃厚なドラマも、叫ぶ金管も、突き刺さる打楽器も、最後の透明な嘆息の美も、すべてがペッテションとなっている。


 続いて、3番・4番

 この2曲も、まだまだ実験的というか、呪われし怨念道・闘争道にはまだハマっていない。まだ、病気がそれほど進行していなかったとの事で、昔の生活への恐怖と、これからの生活への不安が入り交じった模索交響曲。

 7・8・9の傑作群を聴いた後では、さすがにもの足りぬ。が、これはこれでもちろん、良いものはある。

 4番はまた後半にメジャーの概念が出現しており、興味深い。他の曲と趣も異なり、ベートーヴェン、マーラー、ブラームスの系統を継いでいるかのごとき 「静の交響曲」 ともいえる。深く、そして静寂な世界に浮かぶ、硬質で微細な氷の交響曲。長大な苦悩の場面が過ぎ、次のラルゲットで現れる夢のような安息が印象的。だがメジャーにより、安息は容赦なく断ち切られる。

 2、3、4と曲が進むたびにどんどん内容が深刻になってゆき、ついに、「暗黒交響曲群の開始を告げる……」 第5を迎える。


 第5番

 オネゲルの次に、運命の第5の列に加えられる曲は、これ以外にあるまい。

 敬虔なる祈りより始まるこの曲は、あくまで静かに、あくまで重く展開する。

 4番以前にくらべ、明らかに異なるのは、音楽の深刻度と、構築度、それに強固な意志が痛いほどに感じられること。が、後の曲のような劇的な効果はなく、深く、深淵のうちに音楽は進行する。不協和音に乗って切ないメロディーが奏でられ、異様なまでの不安感に支配されている。打楽器もあまり鳴らず、とにかく不安な、不安交響曲。ただし、バーンスタインのような 「不安の時代」 ではなく、あくまで 「不安の私」 なのがペッテション。

 その不安は的中し、作家は、激痛により楽器も持てず、作曲のペンすら握れぬ難病と闘うはめになる。

 あとは、音楽において自らの運命へ敢然と挑む姿に、我々が感動するだけです。


 第6番

 完成に4年を要しているこの第6交響曲は、暗と狂の点において群を抜いている。ダントツにアブナイ。

 7番以降の、ある種抒情的な面がまったく無く、魔物の牙の様な鋭さで、聴く者を襲う。音楽の塊が、津波となって、容赦なく襲い来る。6番は、前記したように、ついに全身を襲う激痛のためペンも握れず、人に書いてもらって作曲した始めての曲だそうな。

 さぞ悔しかった事だろう。屈辱だった事だろう。この野郎、この野郎、となるのは無理も無い。

 この音楽の濃厚さは、もはや異常で、強固な低音に支えられた管弦楽の、自由だが鎖に縛られたような展開が、一時間を貫き通す。

 心なしか、ふだんは雄弁な打楽器も、頭を垂れ、引きずるように鳴っている。

 これはたぶん、聴いていていちばん疲れるんじゃないかなあ。

 しかし、30分を過ぎ、後半戦に突入すると、音楽は少し落ち着いて、抒情的な面らしきものも、出現する。厚い管弦楽も室内楽的になり、静かに泣く。30分過ぎから45分にかけて、あまりに静謐な憂いは、ペッテションを聴く喜びの醍醐味にして、6番の白眉でもある。

 それがまた悲しいまでに美しい………。

 のこり10分。

 我々は、この世で最強の精神をみ、音による現代の奇跡をみる。


 第10番、第11番

 腎臓病で入院している時に連続して作曲されたこの2曲は兄弟曲といっても良い。次々と襲いくる病気に対する苦悩と苦痛を、10番では外面的に、11番では逆に内面的に表しているとの事だが、なに、聴いてみるとたいして変わらない。相変わらず怒濤の勢いで音楽が鳴りわたる。両曲とも30分かからず、ふだんの半分の量しかない。

 これはやはり、両曲を合わせて一曲ととらえたほうが良いのではないだろうか。

 まあ、あえて違いを探すなら、第10の方が前に前に進んでゆくパワーが強く、攻撃的で、ラストも珍しくフォルテの一撃で終わる。ならば、次の11番はやはりミドルセクションと考えても良いだろう。

 そういった事を作曲者が意図していたかどうかは分からないが、cpoのCDでもやはり2曲続けて録音されている。

 11番は 「Two measure befoer No.59」 における、異様な後打ちのトライアングルに続く下降系の旋律が印象深い。こういった落ちるような主題は今まで無いはず。

 とにかくこの作者は暇さえあれば病気や何かで不幸になっていて、「いったいぜんたい、どーーなってんの!?」 と、ヤケでキレ気味のパワーをそのまま音楽にぶつけている強みがある。

 自殺しなかったのは、その 「強さ」 のお蔭だろう。

 耳を悪くして自殺まで考えたが、その後逆ギレもとい逆境をバネにして3番5番7番9番等の当時としては破天荒な交響曲を書いた、偉大なるベートーヴェンをも想起させる。

 「オオォオレがいったい何をしたっつうううんだあああァァアアーーーッッ!!!」

 彼が語らずとも、音楽が語っている。

 11番は未完成のように ふつり と終わってしまう。

 両方とも、これまでの叙情路線とはちょっと違うものを持っているが、粗削りととらえる人もいるかもしれない。


 第12番「広場にて死す」

 いっぷう変わってカンタータ風の作品。

 「広場にて死す」 などという、これまた、くらーい副題がある。チリの左翼系詩人だという、パブロ・ネルダなる人物の詩をテキストにしており、この詩と同題。

 ラテン語による学名2記名法の基礎を築いた分類学の祖、かのカール・フォン・リンネも教授を務めたという、スウェーデンを代表する名門校、ウプサラ大学が、創立500年(!)記念祝典のために委嘱。いくら委嘱が現代問題を題材にしたものといっても、祝典曲にチリにおいて行われた労働者の虐殺を扱った詩をテキストにするあたり、ただ事ではないが、そもそもペッテションに委嘱してる時点で……という気もする。

 CAPRICEというレーベルで録音を見つけた。70年代後半の録音で、盤面にメイド・イン・オーストリアとある。弦楽のための協奏曲第1番とカップリング。またcpoでも2006年についに発売され、全集として完結した。

 詩の節と共に楽章も別れているので、ペッテションにしては珍しく全9楽章。とはいってもこれがアタッカなので、55分を単一楽章とみなしても良いだろう。

 どちらにせよ、9ツの楽節みな歌入りの、歌曲的交響曲。となると、すぐに浮かぶのがマーラーの大地の歌とショスタコーヴィチの第13番バビ・ヤール。こんなところにも共通点があって興味ぶかい。

 晦渋・難解な音楽と紹介もされているようだが、声が入っているぶん、私には、他の交響曲より聴きやすい。しかも、特徴的なのは、マーラーやショスタコは基本的に歌入りといってもソロの歌手によるが、こちらはすべて混声合唱。管弦楽と合わせ、この重厚さがたまらない。伴奏はいつものペッテション節だが、合唱が異様なほど細かく声部が別れ、半音進行が意外に神秘的で、むしろ悲痛さを和らげている。またラストも讃歌のようにフォルテで輝くしく終わる。

 輸入盤なうえにブックレートの歌詞は、これはスペイン語とフランス語だろうか。何を言っているのかサッパリ分からないのが恨めしいが、悲痛な祈りは聞こえてくる。スネアドラムも容赦ない。他の打楽器もかなりの難易度を要求されている。

 いつものペッテションです。

 メジャーレーベルでは絶対録音しないだろうな……。

 あーあ、もったいない。


 第13番

 「音の巨大な塊」 ともいわれるペッテションの音楽。ひたすら、延々と無限地獄のごとき無限旋律、無限展開、無限運命。

 67分のこの奈落的宇宙を、どう味わうかは、聴き手に託されている。

 弦の細かい刻みが、不安と恐怖の境をゆらめく精神を象徴している。10数分ごろ、かすれたヴァイオリンのソロがあり、高音の優雅な旋律を、低音の不気味な動きが支えている。珍しく響き線のない小太鼓が重連を奏で、とにかくうねり、悶え、叫び、泣き訴える。

 この自らへ試練を課すがごとき、ある種宗教的なまでの真摯にして悲痛な音響は、この作曲家以外ではまず聴くことができない。

 9番の次に長大重圧なこの13番だが、後半に突入すると、いくぶんか、未来をみつめるパワーを感じる。いつまでも泣いていたって、恨んでいたって、始まらぬのだ。

 45分ごろには、悠然と管弦楽がアダージョを奏で、嘆叫の中にも、希望を求めている。13分ごろにまず現れた、東方風の長いビオラによるソロは、こんな美しくも哀しい音楽を聴ける喜びを与えてくれるだろう。

 それを弦楽が受け取り、音へさらにパワーが宿る。意志のパワー。

 残り10分。グウッと盛り上がって、ラスト、なんと讃歌で終わる!

 9番の次に評価したい、間ちがいなく20世紀の傑作交響曲の1つ。

 何度もいうけど、メジャーレーベルの人達って、何を基準にCDを作ってるんだろうか。まあ、確かに、こんな暗い音楽を喜んで聴く人が、そうそういるとも思えないけど………。(ようするに売れない。。。)


 第14交響曲

 ベートーヴェン以降、交響曲でここまできた人で、傑作を物にしている人は少ない。昨今では、アメリカでハイドンばりにシンフォニーを書きまくっている人や、ペッテションと同じく北欧あたりに量産している人が多数いるようだが、中々その真価を知る機会は無いし、内容も多様的になりすぎて、訳が分からなくなっている嫌いがある。なんといっても、そこは演奏され、録音され、売られ、私のようにその曲や作者の信者となった人により紹介されるだけの魅力を備えていなければ。

 ショスタコーヴィチの14番「死者の歌」もメタメタに暗いけれど、ペッテションの14番は、それどころではない。ただくらいというには説明のつかない 「何か」 がある。

 47分間待ったなし。

 暗いのはいつもの事なのだが、どんどん音楽が抽象的になってくる。怒濤系の音楽は、どうやら14番で終わったようだ。静謐な悲しみと、しかし揺るぎない意志によって支配されている。

 感じるに、13、14、そして15と、これも三部作のようなものを形成し、年代的には、13の後に大作ヴァイオリン協奏曲第2番がきて、14と15は同時作曲。

 ペッテションは、曲風としてはショスタコーヴィチの系統なのだが、曲の内容的にはマーラーにグッと近く、作曲者の心の内、心的内向的なものがモロに現れるので、14番を作曲中はいつになく不安だったのだろう。不安を通り越し、まるでいつでも死ねますといった精神状態みたいだが、やはり、この人は、いざ死ぬとなると、死ぬのが人一倍恐ろしかったにちがいない。

 響きは乾いて、白骨の林、枯れ木の森のような、やはりショスタコーヴィチに通じる、冥界的な世界に、我々は足を踏み入れなくてはならない。

 なんでわざわざそんな嫌な世界に足を踏み込まなくてはならないのか、と聞かれれば、嫌な人は入らなくてどうぞけっこう、と答えるしかない。 

 入る価値を有し、理解している人にのみ、ペッテションの音楽は安らぎと勇気と、確かな美を与えてくれる。

 しかしまあ、13番ではどちらかというと、激しさと美しさ、優しさが順番に出てくるようだったが、この14番の全身をおおう寂寥感、絶望感、無常観は、こりゃいったいなんとしたことだろうか。


 第15番

 ショスタコーヴィチはこの曲で打ち止め。大いなるペッテションの世界も、終わりに近づいている。時間的には、早い演奏では30数分で、遅くとも40分以内のようだ。

 しかし、ショスタコがある意味、ラストを飾るに相応しい、後はいつ死んでもいいといった音楽を書いたのに対し、ペッテションはまさに死ぬまで書き続けていただけあって、ここでも容赦が無い。

 彼の一生は、闘争のためにあったようなもので、それは運命とか、人生とか、とにかく己への悲愴な事々に対し、音楽をもって終わり無き戦闘を挑み続け、挑んだまま、勝利も敗北も無く、ついにこの世を去った。

 CDのトラック2 「Six measure after No.25」 において、数分の間、不協和音が消えてしまうが、それは何か、挑み続けた行為の答えなのだろうか。

 いや、すぐ後のかきむしるような響きが、まだ答えなど見えぬ事を示唆している。

 14と同時作曲だが、不安はいくぶんか消え去り、再び、生きる希望が沸いてきている。ただし、この人の希望とは、

 「ふざけるな、誰が死んでやるものか、おれの呪いを聞け、戦いの雄叫びを聞け!! おれは生きる、何があっても生きる!! いざ、剣をとれ、血の泪を流せ、神に会えば神を斬り、魔に会えば魔を斬らん!!」

 こー〜んな感じだが。(トホホ)

 トランペットの長い単旋律の後、弦楽の絶叫で幕をとじる。

 完成した最後の交響曲16番の曲風と比べると、ここは、世界の終わりの「時の時」なのだと思う。


 完成した最後の交響曲、第16番

 時間的には30分前後で、10・11に回帰している。

 そして何といっても特徴的なのは、独奏のアルトサックスが加わっており、交響曲なのだが反面協奏曲なこと。同時期に未完となったビオラ協奏曲も書いており、類似性を感じさせる。

 そのサックス、何をどうやったらそんな難しい音形を吹けるの、といったウルトラ難技巧パート。

 一貫して、集中力と意志力にあふれ、最後の曲とは思えぬほど。15番をすぎ、何かまたふっきれた、遠い世界への入り口に立っている。メランコリックな響きは、悲しさを象徴しているが、これまでのどんな交響曲より、うんと安定している。不安な気持ちはうすれ、サックスは力強く羽ばたき、美しくも、そっと、終わってしまう。

 ペッテションは新たなる境地の入り口で、永遠の世界へ逝ってしまった。


 これをもってペッテションの偉大なる交響曲世界は終わりを告げ、我々は、その膨大な軌跡をそれぞれがそれぞれの感覚で感じ、受け止め、何らかの答えを出さずにはいられない。その美と抒情、究極の切なさ、激しさ、憤り、怒り、絶望、希望、生きる力、不安。その表現するものは、確かに難解ながら、オリジナリティーにあふれ、本当の存在感を与えてくれる。その存在感が、ああ、こんな虚ろな現代において、その存在感を確かに感じて喜んでいるこのオレも、ちゃんと存在しているんだなという、確かさと、勇気と、パワーを与えてくれるのでしょう。
  
 そして、この膨大なる音楽の意味するところは、我々へ伝えたかったこととは、いったいどのように受け止められるだろうか。ペッテションは、彼は、マーラーもおののき、ショスタコも真っ青、ブルックナーも裸足で逃げ出す偉大すぎる交響曲群を書き、何を我々に伝えたかったのだろうか。

 それは、


 「人間は救われてはいけない」ということ。


 人間は常に闘わなくてはならない非業の存在だということ。


 全ては無常観の中に終結するということ。


 人間は、永遠に闇の中を進むということ。


 幸せなんかありえないということ。


 全ては幻想なのだということ。


 だけどその中で、せめて心の中の光を見つめようとしたっていいじゃないか。  


オマケ

 せっかくcpoに全集がそろっているので、その中からこれだけは聴いてみて! というのを選んでみました。正直同じような曲風の音楽ばかりなので、ためしに聴いてみるものを推薦し、それで興味がわけば、他のナンバーや異盤もどうぞ、という趣向です。

 7番 8番 12番 裸足の歌 

 この4曲はいずれも異なる方向でペッテションの魅力満載です。また、そんなに暗黒度は高くないですので聴き易いです。(これでも)

 その後、もしよければ、5番、6番、9番、13番などを聴くと、その重厚さと究極の暗黒さを楽しめるでしょう。

 さらに14番で枯れはてた白骨街道あるいは賽の河原を味わい、15番で世界の出口を見た後、交響的楽章でこんな劇伴ありか! と驚きましょう(笑)


ディスコグラフィーです。
 
(曲によってはCDが重複しています。ディスク別になっています。ライヴ録音は曲名の後ろに L がついてます。数字は録音年代です。
  また音源が同じですが盤のちがう場合もあります。その際に評価がちがうのは録音状態です。
  評価は★=ダメ ★★=普通の下 ★★★=普通の上 ★★★★=スゴイ ★★★★★=超スゴイ ☆=気絶 です。SACDは○です。

アラン・フランシス/BBCスコットランド交響楽団  交響曲第2番 cpo/999 281-2 ★★★
交響的楽章 ★★★★
スティック・ヴェステルベルク/スウェーデン放送交響楽団 弦楽のための協奏曲第3番より第2楽章「メスト」 SWEDISHSOCIETY/SCD1012 ★★★★
交響曲第2番 ★★★★
アラン・フランシス/ザールブリュッケン放送交響楽団 交響曲第3番 cpo/999 223-2 ★★★
交響曲第4番 ★★★
レイフ・セーゲルスタム/ノールショッピング交響楽団 交響曲第3番 BIS/BIS-CD-680 ★★★
交響曲第15番 ★★★★
アラン・フランシス/ジョン・エドワード・ケリー A.sax/ザールブリュッケン放送交響楽団  交響曲第5番 cpo/999 284-2 ★★★★★
交響曲第16番 ★★★★★
モーシェ・アツモン/マルメ交響楽団 交響曲第5番 BIS/BIS-CD-480 ★★★★
レフ・マルキス/マルメ交響楽団/今井信子Va ヴィオラ協奏曲 ★★★★★
アンドレアス・ペール・ケーラー/ベルリンシベリウス交響楽団 交響曲第5番 BLUEBELL/ABCD015 ★★★★★
マンフレード・トロヤーン/ベルリンドイツ交響楽団 交響曲第6番 cpo/999 124-2 ★★★★
ゲルト・アルブレヒト/ハンブルク州立フィルハーモニー管弦楽団 交響曲第7番 cpo/999 190-2 ★★★★★
セルジウ・コミッショナー/スウェーデン放送交響楽団 交響曲第7番 L1990 CAPRICE/CAP21411 ★★★★★
レイフ・セーゲルスタム/ノールショッピング交響楽団 交響曲第7番 BIS/BIS-CD-480 ★★★★★
交響曲第11 ★★★★
アンタル・ドラティ(ペッテションの世界初録音らしいです。) 交響曲第7番 SWEDISHSOCIETY/SCD1002 ★★★★★
ユーリ・アロノヴィチ/ストックホルムフィルハーモニー管弦楽団/フレデリック・L・ヘンケ A.sax 交響曲第16番 ★★★★★
渡邉暁雄(日本初演?)/日本フィルハーモニー管弦楽団 交響曲第7番 L1984 日フィル自作/JPFO-0019 ★★★★★
トーマス・ザンデルリンク/ベルリン放送交響楽団 交響曲第8番 cpo/999 085-2 ★★★★★
ゲルト・アルブレヒト/ハンブルク州立フィルハーモニー管弦楽団 交響曲第8番 ORFEO/C377 941 7 A ★★★★
アラン・フランシス/ベルリンドイツ交響楽団 交響曲第9番 cpo/999 231-2 ★★★★★
クリスティアン・リンドベルイ/ノールショッピング交響楽団 交響曲第9番 BIS/BIS-2038 ○○○○半
レイフ・セーゲルスタム/ノールショッピング交響楽団 交響曲第8番 BIS/BIS-CD-880 ★★★★★
交響曲第10番 ★★★★
アラン・フランシス/北ドイツ放送ハノーヴァー管弦楽団 交響曲第10番 cpo/999 285-2 ★★★★
交響曲第11番 ★★★★
スティック・ヴェステルベルク/スウェーデン放送交響楽団 弦楽のための協奏曲第1番 CAPRICE/CAP21369 ★★★★
カルル・ルーネ・ラルソン/ストックホルムフィルハーモニー管弦楽団 他 交響曲第12番 ★★★★★
マンフレッド・ホーネック/スウェーデン放送交響楽団・合唱団 交響曲第12番 L2004 cpo/777 146-2 ★★★★★
アラン・フランシス/BBCスコットランド交響楽団 交響曲第13番 cpo/999 224-2 ★★★★★
クリスティアン・リンドベルイ/ノールショッピング交響楽団 交響曲第13番 BIS/BIS-2190 ○○○○○
ヨハン・アルネル/ベルリン放送交響楽団 交響曲第14番 cpo/999 191-2 ★★★★
ペーター・ルツィッカ/ベルリンドイツ交響楽団 交響曲第15番 cpo/999 095-2 ★★★★
トーマス・ダウスゴー/イザベレ・ファンコイレンVn/スウェーデン放送交響楽団 ヴァイオリン協奏曲第2番(改訂版) cpo/777 199-2 ★★★★★
ヘルベルト・ブロムシュテット/イダ・ヘンデルVn/スウェーデン放送交響楽団 ヴァイオリン協奏曲第2番 CAPRICE/CAP21359 ★★★★★
エスキル・ヘムベリ/マルガリータ・ダルシュトロームSop/ストックホルム混声合唱団 裸足の歌より6つの歌(ヘムベリ編) ★★★★★
クリスティアン・リンドベルイ/アンドリュース・ラーソンbr/ノルウェー室内管弦楽団 裸足の歌より8つの歌(ドラティ編) BIS/BIS-CD-1690 ★★★★★
弦楽のための協奏曲第1番 ★★★★
弦楽のための協奏曲第2番 ★★★★
クリスティアン・リンドベルイ/ノルウェー室内管弦楽団 弦楽のための協奏曲第3番 BIS/BIS-CD-1590 ★★★★★
ヨゼフ・グリュンファルブ/カルル-オーヴェ・マンベルクVn 2つのヴァイオリンのための7つのソナタ CAPRICE/CAP21401 ★★★★
ヨハネス・ゴリツキ/ドイツ室内管弦楽団 弦楽のための協奏曲第1番 cpo/999 225-2 ★★★★
弦楽のための協奏曲第2番 ★★★★
弦楽のための協奏曲第3番 ★★★★
ウルフ・ヘルシャー Vn
フォルカー・バンフィールド Pf
マンデルリンク弦楽四重奏団
アルベルト・シュヴァイツァー五重奏団のメンバー
 
ヴァイオリン協奏曲第1番ヴァイオリンと弦楽四重奏のための cpo/999 169-2 ★★★★★
4つの即興曲 Vn Va Vc ★★★★
フーガホ調 Ob Cl Fg ★★★★★
幻想曲 Va solo ★★★★★
ラメントPf ★★★★
マーティン・ジェランド Vn
セシリア・ジェランド Vn 
レナート・ウェリン Pf
  
7つのソナタ 2Vn BIS/BIS-CD-1028 ★★★★
ラメント Vn Pf ★★★★
2つのエレジー Vn Pf ★★★★★
ロマンツァ Vn Pf ★★★★★
アンダンテ エスパシーヴォ Vn Pf ★★★★★
スティック・ヴェステルベルク/スウェーデン放送交響楽団 他 人類の声 BIS/BIS-CD-55 ★★★★★
モニカ・グループ mezzo-sop
コルト・ガーベン Pf
 
裸足の歌 cpo/999 499-2 ★★★★★
6つの歌 ★★★★
マルゴット・レーディン sop
エリック・セイデン br
マルノルト・エストマン Pf
 
6つの歌 SWEDISHSOCIETY/SCD1033 ★★★★
裸足の歌 ★★★★




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