四 フルト暗殺計画  


 遅れていた雨期もようやく訪れ、自由都市カルパスは新水に潤っていた。
 連日にわたり降り続ける雨の合間をぬって太陽が顔を出したこの日、退治屋・フルトの元を、一人の依頼人が訪れた。
 「え、あの……さ、3000セレム……!!」
 「ええ。その魔物を退治するのに、それだけかかりましょう」
 フルトはさらに、
 「失礼ですが……払えますか?」
 「……」
 依頼人の若い主婦は、カルパスへ住む庶民階級を代表するような出で立ちである。夫は十四も年上で、腕のよい煉瓦焼職人ではあったが、いまはゴーストタウンのようになっている四番街の再開発計画の遅れにより、建設業界も冷えこんで、収入は月に2セレムと50ドレルがやっとだ。すなわち、1セレムの小銀貨が二枚に、1ドレル銭貨が50枚。一家七人を養うにはかなりきびしい。
 ちなみに5セレムで銀貨一枚換算。
 20セレムで金貨一枚(銀四枚)。
 この主婦より少しだけ上の中流階級が一年をまかなうのに40〜60セレムであるから、フルトの提示した3000セレムもの額がどれほどの〔大金〕なのか、お分かり頂けよう。
 主婦はうつむいたまま、みじろぎもしなくなった。
 「あー……神殿へは?」
 「……大神殿へは行きましたが……門前払いでした……」
 「それはまた……どうして?」
 「ぞんじません」
 「クレンペラー神官長様は、なんと?」
 「神官長さまなんて……私どもがお会いできる立場ではございません」
 即座にフルト、
 「それはちがう。あの御方はそんなお人ではない。第一、それほどの魔物ならば、神官長が直々に判断するはずだがな……」
 「だって現に、まったく相手にされませんでした」
 「………」
 例の〔マーラー襲撃事件〕より、大神殿内部の構造が変化しているのか。
 確かめたかったが、啖呵きった手前もあり、もうフルトはあの神殿に出入りできるような立場ではない。
 「しかし、お客さん。他の神殿へ行っても、その魔物ではおそらく……退治料は200から300セレム。一般の退治屋ではその倍でしょう。……まあたしかに、私の退治料はケタ外れですが……その分、失敗はあり得ません。お客さんも、それを承知でこられたとばかり思っていましたが……」
 「はい……はい……」
 主婦はもう泣きだしている。
 「とりあえず、今日はお帰りに。……悲観なさらずに、落ち着いたらまたお尋ねください。通常は認めませんが、月賦も考えましょう。また、他の退治屋でよろしければ、紹介もいたします」
 「はい……ですが、これはどうしても、フルト様に……あなた様でなければ、退治なぞとうてい無理です……」
 「……でしょうね」
 「ああ……」
 フルトはあわてて、
 「あ、いや、そういうつもりでは……」
 主婦は顔をあげ、
 「どうにか、退治料を……その……」
 フルトはちらりと、ドアの影からのぞいているセルジュを見た。セルジュがきびしい顔で首を横に振ったので、
 「いえ、こればかりは、いかんとも」
 「……はい」
 主婦は、帰っていった。
 見送ったセルジュ、
 「……なんていう魔物なんです?」
 「悪魔テノル
 セルジュは息をのみ、
 「えっ……それって……」
 「やっかいだろ?」
                    
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 フルトと共に魔力玉の探索を行っている謎の依頼人・ミネラルが、はじめてその男と出会ったのは、ちょうと雨の中を〔退治屋・フルト&セルジュの事務所〕を訪れようとした時、ドアから出てきたのと鉢合わせしたのだ。
 「あっ……こいつは、失礼をば」
 男は三十代の半ごろで、雨具をつけ、口髭をはやし、目が大きく、真っ黒に日焼けした顔で、体中から食用油の匂いを発していた。
 「ミネラル」
 見送りに出たフルトが、
 「メータ、こちらが、よく世話になるミネラル嬢だ」
 メータと呼ばれた男、調子よく、
 「これは、よくお話はフルトの旦那より、うかがっておりますです。鰻売りのメータってもんで……」
 「うなぎ売り?」
 カルパスの側を流れ、水路もたくさん引かれている大河メルコンサには、鰻や鯰、ボラやバスの一種、河蟹などがたくさん住んでいて、階級をとわず四十万カルパス市民の胃袋を満たしている。特に河蟹と鰻はカルパス人の好物で、フライや炒めもので食される。
 日本人の感覚でいえば鰻は蒲焼と相場がきまっているが、カルパスではぶつ切りにし、衣をつけて揚げ、そら豆をすりつぶしたソース等をつけて食するのだ。ただでさえ脂の乗った鰻をフライにするとは、考えただけで胸が焼けそうだが、意外とさっぱりしているし、使用する食用油の種類や鰻の品種そのものが違う。なにより、人の食文化のちがいというものは大きい。
 メータは漁師兼屋台料理人で、みずから捕った鰻を料理して屋台で売っている。評判はまずまずで、フルトの住む三番街の、カラビス通りというのを縄張りとしていた。
 フルトとは、
 「以前、悪い連中にからまれていたのを、旦那に助けていただきまして……」
 の仲だ。
 また、以来フルトは、彼を何かと探索に利用していた。
 メータの方もけっこうな額の〔こづかい〕がもらえるし、何より恩義に厚い性格だったので、喜んでフルトを手伝っている。
 「旦那のお手伝いをさせていただけるのは、こいつ、いろんな意味で人生の役にたちますし、その……はばかりながら、聖戦士様のお手伝いで魔物をやっつけ、人々のお役にたつのですからね、功徳にもなります……」
 常に、こんな調子だ。
 また〔功徳〕というのは、つまり、メータ自身も若いころは〔いろいろと〕あったということらしい……。
 「人の二、三人は殺ってるな、あれは」
 前に、フルトがそう語って、セルジュを怖がらせたことがある。
 しかしいまはすっかり堅気の身だ。
 女房もいて、それは鰻漁を手伝っている。
 子どもはいない。
 フルトと共に雨中へメータを見送り、ミネラルは次の魔力玉捜索の打合せを始めた。
                    
 後日。
 雨上がりの午後。
 メータ、いつも鰻を売っているカラビス通りを抜けて、四番街に向かった。四番街はいまやゴーストタウンで、チンピラたちの巣窟になっていることは常々のべていることだが、先日、フルトが大規模な〔新興犯罪組織〕をつぶしたばかりで、今は台風一過とでもいうべきか、犯罪者たちもおとなしかった。
 またメータとて、ここは知らない街でも無い。若いころはこの街でずいぶんと無茶をしたものだ。
 その四番街に、メータがいつも鰻をとる水路がある。メルコンサの本流でも漁をするが、ここはいわば〔穴場〕というやつで、メータしかしらない。カルパスにはメルコンサより水の引かれた運河が数本、環状に走っており、大通りと共に経済の大動脈を担っている。
 水路とは、運河と運河をつなぐ水量調節のための細い川で、生活排水も容赦なく流れこむが、人気の無くなった四番街では水も澄んでいて、魚がたくさん泳いでいる。
 ここの鰻は太く、大きい。
 メータは葦を編んで造った籠を、その穴場に沈めている。餌につられて入り口から鰻が入ると、もう二度と出られないという仕組だ。
 腰まで浸かって雨により増水した水路へ入り、水草をかきわけ、籠を引き上げんとしたその時、
 「……で、奴はいくらと?」
 水路の石垣のすぐ上で、声がした。
 上からは死角になっていて、メータは見えない。
 「フルトヴェングラーの奴は何と?」
 「……!!」
 フルトの〔本名〕が出たのではメータ、鰻どころではない。たちまち息をひそめ、頭上の気配をさぐる。
 どうやら、数人の男たちが(待ち合わせたらしい)女と話をしているようだ。
 「さ……3000セレムと」
 「3000セレム!?」
 「……相変わらずふざけた野郎だ!」
 「どうするんだい?」
 「かまわねえ。支払うと言え」
 「ええっ……?」
 「どうせぶっ殺すんだ」
 「そうだ」
 「その上で、やつが今まで稼いだ金も丸ごとちょうだいする」
 「十万セレムはあるというぜ……」
 「じゅ、十万……!」
 「金の亡者が」
 「あれで元神職だぜ……」
 「地獄に落としてやる」
 「恨みもはらせる」
 メータ、心臓が飛び出そうだった。どこの誰だか、何の恨みがあるのか知らないが、フルトを暗殺せんとしているのだ。
 だが、さらによく聞こうと石垣に身をつけた瞬間、
 「むっ……このガキ、何を見ている!」
 「つかまえろ!」
 「話を聞かれた、つかまえろ!!」
 人の走る音。そして少女の悲鳴。
 メータは我を忘れて石垣をのぼっていた。
 「やいやいやいッ、てめえら、何をしてやがるんだッ!!」
 「……!」
 二人の傭兵……いや、退治屋の男が、亜麻色の髪をした十歳前後の異邦人の少女をつかまえていた。それを含めた五人の男たちが、メータを睨みつける。
 「……てめえも聞いていたな」
 抜剣する退治屋たち。
 「うっ……や、野郎……」
 十年も前は短剣をふりかざして傭兵と互角に渡り合ったメータであったが、棍棒をさがす間もなく、
 「ああっ……この、放せッ……」
 肩を剣で強打され、倒れたところをたちまち押さえつけられる。
 「殺すな、殺すなよ。死体がみつかってはまずい。ふ、ふ……こいつ、知ってるぞ。野郎が使ってる情報屋の一人だ。鰻を売ってるやつだな……」
 「し、しらねえ、しらねえ!」
 「なんだっていい、このガキと一緒に閉じこめとけ。事が終わったら、遠慮なくこの水路に浮かばせてやらあ……」
                    
 ちょうどそのころ、傭兵・マーラーは、ストアリアの間者と接触して、新しい任務を持って四番街の家に帰ってきていた。
 「やれやれ……今度はフルトヴェングラーの暗殺だと……安い契約金で、人使いの荒い連中だ……」
 雨よけの防水マントを脱ぎ、魔剣を外す。
 「もっとも、いずれ殺してやるんだから、ちょうどいい話だがね」
 手を洗って、紅茶を入れるため湯を沸かす準備をした。
 「……マイカ、晩飯は何がいい?」
 彼と同居する少女アルマ・マイカ・マーラーは、病がちで、身体も弱く、マーラーは目に入れても痛くないほどに大事にしていた。それは、こんな地の果てまで連れてきて金を惜しまず看病するのをみても、分かる。その接し方は異常なほどだ。
 関係は養女にして弟子、彼にとって唯一の身内、そして十ちがいの婚約者。
 彼が身も心も捧げている女性である。
 「……マイカ?」
 マーラー、マイカの寝ている奥の部屋に入って、息をのんだ。
 いない。
 置き手紙が、一つ。
                    
 体調がいいので、少し風にあたります。
 半刻ほどで帰ります。心配しないで。
       愛する師父さま  マイカ 
                    
 マーラーは青くなって、
 「……あ、あのばか、次に倒れたら……」
 もう気が気ではない。
 紅茶の準備もそっちのけで、家の周囲をうろうろとマイカを探して歩きだした。
 そして一刻がすぎ、二刻すぎ、
 「あ、あっ……ううッ、マ、マイカ……マイカ、マイカ、マッ、あ、あーッ!!」
 日がくれると、もはや常人の精神を保つことはできなくなっていた。
 マーラーは魔剣を片手に、意味不明な事を延々とわめきながら、夜の四番街へ消えた。
                    
 「……え、お支払いできる?」
 「は、はい……」
 「前金で?」
 「い、いえ、それは……」
 主婦は困って下をむいた。
 いうまでもなく、この女、魔物を退治してほしいというのは嘘で、フルトに何らかの恨みのある退治屋たちに雇われた、ただの小間物売りである。
 「まあ……いいでしょう。必ず支払うと誓約書を書いていただけるのでしたら……」
 「ええ、それは、もちろん……」
 女は、どうせ偽名であるし、十万セレムという大金の少しでも〔分け前〕がもらえるのであればという期待で、遠慮なく誓紙付の契約書にサインした。カルパスのどこの裁判所や神殿でも通じる、正式な書類である。
 「では、悪魔アトモスを……」
 「退治します」
 主婦と握手するフルト。セルジュ少年に説明した魔物と名前が異なるのは、どういう理由によるものか。
 「では、さっそく……」
 「え、今からですか?」
 「まずいですか?」
 「きょ、今日は都合が……その、三日後で、どうでしょう」
 「……現地調査は早い方がよろしいのですが、まあ、お客さんに合わせましょう」
 主婦は逃げるように帰って行った。
 その後ろ姿を、フルトとセルジュが鋭い目で追う。
                    
 「おう……どうだった?」
 四番街の、女を雇った退治屋たちのねぐら。
 退治屋たちは昼間から安酒を傾け、くだを巻いていた。
 「おまえも、どうだ?」
 「……い、いらないよ。それより、三日後だ。三日後に、あいつが来るよ」
 「……上出来だ。悟られなかったろうな」
 「あやうく、前金で払わされるところだったよ……」
 「け……がめつい野郎だ……」
 退治屋の一人が、奥の扉を開ける。
 縄で縛られた、メータとマイカがいた。
 「お前らの命も、あと三日と決まった。へ、へへ……どうだ、気分は」
 すかさずメータ、
 「このクズ野郎、フルトの旦那を暗殺しようたあふてえ了見だ、今に罰があたるぞ!」
 「だまれこの町民ッ」
 退治屋、メータを蹴り倒し、さらに蹴る。
 「やめて、やめて!」
 マイカが叫ぶ。
 「おい、止めろ。無駄な力を使うな」
 リーダー各の退治屋にそう言われ、
 「しかし、セルロさん……」
 「放っておけ」
 「けっ……」
 ドアが閉じられる。
 「あて……いてて……野郎……」
 メータがなんとか起き上がった。
 「だいじょうぶ?」
 「ああ……すまねえな、嬢ちゃん」
 「こちらこそ……あたしのために……おじさんまで……」
 「ばか言っちゃいけねえ。あそこでとび出さなきゃ、男じゃねえ。それより……安心しねえ。必ず、フルトの旦那が助けに来てくれる。このカルパスで一番腕のたつ退治屋だ。あんなゴロツキども、目じゃねえ……」
 「あたしも、必ずお師さまが助けにきてくれるわ。お師さまは、それは強いのだから」
 「お……お師匠さま? へ、へへ、するってえと、お嬢ちゃんは、退治屋か何かの、お弟子さんかい?」
 「傭兵よ」
 目を丸くしてメータ、
 「そいつあ、すげえ」
 笑顔でうなずくマイカ。が、とたん、咳き込み、苦しそうにうめきだした。
 「お、おいッ、大丈夫か、嬢ちゃん!」
 「は……はい……平気です……」
 「平気ですって……」
 尋常ならぬ雰囲気にメータ、
 「ちくしょう……いざとなりゃあ……」
 素早く周囲を見渡し、部屋の隅に転がっていた陶器の酒瓶を発見した。それを口でなんとか床や壁に叩きつけて割ると、後手の縄を切りはじめた。
 いつの間にか雨音が、再び、すごい勢いで地面を叩いている。
                    
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 ちょうど、半年ほど前のことである。
 フルトの事務所もまだ五番街にあった。
 とある仕事で、二番街の高級商店街の裏通りを歩いていた時、
 「ご、ご無体な……わあッ!」
 なにやらそんな声が聞こえ、
 「無体も何も、ちゃんと契約しておきながら、そいつはねえだろう、シャラムさんよ」
 「し、しかし……そんな契約は……」
 「した覚えが無いのはそっちの勝手。ちゃあんとここに、契約書がありますぜ、旦那」
 「そ、そんなものは、偽造だ!!」
 「……なんだと……野郎、口の聞き方に気をつけやがれ!」
 「まあ、まあ……」
 退治屋セルロ、子分どもをかき分けて前に出て、
 「魔物は退治した。退治料を頂きたいと、それだけですよ、シャラムの旦那」
 「払わないとは言ってない。し、しかし、最初の契約では、120セレムだったはずだ。……それが、1500セレムだって……そ、そんなバカな話があるものか!」
 「利子がついたんでさあ」
 「利子ィ!?」
 「ですから、ちゃんとここに書いてます」
 いくつも工房を持ち、この二番街へ住む議員、高級官僚、各国公使などへ上質のカルパス絨毯を売っているシャラム、自らがサインをした契約書をにらみつけ、
 「うっ……う、う……」
 確かに書いてある。しかし、前はまったくそんな内容は無かったのも確かだ。
 どういう仕掛けか、悪徳商法にひっかかったとしか言いようが無い。
 「旦那、たったこれっぽっちの金、無いわけがないでしょう。私らだって、無いものを取り立てようというんじゃないんで」
 それも確かに、払おうと思えば払えない額ではない。月の売り上げから見たら、微々たるものだ。しかし、いちど弱みをみせたら後は延々とたかり続けられよう。
 「く、くうっ……」
 くやし泪をうかべてシャルム、
 「……そんな……そんな……」
 尻餅をついたまま、そんな煮え切らないシャラムの胸元をいきなりひねりあげ、セルロ、
 「出るとこに出てもいいんですぜ、旦那!! そうなりゃ、困るのはそちらでは!?」
 「誰が困るって?」
 「……!」
 退治屋たち、いつの間にか後ろへ立っていたフルトを振り返り、息をのんだ。
 「な……なんだ、てめえは!」
 「ご同業」
 「……退治屋か」
 「あー……うん」
 「取りこみ中だ、ひっこんでろ」
 と、やおらフルト、一人が手にしていた契約書を難なくとりあげるや、メルコンサに自生する葦科植物の繊維で作った頑丈な〔カルパス紙〕をビリビリと引き裂いてしまった。
 あまりの事にセルロたち、しばし呆然。そして、
 「な……なんて事をしやがるんだ!」
 「やかましい!!」
 その大喝に、セルロまで震え上がってしまった。
 いかに破門の身とはいえ、元聖戦士。
 格がちがう。
 「……賊まがいの退治屋がいるとは聞いていたが……なるほど、お前らみたいな連中の事だな。この退治屋の面汚しめ……」
 「……なにカッコつけてやがる!!」
 しかし、たちまち、叩きのめされた。
 豪腕と神聖力が相手ではひとたまりもない。
 「……ち、ち、畜生ッ……!」
 転げるように逃げ去るセルロたち。
 得意満面のフルト。
 そのフルト、シャラムの謝意を雨あられのごとく受け、以後、シャラムは重要な顧客の一人となった。しかも、シャラムよりセルロたちの名前と居場所を聞いたフルトは、まださほど険悪な関係ではなかったサーランシャ大神殿に手を回し、セルロたちの退治屋免状を取り上げ、事実上失業させてしまった。大神殿から免許を管轄する行政所(市役所)に手が回ったのだ。
 ついでにクレンペラー神官長が都市警護騎士団にまで手を回し、セルロ退治屋事務所にいた九人の退治屋のうち、四人を恐喝の容疑で逮捕した。
 その、どうにか捕物を逃れた五人が、今回の事件の犯人たちというわけである。
 お尋ね者として騎士団より逃れながら、金を工面し、本当の犯罪者となりつつ、フルトの名前と身辺を探り、復讐の準備を遂げるのに、半年かかった。
 いよいよ、積年の恨みを晴らせるというわけだ。
 「なんといったって……俺たちには、こいつがあるのだからな……」
 ちょうど、ドアが僅かに開いていた時に、マイカはそれを見た。それは前にマーラーに見せてもらったことのある、つまり例の物品だったのである。
 (まっ……魔力玉だ……。)
 かろうじて発作のおさまったマイカはしかし、顔色も悪く、息も荒かった。また酔っぱらった退治屋たちが面白半分にしょっちゅう入ってきて、メータへ意味もなく暴力をふるったりマイカをからかったりするものだから、〔縄切り作戦〕は遅々として進まない。
 「メ……メータのおじさん……あ、あの玉をうばえる?」
 「えっ?」
 何度も殴られ、蹴られて腫れあがった顔でメータ、
 「なんだ、ありゃ?」
 「……魔法の玉よ」
 「なんだって!?」
 「シッ……声が大きいわ」
 「魔法って……マイカちゃん、もしかして、魔導の物品か……? そ、そいつはいけねえ。いけねえぜ」
 「どうして? このままじゃ……」
 「なんでも、魔導だけは頼っちゃいけねえ。……心配するな、おじさんが、命に変えても、マイカちゃんだけは助けてみせるから……」
 「ああ……」
 マイカはもう、祈るしかない。
 お腹がなった。この四日間、水しか与えられていない。トイレだけはなんとか、部屋が汚れるという理由で自由だったが、それ以外は縛られたまま冷たい床にただ転がされ、体力的にも限界だ。子どもだけでも何か口に入れてやってくれとメータは何度も懇願したが、聞いてもくれぬ。
 「かわいそうに……くそ、フルトの旦那……気づいていないのか……?」
 フルトの元へ、メータの女房カーラが訪れたのは、ちょうど、そのころである。鰻を捕りにいったまま帰って来ないと、いささか心配になったらしい。
 だがフルトも、メータがまさかセルロに捕まっているとは、思ってもいない。
 雨の様子をみて、約束の三日めまでとりあえず街を歩いた。そしてカーラから教えられた、鰻の籠が沈めてある……つまり、メータとマイカが捕まった場所を訪れた。
 「……」
 魔導事件ならば魔力の痕跡を発見することも可能なのだが、いかんせん通常の誘拐事件では、探偵や間者の訓練を受けていないフルトは分が悪い。なにより、激しい雨がすべての物理的痕跡を流してしまった。
 ただ、水路の中に鰻とりの籠があるだけだ。
 そのときである。
 フルト、かすかな悲鳴を聞いた。
 気配を消し、その方向へ向かう。
 遠くだがすぐに場所をつかんだ。
 建物の影より、そっと覗きみて、息をのむ。
 マーラーだ。
 しかも、様子がおかしい。
 「それは……それはいったいどこだ、言え、言え、言え、言え、言え、言ええッ!!」
 地面に、四番街のチンピラどもが数人、物いわぬ姿となって転がっている。
 雨が落ちてきた。
 (あいつめ……またおかしくなりやがったのか……。)
 フルトは係わらぬ事にした。
 すぐに立ち去る。
 雨の中、マーラーは最後の一人となったチンピラの顔を鷲掴んで土塀におしつけ、
 「言わないとコロス……!!」
 「ひっ……ひッ……」
 華奢だが、万力のごとく力を発するマーラーの腕へしがみついて何事か言うチンピラ。
 たちまちマーラー、塀におしつけたままのチンピラの腹を魔剣でズタズタに突き裂いた。
 「………!!」
 チンピラ、顔を押さえられ、声も無く死ぬ。
 「マイカアアアッ……!!」
 まさに半狂乱となったマーラーは、怒りを周囲のすべてにぶつけながら、雷をまとい、暴風となって四番街を走った。
                    
 三日めがきた。
 フルトは依頼人の主婦に連れられて、五番街の片隅に来た。
 今日は珍しくカルパスに晴れ間が広がっている。
 主婦の様子がおかしいのには気づかぬふりをしている。青ざめ、汗でびっしょりだ。
 主婦はフルトをとある通りに連れた。ここで、某悪魔に夫が襲われ、呪いをかけられたという。ただでさえ仕事がないのに、一家の大黒柱が呪いで臥せっているとなれば死活問題。呪いを解くには、魔物を退治するしかない……と、こういうわけだ。
 「では……魔物の痕跡でも……」
 フルトが呪文をとなえる。
 最初からそんなもの、あるはずもない。が、フルト、さも何かをみつけたように、
 「む……これは……」
 などと、言ってみせる。
 いつの間にか主婦はいない。
 殺気は、痛いほどだ。
 人通りも、いつの間にやらぱったりと途絶えている。
 フルトを狙う射手の眼が、離れた高い建築物の一室より光っていた。
 セルロの雇った暗殺者である。
 用意したのは、強力な弩弓だ。
 都市警護騎士団直属の弓部隊の流れ品で、型は古いが、かの甲羅巨獣グライムを一撃で仕留めることができるという代物である。
 ちなみに通常は荷車へ乗せて運び、使用する。使用する矢の長さは4フィール(約1m20cm)にもおよび、太く、巨大な鏃がついていて、まるで銛だ。弓は台に固定され、機械仕掛けの歯車で弦を引く。
 我々の世界で言うところの、対戦車ライフルのごときものといえよう。
 そんなものを建物の一室へあらかじめセットしてあるのだ。
 フルトの実力を考え、また、それだけ恨みが大きかったのだろう。常識を外れた武装である。
 一撃で、人間の三人は貫くことができる。
 「……死にやがれッ」
 射手の視線は、確実にフルト背中を射抜いていた。
 弓が発射される。
 巨矢が唸りをあげて、土塀へ容赦なく突き刺さった。
 しかし、フルトはいない。
 忽然と姿を消してしまった。
 しかも、
 「あそこだ!」
 「……!?」
 射手、息をのんだ。いつの間にか都市警護騎士たちに、建物が包囲されている。
 「……畜生ッ」
 「逃すな!」
 あわてて射手、逃れようとしたが、完全に包囲されていて、ほどなく御用となった。
 白昼堂々の暗殺行為。何より、御禁制の軍用弩弓の無断所持及び使用。
 厳罰はまぬがれまい。
 それを見送ってフルト、
 「……うまいタイミングだったな」
 「はい、どうも……えへへ」
 騎士は、セルジュの通報により現れた。
 矢を察知することなど、予知の神聖呪文などで朝飯前だ。
 「次は、逃げた女を追おう」
 「情報屋が、すでに尾行についています」
 「……ほう」
 「暗殺者の黒幕どものアジトを聞き出さなくてはいけませんからね……」
 フルトは少し驚きの表情みせ、それから満足げにセルジュを抱きしめ、
 「……やるな、こいつめ!」
 セルジュは、素直にその抱擁を受けた。
  「野郎ッ、しくじりやがった……!」
 セルロたちが、通りを走る。万が一、一撃でフルトを仕留められなかった場合に備え、剣を手に隠れていたのだ。
 どちらにせよ、死体を五体バラバラにしてフルトの事務所前に曝すつもりであった。
 しかし、どこでどう手に入れたのものか、軍用の弩弓などを使った時点で、間ちがっている。あのような〔大物〕、足がつきやすいし、人目にもつきやすい。暗殺を企てるのに人目を引いてどうするというのか。
 やるのなら、せいぜいが小型の弩弓、または中型の複合弓であろう。
 綿密な情報の収集も計画もない、全てが行き当たりばったりの、妥当な結果というところか。
 「どうするんですか、セルロさん!」
 「あいつから足がつきますぜ!」
 「あの玉を使う……ガキと鰻売りは見せしめに殺す!」
 天では、また、雲ゆきが怪しくなってきた。
                    
 元来、ウガマールの神官たちには魔導に関する重大な事柄から些細な事柄まで種種多様な相談事がもちこまれるのだが、中には虚偽の相談も少なからず、ある。理由はさまざまだが、詐欺であったり、よんどころない事情があったり、本当に色々である。だが何にせよ、神官はまず騙されたフリをして、その虚偽をする事になった事情を探る。
 そのための暗号というか、合言葉が、
 「悪魔テノル」
 なのだ。
 この悪魔を退治することは、虚偽を暴きつつ、できる限り相談の対象者を救うことを意味する。中には、仕方がなく嘘をつく者もいるからだ。
 逆に、最初から悪意ある虚偽は、断固としてこれを処罰する。
 フルト、セルロに雇われた小間物売りの女を、事情を聴取して厳重に注意した後、開放した。はした金で雇われただけだろうから。
 「どうして、嘘だと分かったんです?」
 「あー……勘、だな」
 後に、フルトはセルジュへそう語っている。
 また激しい雨が振ってきた。
 「くそうッ、ついてねえ!」
 ずぶ濡れのままアジトへとびこんだセルロたち、そのままの勢いで、奥のドアを開ける。
 「!」
 ちょうど、誰もいなくなったのを幸いに縄を切り終えたメータが、マイカの縄を解いているところであった。
 「……野郎ッ」
 「ちッ…」
 猛然と退治屋どもへとびかかるメータ。
 「逃げろ、逃げるんだ!」
 まだ縄をぶらさげて、マイカが走る。しかし、退治屋の一人に容赦なく張り倒されて転がった。
 「ああッ……」
 メータも、殴り倒された。
 「てこずらせやがる……だいたい、お前らに見つからなきゃあ、こんなケチはつかなかったんだ!」
 「最初から殺しておけばよかったぜ……」
 怒りにうち震えながら、五人はメータとマイカを雨の降りしきる表へひきずりだした。
 「……この雨だ、血なんざすぐに流してくれらあ……」
 「ガキは売るって手もある……」
 「野郎ッ」
 メータが立ち上がった。
 しかし連日よりの空腹と暴行により、もう足がもつれる。
 「へ、へ……気晴らしだ!」
 そのメータを、退治屋ども、さんざんになぶりだした。
 「お、おじさん、おじさん!」
 「ガキ、てめえはこっちだ」
 一人がマイカをつかまえ、倒す。とたん、マイカが激しく咳き込んで痙攣をおこした。
 「お……なんだ、病気か!」
 「移るといけねえ、殺(や)っつけろ」
 「そうだな」
 退治屋、水たまりの上で苦しむマイカに、剣をつきたてる。
 その瞬間、雷鳴が轟いた。
 「!」
 「……おっと」
 あわてて剣を鞘へ納め、ベルトよりとる。
 「しょうがない、首を締めろ」
 セルロに言われ、退治屋がマイカへ馬乗りになると、その細い首へ手をまわした。
 「鶏を締めるより簡単だぜ」
 しかし、その退治屋、そのまま、横に倒れ、泥へ沈む。
 後頭部に突き刺さっている漆黒の短剣。
 「……だれだ!!」
 四人が、暗い雨幕の向こうをみつめた。
 稲光をまとい、現れるマーラー。
 その形相は、セルロたちの戦意を喪失させるのに、充分すぎるほどのものであった。
 しぼり出すように、マーラー、
 「なにをしている……」
 「な……」
 「マイカに、何をしている……」
 「……?」
 「答えろおおおッ!!」
 四本の短剣へ分離・変形させた魔剣の内、二本を逆手に持ってマーラー、猛然と走り寄りった。
 「う……あッ、お……」
 体制を整える間もなく、マーラーに接近を許す退治屋たち。そして、どこをどうしたものか、たちまち、四人の手首や肘が斬りとばされた。
 「……!!」
 雨音へほとばしる絶叫。
 「ただでは殺さん……!!」
 メータは、その惨劇を震えながら目撃した。
                    
 「う、わ……」
 フルトとセルジュが傘を手にセルロのアジトへ到着したとき、すでに退治屋たちは見るも無残な惨殺体となって水たまりに浮かんでいた。
 「こ……これは……!?」
 と、建物のドアが開き、
 「……旦那、フルトの旦那!」
 「メータ!?」
 「やっぱり来てくだすった。退治屋どもがあわてて帰ってきたんで、きっと来て下さると……さ、さあ、お早く、こっちへ!」
 「……?」
 「いいですから!」
 訳が分からずとも、家に入る二人。
 「マーラーの旦那、フルトの旦那がきましたぜ!」
 「マーラー!?」
 「フルトヴェングラー!!」
 「うおっ……」
 「たのむ、マイカをたのむ!!」
 「……!?」
 そのすがりつくマーラーの姿は、まるで別人だ。
 「……なにがあった」
 「お……おいらと一緒に捕まっていた女の子が、病気なんで」
 「病気……?」
 奥の部屋へ入るフルト。マイカが激しく痙攣しながら、横たわっている。
 (これは……?)
 その時、いきなりマイカ、白目をむいて強烈にわめきだし、まっ黒い粘液を吐いた。
 「ひゃあッ」
 セルジュとメータが同時に叫ぶ。
 フルト、いきなりマイカの服をやぶいた。
 「フ、フルッ……」
 「まかせておけ!」
 マーラーの狼狽ぶりも、目も当てられぬほどである。泪ぐみ、ただ震えながら、血が出るまでひたすら指をかんでいる。
 (こいつは〈カツァリスの呪い〉だ……珍しいものを見せてくれる……。)
 半裸となったマイカの胸元に、不気味な紋様がうかんでいた。
 フルトの呪文。
 神聖力が集中する。
 マイカの痙攣は止まぬ。
 (……う、き、効かない!?)
 フルトは気合を入れ直し、大音声で聖典の文句を唱え続けた。
 そのまま、実に四刻半(六時間)。
 日も暮れ、雨も上がっている。
 「くあッ……」
 疲労困憊のフルト、床に座りこむ。
 「マ、マイカ、マイカ!」
 「し、しばらくは大丈夫だ……」
 マーラーがマイカを抱え上げ、むせび泣いた。
 「フルトヴェングラー様……」
 いつの間にやら湯をわかし、白湯と熱い濡れタオルを渡すセルジュ。聖戦士の従者は、こうでなくてはならぬ。
 メータも、
 「……旦那、ご苦労さまです」
 「な、なんだっていうんだ、メータ……なんでお前がここにいて、マーラーが……だいたい、あの子は誰だ……!?」
 「くわしい話は、後でゆっくりと」
 「フルトヴェングラー……礼を言う」
 元へ戻ったマーラーがマイカを抱いたまま、
 「今のお前なら、簡単に殺せる」
 「な、なにィ……!?」
 「が……今日は帰る」
 フルト、ほっとしつつ、
 「あ……当たり前だ」
 「ふん……礼は、する。そこの……小箱を開けてみろ」
 フルトに促され、セルジュがとって開ける。
 「あっ……フ、フルト様、これ……」
 中に輝く魔力玉
 フルト、それを手にとり、
 「……偽物だ!!」
 「ええッ!?」
 驚くセルジュ。
 「これがいったい、なんだと!?」
 「ふん……そいつを造ってこの退治屋どもに流した連中を、教えてやると言ってるんだがね……」
 「……!?」
 マーラーの告白は、フルトをしばし茫然自失とさせるのに充分であった。
 「そ……ん……なバカ……な……」
 笑いながらマーラー、
 「別に不思議じゃないだろ? もうあそこにあんたの味方はいないんだ」
 フルト、息をのみ、
 「まッ、まさか貴様……神官長を!」
 「いや……けがの療養を理由に、クレンペラー神官長は軟禁状態にあると帝国はみている。もはや大神殿は役立たずどもの支配する伏魔殿と成り下がった」
 「こいつ……誰のせいだと!」
 「あれも仕事だ」
 「……ぬ……」
 なにぶん力が入らない。
 「……だいたい、偽の魔力玉を造ってばらまき、お前が餌に食らいついた所をどうにかしようだなんて、いまどきの子どもでもひっかからんぜ」
 「そんな事はどうでもいい!」
 「そうだ……な。大神殿がお前の暗殺計画を企てている……その事実こそ大事。いまはまだこんな稚拙な事をやっている程度だが……いまに、おれにも依頼が回ってくるかもな。……そうなりゃ、帝国とウガマールと、お前は二重に命を狙われることになる。ク、クク……いい気味だ」
 再び雨が振りだす前に、マーラーはマイカを連れて帰った。
 メータとセルジュ、ただ無言。
 「だ……大神殿……が……!?」
 フルトはショックのあまり、立ち上がることもできなかった。


 
 六方剣撃録