第4交響曲


 初演が作曲者の手によって封印されてより長く幻の音楽だったが、雪解けの影響下、コンドラシンの手で復活。しかし、それでも、その難解さと長さによってずっとマニア曲だった。が、いまではショスタコーヴィチ最高傑作との呼び声も高い。じっさい、8番などより、録音も多い様な気がする。確かに私もとても好きなのだが、若書きのムダな部分もけっこうあって、まあ最高傑作かどうかは人それぞれといったところだろう。 


 ロジェストヴェンスキー/ソビエト国立文化省響
 コンドラシン/シュターツカペレドレスデン(モスクワフィル)
 ゲルギエフ/キーロフ管
 芥川也寸志/新交響楽団
 ハイティンク/ロンドンフィル


 録音はそれなりに多いがロクな演奏が無い。それだけ、この交響曲は難しい。テクニック的な要素だけではなく、内容的にも、料理しにくいのだろうと思う。超1流指揮者の手によっても、飽きてしまう。(具体的にどうにも聴き続けられないものとしては、ラトル、チョン、インバルなどがある。この音楽の響きを、上手に鳴らせていない。もちろん、技術的には、バーミンガム市響、フィラデルフィア管、ウィーン響など1流オーケストラによるものなので、問題はないのだが……。録音にも問題があるのだと思う。)

 この4番を、他のショスタコーヴィチの交響曲と同じく一編のドラマとして演奏できるのならば、それは面白いものとなる。そう、ショスタコーヴィチの交響曲は、1番から15番まで、すべて人間の持つ色々な面が嵐のような歴史に翻弄される姿のドラマツルギーを音で表現しているのではあるまいか。表面上がそうだからといって、無理に「純音楽」ととらえようとすると失敗するのかもしれない。
 
 では、4番においての音的ドラマをどのように実現するかだが、とにかく支離滅裂的なまでにバラバラな楽想のすべてを、平均化して鳴らすのではなく、その1つ1つに独立性を持たせ、価値を認め、個性を出し、なおかつ、交響曲としてつながりのある1個にまとめあげるという離れ業が必要なのです。

 とはいえ、表題も歌詞もおそらくイデーも存在しないこの交響曲が、ショスタコーヴィチの中で最も「純音楽的」なのも事実。さ、どのように解釈するか……。


 というわけで、もっともドラマとして成功しているのはロジェストヴェンスキーだと思う。正規盤は録音が悪く、8番も良かったが挙げなかった。しかし4番は他に匹敵するものが無いので、挙げざるをえない。また、かれには海賊でキーロフ管とウィーンフィルを振ったものがあって、特にVPOのそれは驚天動地の4番だけれども、音がとても悪く、割れてモノラルに近いぐらい。したがってボリショイ劇場管が最高にすばらしいのだが、ここでは正規盤を優先しておく。
 
 特に1楽章は次から次へと楽想が溢れ出てきて、飽きない。飽きさせず演奏するのが大切なのだ。3楽章も、同じく。シリアスさの中にいきなり現れる妙なサーカスのワルツみたいな部分も不気味に強調されていてゲエッって感じ。3楽章は、無神経な指揮だと飽きますよ〜。

 2007年にBBCレジェンドから、ロンドン響に客演した時の模様がでた。これは西側初演らしく、客席にはショスタコ本人も臨席していたという。さすがロンドン響、さすがロジェヴェン。バキバキの音響に、ロジェヴェンでもっとも古い4番の録音ながら、音質はいちばんイイ(笑)ので、些少のズレなどおかまいなしにぐいぐいひっぱる。その面白さ。特にロジェヴェンの4番で特徴的なのは演出のうまさ、鳴らしのうまさ。4番の中のユーモアをすべて掬って、面白く鳴らして見せている。この人の4番は厭きない。 


 ここで初演者の演奏を聴いてみましょう。

 伝評によると、作曲者は信任厚いムラヴィンスキーに初演してほしかったのだが、頑固で変な気質の持ち主だったムラヴィンスキーは、ショスタコーヴィチとの関係は2人の出世作である5番以降で、4番は知らない、というような感覚を持っていたようで、それを気にした作曲者は「遠慮」していたという。そこで、コンドラシンから、初演の「申し出」があるまで、ムラヴィンスキーに「遠慮」して、誰にも演奏してくれと頼む事が無かった。
 
 コンドラシンのモスクワフィルの演奏はひとつのこの曲に対するひな型ではあるが、わたしが聴くに、まだどのように演奏して良いのか分からない未知の部分がある。しかし、全体的な迫力や集中力はさすがで、温故知新というべき演奏だろう。

 さて2006年にコンドラシンがシュターツカペレドレスデンのラジオ放送用音源で1963年のライヴ録音(?)したのがヘンシュラーより発売となった。これがまた、古いとはいえ、モスクワフィルより遙かに録音が良く、しかも異様な熱気。特に1楽章の弦楽フーガは鬼気せまるもので、ムラヴィンスキーが振ったらかくやと云わんばかり。弓から火が出ているのは間ちがいない。全体的に弦楽が良いが、管楽器もここぞというツボを外さない。打楽器のみ東ドイツのオケらしく、古くさい音が鳴っているがそれもまた時代を感じさせて非常に良い。


 ぞくぞくと新譜がでているゲルギーのシリーズは、録音の良さも含めて、どれもこれもはずれが無く、コンスタントにまとまっている嬉しさがある。

 この4番は特に出来物であり、ロジェストヴェンスキーの芸の細かさに、コンドラシンの迫力、そしてゲルギエフの節回しを加えたような、新録としては最高水準なのではないだろうか。店頭にある内に買うべし! 損はしません。トラックが曲想の変わり目で細かく別れているのも嬉しい。これで勉強しましょう。


 芥川也寸志と新交響楽団って、アマの演奏じゃないの? って、そうなんですよ。でもこれ、なんと日本初演なんです。しかも、若いときにソ連へ「密入国して」までも親交を結んだショスタコーヴィチは、芥川がもっとも尊敬する作曲家の1人だった。というわけで、ここにはどんな1流指揮者や演奏団体が商業的で演奏する音楽よりも共感と使命に満ち満ちたほんとうの「音楽」がある。
 
 下手だけど傾聴に値しましょう。


 ハイティンクの全集なんて、もう店頭に並んでいないような気がするけども、大曲はやっぱり聴きごたえがありますよ。衛星放送でベルリンフィルで4番を振ったときのやつを観た事があるけども、さすがにスコアを浮き彫りにした名演だった。演奏効果という点では、金管ブカブカのロンドンフィルのものがけっこう聴ける。(7番とか)
 
 ↑のベルリンフィルでの1997年ライヴが、CD−R盤ながら出たので聴いてみました。うーん、やはり最高の演奏。オケもうまいし、なにより西側の初の全集指揮者というだけあって解釈にブレが無く、なによりソ連指揮者にある泥臭い生々しいソ連の匂いが皆無。当たり前だけど……それが純粋な音響として、最高に結晶化している。最も純粋音楽的な4番だからこその成功かもしれないが、ここにはドラマとしてのそれではなく、純粋な音楽としての迫力がある。(シカゴ響は未聴)


PS

 ソ連へ演奏旅行したクレンペラーが作曲者よりピアノでこの曲を聴かされて意見を求められ、それを支持し、あまつさえ 「わしに初演させろ!」 とゴネタというのだが、諸々の事情でできなかった。録音がなされていたならば、人類の至宝がひとつ増えていただけに、ちょっと残念。
 





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