六方剣撃録
九鬼 蛍
二 傭兵・聖戦士
この六方世界の北部地域に、六方十国が一、ストアリアがある。もっとも北部といっても、極北というわけではない。緯度的には高いが、国土の側を巨大な暖海流が流れているおかげで気候は穏やかであり、雪も少ない。寒いだけなら、内陸国家である同じく十国が一、リュスのほうが寒い。
ストアリア帝国は、かつて六方・グロス=ガルマス聖導皇朝において軍官国をつとめていただけあり、現在でも強力な軍事国家である。皇帝は国軍大総統を兼ね、本国の他、支配国や支配領土も多い。その政策影響は常に世界情勢におよび、〔北の恐国〕などと称し、小国を震え上がらせている。
戦士グスタフ・マーラーは、ストアリアでも名うての傭兵だ。ジギ・タリス92%の魔剣〔死の舞踏〕を駆り、齢二十一にして三十の戦場を渡り歩き、倒した敵は大将首で四十人を数え、得た報酬はもはや天文学的な数字となっている。
若き伝説の傭兵だ。
その〔北の魔人〕マーラー、いま、カルパスにいた。
裏通りの、建物の隙間を縫うように造られている薄暗い小路を歩いていた。
着痩せするのか、その姿は言うなれば華奢で、背も、小柄というわけではないが、屈強の傭兵たちの中へ紛れたら、むしろ小さいだろう。
しかし、浮浪者やチンピラが我先に避ける。
まるで飢えた……いや、手負いの獣なのだ。
怒っているとか、誰かまわず敵愾心を向けているとか、そういうのではない。無意識の内の、純粋なる殺気。
黒髪に映える珍しい草色の瞳が、静かに殺気を放っていた。
歩いていると、空気がまるで我から裂けて彼を通しているようである。
彼にかかっては、人の命など戦争や疫病の前で塵のようにはかなく消えてゆく〔もの〕にすぎない。
論より証拠。
「……まて、おい」
いかにストアリアの若き大傭兵・マーラーとて、新聞もテレビもないこの世界、顔を知っているものなど、関係者を除いては皆無といえる。ましてや、この異国の地だ。そのむき出しの殺気に、この路地裏を仕切るグループの一団が、まるで火へとびこむ虫のごとくに群がる。
止まる、マーラー。
「野郎……なに調子こいてこの通りを歩いてやがる……」
「……う?」
意味がわからない。
本当に分からないのだ。
戦場一筋に生きてきた彼である。都会の裏通りの〔規則〕など、想像もつかぬ。
「……眼が気にいらねえ……」
「……め?」
「その気味の悪ィ、緑の眼だ!」
「みせしめだ、片眼をえぐってやる!」
「この通りをでかい面で歩いた罰だ!!」
「む……」
身構えるマーラー。男たちは、みな愛用の匕首や短剣をとり出し、
「さあ、来い!」
「来いよ、若造!」
「お……おれと戦うのか……」
「……抵抗したら、そうなるかもな」
「敵か、敵なのか?」
「なんだっていい、オラ、抜け、それともその剣は飾りかよ、傭兵さんよ!」
「……」
言われずとも、魔剣を抜く。柄の長い両手剣だ。霊石テトラ・ジギ・タリスによる輝きなど、男たちは知らぬ。黒曜石にも似た半透明の黒い輝きに、絶妙な黄金の線模様が入っている。
「おっ……へ、へ、高そうな獲物じゃねえか。もらっておいてやる……」
「よし……囲め、囲め!」
その男たちの位置を素早く確認し、マーラー、だらりと剣を下げたまま、
「……あの……」
「?」
「もう、攻撃してもいいのか?」
「ああ!?」
ドッ、とあがる血飛沫。次の瞬間には、二人目の顔面が割られ、返す剣で、三人目の腹が裂かれた。
「あ、あッ、あ……!」
さらに一人が容赦なく胸板を貫かれる。
「……!!」
残る三人ほど、絶叫と共に逃げ出した。
遅い。
マーラー、剣を瞬時に弓へと変えた。弓だけだ。弦も矢もない。
「む……」
マーラーはバチバチとスパークする雷をひきしぼった。矢も、電撃の矢だ。
それが矢継ぎ早に発射される。
その全てが逃げさる男たちを難なく射抜き、
「ギャッ……!!」
男たちはみな強烈に感電し、泡を吹いてひっくり返った。適切な手当てなど望むべくもなく、まあ、そのまま死ぬだろう。
マーラーは無言で弓を剣へと戻した。自在可変と電撃。それがこの魔剣の〔特殊能力〕である。
そのまま、驚きの表情で死体を見下ろし、
「……よ、弱すぎる……! ……何だったんだ、こいつらは……?」
「お若いの……」
「うわっ」
いつからそこにいたのか。一人の本当に小さな老爺が、隣に立っている。
「なぜ逃げる者をも殺す」
「……え?」
「おまえさんほどの腕前があれば、ちょっと脅すだけで、あいつらなんか逃げ出したよ。それを……」
老爺はマーラーを見もせずに、死体だけをジッと見つめ、
「意味がないじゃないか……」
「だ、だが、敵は殺さなければ」
「逃げる敵もか?」
「そうだ」
「ふむ……」
「な……何かおかしいこと、言ったか?」
「若いの……おまえさん、人の命というものを、考えたこと、あるかね?」
「……いのち?」
「さよう」
「……??」
「ふむ……」
もう老爺は声を発しない。
「変なことを聞く……」
マーラーは先を急いだ。
裏通りから表通りを三つ越え、四番街のはずれにある、とある廃屋へと消える。
カルパスでの、彼のねぐらだ。
中は、意外と整えられ、調度品も多く、清潔な雰囲気で、風通しもよく、過ごしやすそうだった。何せ金には不自由していない。廃屋を改装するなど、朝飯前である。
そして、大きなベッドの上に、きれいな亜麻色の髪の少女が臥せっていた。
「あ……お帰りなさい……」
「おきるな。ねていろ」
「でも……お師さま……」
「マイカ、それより、これを見ろ」
マーラーは、懐より玉をだした。乳白色へ鈍く輝く、不思議な玉である。
「魔力玉だ」
「こ、これが……?」
「なんでも願いが叶うぞ。お前の〈呪い〉も、これで……」
「で、でも、これを使うと、魔物になってしまう……」
「む……だ、大丈夫だ(たぶん)」
「それに、これは依頼主から探すように言われていたものでしょう? 勝手に使ったら……お金がもらえないわ」
「む……」
「わたしはまだ平気よ」
マーラー、少女アルマ・マイカ・マーラーをぎゅっと抱きしめ、
「いいか、お前は絶対に死なせない。死なせないからな!!」
逃げさる者をも平然と追い殺し、生命や死の何たるかを理解できないマーラーが、この病の少女は絶対に助けるという。
あまりに分裂してはいまいか。
「い、痛いよ、マーラー……」
「あ……す、すまんな」
「それより、早く玉を……せったく手に入れたのなら……」
「うん。だがその前に、少し、使ってみようか」
「ええ? だ、だめよ、そんなの……」
「少しだけなら、分かりゃしないよ。魔物にもならない」
マーラーはそうして、玉へ向かい、
「……うん、久しく雨も降っていない。家の前の井戸が、減ってきているんだ。……明日、雨が降りますように……」
祈って見せる。
とたん、
「!!」
玉が破裂した。
「………!?」
マイカもマーラーも、唖然として、砕け散った魔力玉をただ見つめた。
1
「傭兵……マーラー?」
「はい、お嬢様」
「あのストアリアの……?」
「はい」
「このカルパスに……」
ミネラル、しばし黙りこんで、
「……その、グスタフ・マーラーが、フルトより魔力玉を奪ったと……」
「間ちがいありません。フルトヴェングラーの目撃したという、触手のようなもの……奴めの魔剣が変化したものかと……」
ミネラルは親指の爪をかみ、
「あの狂傭兵が、なぜ魔力玉なんか……なぜ……?」
「お言葉ながら、お嬢様……帝国の依頼と見うけましたが……」
「ストアリアの!?」
「はい」
「……そうか、ストアリアも魔力玉の存在をかぎつけたのね。……と、なれば、他の十国に知られるのも……時間の問題だわ」
「御意」
「さて、どうしよう……」
水出しコーヒーを傾けながらミネラル、しばし沈思していたが、
「……フルトに、消させましょうか」
「……マーラーをですか?」
「そうよ」
「それは無謀かと……」
「フルトが負けるとでも?」
「はい」
「じゃあ、賭けましょう」
「は……?」
「わたしは、フルトに1000セレム」
「……では、わたくしめは傭兵・マーラーに……」
「待って。お金はいらないわ」
「……は、では、何を?」
「〈林檎の泪〉の使用許可を」
「そ、それは……!!」
「きまり。それにきまりね」
ミネラルは席をたち、楽しそうに建物を出た。さっそくフルトの事務所へ向かったのだ。
執事ベームはため息と共に、
「まったく、公姫ともあろうお方が……」
だが素早く、裏の手配をすませる。
「傭兵・マーラー……」
セルジュの用意した紅茶を一口のみ、フルトはそうつぶやいた。
「だれです? フルト様」
「……ストアリアの傭兵だ。たしか精神を病んでいると……」
「そんな噂があるの? ウガマールでは」
「一部ではな。凄腕で、大金をせしめると聞いている。若いのに強者だと……」
ミネラルは上目遣いで、楽しそうに、
「あなたといっしょじゃない」
「………」
「そのマーラーも魔力玉を集めているわ」
「そうかい」
「興味ないの?」
「ない」
「あっそ……」
「それより、玉の捜索だが……何か次の情報はないのか?」
「え?」
「魔力玉だよ。盗まれた物は仕方がない。次のを探そう」
「取り返そうという気はないの?」
「ない」
「ど、どうして?」
「相手が傭兵なら、仕事で盗んだのだろう。もうとっくに手放している」
「あ……そうか」
「玉は一つじゃないんだ。早く探さないと……次から次へと犠牲者がでるぞ……」
「そ、そうね」
「それに、おそらくあの玉は、もう……」
「え?」
「……なんでもない」
とりあえずミネラル、フルトへ次の仕事を依頼した。魔力玉捜索に関する仕事だ。後で〔フルトヴェングラー対マーラー〕の計画がダメになったことを執事ベームへ知らせなくては。
(ちぇっ、つまらないの……。)
そして……もしその仕事を依頼しなければ、この後の展開は、大きく変わっていたにちがいなかった。
「おい、オットー」
「は……」
オットー・クレンペラー神官長、振り返って、それから下を見る。背の高い神官長の後ろへ、小さな老爺がちょこんと立っていた。
「あ……こ、これは、ビューロー師……ようこそ、おいでくださいました」
「ふむ……」
老爺は、しわくちゃの顔より鋭い眼差しをクレンペラーの前で小さくなっている中年の司祭へ向けた。
その司祭、この廊下の真ん中で、たった今、神官長より厳しく指導されていたのだ。
信者への対応についてである。
実際、この司祭はお布施の額によって、金持ちの信者とそうでない信者とで対応の仕方が異なっていた。クレンペラー神官長の厳しい眼は、容赦なく弟子たちのそうした態度を見抜くのだ。
鬼のクレンペラー、面目躍如である。
「まあ、そのへんで……これ、今よりは心を入れかえ、貧しいものこそ、救いを求めているのを忘れるな……」
「は、ははっ……」
しぼられていた司祭、これ幸いと廊下を行く。
「ビューロー師……」
「ふむ……わしは甘いか? オットー」
「いえ、そういうわけでは……」
「ここではなんだ。奥へいこう」
老爺は先立って歩いた。
この老爺、名をハンス・フォン・ビューローという。オットー・クレンペラー神官長の前の神官長……すなわち、先代神官長というわけだ。
齢八十を越え、いまも現役の神官として日々辻説法をする毎日だ。特に、貧困層の多く住む裏通りを中心に歩いている。
今日は久しぶりに、サーランシャ大神殿を訪れた。
前は自室であった神官長の部屋で、人形みたいに椅子に腰掛け、
「ところで、オットー……今日、わしが来たのは他でもない。つい先日、面白い若者と出会ってな……」
「……どのような?」
「高含有率のジギ・タリス剣を持つ……殺気の塊のような、無邪気な若者だ」
「……え、は?」
「あれこそ噂に聞く、〈ストアリアの北の魔人〉にちがいない……」
「……なんですと……!」
「ふむ……」
「あのグスタフ・マーラーが……カルパスに……」
「オットー……あの若者……ヴェーデルリンクの人間だ……」
「えッ……!!」
「だとすれば、誰があの若者を責められよう。かわいそうに……生の……死のなんたるかを、理解できないのだ……」
「………」
「……もう帰る」
「は、はは……」
「またくるよ」
元神官長、フォン・ビューローは、その鋭い眼差しを再びしわくちゃの顔へしずめ、大神殿を後にした。
傭兵・マーラー、強い日差しより逃げるように、店へ入った。およそ二百年ほど前にはるか東方より伝わった〔扇〕を売る店だ。
カルパスでは川辺に生える葦の一種の繊維を編んだものを、扇に使用する。
様々な扇が並ぶ店へ、不釣り合いな、細面の陰鬱な傭兵が無言で、しかも殺気丸出しでのっそりと入ってきたのだから、店の者はたまらない。強盗かと思ったぐらいだ。
だがマーラーが何もしなさそうだと分かったので、気を取り直し、
「あ、あの……いらっしゃいまし」
マーラー、珍しそうに扇を眺め、手に取る。
「そ、それなどは、お客様によくお似合いかと……」
「なに!!」
「ヒャッ……い、いえ、その……な、なにか……お気に障ることでも……?」
「……おい」
「は、はッ……」
「本当に似合うか?」
「は……」
「マーラー」
奥より、店の主人が現れる。
「こっちだ」
無言でマーラー、奥へ進む。
店員たちは自らの主人とあの不気味な傭兵が知り合いかと、目を白黒させて、それを見送った。
二人は店主の執務室へ入り、
「……裏から来いと、言ってあったはずだがな……」
「あ、そ、そうだったか……」
「……まあいい。で、例の物は手に入ったのか?」
「うん。だが、コワれた」
「……なんだって?」
「コワれたんだ」
「魔力玉が、壊れた?」
「ああ……コワれた」
「……」
店主、マーラーを見つめ、
「ふん……どういうつもりか知らんが、前金はすでに支払われているのだ。その分の仕事は、してもらわなくては……」
「わかってる。次の情報は?」
「まあ、待て……いったん、別の仕事をしてもらう」
マーラーは書類を受け取り、一読して、
「……なんだ、これは」
「その通りだ」
「おれに暗殺を!?」
「シッ! ……声が大きい」
「う……」
「店の者に聞かれる」
「わ……悪かった」
「傭兵だろうと、暗殺ぐらいする。そういうものだ。暗殺者としての腕も認められれば、そのぶん、仕事も増えるじゃないか。何が不平だ」
「い、いや……不平というわけじゃないが……玉探しが契約……」
「傭兵・マーラーとあろうものが、ちっぽけな契約行為に縛られるのか」
マーラー、表情は変えずに、
(しつこく契約しろしろとせまったのは、そっちじゃないか……。)
「なに、時間稼ぎだ。次の玉の情報を得るまでの、な。そのあいだ、お前をただ遊ばせておくほど、帝国は余裕がないぞ。何せ、お前へ支払う報酬額ときたら、ケタがちがうからな、ケタが」
「……う、ん……しかし、敵でもない者を、ただ殺すのは……」
「何をいう? 帝国の敵じゃあないか。帝国の敵は、お前の敵だ。ちがうか」
「そうかな……。まあ、いいや。暗殺ね……やってみる」
「たのんだぞ」
マーラーはもういちど書類へ目を通し、
「クレレンペラー神官長か……」
それからしばらく黙りこみ、
「……どんな人?」
2
その日も、異様なほど晴れていた。
「そろそろ雨期のはずなんだけどな……」
フルトは容赦なく肌を刺す太陽を見上げ、つぶやいた。
「雨期ったって、みつきおきじゃないの。我慢しなさいよ」
「ここは土が悪くてね。水を保てない。三ヶ月で井戸がかれちまう」
「へえ……」
「水不足になるぞ……」
「……でも、河は流れてるわ」
「河の水なんかのめるか」
「あ、あの人だわ」
「どいつだ」
物陰より二人、そっと顔だけを出す。
「あれが、秘書のチャカール氏」
「む……よし、セルジュ、いけるか」
フルトの合図に離れた場所で待機していたセルジュ少年が素早く人込みへまぎれ、〔秘書のチャカール氏〕を尾行する。
ミネラル、不安げに、
「……ねえ、セルジュで本当にいいの?」
「いい。彼も立派な退治屋事務所の一員だ。あんまり子ども扱いはしないでもらいたい」
「……十二歳なんて、子どもでしょ……」
「よし、オレたちは別行動だ」
「あ、まって……」
フルトヘ続きながら、ミネラルはちらりと執事ベームを確認する。ベームは、フルトとマーラーを対決させるというミネラルの〔思いつき〕がダメになった事を素直に喜んだ。
二人は官庁街・一番街へと向かった。
そこのとある小路の奥まった一角に、この官庁街へは相応しくもない、古びた建築物がある。いちおう食堂というか、料亭というか、大物の政治家が足しげく通っている。
料理もなかなかのものをだすらしい。
「……あいつよ。グラパッド派の政務会長……貴族院議員・セイナム氏」
この自由都市カルパスは、都市国家として議院制を敷いている。旧王国時代より続く四十二人の貴族たちによる貴族院と、大商人などの有力市民三十人からなる市民院だ。そしてそれぞれより代表者が選出され、市民投票によってカルパスの元首たる〔総督〕が選ばれる。
総督の仕事は、実質的に内務を司る宰相と、外交と都市の象徴を司る国王を兼ねる、本当にカルパスの完全統治者である。
総督を選出した与党の政策を総督宮大会議堂において総勢七十二人の議員が多数決で採決し、また総督は各議員派閥より提出される政策案をとりまとめ、協議にかける。
任期は七年。
その市民投票には、満十七歳以上でカルパス在住五年以上の市民であれば、誰にでも選挙権がある。この世界においては、非常に画期的なことだ。
また市民院議員の任期は五年であり、そのつど、これは満二十五歳以上で税金を年に百セレム以上納めた市民によって選挙される。
貴族院議員は世襲制である。
古王国時代よりの貴族たちだ。
貴族院には、政策決定の拒否権があり、議員は税法上や刑法・民法上で優遇される特権階級で、市民院と対立している。総督も大体は貴族院議員が選ばれる。
その裏側には、いろいろとあるらしい。
市民院における現在の最大の関心事は、市民院よりの総督選出と議員数の拡大である。なにせ三十人と四十二人だ。どんなに頑張っても、物理的に負けてしまう。貴族院の分断を図ってもいるが、古来よりの伝統と気位で団結している貴族たちは、びくともしない。
ようするに〔永年野党〕というわけだ。
それを打破すべく、近年は神殿組織などを取り込み、各国公使にもつながりを作って、貴族院を外から揺さぶったりしている。
さて……。
グラパッド派は貴族院でも中堅派であるが、そこの政務会長が料亭で密談する相手は、なんと、市民院議員の有力な一人である。
フルトはそんな自由都市の裏政治には興味がないのだが、
「某大物市民院議員がもつ〈切札〉……それが例のものであるらしいのよ……」
「ほんとうか」
「わたしがウラで仕入れた情報よ」
「すごい情報屋とつながりがあるんだな」
「え、ええ、まあ……」
なにせ六方十国が一、ハイゼルヴェン大公国の諜報部副長たるベーム大佐の仕入れる情報である。フルトが驚くのも無理はない。
「しかし、その……〈某大物市民院議員〉は、魔力玉をどうやって切札に? まさかそれをやるかわりに、いう事を聞けとでも?」
「そこまでは……」
「政治に興味はない。問題は、オレたちがどうやってその玉を奪うかだ……」
「まあ、まかせてちょうだい」
と、いうわけで、二人はその料亭を見下ろす建物の最上階にいた。
セイナム議員が料亭に入ってよりすぐ、一人の人物が同じ門をくぐった。
某大物市民院議員である。
かねてより打ち合わせずみの二人、すぐさま行動を開始する。
議員たちはいちばん奥の部屋で、さっそく秘密の会談をはじめた。
そのとたん、
「おま……お待ちください!」
店の者のそんな声がして、
「動くな!!」
大音声とともに、フルトが部屋へ乱入した。
「な……」
すかさずフルト、
「自分は、サーランシャ大神殿のコルンゴルト司祭である。今より両名を魔導共犯の容疑で強制捜査する!」
「なんだってえ!?」
「これが礼状。確かめられよ」
「……!!」
セイナム議員は顔面蒼白となり、震え上がった。〔魔導共犯〕はたとえ貴族といえども握りつぶせぬ、唯一の罪と言ってよい。
しかし、市民院の某大物議員は余裕しゃくしゃく、
「……それを見せろ。偽造礼状かもしれん。ふざけたやつらだ……!」
もちろん、礼状は偽物である。物陰でミネラル、息をのむ。
議員はしげしげと礼状を眺め、
「……何司祭といった?」
「コルンゴルトだ」
「そんな司祭が本当に大神殿にいるのか、確かめてやる。もしニセ司祭だったら、逆に神名を騙った罪で訴えるからな!!」
「む……」
ここでさすがにミネラル、
(あちゃ……考えが甘かったかしら……。)
だが、様子がおかしい。
フルトが、急に鋭い目つきで議員をにらみだしたのである。
「……なんだ、その眼は」
議員も不機嫌そうに、にらみかえす。
「………」
「………」
場は、異様な緊張感に押し包まれた。
ミネラルも、セイナム議員も、推移を見守る店の者たちも、あまりの緊張に全身汗まみれとなった。
「おまえ……」
フルトがそうつぶやいた瞬間、
「!!」
轟然と炎がほとばしった。
議員が発したのだ。
魔導士である。
「やはり、きさまァ!!」
フルトの呪文。
「よくぞ見破ったあ!!」
魔導士も呪文を唱える。
ミネラルが弾かれたようにとびでて、セイナム議員を助け、室外へと走りでた。
店の者たちは悲鳴も出ない。
「うりぁああ!!」
フルトは両の拳に神聖力を集め、殴りかかった。魔導士は魔力の楯だ。
火花が散り、神聖力と魔力がスパークする。
「ががががが!!」
激しい振動と衝撃に魔導士、肉体がついてこない。
フルトはびくともせぬ。
ついに、フルトのパンチが魔法の楯をつきやぶって魔導士をとらえた。
「ガハァッ…!!」
魔導士は大量の血を吐き、寸時ほど悶絶して、息たえた。
「………」
ミネラルは驚きの表情で魔導士の死体を見下ろし、
「……とんだ誤算ね。魔導士だったなんて……」
「これも料金の内なんだろうな」
「え? ええ、もちろんよ」
「……某議員に魔導士が化けていたのか、議員が魔導士だったのか……いまとなっては知るよしもない。さて、セイナム議員」
「は、はいッ……」
「以後は、気をつけることですな」
「は、はは、あ、あのう……」
「わかってます。神殿には、内密にしておきましょう。なにせ、私も、正式な司祭ではなく、ただの退治屋ですから……」
「おお……」
しかしセイナム議員は、フルトへ〔こころづけ〕をやるのを、忘れなかった。フルトは快くそれを受けた。五十セレムほどであった。
「え、ええと……フ、フルト……どの。これを縁に……よしなに……」
貴族院に強力なコネができたのは、よかった。しかし、玉の捜索は、ふりだしへ戻った。
「とりあえず、神官長に報告だけしておこう。セイナム議員の名は伏せて。なにせ、議会に魔導士がまぎれていたのだから……」
3
フルトは、今度はこっそりと裏門よりサーランシャ大神殿へと入った。さすがに気が引けたのと、何やら神殿内がざわめいていたので、司祭らともめて信者たちへ余計な心配をかけたくなかったからだ。
気配を消し、まっすぐクレンペラー神官長の部屋を訪れる。
途中、神官長の世話をする十代の若い神官に見つかり、
「あ、フルトヴェングラー様」
この若い神官は、神官長より神聖国家ウガマールにおいてのフルトの地位と立場を聞かされている。
「……神官長は?」
「いま、執務室です。もうすぐ午後の休憩ですから、お部屋にまいられると思います。どうぞ、そのままお待ちを」
「すまない」
そこでフルト、忙しそうに廊下を行く神官たちを遠目に、
「何の騒ぎだ? あれは……」
「いえ、その……すみません、よく分からないんです」
「若い者に説明は無いのか」
「聞いても分かりませんし……」
「そういう態度は感心しない」
「あ、は、はい、申し訳ありません」
「……いや、オレが言うことじゃないな。オレはもう司祭でもなんでもない」
「いえ、そのような……少なくとも私は、今でもフルトヴェングラー筆頭聖導騎士隊長様をご尊敬もうしあげております」
「よせ、そんなことは。オレは破門の身ゆえな。……おっと、人がきた。部屋で待っていると、神官長に……」
「はい」
クレンペラー神官長は、すぐにやってきた。
「ちょうどよかった、ヴィルヘム」
「は……?」
「話がある」
神官長の話を聞き、フルト、
「それは……?」
「あくまで裏の情報だが、あのストアリアのことだ。やりかねん。議会にも手を伸ばしだしたらしい」
「議会……」
フルトは思い出し、目的の報告をした。
神官長は眉をひそめ、
「……本当か、それは!?」
「死体が変わりませんでした」
「ならば、議員が魔導士だったのだ」
変身の魔術は、術者が死ぬと解ける。つまり死体は魔導士になる。はずが、某大物議員の死体は、議員のままであった。
この変身魔法の秘密は魔導士以外では神官などの魔導関係者しか知らない。
フルトはミネラルにはあまりなんでも情報を与えないようにしている。全面的に信用しているわけではないからだ。
「これは重大な情報だ。ヴィルヘルム、感謝するぞ。さっそく会議で報告する。ストアリアと魔導士が手を組んでいるのだ……」
「あそこは、昔からそのような噂が耐えません」
「……古の六方十国も、いまや互いにあい争う間柄……特にあの国は力こそが正義の軍事大国。強ければ魔導だろうと聖導だろうと関係がない。恐ろしい国だ……」
「……魔力玉を……」
「渡してはならぬ。ならぬぞ、ヴィルヘルム。……それを復活させた者もだ」
「は!!」
神官長、柱時計をみて、
「おう……時間だ。茶でもと思ったが、すまん、もう行く」
「いえ……おかまいなく」
と、言った瞬間、もうフルトは神官長を抱きかかえ、床に転がっている。
とんでもない音で雷鳴が轟き、空気が震えた。衝撃でドアはふきとび、たちまち焦げた匂いと白煙が充満する。
火はあがっていないようだ。
「……し、しまった、もっと静かにやりゃよかった……」
「なんだ、きさまは!!」
「え……」
なんの気配も悟らせずに突如として神官長を攻撃したその若い戦士に、フルトは微塵も動じる事は無く、
「何者だ!!」
傭兵・マーラー、魔剣〔死の舞踏〕を構え、
「……そういう、あんたは、神官長警護の聖戦士なのか?」
「……質問に答えろ、賊め……」
やっと、騒ぎを聞きつけた司祭たちが慌てふためいて集まる。はじめフルトをみて、
「この、また性凝りもなく……」
そして、マーラーを発見し、息をのむ。
クレンペラー神官長がようやく起き上がった。額から血を流している。
ここで事態をのみこみ、
「あ……暗殺者か……!!」
「ストアリアだ、ストアリアの暗殺者だ! しっ、神官長をお守りしろ!!」
集まった大神殿の神官戦士たちが抜剣し、マーラーへ殺到する。
「ま、まて、とまれ!」
フルトが叫んだが、遅い。
神官長の部屋は広い廊下の突き当たりにあり、大きな両開きの扉は今や電撃で吹き飛んで跡形も無いが、マーラーを取り囲むように数人の神官戦士が隊形を組むには充分だ。
「はあッ!」
ジギ・タリス三〇%の聖剣をふりかざし、いっせいに攻撃を開始する。
しかし、マーラー、低く体をひねって一人目の剣打をかわし、突き上げるように剣先を戦士の顎の下へつきつけ、そのまま延髄を貫いた。
そして死体を蹴りつけ、剣から抜くや、後ろよりの攻撃を返す剣で受け、歩をかえて流し、つんのめった相手を大上段より斬ってすてる。
迫る三人目は相手の剣をかわしつつ、片手打ちでひょいと肩口から胸へかけて剣を叩きつけ、瞬間的に電撃で心臓を止めた。
そして目にも止まらぬ一足跳びで距離をつめ、低い重心からたちまち二人の腹を横一文字にかっさばいてみせた。
「……やあっ!」
その隙に同時にとびかかってきた四人へは、「ギュヴァッ」という独特の音と共に剣を瞬時に両手持ちの大鎌へ変え、雷をまとった一閃で首をみな吹っ飛ばした。
「あ……う……う……」
あっと言う間に九人を倒され、さしものサーランシャの神官戦士らも、次の手がでぬ。
マーラーは息をつきつつ、ぎろり、ぎろりと膠着する神官戦士たちをみつめ、不敵に笑いながら、
「……どうした、おれを殺したいんだろ。攻撃しなよ。そのかわり、殺してやるから」
「うおりぁ!」
「!?」
フルトの拳がマーラーの頬へめりこむ。
ふいをつかれたマーラー、筋斗(もんどり)うって壁に激突した。
「いまだ!!」
と、叫ぶ神官戦士を、フルトが止めた。
「……な、なにを……」
「おまえらでは無理だ」
「う……」
神官戦士は司祭を見た。脂汗をかいて戦闘を見守っていた司祭が、無念そうにうなずく。
マーラーは大鎌を杖にゆっくりと立ち、
「……こいつは……きいた……頭がぐらぐらする。こんなパンチは初めてだ……」
そして口中へたまった血を吐き、
「あんた、強いな」
「………」
「強いやつは殺す……」
その純粋で強烈な殺気に、周囲の神官たちは背筋に氷を詰められたようになった。
フルトもその寒けを存分に感じながら、
「……そうか、きさまが傭兵・マーラー……ストアリアの〈北の魔人〉……」
「……!」
司祭たちがざわめく。神官長も、驚きを隠さぬ。
「ふうん……おれって、有名なのだな。……そういうあんたは、なんて人?」
「……フルト……いや……」
ちらっと神官長をみて、神官長がうなずいたので、
「フルトヴェングラー。ヴィルヘルム・フルトヴェングラー」
「なに……!?」
マーラーの顔つきが変わる。
「フ、フルトヴェングラー!? ウガマールの〈銀の戦車〉!? おまえが……!?」
「……む」
「おまえが……フルトヴェングラー……」
「オ、オレを知ってるのか」
「………」
マーラーは急に上目遣いとなり、陰鬱な眼でフルトをにらみだした。
「……う……」
それは、珍しい緑の瞳もあって、フルトも思わずたじろぐほどの不気味さだ。
「いいか、フルトヴェングラー……」
「………」
「おれは……こう見えても信心深いんだ。聖導皇朝を深く信仰している。……お前を絶対にゆるさないぞ……」
「……!」
「おれは敵は殺すが身内は殺さない。絶対に仲間を見捨てない。神を裏切らない。……フルトヴェングラー……おまえは、親族殺しで主人殺しで神殺しの、恐れを知らぬ大罪人だ。大いなる偽善者だ。邪悪な殺し屋……許しがたい姦通者だ。クズめ。吐き気がする。……いつか絶対コロシテヤル……」
そのまま、マーラーは悠然と廊下を歩き、勝手口より神殿を後にした。
フルトは一歩も動けなかった。
「……どけ!」
司祭らが神官長へ駆け寄る。
「神官長……ご無事で……」
「ああ……なんとかな」
「こちらへ……」
神官長は呆然としているフルトへ何か声をかけようとしたが、司祭らに強引に引っ張られた。その司祭の一人が、
「……おい、なぜあの賊を追わなかった」
「……」
「おい!!」
「……素手では勝てん」
「……む……」
「あいつに勝つには……あれがいる……」
「……ばかが、御家断絶・領地没収の罪を犯したのは、誰だ。自業自得だ。それに、いいかフルトヴェングラー、今のお前にあの聖剣を握る資格はない」
「う……」
「さっさと消えろ。二度とこの大神殿の門をくぐるな!!」
「………」
フルト、口を真一文字に結び、キッと泪をうかべた目で司祭をにらんで、
「わかったよ!」
半泣きになりながらも決然とそう言い放つや、屈辱を怒気で包み隠し、その場を離れた。
4
それから、三日後。
事件はまだ終わらぬ。
〔秘書のチャカール氏〕を尾行していたセルジュが、そのまま、行方知れずとなった。
「だから言わないことじゃない!」
ミネラルの罵声を、フルトは無言で受けた。
もう、胃がでんぐり返りそうだ。
〔秘書のチャカール氏〕は、フルトに退治された魔導士……某大物議員の秘書である。
議員の名をアヴドゥーラという。
大きな石材問屋を営む、市民院副議長だ。
いま、議員が急死し、石材問屋の跡目相続問題も大変なものだが、なにより補欠選挙の行方が巷で話題となっていた。
地盤を引き継ぐのは、誰か。
息子の一人であるアリ氏と、秘書のチャカール氏が有力だ。
「とりあえず、チャカールの周囲を探ろう……」
セルジュに、チャカール氏を尾行させた目的は、その行き先をつきとめるためであった。と、いうのも、チャカールを通じて、アヴドゥーラ議員がストアリアと接触をしているという情報をえたためである。
また、その相関関係が多少複雑なので、ここで説明しておきたい。
貴族院と市民院が対立していることはすでにのべた。
市民院は最近、最大勢力のウガマール宗派を含めた神殿組織に特に接近している。宗教の影響力を借り、一枚岩の貴族院を分断しようという考えだ。
また、貴族院には密かにストアリア帝国が接近し、自由都市の利権を狙っていた。
ここに、貴族院対市民院の裏側で、ストアリア対神殿(ウガマール)という図式が成立する。
ストアリア公使の命により、マーラーがクレンペラー神官長暗殺を企てたのも、その理由による。行動は素早く、そして大胆に行うのがストアリアの無敵の軍事戦略の一つだ。
その一端で、市民院副議長であったアヴドゥーラ議員に、ストアリアが接触しはじめたらしいのである。副議長を使って、市民院が神殿と手を組むのを妨害せんとしたのだ。
「……加えて、議員が魔導士だったという事実が、ある。ストアリアは魔導士を平然と使う恥知らずだ。六方十国の威厳と栄光は、いったいどこへいってしまったのか……」
「そんな八百年も前のこと、いまさら何よ。ストアリアは利口ね」
「……なッ、なにィ!?」
「……にらまないでよ。本当のことでしょう? 過去にいつまでもとらわれているから、ウガマールはうだつがあがらないのよ。聖導皇家も〈いまは昔〉……現代はみんな生き残るのに必死よ。世界中で、国家の再編が行われているのよ。弱い国はどんどん強い国に併合されてゆくわ。……それは六方十国とて例外ではない……」
「……せ、戦国時代……というわけか? 古代のそれとはちがう、よりゆるやかな……まあ、確かに、大規模な戦争こそおきないが、あっちこっちで紛争が激発してる。いまや魔導対聖導といった単純な図式で世の中は割り切れない。そう、混沌だ。……そんな世界こそ、実は魔導の思うつぼなんだが……」
「……しっかりしなさい、フルト。あなたは、古いしきたりにとらわれない、自由な意志で戦う、新しい聖戦士だとあたしは思っているの」
「……自由……?」
「ちがうかしら?」
「……ふうん……」
「ま、それはそれとして……今はセルジュを無事に助け出すほうが先決よ」
「そうだな……」
二人はすぐに行動を開始した。
さて、その当のセルジュであるが、実際に捕まったのはチャカールの私設警護員……すなわちSPにであった。チャカールはストアリアの公使と密会すべく行動していたわけで、尾行を警戒するのは当然といえた。そこを読みちがえたのは、フルトのミスといえる。
そして、最大のミスは、
「……こやつは?」
セルジュはとある建物の薄暗い地下室で、縄で縛られたまま、チャカールの前に引き出された。
「あなた様を尾行しておりました」
「まだ子どもではないか」
「……いかがいたしましょう」
「子どもなれば、よもやウガマールや他の議員の手の者ではあるまい。……雇われ情報屋の手先といったところか……」
「ちょうど……ゴダール夫人より、この年ごろの少年の発注がきておりますが……」
「……ほう、どれ……」
セルジュは息をのんだ。チャカールがセルジュの額へ手をかざそうとしたのだが、その掌に、確かに〔魔導紋〕が観えたのである。
それは神官の修行を積んだ者にしか観破ることのできぬ、確かな魔導士の証だ。
幼少のころよりフルトについてみっちりと神聖力の修行をつんだセルジュならでは、観破ることができたのである。
(ま……魔導士ッ……。)
セルジュは震え上がったが、それを微塵もみせることはなかったのはさすがだ。
魔導士・チャカールはセルジュの額や頭へ手をかざし続けながら、
「ふ、ふ……いい素質だ。これならば夫人も満足されよう。これは……思わぬ拾いものではないか」
「は……」
「早速、手配するように。充分に飾りたててな。夫人にはこれを機会に、わが後援会に入ってもらおう。票がのびるぞ」
「おめでとうございます」
チャカールは上機嫌で、退室した。セルジュも縄をひっぱられて立たされて、
「こい、風呂へ入れてやる。お前……女は知らないだろうな?」
「え、は……?」
「夫人は、そういうのがお好みだ……」
「……!!」
危うし、セルジュ!
フルトは常から贔屓にしている情報屋を総動員し、セルジュの行方を探らせた。
その内の一人、浮浪者をしていながら情報屋の元締めでもあるリゲルという人物が、
「……セルジュかどうかはしらんがね……ゴダール夫人っていう淫蕩のババアがいるんだが……知ってるか」
「……い、いや……」
「そいつが裏で少年を買ってる。……買春だよ」
「……なんと!」
「人身売買組織がある。少年少女専門だ」
「……しょ、少年……少女……!?」
フルトは絶句しつつ、
「か、神への……冒涜だ……」
「ふ……この世界で生きるには、まだまだ勉強が足りないな、フルトくん」
「……む……」
「いくら神官がきれい言をいったってな、人々の心の問題だよ。これは」
「そ、その心を救うのが神官の務めだ。これは神殿組織の問題だ」
「ふふ……破門されているのに、ご熱心なことだな。中には、食うために自ら身を売る子どもや、親に売られる子どもだって、いくらでもいるぜ。規制するだけで、そういった状況を行政が打破しないからな……」
「………」
「まあ、いい。それで、フルト、そのゴダール夫人の元に近々売られる少年が、セルジュによく似ている」
「ほ、本当か……」
「ここがアジトだ」
「……感謝する」
「礼はいらん。金をくれ」
「あ……も、もちろんだ」
フルトはたっぷりと礼金を支払った。
早速、そのアジトへ向かう。
意外にも暗黒街たる七番街ではなく、六番街の一角にある瀟洒な屋敷であった。元はとある外国貴族の別荘であったという。
高塀に囲まれた、ラズバーグ様式の立派な建物だ。庭も広く、噴水もある。だがいまはどこの誰が家主なのか、近所の誰も知らぬ。
フルトは馴染の伝令屋を走らせ、ミネラルにここへ単身突入する事を告げた。さらに、都市警護騎士ヘ通報するようにも伝えた。
まずは裏門へ向かう。しかし、こそこそするのは性にあわない。
なにより、先日から気分がムシャクシャしていた。
この日の悪党どもは、まことに運が無かったとしか言いようが無い。
「たのもう!!」
言ったとたん、鎖を引きちぎり、門の鉄柵を強引に開けている。
「な……なんでえ、てめえは!?」
と叫んだ見張りのチンピラ、フルトのストレート一発で豪快にひっくり返って気絶した。
「ぞ、賊だ、出合え、出合え!」
たちまち二十人ほどの衛兵が集まった。みな手に手に長い砂漠の曲刀を持っている。
「野郎……いい度胸だ……ここがどこだか分かって乗りこんだのか」
しかしフルト、余裕の表情で、
「おい……手品を見せてやる」
「なに?」
「そらよッ……」
交差させたフルトの両手が、まばゆく光った。照明の神聖呪文である。使い手の霊位によっては、かなりの明るさだ。
「ぎゃッ……」
フルトをにらみつけてた衛兵たちはまともにそれをくらって目がつぶれ、のたうった。
フルト、悠然と先へ進む。
リゲルからは、屋敷の見取り図まで受け取っていた。一階の一部と二階は少年少女たちが客をとる部屋となっており、その、下は八歳から上は十七ほどまでの少年少女たちは、大事な商品として一階の大広間で厳重に〔管理〕されている。また、金持ちへ売られて行く〔外だし〕の商品は、地下に〔保管〕されている。
屋敷の主人の部屋や、衛兵隊長の部屋も判明していた。
となれば後は簡単。
まさに〔背徳の館〕たるこの屋敷、もとより見逃す気など毛頭ない。下っぱのチンピラに至るまで一網打尽とし、捕らわれの少年少女たちをすべて救出するつもりだ。
庭で手頃な棍棒を拾うと、それで片っ端から迫り来る衛兵たちを打ちのめした。しかも、神聖力は魔物にだけ効果があるわけではない。特にフルトのような屈強な神官戦士の操るそれは戦闘用に〔練られて〕おり、人間とてくらえば電気と波紋を合わせたような独特の衝撃が全身に走り、麻痺し、気絶する。
たちまち屋敷の庭は気絶した衛兵たちで埋めつくされた。
屋敷内へ進入する。
「うがッ!」
「ぎゃッ……」
ひっくり返った衛兵が、さらに増える。
「まちな」
フルトは、その大柄な格闘家のような男をにらみつけた。
衛兵隊長である。
「ふん……うすらでかいのが出てきたな」
「へ、へへ……少しはやるらしいが……容赦はしねえ」
男は両の拳に刃のついたナックルを装備しており、猛然とフルトへパンチをくりだした。
フルトはひょいと上体をそらして攻撃を避け、その瞬間には、もう、強烈な膝が男のボディにきまっている。
「う……ぐぉ……」
のめる男に、フルト、首筋へ手刀で神聖力を叩きこんだ。男は鼻血を吹き出して、そのまま倒れ伏す。
と……表の方が騒がしくなった。どうやら都市警護騎士団が到着したらしい。
フルトは屋敷の主人の部屋へ踊りこんだ。
「……!」
主を含めた、組織のおもだった幹部連が、いまにも隠し通路より脱出するところであったが、素早くフルトが回りこんで、
「……のがさん……」
「ま……まて、待つんだ、い、いくら欲しい……金なら、だすぞ、見逃せ!」
ボキボキと指を鳴らしてフルト、
「だめだね」
「ここか!」
と、警護騎士が主の部屋へ入ったとき、思わず息をのんだ。両手を血にそめたフルトが、仁王立ちになっていた。
組織の者は、みなぶちのめされて転がっている。
その内の一人が、鼻をつぶされ、前歯を折られて顔中を血まみれにしながら、
「け、けっ……退治屋さんよ、悪の組織をぶっつぶして……いい気持ちかよ……」
「……なんだと?」
「こ、こんなの、ただの一時しのぎだぜ。……後から後から、沸いてきやがる……ガキなんざ、いくらでも生まれてくる……やりゃあ、生まれるんだからな! 買いたいやつも売りたいやつも、いくらでも出てくらあッ、バカ、この偽善者! 一人でいい気になっていやがれ、へ、へ、反吐がでらァ!」
「野郎!!」
とびかかるフルトを、騎士が止めた。
「この……正義の味方気取が……」
そのまま、男たちは連行される。
「………」
フルト、顔を真っ赤にしてそれを見送った。
確かに、救出された少年少女たちは、どうなるのか。地獄のような日々より開放された安堵感と、これからどうやって生きて行くのかわからない不安とが、痛いほど顔に浮かんでいた。親に売られ、帰ることころもない者もいるに違いない。神殿経営の孤児院とて、この経済効率最優先の自由都市においては必ずしも環境が整っているわけではない。結局は、また同じことを繰り返すのではないか。
「くそッ……」
フルトは胃液が逆流しそうなほど気分が悪くなり、セルジュと共に早々に屋敷を去った。
5
「な……チャカール氏も魔導士……?」
セルジュよりその情報を仕入れたフルトは、ミネラルと二人、とある月夜の晩、一番街のはずれにいた。
魔導士は退治せねばならない。
また、魔力玉が関係していると思われ、契約によりミネラルより報酬がでる。
二人は物陰に潜んだまま、じっと何かを待っていた。
そして月も天頂にさしかかったころ、ふと、胃をおさえながらフルト、
「なあ……ミネラル」
「なに?」
「オレがしていることは……意味がないことなのかな」
「……それって、魔導士を退治したり、売春組織をつぶしたりしていること?」
「うん……まあその……そうだ」
「意味はあるわ。だって、それが仕事だもの。お金がもらえるじゃない」
「それは……そうだな。〈仕事〉……か」
「あなたはもう神官ではないのよ」
「あー……うん、分かってる。魔物を退治して、料金をもらう。そうしなけれは食べていけないからな。だが、頭では分かってるんだが……どうも……その……」
「いいこと、フルト。世の中は矛盾だらけだわ。その矛盾にどれだけ妥協できるかで、人の生き方は変わってくる……」
「……む、難しいことを言うな……」
「あら、本当のことでしょう?」
「………」
「……あなた、神経質すぎるのよ。聖戦士なんて、もっと豪放な性格かと思ってた」
「……ウガマールでは、そうだった」
「あ、やっぱり?」
「……」
「……でも、この街じゃ、か……」
「なかなかうまくはいかないよ」
「慣れるしかないわね。頭で考えるより。……いまに胃に穴があくわよ」
「……あきかけてるって……」
「あ……きたわ」
「……隠れろ」
二人は闇に眼だけを光らせた。
この夜中に、深くフードをかぶったマント姿の二人組が、人目をはばかるように道を急いでいる。
フルトは建物の壁に立てかけてあった愛用の大剣をとった。
そして二人の前に出て、
「まて……」
と、言おうとして、電撃をともなった強烈な鎌の一撃を間一髪、剣で受ける。
「マーラーッ!!」
マントを放り去り、不気味な笑みを浮かべて傭兵・マーラー、
「さすがじゃないか、フルトヴェングラー、さすがだよ!」
その隙に、もう一人が逃げ出した。
「魔導士が逃げる、追え、ミネラル!」
「わかったッ」
だがフルト、すぐに後悔した。ミネラルでは返り討ちにあう恐れがある。
「くそ……な、なんで貴様が!」
「言ったはずだ、絶対コロスと!」
「そうじゃなくて……」
大剣には神聖力が伝わっている。二人は広い通りまで出て、猛然と打ち合った。
「うおおお!」
「ソエヤァア!」
実力はほぼ互角。力勝負ならフルトが上。技や敏捷性ではマーラーが上だ。
と、なれば、後は持っている獲物の差がでてこよう。
ジギ・タリス92%の魔剣と、いかに神聖呪文により神剣の力を付加されているとはいえ、ただの鋼の剣。
フルトは大剣に受ける衝撃を通じて、マーラーの攻撃の〔重さ〕を存分に感じていた。加えて、この電撃。神聖呪文による障壁でなんとか防御しているが、気を抜くと全身を貫かれてしまう。
そのとき、音をたてて、マーラーの鎌が元の両手剣へ戻った。マーラーはその身長差を活かし、身を低く保ったまま大きく跳びこみ、フルトの死角へ入るや、
「ソエエエッ!!」
至近距離より、ひねりあげるような必殺の一撃をくり出した。もちろん、プラズマ状の強烈な電流帯をまとっている。
この一撃はかわしようもなかった。
「くッ…!」
だがフルト、歩をひき、体をひねりつつ大剣をそこへかざした。すごい音がして、マーラーの一撃が大剣へぶち当たる。
「!?」
「……!」
閃光・衝撃で、二人ともふっとんだ。
「よ……予知の神聖呪文か……!?」
マーラーは舌をうち、
「……今日はここまでだ。ほかに仕事があるからね。また会おう。そのときこそ、絶対、殺してやる……」
そのまま、闇に包まれる。フルトは荒く息をつきつつ、
「な……なんだってんだ……」
起き上がって、
「うッ……」
自慢の大剣がまッぷたつに折れているのを発見し、
「……!!」
言葉もなかった。
○
結局、魔導士チャカールには逃げられてしまった。チャカールは経営していた売春宿と人身売買組織がフルトにつぶされてしまい、魔導士の組織へ納める上納金が払えなくなったため、カルパスを脱出する…………という情報を得て、その場所で張っていたのだ。が、どういうわけか傭兵・マーラーがその護衛についていた。
もしかしたら、あれは影武者だったのかもしれない。
あのままカルパスを本当に脱出したのか。もしくは、ストアリアに匿われたという考えも否定できない。
だがどれもこれも、推測の域をでない。真相はもはや知るよしもない。
「アヴドゥーラ議員が持っていたらしい魔力玉は、どうなっちゃったのかしら?」
「まったくわかりません」
「てっきり、チャカールに受け継がれていると……」
「はい。引き続き、行方を追いましょう」
ミネラルはアジトにしている高級ホテルの窓より静かに通りをゆくカルパスの人々とその活気ある情景を眺め、
「……で、傭兵の方は……」
執事ベームはそっとミネラルへ耳打ちした。
「……!」
ミネラルは絶句しつつ、
「……ヴェ、ヴェーデルリンクって……あ、あの、ヴェーデルリンク……?」
「……はい」
「ストアリアにより一夜にして二十万人が虐殺されたという、伝説の……街……」
「十四年前のことです」
「それの生き残り……傭兵・マーラーが……生き残りがいたなんて……」
「人の生死が理解できないというのは、その時の心傷によるものでしょう」
「……でしょうね……目の前でバタバタと人が殺されては……人なんて呆気なく死ぬのは事実だけれど……それの意味を考える暇もなかったのだわ……」
「いまや、彼は完璧な殺人者となっています。ただ、敵以外は殺さないというのが、ただの暗殺者や、殺戮者とは異なるところですが……」
「……それは、どういうことかしら」
「調査を続けます」
「どちらにせよ、ベーム、魔力玉捜索の最大の障害となりそうね」
「はい」
「わがハイゼルヴェンにとって……」
そのミネラルの瞳は、いつもフルトへみせているそれとはまったく異なった、異様に鋭い、獲物をねらう砂漠猫のようであった。
十日後のことである。
フルトがとある仕事で、セルジュと二人で街を歩いていると、
「……あ」
「どうした」
セルジュが、通りを行く一組の親子をみつけた。
「あの……男の隣の女の子、ぼくと一緒に捕まっていた人ですよ」
「……あの、売春組織で、か?」
「はい。話した事があります。カトールの方から、このカルパスに出稼ぎに来たところを、はじめに雇われた家の主人に、その……乱暴されて、売られたそうです」
「む……では、なんだろう。カトールに帰るでもなく……養女にでもなったのかな」
しかし、
「あ……裏通りに入った……」
「なに?」
「……あの子、十三ですって。……やっぱり……それしか方法がないんですね。この自由都市で、生きてゆく……」
セルジュの声は複雑だ。
「盗みをやるか……身体を売るか……ぼくは幸運です」
「……くそッ」
フルトは歩きだした。
「あ……フルト様!」
「帰るぞッ」
事務所へ戻り、自室に閉じ籠もって大声で聖典の朗読をはじめたが、
「……あー、あーッ!! もう、この街は、どうしてこんなにままならないッ……」
「フルト様?」
「どけ!」
そのまま、台所へかけこみ、胃液すら出なくなるまで、吐きつづけた。
六方剣撃録