交響曲第8番


 ムラヴィンスキー/レニングラードフィル
 コンドラシン/モスクワフィル
 スヴェトラーノフ/ロンドン響
 ゲルギエフ/キーロフ管
 バルシャイ/WDR交響楽団

 番外 ザンデルリンク/ベルリンフィル
     ベルグルンド/ベルリンフィル


 ショスタコーヴィチをあまり評価しない人にとっては、彼はどの音楽も同じ作風であるというのが理由に挙げられるらしい。少なくとも、交響曲に限って云っても、そのようであると。天才なんてとんでもない、同じような音楽しか書けない単なる秀作家であると。
 
 しかし私に云わせれば、それをいっちゃあ、ハイドンだってモーツァルトだって、みんな同じ作風ですがな。

 それはさておき……。
  
 ショスタコーヴィチの交響曲で、どの曲が優れているとか、面白いとか、実はあまり意味がない。なぜなら、ほぼぜんぶ音楽の内的なパターンが異なるので(外的なパターンは、同じかもしれないが。)人によってどれが1番芸術的価値があろうが、面白かろうが、優れていようが、バラバラで正解だと思う。
 
 じゃー、こんな企画は意味がないぢゃないか! とおっしゃらずに。身も蓋もないですので……。

 それならば、じゃあ、私も九鬼流の毒断と変見で、ショスタコの交響曲世界をこれから深く歩こうかという方々に、いろいろショスタコーヴィチ鑑賞のための道しるべを示すのもまた一興。

 自分の好みを押しつけてはならない? 

 好みではありません。

 信念のおしつけです。(もっと質がワルイ)

 長々と前置きがありましたが、歴史的意義、芸術的価値、歴史ドラマ、人間ドラマ、音響的面白さ、音楽的深さ、ショスタコらしさ、全てをとって、ダントツ推薦ナンバーワン!!
 

 第8交響曲をお聴きください。


 8番は独ソ攻防戦のさなか、かのレニングラード包囲戦でドイツ軍が敗退し、ソ連軍の一大反撃が始まったころに作曲が成されたとされる。なのに、この悲壮な暗さはなんじゃらホイと、またまたやり玉に挙げられたという経緯がある。
 
 その経緯や意味するところは、音楽を聴くことのみによってそれぞれ聴き手が判断するしかないだろう。
 
 初演はムラヴィンスキー。献呈もまた、ムラヴィンスキー。それでは、まず最初に聴いてみるのは、けっこう意味があるのではないか。

 しかし、ムラヴィンスキーのスゴイところは、ただ単に初演しただけではなく、初演からいきなり、完全に自分の音楽として消化して、咀嚼して、形は替えずとも質を変えて放出しているところにある。どうせ世界で初めて演奏するのだから、自分流に解釈するしかないという意味か。しかも、その方法論が、確固たる鋼鉄の意志をもって、磐石の決意をもって、微塵も揺るがず、執念にも似た信念をもって、どの録音でも透徹されている。それはとても凄いことだと思う。
 
 ムラヴィンスキーはショスタコーヴィチにかぎらず、どの作家の曲でも(ドイツ音楽でも。)そういう要素があるため、一概にショスタコだけを特別視しているように書くのは問題だが、ほんとうだからしょうがない。また、それは8番にかぎらず彼の指揮する全ショスタコ交響曲で云えるので、以降、何度も上位に食い込んでくると、ここで宣言しておく。 
 
 冒頭の深い響き、悲鳴のような弦楽、管楽。アレグロになってよりの急進力、狂乱の部分のストレートな狂乱さ、そしてなにより集中力。それが、どちらかというと熱いというよりクールなのがムラヴィンスキーの面白い部分。

 1楽章のみで全曲の半分近くを占めるため、バランス的にどうかという意見もあるだろうが、それをカバーするのが、指揮者の腕の見せ所。おそるべく深い一編のドラマが、ここにあるのを聴いてみてほしい。

 2楽章の奮然たる雰囲気は戦争に対する憤りか。この交響曲の最大の聴きどころが3楽章からの半分で、2楽章は転換点とも云える。

 この3楽章は、人によってはなんでこんなにハデで馬鹿騒ぎで、ちゃらんぽらんで、不思議に思うかもしれないが、私はどうしても、逃げるドイツ軍と追う赤軍、ウラルの平原を横列行進するT型戦車、炸裂する砲弾(ティンパニ)撃ちまくる銃撃(スネアドラム)としか思えねー。トランペットの勇ましいファンファーレは、すぐにふざけた様な音形となる。これは、そんな大戦争の情景を、愚かな戦争としてこき下ろしているとしか思えない。

 ムラヴィンスキーの鋭くえぐる、シャープな演奏は、この、戦争の情景を最高に描写している音楽へ、最高の価値を与えている。
 
 4楽章の、無常観たるや、平家物語の精神へ通じる。
 
 5楽章のみ、ムラヴィンスキーはクールに進み過ぎてちょっと物足りないが、逆にそれが、祭典のあとに襲ってくる恐怖、衝撃が際立って、あなおそろしや。
 
 最初っからこんなカミサマ演奏があるのだから、罪な曲ではある。誰も手が出せないじゃないか。


 東正横綱ムラヴィンスキーと双璧を成すのが、ショスタコーヴィチ演奏の西の横綱、コンドラーシン。何曲かは、彼も初演を担っている。また初のショスタコーヴィチ交響曲全集を敢行したのも彼である。

 コンドラシンの演奏は、同じように集中力に満ち満ちているものだが、より情熱的で、激情的な解釈であり、クールなムラヴィンスキーに比べるとホットなコンドラシンと云えるだろう。しかも、かなり熱い。彼の演奏もタイプや規範として非常に重要なので、今後、何度も登場してくる。
 
 何種類かあるが、いつも何をそんなに躍起になっているのか、心臓に悪くないのか、心配になる。結果として、この人は急性心不全で死んでしまったので、寿命を削ってこのような激しい音楽をしていたとしか思えぬ。そういう演奏は、傾聴に値しよう。
 
 しかし、ただ、眼を血走らせてウガーッ!! という音楽なのかというと、そういうふうにしか聴けない人もいるだろうが、なかなか、どうして、劇的というのが正しい。非常に爆発的な部分と、静かに練り込んだ部分、よく考えられている。うまい演出だ。
 
 来日ライヴ演奏が日本で手軽に入手できる最右翼のもので、ちょっとクセがあり音質も中程度だが、特に3楽章の鬼気せまる迫力たるや、異常なほど。戦争音楽とはこういうものなのだろうか。ティンパニは爆撃だ。スネアドラムは銃撃だ。これが日本初演だというが、こんな演奏を聴かされた当時の日本人は、呆然としたのではないか。(いまの日本人の私は、愕然とした。)

 1楽章の深みはやはり他の追随を許さないし、2、3楽章の迫力、4楽章の慟哭もなによりだが、コンドラシンで驚いたのは、5楽章の哀しさ。この、最初のフレーズの、なんという哀しさなのか。笑いながら泣いている。そして、最後の、戦慄。恐怖。今交響曲が人間感情という存在の根源をえぐる、最高の芸術作品であるということを知らしめてくていれる。

 他には、旧メロディアの正規盤と、ICONレーベルからはチェコでのライヴ録音がある。どれもこれも、ショスタコーヴィチの、8番のファンは押さえておきたい。(他にもあるかもしれない。)


 東西正横綱のムラヴィンスキーとコンドラシンに続く大関クラスは、やはりこの人しかいなかった!!

 スヴェトラーノフ!!

 ロンドン響との客演ながら、秘蔵の音源がBBCレーベルより出現!

 客演だからか、録音のせいか、3楽章の爆発や炸裂なども、上記2者に劣るが、1楽章の異様なほどの凝縮力と遅いテンポや、絶叫する金管は見事というほかは無い。

 2楽章の粘っこさ、ラルゴのおどろおどろしさ、5楽章の説得力のあるもってゆきかた。

 7番のようにバカバカしく響くのではなく、9番のよう諧謔に満ちているでもない8番は、戦争3部作の中でもっとも真摯な音楽であるのだが、ムラヴィンスキーやコンドラーシンでは、迫力や狂気に負けて、そのへんが聴きとれない部分もあったかもしれない。

 スヴェトラーノフの、(客演のせいかもしれないが)思ったよりかは正攻法で、かつ、迫力にも集中力にも富んでいる演奏を聴いていただきたい。


 現役では、ゲルギエフがやはり凄い。シャイーがショスタコーヴィチを演奏しないのなら、残るのはこの人しかあるまい。
 
 現実問題、彼のショスタコ選集は、非常に出来が良く、アルバムを買う大きな楽しみだった。

 もちろんナンバーによって不満が無いわけではないのだが(5番とか)、ショスタコーヴィチという作曲家が既に前世紀の偉大な作曲家の1人という立場になってしまった以上、もはや同時代の音楽家としての迫力や共感を出せというほうが酷だし不自然で、あくまで、普遍的に演奏せざるをえぬ部分が出てくるのはとうぜん。そうすると、その中でも、ゲルギエフの時代とのシンクロは、未来的でありつつ懐古的であり、それはつまりロシア的でありつつソ連的であって、とても興味深い。この人も重要なショスタコ振りの1人であり、何曲も重要な演奏がある。

 某評論家がいう、ディフォルメがどうとかという問題は、気にする必要はない。ムラヴィンスキーやコンドラシンに比せば、このような崩しは、虚仮威しだ。


 次もロシア出身の指揮者となる。バルシャイ。

 つまり彼らはマーラーでいうところのワルターやクレンペラーに近い指揮者だといえる。

 ショスタコーヴィチはその意味で、なんだかんだ云っても、まだまだやはり「新しい」作曲家なのかもしれない。彼らのような直接、面識のあるような指揮者がいなくなって初めて、作曲家は独立するのかもしれない。

 8番はもともと録音の少ない曲種ではあるが、けっこう良いものがそろっているのが救いというか。中にはもちろん、音楽についていってない演奏もあるのだが、バルシャイはかなり健闘している。オーケストラのイザというときの鳴りがやはり残念な部分があるが、廉価で出ている全集の中ではピカイチ。

 けっきょく全員ロシア系になってしまった。


 番外で、CD-R盤を。なんとザンデルリンク/ベルリンフィル!! ベルリンフィルの8番って、なぜかCD-R盤しか聴いたことない。1997年のライヴ盤。録音もすごい良いもので、やっぱオケがいいっすねええ〜〜!! 表現も重厚かつ、大胆で、迫力もあり、すばらしい! 古いロシア系はどうしても録音がネックなので、ムラヴィンスキーのアシで、その語法もドイツ+ソ連というザンデルリンク(父)の棒の元、ベルリンフィルが存分に鳴らしているのが見事! いやこの純粋な音の迫力は、一聴の価値アリです!

 もう1枚、これもCD-R盤だが、なんとベルグルンド/ベルリンフィル!! 2001年のライヴ録音。シベリウス指揮者らしく最初はしっとりと美しい絃楽に始まるが、たっぷりとしたテンポでバッキバキに当曲の暴力性が暴かれてゆく! 特に、構造的にも弱くアッサリしてる5楽章がスゴイ! やっぱりこの曲は、よほどオーケストラがうまくないと、やはりよく鳴らないのだなあと感じ入る。





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