第6交響曲
ショスタコーヴィチの6番というのは、14番のようなマニアというほどでも無いが、マイナーにはちがいないという、なかなか中途半端な位置に立っていて、演奏時間も30分ほどであるし、内容もハデでもなく刺激的というほどでもなく弑逆的というほどでもなく……どうも印象に残らない音楽だ。
しかし1番から15番中、もしかしたら唯一といって良いほどの純音楽的器楽音楽であって、内容的にも、15曲の中で最も「交響曲然」とした曲かもしれない。人間ドラマでも歴史ドラまでもなく、まったくそういうのを内在的に奥底に秘めてしまったような、純粋な音楽然とした音楽。この6番はとにかくシリアスだと思われる。
同じ3楽章制でも、巨大でマーラー然とした4番と比べてあくまで新古典的であり、3・4・5をアタッカで演奏するとこれも3楽章風になる8番や9番を先取っているが、あれほど内に含んだものもない。あくまで音のみで勝負している節がある。例の、ドハデでやはりこれも色々と含んだところがあるような5番のすぐ後だというのも興味深い。変則的なのは各楽章の速度記号ぐらいだ。つまり第1楽章ラルゴ、第2楽章アレグロ、第3楽章プレストと、だんだん速くなる。こういう音楽は珍しい。日本でいうところの序破急の動きにも似ている。
さらに興味深いのは3楽章のプレストで、音形がそっくりそのまま芥川也寸志の音楽に登場して、芥川のショスタコーヴィチからの影響を分析できて面白い。(例:弦楽のためのトリプティークの3楽章や、交響曲第1番の4楽章など。)
そこらへんは、黛敏郎だって若いころはヴァレーズからそっくり影響を受けているから、たいした問題ではない。
6番は隠れたファンも多く、追求してみる甲斐のある音楽だろう。
ハイティンク/コンセルトヘボウ管弦楽団
バルシャイ/WDR交響楽団
ムラヴィンスキー/レニングラードフィル
コンドラシン/モスクワフィル
残念ながら、6番を単独で演奏するという指揮者も限られていて、しかも、なかなかカップリングも難しい。音楽的にはすばらしい物なので推薦するが、個人的によく聴くというわけではないことを告白する。たいへん恐縮だが、同じ顔ぶれだ。マニアックに探せば、もっと知らない人はいるだろうが、メジャーなところでは、こんなところで妥当かと思われる。上記のものだけでも間ちがいはないと思われる。
ハイティンクはとにかくシリアス、純粋音楽としてのアプローチが、時には物足りないナンバーもあるがこれはいい。古い演奏だが音質もいいし、なによりオケもうまい。1楽章の虚無感もいい。2楽章の透明感、堂々とした響き。3楽章の余裕ある表現もいい。貫祿ありすぎて、独特の明るさ、ギャグっぽい部分が足りないかも。
バルシャイは中でも最新に近いCDだし、録音も良い。なによりこの曲をずいぶんと幅広く、恰幅のある音楽に仕上げているのが凄いと思った。特に1楽章がいい。
ムラヴィンスキーは数種類、録音があるようなので、けっこう気に入っていた音楽なのだと思う。なにより、3楽章のプレストが、やたらと気合が入っていて、ちがう音楽の様に聴こえる。ちがうというのは、趣という意味。とりあえず、速すぎ。
コンドラシンはさすがの安定度で、特に弦楽が重要なこの交響曲をすばらしい弦楽アンサンブルで支えている。全集の中に入っていて、分売もされているので、ぜひ試してみてほしい。
前のページへ
表紙へ