6/29

 テンシュテットも月に1回聴くのがやっとですわ(≧Д≦)

 テンシュテット/NDR/パスクワーレVa L1981

 フォルトナー:プリズム(Prismen)
 バルトーク:ヴィオラ協奏曲
 ドヴォルザーク:第9交響曲「新世界より」

 1981年の、ハンブルクでもライヴ録音です。評判の高い北ドイツ放送響の演奏です。放送音源だったようです。

 まずフォルトナー(1907−1987)だが、演奏当時はまだ生きてたバリバリの現代音楽。テンシュテットは 「協奏曲の伴奏がうまい」 という意外な面の他に、「現代ものをけっこう振る」 という意外な面が加わる。

 私のもってるCDの中では、他にブラッヒャー(1903−1975)、デッサウ(?−?) ←両方とも東ドイツの作曲家のようです。ケーゲルが両人に作曲を師事したとのこと。またワーグナー=レゲニー(1903−1969)も東ドイツの作曲家。

 ペンデレツキ(1933− )、サッリネン(1935− )などもある。良いものあるし、変なものある。(曲が。)

 つまり旧共産圏出身の人だけ合って、旧共産圏の作曲家の録音が多い、と云えるだろうか。つまりそれは当局からの強制的な指揮という一面もあるだろうが、亡命後もこうして取り上げているということは、テンシュテット自身もけして嫌いではなかったことを示唆する。

 というわけで、フォルトナーのプリズムという曲だが、なんと20分もの大曲であった。1部・2部構成で、それぞれ10分ずつ、というほどのもの。しかし、意外にあまり長く感じなかった。なぜだろう。

 1.面白くて時間を感じなかった。
 2.つまらなくて気がついたら終わっていた。

 ええ…まあ……その、
察しろ! という感じですが(笑)

 先鋭さと緊張感のない現代音楽など、ネコの糞以下である。素直に調性音楽でも書いておれヴォケが。

 とはいうものの、ここでの聴きどころはテンシュテットの指揮であろう。もちろんNDRのうまさもあるのだが、テンシュテットの驚くほどのクールな指揮というものは、ちょっと聴き物。

 テンシュテットは感情系とか爆発系とか吹聴する人は、こういう指揮を聴いていない。まったくの認識違いで、主観的ではあるものの、楽譜をとことん読み込んだ、異様なクールさで攻め込んでくる。もちろん、ブーレーズとかギーレンとかジンマンとか、そういうものとは手法が異なる。

 そのクールさの上のあのパッションがあるわけで、その意味でクレンペラーに通じる熱情と寒々しさをそなえているのがテンシュテットの指揮だと思われる。それはまさに静と動、熱と冷の矛盾の固まりであり、音楽の面白さだ。

 プリズムは何がどうプリズムなのか、たぶん音のプリズムという意味なのだろうが、面白いようでイマイチ印象に残らない音楽だった。★3.5ほどだけど3つで。

 バルトークのヴィオラ協奏曲は遺作で、独奏部をのぞきほとんどスケッチの草稿状態だったのをコダーイの弟子で友人で助手の作曲家・シェルイが補筆して完成させたが、たぶんこの録音もそのシェルイ版でしょう。新古典主義の名曲で、ヴィオラの仄暗い味わいがまた何とも云えぬ。ここでもテンシュテットの独奏を際立たせ伴奏を自在に操る指揮にはうなる。テンシュテットの協奏曲は、協奏曲があまり好きではない私も満足できた。しかしテンシュテットのバルトークは珍しい。★4つ。

 さて、メインはメジャーどころで来た。新世界よりは、テンシュテットの十八番のひとつで、私は5種類目。残念ながらスタジオ録音のベルリンフィルとの正規盤が、私はイマイチノリが悪いと感じているが、このようなCDR盤のほうはもうノリノリでウホッってかんじ(笑)

 中でも(音はちょっと良くないのだが)ミネソタ管との新世界より(1981)はこの曲の究極の演奏のひとつだと思う。それと同じ年のライヴ。しかもオケはミネソタ管を上回るであろう北ドイツ放送響。うーむ。聴く前からワクワクするわ。

 さっそく冒頭よりノリがちがう。リズムがちがう。この重厚さ!! 新世界がロマン派の重交響曲として響く面白さ。確かに国民楽派の(しかも形式的には新古典主義にも通じる)音楽だが、それをこのようにドイツ流でやるには相当の骨が折れるのも確かであって、それに成功するドイツ系は少ない。テンシュテットの指揮は数少ないその典型の名演である。

 1楽章はシューマンやヴェーバーのような、ドイツの森の情景。嵐、暗闇、蠢く魔物たち。日の光。その中にほんのりと浮かび上がる、東欧への憧憬。

 2楽章はやはり暗いドイツの森の臭気芬々。夕焼けとか望郷とかあるが、家路どころではない。ヘンデルとグレーテルの世界。最後で、望郷の旋律がフッ…と消える部分があるが、なんでかテンシュテットはブッツリ切ってしまう。まるで、いままでとなりに歩いていた友人が振り返ったらパッと消えていたような恐怖。

 3楽章は完全にドイツ流のスケルツォ。厳しさの表現力がちがう。

 そして4楽章は、ドヴォルザークの中の隠れたワーグナー気質を暴き出す。これはドイツの指揮者でないとできないのかもしれない。轟々と鳴り渡る低音、動き回る主旋律。劇的な展開。まったくもってワーグナーではないか(笑) 本人はブラームスと中が良かったし、ブラームスに影響されていたけども。新世界よりを最後に交響曲を打ち止めて、後はリスト/ワーグナー流の交響詩の世界に入っていったドヴォルザーク。何を示唆しているのか。9番「新世界より」はドヴォルザークの芸術を思ううえで、絶対に外せない重要曲であり、聴いて楽しい名曲でもある。それを気づかせてくれる指揮者と云うのは、少ない。これは★5つ。


5/29

 ここんとこぜんぜんここが更新できてなくて申し訳ないです。

 シリーズ テンシュテットを聴く 今回は、というか今回も(笑)ドイツオーストリアものを中心にお送りします。というかどれだけあるんだ(^^;A

 まあ一部、再発売を含みますが。とりあえず2枚、先行で更新します。

 ブルックナー:第4交響曲 L1986 シカゴ響
 リヒャルト・シュトラウス:メタモルフォーゼン ホルン協奏曲第2番 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」 L1983 NYフィル

 テンシュテットはマーラーにハマる前は、ブルックナー振りだったそうなんです。それも、録音が残っているのは4番と8番ばかり! 3番と7番が例外的にあるだけで、例えば苦手なブルックナーの中でも好きな5番9番は、おそらく録音は出てこないような気がしますわ。

 いま手元にあるだけで、4番はこのシカゴ響を含め11種類。(重複含まず) 8番は同じく9種類。そのどれもがテンシュテットらしくコッテコテのブルックナーで、オルガン的ないわゆる清浄とか、荘厳とか、バッハ的なブルックナーが好きな人からはとかく「暑苦しい」とか「濃すぎ」とか「汗くさい」とか云われるたぐいのもの。じっさいテンシュテットは指揮の時に汗が滝のよう。

 しかし私は、これが西洋音楽の本質のような気がします。古典派の時代ではない。コテコテの浪漫進化の終着点、ワーグナー〜ブルックナー。ブラームスをして 「ヘビがのたうったような曲、音楽ではない」 などと云わしめたその演奏は、実はテンシュテットのような演奏だったのでは? 
 
 まあそれはそれとしまして、このシカゴ響の4番の、ホルンの音のでかいこと(笑) これくらい金管が鳴ったら、それだけで存在意義はあるでしょう。★5つ。

 テンシュテットのシュトラウスは好きである。

 たいてい、あたりで、まずハズレがない。この人は意外とレパートリーが広いが、その中でもあたりハズレの少ない作曲家のひとつが、リヒャルト・シュトラウスだと思う。曲数の割りには、録音数は少ないが、交響詩ではツァラが好きだったようで、いくつかある。また、中にはブルレスケ、オーボエ協奏曲、町人貴族組曲、4つの最後の歌、など、少ない割にマニアックな曲があるのも彼のR.シュトラウス観を表していて面白い。

 個人的にはティルやアルプスがあっても良さそうだが。ない。特にアルプスはあるのならば聴いてみたい。

 この人のリヒャルト・シュトラウスは硬質なのだが、けして冷たくない。人情味にあふれ、生々しい。メタモルフォーゼンなど、クレンペラーやカラヤンで聴くとゾクゾクするように美しいが、そのぶん、ナイフの刃を何枚も重ね合わせたような非情さもかいま見られる。テンシュテットは暖かい。暖かいだけではなく、どこかいやらしい。ドレスデン爆撃の悲しみを歌っているハズのこの音楽のどこか媚び媚で人ごとのような、シュトラウスの打算的な人間性が良くでている。

 ホルン協奏曲は、テンシュテットの意外なコンチェルト伴奏のうまさが見事に出ている。ソロを殺さず、伴奏を活かす。あのクネクネコテコテ指揮でどうやってこんな合わせをするのだろうか。鬼のリハーサルしか答えが分からない。このホルン協2番は新古典主義で、実に爽やかでありつつ、爽快の中にもロマン派の香りがあふれている名曲です。

 最後が得意のツァラ。

 この音楽は、哲学を音楽化した ととられて、純粋音楽派にはあまり評判が良くない向きもあるが、そんなに難しく考えずに、「ツァラを読んだシュトラウスや一般の人の単なる夢想の音楽化」 という程度でよいと思う。

 じっさい、中身はただのエンタメ曲にすぎない。伊福部昭(管弦楽法)ではないが、これに比すればサティのジムノペディ1番のほうがよほど哲学的だ。これをさも哲学でございとやっても、逆に鼻につくだろう。あっけらかんと空っぽに演奏すると、もともとオーケストレーションは薄いうえに楽想も陳腐なので、そっちのほうが素直に楽しめるのではないか。

 そんなわけでテンシュテットの指揮が、これが実にあっけらかん。素直に楽しんでみた。楽しかった。以上。
 
 指揮もうまいが、ニューヨークフィルのうまさも特筆。ただし音質はやや劣る。メタモルフォーゼンとホルン協奏曲は★5つ。ツァラは★4つで。


5/3

 久しぶりに 邦人の作品集をまとめて聴きました。

 大澤壽人/室内楽作品集/ピアノ五重奏曲/ピアノ三重奏曲 マイ・ハート弦楽四重奏団 藤井由美Pf
 バンド維新2008/佐藤義政/中村芳文/航空自衛隊中央音楽隊
 伊福部昭/ヴァイオリン協奏曲ピアノリダクション版 佐藤久成Vn 岡田将Pf
 吉岡孝悦/自作自演 マリンバ・打楽器作品集

○大澤のピアノ五重奏曲と三重奏曲は、これが素晴らしい音楽。4分音を駆使し、特に五重奏曲などは東洋的叙情性もあり、アメリカ人にウケそうな感じの出来ばえ。三重奏曲も斬新かつ、メロディアスで、両方ともむしろ、彼の交響曲や協奏曲などの管弦楽曲より、断然スッキリしており、その斬新さ、モダンさが手にとるように分かる。大澤は、オーケストラより室内楽のほうが真価が分かるのだろうか。これは現在でも充分に通じる、いや12音が(少なくとも聴衆レヴェルでは)下火になりつつある現在こそ真に評価されるべき音楽。支離滅裂で荒唐無稽な音塊の羅列が楽壇ではいまだ大手を振って歩いているらしいが、このような真の現代芸術の前に、いつか駆逐される日が来るだろう。

○ウィンドオーケストラという特殊な編成で1曲書くというのは、吹奏楽に慣れた(例えば、ずーっと吹奏楽ばかり書いている、学生時代よりブラスバンドに所属していた、吹奏楽に通じた師がいる)者でないと、意外に難しい。やはり編成が特殊なので、よく響かないようだ。吹奏楽というと逆にスカッと響きわたるイメージがあるのだが、存外、吹奏楽というものは響かない。ただ単に音がデカイのと、音色が豊かに響きわたるのとでは、根本から異なる。やたらとモッサリした、聴いていてイライラ・ウンザリする演奏、曲というのは、それはけして気のせいではない。吹奏楽の宿命なのである。

 三枝成彰:序曲「機動戦士ガンダム・逆襲のシャア」
 西村朗:秘儀 I −管楽合奏のための−
 服部克久:星への願い
 一柳慧:Poem Rhytmic
 丸山和範:Cubic Dance
 小六禮次郎:アンゼラスの鐘
 木下牧子:サイバートリップ
 北爪道夫:並びゆく友

 コンセプトは、吹奏楽界に限らず、クラシック、映画音楽、ポップス等の一線で活躍する作曲家に、小〜中編成で、かつ中高生でも演奏できる曲を発注した、というものらしい。8作中、三枝、服部、小六が自己のアニメ音楽よりの編作モノ。

 ふだん吹奏楽を書かない人もいて、佳品もあるが、変ではない。そこは、さすがという出来になっている。ふるっているのは西村、一柳、木下であろうか。

 逆シャアの音楽なんてTKマンしか覚えていないが(笑) 中学3年生最後の3月に、自分の卒業式の全体最終リハーサルをサボって初日初回を見に行ったのが懐かしいな。まあうまく6分半くらいにまとめている。主テーマが燃える(笑)

 西村には巫楽という傑作があるが、そもそもフルートと管楽器のためのヘテロフォニーという作品もあり、吹奏楽ではなくあくまで 「管楽合奏」 にこだわっているのが逆に自由な音響につながっていると思う。ここでも、西村の中のシャーマン的気質の東南アジアふうな世界への賛美がたっぷりと聴かれる。私は西村の作品でもこういう土俗的な要素を前面に押し出した作品は大好きだ。これはコンクールで使える(笑)

 服部の星への願いは、星界の紋章というアニメの編作。アニメは見てないが、なかなかマニアックなやつを担当していたんだな。テーマがやはりよく出来ているが、もう少し編曲に深みがあったらなお良かった。

 一柳は、ちゃんとメロディーがあるやつ(笑) リズムの詩ということで、リズム要素を強調しても、マーチみたいな勇壮なものでなく、詩的なものを書いてみた、という創意がある。リズムが縦横無尽に交錯し、これは演奏が難しそうだ(笑) 木管と金管の掛け合いがさすがに素晴らしい。打楽器も、良いアクセントに徹している。これは日本現代音楽界の重鎮の1人だけある、さすがの逸品。

 丸山って知らない人なんですけど(笑) ちゅらさんの音楽をやったようだ。この人も、けっきょく18人の室内管楽合奏になってしまい、なんか普通のウィンドオーケストラでは書けなかったようだ。でも、面白い響きになっている。楽想的には、なんか課題曲みたいだけど。

 小六もどっちかというと大河ドラマの音楽でしか知らんわ。これはアンゼラスの鐘という長崎の原爆を扱ったアニメ音楽を編作した弦楽とハープの曲のさらに編作。ゆっくりとした、もの悲しい響きが滔々と流れる。ただしこの木管メインの動きがかなりホルストかRVW風。

 木下は大昔に課題曲を書いたが、その後声楽界に行って、さいきん、久しぶりにまた吹奏楽を書きはじめたとのこと。2006年にパルセイションという課題曲を書いて復活した。それから3作目がこのサイバートリップ。なんか吉松隆のような曲名だが、中身もかなりトリッキーでポップ。しかし、楽想は鋭く、小編成ながら大編成の響きを模索するという試みと創意もあって面白い。小編成を大きく聴かせるのは調とか楽器の重なり合い(オーケストレーション)とかに工夫が必要で、難しい仕事である。曲調がポップだというだけで、そういった創意を見逃す(聴き逃す)ようでは、面白くない。

 最後が、北爪。オケ曲もあるが、吹奏楽にも一家言ある。吹奏楽を書く作曲家は、響きの重なり合いに最新の注意を施さねば、たちまち濁った音の塊に堕してしまう、ということだそうで。それの再確認も含めて、可能な限り木管・金管・打楽器の少人数で攻めてみたようだ。並びあう友、とは不思議なタイトルだが、これは、木管・金管・打楽器が、混じり合うのではなく、並びあって独立して楽想を披露してゆき、最後に気がついたら混じり合っているという音楽を、友達同士に例えたものだという。とてもおおらかな気分にさせる楽想が並んでおり、聴いて良い気持ちになる曲。

 吹奏楽は、これからは小編成(コンクールでいうB編成C編成)が熱いのかもしれない。(少子化だし)

 しかし、人数が少なくてパートがそろわないのと、小編成なのは異なる。小編成とて、難しいものは難しかろう。

○発売が伸び伸び伸び伸びになっていた、ミッテンヴァルトの新譜。伊福部自身のリダクションによる、ピアノ伴奏版ヴァイオリン協奏曲。

 これは本来なら、伊福部昭追悼盤になるはずだったのだが、おそらく資金難その他の大人の事情に陥ったのだろう、ほぼ2年越しの発売となった。演奏は伊福部の訃報に接した直後だっただけにかなり濃く、非常に高レヴェルのもの。ただし、ヴァイオリンがかなり緊張というか、伊福部の死を意識しすぎて固くなってしまった嫌いがあるが、致し方のないところだろうか。いま聴くと、ちょっと息苦しい部分もある。しかし力演という部類ではこれ以上はない力演。

 協奏風狂詩曲は、打楽器が多用されており、それをピアノでムリクリやってる感もあって、そのため、第2回の伊福部昭音楽祭では藤田崇文によって打楽器パートが原曲に応じて追加された。しかし音楽祭では演奏は第1楽章のみで、実は第2楽章こそが打楽器が重要なので、面白かったが、今となってはまあ無くても良かったようなというかなんというか(^^;A 

 2楽章で冒頭の打楽器アンサンブルをピアノでやったり、ティンパニのドコドン!というパッセージをピアノがガガン!とやってるのが個人的に聴きどころでした(笑)

 しかし2番いいですね2番。ヴァイオリン協奏曲第2番はこれまで録音が2種類しかなく、しかも芥川/新響と井上/アルメニアフィルで、ソリストはともかくオケにイマイチ不満が残っていた。この文化不況時代、新録も難しい状況で、なによりキングのシリーズに無いのが痛い。そこで今回のピアノ版だった。これなら、オケ版よりいくらかは気軽に録音できる。しかも音楽としてなんら劣るものではない。ピアノ版はけしてオケ版の簡易版ではなく、ヴァイオリンリサイタル等で、これだけで立派に通じるメイン作品といえる。その可能性を見いだした作曲者の慧眼と作曲の力量に感服する。

 2番は実におおらかで、楽想も渋く、迫力もあり抒情もあり、枯れて詫びた味わいもあり、わび数寄の境地に似た面白さや興奮がふんだんにある。伊福部通を自認する人は、ぜひ2番を聴こう!

○マリンバ、打楽器奏者の吉岡孝悦による自作自演集2枚。吉岡は桐朋をマリンバで卒業後、プレイヤーとして活躍しつつ、作曲を三善晃や別宮貞雄に師事。三善のリズム感と別宮の旋律性を合わせもったような、打楽器アンサンブルの重要なレパートリーを生み出している。

 第1集 
 マリンバのための組曲第1番/第2番/第3番
 マリンバ、フルート、クラリネット、コントラバス、ドラムスのための「ラプソディー」
 マリンバと4人の打楽器奏者のための「3つの舞曲」

 第2集
 グロッケンシュピールとピアノのための「オルゴール」
 2台のマリンバのための「3つの小品」
 3台のマリンバのための「ディヴェルメント」
 4台のマリンバのための「スクエア・ダンス」
 打楽器四重奏曲第1番
 3台のマリンバとヴィブラフォンと3群の打楽器のための「舞踏組曲」
 
 第1集よりやはり2集のほうが、曲想的にもふんだんにヴァリエーションがあり、なおかつ音楽の自由度がとても高くって面白かった。
 
 オルゴールの、ひとつ間違えば○○センターのBGMにすぎないようなギリギリの旋律性と調性音楽の狭間の緊張感の美しさ。3つの小品の「木琴」を演奏している楽しさの追求。ディヴェルメントではそれがさらに組曲として完成されているのを聴ける。CDでは分からないがスクエア・ダンスではパフォーマンス要素も取り入れられ、四角く並べられた4台のマリンバの周りを奏者がぐるぐる周りながら演奏するため、その平易で楽しげな音楽とは裏腹に、アンサンブルを揃えるのは至難である。やもすれば、ズラズラと4人がズレてゆき、ヘテロフォニー音楽なのか?? と思って、ゴタゴタしてあまり良い曲ではないと感じてしまうが、実はスッキリとまとまった面白い曲で、奏者泣かせだろう。
 
 打楽器四重奏曲とは思わぬ盲点の曲種で、プレスト、アンダンテ、スケルツォ、アレグロの疑古典形式。作風の割にはちょっと短い嫌いもあるが、こういう着眼点は面白いかも。特に打楽器アンサンブルではどうしても鍵盤楽器系に主がいきがちだが、ティンパニなどの太鼓系や金属打楽器も活躍するとニヤッとなる(笑) しかし吉岡は自身が奏者なだけあって打楽器のオーケストレーションがうまい。

 それらの集大成で傑作なのが舞踏組曲で、モデラートのエキゾチックでドラクエみたいなシーンはニヤニヤしてしまうww し、持続音の難しい打楽器アンサンブルでは敬遠されがちな緩徐楽章があるのも挑戦だろう。全体的に完成度は高い。


4/20

 マーラーの2番を集中して聴く、の最後。SACDで3枚。

 忙しいのもあるが、9番とちがって2番はちょっと聴くのに時間がかかってしまった。内容がたしかに、9番と比すると、そうそう、何枚も続けて聴くものではないかもしれない。特に、ガワだけのスカーンとした演奏や、やたら力んでいる演奏、ただ漫然と楽譜を追うもの、などは、2番ではツライ。

 そんなわけで

 ノリントン/SWR SACD(2006)
 ノイマン/CPO SACD(1993)
 MTT/SFS SACD L2004

 まずノリントン。ノンビブラート奏法によるマーラーで、本人いわく 「無条件の賛美と厳しい拒絶の両方が面白いほど入り混じった評価を受けて」 きたもの。1番4番5番に続く。私は5番などは4楽章のコテコテ音楽が実は意外とスッキリした爽やか音楽で、ドロドロ恋愛ではなく爽快純愛だったことが分かって面白かった。が、1番と4番はなんかイマイチだった。そして2番も、どうも良くない。

 ノンビブラートが関係するのは、それがよく分かる緩徐楽章に限られているような気もするし、そもそもこの人はマーラーの指示にこだわりすぎているような。

 マーラーという人は、ヘンテコリンな指示もあるのだが、そもそも普通の指揮者が普通に指揮すれば普通にできるものを、「私の曲を指揮するものが普通に指揮するはずはない」という強迫観念にとらわれて、「ここはこういう風に普通に指揮しろ」といちいち書いている部分が多々あると思う。

 それを1から10まで従う必要があるのかどうかは、まさに指揮者に委ねられているのではあるが、聴き手にはあんまり関係ないような気がする。指示に従おうが従まいが、指揮者の創意の発露であって、ただ指示に従って頑張りましたというだけで、マーラーの音楽は呼吸をするのか、と。

 というわけで、異様に細かい指示まですべてこだわって従ったと豪語するノリントンが、意外とのぺらーっとしたつまんない演奏で驚いた。シリーズ初のスタジオ録音らしいが編集の失敗かと思うほどだ。あとで聴き直したらまた変わるかもしれませんが、数年後でしょう(笑) ○4つ。

 ノイマンは急逝で頓挫した新録音シリーズが、SACDで再発売されたもの。この歌心にあふれた名演をSACDで聴けるというのは、本当にありがたい。チェコフィルの音色も最高で、マーラーの旋律の面白さというものを存分に味わえる。純朴な、理想の演奏のひとつ。文句なしに○5つ。

 そしてMTT。このシリーズは完全受注生産と聴いたが、けっこう大手ネット販売でも入手可能なようだ。値段がやや高いが、余裕のある人はぜったいに聴いてほしいシリーズ。これが全集と成ったら、かなりの高得点が期待されるもの。あと8番。できれば大地も欲しい。

 なんと88分! しかもライヴ! この録音の良さは、どうしたことなのだろう。いくらSACDとはいえ、こうまでクリアーで明快な録音は珍しいと思う。

 1楽章からけっこうネットリしているが、クドイとか重いとは異なる。重厚で、かつ、細部にまで解釈は届いている。面白いのが、旋律部と、低音のみならず、中間部もかなり聴こえてくること。立体的というのだろうか? マーラーってこんな部分にまで、ちゃんと音楽を書いていたんだ、と妙に感心してしまった。いまさらながら。

 この第1楽章はもともと交響詩で独立した音楽だったのだなあ、と強く感じてしまった。これもいまさらながら。マーラーは聴くたびに発見があるから止められない。

 もちろん、2、3楽章もよかった。2番は中〜後期と異なり、どちらかというと旋律部メインのホモフォニー的な音楽なので、そのマーラー的な朗らか(でややアンニュイな)メロディーが面白い。4楽章に入り、歌も透明でリリカルな歌声がよかった。

 5楽章がまたクレンペラーもかくやという、堂々たる、そしてじっくりと鳴らしたもの。36分をかける5楽章は、あまりないと思う。トラックも器楽部と、合唱以降と分かれていた。器楽部は、テンポ的には普通だったが、表現としては幅の広い、エキセントリックなもの。合唱からが遅い。遅いといっても、モタモタしていない。速度が遅いだけで、音楽は遅くない。余裕を持ってたっぷりと奏でられる和声、旋律、そしてリズム!! 素晴らしい指揮。大伽藍を築き上げ、大団円。

 ○5つ。マーラーベストかえました。音質も含めて、復活の1位にしました。この復活は、凄い。8番に通じる復活でしょう。
 
 今回、残る8番がでたらまとめて聴こうと思っていたMTTのシリーズが予想外に素晴らしすぎることを発見したので、8番を待たずして、1番から聴いてみることとした。既に2番、6番、7番、9番をつまみ聴きし、完全にはまってしまった。これは新時代のマーラーである。今進行中の全集で、私がかじっているのはノリントンとジンマン(それにまだ買っただけで聴いてないがマーツァル)があり、既に聴いている全集(大地有り無しまじる)では12種類を聴いているが、このMTTは演奏内容、音質とも、トップクラスの全集となろう。8番が待たれるし、できれば大地もほしいところである。MTTは大地、やるんでしたっけ。


3/29

 不気味社音楽応用解析研究所の所長が八尋健生の個人名義で出したプライヴェートCD、大宗麒麟 を提供いただいたので、小文を呈したく思う。

 全体的にはバックはほぼすべて打ち込み系なので、豪華なゲーム音楽かイメージアルバムという印象。ゲーム音楽といえば先日、鬼武者の音楽を聴いた。予断だが作者の佐村河内守は完全に聴覚を失いながらも、独学でなかなか良い音楽を書く人である。

 それはそうと、これはゲーム音楽ではなく、いつもは同人音楽作家である八尋健生の珍しい純粋音楽作品といえるだろう。プログラム前半は歌曲(伴奏は打ち込み)、後半はオリジナルの管弦楽(打ち込み)組曲。

 八尋の愛息に捧げられている。

 花の色、空の色 唄 服部澄枝
 大宗麒麟 唄 宮内タカユキ
 大慶麒麟 唄 八尋史
 天馬あり 唄 合唱騎馬団
 東方組曲 〜序、三階〜異国の人と祭り〜花と雷雨〜泰山の唄〜風雲集う処〜河の始まり〜結、地平の道
  
 前半4曲は、漢文「詩経」よりの八尋の自由な意訳を歌詞として、服部澄枝(声優)、宮内タカユキ(音響兵器)、八尋史(妹さんのソプラノ歌手)、合唱騎馬団(たぶんいつのも不気味メンバー)がそれぞれ歌う。

 東方組曲は、純粋な異国風バレー音楽風管弦楽組曲。

 まずは朴訥とした印象で服部澄枝の唄による「花の色、空の色」から始まる。草原の真ん中で滔々と唄っている雰囲気で、良い。しかしこの服部さんというのは、ぐぐってもほとんど出てこないマイナーな声優(俳優)で、なんともマニアックで良い(笑) 肝心の音楽は、不思議な旋法による単旋律が天空に伸びやかに浮かび上がって心地よい。民俗楽派的でありつつ、八尋の世界を強烈に印象づける。

 続いて、太鼓連打の陣幕の様子より、不気味社の誇る音響最終兵器宮内タカユキによる、「大宗麒麟」である。この単純な骨太の旋律は、聴くと耳より離れない力を持っている。劇伴や映画の挿入歌にも使えそうな音楽である。伴奏はアレグロで、匈奴の匂いが立ち上ってくる。合唱がまた……世界を大きくしている。馬でどこまでも駆け行く大地よ。満州の夢は何処。

 「大慶麒麟」は一転して、ソプラノによる歌唱。歌詞同じ。テンポはやや遅くなり、箏などの伴奏により、世界観を変えている。ただし、こちらは同じく匈奴の王宮天幕の中という感じだが。歌姫の想いは天の川を貫いて虹の向こうへ飛び行くのか。

 「天馬あり」は不気味社大得意の重男声合唱による逸品。アレグロで「雄々 波!」という雄叫びよりオルフの世界(トリオンフィ3部作)にも似た豪快な合唱が面白い。この単純に繰り返される旋律と伴奏は、強烈なイメージを聴くものへ与える。

 それからはインストゥルメントというか、管弦楽組曲である。打ち込みなのは致し方ない。オーケストラを雇うなどと(笑) それにしても流石、かなりうまい。しかも音楽が良い。これはまさに東方不敗なマスター亜細亜的世界である。

 堂々とした1.序奏から既に八尋のは崇敬する伊福部の色が色濃く滲み出て、すなわち、執拗に鳴り渡るドラの音、繰り返される幅の広い旋律、重厚な和声。この土俗性。大地の足音。

 2.異国の人と祭は、ダッタン人系の異国人でも迎えたのだろう。木の打楽器とオーボエの長い旋律は、いかにもそれっぽい。バレー音楽のようでもある。打楽器アンサンブルより、祭は頂点を迎え、酒をあおり、民族の血を賑わす。東欧、ロシア、そして東方の味わいを素直に前面へ押し出すこの情緒は、現代の悪戯に技巧に走る作曲家には、マネのできないものであろう。

 3.花と雷雨においては、1曲目の「花の色、空の色」のテーマを流用している。それは花のテーマ。途中より打楽器が雷雨を表す。後半は旋律が展開する。

 4.泰山の唄では再びコテコテの東方不敗絶対無敵音楽が堂々出現し、序奏の主要テーマを再現する。中間部の笙や民族楽器調の角笛みたいなものを模す音も、面白い創意だ。

 テンポが一気に上がると5.風雲集う処。まあその通りの展開である。この小気味よいアレグロは、ショスタコやプロコフ、伊福部を愛するものにはたまらないだろう。中間部で一時の休戦を挟み、冒頭に戻る単純な3部形式。

 6.河の始まりは同じテーマをテンポを落とし、遅めのマーチとして味わう。ここの旋律の進行はかなり伊福部に寄っている。再び箏が登場し、舟上の幻想に月が映え、霧がむせぶ。擬似的な展開部をへて、全体がリピートされ、素晴らしい高揚感を得る終結部へ向かう。全組曲中、もっとも長い音楽で、10分近くをかける。

 ラスト、7.結、地平の道ではテーマが再び重厚に鳴らされ、ドラの音と共に、笛が余韻を残し、宴は終わりゆく。


2/19

 マーラーの2番の続き。さすがに2番はそうそう続けて聴くもんじゃないかな(^^;A

 往年のライヴ録音2種です。

 ワルター/NYフィル 1957ライヴ
 ヤマカズ/京都市響 1981ライヴ

 1957/2/17、カーネギーホールにおける、ワルターの高名なコロンビア響のスタジオ録音の前日のライヴだそうで。モノラル。

 ワルター晩年の音楽を達観した様ななんとも云えぬ恰幅の良さと上質な音のなめらかさは、スタジオ約音での練られた表現だったと思われることが、このなかなか激しいライヴで分かる。ワルターは、ライヴではけっこう荒々しい表現をする。この2番も激しい。といっても、80歳の指揮なんてどんな激しくてもこんなもんだわなwww 

 ワルターはマーラーを聴き初めのころはかなり聴き込んだが、いまはそうでもない。この演奏も自分にしては「珍しく」買った。懐かしいような感じもあったし、物足りなくもあった。マーラーの旋律の歌わせ方はさすがの一言だが、マーラーのもつ激しさは表現しきれていない。マーラーをかなり丸くした印象がある。いま聴けば、であるが。もちろん録音も古いし、何とも云えない部分も多い。★4つ。

 ヤマカズさんは地味にマーラーは2番と8番の日本初演者である。その価値は否応なしに高い。それは演奏の好き嫌いにかかわり無い。

 解説にもあるがヤマカズはまさに「シャーマン式」の音楽に憑依してしまうような、かなりムチャクチャな指揮で、それはコバケンなどを遙かに超えている。ヤマカズのすごいところは、スコアを充分に読み切って、そのうえでのあの乗り移りなのだ。その意味ではテンシュテットに近いかもしれない。

 指揮姿は、あれはもう指揮ではない。テンポをとってないんだから。あんな指揮では音大の指揮科はぜっったいに受からない。テンシュテットのようなコネクリ型ではなく、なんと云おうか、踊ってるとしか云いようが無い。舞踊の指揮だ。阿修羅のごとしだ。マーラーのごとしだ。

 なんというかもうすげえ。

 そんなヤマカズの指揮から生まれるマーラーは、ご想像の通り、音楽が噴火している。しかし、激しかったり感情的であったりするだけではなく、意外と表現はスコア通りで、ただそれが先鋭だったり突発的だったり、あるいは歌い込まれていたりと、つまり動きが大きいものとなる。それで、オケが集中できなかったりすると、とたんにカラ回ったり、崩壊したりする危険をはらんでいる。しかしオケがヤマカズのその指揮へ食らいついてゆくような迫力を見せると……。

 この奇跡のような復活となる。京都市響もこの日は奇跡を起こした。あの、2004年のベルティーニの9番の都響のような。

 日本のオケでは、ダントツの2番。★5つ。


2/7

 マーラーの2番が6種類ほど重なっているので、聴きはじめました。

 まずはCD-R盤2種類。

 テンシュテット/ロンドン響他 1981ライヴ
 アバド/ハンガリー国立響他 1965ライヴ

 テンシュテットはかのNDRとの狂気じみたライヴの翌年。スタジオ録音と同年。これがNDRを超えた、凄まじい演奏。NDRの強烈さに、スタジオ盤の余裕を合わせたような、素晴らしい神演奏なのだが……録音が最悪で(笑) 凄まじいスースー音。それが、あるとき突然、パッと良質な音になったりして、おっ、と思いきや、またスースースー。。。 SP盤かおまえは! という。。。

 もったいないの極みである。音がよければ
は間ちがいない、あらゆる復活の中でも極めつけの演奏なのだが、★4つで。。。

 さてアバド。これは若いときの演奏だが、アバドも若いときはやんちゃしてたなあ、というのがしみじみと感じられるもの。テンシュテットにかなり近いです。

 そもそもテンシュテットを、バーンスタインのような(という比喩もどうかとは思うのだが)、感情系の指揮者とか云って憚らない人がいるが、正しくはない。感情も含めるだろうが、完全な職人系の指揮者だ。かのラトルをして「現代の棒振り機械に敢然と戦いを挑む」指揮者なのでである。若い指揮者が、そのような熱気あふれるマイスターのマネをしてなにが悪いのだろうか。なんちって、アバドとテンシュテットは6歳くらいしかちがわないけど(笑)

 まあ日本でいうとヤマカズさんみたいなもんかね。

 それはそうとアバドの復活だが、これも音が悪い。まあ古いからしょうがないのだろうが、勿体ない話であります。こちらは全体に歪んでいたり、スースーもそうだが、なんとも聴きとりにくい。内容が良いだけにこれも残念な盤だ。★4つ。


1/31

 マーラーとストラヴィンスキーのピアノロールのCDをずっっっと前に買ったのを思い出したのでやっと聴いた。これは学生時代に1回CDになったものだが、それは大昔のSPだかなんだかの復刻CDで、モノラルだしお金もないからまあいいや〜とか思っているうちに廃盤になってしまった記憶がある。しかし今回のものは、新しく作ったピアノロール再生装置で弾いたステレオ録音だった。聴くまで知らなかったからびつくりした。他にもドビュッシー、ラヴェル、R.シュトラウス、サン=サーンス等、巨匠自身のピアノロール再生企画で、10枚組のうちの2枚を買ったもの。 

 ピアノロールの再現率はけっこうまあまあらしく、とても参考になる。まあストラヴィンスキーは指揮も自作自演が山のように残っているからアレなのだが(ピアノの腕前はたいしたもの。火の鳥全曲ピアノ版も貴重。)問題はマーラーだ。

 残っているのは、若き日の歌から「私は緑の野辺を楽しく歩いた」、第4交響曲第4楽章、第5交響曲第1楽章の、自作ピアノ版。

 これは既に聴いた人がいろいろレビューを残しているが、概して印象は同じのようだ。

 すなわち、えらいアゴーギグの効いた、まあルバートっつうか、なにこの速さと遅さの落差(^^;A

 これは聴いた中ではやはりテンシュテットとか、そういったほうに近いかなあ。バーンスタインっていうほどねっとりではなく、もうガクンガクンと急減速急発進っていうイメージ。セカセカしたマーラーの性格が出ているというか。ロマン派的演奏というものとも少しちがう。やはりどこかヒステリックな味付け。特に4番4楽章がひどくて、6分ちょっとしかないから、抜粋かと思ったら、ぜんぶ弾いてる。

 こんな速さじゃ、歌えません!!

 つーくらい速い。鈴の再現部分なんか、ありえない、ギャグだ。速すぎて吹きだしてしまう。人間の発声を超えた速さ。というかこんな速度ではオーケストラですら演奏不可能である。

 そして急減速する。また加速。やり過ぎもいいところ。これは指揮者マーラーというより、ピアニストマーラーが、作曲家マーラーを完全にイジっているのだろう。ピアノ曲として自作自演ですら、音楽は演奏家の支配へ完全に入る事を体現している。作曲家の書いたモノは絶対ではないという、再現藝術の真理か。楽譜にかじりついてこだわりにこだわる指揮(演奏)なんて、当時はあまり意味が無いことだったのだろうか。むしろ、演奏家としていかに作曲家の書いたものへ+アルファーするのかが、評価の分かれ目だったのだろうか。

 まあいろいろと、非常に示唆に富む演奏だと思った。


1/24

 マーラーの9番シリーズのの最後、SACDの3枚を聴きました。いい加減、9番ばかり15枚も聴いてたら疲れてきた(^^;A

 そうこうしているうちに、マーラーの新譜が怒濤の勢いでwww ゲルギエフの6番とかwww プレートルとかラトル、ベルティーニ、ハーディング、ジンマンまで(^^;A

 小林研一郎/日フィル 2007ライヴ
 MTT/サンフランシスコ響 2004ライヴ
 ノイマン/チェコフィル 1995

 ぜんぶSACDです。音は最高です。SACDなので○です。そういや初めてSACDで9番を聴いた。

 コバケンの9番とか、チェコフィルなら良かったんだけどなあ。日フィルじゃ、なかなかコバケンのクチャクチャの指揮を深くまで表現しきれないですね。どうにも、表面だけで空回りしている感じ。生焼けの焼き魚みたいだ。しかし、嫌いではないですけどねこういう指揮は貴重で。ヤマカズさんみたいですね。相変わらず唸ってるし(笑) ○4つ。

 MTTはあと8番だけなのに、なかなか全集になるのは難しいですね。あ、まあ大地もあるけど……。いま全集で期待はジンマンだけだな。ブーレーズは廉価版BOXが出たら買いたい。ノリントンは途中でやめるまででもないから買ってます。マーツァルもとりあえずぜんぶ発注しました。ハイティンクはシカゴ響の3番を入手してみて、その後に期待です。シカゴで9番を出したら、そりゃもう神になれるだろう。

 なんかやおら2008年は初っぱなからマーラーづいている。2010年のマーラー生誕150年2011年の没後100年へむけて、じわじわと世界が動いてきましたな!

 
2年連続でマーラー祭ですよ!!

 で、まあMTTですが。。。

 
レベルがちがいすぎる!

 これは参りました!(^^;A

 たっぷりとしたテンポ、精密な再現、そして、たいていそれへつきまとう変な気取ったような見下したようないやらしいクールさは微塵もなく、暖かい慈愛に満ちた響き。

 SACDならではの明快さ! 

 マーラーって、展開も含めた、変奏、変容の全てが無数のフレーズの集合体のような音楽で、その入れ代わり立ち代わりについてゆけない人がどうにも苦手とする根拠のように思いますが、特に2楽章、3楽章などの 「流しがち」 な部分も全てじっくりと演出している。

 SACDでは珍しい、気絶級。
 実演で聴いたら気絶します(笑) 理想のCDです。

 さあ、若いとき(10年前)はよく分かんなかったノイマンの新盤。2番や6番を聴き直して感動し、SACDで出たので全て買い直した。

 9番である。これは当時、このレコーディングの10日くらいあとにポックリノイマンが死んじまったので、けっこう話題となった。奇しくも、自らへの追悼盤となってしまったもの。

 
これがイイ!!

 MTTとかとはまったく異なるアプローチで、言うなれば古くさいものであるのだが、この魂の刻印ともいうべき、まさに文学的なアプローチというべきか。ノイマンが切々と語りかけてくるような、巨匠芸。生きた演奏がスタジオ録音からほとばしりでようとは。1枚に納まっているので、けして大仰な演奏ではなく、キビキビとした進行だが、1楽章とかもメカニックなものではなく自然な精緻さから、劇的な爆発力まで自在。そして真摯で大家的な、懐の深い眼差し。

 これが死ぬ直前のじいさんの演奏なのか!?

 感動した。MTTは興奮したけど、これは純粋に感動した。マーラーの9番がとことん名曲だと。示申の音曲だと。

 いや、これ、1楽章までで、既にそう感じたのです(笑)

 2楽章はかなり早い。といっても15分はある。 3種類のテーマも、自然かつ、濃厚。テンポ1が速い。3楽章は、特段にテンポが速いというわけではないが、うまい。フレーズのとり方がうまいのだと思う。特にエスプレッシーヴォが、次の4楽章を意識してか、ここで急にテンポを落とす指揮者がいるが、私はそういうのはどうも流れが寸断されるようで苦手。ノイマンは遅すぎず、セカセカせず、自然であり、かつ、次のプレストとの落差も焦燥感をあおってうまい。グロテスクであるが、音楽自体はきれいである。

 4楽章も美しい。純粋な歌の楽章なのだが、感情に溺れず、かといって表面上の美のみにとらわれず。バランス。

 また全体に、チェコフィルが巧いんだわwww 技術的に巧いだけではなく、フレージングのニュアンスが絶妙。この名手たちも、もう13年たって、だいぶん入れ代わったろう。とにかくホルンとかうますぎます。

 


 ティルソン=トーマスとノイマンは後で全集、選集としてまとめて聴き直します。またノイマンとシャイーの大地をCD-R盤で入手しました。

 次は2番が6種類になったので、やっつけます。(^^;A

 シュミットの交響曲の項にも着手しております。


1/10

 VPOでマーラー9番を2種類聴きました。アバドとハイティンクです! どちらもCD-R盤です。

 アバド/ヴィーンフィル L1987/3/17
 
 これは初期のもので、アバドもまだ病気前くらいか。ヴィーン国立歌劇場の音楽監督になったばかりだそうです。だからか、かなり情熱的な、動きの激しいもの。その激しさが必ずしもまだ9番に合ってないような感じも受けるが、表現としてはとても面白い。ただし残念ながら音質が悪すぎる。★4つ。

 ハイティンク/ヴィーンフィル L2004/4/25

 本命はこちら。

 
脱帽した。

 先日、いちばん最初のスタジオ録音の9番を聴いてインフルエンザのようにうんうん唸ったばかりだが、この最新のライヴは 
す ご い!

 もちろんオケもうまいのだが。全体、ハイティンクのマーラーは全集が何度も頓挫し、とても複雑な様相を呈しており、なかなか全体を把握するのは難しい。またナンバーやオケによっても出来不出来があるような気がする。云うほど聴いているわけではないが、BPOや他の6番なんかは私はイマイチなわけだ。そのせいで、いままで食わず嫌いだった。

 それが9番はやおら大本命!!

 この自在にして闊達な9番の生命力! リズムは生き生きとし、表現は真剣。1楽章の迫力! 2・3楽章の焦燥感や、グロテスクさ! 4楽章もけしてお耽美には終わらない確固たる信念! そして表現力だけではなく、完璧にヴィーンフィルを鳴らしきり、音を整え、リズムを合わせるその統率力! しかるに全体をおおうその巨匠の余裕!!

 こ れ は す ご い!!

 音質がやや悪く、正規盤の出来だったら間ちがいなく
だが、ここは★5つで。1枚で聴けるというのもうれしい。

 ハイティンクはシカゴ響で是が非でも9番をライヴで録音すべきである。

 
現役でマーラーの9番を振って、世界一だと断じたい。


1/9

 不気味社音応解研究所所長より届いた冬の新作+アルファーを聴いたので小文を呈する。その名も 豪快な緯度0大作戦 まずは収録曲一覧をご参考下されたい。

 今回の企画は、ゴジラシリーズ等に数々登場する各地の名所を音楽で訪ねるという音楽旅行。月にまでゆけるのが最大のミソである。

 数々のゴジラ関連特撮伊福部楽曲の楽曲を男性合唱で奏でてきた同研であるが、例えばマーチ、怪獣のテーマ等、主要な楽曲に限られていた。しかし今回は、各種シーン及びその舞台に注目し、それへ合わせたBGMを選択しており、音楽を聴くだけであの名所名跡名シーンへトリップできるという面白さ。

 不気味社はついに世界を舞台にした。あえて云おう。

 
不気味社はフリーメーソンを超えた!!と。

 正直、私は映画そのものにはそんなに興味無いタチなので(伊福部のどちらかというと純粋音楽派)、世代的に伊福部特撮とは微妙にズレているのもあり、特撮関連をぜんぶ見てるかと云えば見てないのだが(^^;A  それでも曲だけ聴いても充分に面白い。轟天号の圧巻の試運転シーンなどはあまりの重厚さとカッチョ良さにクラクラくる。

 さて、それへ関連してか、今回の副次モノは名付けて 豪 快 鉄 私は特に鉄チャンではないので、なんともなのだが、そもそも、地理教育 鉄道唱歌 ってなんなの!? というところからはじまった。いつぞや所長と呑んだとき、こんどの冬は鉄道唱歌全曲ですよ〜! とおっしゃってたのだが、あまりに興奮する所長に 「そ、そんなにすごいものなのか……」 ていどにしか分からなかった。

 まあDVD仕様で届いて聴いてみて、「なんでおんなじ曲が延々と続いてるんだ!?」 この始末である。てなわけでぐぐる。キングレコードにボニージャックスの歌ったCDがあった。

 なんとまあ、全曲全歌詞334曲!! 100年前の明治日本、日本全国津々浦々(時代背景により北海道・沖縄除く)の名所名跡を分かりやすい歌詞でまとめ、それへ親しみやすいメロディーをつけた。

 これはしかし豪快な企画だ。まさにDVDの容量でなくば1枚には入らない。100年前は熊本が九州でいちばん大きなマチだというのも分かった。不気味社編は全5集の他、満州韓国版も入っており、より価値を増していよう。

 さらに、昨年の冬の副次モノである 豪快P を買った。まあこれは解説の必要もない有名な歌手のアレンジ版ではあるが、男性合唱というのがミソかな(笑)

 いちばん面白いのはやはりペッパー警部である。これは良いwww なんでカトちゃんwww

 次がカルメンだ。なってったって伴奏がビゼーのカルメンってどうなんですか!!

 残念ながらS・O・SとUFOは印象が薄かった。特にUFOはいちばん好きな曲だっただけに、もっと豪快なUFOかと思ったが、スピルバーグのピポパポパーの映画にかけていたので、大人しかった。


1/3

 年末年始にかけて、またまたマーラーで過ごしました。て、9番がたまってるのでまずそれを消化してから、という企画です。(消化する前にベルティーニのライヴやマーツァルなど、次々と9番の新譜も出るのですが……汗)

 じっさいは9番の他にもいろいろ聴いてますがww

 しかし9番をこれほど集中的に聴き続けているのも確かです。

 第3弾は特につながりはないのですが、

 クーベリック/NYフィル 1978ライヴ
 ハイティンク/RCO 1970(1969)スタジオ(大地の歌1975と2枚組)
 ギーレン/シュターツカペレ・ヴァイマール 2006ライヴ

 クーベリックとギーレンはCD-R盤、ハイティンクは正規盤の廉価版です。

 クーベリックはドヴォルザークの交響的序曲「オセロ」と併録で、そっちは1975年のライヴだそうだが、音が悪くてなんだこりゃ、って感じでぜんぜん期待してなかったが、マーラーは非常に音がよくてびっくりした(笑) クーベリックはauditeのものが高名だが、9番はこっちのほうが録音も中身も良い。何より音がぜんぜん良い。クーベリックはご存じの通り存外、浮き沈みの激しい感情的なアプローチをするが、その感情の迸りがよくとらえられており、迫力満点。かといってアンサンブルが荒くないのがうれしい。これは、NYフィルハーモニーの うまさ もあるのだろう。文句なし。★5つ。ただし、3楽章のトランペットに重大な事故。

 ハイティンクはいまさらの正規盤だが、私は6番を大昔に買って、イマイチだったような気がしたのでそれきり省みてなかった。ところがこれが良い。人間の耳は本当に当てにならぬ。まあナンバーにもよるのだろうが、中古ででも全集を集めてみようかな、と思わせる内容。素晴らしいアプローチ、派手ではなく、かといって無味乾燥でもなく、音楽の本質が滲み出てくるような、それでいて現代的できれいな、
なにより明快な、アプローチ。スタジオだから瑕も全く無いし。大地もそうだったが、これはオケもべらぼうにうまいし(やっぱりマーラーはオケの技量が半分、モノを云うよ!)レベルが高い。いままで気づかなくってごめんなさい。大地、9番とも★5つ。ただし大地はちょっとアルトがドラマティックすぎるか?

 学生オケ(PMF)といえど、ハイティンクの棒でナマで9番を聴けた我輩は幸せだ。

 → ちょいとハイティンクのマーラー録音を調べたところ、なにやら異常に複雑な様相……。しかも量も膨大。とてもでは無いが、全部は買えないぞ(^^;A

 1種類しかないうえに名演らしき8番なんかは聴いてみたい気もするが。

 シカゴ響の3番もそうなると聴いてみたい。。。

 ギーレンはそうなると、この中では印象が薄いぞ。オケもあんまりよろしくないし。ギーレンの棒についてってない。★4つ。






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