ベンソン(1924−2005)
本サイト掲示板において太郎兵衛様より紹介された、アメリカの現代作曲家、ウォーレン・ベンソンである。http://www.warrenbenson.com/index.html こちらの公式サイトにおいて、一部の録音を聴くことができる。多岐のジャンルに渡って曲が書かれており、ソロ曲、合唱、室内楽にオーケストラ、ジャズもある。基本的に調性だが、無調も程よく混じる印象である。
最も多いジャンルが吹奏楽で、日本でも少しずつ紹介されてきているようだ。1楽章制の10分前後のものに代表曲がある。ひたひたと盛り上がる、静かなる激情といった特徴を感じた。
なんと、吹奏楽(ウィンドアンサンブル)のための交響曲が2曲、ある。
ドラムスとウィンドアンサンブルのための交響曲(1962)
ドラムスというのは、別にドラムセットのことではなく、パーカッションアンサンブルのことである。打楽器協奏風の交響曲。20分ほど。1楽章制に聴こえるが、明確に分かれているので、3楽章制かもしれない。
鋭いミュートトランペットの導入から、打楽器のシリアスなアンサンブル。その背後では、風の音を模した奏法による微かな響きに、伴奏。さらにティンパニ、タムタム、金属打楽器類のアンサンブルが続く。冒頭のトランペットがミュート無しで現れ、緊張は持続する。
やがて暗闇の底からたちのぼる芳香めいて、木管が静かな主題を。それへ金管も加わり、じわっと時間をかけて盛り上がる。木管のテーマが静かに引き継がれ、ゆっくりと想い出にふける。静寂の中で、大地をなめる音。誰かの足音。そして暗い歌。
既に演奏時間は半分を過ぎている。ピアノが切ない旋律を奏でる。その悲しみの咆哮、嘆きがいっぱいになってあふれると、オーボエの悲歌がそれを受け取って、まるで室内楽のごとく切々と細い響きが続く。
これが2楽章だとすると、ここから雰囲気が変わって、打楽器アンサンブルがまたも不気味な踊りを開始する。スネアドラムのトレモロのクレッシェンドに合わせ、リズムはテンポアップし、金管のファンファーレ。そのテーマを、木管も受け取ってアレグロとなる。打楽器が延々と叩き続ける中で、主題が展開されてゆく。打楽器アンサンブルの中間部を挟み、ピアノソロが機械的なテーマを。そこへファンファーレテーマ。曲はもう終盤だ。打楽器がエンジンを止めることは無い。金管や木管が激しく重なって後、さらにテンポアップした打楽器ソロ!
しかし、それが盛り上がってそのまま、ズバン!! と終わるのかと思いきや、デクレッシェンドで音量を落として、遠くへ消え去るかのごとく、静かに曲を終えるのである。
ちょっと不思議な、お客が拍手のタイミングを判別しかねる、面白い終結を持つ。
第2交響曲「最後の歌」(1983/85/87)
ほぼアタッカで切れ目が無いので1楽章制だと思うが、楽想がこちらも完全に4つに分かれているので、4楽章制かもしれない。しかも、30分ほどもある大曲。吹奏楽(大編成ウィンドアンサンブル)である。
ホルンなどの金管の持続音が導入となる。ゆっくりと音が重なって、繰り返されてゆく。木管も加わって、吹奏楽部の練習のロングトーンかと思わせておいて(笑) 不協和音ががっつり入ってくる。打楽器も激しく入ってきて、シグナルとサイレンが緊張感を高めてゆく。ピアノやフルートソロを交えつつ、音響はカオスなものへ。様々な主題が現れては消え、さらに再び現れる。
一瞬のゲネラルパウゼから、やや雰囲気を変えてくる。テンポが上がり、アレグロとなる。執拗に同一のリズムパターンをシグナル化してオスティナート。警鐘音のパターン。リズムは同一ながら折り重なって、パターンが複雑化してゆく。打楽器も1番交響曲のように激しい。
トランペットのかすれたシグナルから、テンポが落ちてまた楽想が変化。サックスがアンニュイなソロを。フルートもそれへ応えて、けだるい音調となってゆく。ヴィブラフォンがそれを助長。だが、金管が緊張感を盛り上げて、高音の木管も不安を煽る。ここはテーマよりも音響で聴かせる部分か。このじわじわ感は、ベンソン特有かもしれない。高音と低音の持続音に、打楽器とピッコロが細かい音形を入れて彩ってゆく。
続いて、再び一瞬の停止から、オーボエの蚊の鳴くようなソロ、終始不安げな音調は変わらない。なかなか芯の定まらない現代的な楽想が続く。ひっそりと、ソロともつかない個々の楽器の囁き。音量も消え入るようだ。そして、そのままあり得ないほどのピアニッシシモの中で、終結を迎える。
ベンソンはサイトで聴くことのできる他の曲も聴いてみると、そうドッカンドッカン盛り上がるタイプではなく、ひたひたと音響が持続して盛り上がるタイプ。この両交響曲もそういうタイプの、静かに燃える音楽であった。
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