※もう背景も面倒なので2009年からCD雑記も白地に黒決定(笑)


12/31

 ハイティンク/クリーヴランド管弦楽団 マーラー:第9交響曲  L1973 ハイドン:第86交響曲 L1976

 今年の第九はけっきょくマーラーを聴いてしまった。CD-R盤。

 その前に前座でハイドンの86番が……しらねー(^^;

 まあハイドンなんか何番を聴いても同じようなもんだが。それにしても、相変わらずハイドン先生はいい仕事してますねえ〜〜(笑)

 こういうのを聴かないと、モーツァルトやベートーヴェンやマーラーやブルックナーがどれだけ凄いのかが分からないというか、面白み半分だと感じます。70年代というと、ハイティンク40代後半ですか……相変わらずしっかりとした作りの、立派な古典派演奏だと思います。ハイドンの面白さが分かったら、クラシックというか交響曲通も一人前でしょう。(つまり我輩はまだまだという事ですがw)

 さ、マーラーの9番ですが。

 年とったハイティンクの極めきった枯れた味わいも最高だが、この時代のは、けっこうノリノリの演奏。1楽章も激しいし、けして「死」だけの音楽ではなく、その逆説的な「生」というものがよく現れている。2楽章や3楽章も生々しい。4楽章もけして耽美で終わっておらず、ぐいくいと引っ張る力を持っている。この時代だとセッション録音の9番(1970)が近い。

 音質が古くてイマイチなので(ラジオ音源かと思われる。もしかしたらエアチェックかも)★4つ。最後にハイティンクのインタビュー付。


12/30

 邦人打楽器アンサンブル集とオペラ

○グラステイル:打楽器アンサンブル作品集

 ジャンヌ・ダルク
 銀河鉄道
 音楽物語「蒼き谷のティアラ」(台本グラステイル)
 ヴォルケーノ・タワー
 シンデレラ
 エクリプス・ルチア

 ジェリー・グラステイルは、東京音大卒の教員で打楽器奏者の冨田篤さんの作曲のときのペンネームなのだそうである。なんでそんな名前なのかは、自著に詳しいというが、本を買ってないので知らない。

 というかクンドバ弱えええええええええ!!!
 
 というナレーションと打楽器アンサンブルのための音楽物語「蒼き谷のティアラ」は、打楽器アンサンブルを効果音にも使った斬新な作りで、なかなか面白い。特に鍛冶屋で火を爆ぜる音にプチプチをつぶして使うなど、現場ならではのアイデアだろう。脚本とストーリーはアレだが……。

 しかしそれ以外はぱっとしない曲ばかり。こういうのが大人気(?)というのだから、打楽器アンサンブルの世界はどうにも馴染まない。まあ元々そんなに聴くジャンルでも無かったのだが……。

 と、いうのも、吹奏楽オリジナルの世界も今は私はそんなに聴かなくなったが(つまんない曲ばかりなので)打楽器アンサンブルの世界と似たような状況かもしれないのだが、山澤の曲なども、「演奏して面白い」が最優先の選曲基準となっている。そりゃそうだ。コンクールや演奏会で演奏して面白い曲は、奏者たちによってたくさん取り上げられる。

 現代作曲家の書いた曲は、演奏の都合よりも内容を優先させる芸術作品なため、中身も難しいが演奏時間や編成などでアマチュアが気軽に演奏できない嫌いがある。

 確かに打楽器合奏で何十分もかかっても(^^; (ねえクセナキス先生)

 それを、演奏家の立場から、山澤やグラステイルなどがカヴァーして、5〜6分でカッコ良くてサッと終わる曲が人気となっているように思える。


 
だが、最大の問題は、演奏していて楽しい曲は、必ずしもただ聴いていて楽しくないのである。


 山澤洋之の打楽器合奏のための雪月花三部作(吉松隆並に恥ずかしいタイトル 月迷宮/大神 花回廊/風龍 雪灯籠/白虎 → 風航路/天馬というのもできたようですww)はことに高名だが、どれを聴いても同じだ。しかも打楽器のオーケストレーションが下手である。素人作曲の域を出ておらず、演奏する人は派手でカッコ良くて気持ちよいだろうが、座って聴いてる分にはあんまり面白くない。もちろん、人気が出るだけあって面白くなくはないが、1曲でいい。コンクール用に5分前後で終わるのは短くて助かっているという幸いな面もあるし、同じ様な曲を量産する弊害でもある。

 グラステイルも山澤も、奏者が作曲するパターンの良さと悪さが如実に出ているだろう。

 つまり、ぶっちゃけ、変なんです。音楽の作りが。技術的に下手です。センスだけで書いている部分が多すぎる。センスが凄く良いのでしょう。だからとてもカッコいいし、叩いて気持ちいいでしょうが、音楽として変。そういうの分かる人も分からない人も、ステージ下の客席では、満足そうな奏者に対して、まあ、お義理の拍手ということだ。

 中高生用の、教育現場で使う曲、という括りならばそれはそれで理解できる。しかし、コンサート用のしっかりした作品としても使うならば、それは無い。

 だから、面白い面白くない以前の問題で、作品の出来として、ちょっと聴けない曲が多い。

 あと、交響詩的なストーリーやイメージを曲にもたせるのなら、それをスコアや自著にだけ書いてもまったく意味が無い。お客はそんなの知らないのだから「聴衆に誤解を与えるだけ」である。それでいいのか。また数分の曲にイメージを盛り込みすぎ。そんな4分半の曲で何が7人の勇者が悪と戦いながら登っていく塔、だ。中2病か。
 
 というわけで、比べるのもちょっと無理があるが、次は(面白い面白く無いは別にして)まともな音楽を聴く。

○松村禎三:歌劇「沈黙」

 松村が遠藤周作の大著をオペラ化したもの。これは聴く前から重そうだ(^^; 黛の「金閣寺」に匹敵する日本の重オペラの1つでしょう。
 
 まあ、オペラもそんなに観ないし聴きませんけど……。

 (日本人以外もそもそもオペラを持ってないが、邦人オペラでは芥川の広島のオルフェ、黛の金閣寺、團の夕鶴とひかりごけ、別宮の有間皇子に続いて6作目を買う。)

 一時的に師事した吉松隆が若いときに見せてもらったスケッチでは、水上勉の「飢餓海峡」をオペラ化するという事だったが、1995年に出来上がったら、何故かアジア的な存在意義を標榜していたはずの松村がキリスト教の神の存在をテーマにした題材だったので、吉松はがっかりしたと、松村が亡くなったときの追悼文で述懐していた。(http://yoshim.cocolog-nifty.com/tapio/2007/09/post_5ec0.html

 まあ、テーマがどうこうというのを別にしても、チェロ協奏曲以降の松村の丸くなりようといったら恐るべき物があり、これがあの交響曲やピアノ協奏曲1番と同じ作曲家かと思う。それも、ストラヴィンスキーのようなカメレオン性ではない。ずばり云うと、松村はダメになったと云って憚らない人もいると思う。全くもって「ふつうの」音楽である。そこに松村らしい厳しさも執念も何も無い。

 まるでリヒャルト・シュトラウスがサロメやエレクトラで追求した前衛性を捨て去りすっかり穏やかで健康的な音楽を書くようになったのと似ているかもしれない。しかし、シュトラウス本人は別に意図してそのようにしたわけではなく、自分から生れる音楽に忠実なだけ、という意の事を云っていたと記憶している。

 松村もそうなのだと思う。彼は別に自分で意図して丸くなったのではなく、自己の音楽的渇望に忠実なだけなのだろう。彼の中で求める音楽というものが、すっかり変わってしまったのだ。

 (それを示唆する文章はここにある。http://www5c.biglobe.ne.jp/~onbukai/HP-tosyo/onse1999/matumura.htm 沈黙についても書いてあるので読んでほしい。)

 というわけで沈黙だが、音楽のみを聴いていても、その緊張感や悲痛さはよく伝わってくる。神が神がと云う割には、その神はなんにもしてくれぬのは世の常だが、それでも神を信じざるを得ぬ人間の業を取り扱っている。そこにあるのは、音楽の真実とは神との調和であるという信念なのだろうか。しょせんは、西洋音楽というだけあってクラシックはキリスト教の産物なのである。

 松村にキリスト教は似合わないかもしれないし、2幕冒頭の「ぐるりよざ」の旋律にあるような、あからさまなメロディーも似合わないかもしれない。カオスの極みを尽くしたような往年の管弦楽はどこかへ行ってしまい、阿知女のような力強さも歌にはまるで無い。

 そうとうの大作であるが、松村のかつての作風を敬愛する者には、(その片鱗はあちこちに残っているのだが)理解の範疇外であるのは確かだ。

 沈黙のこの平明さと簡潔さをより理解するためにはどうしても交響曲第2番を聴くしかないと思われる。ナクソスはどうしちまったんだ。

 ※注文している分が入荷未定で届かないので、邦人作曲集のあと数枚は年明けに回し、マーラーに戻ります。


12/29

 邦人作曲家サントラ2種

 吉松隆 他 ヴィヨンの妻サントラ
 黛敏郎 月曜日のユカサントラ

 吹奏楽と合唱とサントラだけはやらんとか云っていた吉松の、初の映画音楽。2009年公開の、太宰治の同名小説を基にした最新作である。

 気のせいか、なんか妙に武満っぽい響き。映画の内容や画面構成もあるのだろうが(観てない。というかこの田舎ではやってない。)吉松の叙情的美鬱全開の凄まじい音楽のオンパレード。テーマからして、ポツポツともの悲しくも美しい旋律で始まるのだが、最後は朱鷺みたいな絃楽のきしみが痛い。

 編成は3、3、2、2、1の室内絃楽に、ギター、パーカッション、ハープ、イングリッシュホルン、ピアノでピアノは吉松自身が演奏も担当している。作曲者のブログによると、予算500万と云われ、作曲料500万なんてこのご時世に豪気だなあと思ったら、音楽関係の作曲から録音から演奏から何から、ぜんぶひっくるめて500万でとほほ。演奏家のギャラを最小限にすべく、このような編成となったとか。(ソリストも知り合いを揃えて経費節約)

 しかし、そういう制約が、実は新たな想像の源となるのはよくあること。特にギターとハープ、マリンバ、イングリッシュホルンのテーマが印象的で素晴らしい。全体に仄暗い陰鬱な色調がまた太宰っぽい。などと、太宰なんて殆ど読んでないけど(^^;

 レンタルで出たら観てみたい。

 翻って黛は1964年の映画サントラの復刻。なんと加賀まりこ21歳がチョーゼツ可愛い。あの口で○
○されたいぃ。そういうエロさ全開。こちらも映画は観てないのだが、テーマも春爛漫の明るさ。ジャズだが、いつぞやの野獣死すべしみたいなバイオレンスジャズともちがって、なんとも愛らしい音楽は流石に黛である。鼻唄で歌えるメインテーマも、適当に考えていて ピピン! ときたような閃きの産物ではなく、練りに練った秀逸な、まさに 「ちゃんと作られた」「ちゃんと作曲された」 ものと分かる。いい仕事してますねえ、といったところ。(閃きの産物かもしれないけど。)

 それのさまざまなヴァリエーションで全体が構成されており、ジャズからマンボ、合唱入り、さらに鼻唄、前衛調のものと多彩である。

 黛はもちろん純音楽も面白いのだけれど、サントラの方がのびのびとして魅力的だと思う。


12/24

 邦人作曲家サントラ2種

 邦人作曲家を何種類か買ったので、少しずつ聴いて行きます。

 芥川也寸志/東京交響楽団 八甲田山サントラ
 佐村河内守/詳細不明 バイオサバード・シンフォニー

 まずは八甲田山より。

 これは聴いたところによると版権関係で揉めに揉めて、レコードは出たがCD化は不可能ということであったが、こうして無事に復刻CD化されたということは、版権関係は何らかの形によってクリアしたのであろう。また、これはレコード化にあたり芥川指揮で録り直した交響組曲のようなのもで、純粋なサントラではないということである。

 私は芥川の中でもこの八甲田山が大好きで、音源となって聴いている中では、エローラ交響曲と双璧を成すと感じている。

 主に次の3つの動機からなる。

 第1は、監督だかプロデューサーだかが、「月の砂漠のようにやってくれ」と云うのを本当にそのままやってしまったかのような、哀愁漂う絃楽によるメインタイトル動機。まずもってこれがたまらない。月の砂漠を隊商が行く冷え冷えとした情景と、雪原を雪の砂漠と例えて黙々と行軍する部隊とを重ね合わせてのことだろうが、見事にその情景を彷彿とさせる秀逸極まりないテーマである。

 第2がその派生系で、ホルンを主体とするじっさいの行軍の動機で、これは変則的なマーチ。これを聴くと軍歌「雪の進軍」を歌いたくなる。

 第3がまたテーマの派生による、高倉健が冷たくなった北大路欣也と再会するシーンの悲しい音楽〜エンディングの壮大なテーマで、これがまた、あなた、素晴らしい!

 これらはそのまんまニッポニカで組曲になっているので、やはりみなそれを聴いているのだろう。もちろんそれではサントラを聴く意味がなく、それ以外の音楽も素晴らしい。基本的にサントラというのは変奏曲に近く、モティーフを延々と変奏するのに似ている。純粋なM1M2のサントラではなく上記したように交響組曲形式なので、音楽的にも面白く聴ける。が、資料的価値は低い。

 次がゲームサントラにして、オーケストラ組曲、バイオハザードシンフォニー。

 鬼才・佐村河内守の初期の傑作である。まだ耳が(半分ほど)聴こえていた時代のもので、後の鬼武者よりなんというか開放的な感じ。ゲームの特性上、暗い音楽が続き、変化に乏しいが、異様なほどの革新性を秘める。ゲームのサントラという衣を借りた管弦楽の実験場というところで、これは純粋作品のために映画音楽で実験をした数多くの先輩邦人作曲家のやり方と同じ。

 中でも特筆すべきは陰鬱にして壮大なテーマ「TEMPEST」と、同エンディング。そして10分にも及ぶピアノソナタ「バイオハザード」。佐村河内のピアノソロ曲で、いまCDで聴けるのはこれだけだろう。現代音楽調と調性音楽が適度に入り交じり、世俗と神聖の奥深さの同居した、ソナタというがまあ狂詩曲である。

 これが面白い。これから、佐村河内の世界が拡がって行くような印象を与えられた。願わくば、他の作品も音源にしてほしい。


12/21

 しばらくストラヴィンスキーの自作自演集を聴いてました。なんとCD8枚(^^;

 今年はこの後、取り寄せた邦人作家をサントラ盤も含めて聴きますので、それを少しずつアップしたいと思います。マーラーは年末に聴きます。第九も聴いておこう。

 ちょっと曲目はたくさんあるので、私のディススコグラフィーのページを参照願います。真ん中より上くらいの、アンダンテとミュージック&アーツレーベルです。

 前にも自作自演集を買ったのだが、それはアメリカでの戦後の録音が主でLPからの復刻だったが、今回は戦前の録音が主でSPからの高音質復刻ということであるらしい。なにより秘蔵・秘曲の録音があり、特によかったのはストラヴィンスキー自身のピアノとドゥシュキンのヴァイオリンによる小曲集が面白い。ヴァイオリンとピアノのためのデュオ・コンチェルタンテは20分ほどの力作で初めて聴いた。VnとPfのための自作からの編曲による小品集も面白い。

 ストラヴィンスキーの編曲魔の一面を如実に表している。

 定番のバレー音楽もたくさんあったが、しかしストラヴィンスキーは指揮が下手だ(笑) それがまたうまい味を出しているという面もあるけども、技術的にはドヘタといっていい。ストラヴィンスキーが自分で指揮をするために作ったという、全部3拍子のハルサイとか何回聴いても何とも言えない響きかある(笑) 

 新古典主義からの録音が多いのも興味深く、当時のストラヴィンスキーの最新作ということになるだろう。カード遊びや、ミューズを率いるアポロというのは、正直、私としてはイマイチな部分もあるが、古典的という仮面をかぶった斬新な手法は、作曲者の指揮によってより暴かれる。

 ストラヴィンスキーは協奏曲も多く、というか協奏曲が多く、まともに数えると8曲もあって、彼はバレーかコンチェルトかという作曲家と云える。

 その全てが独特の手法で、叙情に因らずやたらとシビアな響きが魅力のものだが、自作のピアノで聴くと感慨もひとしおである。

 後半年の12音技法の曲群はまだ書かれていない時代の録音である。ストラヴィンスキーの偉大さは、3大バレーだけではけして見えてこない。そのことを再確認する。彼は「多作家」なのではない。「多様作家」と云える。


11/22

 ラトル指揮の2種

○ラトル/BPO マーラー:第6番交響曲 1987ライヴ

 1987年、ラトルがまだ30代でパパイヤ鈴木みたいなアタマだったころ、カラヤンが営々と作り上げてきたベルリンフィルを颯爽と振ったライヴ録音。

 しっかし誰が振ろうとベルリンフィルはうめえなあ〜〜というのを、しみじみとかんじちゃう演奏。とはいえ、若さと才気ゆえの勢いというのは確かにある。1楽章などは良いっす。2楽章アンダンテで、当時としては珍しかったと思われるが、とても美しい。盛り上がりもあった。

 問題はスケルツォからフィナーレにかけて、やっぱりというかなんというか、のぼーんとするのだなあ。スケルツォも良かったんですけど、途中からどうも集中力が。

 フィナーレなどは、たいへん難しい音楽で、もうメチャクチャになりがち。技術的にメチャクチャになるか、内容がべろーんとなるか……ちょっとべろーんとしていたような気がします。
 
 この曲(というかマーラー)はどんなに上手にスコアを鳴らそうとも、なにせ大仰な部分から繊細な部分までいろいろあるので、ただ鳴ってるだけじゃつまんないんです(笑) だからって大仰をさらに大仰にする必要はないんですけど……上手に盛り上げる方法論というのがハッキリしているのではないかなあ。そこに自分なりの方法論を持ち込んでもうまくいかないんでしょう。合う合わないのハッキリしている作曲家だと思います。

 ★4つ。

 どうでもいいけど、さしものベルリンフィルといえど、必ずF管のトランペットは音を外すのな。カラヤンもライヴでは外しまくってたから時代(当時の奏者の問題)なのだと思うけども……難しいことには変わりは無いかと。トランペッターのみなさん、どうなんでしょ。

○ラトル/BPO ストラヴィンスキー:交響曲集 2007ライヴ

 これまたライヴだが、うれしいことにストラヴィンスキーの交響曲集である。3楽章の交響曲、詩篇交響曲、交響曲ハ調、そして日本盤ボーナスディスクに管楽器のシンフォニーズ。それへ初期の習作・交響曲変ホを加えて、ストラヴィンスキーの交響曲の全てである。こういうライヴをする事こそ、ラトルの面目躍如と云えよう。

 まずボーナスの管楽器から聴く。これは小品ながらとてもよい曲。演奏はゆっくりめ。管楽アンサンブルの究極の形の一つ。交響曲とは云っても、響き合う楽器群の集合体という意味で、小シンフォニアの集まりというほどの音楽。従ってシンフォニーズとカタカナ書きするほうがニュアンス的に近い。録音も少なく、BPOで聞けるというのは嬉しい。

 演奏うまいっす(笑) ニュアンスも硬質で、ヒリヒリしている感じが素敵だ。特に、ドビュッシー追悼にピアノ曲として使われた最後のコラール部分は大変美しい。こういう部分にこそ、音程、縦の線、そして表現力と、アンサンブル力が問われる。しかも譜面は1920年原典版というマニアックさ。あんまり違いは分かりませんけど(^^;

 3楽章の交響曲はよくいわれるように「駄作」とは思わないけれど「傑作」とも思えないなんともな音楽なのだが(笑) こういう微妙な作品を面白く聴かせるのは、難しい仕事だと思う。ラトルはBPOの馬力を活かしながら、強力に推進して行く。そのリズムが面白い。ストラヴィンスキーの久しぶりにマッチョな音楽である1楽章は、こういう勢いが無いとマヌケなものになる。

 しかしこの曲は構造的に中間部がちょっとなあ。と、正直思います。協奏曲タッチなのですけどね。ていうかやっぱり、ハ調や詩篇に比べると質は落ちると思う……。

 詩篇は冒頭からうらぶれていて最高だ。この独特のくぐもった音は、とうぜん、ヴァイオリン、ヴィオラ及びクラリネットを欠いた変則編成のオーケストラから出てくるのだが、無表情な合唱といい、ストラヴィンスキーの新古典主義の代表作である。ベルリンフィルの詩篇といやカラヤン以来に聴くのだが、こっちはライヴだからかより生々しい。2楽章の静謐もよく出ているし、3楽章はもうちょっと元気でもいいかなあとも思うが、こんなものでしょうか。作曲者本人の解釈では意外ともっとドロドロした生臭い音楽で、いかにも古代の宗教曲なのだが、現代では音楽的美観を重視するためか、こういう耽美的な演奏が主流のように感じます。
 
 しかしいい曲ですなあ。

 ハ調交響曲は、新古典主義の絶好調という感じの、古典的だがかなり複雑な音楽で、不協和音もバリバリ出てくる。肉親が次々に死去するという、ストラヴィンスキーがプライヴェートで不運に襲われたときに書かれたが、音楽は感情は表現しないと、明るい内容になったのは有名なはなし。明るいのだが氷みたいに冷たい独特の響きが、不気味さを増す。これはまさに世知辛い20世紀の音楽である。

 ラトルは丁寧に鳴らして行き、この曲特有のそういうガリガリしたものを出さない演奏。明るさが自然に強調され、ストラヴィンスキーの面白さが純粋に良く出ている。

 文句無し★5つ。(3楽章の交響曲は4つ)

 ラトルは、とかく大曲では空回りに終わるが、ブラームス聴きの友人が、期待せずにいちおうラトルのブラームス交響曲全集を買ったら意外とというか、凄い良かったと云っていたので、こういう新古典主義がうまいと思う。


11/12

 マーラー:第6番交響曲 2種

○プレートル/ヴィーン交響楽団 1991年のライヴ

 1991年、10月ライヴということは、例の5番(5月)と同じ年に連続してやったんですね。気力あるなあ。

 録音が少し悪いが、90年代初頭のライヴではこんなものか。

 巨匠然とした、テンシュテットに近い演奏に感じる。今となっては、古くさいを通り越して、逆に新しい。テンポとフレーズが生き生きしている。それでいて暴走しているでも無く(暴走していると聴こえる人もいるでしょうけど、それほどでもないです。)1楽章はむしろ抑制されている。2楽章も、突破までの息せき切った表現と、ゆったりと開けた世界たる一時止揚との対比が凄い。まさに表現主義の魁となったこの作品は、表現こそが命なのだろう。

 3楽章は時間的には速いが、かなり余裕を持ったフレージングのたっぷりとした演奏。この3楽章は凄い良い。4楽章もテンポの変化が面白く成功している。見栄を切るというほどでも無いが、かなり大仰か。4楽章も正統的とすら云える盛り上げ方に、何の曖昧さや躊躇いが無く、むしろ清々しく安心できる。ハンマーは深く重い。

 ★4つ半。

○インバル/東京都交響楽団 2007年ライヴ

 SACD(ハイブリッド)だよぅ。

 しかしライヴなためか、劇的な音質というでも無い。これではSACDで高くする意味無いかもなあ。演奏はプレートルの対極にあるような抑制された響き。しかし熱気はある!! いまや日本の現役オケでは最もマーラーがうまいと思われる東京都響。今は亡きベルティーニと高みに上げたマーラーの方法論を、インバルも基本的に踏襲している。底力という点では過不足あるが、全体的な表現では海外の変なオケより断然うまい。

 ライヴではよくあることだが、1楽章冒頭は縮こまっているが、途中から2楽章にかけては文句無しに旋律が歌い、憎いところで下支えが生きている。この2楽章は場面の抜き差しが凄いうまい。3楽章も美音に溺れず、かつ、情緒もあってなお良い。15分を切る早い部類の演奏だが、大変しっとりとした上品な演奏。日本的なものをうまくインバルは出している。カウベルの音色が澄んでいる。その後の旋律の下の部分のチェロが心憎い!!

 4楽章はさすがにアッサリして聴こえます。浮沈や遅速は凄い表現しているけども。しかしこの4楽章はとんでもない音楽だなあ。これはトンデモないですよ。

 やはり響きそのものとしてはやや淡白なので○4つ半。

 マーラーの6番は古典的と云われますが、この破天荒な響きのどこが古典的なのか理解に苦しんできましたが、やっぱり全体の構成やその響きの帰結するべき所が、楽章うんぬんではなく、冒頭から各所において世の成り行きを突破しまくり、最終的な充足であるラストの部分までに至る過程を含めた全体の構成が、「マーラーにしては非常に古典的」なのではないかと感じる昨今です。


10/3
 
○田中賢作品集:武田昇・樋口孝博/陸上自衛隊中央音楽隊
 
 March 2001
 メトセラ I 〜打楽器群と吹奏楽のために
 南の空のトーテムポールII 〜「リラ」〜 
 ネレイデス
 Into Space 〜大宇宙へ〜
 光輝の国から
 紅炎の鳥
 光は大宇に満ちて

 個人的に10年以上も待ち望んでいた田中賢の個展がようやく出た。もちろん私はメトセラII世代である。打楽器奏者としても田中のファン。コンセプトとしてはアメリカのシュワントナーに似ているかもしれないが、向こうも独特の響きが魅力だが、楽想の多彩さという点では田中に軍配が上がる。ここではその田中の無調音楽っぽいものから、民謡調のものまで器用さが光る。なにより打楽器の扱いが好きだ。20世紀後半より打楽器の世界は花開いたが、その反面、無調無拍の世界においては、ステージ上に足の踏み場も無いほど並べられた打楽器達が無拍偶発性で静謐と緊張の合間をひたすら行ったり来たりする曲というのをたくさん聴いてきたが、特筆できる差異はあんまり無かったりする。

 その中で田中の打楽器の扱いは揺るぎない。リズムという一転においてもオスティナートな原始的リズムと華麗な現代的打楽器法が見事に同居する。楽器数は多いが奏者は現代音楽としては普通だと思う。ソロ(ソリ)も多いが、分厚い管楽器の響きの中でしっかりと世界を支えている。打楽器が管楽器と対等に音楽を奏でている。

 これはぜひとも続編を期待する。

○團伊玖磨吹奏楽作品集2:福田滋/リベラ・ウィンドシンフォニー

 オリンピック序曲
 行進曲「伸び行く佐賀」
 行進曲「京都府の歌」
 キスカ・マーチ〜東宝映画「奇跡の作戦キスカ」より
 行進曲「マツダ」
 組曲「わが街に」より“前奏曲”
 行進曲「ビア・フェスティバル」
 行進曲「希望」〜全日本吹奏楽連盟創立50周年記念曲
 March Tanabata
 行進曲「海の若者」
 福岡国体行進曲
 「ブルレスケ風交響曲」より“行列”

 作品解説にもあるが団体曲とか機会音楽というのは、その時演奏されたッきりでオクラ入りになる場合が多く、後世秘曲として目録に載るだけとなってしまうことが多々ある。この企画では團伊玖磨のそういう優れた吹奏楽作品に焦点を当てるもの。手堅い團の吹奏楽における作風は、例の「国民行進曲」たる祝典行進曲ひとつとってみても分かる。まず構成が堅い。もっと自由な作風をとも思うが、性格なのだろう。従って連続して聴くとちょっと厳しい部分もあるが(笑) ここでは1954年から2000年までの作品をまとめて聴ける。46年の歳月を経て、團はほとんど作風を変えていないのも驚く。彼は若いときから完成されていた。演奏も作品への敬意に満ちており良いと思う。資料としても価値が高い。


10/1

 エリシュカ/札響 L2009

 ヤナーチェク:組曲「利口な女狐の物語」(ターリッヒ編)
 ドヴォルザーク:第7交響曲

 私も聴いた今年の4月の定期演奏会の模様が早くもCD化。

 同名オペラからの自由な編曲である組曲は2楽章に分かれている。オペラは観たことが無いので詳細は避けるが、ヤナーチェクらしくなんとも不思議な響きが心地よく、エリシュカの指揮の素晴らしさを知ることができる。フレーズの1つ1つが呼吸をしてチェコの深い情景を観れるよう。標題音楽ならではのうまさがある。札響の絃も管も空気が澄んでいて非常に上品。録音も上等。キタラの雰囲気がよく出ている。

 対して純音楽の交響曲も、ブラームスの模倣ではなくブラームスの技術を規範にスラヴ魂をぶち込んだような、ドヴォルザークの傑作中の傑作。ある種の標題的匂いの漂う8番や9番に比べて、こちらを好む人もいるだろう。

 冒頭の緊張感からノイマンを超えたw 昨年の6番でも感じたが、この人はフレージングがやたらとうまく、一瞬たりともベターッとしない。旋律から伴奏から中音部に至るまで、会話のように音楽全体が生き生きとしている。1楽章は抑揚のかかった制御された形式美が魅力で、派手好きな人には物足りないだろうが、純粋に音楽美を聴ける人にはたまらないものがある。まさに2楽章もじわじわ来る演奏。3楽章は初っぱなから憎いほどの揺らし方が、もう参りました。

 全体に禁欲的な演奏だが、4楽章の主部が始まる辺よりまたじわじわと高揚して行き、9分間のドラマはラストのコーダで頂点に達する。だがけっして絶叫したり爆発したりはしない。抑制のきいたまま、というか、クラシック音楽の正統を行く和音の美しさを保ったまま、集結する。

 ドカンといっぱつ噴火する演奏も良いが、こういうフォーマルな演奏も勉強になるし、実に良い。


9/24

 豁然とマーラーの5番を欲し、マーラー5番5種+1。

 5番は苦手だったんですけど、なんか急に良くなってきた。逆に1番苦手なのは1番洒落ではない。

 まずは新録2種。

○ジンマン/チューリッヒトーンハレ管

 3番と4番をすっとばして、5番を聴く。期待にそぐわぬ超演奏。ジンマンの演奏は賛否両論あり、特にテンポが全体的にゆっくりめなので、私も全部が全部良いというわけではないが、この5番は素晴らしい。これが良くない人は、何が良くないのか理解に苦しむ。まるで、チャイコフスキーの5番や6番、ヴァイオリン協奏曲、はては白鳥湖までが初演当時は 「良くない」 と評されたのに似ている。音楽そのものの妙味は寸分の狂いなく、管弦楽法を余すところなくとらえ、フレージングはマーラー聴きの心に染み入り、トライアングルの音色ひとつまでグッとくる。

 マーラー特有のじわじわ感、ヒステリック感も申し分無い。なにより録音が優秀でSACDの面目躍如。マーラーはこういうのを聴くともう、余程でなくば昔のCDは音が悪くて聴けない。マーラーの求めた明快な響きを具現化する新世紀の秘密兵器がSACDである。ここは生演奏に限りなく近い音がある。C席くらいの音は充分にある。いやむしろ、おっさんのげほげほ、おばさんのアメをむしるくしゃくしゃ、などの雑音が入らないぶん、生演奏を超えている部分もある。

 1楽章から雰囲気ありありだが、2楽章がまず凄い。荒れ狂う感情のほとばしりの中にも冷静さが失われておらず、シンバルの1発、低弦の荒れ狂う様のひとつひとつが輝かしいばかり。ハープのグリッサンドまでカッチョイイ。こういうのはセッション録音でないと味わえないところだろう。ちょっとテンポがゆっくりなので、そこが、勢いが欲しい人は違和感があるだろうが、私は申し分無い。この音楽はまともにやるとこんなものである。無理に速くやってアンサンブルが崩れるくらいならこれで良い。

 3楽章はなにより、リズム感が生き生きとして音楽が躍動しているのがうれしい。こういう3楽章は本当に良い。ホルンのソロもばかうま。テンポは遅めだが躍動感が失われていない。バランスも良い。珍しくバスドラが強調されている。

 しかしシンバルの音がいいなあ(笑) 

 4楽章も、バーンスタイン流の感情的解釈表現とは根本から異なると指揮者は云っているが、それにしても感情たっぷりである。つまりマーラーの音楽は、そもそも感情的に書かれている。書法という意味ではなく、むしろフレーズの問題で。従って、そこへ指揮者の感情を上乗せする必要はなく、自然に演奏すれば充分にマーラーの感情が伝わってくる。マーラーと同じ感情ではなく、音楽に憑依してしまう指揮もあるが。この4楽章は静謐、かつ、上品で、また、とてつもなく美しく、愛というより恋のような淡く切ない感情に満ち満ちている。素晴らしい。

 5楽章のオーケストラのごちゃごちゃは、ごちゃごちゃしているのが正しいという演奏もあるのだが、ここではそれは許されない。確かに当時のオーケストラではこれは完全に演奏しきれなかったかもしれないが今は異なる。しかも録音もこのように家庭でかなり再限度が高い物が出てきた。ジンマンのややゆっくりめなテンポ解釈は勢いのある一気呵成な ズバー! という演奏を好む耳には物足りないかもしれないが、マーラーの多重フーガとロンドを重ね合わせた超バッハ的な音楽の構成の面白さをそのままドイツ音楽的面白さとして(正確にはドイツ音楽をパロったヴィーン音楽なのだが)味わう耳には、たまらない演奏のひとつだろう。ちなみに私が最も驚嘆したのは、最後のトライアングルの音色の良さである(爆)
 
 マーラーベスト変更 ○5つ。

 いやー、ちょっと初っぱなからとてつもなく良い演奏を聴いてしまって、これから4つあるんだよな(^^;A

○マーツァル/チェコフィル 2003ライヴ
 
 これもSACDで、番数によっては毀誉褒貶の激しいマーツァルのマーラー。5番は第1弾のようである。2003年ライヴ。

 1楽章より、ライヴならではのグイグイっとした進み方が面白く心地よい。こういうのが好きな人は、セッション録音はノリが足りないと思うのも無理はないだろう。フレージングも申し分がない。流石ボヘミアの気質が生きている。絃楽器がやたらと艶かしくクネクネしているのも、マーラーらしいといや、マーラーらしいかもしれない。中間部のティンパニのソロがやや乱暴な演出。全体的にはフレージングのアクが強く、印象に残る演奏。アンサンブルやや荒いかも。やり方としてはグロテスクと生々しさが強い。おどろおどろしい1楽章。

 近い指揮をあげろと云われれば、やはりコバケンになると思う。これはチェコフィル独特のものがあるのかも。

 2楽章冒頭の低絃もひっぱること(笑) 第2主題も歌いっぷりが嬉しい。しかしネットリである(笑) これはちょっと、21世紀にこんな演奏をする指揮者がいたとは!

 いや好きなんですけど(^^;A

 しかしそれにしても、いくらライヴだからって、もうちっと丁寧にやってほしい部分が……。細かいパッセージとかはよく掬っているんですけどね。その出入りがゴツゴツして、唐突な印象です。

 3楽章も悪くない。ホルンのソロが逸品。ただ全体的になんかブワブワしている。なんでしょうね、録音やアンサンブルの技術的なことは分かりませんが……。フレージングが明るいというが、お気楽なのかなあ。マーラー特有のヒステリックな部分が薄いというか。3楽章なんかで平安を感じている場合ではないのですが。まあトリオでそのような響がしても「悪くない」ですが。ちょっと能天気にブカブカ鳴りすぎる嫌いがあるかもしれない。

 4楽章はコテコテというよりむしろネトネト(笑) 今となってはやりすぎかもしれないが、ああ、バーンスタイン様を彷彿とさせる。向こうのほうが無駄にえろいけど。5楽章は一気呵成な勢いのある演奏。5楽章に隠されているちょっと斜に構えたニヒルな部分はあまり見られず、素直にこの複雑な音楽を鳴らしている。○3つ半。良く云えば豪快、悪く云えば表層的。

 でもこのマーツァルという人は、マーラーの中にも得手不得手があるように感じる。5番では1楽章が一番良かったです。

 続いて古い録音の直し物をふたつ。

○バルビローリ/ニューフィルハーモニア管

 EMIレーベルの復刻物で、ART盤。これはSACDほどではないが、異様に音が良いので好きなシリーズである。グランドなんとか盤とはもう天と地ほどの差がある。

 そのような感じで、前の国内盤はめちゃくちゃ音が重くて、驚いた記憶がある。遅いというのではなく、リズムがやたらと後ろにひっぱられるので、重く感じる。和音とかもズシーッとくる響き方。フレーズは後ろに後ろに引きずられて、これは聴く人が聴いたら耐えられない演奏だろうと思われる。

 というわけで、音はいいけど1楽章から重すぎる(笑) 誰が本当に葬送行進曲をすれと(^^;A 当然、演出なのだろうが、クレンペラーとも違って、明確ではない。クレンペラーは身体が悪いのもあったが、明確にするためにどんどんテンポを遅くして分解して行った。7番の話ですが。

 バルビローリはちょっと陶酔的な、ニヒリズムがある歌い方で、フレーズの一つ一つの響き方としてはむしろ趣があるのだが、全体としてはマーラーっぽく無いかなとか、思います。

 2楽章もその表現は続き、ひたすら重々しく、5番が何やら巨大な怪物のように咆哮を上げる。2楽章はなかなか良い。雄大としている。なんか遅すぎて合ってないような気もするけど(笑) 

 3楽章は精神に来る演奏。4楽章はただただクドイ。5楽章はロンドとフーガが意外とこのテンポ感でも、いやむしろ出来もしないテンポでごちゃごちゃにされるくらいなら、こんな感じでも私は好きだ。なにせフレーズはしっかり歌っているのだから。途中からはただし飽きてくるけど(笑)

 うーん、ちょっと★3つ半で(^^;A

○スウィトナー/シュターツカペレ・ベルリン

 旧ドイッチュ・シャルプラッテンによるマーラー選集は、バラバラの指揮者とオケで8番と大地を除くずべてが録音された。ケーゲルやレークラー、ザンデルリンク父による貴重な東ドイツの録音である。その中にスウィトナーの5番もある。このたび(と言っても3年くらい前だけどw)ハイパーリマスタリングということで、再発になったわけだが、3年も棚にあったのか!!

 私は前の古いCDのときからこの演奏は凄い好きだった。音は云うほど劇的に良くなったようには感じない。演奏は端整で、非常に古風で上品。新古典主義的というか、純粋音楽的というか。モダンではなく、洗練された大正ロマンのよう。

 マーラーの音楽は標題音楽か純粋音楽かというとかなり難しい問題で、限りなく標題音楽的発想に基づく純粋音楽としか言いようが無く、アプローチの仕方でガラリと姿を変える面白さがある。

 スウィトナーはドヴォルザークの交響曲すらベートーヴェンやブラームスと同列に考えるべきだというから、とうぜんマーラーも、となる。それでいて、本質的な歌の部分、感情的(を装っている)表現を失わない。4楽章など特にそう。

 あと、やたらと太鼓の音が生々しいのが不思議(笑) けっこうとちったりしてるけど、★5つ。

 最後に秘蔵のライヴ録音。

○プレートル/ヴィーン響

 これは1991年のライヴだそうです。プレートルって初めて聞く指揮者だ(^^; 1924年生まれなのでもう85だから、けっこうな巨匠である。演奏は67のときか。指揮者界では若いッちゃ若いような。フランス人だが、活躍はウィーンが主体だったという。

 そのせいか、スケールの大きい、構成のしっかりした演奏。古典的なヴィーン流儀ともいえるかもしれない。ベルティーニをもうちょっと硬くしたような。硬質な響きは好感がもてる。マーラーはやっぱり、構成的な演奏の方が映えると感じるようになってきた。ただしガチガチでは音楽が息をしないのは云うまでもないところで(マーラーに限らず)特に旋律的な要素の大きい、構成的かつ旋律的というマーラーながらの矛盾というか特徴をいかんなく発揮するには、こういううまい演奏が頼もしい。

 そのうえ、けっこうタメるところはタメ、ショッキングなところはショッキングで……わかっているというか(偉そうですけど)マーラー聴きのツボを心得ているというか。2・3楽章も勢いが良い。4楽章はかなり感情を入れている。

 それにしてもこの音楽の5楽章って……本当に複雑怪奇ね(笑) 

 これは★4つ半。

 オマケで、先日のPMFのライヴ映像をNHKの録画にて

○MTT/PMFオーケストラ L2009

 最初のティルソントーマスの自作自演「ストリートソング」のほうを評価する声もあるが、私はどうにも構成的に長く感じていけない。冗長すぎた。18分くらいだったけど。バーンスタインとストラヴィンスキーとそんな感じ。都会の喧騒の裏側という雰囲気はよく出ていた。

 しかし当日も感じたが、冒頭からラッパのトップのお姉ちゃんが激烈うまいwww

 全体はサンフランシスコ響とは異なるオーソドックスな進め方で、それが気に入らない人もいるだろうが私は逆にこっちのほうが良い。起伏あり、歌あり、嘆きありで面白い。当曲の面白さを素直に出している。学生オケのための勉強というべきか、マーラー5番の聴衆も含めたレクチャーというべきか。この1楽章で物足りないとか云っている人は、バーンスタインやテンシュテットの聴きすぎなのではないか。これは云うまでもなくオーストリア音楽、ヴィーン音楽なのです。ティルソントーマスにそんな物を求めたって無駄でしょう。

 たいへん上品でかつさわやかな演奏。マーラーらしいどろっとした部分は少ないが、5番はもともと少ないし、マーラーらしいどろっとした部分というのは実はマーラーらしいと思い込んでいる指揮者の想像の産物でもある。むしろマーラーらしい部分というのは、エキセントリックなキーキーした部分だと思う。

 さすがに学生オケなのを加味し、★4半。

 
※最近、残念ながら聴く時間も書く時間もとれなくなってきたので、次回からはより簡潔に書くよう努めさせていただきます。また、1回の更新は3枚以内とすることにします。


8/8

 邦人作家盤3種。

 ○エクストンレーベルから出た、ニッポニカによる邦人作品集。指揮は本名徹次。

 林光:交響曲 ト調(1953)
 入野義朗:シンフォニエッタ(1953)
 池野成:ダンス・コンチェルタンテ(1953)

 面白いことに3曲とも作曲年が同じという企画。作曲家たちの20代、30代の曲で、正直、技術・発想的には厳しい部分もあるのだが、現在の若い作曲家よりは遥かに元気があって面白い。

 林の交響曲はもうブラームスとプロコフィエフが大好きです、という曲(笑) 正統的な4楽章制で、けっこう構成的にマジメに書かれており、作風は新古典的。いまとなっては、佳作といったところ。

 逆に入野のシンフォニエッタは力作。といっても、3楽章制で15分ほどの、小オーケストラのための室内交響曲であるが、12音技法の中にもフーガやヴァリエーションが織り込まれ、不協和音とセリー動機とが、古典的技法の中で醸成されている妙が面白い。また、長くなくさっぱりしているのも粋で魅力だった。

 池野のダンス・コンチェルタンテは、こちらも若気の至り大爆発というか、「私はこんなにダフクロとハルサイが大好きなんです!!」 って云われたらもう、「そうだねえwww」 としか云いようが無い。だが、その中にも池野好みというか、全4部楽章のうちの、第3部などにラテン気質な池野味の萌芽があって、これが正しく進化すると、あのトロンボーンと打楽器のアンサンブルとか、金管とティンパニと打楽器の曲とかいう、不思議な曲につながると思った。30分近いけっこう大規模な作品。

 3作の中では入野のものがもっとも聴き応えがあった。

 ○スリーシェルズによる、金井喜久子管楽作品集。リベラ・ウィンドシンフォニー他。指揮は福田滋。ピアノは高良仁美、フルート江尻和華子、トロンボーン箱山芳樹。

 待ちに待った金井作品集。キングによるピアノ集に続き、スリーシェルズから吹奏楽と管楽器の室内楽作品集が出た。曲目は以下の通り。

 沖縄復帰祝典序曲「飛翔(はばたき)」(1972)
 沖縄ラプソディ〜ピアノと吹奏楽のための〜(1966)
 フルートとピアノのための「てぃんさぐの花変奏曲」(1973)
 トロンボーンによる「3つの奇想組曲」(1966)
 
 飛翔は期待していたほどではなく、やや盛り上がりに欠ける。ちょっと式典を重視しすぎて、形式を重視し、お堅い感じ。しかしまあ、天皇陛下も臨席する式典ではこれくらい格調が高くて正解なのだろう。曲調としてはどこか明るくレスピーギっぽくもあると感じた。

 逆に沖縄ラプソディが最高だ。吹奏楽とあるが、ジャズバンドといっても良い。ピアノパートも面白い。沖縄旋律も然る事乍らリズムが良い。シリアス調の冒頭から、やがて沖縄踊りに。終始その楽しげな雰囲気が持続する。

 フルートとトロンボーンのための小品も文句無しに良い。金井って器楽作品の方が良いのかな。フルートがしみじみとてぃんさぐの花の旋律からその変奏を奏でる様は可憐と云うほかは無い。5分強ほどの小曲なのもそれに拍車をかける。

 トロンボーンソロとピアノ伴奏のための組曲は編成としても珍しい。知人のトロンボーン奏者のために書いたのだそうな。3楽章というか3つの小曲が並んでいる。トロンボーンの特質がよく出ており、かつ、沖縄旋律も楽しい逸品である。箱山のトロンボーンもまたうまい。

 ○フォンテックによる湯浅譲二室内楽作品集
 
 そういや、今でも続くフォンテックの現代日本の作曲家シリーズの第1弾が、湯浅譲二だった。学生のころだから、93年だった。16年前www

 そのころから湯浅を聴き続けている。私が邦人作家を聴くようになって、だからそんな具合なのだが、他の邦人や、現代オンガク作家と比べて、湯浅は分かったような分からないような、何とも云えぬ聴後感がある。もちろん超前衛なのだが、明確な12音技法による現代ものとはちょっと趣が異なり、独特の響きを有している。オーケストラ作品が多いが、室内楽も多い。

 フォンテックでは初の湯浅室内楽作品集。

 相即相入(1963) フルートとリコーダー版
 弦楽四重奏のためのプロジェクション(1970)
 マイブルースカイ第3番(1977)
 絃楽三重奏のためのプロジェクション(2001)
 2台のピアノのためのプロジェクション(2004)
 マリンバのための音楽(2006)
 ぶらぶらテューバ(2006)

 1929年生の湯浅も80を迎える。武満も生きていれば79となる。湯浅は友人、武満の分まで頑張っている。

 長く創作を続けることは難しい。ここでは湯浅の2000年代の新作も含まれている点でうれしい。老作曲家の新作という意味では、問題はつきまとうが。

 相即相入は本来は2本のフルートのためのもので、2人の打楽器のための相即相入2もあるがここでは1のリコーダー版。フルートのあまりの緊張感(能管のような強力な響きがする)に、なんともリコーダーの不思議な音(笑) リコーダーはその名の通り、鳥の歌声のような楽器である。このように深刻な音を奏でるとは意外な印象であり、新鮮ではあるが、いまいちリコーダーは目立たなく存在価値が分からない。

 湯浅のプロジェクションシリーズで3つが聴ける。しかもふたつは新作である。弦楽四重奏のためのものは、とにかく当時の最先端の現代奏法のオンパレードの中にも、湯浅独自の価値観が認められる。演奏もうまいが、曲も最高だ。これは楽譜を見てみたい。音符の代わりにギザギザしかないような気もするのだが(笑) 弦楽三重奏のためのものは新しい作品で、刺すような刺激は無いが、深淵を覗き込むような暗黒の美と緊張感と快感に支配されている。

 マイブルースカイ3番は、ソロヴァイオリンのためのものだが、さび付いたドアみたいな音が延々とうねりにウネル音響がまるで重奏のように響く妙。2台のピアノのためのプロジェクションでは、ピアノじゃない打楽器のような響きの追求。ただ無機質に紡がれるものではなく、金属打楽器のような音調が使われる。音が空間と時間の中を推移して行く無重力の音の粒。

 2006年の新作2つは、マリンバソロとテューバソロという、これまでにない楽器への楽曲提供ということで、湯浅の挑戦が認められる。流石に厳しさというものは後退しているが、枯淡の極致に達した前衛というものも、なかなか趣があるだろう。

 マリンバソロ曲は5オクのマリンバを使用し、低音から高音までを自在に行き来する音の連鎖が、無常観を醸しだしてなかなか妙味がある。
 
 テューバソロ曲は、テューバの音色のもつユーモラス感を強調しつつ、その旋律の進行は辛辣な響きをする。なお、じっさいに立ってぶらぶら歩き回ったり立ち止まったりしながら演奏されるとのこと。なんか途中で 「はあ…」 というため息にも似たブレスが聴けるのも面白い。

 湯浅は確かに面白い。作曲の軸というか動機というか、概念が 「時間軸の移動」 というものに依っており、主題と変奏とか、和音とか、そういうものから完全に解き放たれている。ここには新ヴィーン楽派が西洋音楽の決まり事を破壊したように、湯浅は湯浅の概念で破壊している。ここにあるのは新しい音調・音響への飽くなき創意工夫である。それが音楽なのかどうかは……聴くものの判断に任されるだろうが。


8/3

 なんだかんだで1カ月ぶりの雑記更新……。

 マーラー大地の歌3種

 ○ノイマン/チェコフィル/ソンクポヴァーCon/プジビルT 1971ライヴ

 1971年のプラハの春ライヴ録音だそうで、全集には含まれていない、貴重なノイマンの大地なのだが、正直に云うとちょっと期待ハズレ。録音が貧弱で、チェコフィルというよりより下手な放送オケみたいなドライさ……。カスカスしている。特に絃が酷い。

 先日(5/18CD雑記)のVPOとの大地が良すぎたか。

 演奏は早めのテンポで、悪く云えばセカセカしており、良く云えば、軽い感じの美しい面を強調したもの。意味深な内面より異国情緒な交響曲という外観を重視したというか。全体的によく歌われており、もちろん悪くはないのだが、深さには書けると思う。しかし6楽章は一転して闇が見える。

 しかしちょっとやっぱり、流石に56分は速いなあ。シノーポリの69分より13分も速いし、以下の66分、64分と比べてもなあ。★4つ。

 ○水藍/新加坡交響樂団/梁寧MS/莫華倫T 

 まあ、シンガポール交響楽団なんですが(笑)

 
中国語版 馬勒:大地之歌 であります。

 こんなキワモノ盤がSACDとは、BISは狂ったのか、よほどの自信があるのか、聴いてみよう。(こういうのがあるから新譜探索はやめられん。)

 ぽちっとな


 ;`;:゙;`(;゚;ж;゚; )ブフォ!!

 
 うおお! 妙! 妙だ!!ww

 まあドイツ語だろうと中国語だろうとなに云ってんのか分からないのには変わりないので、どうでもいいといやいいんですが(笑)

 演奏は元気があって、なかなかうまいです。シンガポール響。

 しかしもうちょっと新鮮味があると思ったけどなあ。テノールの人は声量が小さい。というか、オケがでかいかも。大地の歌はもともとマーラーの未推敲で、歌唱がオケに埋もれてしまうもんなんですが、交響曲であって歌曲じゃないし、そんなものかもしれないという理解で私は聴いていますが、それにしても、弱い(ピアノ)と音量が小さい(スモール)は異なります。

 メゾソプラノはまあまあなのだが……。

 これドイツ語でも中国語でも何云ってるんだかわかんないや。じゃドイツ語でいいよ。たいして変わらないし。意図がよくわかんない。

 そうは云っても3楽章はちょっと変。だけど聴き慣れたら、中華フレーズに違和感無くなるのかしら。

 演奏はまあまあなのに(フレージングが絶妙。さすが中華系指揮者とオケ。)惜しい。★4つにしておこう。あ、SACDだった。○4つ。

 ○シャイー/コンセルトヘボウ/ファンネスMS/ヴィンベルイT 1990年ライヴ

 シャイーは全集に大地が無いので、たいへん貴重な録音である。

 録音はホール録りで音響が遠いが、全体にとても流れが美しい。シャイーらしい耽美さが随所に光っている。精緻かつ丁寧に鳴らしながらも、あまりオーバーに進めないあたりはいかにも。従って、ちょっと動きが物足りないと感じる人もいるだろうが、そういうものをシャイーに求めてもしょうがない。私は大地あたりはこれで充分とは思う。3楽章などは絶品。またメゾソプのファンネスの歌も情感がありつつ、綺麗でしっとりとして良い。ヴィンベルイは演技力はあるが、ちょっと音量が物足りないかも。1楽章とか。3楽章は小洒落てて良い。まあ、ホールじゃこんなもんでしょうかねえ。

 しかしまあ、やっぱりコンセルトヘボウはうめえなあ。特に絃楽と木管が文句無いですよ。この曲は難曲なんですけどね。大地で絃楽と木管が文句無かったら、もう全部文句無いです(笑) 録音の関係か、冒頭のホルンだけ、まずいです。

 4楽章とかの打楽器(大地で唯一合奏で活躍する部分)も、ドガチャガはカラヤン的西洋流儀というか。そういうふうにちんどん屋みたいに鳴らすと、情緒が失われるという聴き手と、西洋音楽っぽくて良いという聴き手に別れると思いますが、まあどっちも面白いです。

 5楽章も盛り上がって良。そしてなにより、6楽章が最高……! 愛だ、愛がある!(笑) 3番の6楽章につながる愛があるぞ!! フルートとかもニュアンスが素晴らしい。うまいとかそんなレベルではなく、うまい中にも、大地的な情感とか、そういうのあると思いますが、それが完璧じゃよ。

 いやー、しっかし……
この6楽章は完璧なまでに美しい!! メゾソプラノも凄いです。陶酔感と、楽曲に対する愛が……!

 さすがシャイーです。なんで全集に入ってないんだろ。プロデューサーは呪われろ。大地の歌って本当に素晴らしい音楽です。マーラー先生、ありがとうございます。

 絶対的に★5つ。

 次は5番を5種類聴きます。そのうち2種類は往年の録音のリマスター盤です。(その前にたぶん邦人作3種)

 PS 交響曲のページはペッテションを10番まで書きました。1曲聴くたびにメンタル面でかなりダウンするので、もうしばしお待ちを……。


7/6-7

 マーラー先生のお誕生日を記念し、シノーポリでマーラー2種。

 ○シノーポリ/ジュリア・バンセSop/シュターツカペレドレスデン 4番 1999ライヴ
 
 評判の高いシノーポリの4番。評判通りの出来ばえ。これは素晴らしい。

 時間的にはかなり遅い部類で、62分のトータルがそれを証明するのだが、まったく「遅さ」を感じさせない。その点、MTTを凌駕している。

 たおやかで、優雅で、それなのに最近の機能美オケと異なり、軽くない。ずっしりと伝統なのかどうか分からないが、重みがある。重みがあるのに(重いというわけではない)軽やかなのだから不思議。

 シノーポリ得意の歌心のフレーズ処理が、マーラーの歌謡旋律をどんどん引き出す。その上、シノーポリ得意の分析が妙味となって絶妙に合わさっている。ガリガリしていた時代のシノーポリとはまさに別格の高みに達している。繊細かつ大胆な組み合わせのこの1楽章を、精巧に再現している。

 2楽章のソロも秀逸で、全体のバランスも良い。ふだんは流されがちな、木管のささやかな(グロテスクな)表現のいちいちを掬い取っている。しかも美しく!!

 トライアングルも素晴らしい音色。

 3楽章はそうなると21分の大物楽章。疑似フィナーレ。じっくりと……じわじわと……美に浸食される快感。これは5番の4楽章に通じる技か。第2主題の粘着度は異常(笑) さいしょからこんなにドロドロで良いのだろうか!?

 まあそれゆえのマーラーなんですが……しかし……こんな深刻な3楽章は滅多にない……。ゴゴゴゴゴゴゴ ジョジョの効果音じゃないんだから(笑)

 いやもう、ここだけで充分に感動です。折り重なるような旋律群。織り込まれる対旋律。最後は9番の最後みたいだぞww

 4楽章も12分を数える。こうなると、4楽章をあくまで本当の終楽章としてとらえる人は、たまらないだろう。

 というかおっそ!(笑)

 ソプラノ!! よく歌いましたな。そしてそれについてくオケ! 表現充分。迫力もあり、流れがもう……絶品。
 
 最重量級なのに、この軽やかさ。典雅さ。まさに天国の描写。その意味で奇跡みたいな演奏。録音も最高級。

 シノーポリのプレトークみたいなものもボーナスで入っている。ドイツ語の勉強にどうぞ。

 すんばらしく★5つ。マーラーベスト変えました。

 でもあえて云うなら、もう少しこの曲は毒が欲しかったかな……

 ○シノーポリ/スカラ・フィルハーモニー管弦楽団/ウルマーナMs/シュミットT L1998 大地の歌

 セッション録音が1996年であり、基本的なスタンスは変わってないと思われるが、翌年の4番にも通じるゆったりな部分も聴かれ、時間は70分に迫ろうとしている。こんな大地もあまり聴いたことがない。重いのだが、軽やかで、どっしりとした質量がたっぷりとした音楽的満足感を与えてくれる。しっとりとした、濃厚な中身がある演奏。イタリアのオケだからか、歌い方も良い。フレージングの絶妙な感じがなんとも。もちろんそのように弾かせるシノーポリのうまさ。歌も感情がこもっていて良い。

 もしかしたら明るすぎるのではないかと心配した6楽章も(1楽章はちょっと騒ぎすぎかも)、しみじみとした抑制ある滋味がじんわり染みこんできて、日本人好みである。

 特別に派手ではないが、この曲はそもそも派手な曲でもない。聴きながらその綺麗な質感にしっとりと浸れる、素晴らしい演奏。また地味に大事な管楽器のソロが絶妙に歌われている。ワルターみたい。

 ★5つ。こういう本物の演奏の大地を聴くにつれ、やっぱり自分はこの曲が好きなんだなあと我ながら感心する。というわけで次から大地3連発。






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