六方剣撃録

 
九鬼 蛍


 五 暁にとぶ金の目 


 雨期は、まだ続いていた。
 約三カ月おきに乾期と雨期が交錯するこの街では、古くから洪水及び旱魃の対策が充実している。地面は石畳でおおわれ、運河と運河を結ぶ小水路の他に、地下には整然と排水路が整備されており、雨水はそこへ流れこむ。土質により井戸は長く持たないが、各番街には地下貯水地がいたるところにある。
 雨期の雨は、時に井戸をひっくり返したような豪雨となって街を叩く。小雨・霧雨も無くはないが、雨期全盛の雨といえば、
 「前も見えない……」
 ほどの怒濤の雨だ。
 しかも、ドッと振るが短時間で止む〔スコール〕とちがい、まず数刻は降り続ける。
 大河メルコンサは雨期のたびに増水し、遥か上流の森林地帯より肥えた土を運んでくる。
 「……待て、この!!」
 フルト、どしゃぶりの中、五番街のはずれで、魔物をおいかけていた。
 これは、魔力玉の捜索とは関係のない、通常の魔物退治である。
 毎度、雨期になると上流より現れる怪物だ。
 魔物といっても、ふつうは自然に生息する天然モンスターで、いわゆる〔半魚人〕の一種であるが、フルトが追いかけていたのは、それが魔導士によって〔改造〕されている、悪質なバケモノである。
 こうなっては〔神聖力ぬき〕の退治はむずかしい。
 しかもフルトへ退治の依頼が回ってくるということは、表沙汰には到底できぬ事件であるということも意味する。
 退治代は口止め料も含め2000セレム。
 呪文を唱え、フルト、ヴァントにより修理のなった大剣を豪雨にふりかざした。
 「くたばれ!!」
 水に乗って滑るように路地へ逃げこみ、フルトをまこうとした魔物であったが、予知の神聖呪文により、先回りされ、逆に壁際へ追い詰められた。
 「……!!」
 魔物が喉を鳴らす。ふつうは魚や蟹をたべ、人に悪さをするといっても漁師の網をやぶったりする程度だが、こいつは人を襲い、もう七人も喰い殺している。魔術で身体は倍にふくれあがり、退治屋も五人ほど、返りうっているらしい。
 依頼人は、某大手の退治屋事務所で、退治に失敗したのもそこだ。元の依頼主や世間体の手前、面子を守るために裏でフルトへ依頼した。
 「……」
 追い詰められた魔物、必殺の反撃に出た。通常の半魚人の武器は鋭い爪や牙、毒針などだが、こやつは、改造により特殊能力を与えられていた。すなわち、
 「…うおッ!?」
 そのすぼめた舌より、水を超高圧で発射するのである。
 威力は、煉瓦をいともたやすく切断する。
 これで退治屋を一気に〔輪切り〕とした。
 フルト、神聖力で左腕に楯を作り、それを瞬時の差で超水流へかざした。さしもの水流も、歪められた空間により方向を変える。大剣はすでに炎をまとっており、右一本で持ったその大剣を脇構えより大上段にかざして、
 「おおりぁああ!!」
 一気に叩きつけた。
 雨幕をはじいて猛烈に炎弾が炸裂し、爆音が路地にこだまする。
 神聖力に焼かれ、砕け散った魔物の破片が、バラバラと水へ落ちた。
 倒した証拠にフルト、その中の腕の一部を拾って袋に入れ、帰路へつく。
 雨が弱まってきた。
 気がつけば、空も明るい。
 と……。
 「…!!」
 息をのむフルト。
 その異変に気づいたらしく、路地の向こうでも悲鳴があがった。
 フルトを……いや、周囲を、真っ赤に染めぬく、その紅い雨。
 「血……血の雨……か……」
 フルトも、思わず聖典を唱えていた。それほどの〔怪異〕であった。
 「………」
 どれほど立ちすくんでいたのか。
 雨はすぐに止んだのかもしれなかったし、けっこう長いあいだ降っていたのやもしれぬ。
 ただ、気がつくと血の雨はなく、その痕跡もまた先ほどまでの普通の雨に流されて消えてしまっていた。
 その雨も、急激に止んだ。
 雲が晴れてゆく。
 夕焼けが光った。
 その砂漠の夕日の側に、ぽつんと輝く明星一つ。
 普段はあまりに当たり前の光景で誰も気にも止めないが、フルト、吸いこまれるように明星をみつめていた。
 脳裏へ浮かぶ一人の女性。
 かの〔大魔導〕がいよいよ動きだしたのか。

          1

 件の〔血の雨〕現象は、カルパスのごく一部でしか見れなかった事が、後に判明した。それも人々がただ驚いているうちにパッと消えたものだから、いまとなっては集団で、
 「夢でも……」
 みていた心持ちなのである。
 しかしフルト、不安でしょうがなかった。このような怪奇現象は、聖典の中に記述がなくもない。
 「どんな記述なんです?」
 セルジュの質問に、
 「……傍系書を、知っているだろう」
 「……〈裏聖典〉……ですか?」
 「そうだ」
 それは、普段の布教には使われない、もう一つの聖典である。聖典には、こういった傍系書が何種類かあり、総じて〔裏聖典〕とよばれていた。
 「……赤だの黒だの、余計な色の雨が振った後は、だいたい、ろくな事がおきてない」
 「……ろくな事……」
 「いやな予感がする」
 フルトの表情はきびしい。
 しかし、セルジュ、
 「そんなことより、フルト様、今月の状況ですが」
 「……また帳簿の話か」
 毎度ながら、胃をおさえる。
 先日の〔暗殺事件〕もあり、もう薬をいくらのんでも全く効かぬ。
 種々の薬剤を特別に調合した粉薬で、一包・五セレムもする。
 つまり、銀貨を包んで飲んでいるのと同じ換算になり、セルジュの頭は痛い。
 というわけで、近ごろは、
 「フルト様、そんな高い薬より、こっちの方が効きますよ、絶対」
 などといって、胃に良いというアロエの葉をおろし金ですりおろしたものを、カップに一杯、フルトにのませていた。
 これがまた、言語を絶する苦さ。
 ちなみに、アロエはそこらにいくらでも自生しており、民間の胃薬・火傷薬として重宝している。
 「あー……うん……」
 フルトは気が進まずとも、飲まざるをえぬ。
 「……げはァ……!!」
 泪が出た。
 そんなフルトへ目もやらず、セルジュ、
 「よろしいですか。……ええと、目標額より、800セレムほど下回っております」
 フルト、顔へ手をあて、泣きそうな声で、
 「に……2000セレムも稼いだんだぞ?」
 理解できぬ。
 「あのお方が現れたと聞き、月間の目標額を高めにしました。だいたい、経費がさっばり減ってません。例えば大剣の修理代……もう少しまからなかったんですか?」
 「……ま、まから……?」
 「安くならなかったのですかという意味です! なんですか、5000セレムって!」
 「し、しらないよ。どなるな。……それだけかかると言われたんだ……。いちおう、1万ほど持っていったんだ」
 「えッ……い、1万!?」
 「う、うん……まー、その……うん」
 「いつのまに……」
 セルジュは目眩がしてきた。その事があらかじめヴァントに知られていたなら、容赦なく全額1万を要求されただろう。
 そしてフルトは何の疑いもなく〔長金棒〕を十本、差し出すのだ。
 あぶないあぶない。
 「……フルト様……少しは勉強してくださらないと……困ります」
 「し……してるよ。してるさ」
 「本当ですか? ……じゃあ〈減価償却〉って、なに?」
 「う……」
 しばし考え、フルト、
 「……呪文か?」
 「……フルト様……ぼくは真面目に……」
 「じょ……冗談だ、そ、そんな、こわい顔をするなって……」
 と、
 「なーに言ってもむだよ、セルジュ」
 「……ミネラル」
 いつの間に入ってきたものか。
 セルジュが茶の用意のため、場を離れた。
 「む……無駄とはなんだ」
 「いいから。……セルジュも喜ぶ、いい話をもってきたのよ」
 「仕事か……」
 「仕事よ」
 「魔力玉……か」
 「……魔力玉」
 茶と菓子が用意され、半刻(約40分)ほど話をして、ミネラルは帰った。
 次の日より、さっそく行動が開始される。

 「ふうん……」
 フルト、雨の中、ミネラルと共に現場へ来ていた。
 「ここにご遺体が……」
 傘があるため、片手で祈りを捧げる。
 五番街の、何の変哲もない、路地裏である。
 みつかったのは、発見される三日ほど前より行方不明になっていた、〔ジャヴァールの店〕という料理屋の娘で、歳は十七。他の奉公人らと共に店の看板娘であった。
 発見された時は全裸の状態で、(言い方が悪いかもしれないが)これがただの死体だったら、暴行殺人事件ということで警護騎士団による通常の捜査が行われていただろう。
 しかしちがう。
 遺体には、胸の中央へ縦一文字に大きな傷跡があり、それが刃物でやられたというより、骨も内側より砕け、なにより体内から傷がめくれており、まるで〔内部より破裂した〕ような感じであったのだ。
 このような猟奇、この世界においては九分九厘、魔導士の所業である。
 いわゆる〔魔導事件〕だ。
 「しかし、どういうわけか、大神殿の動きが鈍いのよ……」
 「ふん……おおかた、被害者の家の御布施が少ないんだろう……」
 息をのみ、ミネラル、
 「……それが本当だとしたら、サーランシャはもうおしまいね」
 二人は次に都市警護騎士団の本部へ行き、検視官がとった遺体のスケッチを、つぶさに観ることができた。
 傷跡のスケッチもみた。被害者の少女の表情は、意外にも、安らかだった。
 「……」
 「どう……フルト」
 「……間ちがいない」
 「じゃ……」
 「魔力玉の発した跡だ

 「魔力玉に関するすべての文献は、失われてしまっている。魔導書ゆえな。時の神聖国家がその威信をかけて駆逐した」
 「黒い歴史は抹殺というわけね」
 二人は、よく探索の打合せに利用するカフェ(雨期の間は屋内カフェとなる)にて、雨音に耳を傾けつつ、コーヒー一杯づつでひそやかに、
 「だが……裏聖典に、記述が残っている」
 「……聖典に?」
 「ああ。だから裏聖典は布教には使われない。表沙汰にはされない」
 「ふうん……初耳」
 「他言無用」
 「わかってる。……で、なんて?」
 「……魔力玉、無垢なる心より発現す……と、たった一行だけ、あるんだ」
 「は……〈発現〉って?」
 「……よくわからない。誰も研究していないからな。ようするに〈出てくる〉という意味だろう?」
 「物理的には、そうでしょうけど……あの死体にあった傷跡のように」
 「具体的にどういうプロセスで玉が生じるのか……術が失われているから、分からないんだ。けど……無垢な心……子どもでもいいのかな。……どう思う」
 「本当に無垢なのは赤ちゃんだけよ。それは誇張された言い方ね」
 「……実は、玉を復活させようとした魔導事件は過去にも例があってね。もっとも、一回も成功はしていないが……みんな、十代後半の少女が実験に使われている」
 「……偶然じゃなくて?」
 「必然だ」
 「魔導といえば処女か……何か理由があるのかしら」
 「何も魔導だけじゃない。伝説で奇跡を起こす聖女は、みんな処女だ」
 「……処女かどうかなんて、本人しか知らないのにね。滑稽ね。ちょっと痛がれば、男なんてすぐ騙せるのに」
 「……そういうふうになってるんだよ。何も本当に処女かどうかなんて、関係がない。やはりそれは、文字通り無垢というか……純粋に夢とか理想とかを追いかけ、それへ向かって努力している……そういう意味だろう」
 「じゃ、男を知っているとかいないとかいう、肉体的ではなく、もっと精神的な意味合いでと……?」
 「魂魄……魂の問題だ」
 「たましい……」
 「それより、ミネラル……しつこいようだが、あんまりおおっぴらに男を知ってるとか、肉体とか、騙せるとか……」
 「うるさいわね」
 「……とうぜんの躾だろ」
 「この堅物。……つまらないヤツ!」
 「やれやれだ……」
 フルトは席を立ち、
 「オレはまだ聞きこみを続けるが……」
 「あたしも行くわ。魔力玉もそうだけど……同じ年ごろの女の子があんな殺され方したなんて……耐えられない」
 「……そういうものか」
 「あなた、平気なの!?」
 「平気じゃないが……魔導士の仕業だ。もっとむごたらしい死に様なんざ、いくらでも見てきてる」
 「……そう」
 「心の覚悟はしておけよ。今回は……いままでとはちがうぞ……」
 フルトの意外と厳しい表情に、ミネラル、気を引き締めざるを得ぬ。

 フルトは、さっそく馴染みの情報屋を走らせた。また裏路へ入ったついでに、以前、セルジュ救出に一役かってくれた情報屋元締で浮浪者のリゲルへ連絡をつけた。すると偶然、リゲルが近くの空き家で浮浪者仲間と雨期の期間暮らしており、会うことができた。
 「リゲル」
 「フルトか」
 リゲル、するどくミネラルをにらみ、
 「……そっちは?」
 「仕事仲間だ。口はかたい」
 フルト、前金で金貨三枚・六十セレムを支払い、情報の収集を依頼した。
 「ずいぶん気前がいいな……」
 いくぶん、驚いてリゲル、
 「例の、連続殺人だろう?」
 「……連続?」
 「ああ。つい半刻前だ。表の連中は、神殿も警護騎士も誰もしらん。……この奥の六番通りに、カドリーの店っていう占い屋があるんだが……そこの裏の物置の中に、若い女の死体がある」
 「!?」
 「カドリーのばあさんもしらん。女はすッ裸で、逆さに吊られている。姦られた様子はないが、胸に、裂けたような傷が……あッ、おい……いっちまった」

 二人が店の裏の物置とやらに到着した時、雨が少し強くなった。
 店は閉まっていた。
 物置の扉をぶち開けようとしたフルトをミネラルが止め、ポシェットより出した小道具をもって、まるで盗賊のごとく、いともたやすく錠を開けた。
 驚くフルト。
 「……いいわ」
 折しも雷動をあび、二人は中へ入った。
 死臭。
 「う……」
 大の字で、棚へ逆さ吊りにされている、見知らぬ少女。
 とうぜん息はない。
 フルトが祈る。
 ミネラル、憤然と、また怒りと恐怖に小刻みに震えながら、
 「……信じられない。変態よ。変態の仕業。悪魔的な思考の持ち主よ。……ようするに狂ってるわ」
 「だから……魔導士なんざ、みな狂ってる。……連続……か。どうやらこれまでにも、こんな死体が幾つか出ているようだな……」
 彼らはまだ知らない事であったが、この時点で、胸に大きな〔裂傷〕のある若い女性の死体は、カルパスじゅうで八人も発見されていたのである。
 これが九人目。
 「……」
 ミネラルは少女を吊るしている縄を短剣で切ってやった。
 音をたてて床に転がる少女。
 だがミネラル、どうしても死体に触る事はできなかった。
 フルトが代わりに、目を閉ざしてやった。
 しかしどちらにせよ、すっかり硬直して、大の字のままだ。
 傷口にたかる無数の蠅。
 「う……え……」
 見ていられなくなり、ミネラルは雨へ出た。
 フルト、呪文を唱え、魔力等を検知した。
 いろいろな事が分かったが、被害者の素性だけは分からぬ。
 どういった経緯で、こんな目にあったのか。
 死に顔は、無表情だった。
 後で分かった事だが、この少女は魔法で若返ったカドリー婆さん本人だったのである。
 占い師としてメキメキと頭角を表しだした、十六歳の時だったそうだ。
 幻想や一時的なものではなく、本当に本当の若返りの魔術など、いったい何人の魔導士が使えるというのか。
 「……」
 二人は遺体をいったんそのままにし、都市警護騎士へ通報するべく、去った。

 その頃。
 「……なんだ、これはあ!!」
 傭兵・マーラー、また癇癪を起こし、容赦なく怒鳴りちらした。
 例の、扇屋である。
 店の表では、使用人や客たちが飛び上がって驚いている。
 ストアリア帝国情報部の諜報員にして表の仕事で扇を売るホルター、苦々しげな表情を隠しもせずに、
 「……だから、声が大きいッ、何度いったらわかるん……」
 「これが大きくならずにいられるか!!」
 「……いったい、何が不満なんだ?」
 「こ、こんな依頼を引き受けるわけにはゆかん。……お、おれは傭兵だぞ……!」
 「貴様が強いのは分かっている」
 「答えになってない、なってない!!」
 マーラーは書類を破り捨てた。
 「何をするッ……」
 「は、は、は、話に……ならんッ……」
 「待て……待て! 仕事を降りるというのなら、金を返せ!」
 「……なんだと、なんだと、なんだと!?」
 「そうだろう。契約違反……ウッ」
 マーラー、ホルターの胸ぐらをひねり上げ、
 「……違反させるような仕事をもってきているのは、どっちだと思っている……」
 「だ、大魔導を説得するのが……何がおかしい……ッ?」
 「そんなものは役人のする仕事だ! てめえがすりゃいいだろうッ!」
 「だ、だから……話は私がするッ……貴様はただ大魔導を連れてくればいいのだッ……き、貴様しか、実際に大魔導ヴェーベルンと接触した者はいないのだぞッ……」
 「……」
 「ちがうか……!?」
 「……そうか」
 「わ、分かったら手を放せ……!」
 「あ、ああ……悪い」
 「……落ち着いたか」
 「うん。おちついた」
 何事も無かったように仕事を引き受け、裏口より店を出るマーラーへ、
 「……なんて野郎だ!!」
 ホルターは歯ぎしりしてつぶやいた。

 雨と雨の合間が、ずいぶんと長くなった。
 雨期も終わりに近づいている。
 たちまち空気が乾燥し、強烈な日差しと熱気が戻ってくるのだ。
 その雨期と乾期の狭間の約一週間が、カルパスでもっとも過ごしやすい期間となる。
 気温も湿度も、まことに心地よい瞬間。
 その一週間を、カルパスの人々は〔黄金の時〕と呼んでいる。
 「あ……」
 ミネラル、頬をつたう涼しげな風に、一瞬、心をうばわれた。
 だがその思いもすぐに現実へ引き戻される。
 「……ミネラル、聞いているのか」
 「え……ええ、聞いてるわ」
 風そよぐ窓から目を戻し、
 「で……資料がどうしたと?」
 「これだ」
 フルト、サーランシャ大神殿の書庫にある〔カルパス全魔導事件簿〕の調査をするよう、セルジュへ命じていた。特に、ここ十数年間の、魔力玉復活を試みたと思われる同じような魔導事件だ。
 クレンペラー神官長派の人間に連絡をつけ、セルジュをやったのである。さすがにフルトが行くわけにはゆかないが、セルジュであればあまり顔も知られていないし、なによりセルジュ、〔袖の下〕の使い方がまことにうまい。フルトでは話にならぬ。裏からこっそりと入って秘密裏の内に極秘文書を閲覧するなど、朝飯前だ。
 その〔写し〕を、事務所のテーブルにならべ、フルト、
 「……残念ながらこれと分かる事件は無かったが、類似のものがいくつか、あった。それをたどってみよう。……最初は、一人の被害者を追えばそれでいいと思ったがな……」
 「……死人の数だけ、例の物品がこの街にばらまかれてるというわけね」
 「そういうことだな」
 「……まだ、死ぬかしらね」
 「分からんよ」
 「……犯人はあの女と?」
 「分からん。……いや、うそ。恐らく、そうだな……」
 「……退治するの」
 「する。……してみせる」
 「そう……」
 「そ……そんな事はどうでもいい。お前は、玉が手に入れば、それで良いのだろう?」
 「そうよ。それでいいの」
 「じゃあ、余計な詮索は無用に願いたいものだな」
 「……ごめんなさい」
 その、あまりに素直な反応へ少々驚いてフルト、
 「あ、あー……いや、その、なんだ……」
 咳払いをし、
 「じゃ……そっちの……」
 「ええ」
 ミネラルはミネラルで、ベームへ命じ、これまでカルバスで起こっている全ての同類事件を調べさせていた。
 「……胸に穴の空いた女の子の死体は、この前の占い屋で九人目だったわ」
 「……九人だと……!?」
 フルトはミネラルの出した書類を奪うように手にとり、みつめた。
 「報告は、そのとおり」
 みてみよう。
 ・年齢、十四〜十九。
 ・出身地、身分の上下、経済状況、家庭状況、その他性格の善し悪しを問わず。
 ・殺害場所も問わず。地図に落としてみても、何の関連性も発見できず。
 ・唯一の共通点は、みな高い理想、野望、希望等をもった、感受性の強い、何らかの才能ある、感情豊かな少女であるということ。

 「……ちょっといいか」
 「なに」
 「殺害場所……地図に落としたやつを、もってきてるか?」
 「……これよ」
 「み……見せてくれ」
 「どうしたの?」
 「何か……呪術的な関連性があるかもしれない。魔術のな。そっちのほうは……素人だろう?」
 「そ、そうね」
 フルトはそして殺害場所をポイントした都市地図を穴が空くほど見つめていたが、
 「……やっぱり何の関係もない。……すまん……」
 「あやまることないわ」
 「くそ……くやしいな」
 その時である。
 部屋へ、セルジュがとびこんできた。
 あまりの剣幕にフルト、立ち上がって、
 「ど、どうした」
 セルジュは息もきれぎれ、
 「……す……すぐそこです……フルト様、ナムル雑貨店の……裏の小水路に……」
 「ま……まさ……」
 「うか……浮かびました……死体が……」
 ミネラルも立つ。 
 「例の死体なの?」
 「は……はい……はい……」
 「どんな様子だ、胸に傷が?」
 「役人……警護騎士がきて、とり調べを……縄が張られて、人はもう立ち入れません……で、ですが、話によると、む、胸に傷があったそうです……と、歳は、小さくて、じゅ、十二、三歳ぐらいだったと……」
 「身元は?」
 「そ、そこまでは……」
 「フルト……」
 強く奥歯をかみ、フルト、
 「……やられた……事務所の目の前だと……野郎……なめやがって……」
 「まさか……あの女、わざと?」
 「そうとしか……」
 「考えすぎよ」
 「オレはあいつの性格をよく知っている。……機嫌をそこねたら手に負えん」
 「……わがままなのね」
 「お前と同じだ」
 「なにバカなこといってるのよ」
 「それより……十人目か……」
 「急ぎましょう」
 「ああ」
 二人は、当面の行動を確認しあい、さっそく出かけた。
 そして……。
 その様子を、机に立てかけた板水晶を通じて観ていた人物ひとり。
 件の、大魔導。
 場所は、特定できないが、カルパスのいずこかであることには、間ちがいはない。
 闇に包まれた狭い部屋だ。
 水晶は、フクロウの眼を通していた。
 折しもフルトの事務所の梁の上に、砂漠へ住む、小さくて尾と足の長いサバクコフクロウが一匹、止まっていた。その金目のフクロウ、フルトたちが出かけると、自らも、窓より飛びたった。
 知恵の象徴たるフクロウを使い魔にできるのは、大魔導だけとされている。
 たいていはネズミ、コウモリ、カエル、毒蛇、サソリ等……そんなようなものだ。
 またフクロウはそれらの全てを捕食するという意味でも、上位に立つ。
 ヴェーベルン、板水晶より目を離し、上等のラズバーグ産ブレンド紅茶を傾け、何を思ったか、楽しそうにクスクスと笑いだした。
 机の隣には、書物や魔術に使用する多数の物品が置かれた古い棚があり、暗闇の中、ぼんやりと光って見えた。
 その下から四番めの棚に、袱紗に置かれた玉が並んでおり、これも互いに微妙に光りあっている。
 これは、そう、まぎれもなく例の物品……魔力玉である。
 その数、九ツ。
 いや、たったいま、十になった。
 すぐにも配下の魔導士が届けに現れるだろう。
 「残りは三ツ……」
 魔術において数字というのはとても重要な要素である。十三はカード占いでも占星術でも民間信仰でも不吉な事件・事故を象徴し、ために魔術へ応用される。
 ヴェーベルン、風通しのよい薄い絹の肌着一枚をまとった姿で、机上の大きな紙へその淡い黄金色の目を移した。○と△と数字の呪文を幾重にも重ねた魔方陣の上に、古竜の牙を削って造った駒がいくつか、乗っていた。チェスのそれにも似た、魔術用の人駒だ。
 「……次に、黒剣の騎士を、ここ……」
 マーラーの名の掘られた駒が、フルトの前に、置かれた。

         2

 マーラーが、大魔導の探索にフルトを、
 「……そうだ、利用してやろう……」
 と思ったのは、まったくの偶然である。
 (と、本人は思っている。)
 それは天恵のようにひらめいた。
 「我ながらいい考えだ……フ、フフ」
 いそいそと、道を歩んだ。
 とたん、混雑する五番街の市場通りで、ばったりとその二人に出くわしたのだから、偶然とは恐ろしい。
 (と、思った。)
 「……マーラー……!」
 「せ、先日は世話になったな、フルト」
 「悪いが、急いでる」
 「まあ、待てよ……何の仕事だ?」
 「貴様にかまってる暇は無いんだ」
 「……大魔導をお探しか?」
 「……!」
 「図星だろう?」
 「だから何なんだ?」
 「まあ、まあ……。正直に言おう。便乗させてもらいたい。協力する。……情報を提供しようというんだ」
 「……?」
 「何も裏などない。おれも仕事なんだ。大魔導を探す……ね」
 即座にフルト、
 「悪いが……協力する気は毛頭ない!」
 「え……?」
 「じゃあな」
 さっさと、人込みに消える。
 マーラーは音もなく、二人の後を尾けた。

 「ねえ……フルト」
 歩きながら二人、
 「どうした」
 「情報ぐらい、もらっても良かったのじゃなくて?」
 「あいつに係わると、ロクなことがない」
 「……そう……」
 二人、後ろからそのマーラーがひそやかに尾行しているなど、夢にも思わぬ。それだけ焦っていたし、なによりマーラーの尾行術が玄妙を極めていた。つかず離れず、確かに存在しているが微塵も気配を感じさせず、まるで、
 「影のように……」
 とは、このことである。
 「ク、ク……フルト、お前さんの暗殺依頼も、ストアリアから出ているんだぜ……」
 このところのマーラーは、暗殺者としても充分に素質を開花させていた。戦闘の際のあの殺気が、まるで感じられぬ。完全に封じこまれているのだ。
 さて……。
 フルトとミネラル、玉の捜索も重要な目的だが、自然と、これ以上犠牲者を出さぬように探索の方向を変えていた。誰に依頼されたわけでもないが、自然と、そうなったのだ。
 「どちらにせよ、チャンスよ。これは」
 「玉を確保し……大魔導も……倒す」
 「できて?」
 「やってやるさ」
 「玉はひとつ1万……。今のところ、全部集めたら10万よ。加えて、もし大魔導を倒すことができたなら……」
 「金はいらん」
 「……え?」
 「あいつを倒すのは……オレの義務だ」
 「……責任感じてるの」
 「オレが……オレさえ……」
 「やめなさいよ。いまさら」
 「………」
 「そういうの、嫌い。あきらめなさいな、もう。過ぎた事をいつまでも……」
 「あー、そうかい。それより、ミネラル」
 「なに」
 「お前……本当に玉がほしいのか」
 「……どういうこと?」
 「いまさら言う事でも無いが……玉の数だけ、人が死んでいる。お前と同じ年頃の女の子が、無残な死にざまを人目に曝している。哀れな……哀れな事だと思わないのか」
 「……そ……それは……」
 「それに金をかけてストアリアもハイゼルヴェンも奪いあう。なんとあさましい……いや、おぞましい事だと、思わないのか」
 「……あなたに言われる筋合いはなくてよ、フルト」
 「………」
 「ちがって?」
 「そ……うだな。無い……な。はっきり言って、無い……」
 「……やけに素直ね」
 と、二人、さすがにすくみ上がって驚いた。混雑する市場の中、とある果物屋の前を通ったのだが、客と店の主人が絶叫をあげたのだ。
 「な……なんだ?」
 みると、山のごとくオレンジが積まれた荷台の、そのオレンジの山の中より、細い女の腕がのぞいている。
 「な……んだ……ッてえ!?」
 フルトは大声で、
 「どけ、どけ!!」
 人をかきわけ、オレンジの山を崩した。
 綺麗な黒髪をした、十五、六歳ほどの土地の少女が、現れる。
 それも、瓜二つの少女が、二人だ。二人、抱き合うように、荷台のオレンジに埋まっていた。
 双子の姉妹なのだ。
 状態は全裸。そして胸には、例の傷跡。
 「あ……あ……うあ、あああ!! シ、シャーリィ!! ナ……ナーリーッ……!?」
 「……御主人の知り合いか?」
 「む、娘たちにございます……な、な、何が……何がいったい……お……おお……!?」
 「………」
 フルト、声も出ぬ。
 憤然とその場を後にした。
 あわててミネラルが続く。
 「ゆるさん……ゆるさんぞ!!」
 「……どうするつもり?」
 「ぜったいにゆるさない……!!」
 「ま、待って、フルト……待って!」
 「……こけにしやがってぇ!!」
 フルトは止まらぬ。
 ミネラル、ついに、
 「ちょっと、まちなさ……!!」
 「……」
 振り返るフルト。
 「………」
 奥の、先ほどの果物屋に、すごい人だかりができていた。店の親父の慟哭が、ここまで聞こえている。さっそく、市場付都市警護騎士配下の役人も来た。
 人の動きが、川のようだ。
 「……ミネラル?」
 いない。
 「ミネラル!?」
 見回す。しかし、いない。
 「ふざけているのか!? ミネラル!」
 忽然と、ミネラルは消えてしまった。

          3

 その様子を、マーラーも観ていた。
 しかし、分からなかった。
 「あれは……魔術か……? いや、ちがうな……魔法なら、フルトが気づく……」
 どちらにせよ、フルトから目を放すわけにはいかなくなった。
 「大魔導がしかけてきた……」
 からである。
 「楽しくなってきた……ク、クク……わくわくしているな、おれ」

 翌日。
 雨期の名残の雨の中、一人でミネラルの探索から帰ってきたフルトへ、
 「……何者か」
 事務所の路地裏より現れた初老の男。
 執事ベームだ。
 「……お初にお目にかかります……」
 とうぜんながら、雨へ濡れそぼるその表情は深刻きわまりない。
 「……?」
 「わが主……ミネラル様の件で……」
 「なんと……仰せられる」
 フルトはとにかく事務所へ入れた。
 ベーム、きびしい表情のまま、いきなり本題に触れ、
 「無事、御身救出の暁には……50万セレムを……」
 セルジュはひっくり返った。
 〔目標額〕の半分である。
 ベームの気が変わらぬうちに、さっそく契約書を用意する。
 「ほ……本当に、そのような大金を!?」
 フルトも信じられぬ。
 そんなフルトを伏し拝むようにベーム、
 「フルトヴェングラー卿……どうか……どうかお嬢様を……この自由都市にて、もはや貴卿のみが頼り……」
 「う……」
 断る理由は、無い。

 ミネラルが〔消えて〕より丸一日、もちろん、彼らも最善を尽くした。
 だがどうやら、これは魔導に関する事件であり、神聖力が不可欠であると判断した。
 さすがに、素早い判断である。
 諜報部隊という身分が身分だけに、公の神殿に頼むわけにはゆかぬ。かといって本国から神官など呼んでいる暇は毛頭ない。
 となると……やはりフルトに仕事の依頼がゆく。
 なんといっても、フルトほどの神官戦士は表だろうが裏だろうが、カルパスにはいない。
 だがフルト、ミネラルやベームの正体がどうとか、魔力玉を探す目的がどうとか、いっさい口にしなかった。その配慮に、ベームは深く感謝の意を表した。
 「……卿、やはり、その……お嬢様は、玉の贄にされましょうか……」
 「あいつが!?」
 どう考えても〔精神的処女〕とは思えぬ。
 「……わ、わかりませんが……そうならぬためにも、急ぎましょうぞ」
 「は……」
 玉の探索が、うって変わってミネラルの捜索になったわけだが、フルト、ミネラル救出がそのまま玉へつながると考えていた。なぜなら、ミネラルを誘拐したのはおそらく、
 「……大魔導・ヴェーベルン……」
 本人であろうから。
 「まさか……な……」
 六方十国が一・ハイゼルヴェンの公姫が公衆の面前に全裸で、しかも胸に穴の空いた無残な状態となって人目に曝されるなどという最悪の事態だけは、何としても避けねばならない。事はもはや、国際問題だ。
 「……」
 フルト、ここに到り、ある重大な決断をした。
 もはやこだわってなどいられぬ。
 ベームへ、二つ、頼み事をした。
 「そ、それは……?」
 どちらもかなり難しい。
 しかしベーム、決然と、
 「……やってみせましょう。カール・ベームの名にかけて」
 「お頼みもうします」
 一つは、サーランシャ大神殿・大聖堂の使用許可。そしてもう一つは……。

 「おきなさい」
 「あ……」
 「ご気分は?」
 「……ちょっと、何、何なの、ここ?」
 「うるさい女ね」
 「あんた……?」
 ミネラルは、その巨大なヴェーベルンの顔へ目を見張った。
 「ここ……?」
 そして自分がビンの中にいるという事を理解するのに、しばし時間を要した。
 「魔法で小さくしたというわけ!?」
 「正確には……魔術によってそういう能力を身につけた者の仕業で。だから魔力は検出されず、ヴィリーにも気づかれなかった。いいこと、お嬢様。魔力というのは、術の行使時にのみ発せられ、効果だけが現れる時には、現れないの。ゆえに……」
 「フン、何よ、その踊り子みたいなスケスケの格好。はしたないの」
 「……人がせっかく講義してあげてるのに、なんなの、その態度は……」
 ヴェーベルン、机上でビンを転がした。
 「……!!」
 「アハァ、ハハハハッ……」
 「ブッ、ブッ、ブッ殺してやる! やめろ、この売女!!」
 「そうそう……それでいいのよ。お姫様」
 「うるせえ、いますぐここから出しやがれ、このバカ女! さもないと、とんでもない目にあわせてやるぜ!!」
 「はい」
 ヴェーベルンはビンの蓋をとり、逆さまにして振った。たちまち、床にミネラルが転がり出て、元の大きさに戻る。
 したかか頭を打ったミネラル、しかし、
 「いい度胸だ、コラァ!!」
 ヴェーベルンに踊りかかった。
 だがダメだ。
 指一本で、ひっくり返される。
 「きっ……きたねえぞ……魔法なんて!」
 「あたしは魔導士……魔法使い。魔法を使って、何が悪いの?」
 「……クソッ……〈林檎の泪〉があればッ……」
 「……それ、ハイゼルヴェンの至宝、ジギ・タリス88%の秘剣……ね。対魔法剣……術式を打ち破る特殊能力を有しているという……そうか……ミネラルって、貴女が、あの〈ハイゼルの紅玉〉……ミネラル・フォン・ハイゼルヴェンシュタイン」
 「……だからなによ。家柄だったら、あんたの方がずっとイイじゃないのよ」
 「家柄なんて関係ないわ。ようは、人間の問題でしょう」
 「……知ったような事を。フルトは、その〈お家〉にずいぶんとこだわってた」
 「……あの人は、特別だから」
 「フン、あんたのせいで、フルトは悩んで、もう胃に穴があきそうだわ」
 「あたしの仲間になれば、回復の魔法でいつでもそんな病気、治してあげるのに」
 「死んでも仲間になんかならないわね」
 「……どうして」
 「あんたの性格がサイアクだからよ」
 「アハッ……いいえ、あなたほどでは」
 「いえいえ、そちらこそ……」
 「ホホホ……」
 「ホホホ……」
 「………!!」
 二人とも、しばし歯を鳴らしてにらみ合う。
 「……で、あたしに何の御用? 元聖皇女オーレリアサマ!」
 「ふん……気づいてるんでしょう?」
 「……やれるものなら、やってみなさいよ。ただし……自分でいうのもなんだけど、夢も希望も無いわよ、あたし」
 「身も蓋もないわね」
 ヴェーベルン、指を鳴らした。とたん、影から魔導士が二人、出現し、無言でミネラルの両脇を抱える。
 その魔導士たち、氷のように冷たかった。
 だがそれに驚く間もなく、ヴェーベルンが黒い儀式用のナイフをとりだして、
 「な……何を……!」
 無言で、ミネラルの上着へ手をかけ、ナイフで裂きだした。
 「や、やッ……な、何ッ……」
 そして、引き裂き、剥ぎとって、すっかり胸を曝した。
 さすがに驚いたが、そこはミネラル、
 「……な、何しやがる、この変態!」
 「プ……ちッちゃ……」
 「な、て……てめえ!!」
 「言ってはいけなかった?」
 「す、少しばかりでかい……」
 「種を植えるの」
 「……う?」
 「玉の種よ
 「……!」
 「種は、心を吸って大きくなる。……魔力も神聖力も関係ない……魂魄……人の魂……精神をたべて玉は大きくなる。フフ……あなた、憎しみと虚無で心が満ちている……純粋に。玉が育つには充分。……そして玉は宿主をつきやぶって発現する。……〈魔力玉〉になるのは、魔術でそれを行っているからにすぎない……」
 「ま……魔術……で……?」
 「……魔術で」
 「じゃ……神聖呪法でも?」
 「聖力玉になるでしょうね。成功すればの話だけれど。……勘がいいのね、あなた。……ウガマールでも、その玉の製造をめぐって、たくさんの少女が、聖殿の奥で、極秘裏の内に実験に使われたの」
 「……なんですって?」
 「いつかヴィリーに教えてあげるの。……その事実を知ったら、さしものあの人も、神と聖導皇家、それを護る神聖国家に絶望し、魔導側に来るでしょうから。最強の魔導騎士の誕生よ。……いま教えても、きっと信じない。だから、いつか……うふふ……」
 「……ウガマールでも……玉の実験を?」
 「もう行われていないでしょう、たぶん。あたしが国を出るときに、実勢施設と文献をすべて焼き払ってやったもの。……でも、これまでに、数千人は殺されてる」
 「す、数せ……!?」
 「過去、八百年間にね」
 「は……うそいいなさい」
 「うそじゃない!」
 「そんなに長い期間、連続して人が行方不明になったら、いくらウガマールでも……」
 「バーカ」
 「……なによ」
 「知らないの? ウガマールには、世界中から信者が巡礼に訪れるのを。……その中の一人や二人がいなくなったって……大神殿本院に仕える事になったとか、巫女として選ばれたとか……いくらでも理由は……」
 「……」
 「なかなかでしょ? あの国も」
 「そ……それで……」
 「実験結果? ……ぜーんぶ、失敗。ムダ死に。……どう? あたしの成し遂げた事が、いかに偉大で、効率的で優秀なことか、分かるでしょう?」
 ミネラル、絶句。
 絶句するほかはあるまい。
 「さあ……あなたの心、どんな玉ができるでしょうね……」
 「う……や……やめろ……」
 「十三コ目の玉……フフ、フフフフ!!」

 「……貴様がここを使おうとは……」
 司祭の一人が、怒りでうち震えながらつぶやいた。
 サーランシャ大神殿・大聖堂。神官長しかここで儀式を執り行うことは許されていない。
 「……その神官長……ご無事なのだろうな……」
 「ふん……療養しておられる」
 「幽閉の間ちがいではあるまいな」
 「やかましい!! 貴様にそのような事を問う資格は無いッ!!」
 どのような手段でフルトにこの部屋を使わせるようにしたのか。ベームの手腕は想像を絶した。
 しかし、単純に金に物を言わせたとセルジュは看ていた。それは正解で、なんと20万セレムもの寄進とひきかえに、夜中の一刻間だけ、使用許可が下りたのだ。
 「さっさとしろッ……他に知られたら事だ……ッ」
 「……」
 フルト、侮蔑の眼差しでその司祭をみた。この司祭にも、個人的にかなりの〔御報謝〕が入っている。
 儀式自体は簡素なもので、すぐに終わった。
 「……久しぶりにこの呪法を使った……」
 「……はぐれた主人を探す、戦場における聖導騎士専門の呪法……か。なぜ、今まで使わなかったんだ」
 「あんなヤツは主じゃないっ!!」
 「それは詭弁だ……」
 「うるさい、黙れ!」
 「いいか……お前のそのくだらないこだわりと迷いが、玉による人々の犠牲を生んだ。……そうは思わないのか」
 「もういい! ……来て悪かった」
 「帰るのか」
 「ああ」
 「……あの方を救えるのは……お前だけだ。フルトヴェングラー、頑張ってくれ」
 「え……」
 もう、司祭は振り返って歩いている。
 フルト、短く神に祈った。
 そして、もう一つの頼み事とは。
 「お……おお……!」
 事務所に届けられた、ひと振の大剣。
 それは白銀に輝き、フルトが愛用している鍛冶屋ヴァント特製の鋼の大剣とまるで瓜二つの代物で、ただちがうのは剣身の材質と、柄に刻まれたフルトヴェングラー家の紋章。
 聖導騎士フルトヴェングラー家秘蔵、ジギ・タリス90%の聖剣〔銀の鷲爪〕である。
 御家とり潰しに伴う財産処分の際に、故あって、ここカルパスの某大物貴族院議員に購入された。
 ベームは、その議員より、
 「……三日の間だけ、お借りすることができました……」
 「か……かたじけない……」
 フルトは泪ぐんでいる。セルジュも、目に熱い物をうかべていた。
 わが分身と、一年ぶりの対面だ。
 そしていつか買い戻さんと、死に物ぐるいで金を貯めているのが、これである。
 賃料はちなみに5万セレム。
 もちろんベームが負担した。
 「……卿、これで、お嬢様を……」
 「三日あれば、充分すぎる」
 「で、では……」
 「先ほど、場所も分かった。……出陣だ」
 「わ、我らも、お供致しましょう」
 「たのむ」
 布へ大剣を包み、ハイゼルヴェンの諜報部隊を引き連れ、フルト、闇に包まれた。
 時刻は、ちょうど八つ(午前一時)を回ったころであった。砂漠の夜は明け方ともなると氷が張るほどに冷えこむ。夜半はまだ、涼しい程度だ。その冷えはじめた空気を肌に感じながら、一行は、闇の中を走った。
 その白銀の騎士一党の後ろに、漆黒の傭兵も、ひそやかに、いた。

         4

 二番街・カルパス貴族や各国公使、大商人などの豪邸がこれでもかと建ち並ぶバンディル通り。その最もはずれの、市街地より遥か遠い閑静な丘の一角に、その屋敷は、あった。敷地面積はさほどではないが、水が涌き、庭はオアシスとなっている。暑さにも寒さにも強いたくさんの砂漠植物が、雨期による水でジャングルのように緑を繁らせ、花を咲かせていた。いまは宵闇の中に無数の蛍が舞い、カエルや虫たちの大合唱。
 そしてなにより、この屋敷にはフクロウがたくさんいた。
 カエルや虫、それを狙うコウモリ等を思う存分に食べ、子育てに忙しい。
 こんな所へ、大魔導オーレリア・フォン・ヴェーベルン・メル・ガルマスは、公然と暮らしていた。
 ここいらは、都市警護騎士といえど立ち入るのに許可のいる場所だから、退治屋ふぜいのフルトが通常の探索で分からなかったのも無理は無い。
 屋敷は三階建てで、部屋数も二十程度と、バンディル通りにあっては小規模で控えめなものだ。ただし、屋上には水が引かれ、空中庭園となって鳥たちの楽園と化している。
 その屋敷の地下に、魔導の実験室はあった。
 術を終えたヴェーベルン、夜風へあたるため、外にでた。
 ヴェーベルンは、夜にこの庭で蛍を愛でるのが、なによりの楽しみなのだ。
 と、配下の魔導士が、音もなく近づき、
 「……閣下……」
 魔導士はそしてヴェーベルンへ耳打ちし、
 「……ヴィリーが? 大神殿へ?」
 「は、はい……しかし、さすがに、あの中だけは入ることができません……」
 「それで、いま、彼はどこに?」
 「そ、それは……」
 もう、短く呪文が唱えられ、
 「あ……あ……おゆる……!!」
 見る間に、魔導士は緑色のバッタと化してしまった。そしてすかさず、ヴェーベルンと同じ金色の目をした小さなフクロウが飛来し、それを捕らえ、闇に消えた。
 「彼……ここに来る。きっと……あの呪文を使ったわ……フフ……」
 そう言ってしかし、瞳は憎悪に燃え、牙を鳴らして無理に笑顔を作る。
 「決着をつけようと……? 洒落くさい」
 そのとたん、正門に轟音。
 見ると、紅蓮の炎がゆっくりと立ちあがり、黒煙がそれを追う。
 フルトの攻撃だ。
 さらに音をたてて夜空に上がる光球の数々。
 司祭が得意とする、照明の呪文である。
 庭が昼間のごとく照らされた。
 「……こういう時は派手だこと!」
 ヴェーベルン、忙しく指示をとばし、
 「……庭にいれるな! この庭を破壊させるな、死守しろ! 正門へ回れ! いかに屈強の聖戦士とはいえ、相手は一人だ、恐れるな、立ち向かえ!」
 しかし、フルトへハイゼルヴェンの諜報部隊がつきそっている事を、彼女は知らない。
 ましてや、
 「……うおおおッ!!」
 聖剣〔銀の鷲爪〕が再びフルトの手にあるとは、夢にも思わぬ。
 紅蓮の炎が夜空を焦がす。いちいち呪文を唱えるまでもない。神聖力をこめるだけで、剣は燃えだし、これまでとは比較にならぬほどの聖なる火炎が吹き上がる。
 「ぎゃあッ……!!」
 屋敷を警護する、魔法により強化改造された魔導戦士たちが、次々に炎にくるまれ、胴斬りにされ、倒れ伏す。
 「ひるむでない!」
 隊長の命令で五人がいっせいにジギ・タリス30%の魔剣をふりかざし、せまった。
 「オレをなめてんのか!?」
 フルトは大きく踏みこんで迎えうち、後の先にて聖大剣を横薙ぎに振った。
 だが敵も、瞬時の機でその攻撃をかわした。フルトは勢い余って背中を向けた。
 「……いまだ!」
 再び迫る五人。
 その時には、一回転したフルトが、遠心力によりさらに攻撃力を増した二撃めをぶちかましている。
 強烈な真空帯が炎をまとって渦巻き、五人は瞬時に鎧ごとバラバラにされた。
 「よッしゃあ!!」
 「この……怪物めが!」
 「大魔導はどこだ!!」
 「奥へはいかせん……出合え、出合え!!」
 さらに戦士や魔導士が現れる。この屋敷のどこにこれだけの人間がいたかと思われるほどの数だ。
 フルトは鼻を鳴らし、
 「……魔導の者に容赦はない……くーッ、は、はァ……カルパスに来て、最大最高の大退治だ……こりゃ胃も一気に治るって!」
 嬉々として、聖典の文句を唱え、
 「どおりぁあああ!!」
 怒濤に振りかざされるウガマールの秘剣。一撃で炎を呼び、二撃で真空、三撃めは衝撃波、四撃で光を発する。
 聖剣〔銀の鷲爪〕。
 神聖国家へ服(まつろ)わぬ者をことごとく駆逐するために生まれた、マーラーの〔死の舞踏〕に匹敵する狂剣だ。
 フルトの気合声が一つ上がるごとに、死体が四つは転がった。
 彼の進んだ後は、文字どおり、
 「死屍累々……」
 の様相である。
 焼かれ、抉られ、斬り刻まれ、焦がされた肉片で、足のふみ場もない。
 魔導戦士を率いる中年の戦士隊長、精悍な顔を恐怖に引きつらせ、
 「……術士、援護だ、ま、魔術を!」
 それは、巨人の力を宿したり、野獣の敏捷性、もしくは鋼鉄の防御力を一時的に与える戦闘時のサポート呪文である。数人の勇気ある魔導士がそれへ応え、参戦した。残りはみな、もはや遠巻きにただ戦いを見守るだけだ。単純に手を出せないのもあるが、逃げださないのは、戦線離脱の後に待っているのは大魔導による死の制裁のみだからである。
 「……させるかッ」
 フルト、大剣を掲げた。
 刹那、猛烈なストロボ発光のように光が幾重にも炸裂し、魔導戦士たちの目をくらませた。その間にも何人かの戦士が地面に叩き伏せられたが、
 「…ああッ!!」
 前へ出た魔導士がみな、閃光に焼かれ、焼死体のごとく無残な姿となって転がっている。
 震えながら、戦士隊長、
 「……バ、ババ、バケモノか、貴様……」
 フルトは楽しそうに、
 「お前らにとっては、そうかもな。オレを誰だと? ……神聖国家ウガマール筆頭聖導騎士隊長にして、グロス=ガルマス聖導皇家近衛十字騎士隊長……ヴィルヘルム・フルトヴェングラーだ。天敵だよ。お前らの
 「……元、でしょ?」
 焦燥とした場が、一気に氷に包まれたように緊張した。
 ついに、
 「……ご登場……か……」
 魔導戦士や魔導士たちが、いっせいにその場へひれ伏した。
 それらを見もせずに、ヴェーベルン、酔っぱらっているみたいに軽く揺れながら、
 「ふふ……うふふ、楽しそうね。ヴィリー、あたしもまぜて」
 「……少し、痩せたか?」
 「誰かさんに、ふられたから……」
 「そんなことより、オーリィ、なんだ、そのはしたない格好は! 踊り子だぞ、まるで、鏡をみてみろ!」
 「ぷッ……」
 ひとしきり笑った後、ヴェーベルンはわざと胸を抱え上げ、
 「また抱きたくなって? お義兄さま」
 「なにィ?」
 「無理する事ないのよー。フフッ、ウフフフフッ……」
 「……」
 きょとんとして、フルト、
 「お前……もしかして……〈別身〉か?」
 「!」
 「そうか……やけに躁(ハイ)だと思ったら……。だとしたら、お前に勝ち目はないぞ」
 「アハーッ、ハハハハ……!」
 もうヴェーベルン、ひるがえって脱兎のごとく走り出している。足元に光の板が出現し、それへ乗って滑るように地面を走った。
 同時に呪文。
 「そいつらと遊んでいて、お義兄さま!」
 なんと、いままで倒した敵の死体が、残らず起き出した。バラバラにされた死体までもが、それぞれくっつきあい、融合し、異形の怪物となって復活した。
 さらに、生き残っている戦士や魔導士たち、
 「げふ…ァッ……!!」
 大魔導の放った、純粋な魔力の塊による無数の矢に撃たれ、一気に全滅。その死体も、たちまち動きだす。
 「チッ……」
 舌を鳴らしてフルト、
 「もう一回、同じ数を相手にしろってか……いい趣味してるぜ、わが愛しの義妹は!」
 聖大剣が唸りをあげた。
 吹き上がる光炎。
 (……しかし……オレの感じた相手が〈別身〉だった……とは……?)
 〔別身〕の魔術は、分身よりさらに高度で難度な、大魔導級の者のみが扱う魔術の一種だ。ようするに魔力により、クローン人間にも似た、もう一人の実在する己を造り、遠くよりそれを精神感応で操作する。究極の影武者魔法だが、別人を造る事も可能。
 しかし、大魔力の大半以上を別身の維持にあてているため、他の術の威力は落ちるし、精神を飛ばしてしまうため、どうしても夢見心地のような感覚で、酔っぱらってしまうといった副作用がある。
 (ならば本体は……どこに……?)
 大剣を振りかざしながら、フルト、深く思考をめぐらせた。
                 
 さて……もう、お分かりの事と思うが、フルトは、陽動である。
 フルトが表で戦士や魔導士たちと派手に立ち回っている間に、ベームとその配下八人は屋敷深く進入し、ミネラルを探していた。
 また彼らもコマンド戦闘のプロである。屋敷へ残る一人、二人の魔導士など敵ではない。
 いまも一人、背後より忍びよって首に細い縄を回し、物をいわせる間もなく締め殺した。
 魔術さえ使わせなければ、いかに魔導士といえども、ただの人なのだ。
 「……いません、大佐」
 三階の、宝物庫であった。
 「……残るは、もしや地下か……?」
 ベームの勘は正しい。
 「どこかに秘密の出入口があるはずだ」
 転がる死体を見下ろし、隊員、
 「殺さずに、泥を吐かせれば良かったですかね……」
 「いや、魔導士の言うことなど、信じるわけにはいかん。……探そう」
 と、一人の隊員が駆けて来て、報告をした。
 「……でかした!」
 その秘密の出入口を、発見したのである。

 「おじょ……」
 階段から続く廊下の途中の部屋に、灯がともっていた。ドアが開いているのだ。
 ベームたち、凍りつく。
 その開いた入り口を遮るように、
 「……マーラー……!!」
 「よお」
 「き……きさ……」
 さしものベームとて、これでは手がだせぬ。
 「……赤毛のお嬢さんは、奥に寝てるぜ。縛られてね」
 「……ご無事なのだな!!」
 「さあ……」
 「く……」
 だが次の瞬間、
 「……ああう……ッ!」
 ベームら九人、たちまち麻痺し、崩れ落ちた。
 「……あ、あんた」
 「あら、傭兵さん」
 ヴェーベルンが戻ってきたのだ。
 マーラーは、こんなに早くヴェーベルンと遭遇するとは思ってもいなかったため、困惑の混じった中途半端な笑いをうかべ、
 「ち、ちょうどいい、あんたに話が……」
 「ストアリアには行かないわよ」
 「……は?」
 「あの国はだいッ嫌い!」
 「む……」
 「……正確には、テンシュテットが、死ぬほど嫌い!」
 「………」
 「聖導皇家の裏切り者……ストアリア救国の英雄……裏切りは、人の事は言えないけれど……あの偽善者面にはヘドが出る! 伝説の聖女は、とんだ売女!」
 「……な……」
 「え? なんですって?」
 マーラーの様子が変だ。突如、吹き上がるような殺気と狂気。目を見開き、わなわなと震えながら、
 「おれの先祖を……侮辱するな……」
 「アーハハーッ、そうね、その魔剣と草色の瞳! 呪われた血筋がまだ残っている!」
 ゴッ。
 マーラーの突進した音だ。
 後ろの壁に叩きつけられたヴェーベルンの細い首からふくよかな胸にかけて、黒剣の刃がくいこんでいる。
 「あ……はや……すぎ……」
 「ソエリァアア!!」
 そのまま、マーラーは引き斬りに倒した。
 天井まで飛ぶ血しぶき。
 だがヴェーベルンの身体は、溶ろけるように空へ消えてしまった。
 「……〈別身〉……!!」
 驚くマーラー。
 「……」
 ちょうど、全ての〔動く死体〕を完膚なきまでに叩きつぶしたフルトも、来たところだ。

 マーラーは無言で、ヴェーベルンの執務室で待っていた。奥の部屋にはフルト。実験台の上に、ミネラルが大の字に縛されている。
 全裸。
 「バ……バカ、バカ、見るな!!」
 しかしかまわずフルト、呪文を唱え、強大な神聖力を右手へ集中。ミネラルの胸へかざした。
 「……ガマンしろ……」
 そのまま、掌を胸に当てる。
 「ぎゃあッ……!」
 「ガマンだ、ミネラル!」
 神聖力がはじけ、衝撃にミネラルの細い身体が揺れた。そしてなんと、フルトの右手がミネラルの身体へ沈んでゆく。
 「あ……ああ……ッ」
 「う……」
 「あ……みッ……みるな、みるな! 心をのぞくな!! み……みるなッてんだ!! バカ、バカバカ!!」
 「……ッ」
 目をつむり、さらに気合を入れ、フルト、
 「む……これか……」
 何かをつかむや、一気に引き抜いた。
 どうやら、種の摘出に成功した
 「ふう……」
 ミネラルは、歯をくいしばって泪に耐えている。
 フルト、枷を切り、自らの上着をかけてやった。
 「……」
 無言。
 フルトに肩を支えられ、ミネラルは泣きながら部屋を出た。
 それを見届け、マーラー、
 「……終わったか」
 「ああ」
 「それより、これを見ろ、フルト。玉が十二個もある。……山分けで、どうだ?」
 「……どこに、玉がある?」
 「……え?」
 棚を見てマーラー、
 「あ……な……無い、無い! た、確かにさっきまであったのに……無いッ! 魔力玉が、まるで無い!!」
 フルトは苦笑した。
 ヴェーベルンの魔術は、こういう所で効く。
 とたんにマーラー、癇癪が大爆発。
 「……あああの野郎ッ、野郎、野郎ッ!!」
 魔剣をそこら中の棚、机、箱、台などに叩きつけ、延々とわめきだした。
 「こ、ここッ、こうなればッ、フルト、お、お前だけでも、殺し、てや……」
 しかし、もう、フルトも、ベームたちも、跡形もない。
 「……!!」
 地下に、雷が鳴りわたる。

          ○

 もう、明け方ちかい。
 バンディル通りは、刺すような冷気に包まれていた。
 まだ麻痺が完全には治らず、互いに支えあって、ベームたちが歩いている。
 その前を、上着をはおったミネラルを背負いながら、腰に無理やり結んだ聖剣をひきずって、とぼとぼと進むフルトがいた。
 ミネラルはもう、泣いてはいない。
 ジッと、フルトの広い背中に顔をつけていた。
 暁闇が、紙を剥ぐように白んでゆく。
 「ねえ……」
 救い出されてより、はじめて、ミネラルが物を言った。体を直して、フルトの耳へ唇をつけ、白い息を吐きながら、ささやくように、
 「……みたでしょ……」
 「……」
 「答えてよ」
 「……何を……?」
 「バカ……」
 ミネラル、ぎゅっとその手足でフルトの首や腰を締め、
 「ちょっと、おしりが寒いのだけれど」
 「う……」
 自らの上着一枚を通して感じるミネラルの柔肌に、フルトも、思わず動揺し、
 「そ……そんなにくっつくな」
 「恥ずかしい?」
 「む……」
 「ねえ、ねえねえ、恥ずかしい?」
 「うるさい、寒いのはガマンしろ。……もうすぐ、セルジュの待っている場所に着く。そうしたら……輿を呼んでやる」
 「……ちょっと、何言ってるの、こんなかっこうで輿に乗ったら、見せ物じゃない!」
 「あ……そ、そうか」
 「まったく……信じられない……あなた」
 「……そう?」
 「ヘンな人……少なくとも、私が会ったどんな貴族より、ヘンな人よ。ふ、ふふ……」
 「何がおかしい?」
 「なんでもないわ」
 しかし、ミネラルは転げるように、笑いだした。
 ベームも、思わず目を上げる。
 「ミ……ミネラル……」
 静寂の通りに響きわたる、高らかな哄笑。
 あまりにミネラルが笑って身体をよじらすものだから、フルト、
 「おい……おい、じっとしろ、落ちるぞ」
 「アハハハ……」
 「おい!」
 「アッ……」
 ミネラルは、豪快にひっくり返った。
 「あ、ばか……」
 地面に叩きつけられたミネラル、そのまま、白く輝く天空をみつめ、
 「……私、ハイゼルヴェンに帰りたくない……」
 起こそうとしたフルトが止まる。
 「……帰りたくないよ……」
 「……お前……」
 その、ミネラルの頬を、泪が伝った。
 妾腹……陰謀……特殊任務……母の死……宮殿……そして……魔導士……。
 先ほどの呪法により、その心と過去に触れてしまったフルト、沈黙するしかない。
 「フルト……玉なんか……みつからなければいい……ずっと……ずっとここにいたい……あなたといっしょに、ここで暮らしたいよ……」
 フルトは、ミネラルを抱き上げた。
 「人は……いつかは救われよう」
 「……それは、希望? 信仰?」
 「だな」
 「ぷーッ……」
 「……何がおかしい!?」
 「ちょっとあなた、本気でいってるの? この絶対拝金主義の街に一年も暮らして」
 「う……?」
 「ふふ……でも……そんなあなた、興味あるわ」
 「……」
 「泣き言はおしまい。玉も大魔導も逃してしまったけれど……まだ、チャンスはある」
 「……そうだな」
 「明日から、次の仕事よ、フルト」
 「明日から……」
 フルト、唖然。
 「……少しは休めよ」
 「休んだら思い出すの……公宮での事……あの毒蛇の巣での地獄の日々を……」
 「……そうか……」
 「まだ、つきあってくれる? 玉探しに」
 「金さえ、いただければな」
 「分かってるじゃない」
 そしてミネラル、
 「とりあえず、今回のお礼」
 フルトへ、軽く、口づけをした。
 「む……」
 フルトは、柄にもなく耳まで赤くなった。
 「あ……もしかして、私に気がある?」
 「ばかいえ」
 「でもダメよ。私とあなたじゃ、身分も立場もちがうもの」
 「そうだ……な……」
 フルトの苦い笑い。身分と立場を越えた禁じられた恋など、とうに経験ずみである。
 「ねえ……私を助けて、いくら出るのよ」
 「……」
 「うそ……そんなに……?」
 「それだけ、お前は皆に大事にされているということだ」
 「ふうん……でも、それ、本国から出るわけじゃないのよ……」
 「そ……うなのか?」
 「でも、良かったわ。セルジュも、喜んだでしょうに。なにより……あなたの胃が、これですっかり治るのではなくって?」
 「いや……まだ、それが、半分なんだ」
 ミネラル、引きずられて道に跡をつける白銀の聖剣を見下ろし、
 「100万……その大剣が」
 「ああ」
 「バカね。このまま、黙って取り戻してしまえばいいじゃない」
 「ヴァントと同じ事を言うなよ」
 「ま……そこが、あなたがあなたである所以なのでしょうけど……」
 そしてミネラル、抱かれる腕の中より、ジッとフルトを見上げ、
 「……あなた、これから、どうするの?」
 「……え?」
 「玉を探して……お金をためて、その聖剣を取り戻して……大魔導を倒して……」
 「そうだ」
 「うそ」
 「……なにが」
 「顔に書いてある。……あなた、あの人がまだ忘れられないんでしょう? ……いつか……神聖国家は無理にしても……共にまた暮らせる日を……望んで……」
 「そ……そんな事……!」
 「隠してもダメよ。認めなさい」
 「……あー……うん」
 「素直だこと!」
 ミネラル、そしてため息と共に、
 「……あーあ、うらやましい。遠く離れても、いがみ合っても……つながる心……か」
 「そ、そんな……」
 「うるさい。だまれ」
 「……わかったよ」
 と、夜が明けた。
 まぶしく輝く朝日の美しさに、
 「………」
 二人、しばし佇む。
 その上を、金の目をした何羽ものフクロウが、音もなく飛んでいったのである。

                  終

        



 六方剣撃録