ヤナーチェク(1854−1928)


 頻繁に聴く作曲家ではないが、その語法が面白い。発話旋律も面白いが、やはり独特のオーケストレーションがいい。室内楽においても実に不思議な響きを有しているが、やはりその妙味を味わうには管絃楽曲だ。しかし、作品リストを見てもそれほど多くない。


シンフォニエッタ(1926)

 1926年、晩年の大傑作で、「グラゴル・ミサ」 と双璧をなす、ヤナーチェクの代表作にして最高傑作。

 ヤナーチェクは管絃楽法が本当に独特で、特に当曲やミサではスカーンと異様に響く金管が面白さを倍増させている。その語法はきわめて近代的で、本来なら民謡風で田舎くさいはずの楽想を、一挙に近未来的なものにしている。どういう理論でそういうふうにしているのかは専門家ではないので分からないが、その旋律法と管絃楽法が妙味をもって一致している。

 シンフォニエッタはもともと、吹奏楽の野外演奏会を聴いていて冒頭のファンファーレを発想し、軍隊用作品として「軍隊シンフォニエッタ」としていたが、たまたまソコール体育大会のための大会ファンファーレの委嘱を受け、そのまま 大オーケストラのためのシンフォニエッタ というコンサート作品として仕上げた経緯がある。したがって、純粋な交響曲形式ではなく、自由な組曲風のもので、やや描写音楽的な要素も持っている。 

 各楽章には、副題があり、5楽章制。

 1.ファンファーレ
 2.城
 3.王妃の僧院
 4.街頭
 5.市役所

 通常の2管編成に別働隊として金管アンサンブルがつく。つまりオケ+ブラバン(金管バンド)のような特殊編成。別働隊は、C管トランペット9本、バストランペット2本、さらに、テナーチューバ(テノールホルン)2本。

 冒頭のファンファーレは、1度聴いたら忘れられないインパクトがあるだろう。通常、ファンファーレとは輝かしい、鋭く突き刺さるものだが、このシンフォニックファンファーレともいうべきものは、テナーチューバのやわらかく荘厳な響きに、ティンパニとバストランペットが完璧な合いの手を入れるや、トランペットが高音と低音で重層的に答えてゆき、音とリズムの階層を積み上げてゆく。最後に到り、天空へ突き抜ける燦然とした光の響きに帰結する。非常に近未来的でありつつ、どこか懐古的な、不思議な響きが聴くものの心をつかむ。

 城の情景では、なにやらおどろおどろしい雰囲気に、せわしなく動き回る人々のような雰囲気が面白い。やがて音楽はせわしさや、緊張感を増してゆき、それが一気に溶ける様な楽想になると、人々の安堵する顔が浮かぶ様である。しかしそれは冒頭の雰囲気に踊りながら交錯し、冒頭のめぐるましい楽想へ戻る。スケルツォに相当すると思われる。発話旋律も分かりやすい。

 王妃の僧院は緩徐楽章に相当し、ラヴェルあたりでも書きそうな、感傷的で瞑想的な旋律が流れる。後半では舞踏会となる。独特の金管の使い方がヤナーチェクだなあ、と思う。最後の映画のBGMのような激しい感じ(Prestissimoか)からの、冒頭へ戻って静かに消え入る様子も良い。

 街頭は、そうしたら、第2スケルツォに相当か。不思議な雰囲気で、やはりどこか緊迫感があり、警鐘のようなチャイム(ヤナーチェクの弟子バカラの弟子であるラドミル・エリシュカによると、ここはチューブラーベルではなくグロッケンが正統なのだそうである)やホルンに始まるシグナルが印象的だ。そのまま、唐突にアェチェレし、終わる。

 終曲にあたるだろう、市役所は、荘厳な市役所建物の外観を思い浮かべるような楽想よりはじまり、絃楽が主体の堂々としていつつも、どこかユーモアもある部分をへて、唐突にファンファーレも復活し、堂々と光り輝いて集結する。

 「ブラヴォー!」 金管がスカーンと鳴るオケによる演奏だったら、思わず飛び出すだろう。
 
 ううむ、名曲。


ドナウ交響曲(1923-28)

 カタログでヤナーチェクにドナウ交響曲なるものがあると知り、聴いてみたくなった。しかし、届いたCDはドナウ交響曲だが、ネットで調べると、これが、交響詩ドナウとなっているものもたくさんあった。

 ウィキペディアの作品表は交響詩ドナウで、しかも「未完」となっており、どっちなのかな、とか、そもそもどういう曲なんだと思い、調べてみたがあまり要を得ない。

 作品的には16分ほどの4部制で、これこそシンフォニエッタよりむしろいかにも小交響曲であるが、以下の情報が散見された。

 ・スメタナの我が祖国のように連作交響詩ドナウの第1曲目として構想されたが、未完に終わった
 ・交響詩ヴルタヴァ(モルダウ)のような情景描写音楽ではない
 ・インサロフ(本名ソーニャ・シュパーロヴァー)という若い女流詩人の、「ローラ」という詩による
 ・交響曲そのものが未完に終わったという話もあり、もっと続く予定であったものか、よく分からない
 
 この内容を鑑みると、事実上は交響詩といってもさしつかえないと思われる。

 しかし、ツイッターで日本ヤナーチェク友の会よりいただいた情報によると、「日本語訳で交響曲と交響詩と両方あるが、チェコスプラフォンのCDでもシンフォニーであり、現地では交響曲となっているものが多い」 ので、内容は交響詩で形式は交響曲という、ま、一種の小規模な標題交響曲かな、といったところであるという結論に到った。

 未完成物らしく、アンダンテ〜アダージョ〜アレグロ(スケルツォ)〜アレグロの、4つの部分に別れてはいるものの、作曲年も数年をかけて中断しており、16分ほどの中途半端な曲。オーケストラと、ソプラノ独唱による。

 ローラという女性がドナウ川に身投げするというストーリーの詩により、内容としては完全に交響詩。ヤナーチェクの交響詩は暗いストーリーによるものが多く、いかにもヤナーチェク好みの音楽になっている。シュチェドロニュとファルトゥスという人物が編纂し、演奏可能な状態にしてある。

 アンダンテとアダージョ部は、美しいが悲劇を予兆する暗い雰囲気のテーマに支配されている。ローラという娼婦が世を儚み、ドナウ川へ身投げして自殺する。中間部では、まだ牧歌的な様子に書かれているも、一転してアダージョは暗い。金管が鳴り響き、ティンパニが悲劇を強調する。オーボエの特徴的な旋律がまた不気味だ。

 後半はスケルツォで、ソプラノのヴォカリーズが入る。ここがまた、不思議な雰囲気。楽しげなリズムに乗ってテーマがクラリネットとオーボエ、絃楽で提示され、ウィーンの様子を表し、そのテーマを引き継いでソプラノがヴォカリーズで歌い続ける。第4部は優雅な響きの終結部。なぜかティンパニがやたらと活躍。カッコイイテーマが次々に現れる佳品。その中にも、ヤナーチェク独特のオーケストレーションが面白い。

 そして意表をつく、悲劇的なラストである。






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