六方剣撃録

 九鬼 蛍


 三 少年

 その日、退治屋・フルトは、いまやすっかり仕事の助手となった依頼人のミネラルと共に、朝のバザールを歩いていた。今回の〔仕事〕は、この自由都市カルパスを出て、砂漠を旅し、遠出をするため、買い出しに訪れたのである。
 朝の市場は主に食料をとりあつかい、特に大河メルコンサの漁師たちは気温が上がらぬうちに新鮮な魚介……鯰や鰻、バス、ボラ、貝類、そして大小様々な河蟹を売っている。
 そのなかで、ミネラルは目をキラキラさせて、魚介や野菜、果実、日用雑貨、衣料品などを物色して回っていた。
 その様子に少なからず驚いてフルト、皮肉もこめ、
 「……金もちのくせに、こんなバザールで何を興奮してるんだ? ……あー、そうか、庶民的な雰囲気が珍しいのかい」
 それも本当であったが、ミネラル、
 「わたしが使えるお金は、限られてるの」
 つまり、カルパスにおけるミネラルたちの生活費はすべてハイゼルヴェンの公金であり、それは執事ベームが厳重に管理していて、たとえ主家の娘であり直属の上司であるミネラルといえども、勝手には使えないのである。
 ちなみにベームの用意する毎月の〔おこづかい〕では、とてもではないがミネラルの物欲を満たす事はできぬ。
 「………」
 そして、そのひと言で、フルトには充分であった。
 (やはり、こいつ組織の人間か……)
 だが、それとは別に、ミネラルのはしゃぎようは、見ていて微笑ましいほどであった。
 突然、きれいな服をみつけて、
 「あ、ちょっとみて、これ、かわいい!」
 「……買えばいいじゃないか」
 「お金がない」
 微笑しつつ、フルトはふざけ半分、そして半分はまんざらでもなく、
 「オレが買ってやろうか」
 「買いなさいよ」
 「な、なにィ?」
 「それぐらい、当然でしょう? だって、わたしはあなたの雇い主で、今の事務所も用意してあげて、それに、毎月いったいいくらの必要経費を出してると思っているの?」
 「……な……」
 (お前なんか呪われろ)
 そう思いつつ、確かに、いまのフルトとセルジュの生活は、すべて彼女のおかげと言っても過言ではない。
 しぶしぶ、財布をとりだし、
 「……で、どれが欲しいんだ?」
 「え、ホントに買ってくれるの?」
 「……は? だっていま、おまえ……」
 「ホ、ホント? うそついたら承知しないわよ!?」
 「……う、うそはいわないさ」
 「じゃあ、これ!」
 フルトは若草色で少々厚地の木綿服を、ミネラルに買い与えた。
 袖が広く、通気性があって、夜は温かい、砂漠の旅用品である。
 「ありがとう!」
 その笑顔は、本当に誰もがみとれるほどに、素敵であった。
 「……おまえ、けっこう可愛いよな」
 すかさずミネラル、さも当たり前のように、
 「なに、いまごろ気がついてるのよ」
 (口さえ開かなけりゃーな)

          1

 自由都市カルパスより北へ約30里(100キロほど)も行った所に、稀少土類テトラ・ジギ・タリスの鉱山街アルーラがある。
 そこはアルテルート山脈の一端にかかる岩山地帯で、中原でも特に乾燥がきびしい。鉱山街とて、かつて古王国時代に罪人が流されたのがはじまりとされる。
 しかし、いまは多くのジギ・タリス長者の資本による鉱山が乱立し、地下700フィール(約250m)よりくみ上げられる地下水により水も豊富で、オアシスもあり、長者たちこそカルパスに本邸があるが、けして住みづらい土地とはいえなくなった。
 掘り出されたジギ・タリスはここで一次加工され、カルパスに送られる。その護衛にはカルパスの警察兼軍隊である都市警護騎士団がつき、傭兵や近隣諸国よりの援軍も多い。ジギ・タリス一と金12が現在の交換レートであり、大量のジギ・タリスの紛失は周辺諸国の経済にも深刻なダメージを与えるため、隣国は惜しみなく軍を貸す。またそのときの働きが良ければ、優先的にジギ・タリスを売ってくれる場合もあるので、尚更だ。
 テトラ・ジギ・タリスは、金属ではなく、〔石〕である。
 何種類か確認されているが、総じて特徴が一致し、まとめてそう呼ばれる。
 鉱脈より他の石とまざった〔原石〕を掘りおこし、溶かして溶岩とし、圧をかけて精錬し、不純物を除く。
 それが〔ジギ・タリス・ジルコ〕だ。
 ここまでが一次加工。
 二次加工は、そのジルコを特殊な機械で粉末にし、触媒を入れ、溶液を加えて粘土状にして、剣などへと形成して1万度という高温で一気に焼きあげる。
 それをひたすら削り、磨き、研いで〔ジギ・タリス剣〕とする。つまりジギ・タリス剣は一種の〔陶剣〕(セラミックソード)である。
 含有率にもよるが、通常の長剣を削り研ぐのに、二カ月はかかる。
 〔ジギ・タリスの含有率〕は、そのジギ・タリス粉末の量の事である。あまりジギ・タリスを多くしても、焼き上げる際に割れてしまうし、焼き上がっても非常に脆い。
 そこで触媒を入れ、硬度をあげる。
 触媒の種類は各ジギ・タリス職人によって様々だが、だいたい、特殊な土と合金を混ぜたものが使われる。ジギ・タリスが溶け、土や金属と混ざり合い、一体化する。
 剣などの場合、最低でもジギ・タリスの含有率は10%。神殿や宮廷などの標準装備型は、30%となっている。
 名うての退治屋となると50とか、60%の剣をもつ。
 強度・重量的には、30%ほどで通常の鋼の剣とあまり変わりは無い。10〜20%では、さすがに、まともに鋼と打ち合っては負ける。50以上では、鋼をも両断する。
 それが約80を越えると、銘がつき、ジギ・タリスの霊的なパワーによって特殊能力が付加される。それはまったく偶然の産物であって、人の望み通りに生まれるものではない。例えば火の剣とか、真空の剣とか、精神へダメージを与えるものとかいうスタンダードなものから、敵を重くするとか、笑わせるとか、賭に負けた相手の魂を奪えるとか、意表をついたものも多い。
 それが90を越えるともはや国宝級である。ジギ・タリス90%など、通常では考えられぬ。外観・特殊能力を含め一つとして同じものが生まれる事はなく、完全なハンドメイドであり、その職人は人間国宝として国家に庇護され、触媒の製造方法は国家機密だ。
 現在では含有率90を誇るジギ・タリス職人など、世界に数えるほどしかいない。
 マーラーの魔剣〔死の舞踏〕(トーテンタンツ)の含有率92%がどれほど貴重で強力なのか、お分かりいただけよう。
 またジギ・タリスは世では〔対魔導用〕として名を馳せているが、実は魔導も聖導も関係がない。大地……いや、世界自体の霊的パワー、精霊使いのいう〔地の力〕とも異なる、太古よりの混沌とした超パワー……数々の超現象を引き起こすばかりでなく、魔を祓い、聖を駆逐する。ようするに魔導とか聖導とかいう人間のこざかしい分別を超越した〔宇宙パワー・高次元パワー〕ともいえる、未知のエネルギーが秘められている。
 ただし、パワーの根源はいまだ解明されていない。
 さて……。
 アルーラには現在、大小合わせて七つの鉱山があり、それぞれ人足や職人を抱えている。
 鉱山の所有者は、その山を最初に発見した者、あるいはその子孫だ。
 新しい山をみつけるのが、労働者たちの永遠の夢とも言える。また、それへ一生をかける〔ジギ・タリス探し〕も多い。
 我々の世界で言う、昔の油田発掘による億万長者と感覚が近い。
 街はいちおう独立しているが、カルパス資本によって支配されているため、カルパスの衛星都市といってもよい。
 発掘には大量の機材が必要なため、街には普通の鍛冶屋も多く、人口はたえずカルパスとアルーラを行き来する商人をのぞいても三万人を数える。
 街の通りはどこも活気にあふれ、商店、鍛冶屋、人足たちの宿泊施設、酒場、売春宿、商隊護衛軍の営倉地などが乱立している。家族を持ち、ここで生活をする人のための集合住宅もある。
 ちなみにジギ・タリスの加工は各鉱山直営の秘密作業場で行われ、取引は役場の管理する公営取引所でのみ。それ以外は闇ルートとして摘発の対象となる。
 街は喧騒と砂埃に覆われ、住みづらくはないとはいえ、一般人の好んで住む場所ではない。荒くれ者の街だ。豊富な水もすべてジギ・タリスの加工や機材の製造に回されるため、人々は常に乾いている。
 売春婦の捨てた孤児もうようよいる。
 公営の〔捨子場所〕があるほどだ。
 彼らは大事な将来の労働原であるため、街では粗末にせずにいちおう保護し、鉱山での仕事を斡旋している。
 だが、そこでの環境は劣悪だ。幼いころより鉱山内重労働に低賃金(もしくは無報酬)で駆り出されている。
 それは、ちょうどフルトとマーラーがサーランシャ大神殿で対峙した頃のことであった。
 一人の少年が、いた。
 孤児である。
 彼は鉱山でジギ・タリスの堀カスを拾って集めるのが仕事だ。彼の働く鉱山はまだ人道的(?)なほうで、子どもに荷運びなどの重労働はさせない。もっとも理由が、
 「低能率だから」
 なのだが。
 ぼろをまとい、一切の教養もなく、生きることの意味など考えもつかない。
 ただ、石を拾えばささやかな食事がもらえるというのだけ、理解していた。
 名前すらないのだ。
 孤児たちはまとめて〔番号〕で区別され、ある程度年齢がゆくと、互いに勝手に名前をつけあう。いや……それはもはや〔あだ名〕にすぎぬ。やはり名前はない。
 そんな〔少年〕が、仕事を終え、仲間たちと無言で孤児院の宿舎へ戻っていた時、
 「ねえ……」
 少年が振り返る。
 だが、仲間たちは、気づかずに先を行く。
 少年も行こうとした。
 「ねえ……」
 確かに、聞こえる。
 そして少年の前に、忽然と女性は現れた。
 少年にはずいぶんと年上にみえた。藍色の髪に淡い黄金色の瞳をもった、二十前後の女。すらりと背が高く、砂漠のマントをはおり、服は修道女のようでもあった。
 「だ、だれ……」
 ふだんは滅多に口をきかぬ少年が、なれない言葉を発した。
 「ねえ、石がほしい……?」
 「?」
 「ジギ・タリスがたくさん、欲しいかと、聞いてるのよ……?」
 ジギ・タリスがたくさん手に入れば、それだけたくさん食事がもらえる。
 「ほっ……ほ、欲しい、欲しい!」
 「そう」
 女性が微笑む。その微笑みは夕日にまぶしく輝き、少年は目を奪われた。
 「これをみて……」
 女性、懐よりをりだした。
 「……?」
 少年が見入る。
 少年にとっては両手で包みこむほどの大きさで、淡く乳白色に明滅を繰り返している。
 「きれいでしょう?」
 「……う、ん……」
 「これは〔お守り〕……」
 「お……まもり……」
 「なんでも……願いがかなうのよ」
 「……う、うそだ」
 「うそじゃないわ」
 「そ、そんなこと……できるの、神様だけだって……し、司祭さまが……」
 「ふふ……だって、あたしは神様の血をひいているのよ?」
 「………」
 「いいから、これをあなたにあげる」
 「……ど、どうして?」
 「あなたが気に入ったから」
 「……どう……やって、願いを?」
 「祈るのよ。ただ、祈ればいいの」
 「だ、だれが作ったの?」
 「お姉ちゃんが造ったのよ
 「お、お姉ちゃんは、鍛冶屋?」
 女性は不気味な笑みを唇の端へうかべ、
 「……魔法使い……」
 少年は別段、驚きもせず、
 「……じゃ、じゃあ、もらう」
 「大事にしてね」
 「うん……」
 「さようなら」
 「さよ……なら……」
 少年は走って、仲間の元へ向かった。
 「ク……クふッ……」
 それを見送って女性、たまらず笑いだし、
 「ふふッ……うふふふッ……これで……これであの人がここにくる……」
 虚ろな瞳で岩山を歩きだした。
 「好きよ……愛しているわ……ヴィルヘルム……あたしを裏切り……殺した人……」
 夕日に映る影は、激しくゆらめいていた。

          2

 「ここか……」
 フルトはゴーグルをとり、ジギ・タリスの加工場や鍛冶屋の煙にむせぶアルーラの街を遠目にみた。
 ミネラルも続く。
 二人は砂漠の甲羅巨獣・グライムに乗り、五日をかけてここまで来た。グライムの背中へ大きな輿をつけ、さらに陽差しよけの屋根をつける。食料や水も大量に積めるし、なにより粗食で水すらも月にいちどしか口にしないグライムは、中原を旅するのに欠かせない。
 歩みも、けっこう早い。
 途中、一回だけジギ・タリスを運ぶ隊商とすれ違った。長い長いグライムの列。それを警護する、二足歩行の砂漠の巨鳥・コルプへ跨がった騎士がすぐさまとんできて、フルトたちのグライムを止めたものだ。
 二人が街へ入った時、昼を少し回っていた。
 街はずれの、乗用動物を専門に預ける場所へグライムを預け、宿へむかう。そこはジギ・タリス商人専用の高級宿で、水もふんだんにあり、それぞれの部屋に浴室がついているという、まるで貴族の館のような立派なホテルだった。
 これは、ミネラルよりの経費で泊まる事ができた。なにより、ミネラルは風呂の無い生活など考えられぬ。
 もちろん、二人の部屋は別々で、ミネラルはさっそく沐浴を希望したが、フルトはもう聞きこみにでかけるつもりだった。部屋の前の廊下でしばし口論の後、
 「わかった、わかりました。待ってるから、勝手にしろ。……あー、先にはいかない」
 口げんかで、フルトに勝ち目などあるはずもない。
 「これ以上、胃が悪くなってたまるか」
 である。
 しょうがなく、待っている間、フルトも部屋で顔と髪を洗い、濡れタオルで汗と埃を丹念に拭いた。
 そして一刻(約1時間20分)後、砂だらけの衣類を洗濯に出し、新しい砂漠用の衣服に着替えた二人、街へ出発した。
 「………」
 フルトは、砂漠用の砂避けマントの下に見え隠れするミネラルの新しい服をちらちらとみながら、
 「……そ、それはオレが買ったやつだな」
 「そうよ。さすがわたしが選んだだけあって、快適だわ」
 「……あーそうかい」
 「それより、まず、どこへ?」
 「神殿」
 「どうして?」
 「例の〈少年〉の居場所を訪ねるんだ」
 街には、ウガマール宗派の神殿がひとつ、あり、司祭が一人だけいた。このような即物的な街にあって信仰にすがる者は少なく、神殿自体はそれは小さなものだ。
 そして神殿には、併設の孤児院があった。 街で経営している孤児院の一つだ。
 司祭は院長を兼ね、運営管理の一切合切を行っている。
 「少年って……例の〈発見者〉?」
 「そうだ。孤児院を経営しているぐらいだ。何か知っているかもしれないだろ?」
 「そうね……まあ、そんなところね」
 街は、実に60年ぶりの新鉱脈発見に沸き立っていた。
 それを発見したのは〔ジギ・タリス拾い〕の少年だったというから、二度おどろきだ。
 そして、今日、フルトとミネラルの二人にわざわざこんな遠くまで足を運ばせた理由が、次の噂にある。
 「……なんでも、あいつは奇跡の玉を手に入れて、それで鉱脈を発見したと……」
 魔力玉だ。
 「それにしても……奇跡の玉とは、よくいったものだわ」
 「オレはな、ミネラル……そのカチェスとかいう司祭が、怪しいとにらんでる」
 「えっ…!?」
 「あくまで、オレの勘だがね……」
 「……司祭が、魔導士だとでも?」
 「それは分からないが……」
 「わたしはちがうと思うわ」
 「どうしてだ」
 「……女の勘」

 鉱山街アルーラ。
 周囲を岩山に囲まれ、小さな扇状地へひしめき合うように建物が林立している。坂が多く、上空は常に巻き上げられた砂埃とジギ・タリス加工場や鍛冶屋の排出する煙でくすぶっていた。
 「コホン、コホン……」
 ミネラルはたまらず咳き込み、逃げるように神殿の扉を開けた。
 暗く、信者の一人もおらず、汚れていた。
 「ここが神殿……?」
 まるで物置小屋だ、とミネラルは思った。
 フルトが床をきしませながら、奥へと進む。
 すぐにカチェス司祭が現れた。
 まるで闇から溶けだしたようであった。
 「これは、退治屋どのですか……?」
 あらかじめ手紙をだしておいたのだ。
 「フルトです。こちらは助手のミネラル」
 「はじめまして」
 四十を少し越えたあたりの、さえない地方神官を地でゆく風采であった。
 ただ、笑顔だけは不気味なほど印象的だった。
 「……さっそくですが、先に手紙でお知らせしてある通り、色々とお話を伺たいのですが……」
 「はい。では、こちらへ……」
 話は、一刻(約80分)にわたった。
 フルトは、情報提供料として四十セレム……すなわち金貨二枚を渡した。
 二人が去ってより、カチェス司祭はゆっくりと奥の部屋へ戻り、
 「さて……65。65番」
 「なん……でしょう……司祭さま」
 それは〔少年〕だ。謎の女より魔力玉をうけとり、新たにジギ・タリスの鉱脈を発見した少年であった。
 「あなたをたずね、カルパスより退治屋がきましたよ」
 「……た、た、退治屋?」
 「あなたを、退治しに来たのです」
 「……!!」
 暗闇で、少年の瞳が不気味に光る
 司祭は笑顔を微塵も崩すことなく、
 「……安心おし。あなたの事は、ひと言も漏らしませんでしたよ。あなたは、私が守ってあげます。安心おし、安心おし」
 「し……司祭さま……」
 「怖いですか? なんにもこわがることはありません」
 「……僕……僕……」
 「大丈夫です。玉がある。私たちには、その玉があるじゃないですか……」
 首飾りに加工され、少年の胸で光る魔力玉を、カチェス司祭は目を細めてみつめた。
 「………」
 「大丈夫……この玉さえあれば、もうあなたも仲間たちも飢えることはありません」
 そして司祭、机より書類をとりだし、
 「さあ……これが権利書です。あそこは、あなたの山となるのです。後見人は、私……。すべて、私にまかせなさい。……いいですね、65番……」
 「は……い」
 そこで司祭、たまらず口をおさえ、
 「ぷッ、ぷくく、ぷくくくく………」
 司祭は、いつまでも楽しそうに含み笑いをもらし続けた。

 「におうな……」
 鉱山の三交代勤務により、常に非番の労働者で一日じゅう混雑している午後の通りを歩いて、フルトが顔をしかめた。
 「……鼻がまがるわ」
 煤煙と酒と労働者たちの体臭とで、空気そのものが独特の臭気を発しているのだ。
 もう、ミネラルはうんざりだった。
 「ちがう、あの司祭だ」
 「え? ……あ、そ、そうね、におうわね。何か隠しているわ。その少年の居場所を、やっぱり知って……」
 「ちがう。魔導の臭い」
 「……は?」
 「あの司祭……魔導士ではないが、確かにしたぞ。あの神殿から、魔導の臭いが……」
 「……へえ……」
 フルトの眼は、もう、聖戦士のそれである。
 しかし事態は、フルトの思いとはそれてゆくことになる。

          3

 煙と埃の街にきて二日め。
 フルトは、この街を訪れたもう一つの理由を果たそうとしていた。
 鍛冶屋のヴァント。
 このアルーラでも知る人ぞ知る鍛冶屋であり、カルパスよりわざわざ注文を出す顧客も多い。普段は鉱山で使う大型の工作機器の一部を造っているが、特注に応じてオリジナルの武器も造る。
 つまり、フルトの大剣を造った人物だ。
 数少ない弟子たちへ作業の指示をだし、もはやアルーラでも最長老の部類に入る巨匠は、奥でフルトと向かい合った。作業台の上には、マーラーによって真っ二つに折られた大剣が横たわっている。
 「………」
 ヴァント、数えで74をむかえ、まるで古武士のごとき眼光を発していた。
 暗がりの中、その針のような眼光でじっと大剣をみつめ、ゆっくりとパイプをゆらしていたが、ややあって皮肉っぽく口許をゆがめ、
 「……おい、フルトの旦那」
 「な、なんだい、親方……」
 その眼光にみつめられては、さしものフルトも勝手がちがう。
 「お前さん、そうとうの魔物と戦りあったようだな……ええ、おい」
 「い、いや、親方、こいつをやったのは……人間だよ」
 「ばかいえ」
 「本当さ。……〈北の魔人〉G・マーラーを……知ってるだろ?」
 「ああ、もちろん知ってる。……だがな、たとえ魔剣が相手だったとはいえ、旦那よ、お前さんの呪文で、こいつは伝説の聖剣と化していたはずだ。まがりなりにもな。こいつあ、そのために造られた。……そうだな」
 「……あー、まあ……その……」
 「そいつをぶち折るなんざ、やっぱり相手は人じゃねえ……」
 「……なんだっていい、親方。治るのか、治らないのか。金は払う」
 ヴァント、石像のように椅子へ腰掛けたまま、
 「……俺も歳だぜ。この煤と埃の街で、これだけ生きりゃ上出来だ。もう、こんな代物は造れねえよ」
 「くっつけるのも、だめなのか!?」
 「……」
 ヴァントはフルトを見もせずに、ゆっくりと煙を吐いて、
 「……いくらたまった?」
 フルト、一瞬、息をのみ、
 「は……八万セレム……たしか」
 「百万にゃ、ほど遠いな」
 「う……」
 「なあ、旦那、どだい買い戻すなんざ、無理な相談だ。お前さん、足元をみられてる。……百万セレム……金貨で五万。国がひとつ傾くぜ
 「………」
 「アレは戻ってこねえよ」
 「しかし!!」
 「ばか。だからよ、いっそ……力づくで取り戻せと言ってるんだよ」
 「え、えッ……!?」
 「なあ、悪いこたいわねえ。そうした方がいいって」
 「だ……が……それでは強奪……だ」
 「けえッ……」
 ヴァントは皺だらけの顔をさらにしかめ、
 「この野郎、まだ聖戦士様のつもりでいやがる。世間をしらねえにもほどがあるぜ。……しょうがねえ、おい!!」
 すぐに弟子がとんでくる。
 「な、なんでしょう、親方……」
 「三番に石炭いれろ。七日でこいつを元に戻すぞ」
 その弟子、目をむいて、
 「おッ、親方がお打ちになるので!?」
 「たりめえだ、バカヤロー!! ぐだぐだぬかしてやがると炉に叩ッこむぞ!!」
 たちまち弟子が走り去る。
 「親方……かたじけない」
 「ばか、この。元はといやあ、旦那がだらしねえから、こんなことになっちまったんじゃねえか。まったく、年寄りをこき使いやがって……。いいか、もし過労で倒れたら、余分に慰謝料を請求するからな!」
 「………」
 フルト、この偉大な老匠へ深く頭をたれた。

 その、夜である。
 表通りの喧騒と灯を避けるように闇を進む、一人の人物をみることができる。
 カチェス司祭だ。
 様子がおかしい。
 「……はあ……はあ……」
 息を切らし、街中を走り回っているのだ。
 「くそ、あのガキ、いったい、どこへ消えやがった!!」
 その顔にもう笑顔はない。
 〔65番〕が権利書と共に消えたのである。
 夕暮れからずっと走っていたが、ついに力つき、建物の裏で深呼吸をし、流れる煙に咳き込んだ。
 「ゴホッ……ゴホッ……ゴッ……ゴボッ、ゴホゴホッ……ゴボボボッ……」
 たちまち大量の血液が鼻口よりこぼれでる。
 鉱山病の一種で、肺をやられているのだ。
 「………!!」
 もう、あとはうずくまり、しばし発作に苦しんだ後、そのまま、動かなくなった。
 それを、闇の奥よりひっそりとみつめる、銀色の視線があった。
 少年……65番だ。
 さらに、その傍らには、一人の戦士がいた。
 傭兵・マーラーである。
 「……死んだのか?」
 65番は無言でうなずいた。
 「ふうん……」
 例によってマーラーはあまり関心がなさそうだ。
 「それより、お前、その……玉をお前に与えたという、女の特徴は?」
 「……わ、わから……」
 「おれも、是非あってみたい」
 「あえる、あ、会えるよ」
 「……へえ」
 「また、会えるよ。や……山……」
 「鉱山か……よし、いいだろう。フルトヴェングラーも来ているようだし……たてつくようなら、あの赤毛の女ともども、一撃で首を刎ねてやる。……ふ、ふふふ……」
 「た……のしそうだ……ね」
 「?」
 マーラーは少年を見下ろし、
 「なんだって?」
 「で、でも、自信過剰は……ぼ、墓穴を……ほる……」
 「……こいつ、やっと自分から何かしゃべったと思ったら、このおれに説教か!?」
 マーラー、少年の襟首をつかまえ、
 「気に入った。クールなガキだ。来い」
 司祭の遺体が発見されたのは、翌日の正午少し前のことである。

          4

 役場の浮浪遺体置き場で、フルトはカチェス司祭と再会した。
 「……なんてこった……」
 短く、祈りを捧げてやる。
 「あなた、司祭様で?」
 担当の役人にそう問われ、
 「え? ええ、まあ……」
 「退治屋なのに、司祭様?」
 「わけありだよ」
 「……はあ……」
 「それより、死因は?」
 「この街で暮らす人の約二十人に一人がかかっているという、肺病ですよ。煤煙や粉塵を吸いこんで、胸がやられるんです」
 「薬は?」
 「ありませんね。死病なんです」
 「……ひどい話だ」
 この話は、ミネラルにはしないでおこう……とフルトは思った。言えば、今すぐカルパスに帰ると言いだすにちがいない。
 「まあ、先に帰ってもらうのも手だが」
 「なにか?」
 「いや、なんでもない」
 「……子どもたちも、たくさんかかってますよ。無事成人できるのは、五人に一人ですかね」
 「本当か……」
 先進国のウガマール育ちであるフルトには、少々ショッキングな数字であった。もっとも、辺境では別段めずらしくもない。
 「それより、あなた、すみませんが死体をひきとってくれませんかね。神殿で葬式ぐらい、あげてやってくださいよ。役場からお金も出ますから。少しですけど」
 「む……別に、かまわないが」
 「それでは、私が立ち会います。この書類に、記述と署名を……」
 補助金をうけとり、荷車に柩をのせ、フルトと役人は、神殿へと向かった。

 役人に立ち会ってもらい、フルトは簡素な葬式を執り行うと、人夫が、神殿裏のささやかな墓地に司祭を埋葬した。
 参列したのは、その人夫を含めて五人という、まことに寂しいものであった。
 「まあ、この街ではこんなものですかね。人が死んだら、山に捨てるのが常識ですから、ここでは」
 「世も末だな」
 「鳥葬ですよ。きれいになくなるんで、墓代もいらないと、評判です」
 「それは文化の違いか?」
 「それより、子どもらまで来ないというのは、どうしたことだろう……」
 「子どもら……?」
 「神殿には公営の孤児院が併設してあるんですよ。司祭が、管理人でした」
 「あー……」
 「ほら、例の、ご存じです? 新しい鉱脈を発見したという、子ども……この孤児院にいるんですよ」
 「……えッ!?」
 カチェスは、ひと言もそんな事はしゃべらなかった。
 しかしもはやその司祭もこの世にない。
 「行ってみましょう」
 役人に連れられ、神殿より坂の下に立っているみすぼらしい建物に、フルトは向かった。
 暗く、静まり返っていて、神殿に負けず劣らず廃屋じみている。
 「こんなところに、子どもらを……?」
 フルトは信じられなかった。
 福祉国家を標榜するウガマールでは、こんな孤児院を経営してたら三十年は強制労働だ。
 胃がいたい。
 「おい、役所だ。開けなさい」
 ドアは開かぬ。
 「……誰もいないんじゃないのか?」
 「そんなバカな」
 「人の気配がしない」
 「どれ……」
 役人はノブに手をかけた。
 鍵はかかっていない。
 中は暗く、本当に、
 「……誰もいないのか!?」
 フルトと役人は狭い孤児院の、それこそ物置の中から屋根裏まで覗いてみたが、
 「……なんだってんだ……?」
 孤児院は、まったくの無人だった。

 「子どもが、五十人はいたんですよ!?」
 正確には四十八人である。65番の少年を含めて。
 「まるっきり消えているなんて……?」
 役場に戻り、とりあえず役人は孤児係にその旨を報告した。
 「まあ、いいや。後はよろしく」
 この時点で浮浪死体担当の彼の仕事は終わり、別な役人がフルトの相手をすることになった。
 「で、あなた、誰?」
 「オ……オレはカルパスの退治屋で、フルトという者だ」
 「あ、そう。それより、やっぱり捜索しとかないとだめだろうな……明日にも、鉱山から苦情がくるぞ」
 「……」
 「書類で対応しなきゃ……」
 「……子どもは、どうやって探すんだ。捜索隊を結成するのか?」
 「そんな人手はありませんよ。困ったな。まったく、厄介事ばかりだ。……そうだ、あなた、探してくれません?」
 「オレが?」
 「だいたい、あの孤児院には、新しい鉱山を見つけた子どももいるのです」
 小太りで目の細い役人、そこで息をのみ、
 「……そうだ、忘れてた、そうだ! こ、鉱山課に連絡しなきゃ、こりゃ大変だ! あなた、孤児院に権利書はありました!?」
 「さ……さあ」
 「せっかくの新鉱山が、このままじゃ宝の持ち腐れだ! いちど権利書にサインしたら、権利者の許可がないと指一本触れられないのですよ!?」
 「しらないよ」
 「こ、こりゃ大変だ、一大事だ、おい、誰か、誰か!」
 急に役場が騒がしくなる。
 フルトは呆れて物も言えなかった。
 そして、役人が走って戻ってきて、
 「ああ、あなた、まだいたのですか。……ちょうどいい、やはり、あなたにお願いします。子どもの捜索ですよ。プロの退治屋なのでしょう? 退治屋ったら、何でも屋じゃないですか。お金は、もちろん払いますよ。たった今、非常予算がつきましたから。こ、これでどうです……?」
 役人、小さな黒板にチョークで、五十セレムと書いた。
 「……ばかいえ。こうだ」
 フルトヴェングラーは三百セレム。
 「ご冗談を」
 「カルパスじゃこんなものだ。子ども五十人を探すんだぞ?」
 「いえいえ、探すのは権利書をもった子どもだけです」
 「なにィ?」
 「では、六十でどうです?」
 「ふざけるな」
 「ではこれで」
 役人は八十にした。
 「せめてこれにしろ」
 二百五十。
 百。
 二百。
 「これが限界ですよ」
 「百二十か……ふん、しょうがない。我慢してやる」
 「おありがとうございます」
 「役所のくせに、商売がうまいな」
 「いや、はは……これは」
 どちらにしろ、少年は魔力玉を所持していると思われ、探すのは本来業務だ。フルトはそのついでに小遣いを稼いだことになる。
 宿屋で、上機嫌にフルト、
 「……いやー、オレの交渉術も、なかなか堂に入ってきたな」
 「前金で百二十……金六枚。地方都市にしちゃ上出来だわ」
 金貨六枚といえば、カルパスで庶民が二年は暮らせる。子ども一人探すのにはいい値段だ。また、それだけの価値がアルーラにとってあるのだろう。
 「もっとも……ジギ・タリス鉱山丸ごとひとつ、金貨何百万枚もの価値があるでしょうけど……それでも、むこうだってかなり値切ってるはずよ」
 「……そうなのか!?」
 「おめでたい人……」
 ミネラルは肩をすくめ、
 「それより、わたしたちにとってはジギ・タリスより魔力玉よ。そうでしょう?」
 「……あ、ああ……そのとおりだ」

 翌日、フルトは再び神殿を訪れた。ミネラルもいる。孤児院にも、早くから役人が何人も来ていた。
 窓から見て、フルト、
 「権利書とやらを探しているんだな」
 「権利書ごと消えるというのが、キナ臭いわね。でも、誘拐ではないでしょうね」
 「数が数だからな」
 「何者かが、子どもたちを誘導したと?」
 「副作用で……〈少年〉に高い知能がついたとか」
 「……じゃあ、仲間の子どもたちは……」 
 「エサか」
 ミネラルは顔をしかめ、
 「……嫌な話」
 フルトは目を細め、暗がりの中、各部屋をじっくりと歩いて回った。
 「……どう? 魔導の臭いはする?」
 「しない」
 「嫌な予感は?」
 「……する」
 「わたしもするのよ」
 その時である。
 「むっ……」
 フルト、一瞬身構え、ドアの向こうへ気をくばった。ミネラルが不安げに、
 「な、なに……?」
 「妙だ」
 「て、敵……魔物?」
 「………」
 「ま、魔物はいやよ。気持ちが悪いから。あなた戦って」
 「……おまえな……」
 フルトがミネラルへ向いた刹那、
 「…ひゃッ!!」
 ミネラルは短い悲鳴をあげ、その動く死体を凝視した。フルトの怪力でも、敵を押さえきれぬ。フルトは背後より音もなくとびかかってきた死体の攻撃をとっさに受け止め、
 「ミッ、ミネラル、援護しろ!!」
 「い、いやだって言ってるでしょ!?」
 「ばか、ふざけてる場合……うおッ!」
 腐臭を放つ死体の牙が、フルトへじわりとせまる。
 死体は、カチェス司祭であった。
 さらに、
 「あっ……」
 裏の墓場より、白骨がぞろぞろと起き上がって、窓より進入してきた。
 異臭がただよう。
 「おえっ…」
 その姿も含め、ミネラルはもう気絶寸前。
 「ミ、ミネラル!」
 「自分でなんとかしなさいよ!!」
 ミネラルは泣きそうになりながら小剣を抜き払い、
 「この……骸骨野郎!!」
 歯をくいしばって剣身を叩きつけた。
 「くたばれッ、クソッ、骨ェ、ちかよんなッ、ちかよるんじゃねえッ!!」
 「は、はしたないぞ、ミネラル」
 「余裕ね、あんた!!」
 「……まーな」
 フルトは呪文を唱え、神聖力を両手に集めた。そのまま、逆に司祭を押さえこむ。
 フルトに掴まれている司祭の肩と右腕より白煙が立ちのぼり、
 「うりぁあ」
 フルトはそのまま握りつぶした。
 そしてパンチと共に神聖力が炸裂し、司祭は粉々に爆裂した。
 そのまま、次々と白骨どもを殴り倒す。ミネラルがいくら叩いても倒れなかった白骨たちだが、フルトの一撃でバラバラになって床へ散らばった。
 たちまち、十数体の魔物は、全滅した。
 「ふん……たわいもない」
 ミネラルは涙をぬぐい、
 「いやな人。試したのね」
 「さしものお前も、こういった類の魔物は苦手なんだな。変なところで女の子らしいじゃないか……」
 「……さわらないでちょうだい」
 「怒るなよ。試したわけじゃない。あの時点では、本当に魔物の力がまだ分からなかった」
 「ちゃんと手を洗いなさいよ。汚いわね」
 「はいよ……」
 フルトは外の井戸へ向かった。
 ミネラルも続く。
 「……それにしても、どうしていきなり魔物が……?」
 フルトは深い井戸より水を汲みながら、
 「……あれは、魔導士が裏で操ってる」
 「魔導士?」
 「あいつらは、そういう魔物なんだ」
 「ふうん……」
 「少年じゃない……」
 「えっ?」
 「少年は(すでに魔物かもしれないが)魔導士ではないからな」
 「あ……そうか」
 「……やっかいになってきたぞ……」
 フルトはきつく苦虫をかんだ。

 翌日。
 フルトたちの逗留している高級ホテルへ、役人が現れた。
 「例の新鉱山で、子どもを見たという人が、昨日、役場にきましてね」
 「……へえ」
 ロビーで、役人はしばし話をして、すぐに戻っていった。
 それを見送って、二人、
 「よかったわね、手がかりができたじゃないの」
 「……気にくわない」
 「なにが?」
 「情報提供者は、若い女だったというじゃないか」
 「それのどこが気にくわないの?」
 「何をしにまだ封鎖されている鉱山に行ったと思う?」
 「しらない」
 「そこで子どもを見たからって、すぐ役場に届けるか? ふつう……」
 「その人は届けたかったんじゃないの? そういうのは、人それぞれだわ」
 「楽観的だな」
 「ちがうわ、あなたが余計な心配をしすぎるのよ」
 「……どうも、昨日から変なんだ」
 「会った時から、あなたは変人です」
 「ちがう……あー、もういい」
 「なに怒ってるのよ」
 「用意をしたら、いくぞ」
 「いばらないでって、言ってるでしょ!?」 
 半刻ほど後、二人はホテルを出た。
 少年が発見したという、新鉱山へ向かう。
 「けっきょく、行くんじゃないの」
 「………」
 「まだ、何か?」
 フルトは不審そうに周囲に気をくばり、
 「……どうも、変な視線を感じるんだ」
 「視線……」
 「いや、表現が適正じゃない。見られているというより……なんだろう、この感じ。うまく言えないけど……」
 「……ようするに、不安なのね」
 「不安」
 フルトはきょとんとして、
 「……そう、それだ!」
 アルーラを取り巻くようにそびえる広大な岩山地帯のあちらこちらに、鉱山の入り口がある。そこには蟻の巣穴のごとくトンネルが走っていて、人々は大型工作機械を操り、または自らの手にハンマーを持って、究極の希少物テトラ・ジギ・タリスを堀りだす。
 少年・65番が発見した新鉱脈は街からは山道を歩いて一刻半(約二時間)ほどの場所にあり、いまはまだ道も整備されておらず、山の入口も開いてはおらず、教えられなければどこがその〔鉱脈〕の入り口なのかさえ分からない。フルトはそんな状況をみるにつれ、
 「……どうだ、ミネラル、こんな場所に若い女とやらが、何をしに!?」
 「……言われてみれば、変かしらね」
 「だいたい、どこが鉱脈だ? 穴すら開いてないんじゃないのか!?」
 「子どもがいたという情報自体、欺瞞情報という可能性もあるわ」
 「……そうだな」
 「とすれば、何者かが、わたしたちをおびき寄せた……」
 「な、なに……いったい、誰が!」
 「しらないわよ、そんなの」
 「じゃあ、オレたちはまんまとおびき寄せられたのか!?」
 「そうと決まったわけじゃないでしょう。……少し落ち着きなさいな」
 「う……」
 ミネラル、岩場を身軽に移動しながら、
 「何を焦っているの?」
 「焦る? ……そ、そうかな」
 「ぜったいそうよ。わたしには分かるわ」
 フルトは憮然と、
 「お前なんかに、何がわかる!?」
 ミネラル、にやっと笑みをうかべ、
 「……じゃ、教えてあげましょうか。あなた、なんだかんだいって、まだウガマールに未練があるでしょう」
 フルトの息がとまる。
 「図星ね」
 「………」
 「もったいぶった言い回しは好まないから、ずばり言ってあげる。ようするにあなたはエリートで、古い宗教国家に代々続く聖騎士の家柄で、あんな埃と喧騒にまみれた自由都市で生きてゆくことに疑問を感じているのよ。早く、ウガマールでの静寂と栄光の日々に戻りたがっている。しかし、現実は甘くない。大神殿からは厄介者扱いされている。一刻も早く現在の状況を打破したいけど、世の中ままならない。ときどき、無性にイラついてきて……どうにも感情が抑えられなくなる。ようするに、ガキね」
 フルトは立ち止まった。
 「……役所の相談員になれるぜ」
 「バカ言ってないで、認めなさいよ」
 「じゃ、認めてやろう。それは半分、あたっている。まったくその通りだ」
 「半分て、どういうこと」
 「確かにオレは、ウガマールに戻りたい。考えてもみてくれよ。フルトヴェングラー家は、神話の時代より聖導皇朝に仕えている。それがオレの代でこのザマだ。……御家再興を願うのは、とうぜんだろう」
 「……そうね。まあ……わたしでもそうするでしょうね」
 「だけど……それは叶わないんだ。冷静に現実を見つめれば見つめるほど、不可能だよ。……だったら、退治屋として、人々のために魔物を退治してゆくのも、元神職者として、一つの生き方だろう?」
 「カルパスで?」
 「そうだ」
 「あなた、それで納得いってるの?」
 「いってたらこんなにイラつくか!!」
 「…!」
 その意外なほどの剣幕に、ちょっと、ミネラルは驚いた。
 「あー、ちくしょう、ちくしょうッ……」
 そして胃をおさえ、
 「あ、タッ……イタタタ……」
 「ちょっと、だいじょうぶ?」
 フルトはしかし不敵に笑い、
 「ふん……だ、だが、見てろ。このままじゃ終わらない。終わらせはしない!」
 「へええ……」
 ミネラルは感心しつつ、
 「そっちこそ、意外と楽観的というか……根性あるのね。……ウガマールの粛々として聖なる空間から、一気に粗雑な自由世界へ放り出された古い聖職貴族……悩める聖戦士……単なる世間知らずの石頭くんだと思ってたけど……意外としたたかじゃない」
 「……そう、見えるか?」
 「ちがうとでも?」
 ミネラルは微笑をうかべつつ、
 「……でも、まさしく別世界に身ひとつで投げ出されて……あなた、よくやってるわ。魔物を退治してお金をもらうという事を理解するのに、どれだけかかって?」
 「は……半年、かな」
 「すごいじゃないの」
 「うるさいな」
 「世の中が、けして聖典の教えどおりに動くものではないというのを理解するのには……どれくらい?」
 「……それは、まだ、信じられないんだ!」
 「あきれた……」
 「なぜ」
 「いいの。……あなた、セルジュに感謝しなさいよ。あの子がいなかったら……いまごろとっくに飢え死んでるわ」
 「……それは、オレもそう思う」
 「早く大人になりなさい」
 「バッ……」
 フルトは顔を真っ赤にし、
 「バカ、いえ! お前に言われる筋合いはないね!」
 「……どうして」
 「……どうしてって……あー、もういい」
 「何よ、言いなさいよ」
 「いいから、行くぞ」
 「いばらないでって言ってるでしょ!」
 どっちもどっちというところか。
 「……ミネラル」
 「なによ」
 「すまないな。みっともない所を見せた」
 「……べつに」
 「お前もいろいろ立場があるだろうが……これからも協力してくれ」
 「なによ……あらたまって」
 「他意はない」
 「でも、聞いて、フルト。あなた、絶望していないだけマシだわ。没落貴族なんて、たいていはそのまま生きる屍みたいになって、ひっそりと自殺でもするのがオチよ。あなた、まだ絶望していない。……頑張れると思う」
 「……ありがとう」
 「早く胃を治しなさいよ」

          5

 「あ、みて」
 「どうした」
 「あそこじゃないの?」
 「む……」
 二人は岩場に衛兵が立っているのをみつけた。新鉱山を守っているのだ。
 六人ほどの衛兵が岩山を登ってくる二人をみつけ、槍を構え、
 「……こら、どこへ行くつもりだ!?」
 フルトは手をふり、
 「オレたちはカルパスの退治屋だ。役場の依頼で、ここを発見した少年の行方を探している。行方不明なんだ!」
 衛兵たちは一瞬、顔を見合せ、
 「そんな話は聞いていない!」
 「まあ……そうだろうな。役人がこんな場所にわざわざ来るとも思えん」
 フルトの正装と、騎士や実力ある兵士にしか所持をゆるされない両手持ちの幅広剣に、衛兵たちはどうやら盗賊ではないと感じたらしく、槍は下げた。
 「伝令もきていないぞ。本当の話か」
 「役所のすることなんて、そんなものよ」
 「で……何をしにここへ?」
 「ここで行方不明の子どもを見たという情報提供者があったんだ」
 「子ども? いつ?」
 「……いつかは知らないが」
 「我々はもう十日もここで番をしているが、子どもなんて見たことも無い。ここには誰も入っていない」
 「それはオレたちがこれから調べる」
 「だめだ、入れない」
 「役所の許可がある」
 「なに? ……みせろ」
 衛兵たちがそう言って近づいた瞬間、
 「ふう……」
 たちまち崩れて、寝息をたてはじめた。
 眠りの呪文だ。
 「やるわね」
 「入ろう」
 穴はまず垂直に続いており、ミネラルが岩場をゆっくりと下りてゆく。
 「気をつけろよ」
 「あなたこそ。けっこう狭いわよ」
 「む……ほんとだ」
 フルトは衣服のあちこちを岩にひっかけた。
 底へついて、再び呪文。たちまち光球が浮かび上がる。
 「提灯(ランタン)いらずね」
 「奥へいこう」
 天井が時おり低かったり、幅が窮屈だったりはしているが、ずっと人が通れる大きさで、横穴が続いている。気温はぐっと下がり、水脈がある証だ。
 「こんな場所、よくいままで見つからなかったな……」
 歩きながらフルトが言った。吐く息が白い。
 「いいえ、ここは、昔から知られていたみたいよ。ただ、この奥に泉があるらしいのだけれど、そこへ注ぐ地底川の奥に、鉱脈があって……そんなところ、誰も潜って行って確認した人なんかいないから……」
 「なるほど」
 「あれ?」
 ミネラルは目を疑った。
 「……いや、幻覚じゃない」
 フルトが思わず走り出す。
 「灯だ、だれかいる!!」
 「まって、フルト、置いてかないで!」
 走る二人。
 「あっ……」
 フルトは目を見張った。
 そこは魔法によって真昼のように照らされた広い空間で、おびただしい数の鍾乳石が厭でも幻想的な雰囲気をつくり出している。中央に泉があり、空気より透き通っている水であふれていた。ただ、水のせせらぎだけが、巨大なホール空間に流れている。
 その泉の前に、ずらりと子どもたちが並んで立っていた。
 中央に、静謐な面持ちで、例の少年……65番がいた。
 さらに、
 「……マーラー……!!」
 「よう」
 「き、貴様、なぜここに!? ……という質問は、愚問だったな。この神出鬼没の狂傭兵め……」
 「よく来たな」
 「人の話をきけ」
 フルト、静かに呪文を唱えた。
 だが、
 「う……?」
 神聖力がうまく集まらない。
 すぐに少年をにらみつける。
 「……うかつ……結界か……」
 「け、結界?」
 「下がってろ、ミネラル。分が悪いぞ」
 「し、神聖力が効かないってこと? あ、あの……」
 ミネラルも少年と、その首元に光る魔力玉へ目をやり、
 「……魔物に」
 「そういうことだ。……しかし、このオレを封じるほどの結界を……?」
 「……フルトヴェングラー。自信過剰は身を滅ぼす。それはこのガキがおれに教えてくれた教訓だ」
 「……なんだと?」
 「おれは手をださない。いや……出せない。おれだって、負けると分かりきっている相手と、わざわざ剣をまじえるほどバカじゃない……」
 「負ける? お前が……!?」
 フルト、意味が通じない。
 「オレ……ではないよな」
 「あたり前だろ!!」
 「……そ、そう、どなるなよ。嘘だ……」
 マーラーは大仰に息をおちつけ、
 「……おれは、ゲストなんだ。この宮殿のな。本来は、おれとお前の楽しい戦闘ショーで盛り上げるつもりだったんだが、却下されたのさ」
 「……だれに?」
 「あちらの御方に」
 フルトとミネラル、マーラーが顎で示した方向を向いた。
 一人の女が、いた。
 まるで影から染みでてきた雰囲気だ。この明るい空間で。
 じっと瞑目している。
 「ついさっき、知り合ったんだ」
 「……?」
 ミネラルはとうぜん、見覚えが無い。
 だが、フルトにはあった。
 藍の髪をした、司祭装束の若い女性。
 「……う……そ……だ……」
 ガクガクと震えだし、
 「うそだ……うそだうそだ、うそだ!!」
 「フルト?」
 「……なぜお前がここにいる!?」
 女は目を開いた。
 その微妙に黄金へ輝く淡いレモン・クリームの不気味な瞳を、ミネラルは瞠目した。
 女は静かに、アルトの声で、
 「……あたしがカルパスにいるのに、とっくに気づいていたのでしょう? 驚くに値するものではありません」
 「だッ、だが、自ら……現れるとは……」
 「あなたの前にね……」
 「ちょっと、わけあり?」
 女がミネラルをにらみつける。
 「むッ……」
 ミネラルもまけじと、にらみかえした。
 「ばか、ミネラル……」
 「……ヴィリーから離れなさいな」
 「……!」
 フルトがとっさにだき抱えて転がらなかったら、ミネラルは洞窟の壁へまともに激突し、おそらく即死であったろう。
 念動力の一種であると思われる。
 魔術以前の代物だ。
 何百年もかけて伸びた鍾乳石の林をねこそぎ倒して、二人はもんどりうった。
 「あ……ぐ……」
 「……ご、ごめん……」
 フルト、奥歯をかみしめ、
 「……下がってろ……あいつはオレの敵だ……そう、敵なんだ!!」
 「……わかったわ。でも、気をつけて。あの女……そうとうアブないわよ」
 「ああ……」
 「……!」
 ミネラルはフルトに支えられて立ち上がり、小声で、
 「クソ女、いつかブッ殺す……」
 「だから、はしたないことを言うなって」
 「……いいのよ。これがわたしの素なのだから。とりつくろっていない……」
 「ハイゼルヴェンの公姫がか」
 「……!」
 「オレの情報網も、なかなかだろ?」
 「……そうね」
 「下がっていろ」
 「あとで話してもらうわよ。あのアブない女と、どんな関係なのか」
 「話せるところまでな」
 「死なないで……」
 「……死んでたまるか……」
 フルトはゆっくりと、女と対峙した。子どもたちが無言で厳しい視線を送る中、マーラーだけが楽しそうに笑っている。
 フルトは口中の血をはきすて、あらためて、
 「……久しぶりだな」
 女はたちまちうれしそうに微笑み、
 「はい」
 「息災だったか」
 「はい」
 「……まだ、気持ちは変わらないのか」
 「もちろんです、お義兄さま。……あなた様を、心よりお慕い申し上げております」
 「魔導に身を堕としてまでも……か」
 「はい」
 「聖導皇家の聖皇女が……」
 そのセリフに、マーラーの笑みが消える。
 (な……んだって!?)
 カルパスにおいて、およそ五百年ぶりに魔力玉を復活させたという天才魔導士・大魔導ヴェーベルン……それが、
 「グ、グロス=ガルマスの聖皇女だと……。す、すると、あいつは……?」
 マーラーはしばし呆然としていたが、やがてひきつった笑みをうかべだし、
 「ふ、ふふ……なるほど、そうか。そういうことか。いやはや、あの若さで〈大魔導〉なわけだ……」
 この情報はマーラーによってすぐさまストアリア帝国へ報告され、中原における帝国の動向を大きく変化させることになる。
 さて、フルトは拳をにぎり、かすかに震えながら、
 「こ……こうしてお前と再び話しあえるとは、正直、思ってもみなかった。しかし、これは許されないことだ……」
 「うふふ、お義兄さま……無理をなさって。……あなたはすでに、私をお抱きになったのではありませんか。主人であり、義妹である私を……。その罪をお忘れで……?」
 「………」
 「さあ、心を開放なさって……」
 フルトが呪文を唱える。
 聖典の文句だ。
 笑いながらも口許をゆがめ、大魔導、
 「……いまさら何をほざいているの?」
 聖文は止まぬ。
 「その偽善に満ちた口をとざすがいい! よこしまな姦通者め!!」
 「……あ……う、う……」
 「ほら、閉じた。……本当のことを言われたからでしょう?」
 修行が足りない。ぜんぜん足りない。
 フルト、奥歯が砕けるほどにかみしめた。
 「さあ、あたしと共に来るのよ。あなたはあたしの物なのだから」
 「……断る」
 「……なにー?」
 「お前は魔導士だ。敵だ。この六方世界とウガマールと……世界人民の……」
 「……フ、大衆がなんだっていうのでしょう。うじ虫のごとき生命力で、いくらでもこの世に生じてくる。世界の有り様など、時代と共に常に変遷する。ウガマールなんて、あなたを裏切ったクズどもの国。聖導皇朝は欺瞞者たちの巣窟。吐き気がする。……あたしは、あなたに会って救われた……。あやうく、家と血を残すためだけに、まったく知らない男と何の脈絡も無く結婚させられるところだった。ひたすら子を生み……生まれなければ夫を変えられる。何人もの男にただ抱かれる。……時の牢獄で、無意味な一生を送るところだった。……お義兄さま、オーレリアは、あなたと出会って、救われたのです……」
 「………」
 「ねえ、あたしと共に来て!」
 「……何より……」
 「え?」
 「何より……お前は、オレの敵だ」
 「お、お義兄……」
 「敵だ!!」
 「……!!」
 ヴェーベルンは牙をむき、
 「マーラーッ!!」
 驚いてマーラー、
 「なっ……なんだ」
 「こいつと戦いたかったのでしょう? 存分に戦いなさい」
 「えっ……」
 「あたしは帰ります」
 「……う?」
 「ただで殺すわけないでしょう……。この男をいま叩き殺して、あたしの気がおさまるとでも思って……!?」
 フルトはじっと聞いていた。
 そのフルトへ、怒りと憎しみにうち震えた大魔導、サッと近寄り、
 「いつかきっと……」
 とびつくように強く口づけし、かき消えた。
 フルトは一瞬だけ目をつむり、口をぬぐうや、
 「……汚らわしい……」
 「おい、色男」
 「………」
 「にらむなって。……大魔導さんには悪いが、おれも帰る……」
 「……な、なぜだ。オレと戦うんじゃなかったのか?」
 「気が変わった。あんたを誤解してた」
 「……誤解?」
 「我ら信者のアイドルだったオーレリア姫は、魔導へ堕ちた大罪人でしたとさ。ふ、ふふ……だがおれは、ますます気に入ったよ」
 「……そうかい」
 「だからといって、お前は必ず殺すからな、強いやつはみな殺しだ!!」
 「………」
 「……じゃあな。また会おう。その魔力玉は、やる。どうせもう使えない……」
 不敵な笑みを残し、マーラーも出入口に消える。
 残ったのは、子どもらとフルトとミネラルだけ。
 フルトは少年・65番のその光る瞳を、無言で凝視した。

          ○

 フルトは鍛冶屋ヴァントの作業場を訪れた。
 「あ……フルトさん」
 「できてるか?」
 「はい。ごらん下さいまし」
 「……これは」
 フルト、作業台の上に横たわる愛剣を両手にとり、その感触をたしかめた。
 「ふうん……」
 微妙にバランスが以前と異なっている。
 「だが、うまく、くっつけたな」
 「は、はい。親方のアイデアにより、中にジギ・タリス50%の心棒を通しました。柄も丸ごと交換しています。カウンターウェイトは小ぶりにして、振り易くしてあります。接合面とエッジ、それに鎬地の部分は、親方秘伝の合金で補強してあります。ジギ・タリスを通しましたので、フルトさんの呪文がこれまで以上に剣に伝わる事と思います。……いかがでしょう」
 フルトはなんどもうなずき、
 「完璧だ」
 「ありがとうございます」
 「親方は?」
 「あ、はい、奥に……」
 「礼を言いたい」
 「今朝方、打ち上がりまして、おやすみになっておられます」
 「そうか……では、顔だけでも拝んでいこう。邪魔はしない」
 ドアを開け、フルトは暗い部屋の中、お気に入りの椅子に座って休んでいるヴァントを見た。
 てっきり横になってると思っていたフルト、
 「親方、起きてたのか」
 「……」
 「親方……」
 ヴァントはうなだれたまま、みじろきもしない。フルトは近づいた。
 そのとき、ヴァントの手より、火の消えたパイプがコトリと床へ落ちた。
 「……!」
 あわててフルト、
 「親方……親方!」
 「ん、お、おう、なんでえ、旦那か……」
 大きく息を吐き、
 「なんだよ……おい……」
 「なんの話だ?」
 「なんでもない。……それより、気に入った。さすが親方だ」
 「世辞はいいから、代金はらえ」
 「いくらだ?」
 「五千セレムでいい」
 金貨二百五十枚。大金である。
 「そうか」
 なんとフルト、鞄より、金貨五十枚を重ね、革紐を細く編んだ専用のネットに入れたものを出した。
 通称〔長金棒〕と呼ばれるものである。
 それが五つ。計五千セレム。
 「たしかに……」
 ヴァントは満足げにそれを手に取った。
 「おい、上客様に茶をお入れしねえか!」
 すぐさま弟子がとんでくる。
 フルトも席についた。
 「それより、旦那、裏から話が入ってきているぜ。……なんでも、魔物を退治しそこねたそうじゃねえか」
 「……ああ。役場はカンカンさ」
 「いってえ、どうしたことだ?」
 「どうしたもこうしたもない……」
 「話しなよ」
 フルトは出された茶を一口ふくみ、
 「少年が発見した新しい鉱脈は、ここいらの〈地脈〉にひっかかっていてね……」
 「な……なんでえ、そりゃ……」
 「大地に精霊力が流れているのさ」
 「精霊だと……?」
 それは六方十国が一、リュス王国に端を発する〔観念〕ある。精霊王国とも呼ばれるリュスは、古来より精霊使いが魔導と死闘を繰り広げてきた。
 「そ、その精霊がどうした」
 「ジギ・タリスを掘れば、地脈が乱れる。ここいら一帯は、どうにかなっちまう」
 「……どうにか?」
 「65番とよばれる少年は、不思議な玉の力で鉱脈を発見し、同時にその事実に気づいた。……他の子どもらと共に、あの鉱脈と街を守るんだと」
 「よく……わからねえが……子どもを、行方不明のままにしておいたのか?」
 「そうだ。……オレに何ができよう」
 「へへえ、やるじゃねえか」
 「そ、そうか?」
 「役場のやつら、そりゃ泡ふいたろう。いい気味だぜ。……けどよう、鉱脈をみつけて、魔物になったっていうガキは、大丈夫か。人が襲われねえか」
 「魔物たって、いろいろさ。あそこには、飢えも寒さも病気も無い。まるで桃源郷……約束の地だ」
 「ハ、そいつあ、夢みてえな話だぜ」
 「まったく、勉強させられる……」
 「ばか、この。旦那、この歳になってすら、日々勉強だ。若造が生意気な口きいてると、次から値段を倍にするぜ」
 「は、はは……そいつは……」
 ヴァントのニヒルな笑い顔に、フルト、呆気にとられた、それ以上言葉が出ない。
 ヴァントはさらに嬉しそうに眼を細め、
 「おい旦那、今日は泊まっていけ。うまい酒を手に入れたんだ」
 「あ……いや、外に人を待たせてある」
 「あの赤毛の姉ちゃんも中にいれちめえ。……なんだ、嫁にしたのか。あんな歳下が好みか」
 珍しくフルト、顔をくずして、
 「そんな事、あいつの前で言ったら、親方とてただではすまないね」
 「ハ、ハッ、そいつあ楽しみだ。人間、歳ィとると大抵のことでは驚かねえぜ。ひとつ、試してやる。……おい、おい!」
 ヴァントに言われ、弟子がミネラルを呼びにゆく。
 「あっ、親方……まったく、しょうのない。いい年をして……」
 「うるせえ、この」
 楽しげにそう言った古老の瞳は、少年のごとく輝いていた



 六方剣撃録