※もう背景も面倒なので2009年からCD雑記も白地に黒決定(笑)


6/11

 マーラー:8番2種。

 小林研一郎/日本フィルハーモニー管弦楽団 他 L1998  
 
 山田一雄/東京都交響楽団 他 L1979

 コバケンのは10年前のライヴ録音。日フィル定期500回記念演奏ということである。札響も2007年に500回記念をマーラーの2番で祝ったし、やっぱりマーラーは世紀末も新世紀も流行りなのでしょう。

 コバケン特有の音楽のうねりがこういうハデな曲では存分に楽しめる代わりに、いまいち細かいところがモヤモヤしたり、ガサガサしたり、合唱の音程がうにょーんってなってるような気がしたり、やたらと唸り声が入っていたりは、まあコバケンならではです。

 1楽章は冒頭とラストが異様なスローテンポでじっくりと世界の開始と終わりを宣言している。だからといって全体に鈍いわけではなく、メリハリが面白い。録音がクッキリしていないので、音質良好ながら明瞭に聴こえず、ホールの余韻に音楽自体もやや丸くなった印象。感情表現に徹するあまり、合唱が少々不安定かもしれない。私が大好きな展開部の「その光をもって我等の五感を高め」におけるアレグロの部分、伴奏でトロンボーンがズガズガズガズガと激しい運動をするところなど、トロンボーン専用マイクでも立てたのではないかというほどトロンボーンが大活躍で、こんなにトロンボーンが鳴っている演奏は、始めて聴いたかもしれない。とにかく第1楽章はラストのうねり狂うようなオーラの燃え盛りが、すんごい

 日本のオケじゃないみたい(笑)

 2部の冒頭も躍動的で、かなり良い。ここがこんなに(唸り声付で)描写的に描かれるのも珍しい。ふつうはもうちっと静かで、静謐な場面なのだけれど……地の妖精でも踊っているような激しさ。

 ただ、中間部がやや散漫である。いや、これは曲の特質上、ちょっとしょうがないのかもしれないが……

 最後までトロンボーンがよく聴こえる。マイクの位置が良かったのか、そのようにミキシングしたのか、はたまた本当に鳴っていたのか。

 終楽章最後もテンポはぐわっと落ち、大地の底より天へ向かって清浄なる魂どころか龍でも登って行くかのような凄まじさ(^^;A

 表現は文句無しに素晴らしく盛り上がり、まさに圧巻、熱狂。これで、アンサンブルがもう少ししっかりしていれば完全に★5つでしたが、それはコバケンの芸ではないし、日フィルには無い物ねだりかも。。。

 というわけで、あえて★4。

 しかし上には上がいる!!(笑)

 8番の日本初演者ヤマカズ大先生。初演はなんと1949年である。ヤマカズの8番の演奏記録は以下の通り。(とのこと) 山田一雄の世界 より。

 1949/12/8-9 日本交響楽団(N響前身) 日本初演
 1979/2/12 東京都交響楽団
 1986/4/6 新交響楽団

 これは2番目の演奏となる。初演が古すぎて録音の無いこと、3回目がアマオケであることを検案すると、この演奏がまさに、というものになるだろう。

 アドルノは云っている。

 
マーラーの長調・短調の月並みな技法は、それなりの機能を担っている。それは習慣と化した音楽語法を方言によって妨害操作するのだ。マーラーの音調は、オーストリアでリースリングのブドウが「いい味だ」(シュメッケルト)と言われるがごとくに、いい味がする。その芳醇な味わいは、刺激的(パイツェント)かつ軽妙(フリュヒティッヒ)で、ただちに精神を活性化させるのに役立つ。(マーラー 音楽歓相学 P31)

 そんなわけでマーラーを聴いて無闇に興奮し、わけもなく盛り上がって部屋で指揮者の真似事をし、足をぶつけて我に返るのは、マーラーの秘術に正しく浸っていることになるのではあるまいか。

 特にこの8番の1部はその作用が顕著である。まさにコバケンをも凌駕した、音楽に狂っているヤマカズのマーラーそのものの奮迅の音が聴こえる。ただし、音楽の外観はけして崩れていない。ここ大事。

 唸り声は無いが、足音はある。バーンスタインのようなドタドタいうものではない。ダッ! ズガッ! という、小ハンマーと小バスドラが合わさったような、クック版10番終楽章のような凄い音がする。さいしょなんの音か、打楽器が間ちがったのかと思った。まさに一気呵成。光の放射。魂の咆哮。芸術は爆発だ。こんな凄い1部は……まあ、あまり聴けないと思う。

 2部も良い。この叙情!! この詩心!! 分かっている。分かっているよヤマカズ!! 溶けるような甘美。神秘の合唱。独唱もうまいですよ。ベターっちゃベターでしょうが。

 1時間は一気に進む。独唱陣のノリというか演技もよいし、ホルンが凄い。瞬間たりとも弛緩していない。曲自体が演劇っぽい演出なので、純音楽としてとらえるよりも飽きが来ないのかもしれません。

 時期的にこの演奏で初めて8番を聴いた人もいたかもしれません。大仰にガワだけ膨れ上がるのではなく、圧倒的な質量に押しつぶされるような……録音からそれが聴こえてくるのは凄いと思います。ベルティーニや朝比奈と同じ音というか、音質量がします。私はただきれいに鳴らしているだけだったり、とにかく煽ったりしているより、そういうどっぷり漬かることのできる8番が好きなようです。

 録音は流石に最新のコバケン盤に劣るが、中身は凄まじく凌駕している。★5つ。これが★5つ。マーラーベスト変更。

 しかし都響がうまい。1991年の若杉盤はとんでもなくへぼへぼだった記憶があるので、同じオケなのかと思う。なんなんでしょうね。12年経ってるから、人員も入れ代わったのでしょうか。詳しくありませんが……。(トランペットが事故を起こしている箇所も、そりゃあありますが。)

 それにしてもナクソスで出るはずだった山田一雄の作曲作品集はどうなっちまったんだろうか。。。

 ナクソスが屁たれなら、タワーレコードやオクタヴィアが気合を入れてほしいものである。

 さらに、フォーレのレクィレムが併録だが、私には合わない音楽だった(笑) クラシックじゃないみたい。というか、吉松の先輩だな。


5/31

 久しぶりにマーラー以外を聴く

 テンシュテット/シュトゥットゥガルト放送響 

 ブラームス:第1交響曲 L1976
 マルティヌー:第4交響曲 L1973

 ハイティンク/ベルリンフィルハーモニカー
 
 ショスタコーヴィチ:第4交響曲 L1997

 テンシュテットは西側に出始めたころの、貴重な録音で初出。しかしなんという先鋭なブラームスか……なんていうんですかね、いちいち楽器の発声が、アーティキュレーションやフレーズの最初の音が尖っているから、やたらと攻撃的なブラームスが出来上がる。それがブラームスという作家の表現方法として良いのかどうかは、そこまでブラームス聴きではないので分からないのだが、とにかくなんかカッコイイ(笑) それもしかし、短い3楽章から4楽章に到ると、開放的なフレージングに変わり、ラストの大団円が自然に演出される。なんだ演出か……。流石だぜテンシュテット。ブラームスの1番はけっこう後期の渋いブラームスとちがって、演出過多なので、これくらいでちょうど良いのだろうか。

 そして珍しいマルティヌーの交響曲。新古典主義の重要な作家のマルティヌーは、アメリカに亡命したので、アメリカの作家ということなのだが、音楽語法はチェコである。ここでもけっこうボリュームのある交響曲を展開しているが、音楽は軽めで、かつ、民族的な和声とかも取り入れつつ、現代的なエッセンスもあって、まあいわゆるモロ新古典主義である。テンシュテットには珍しいレパートリーで、録音では他にCDR盤でヴァイオリン協奏曲がある。

 テンシュテットは古典派も得意でモーツァルトとかハイドンとか、独特の解釈で演奏しているが、その延長にあるようなもの。曲ふうからして大暴れというわけではないが、どんどん音楽を容赦なく進めて行く迫力。ちっとも停滞しないので、飽きが無い。意外にマルティヌーっていいのかな? とか思ってしまうが、これは特上の演奏である。両方とも★5つ。

 同じマエストロでも、テンシュテットは田舎の個性あふるる5つ★オーナーシェフ、片やハイティンクは超一流ホテルの総料理長といったふうに感じます。

 没個性のように思われがちだが、凄まじい管理と徹底が織りなす凄味というのはやはりあるわけで。これはオケもオケなので、いっそうそのハイティンクの厳しい姿勢が際立つ。

 ハイティンクはまたショスタコーヴィチの西側初の全集家でもあり、解釈は普遍的で、所謂ロシア臭くない、ソビエトの空気のしないショスタコーヴィチということで貴重なもの。やはり同時代の作曲家として、ソビエトの生々しい記憶をとどめる演奏も素晴らしいが、こういう純粋な交響楽的アプローチも、ベルリンフィルまでのオケを使うと、音の軋みがとんでもないことになる。一時期のブーレーズのハルサイのようなもの。

 ギャッギャッギャッギャッ と、本当にオーケストラが鳴るんですねえ(^^;A

 また、いちいちソロがうまいんだ(笑) 全員ソリストとして食ってけるというBPOですから、これは贅沢な話です。特に木管がすげえ。

 表題も歌詞もイデーも無く、ショスタコーヴィチの交響曲の中でおそらくもっとも純音楽的な4番。とかく、メタクタな楽想をただ羅列し、おれは指揮がうまいんだ凄いだろといったような演奏になりがちの、4番なんですが、ハイティンクの一家言あるまとめ方は見事。迫力もあり、ソロも丁寧、音楽は微塵も停滞せず、CDR盤ながら音質も良い。オケもうまいときたら文句無しですよ。正規なら当曲の決定盤でしょう。

 ★5つ。たぶん、むかし衛星放送のベルリンフィル定期演奏会でやってビデオに録画したものと同じ演奏だろう。そのビデオは、どっかいった。

 ところで演奏の終わった緊張の余韻の最中に
鼻かんでるやつはなんなんだ!?(笑) ずびー、ずびー、ぶー!て、拍手のフライングっていうレベルじゃねーぞ!!ww 


5/24

 ノイマン撰集、最後。。。

 ノイマン/チェコフィル マーラー:第9交響曲SACD

 7番をやろうとして、例のテノールホルンが急に手配がつかなくなってもたくさしているうちに、時間が勿体ないので9番を録音しようというノイマンの発案により、臨時ながら確信のある指揮で実に素晴らしい演奏となったものの、この後にノイマンが急逝してしまって、まさに最後の録音となったもの。

 感慨深い、実に良い演奏。

 しかも生気に満ちている。

 やたら、この曲は、感情を込めてという言い訳でもっさり、どろっと演奏されがちだが、ここには無い。1楽章など、後半、急いでいるようにも感じる。生き生きと歩んでいる。やや、2・3楽章がセッションらしく間延びしているようにも感じられるが、4楽章も抜群の情感である。なにより、音質が良い……SACDはこの臨場感に限る。1枚ものなのも聴きやすい。最高。

 前はその衝撃で◎にしといたけど、○5つで。


5/18

 今日はマーラーの命日。

 ノイマン/VPOで大地の歌です。CD-R盤です。1971年や1983年の、チェコフィルとのライヴ盤ではなく、なんとヴィーンフィルとのもの……! 1989年のライヴというレアものです。

 ノイマン/VPO ルードヴィヒMs モーザーT

 まずなにより……

 
う ま い w w w

 なんでこんなにうまいんでしょう。

 
指揮がうまい。

 
オケがうまい。

 
そして歌がうまい。

 
無敵。無敵の大地!!

 音がやや(シャーシャー)悪いのと、3楽章で2秒ほど音飛びがあるのを我慢すれば、これは完全に完璧な大地の歌。西洋風の解釈としては、ですが、これは完全に交響曲。しかも、完全に後期ロマン派のコテコテ交響曲。ここに大地は歌曲だとか、情緒あふるるとか、死の境地がどうのとか云う戯言の介在する余地はなし。


 
こんなに生命力にあふれていて良いのだろうか。


 
生きる ということがこんなにも素晴らしく歌われていて良いのだろうか。
 

 うめえ、しかしうめえ! なんぞこれヴィーンフィル!! 絃よし管よし。打楽器はあんまり活躍しませんが……なによりすべてのフレーズがなんでこんなに力強いのか。波のようにうねりまくる強弱そして抜き差し自在のヴィーンフィルのうまさ。マンドリンとかちゃんと拾ってるし、録音も上手よ。

 しかし、あまりに力強くて、ちょっと濃厚すぎるかもしれません。東洋風の茫洋とした静謐な感情はむしろ薄れて、あくまでコテコテな、西洋音楽としての大地の歌。

 6楽章なんか、このドラがガンガン鳴る地獄の兵士招集みたいな間奏に、逆に興奮してくるwww

 ラストの エーヴィヒ だって、そんなに朗々と歌わなくとも(笑) 伴奏もしっかり鳴ってるしなあ。ピアノ は弱々しく、ではない! しっかりと! みたいな。

 しかし、ノイマンのフレージングのうまさ、ここに極まれり。

 ★5つ。音質よければ
だったが。


5/10

 ノイマンのSACDマーラー新録。6番を聴きました。ノイマン/チェコフィル マーラー:第6交響曲

 これは以前の盤より好んで聴いていたもの。音質が向上し、やや丸くなった印象もあったが、例の金管両人の妙技もあり、絃楽も木管もバランスよく鳴っており、満足できるレベルの唯一のセッション録音という位置づけには変わりは無い。

 特徴としてはやはり、全体として旋律重視のホモフォニックな切り口であること、ライヴにありがちなやたらと興奮して音楽を煽っていないこと、それでいて、単純に楽譜を上手に鳴らしているだけではなく(どういうわけか6番のセッション録音はとかくこれが多い。そんなことをしても演奏は上手だけれどこの膨大な音楽は音楽にならん。)、マーラーの持っている独特の語り口を護って上手に盛り上げていること、などと感じた。

 3楽章アンダンテはけっこうドライに進んで15分代。2楽章はもちろんスケルツォ。スケルツォは重々しく、マーラー独特の重スケルツォを余すところなく表現する。ソナタ形式やワルツも含む5番の3楽章とも異なり、2番以来の純粋なスケルツォで、7番と9番にそれは引き継がれる。

 1楽章はむしろ淡々と進む方だが、圧巻は4楽章で、もとよりマーラーの中でも圧倒的な楽章で、以降、8番や大地、9番でその方向性が決定づけられる重要な音楽でもある。じっくりと音楽を鳴らして行くノイマンの歌心。けして音符を鳴らすのみではない、焦燥感と安定感のあるその表現力は、とても良いもの。○5つ。


4/29

 ノイマンのSACDマーラー新録。5番を聴きました。

 ノイマン/チェコフィル マーラー:第5交響曲 ケイマンTp ティルシャルHr 
 
 なんといってもチェコフィルが世界に誇った2人の金管奏者のソロがすばらしい。全体のバランスも良く、ノイマンの棒が冴える。第2の1楽章とも云える2楽章のドラマは最高。

 ここでもノイマンは、あくまで耳障りのよいホモフォニックな主旋律を普通に、丁寧にならす。5番からのマーラーはポリフォニックを駆使して、ここからが本当のマーラーだと云わんばかりの、主旋律と副旋律が逆になったような奇異な作為はどこにもない。

 とにかく自然。だからといって、能天気な自分勝手演奏とも異なり、とにかく丁寧なのである。ちゃんと旋律を把握し、ちゃんとポリフォニックな構造を把握し、ちゃんとソナタやロンドの構成も把握している。まさにマーラー指揮者といえる。だが、その丁寧さが災いし、4・5楽章がちょっと間延びしていると感じる嫌いもあるが、それは好き好きでしょう。4楽章はハープが大きくミキシングされているが、それも絃だけがやたらと濃厚な仕上げになって、ハープがふりかけの胡麻塩みたいになっているよりむしろ面白い。

 ○5つ。


4/25

 ネットで知り合ったレコードコレクターの方より、音源交感という形で、LPをコピーしてもらう。未CD化のもの、限定CD化のものもあって、貴重な音源を楽しむことができた。

 まずショスタコーヴィチを3種類。

 コンドラシン/モスクワフィル で 交響曲第9番(全集でCD化) 叙事詩「ステパン・ラージンの処刑」(限定BOXCD化)

 スヴェトラーノフ/ソヴィエート国立響 で 交響曲第10番(未CD化)

 そして ストコフスキー/ヒューストン響 で 交響曲第11番「1905年」(復刻CDあり)

 全てLPからの直接コピーなので、プチプチ音が入るが、音質は上々。たいへん有り難い。

 9番は詳しくは知らないが、全集に入っているものと同一と思われる。音質がややぼけてるが、その異常なまでの凝縮感と一心不乱のスピード感はすばらしい。こんな9番は日本では絶対に聴けないもの。というか、9番自体が、あんまり演奏されないような気もする。先年のミッチーの演奏はどうだったんでしょうかね。雑音はあるがCDより音が生々しくて良い(笑) ★5つ。

 それは良いとして、コンドラシンのステパン・ラージンをようやく聴けた。これで残りはロジェストヴェンスキーとケーゲルか(笑) これは13番と同じくエフトゥシェンコの詩によるカンタータだが、音楽的にもむしろ私なぞは13番よりぜんぜん聴ける。やもすると鳴り物曲扱いされる当曲を、硬質な構成と緊張感で締めるあたりは、やはりコンドラーシンの独壇場か。打楽器や金管もバキバキに鳴っとるし、やはりバスが最高に重々しい。合唱も真実味と迫力がある。これをエンタメ曲とするのも手だが、本質は異なる★5つ。

 スヴェトラーノフの10番も意外に珍しいレパートリー。しかも、未CD化らしい。7番や5番などのけっこう「明快に鳴る」曲は得意だが、8番は表現しようとするところは良かったが、期待外れだったのは否めない。(悪くはないがカラ回り) 意外に9番が良いのだが、10番もなかなか……良い。まあ、私は曲が曲で、どんな演奏もあまり興奮はできないのだが。(ショスタコ主題でどうしても笑ってしまう)

 曲としていちばんつまらない1楽章は置いといて、2楽章はやや物足りない。人によってみ2楽章が白眉だろうが、これでは期待外れか。スネアドラムは胴の短い軽い音がする。タカタカタカという。軽機関銃みたいな迫力はある。ただ、金管が弱い……どうしたのだスヴェトラーノフよ……。

 やはり3楽章が白眉か。荒い印象はあるが、ホルンの主題がけっこう凶悪。ショスタコ主題と交わる部分もかなりイカレている。4楽章はまとまりが良く、聴ける。ショスタコ主題もこれでもかと鳴る。思わず 「ショー!スー!ター!コォオオオオオア!!!」と叫んでいる自分がいる。★5。

 ストコフスキーのショスタコは、シカゴ響を降った通好みの6番を持っている。11番は輸入盤だがEMIからCDが出ている。これは珍しい演奏である。

 ストコフスキーはその派手好きな解釈から、重たい曲はイマイチように思われがちかもしれないが、まじめな時はとことんまじめ。当曲も、平易な内容の割には、異様な重さと暗さだが、1楽章からじっくりと鳴らして行く正統的なもの。この暴力の暗示のティンパニは恐ろしい。この曲は1楽章が長いわりに8番のような凄味が少ないのだが、2楽章からの盛り上がりは補って余りある。3楽章のひたひたとした悲しさもなかなか良い。というか、かなりまじめな演奏ですぞ。

 とはいえ、やはり全体的にアメリカの性か、他人行儀でそっけない嫌いがある。★4つ。ラストの鐘はちょっと能天気に凄い(笑)

 次は(そのうち)同じくコピーしてもらった、ストラヴィンスキーのめずらしいものを聴きますが、またノイマンのマーラーに戻ります。


4/19

 ノイマン/チェコフィル マーラー:第4交響曲

 ノイマンのSACD新盤。4番。チェコフィルのマーラーはしっかし、うまいねえ(笑) 何がこんなにうまいんでしょうね。モーツァルトもそうだが、マーラーもチェコでは長い演奏の伝統と歴史があって(そもそもマーラーはボヘミアの生まれ)独特の奏法で演奏されます。それやっぱりフレージングなんだと思う。

 フレーズって云うのは歌のことで、旋律のこと。日本人はホモフォニックな曲が好きで、感情的(感傷的)な聴き方をするのだが、そういうのを嫌がるひともいる。でも意外とアメリカ人もそういう聴き方をしてたりすると思う。

 そもそも、音楽とはホモフォニックなものであり、調和なもの。ポリフォニックな音楽というのは、バッハあたりの時代の人が当時のゲンダイオンガクとして考え出したもので、装飾された旋律が2つ同時に進行するなどと、当時は人工的で異様な、神に逆らう非調和な音楽だったとのこと。
 
 そういわれるとなんだか複雑だが……話がずれたが、マーラーは本来そういう旋律重視のホモフォニックな音楽家だったので、旋律を楽しむのは別に悪いことではない。またノイマンがそういう旋律の歌わせ方が絶妙にうまい。しつこくなく、素朴で、かつ、美しい。

 とはいえ、4番は5番への過渡期の作風で、旋律のみで渡ろうとするとちょっと飽きがくるか……そこらへんは、テンシュテットとかシノーポリがうまかったが。全楽章にわたり、面白い管弦楽法を存分に鳴らしていた。

 ソプラノのコバーンの人もうまいよん。

 ○4つ。


4/11

 ノイマン/チェコフィル マーラー:第3交響曲

 SACDのシリーズで3番。3番は、旧キャニオンは盤をもってなかったので、ノイマンでは初めて聴いた。

 いやー、良い。

 よいですわ〜〜。2番も良かったけど、3番もよいです。

 
しっかし、田舎くさい交響曲ですな(笑)

 それがまた、チェコフィルとノイマンの感性に合ってる。技法的には、1番2番とは比較にならぬほど熟達している。それを強調する技術的な演奏もあるが、3番の作風ではむしろ不自然だ。やはり、いやが上でも牧歌的な印象を与えるようマーラーが作っているのだからそこは逆らわずに、楽しい旋律を重視しつつ、マーラーが「隠し味」として仕込んでいる技術的な部分もさりげなく浮き立たせる。そういう憎い演奏が3番は心地よい。ノイマンとか、ベルティーニとかがまさにそうなのだが。アバドなどになるとちょっとやりすぎというか。極限まで美しいのですけども。

 全体的にはゆっくりな印象があるが、時間的には実は速い。3楽章は19分とかの演奏もある中、15分ですませている。コモド Comodo の指示があるので、急がず、平静にやるとそうなるのだろうが、別にゆっくりやれというわけでもない。ちゃんと間合いをとってフレージングを気をつけて処理すれば、そのくらいでも充分に歌になっている。

 3番はダラダラした3楽章が最大のネックと考えている自分にはとっても嬉しい演奏だった。

 合唱もきれいで、オケもやっぱりうまい。しかも、ケイマルさんがポストホルンを吹いておる……どう聴いてもフリューゲルですが(笑) フリューゲルでいいんでしょ??(ポストホルンのパートを吹いているという意味でしょ?)

 ※ポストホルンはピストンもヴァルブもないただのくるっと回った管だけの楽器で、プップクプーというモーツァルト好みの間抜けな音しか出ない。あんなマーラーのソロを吹けるような楽器ではない。困ったもんだ、マーラー先生。んでもって、みんなトランペットやフリューゲルで代用する。

 終楽章も20分で、意外と速く、だらだらしない。○5つ。

マーラーベスト変更です。


4/5

 SACDでノイマン/チェコフィルの新録マーラー撰集を聴き始める。ようやくというか。

 ノイマン/チェコフィル マーラー:第1交響曲 第2交響曲

 これはもう92年とかに出ていたやつで、私はその昔の盤も新譜で買っていたが、いまいちだったような気がして評価が低かった。

 しかも6番の後、7番のテノールホルン奏者の手配がつかなくってもたくさしているうちに、ノイマンがじゃ時間があるうちに9番を録音しようということになって、その9番がまたまあ名演だったのだが、その後にノイマン自身が急死してしまったので、シリーズは全集ではなく撰集となった。

 これはぜひプラハで7番を録音してほしかったのだが、9番でも仕方がないというか名演なので、まあ仕方がないというか(笑)

 ノイマンのマーラーは1本芯が通っていて、クーベリックともまた少しちがって、もっともマーラーの中の旋律性を重視し、あぶり出している。しかもそれが田舎臭くない。旧録音盤では少しセカセカしている部分もあったけども、新録音ではそれがなく、実に自然にマーラーのボヘミア気質というか、歌謡性を引き出している。

 そもそもマーラーはホモフォニーの作曲家であるというのが私の考えで、それをマーラーはバッハ等で対位法などをたくさん勉強して、鬼みたいなポリフォニーを作り出したが、そのために独特のマーラー流のポリフォニックな交響曲を生み出して、まかその書法がもっとも活かされる音楽媒体が、交響曲だったのだと思う。

 したがって、マーラーのそういう書法を思い切り研究し、強調するポリフォニーあぶり出し演奏方法が最近のトレンドだったが、その中でノイマンの旋律や歌謡性をむしろ浮び上がらせる切り口はユニークだった。
 
 特に、1番から4番まではもともとがそういう書き方なだけにその方法は大成功しているし、また5番6番もやたらとそのポリフォニックな書法にこだわるのではなく、あくまで自然な流れが魅力的だった。6番などはセッション録音の中では最高峰だと思う。

 そんな演奏で、音質が飛躍的にパワーアップして帰って来たのが、SACD盤である。

 まず1番から聴く。そもそも1番が 「マーラーがわざわざ平易に作曲した」 だけあって、ちょっとマーラーを聴きこんだ人には物足りない部分や違和感があるが、それでも不思議で斬新な(変な)和音や、マーラーらしいエキセントリックでショッキングな内容などは面白い。ノイマンは特に4楽章を上手にこなしていた。この曲は4楽章がネックで、本来は5楽章だったのだが、なんか無駄に長い。それを上手にまとめている。1楽章からずっと、どちらかというと平和的・牧歌的な印象のある演奏だが、最後の盛り上がりも充分だし、15年前はあんまりよく分かってなかったんだなあ。なにより音質が云うことが無い。○5つ。

 そして2番なんですが、このノイマンの新録は、私は2番の中でも最も好きな演奏でして、凄い聴いてます。これはスタンダードとして推奨です。1枚ものですし。

 2番はこれまたちょっと特殊な作品で、マーラーの中で一番作曲年数がかかっていて、ようするにキテレツでバラバラです。それをむりくり合唱なんか使ってまとめてる(しかもまとまってない)から、個々の楽章は面白いが、全体の構成というか、フォルムというか、メチャクチャです。聴けば分かると思いますが(笑)

 ふだんブルックナーだのベトベンだのブラームスばかり聴いてる人が復活を聴いたら発狂します。というか知り合いの人はしました(笑)
 
 いや、私が行こうと思っていた復活のチケットを、行けなくなったので安く譲ったのですが……その演奏はたいへん好評だったのですが、「わけわかんなかったよー! なにあれ!!」 と。。。

 うーん、初めて聴いたんじゃ無理もないかも(^^;A (クラシック歴30年超のおじさんなんですけどね。)

 やはり2番はただ演奏したのではなかなか飽きが気やすいとは思います。何か、まとめ上げる方法が必要かと思います。ノイマンはそれをマーラーの歌謡性に見いだしていますね。1楽章も、2楽章も…全てにマーラー特有のすばらしい歌が流れています……。

 それでいて、マーラーらしいショッキングな部分、ヒステリックな部分もちゃんと表現できています。

 フレーズ良し、表現良し、オケ良しで、1枚もので聴きやすいと、やっぱり理想の2番ですね。○5つ。


3/29

 コンドラーシン/フランス国立響でショスタコーヴィチの8番 1969年ライヴ
 テンシュテット/北ドイツ放送響でマーラー5番 1980年ライヴ

 これは珍しい、初出音源とのこと。ただ先に書いてしまうと、演奏はすはらしいが、音質はかなり悪く、★は両方とも4つ。

 コンドラーシンのショスタコ8番といやあ、ムラヴィーンスキィの8番と双璧をなすもの。特徴はその重さ。すべてのフレーズに重しがかかっており、それがまたスヴェトラーノフとも異なって、豪快ではなくむしろ精緻。またフランス国立響がうまい(笑) ロシアのオケより断然うまい。金管とか特にうまい。流石である。ロシアのオケはそれを補って余りある味を持っているので良いのだけど、さすがにこういううまいオケで8番なんか聴くと、音楽の本来の凄味がダイレクトに伝わってきて嬉しい。音質が良ければ☆なのだが……。

 そしてテンシュテット。テンシュテットとNDRとなれば、伝説のマーラー1番2番があるのだが、なんと5番!!!

 これは期待www

 と思ったが、こちらも予想以上に音質が悪く残念。モノラルっぽいし、3楽章では音飛び、歪みもある。というか、最後には曲紹介のドイツ語のナレーション。

 こりゃ北ドイツ放送のエアチェックじゃないのか!?!?(笑)

 内容はすばらしいもの。さすがテンシュテットで、マーラーの5番の1つの形を完全に定めている。特に1・2楽章が良く、この楽章から恐怖が伝わってくるのはテンシュテットだけ。なんでこんなに怖いのだろうか。一転して4・5楽章の幸福な雰囲気も、演出であって面白い。3楽章はそれらをつなぐ迷いや混乱である。

 音が良ければ☆☆☆くらいだが、ちょっとこれも厳しい。


3/19

 ストコフスキーの1968年ライヴでなんとハチャトゥリアンの第3交響曲、ショスタコーヴィチの第6交響曲。シカゴ交響楽団。

 同年にセッション録音したレコードが名盤としてCDにもなっているが、そのライヴ録音というものがあったらしく、CD-R盤で出たので買った。

 録音は良くないが、演奏のノリがセッションとぜーんぜんちがって凄い!

 ハチャトゥリアンなど、これで録音が良かったら、シカゴ響の無敵金管と合わせて、コンドラシンに匹敵する史上最強盤である。冒頭のアタックはストコフスキー独特の切り口で、金管群のフレージングが他の演奏のどれとも異なる。低音の強調も凄い。アレグロになってからのスピード感も良いし、オルガンの狂いっぷりもかなりのもの。絃楽の歌い方もすばらしい。ただ節回しだけが、アメリカ節なのを納得する必要があるが、逆にロシアの持ち味がない方が、この曲は不気味だったりする。

 ラストの行進はテンポが倍のもの。しかし金管が鳴りすぎだ(笑) しかもメチャクチャクドイ!! 鼻血ぶーー!よ、ブー!!

 シカゴの客、拍手万雷拍手喝采!! そして変なファンファーレ!! ストコフスキー登場そしてウィットに飛んだコメントまで入っとる。なに云ってるかわかんないけど。(ドッと客にウケてるから、何かウケることを云ったのだろう。)

 併録がショスタコーヴィチの6番というのも趣味が良い。こちらも気の抜けたような(CDのそれはマスタリングのせいとも思うのだけれど)セッション録音とは異なり集中力が段違いに良い。木管は不気味で、絃楽は恐怖だ。

 2楽章からのアレグロと、3楽章のプレストも速すぎず、ライヴ盤によくありがちなあわて方もせず、小気味よく、かつ、テクニックも確かで崩れておらず、とても良いし、ここぞというときの盛り上がりや集中力がギラギラしていてなにより面白い。ただ、演奏とは関係なく録音の関係で各楽章の合間にやや切れ目が入る。

 録音だけ難点だが、どちらも★5つ。

 しかしストコフスキーもライヴの人だったとはなあ。フレージングがうまい。昔の人らしい音楽のとらえ方です。いまの新古典的指揮法にはあまり無い部分。


3/1

 1984年ライヴ。ベルティーニ/シュトゥットゥガルト放送響 マーラー9番。及び、1985年ライヴ、ベルティーニ/ヴィーン響 マーラー9番。ダブルでベルティーニのマーラーの9番を聴く。

 ううむ、既にベルティーニにはケルン放送響や都響との至高の9番があるため正直インパクトには欠けたのだが、それでもやはり、ベルティーニ。良かった。80年代半ばというとベルティーニも50代で実に溌剌とした中間楽章が印象的。1楽章の展開もかなりドラマティック。4楽章は低音が大きく、太く聴こえる。

 しかし、なんといっても、特筆すべきはベルティーニのフレージングのうまさ。

 ヴィーン響は特になんともいえぬ、人によっては薫りとか気とか云うのだろうが、私の場合は、なんともいえぬ味があって、艶がある。極上のニュアンスで、なんといって良いのか……とにかく、なんともいえぬアクセントや節回しがあって、フレージングとしか云いようが無いのだが、それがまたマーラーにぴったりと合って絶妙。

 マーラーはボヘミア気質のヴィーンの音楽なのだと、思う。演奏法がおそらく、ヴィーンの流儀で通るのだろう。ベートーヴェンやモーツァルトよりむしろシューベルトに近いと思う。構成はぜんぜん違うが、フレージングとしてはブルックナーにも通じているのではないか。

 もう、フルートのソロ1つ、ティンパニの音1つが、なんともいえぬ味わいをもっている。もちろん奏者がそうのように演奏しているのだが、それを演奏させているのがベルティーニというわけで……。ううむ、恐ろしい……。マーラーの9番ほどの音楽となると、もうただスコアをきれいに鳴らすだけではすまない、音楽の力としか云いようの無い真実の力が備わっている。それを、いかに様々な方法で引き出し、聴衆を納得させるかが、マーラー指揮者としての力量になるのだろう。

 音質の差で★はシュトゥットゥガルトが4つ、ヴィーン響はとうぜん5つである。


2/11

 1973年ライヴ。ベルティーニ/ドイツベルリン響 マーラー6番。

 珍しい、比較的古い時代のベルティーニのライヴ。40代半ばのベルティーニは、荒々しいまでに6番に対して攻め込んでいる。1楽章はリピートなし、16分の早技。リピートありで当該分数の演奏もあるが、必然、テンポが異なる。主題の描き分けも見事だが、軸のぶれない真剣みがすばらしい。

 2楽章も激しいが、トリオ部のやさしい感じはそのスケルツォとの対比が面白い。なにより3楽章が、硬質の極みで、甘さの一切ない硬派なアンダンテ。とはいえ堅苦しいものではない。美しく、そして雄々しい。

 4楽章はむしろ余計な芝居は無く、純粋に音楽としての喜びに満ちている。展開部はさすがにうまい。特に1回目のハンマー(ハンマーはそれほど目立たない。特に2回目は妙なシンバルの音に消されている。)からの展開部第2部はノリノリである。後半も一気に進み、変なタメとかは無い。素直な進行だが、気が緩んでいるわけではけしてない。ラストも仰々しさは無く、純粋なアプローチでむしろ6番を聴きこんだ身にこそ安心して響く。★は5つ。

 またライヴならではのミスが散見されるが、大勢に影響はない。

 そして マーラーベスト 変更! ベルティーニはやっぱりすごい!


2/2

 さて、今回の不気味社の新作は、豪快な忠臣蔵と題して、イフクベ映画音楽でも 
時代物 に焦点を当てて、時代マーチなどを豪快に豪快に豪快に歌ったものである。

 ここで1曲づつ良いとか悪いとか云っていてもしょうがないので(ぜんぶ良いのだが)、概要を評論したい。

 不気味社音楽応用解析研究所所長の大ヤヒロ神は、常々、「イフクベ音楽をすべて声で表現する」 というのを至上命題に挙げている。

 これは一言で云うと簡単だが、あまりに途方も無さ過ぎる命題で、「はあ……そうですか」 としか云いようのないくらいの途方の無さである。全てというとあの300を超える映画音楽も全てであり、未だ研究の余地がある町歌や校歌の類のもの、独奏楽器も含めた難しい純粋音楽も全てなのだから。いったいぜんたい、あのラウダ・コンチェルタータを、日本の太鼓を、サロメを、琵琶行を、どうやって人声をもって表現しこなすというのだろうか???

 だが私は、その意気や大いに良し、特にSF交響ファンタジーと日本狂詩曲と日本組曲の完全なる歌唱表現に、ド肝を抜かれ、これはできる、この人たちならやれる、やってくれると、作曲家の堀井友徳氏と共に、多いに期待しているところである。

 しかしその後、映画音楽のネタが続き、また大ヤヒロ神のもう1つのテーマであるところの冬木ものも続いたことにより、純粋音楽の歌唱表現はしばしお預けになっている。これは藝術上の創作に関する都合の事柄なので、責めるべき性格のものではないが、実にファンとして憂慮するところである。

 今回も映画音楽には違いないのだが、安易な特撮物からはずれ、イフクベもののもう1つの大きな魅力であるところの時代物に焦点を当てたのは、さすがと云わざるをえぬ。この重厚な音楽の世界が、いわゆる武満流のワビサビ時代物とは一線を画した、血沸き肉躍る、生々しい剣と鉄砲と神話の世界を色濃く極彩色に彩っている。ここにあるのは煤けた現在の平等院や東大寺ではない。創建当時の、極彩色の平等院や東大寺なのだ。すなわち、いま、そこにある同じ時代としての、映画を後世の視点で外から観るのではなく、映画の中の世界で登場人物たちに実際についているような、男と女の、臭いたつ生きた音楽なのである。

 すなわちその生きた音楽を生きている人間の最初の表現であるところの うた で表現しきるこの面白さ。

 これは面白い。

 ただ音楽が面白いのではなく、そういう発想や表現の根幹が、実に面白い。不気味社が単なる同人CD屋ではない証左がそこにある。いや、当人たちはただの同人CDです、と云うだろう。その謙虚さ、純粋な遊び心、無心、無垢、イフクベへの真摯な敬愛。

 それは無我無欲で作られた古い茶碗が、いまは至高の価値を有するのに似ている。その 
狙っているけど狙ってない 境地こそ、不気味社の価値だ。

 まあそれはそうとして(笑) 純音楽物をそろそろ1曲くらい頼みますよ、所長(^^;)


1/21

 2004年ライヴ。ベルティーニ/ドイツベルリン響/ニルンドSop マーラー4番。

 既にライヴ直後からCD-R盤で聞いて大変な感銘を受けていたもの……。

 (CD-R盤には当日前プロのゴルトシュミットとブロッホが入っている。つまり、オールユダヤプログラム……。)

 しかしいつ聴いても、死ぬ1年前のライヴだとは到底思えぬ、若々しさとみずみずしさ。これはもちろん、4番という特性をかんがみて、そういうふうに指揮をしているのだが、それにしても、だ。

 1楽章は思いのほか対旋律が生きていて、たいていは埋没してしまうので新鮮味がある。テンポはやや速めで、勢いがあり、切れもある。やはりフレージングがウマイ。コレはさすがにウィーン音楽とはとらえていないと思うけども。では何かというと、ボヘミア風でも無いだろうしよく分かりません(笑) しょせんそんなもんだww

 2楽章のリズム感もすばらしい。停滞しない。マーラーは長い(というかしつこい)分、やはりリズムやフレージングがもたもたすると何番だろうと苦痛になります。ちょっとホルンのソロが不安定な部分もあるが……。

 3楽章は一転してほぼ20分をかけ、陶然とした世界を紡ぐ。第1主題と第2主題のゆったりなこと。それでして弛緩せず、音楽を楽しませてくれる。ただしベルティーニの唸り声入りw なんでそんなところでうなるんだろ?

 4楽章は歌がウマイ。しっかりと歌うのが良い。しかも、下品にならずに。なんてたって、天上の生活ですからね!(笑) それで、あの乱痴気歌詞の内容とのギャップが面白いのです。

 ★5つ。

 ちなみに、全体的にファゴットが上手いところでよく聴こえる。なんでだろ。
 
 マーラーベスト またしても変更ッ!


1/18

 1983年ライヴ。ベルティーニ/ヴィーン響 マーラー5番。

 あえていうなれば、80年代の、マーラーを感情的に演奏する中で、最も成功したもののひとつがベルティーニ。もちろん、テンシュテットやバーンスタインのように、ちょっとやり過ぎな感もある演奏もあるが、はたして、90年代を経てこの2000年代に至り、そういった 「面白い」 マーラーがどれだけあるというのだろうか? 音質が信じられないくらい良くなったのとは別に、演奏のほうはどんどん 「スコアに忠実に」 なり、「スコアを浮き彫りに」 してゆくのみに重点が置かれてきた。それはそれで新しい演奏解釈ではあったが、さあ、面白かっただろうか? 

 音楽を聴く人が全員演奏会場でポケットスコアを片手に、音符のひとつひとつを音が高いだの低いだの、リズムが速いだの遅いだのをチェックして聴くだろうか? 

 「スコアに忠実に」 やって、どれだけその音楽が音楽として生きて鳴るのだろうか? ちょっと、それとこれとはちがう問題だと感じている。そもそも、作曲者がその言いたいことの全てを楽譜に書いているわけでもないし、作曲者の言うことがその音楽にとって絶対でもないことなど、一流の指揮者ならば分かりきっているはずではないだろうか?

 ベルティーニが亡くなったとき、(たしか)元都響のTp奏者、福田さんの回想で、ベルティーニが都響でマーラーの5番を振るときはいつも、フレーズのひとつひとつを全て 「ウィーン風に」 細かく指示したのだという。ベルティーニは、マーラーの5番を、オーストリア音楽でもボヘミア音楽でも、ましてユダヤ音楽でもなく、間違いなく 「ウィーン音楽」 として演奏していた。

 具体的にどのようなものがウィーン風なのかは知らないが、(たぶん後の方にアクセントや引き延ばしがくるような、はんなりしたような、訛のようなものだと思う) マーラーの5番がウィーン音楽だというのは、面白いアプローチで、そういう解釈こそ、真に音楽的解釈というもので、スコアを浮き彫りにするなど、それは技術の問題であって音楽の話ではない。

 ベルティーニのこの5番は、かのケルン響との録音(1990)より7年も早く、しかもそのウィーンのオーケストラを振っているという点で、非常に貴重かつ、かなり聴ける演奏である。マーラーの5番は分裂気味という表現はもう古いかもしれないが、とにかく楽想がメチャクチャで、なにか芯が1本通ってないと、バラバラだったり、表面だけで鳴って軽かったり、難しい音楽だ。

 しかしそれを、ベルティーニは 「これはウィーンの音楽である」 と、強力に束ねている。

 やたらと引っ張ったり、タンメたりするようなエキセントリックな過剰な表現はあまり無いのだが、とにかく、全ての楽章において、この旋律の歌わせ方の見事なこと!!

 5番は、いやマーラーは、旋律を聴く作曲なのだ。1〜4番は確かにそうなのだが、5番〜7番では、ついついその複雑を極めたポリフォニックな構造に注意を奪われがちだが、さあ、ポリフォニックな構造がメインの音楽ですかというと、そうではない。構造はあくまで表現の技術的な革新であって、本質はやっぱり歌なのである。

 私の好きな2楽章など、最高だ。5番の白眉は2楽章じゃ!!ww

 3楽章も良い。そもそもマーラーは当時第一級の教養人・文化人であり、ただエキセントリックに叫んだり(ただし彼の性格としてヒステリックな面は必要)、旋律やオーケストレーションをきれいに鳴らすだけでは、正確な把握にはならない。どこか小洒落た、都会の教養人特有の鼻についた感じ、取りすました雰囲気、 「ウィーン情緒」 のようなものが根底にあって、かつ、マーラーらしいそれらが上乗せされると、実にしっくりくる。スケルツォ部は速めで、トリオはゆったりとしている。2楽章が遅めの15分、3楽章が17分なので、こうなると、特に3楽章が肥大して聴こえない。5番が実にバランスの良い5楽章制の音楽に聴こえて、面白い。この構造上の弱点を、そういった2楽章からのアプローチで克服するとは……。

 圧巻は4楽章。こ、これは……!(笑)

 
これは美しい!

 ネットリとかではなく、純粋にこってりで、なにより美しい。きれい、でもない。本当にヨーロッパ美人の、あの美人さとこってりさww この演奏は良いわ。色々な匂いが立ってくるような、そんな演奏。

 しかしフレージングがウマイ。感情系とはいえ、感情におぼれず、技術屋でなく職人のワザで聴かせる確かさよ。

 5番の5楽章冒頭のホルンが、3番でも聴こえたアルプスの音色だと、気づかせてくれる吹かせ方をした指揮者は、なかなかいない。

 5楽章もすっきりして、重くなく、こんがらがってなく、十分に歌っており、リズムは完璧! なにより楽しそう!!

 
これがマーラーの5番なんだよおおおお!!

 
感動した!! 素直に感動した!!

 これは勉強になる、すばらしい演奏。 
 金管などのたまのトチリはご愛嬌でw

 マーラーベスト 当然、変更ー!


1/11

 2004年ライヴ。MTT/SFSのマーラー9番。

 前に聴いてましたが、もっかい聴きました。

 良いです。

 なんというきれいな9番。しかも、ただ外面的にきれいなだけでなく、譜面にも忠実だし、フレーズの1つ1つがしっかり管理されていて、惰性に流れていない。ただ時間の進行に乗っかっているだけのマーラーなど、聴くだけそれこそ時間の無駄だが、進行をコントロールしている(集中力があるとか、気合が入ってるとかともいう)演奏では、9番は本当に至福の時間の経過を味わえます。
 
 SACDを持ってる人は、絶対聴いてほしい盤です。

 ただ、あくまで純粋音楽としてのアプローチが強いので(1・4楽章はそんなことも無いのだが)2・3楽章は、テンシュテットやバーンスタインなどと比べるとさすがにおとなしい。しかしその分、非常に美しいのだから、どっちもどっちであると思う。

 この9番は、音質も上々で、理想の演奏のひとつでしょう。

 


 次はベルティーニのヴィーン響やベルリン響とのライヴ演奏をようやく……そしてSACDになって再登場したノイマン/チェコフィルの選集(新録)を聴きたく思います。ノイマンの新選集は、あと7番8番大地のみだったので、本当に惜しいと思います。ノイマンのマーラーは、フレーズの歌わせ方では、右に出るものは無く、ベルティーニはヴィーン音楽としてのマーラーの決定版ですが、チェコ音楽としてのマーラーではノイマンがいちばん良いと思っています。


1/4

 2007年ライヴ。MTT/SFSのマーラー。大地の歌。 ハンプソンBr スケルトンTr。

 8番が未発売(未演奏?)なので、7番の次は大地となる。

 なんと、バリトン仕様

 なんでMTTともあろうものがバリトンなのかさっぱり分からない。ほもくさいバーンスタインなら分かるが……。それは冗談だが、私はウマイ下手を超えて、このバリトンというのがどうも許せない。音楽とまでは云わないが、曲がブチこわしである。雰囲気と好みの問題なので、それはご了承いただきたい。

 そもそもこの またはバリトン って、いうマーラーの指定は、バリトンでもOKというより、アルトがいないときはバリトンでも歌えるよ っていう程度の意味なのではないのか。アルトがいないときなんて想像つかないけど(笑) カッコ書きだし。従ってマーラーが自分で初演したら、指示は消えてたんじゃないかって云うくらいに思っている。

 だっておかしいだろ、この偶数楽章は(歌詞はともかく)音楽として、どうしたって女声のためのメロだろう。なぜみなはそこを考えないのだろうか。演奏じゃなくて曲を考えれば分かると思うのだが。音は高いし、ささやくように歌われたって気持ち悪いんだよ。ハンプソンの熱唱が逆にドラマティックすぎて、静寂感や寂寥感、純真さがブチ壊しだ。存在感がありすぎる。これは歌曲か? オペラか? カンタータか?

 交響曲だぞ。あんたの歌も交響曲の一部だぞ。録音が大きいのかな。。。

 なんにせよ、不気味社じゃないんだから(笑) そんな熱く歌う漢の音楽じゃないだろうが!

 男声ばかりで1時間聞くのもキツイ。音色的に。せめて、熱唱するのではなく、いや熱唱でもドラマティックに歌うのではなく、もうちょっと情緒を考えて歌ってほしかったが、どっちにしろ、ちょっと私は許容できない。オペラのアリアなのか? 大地はそういう音楽なのだろうか??

 まあ、歌もそうだけど、オケとかメチャクチャ上手いんだけどな。6楽章なんか、本当に最高の伴奏。フルートは、別の世界にイッちゃってる。間奏部の美しさたるや。

 惜しい話である。最高に上手ではあるので○5つ。勿体無い勿体無い。あああああ勿体無い。

 しかしこのレベルなら8番は大いに期待できる!!


1/3

 2005年ライヴ。MTT/SFSのマーラー。7番。

 よいよいと前から(何年も棚の上にあったもの)レビューなどで観ていましたが、

 
とてもよい!

 これはよいです。本当に良い。びっくりした。

 中期器楽3部作で、構成力、展開、旋律、完成度、全てにおいてまぎれもなく最高傑作なこの7番。しかしそれを証明する演奏はなかなかない。

 音質が良くなくては、マーラー屈指の複雑なオーケストレーションである7番は息をしない。活きてこない。まずSACDのこの最高峰の音質がそれをクリアー。MTTの丁寧な指揮もそれを助ける。とても美しい演奏である。

 そして、付点音符の塊の7番は、リズムが動かないと特に死ぬ。それも、この躍動感あふれるリズム処理でクリアー。ライヴというのも、関係してくるかも知れない。

 才気あふれる1楽章! やや早めに展開され、もたもたしない。変に意地を張らない。見栄を切らない。あくまで自然。

 生命感に満ち満ちた2楽章! 夜の歌? 夜こそ野生動物が動き回る時間! 自然の息吹! 

 3楽章がワルツだったと気づかせる演奏が他に幾つあると!?

 4楽章はまさにセレナーデ。ここには人間の生きる力がある。美がある。歌がある。

 5楽章は、巧い。すっきりしているし、ちょっと長いこの膨大な規模のロンドを、上手に進行する。

 つまり、この7番は明るい! 命の光に満ちている! 躍動している。

 
7番は暗い重いつまらない曲などと今だに思っているマーラー聴きは、これを聴いて不明を払拭せよ!

 3番、9番と並んで、MTT/SFSマーラーチクルスの最上位!! まさに理想の7番。

 敬服の意味も込めて


 マーラーベストとうぜん変更!

 1枚ものというのもうれしいです。


 マーラーを「聴き散らす」のは止めようと思った去年ですが、溜まる一方だよお! 未聴ぶんが50種類くらい棚の上にある!! 

 今年は頑張って聴く。そう決めました。








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