結 婚
これもまたマニアックですみません〜〜。
結婚はハルサイの次のバレー作品で、非常に珍しい。録音も少ない。けども、作品のもつ重要性や純粋な素晴らしさ・面白さを知っている指揮者は、さすがというか、アンセルメ、ブーレーズ、バーンスタイン、アンチェルと、ストラヴィンスキーに一家言ある人たちばかり。
1.ルイス/ムジークファブリック&RIAS室内合唱団他(SACD)
2.ブーレーズ/パリ・オペラ座管(打楽器) 他
3.アンチェル/チェコフィル打楽器セッション 他
4.ウッド/ニューロンドン室内アンサンブル&合唱団
5.バーンスタイン/イギリス・バッハ・フェスティバル打楽器アンサンブル 他
SACDの登場で、新録が非常に楽しみな時代になってきました。特にストラヴィンスキーのような精緻な音楽は、素晴らしい録音と音質が欠かせない。ルイスはテンポはかなり遅めで、勢いはないかもしれないが、ノリが悪くなっていないのが好印象で、ノリが良く、しっとりと、迫力もあり、なにより各種楽器と声の絡み合いが透けて見えるよう。素晴らしいです。
かつては、ブーレーズとアンチェルは同点1位でもかまわなく、どちらも、録音を除いては完璧です。ブーレーズはあくまで表現は厳しく、金属的に硬質で、アンチェルは同じ硬さでも高級木目の家具のような、ある種のシックさと香りをもっています。都会の結婚と、古い城下町の結婚。
ウッドのものは、テンポを遅めに、打楽器合奏の現代曲というより、もっと古典的な合唱曲として音楽を柔らかく扱っているように聴こえます。本当に田舎の結婚。バーンスタインはピアノにアルゲリッチとか使って豪勢だが、表現熱くるしく、リズム重し。南国の結婚。
さて、アンチェルやバーンスタインの演奏者を見てもわかるとおり、正確には管弦楽団のメンバーによる打楽器のアンサンブル。というのも、この音楽は打楽器アンサンブルと、4台のピアノと、合唱と独唱によって創られているからだ。もちろん、ブーレーズやアンセルメも、そう。
さいしょは、春の祭典級の超弩級管弦楽を想定して、それでオーケストレーションしていたらしいのだが、なんか考えが変わってきて(私が思うに、新古典主義に目覚めだして、簡潔・明瞭を旨とするのにそのような大管弦楽では具合が悪くなったのだろう。)
数度、オーケストレーションを焼き直して、できあがったら簡潔・明瞭を通り越して当時ではとても珍しい、むしろ異様と云える編成で仕上がった。
ディアギレフはしかし、この奇天烈な音楽をまずピアノパートで聴いて、ロシアの響きに懐かしくなって涙が出たという。
そのエピソードが語るように、旋律そのものは、火の鳥といっしょでロシア民謡に由来している(というかパクリ)ので、音楽としてはとても聴きやすい。
問題はやはりオーケストレーションと音楽そのものの「組み立て方」だろう。
バレー音楽というには際立ちすぎるデッドなリズム。
バレー音楽というには原色的すぎる色彩。
バレー音楽というには身近すぎるちっともファンタスティックじゃない題材。(とある田舎ムラの素朴なふつうの結婚の模様です。)
でも音楽「そのもの」は、とってもファンタスティックです。
声楽の特殊な表現方法もさることながら、打楽器好きとして注目したいのは、現代でも表現が至難な、本格的な打楽器アンサンブルでしょう。20世紀は打楽器の時代でしたが、その先駆けとなる重要な音楽です。
さらに、ピアノを打楽器パートとして扱っているのも注目。
ピアノは打弦楽器ですので、じつは打楽器の一種といってもいいのです。
ピアノを打楽器として扱うのは、ストラヴィンスキーあたりが最初じゃないかなあ。
彼にインスパイアされた若手が、戦後の前衛を担い、ピアノをガンガンぶっ叩いていた。(伊福部の「ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲」も、日本でピアノを打楽器として扱った最初期のものです。)
しかしストラヴィンスキーのえらくてすごい所は、ちゃんと「旋律のある打楽器」として扱っていたという点。(それを踏襲した伊福部の慧眼。)
鍵盤打楽器だと、どうしても2本もしくは特殊奏法で4本のマレットでか表現できないのだが、ピアノは10本の指だ。音色的な問題はさておき、単純に表現的な大きさの問題で、ピアノに分が有る。そいつを4台も使っている。
一昔前の前衛からゲンダイオンガクは解き放たれて、いままたピアノは美しく刺激的な楽器にもどっている。
それはストラヴィンスキーに帰っただけなのかもしれない。
録音は少ないけれど、探し出して楽しむに足る音楽だと思います。
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