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 年末年始にかけて、伊福部ファンのあいだで大話題となった個人レーベルであるサリーダによる 「伊福部昭の純音楽」。 これまでも伊福部門下の小杉太一郎、池野成、山内正の純音楽シリーズを出し続けてきたサリーダ Salida が、満を持して世に放ったのが 「伊福部昭の純音楽」 である。

 伊福部ともなると秘蔵音源も出尽くして、そう簡単には新発見も無く、楽譜の方もだいたいが録音され尽くして、あとは新しく楽譜が発見されるか、御遺族が秘蔵楽譜の再演を許可するかという状態だが、かつてNHKFMで放送された放送音源でお蔵入りになっているものを発掘。さらには、楽団等に眠っているものを加えた。各方面、著作権者(調べた範囲では、著作者人格権は、原則、作者の死と共に消滅するが、作者の死後に一定期間残ると解される場合でも、著作権者に引き継がれる)等への許可取りに、個人レーベルでたいへんなご苦労があったことに思う。

 全てが初CD化音源であり、初めて聴く人や、エアチェックで聴いていた方からも高い期待が寄せられていた。以下、列記。CD3枚組。3枚目は片山杜秀による伊福部昭についてのインタビュー。

 伊福部昭
 日本狂詩曲:三石精一郎/東京フィルハーモニー交響楽団 1957年セッション録音 モノラル録音
 シンフォニア・タプカーラ:山岡重信/東京フィルハーモニー交響楽団 1982年セッション録音
 シレトコ半島の漁夫の歌(オーケストラ伴奏合唱版):白井暢行/北海道大学合唱団/北海道大学管弦楽団 1966年初演ライヴ モノラル録音
 吹奏楽のためのブーレスク風ロンド:手塚幸紀/東京佼成吹奏楽団(現・東京佼成ウィンドオーケストラ) 1972年初演ライヴ
 ヴァイオリンと菅絃楽のための協奏風狂詩曲(ヴァイオリン協奏曲第1番):石橋義也/東京フィルハーモニー交響楽団/徳永二男Vn 1971年セッション録音
 ヴァイオリン協奏曲第2番:大友直人/東京フィルハーモニー交響楽団/小林武史Vn 1982年セッション録音
 ピアノと管絃楽のためのリトミカ・オスティナータ:若杉弘/読売日本交響楽団/小林仁Pf 1969年ライヴ
 片山杜秀さんに訊く 「作曲家 伊福部昭」 (訊き手:出口寛泰)


 まず、このラインナップに驚愕仰天絶句悶絶。片山さんのラジオ番組、クラシックの迷宮で聴いたことがある音源も混じってはいるが、ほとんどが初めて聴くものであり、それぞれの録音史、楽曲の成立史を踏まえる上で貴重すきる音源が一挙公開だ。順に聴いて行きたい。

 日本狂詩曲の57年録音は、関係者でも、そんな録音あったんかい! あるいは文献で見たことあったけど、録音が残ってたんか! というものらしく、しかも戦後初、いや楽曲として初めての伊福部臨席監修のセッション録音であったというもので、めちゃくちゃ貴重な音源である。日本狂詩曲では、戦前は国内での録音が無く、戦後のヤマカズ/東京交響楽団による1962年の録音が初録音ということになっていた。が、ここにその録音史を覆す録音が登場した。

 かつて、マニア曲で音源が出れば狂喜乱舞していただけの時代と異なり、日本狂詩曲も録音が増えて、えらいゆっくりな演奏と速い演奏とちょうどいい演奏とが混じっていることに気づいた。

 2014年の和田薫による校訂によると、古い龍吟社版ではテンポ指定が 夜曲四分音符96 祭同108 だが、校訂に使用した手書スコアでは 夜曲同120 祭同168 と、異様に速くなっている。ゆっくりなのも、速いのも、指定に忠実な可能性がある。ちょうどいいのは、逆に指揮者が調整している。

 しかし、残っている手書きスコアは、チェレプニン賞の応募用スコアの写しらしいのだが、チェレプニン賞は演奏時間の規定が11分以内だったそうで、第1楽章をカットしても15分かかる日本狂詩曲は、伊福部が演奏時間のオーバーを鑑みてなるべく速い速度を書きこんだ可能性が捨てきれず、龍吟社版で本来想定していた 「正しいテンポ」 に直したと推測できる。

 そうなると、わりとゆっくりなテンポが、本来のテンポだと私は信じている。なにより、伊福部自身が監修した録音や、伊福部が 「なかなか良いテンポ」 「もっとも正しいテンポ」 などと言ったという演奏(東京音楽時代の弟子の方より伺った沼尻盤等)は、やはり、わりとゆっくりめなのだった。

 そもそも、夜曲はノクターンということで、情緒的にゆっくりだとしても、祭は祭典=速いという認識は、私は納得していない。ノリとかの問題ではない。これは、伊福部がモデルにした札幌祭の行列の速度であり、ピーヒャララ、ピーヒャラ、と、笛を吹きながら歩く速度なのだ。サンバカーニバルじゃないんだから、速けりゃいいってもんではない。ヤマカズによる1980年のライヴの、凄い速度で突っこむ演奏は、まさにフルトヴェングラーの第九のライヴの狂ったようなコーダと同じく、特殊な事例でありスタンダードではない。

 で、この演奏だが、私が聴いた中でもっとも遅い。びっくりするくらい遅い。そして粘っこい。ネバネバだ。

 しかし、これがスタンダードなテンポだと仮定すると、他の演奏はやはり速いということになる。モノラルだが、マスタリングが凄く上手で、気にならない。打楽器の音がリアルに響き、ゆっくりなテンポが相まって、非常にリアルだ。スネアドラムのスネアがオンになっているのも面白い。スコア指定では、オンなのか?
 
 1楽章は夜曲というが、お上品なセレナードではなく、まるで遊廓の情景を見ているような色気がある。テンポが遅いことで、走馬灯のような、酔っているような雰囲気が出ているし、弦の主題が非常に艶っぽく響いてくる。

 2楽章はウキウキのテンポで、速すぎず、かといって無味乾燥ではなく、お祭の楽しげな情景が浮かんでくる。そう、これこそ札幌祭で笛をピーヒャララ、ピーヒャラと吹きながら歩いている行列である。一部録音が歪んでいる部分もあるが、それは仕方ない。このテンポがスタンダードだと認識すると、速い演奏はみんなでフォークダンスでもやっているように感じて笑ってしまう。

 続いて、邦人作曲家の伝道師山岡のタプカーラ。私の札幌交響楽団邦人作曲家定期演奏会記録を見ても、初期のころは山岡だらけなのが分かる。その山岡が、1982年に改訂版のタプカーラを振ったもの。改訂版初演(1979)からたった3年後であり、初めてのプロオケによる演奏かもしれないもの。

 以前、クラシックの迷宮でオンエアされたことがありそれを録音してPC再生していたが、CD化され音質が格段に上がり、印象が変わった。山岡もかなり遅いというか、悠揚たるテンポ設定が特徴だ。特に第2楽章は、人によっては遅すぎて音楽になってないと言うかもしれない。

 第1楽章から堂々と音楽は進み、なにより面白いのはハープ大好き伊福部のハープの音量もっと上げて! マスタリンダだろうw ハープが聴こえすぎて草。ハモンドオルガンみたいな、木管のピロピロ音も斬新だ。第2主題のソロヴァイオリンのノリも良いし、やはり打楽器がドカドカと響いてくる。このCD全体が、そういうマスタリングなのだろうか。

 展開部は恰幅のよいテンポで、一般的な演奏より遅いのだけど、リズムが乗っているのであまり遅く感じない。低音も良く響き、再現部に入って進撃は続くよどこまでも。ハープがギュアンギュアン響いてきて、笑ってしまう。伊福部、好きすぎである。実演じゃ、絶対にこんなハープは聴こえない。カッコイイ。

 第2楽章がスゴイ。遅い遅い。曲が止まりそう。だが、これは道民や東北民なら分かっていただけると思うが、大雪原にたった一人で立ち、歩いていると、まさにこんな感じである。雪が物音を吸い取るので、異様に静かであり、どこからともなく聴こえてくるのは風の音と鳥の声のみだ。その印象を音楽にすると、こういったものや、寒帯林の第1楽章のようになると思う。

 このテンポで、じっっくりと進まれると、この楽章は恐怖すら感じてくる。まさにこの演奏の白眉。第2楽章が白眉のタプカーラは、良いタプカーラに決まっている。ムックリの音を模したというコーラングレ、実際のムックリはこんな感じではないので、これもやはり風に乗って聴こえてくる幻聴か。たっぷりと歌い継いで、第3楽章へ。

 これも速すぎず、ズンドコ踊りも楽しげな第3楽章。実際のアイヌのタプカラは半分儀式なので、実はもっと荘厳であり、これはウポポ(リムセ)のイメージだ。1楽章と同じく、各種のソロ楽器が際立って聴こえてくる。最期まで勢いを失わずに、一気呵成に突き進みつつ、音楽としての造形美を失わない名演。

 次が独唱曲として書かれた、歌曲「シレトコ半島の漁夫の歌」を、オーケストラ伴奏合唱版にしたもの。演奏目録や楽譜は存在したものの、半ば伝説となっていたこの曲に、まさかまさか、録音が残っていたとはとはとは!!!

 これは関係者より、シレトコ〜は、以前伊福部先生が北大の合唱団のためにオーケストラ伴奏した版があって、学生はお金がないからと委嘱料は荒巻シャケだったそうですよ、というのを話だけ聞いていたのだが、まさか録音があったとは、その教えてくれた人も驚いていたもの。

 シレトコ〜自体が、あまり伊福部曲の中でもメジャーとは言えないと思われる曲で、それの合唱版というマニアックさ。そもそも、正直に言うと自分は更級の詩は暗くてあまり好きではない。同様に、更級詩の歌曲も苦手。だが、オーケストラ伴奏によって、カンタータのような迫力が生まれて実に趣深くなっている。また、合唱版といっても、男声合唱である。北大の合唱部が、男声合唱部だから。

 ここでは、オーケストラ伴奏の重厚さが、まさに合唱頌詞「オホーツクの海」に匹敵する。冒頭から、重い重いw 主要主題を伴奏に、低音を主体にした伊福部節が、シリアス映画のサントラさながらに迫ってくる。合唱が始まると、さらに重い。その中でも、メロディーがくっきりと浮かんでくる。まるで、黛の涅槃交響曲のよう迫力! 演奏がアマチュアなので鑑賞に限界もあるが、反面そのアマチュアイズムが良い。途中の、アイヌ語の部分も、なんか重厚すぎて軍歌みたいになっているのはご愛嬌か。

 これは、ぜひプロオケと合唱団で聴きたい一曲だ。

 ディスク1枚目最後の曲が、倭太鼓とオーケストラのためのロンド・イン・ブーレスクの原曲である倭太鼓と吹奏楽のためのバーレスク風ロンドのさらに原曲の、吹奏楽のためのバーレスク風ロンドの、初演時の演奏記録である。吹奏楽版はなかなか聴けないレア曲となっているが、それの初演時の録音が残っているとは、これもまさかまさかであった。

 伊福部ファン仲間のオリエント氏によると、吹奏楽版ブーレスク風ロンドの録音は、入手の難しい私家盤を除いて3種類あり、3種類とも微妙に演奏が異なっているという。私は、似たような音形がロンドで続いて、まっったく違いが分からないのだが、楽譜が違うのか、指揮者の解釈なのか、研究が待たれるところだ。特にこの初演は、貴重な資料となるだろう。

 私は、オケ版のロンド・イン・ブーレスクが重いというかクドすぎてどうにも苦手なのだが、吹奏楽版はさすがにスッキリしてて、しかも余計な(と、言ったら失礼だが)倭太鼓なんかなくても充分に打楽器が迫力あって、凄く良い!!

 テンポも、ちょうどいいヨーロピアンマーチ……なような気もする。デッドな音だが、終盤に向けて盛り上がって行く演奏も素晴らしい。同じく東京佼成の秋山盤はもっとキビキビした演奏会用序曲な解釈なのだが、こちらは、もっと重厚な伊福部テンポだ。そして、これやっぱり倭太鼓はいらない気がする。これで、充分に完成された作品になっている。オーケストラ版のロンド・イン・ブーレスクは、SF交響ファンタジーの初演に合わせて、同曲と同じ編制で書いたため重くなったのではないか。


 ディスク2枚目は、コンチェルト特集となっている。

 1曲目は改訂の問題がつきまとうヴァイオリン協奏曲第1番こと協奏風狂詩曲。原曲の3楽章版(1948)は楽譜が失われてどのような曲だったのかは完全に不明だが、その後の改訂版(1959)の演奏録音が相次いでCD化され、決定稿(1971)ではカットされた楽想などがあったことが判明している。その中で、この71年の演奏が、決定稿の最初の録音だと思われていたが、かつてFM放送で流されたものを聴いた人は、実はこれも微妙に違うと気づいていた。

 それを確認できる超貴重な録音である。果たして、実に微妙だが、明らかに違う部分が合って、71年決定稿の前に、71年改訂前稿というか、プレ決定稿があったことが判明した。

 再びオリエント氏のツイートを引用する。彼は、当曲の第2楽章が、あらゆる伊福部曲の中で最高に好きなのだそうだ。従って、思い入れも研究もひとしおである。結論から言うと、当CD発売現在、48年原典稿、51年にジェノヴァ国際作曲コンクール入賞の51年稿、59年稿、71年稿、71年決定稿と5種類あることになる。

 引用を参照するに、71年プレ決定稿の差異は本当に微妙だ。曰く、「第1楽章・二度目の緩徐部手前、弦楽合奏にG.P.が入る(演奏解釈ではなさそう) 第2楽章・再現部終わり、ヴァイオリン独奏が高音で管弦楽と同じように主題を演奏(主題の変奏やトリルではない) ・最後の独奏にトムトムの装飾音が無い」 とのことである。これは本当に微妙な差異で、決定稿とよく聴き比べなくてはならない。
 
 とはいえ、僅かな差異ばかり気にしてきて、せっかくの素晴らしい演奏を愉しまないのも損だ。流石にN響コンマス(当時)徳永のソロは冒頭のカデンツァから濃厚で、アジア風の響きを模した当曲の魅力をよく伝える。第1楽章、テンポが落ちる前の弦楽合奏直前のGPとは、演奏時間10分ちょい前ほどの部分だろう。確かに、ここにこんな 「間」 があったっけ……というほどのものだが、うん!? と気になる部分ではある。譜面が見られないので、何とも言えないが。

 たっぷりと、流れるような徳永のソロを聴き、唸る。2楽章の冒頭の打楽器も、非常によく聴こえている。このマスタリングは、全体に打楽器をよく拾っている。59年版にあった魅力ある楽想は、しかし全体の構成を鑑みて不要と判断されまるごとカットされ、代わりにソロヴァイオリンのカデンツァが入っている。徳永の見事なソロは、数ある当曲の録音の中でも、非常に魅力に溢れている。カデンツァの後の再現部、オケだけのはずの伴奏部分に、確かにソロも何か延々と弾いている。そしてラスト、ヴァイオリンのタッタ、タッタ、タッタ に、タララン! という打楽器が無いので、最後の最後に、オッ!? となった。

 結論。決定稿は決定するだけあって、完成度が高いです。(あたりまえ)

 続いて、ヴァイオリン協奏曲第2番である。これは、大友/東京フィルの82年の演奏で、大友はこの後、2010年に関西フィルで同曲を演奏しNHKFMで放送された。(その演奏も素晴らしかった。)

 これは特に版の問題等もなく、普通に愉しめるもの。2番はやはり、1番に比べて地味な印象があり、とりとめが無く聴きづらいかもしれない。冒頭からしぶ〜いヴァイオリンのソロだし、その後のオーケストラもくら〜いのである。これは、作曲された70年代の不遇時代、延々と大著・菅絃楽法を書いて、同じく渋いギターの作曲などをやっていた集大成だろう。映画音楽の旋律が次々に現れるので、コアに伊福部ファンには人気なのだが。

 若き大友の、意外にネチッとした粘っこい指揮が意外だ。ソロは初演者で献呈者小林なので完璧。緩急緩(長)急緩急 という構成で、次第にその間隔が詰まって行くという面白い構成だが、演奏する分には一本調子になりやすく至難だと思う。2回目の緩やかな部分で、映画などで高名な旋律が現れる。コンサート用作品では、これ以前ではフィリピン国民に捧げる祝典序曲、後年では(一部変形して)サロメ、そして最晩年の琵琶行に使われている。典型的な、伊福部の泣き節だ。

 続く部分も、寒帯林の第1楽章のような導入に導かれ、たっぷりとカデンツァを含む長大な緩徐部を堪能した後、やおら2度目の急の部分に入る。それも短く推移し、緩徐部も短く再現。最後に、コーダを含めた3回目の急が現れる。

 大友はこの若いときの演奏が納得いってなく、2010年の演奏にこぎ着けたらしいが、充分に見事な演奏だと思う。しかし、見事すぎるソロに指揮が太刀打ちできいないという意味ならば、そういう場面もあるかも。

 そしてリトミカ・オスティナータの69年版。改訂前の初演(61年原典版)の録音がCD化され、これも決定稿ではカットされた部分があったことが伊福部ファンに衝撃を与えたが、69年の時点でもほぼ同じ構成だったことが判明した。しかし、この版も細かい部分で改訂が行われており、71年決定稿で大胆な楽想のカットやピアノパートの和音など大幅に改訂されたことが分かった。この演奏も以前、片山杜秀のクラシックの迷宮で放送されたものだが、CD化で格段に音質が向上している。

 曲としての完成度はもちろん決定稿が完璧なのだが、自分は、ここのカットされた部分のハルサイ的アーシーアナロイ的な呪術めいた楽想が大好きである。というのも、決定稿で、ザッザッザッザッ……とテンポを落として、いきなりレントに入る部分……ここに、どうしても違和感があったのだ。切って貼ったというか、唐突というか。61年稿の初演録音が出たとき、そこにカットされた楽想があったと知り、飛び上がって驚くと同時に喜んだ。自分の違和感は、正しかったと。

 いや、作者が余計だとカットしているので、正しいわけではないのだが。

 演奏も、同コンビでセッション論音された決定稿に比べると、わりと雑な部分がある。なんか、4分ほどでゴン、と楽器がぶつかったような音もしている(笑) まさにライヴならでは。録音も途中で歪みが入り、聴き苦しい部分がある。それでも、鑑賞には充分に耐えることができる。

 この曲もテンポが凄く速く設定されていて、その通りにやるととんでもない超絶技巧曲になる(特にオーケストラ)のだが、わりと速すぎず遅すぎずの、この演奏がスタンダードになるのではないか。ソロの見事さも然ることながら、やはり若杉の余裕のある堂々としたオーケストラの指揮が素晴らしい。同コンビのセッション録音は、同曲の決定盤であるが、それもこういうプレ演奏を続けた結果だろう。

 後半はややアンサンブルがグチャグチャと崩れる部分があるが、迫力はいや増す。コーダ前からコーダにかけての、ホルンや金管が変拍子の主旋律を高らかに吹き鳴らして颯爽と進むあたりは鳥肌。

 なお、ソロの小林の回想によると、小林はこのとき、ピアノパートの和音を弾きやすいように勝手に変えて演奏してしまい、伊福部に怒られるかな、と思っていたら、後の決定稿の録音のとき、その通りに楽譜が直っていて魂消たそうである。(不気味社:豪快なリトミカ・オスティナータ ライナーノートより)

 最後が、片山杜秀による伊福部昭作品論である。以前も、風楽レーベルで伊福部昭の古希コンサートの打ち合わせ食事会の記録用録音がCD化され、アッと驚くような内容が公開されて腰を抜かしたが、今回はかの片山杜秀さんへのインタビューとなっている。また、この座談会で明らかになった内容を前提としたお話もあり、できれば両方聞いておきたいところだ。

 音楽ではなく語りであり、出口氏が録音した伊福部や池野のインタビューも含まれており、たいへん貴重な内容である。詳細は略すが、特に印象に残ったのは、やはり伊福部の古典主義者としての解釈だった。

 通常の人は、伊福部は何派かと問われたら、そりゃ民族楽派か国民楽派、あるいはロマン派だと答えるだろう。それを、片山は古典派(新古典派)だと言う。そこが斬新だが、実はこれは片山の創作や分析ではなく、伊福部自身の言葉である。それが、風楽レーベルでの伊福部昭の古希コンサートの打ち合わせ食事会の記録用録音で伊福部によって語られ、周囲の古弟子たち、芥川や松村らをビックリさせているのだ。

 「え……! 先生は、ロマン派でしょ……古典派……!?」 こんな感じで、まさに絶句しているのが録音の向こうからリアルに伝わってくる。伊福部曰く、「日本を背負った古典主義」 なのだそうだ。

 私はこれを聞いて、眼からウロコが5万枚落ちた。伊福部は民族楽派だと、自分も思っていた。そのため、情熱的な演奏こそ伊福部だと思いこんでいたし、感動していた。

 しかし、マーラーなどもそうだが、オーケストレーションの名手の曲を感情に任せて勢いで演奏しては、オケがグチャグチャになって、よく聴こえないのだ。そういう演奏も、たまにはいい。燃える。しかし、スタンダードにしてはいけない。

 そこに伊福部自身の、自分は古典派発言。これは、マーラーが自身の曲をどう演奏してほしいかという問いに、「明快に演奏されるのが一番」  と、答えたのに似ているかもしれない。私はこれを聞いて、伊福部と同じく、大阪のバルトーク等と呼ばれる西の民族楽派、大栗裕も実は古典主義だと気づいた。東西北方の、日本を背負った古典主義なのだ。

 片山は、それを踏まえての 「伊福部の古典主義」 なのだろう。だから、できれば風楽レーベルの座談会もぜひ聞いてほしい。まだ売ってるのかしら。

 しかし片山が凄いのは、伊福部においての古典主義とはなんぞや、という点に踏みこんだことだ。

 それは、複雑を究める後期ロマン派や現代音楽と比べて、明快に自分の言いたいことをストレートに表現する、ということだという。まさに古典派。ハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンのように、ドストレートに伊福部は伊福部の音楽を伝えてくる。そして、ブラームスのように、不要なか所をどんどんカットし、削って真に求めるものを研ぎ澄まして行く。タプカーラの冒頭のレントのような加えた例もあるが、原則、それこそが、伊福部の古典主義だ、と。

 なるほど、流石。素晴らしい。自分は古典主義とは、形式や演奏感だけを考えていたが、表現手法としての古典主義とは、そういうことかあ。

 その他にも、貴重な提言などがいろいろあり、講義として聴き応えがある。是非、この3枚目も堪能していただきたい。

 最後にひとつ、重箱の隅を突つく。片山先生、音更は、帯広の南ではなく北です(笑)


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 2日は、昨年に発売され話題となった、藤岡幸夫/東京シティ・フィルによる芥川と伊福部を聴く。

 芥川也寸志:交響曲第1番
 伊福部昭:舞踊曲「サロメ」

 藤岡幸夫/東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

 共に2019年のライヴ。実演時から非常に評判が高かったもので、このたび、満を持してCD化となったもの。

 まず芥川の代表作……と、言っても芥川は寡作家なので、どのオーケストラ曲も代表曲に相応しいのだが、規模的に最も大きいのがこの交響曲第1番なのだそうである。しかし、最初に言うと私はこの曲はあまりにソ連産交響曲……プロコーフィエフやショスタコーヴィチの影響下に 「露骨に」 ありすぎて、実は苦手である。それを踏まえた上で、さらに芥川のオリジナルな部分もあるのでそこを愉しむというのは分かるけども、それにしたってなあ、といったところ。

 しかし当時は、世界的にソ連音楽の影響が強く、アメリカでもこんな感じの交響曲が作られていたので、むしろ順当にそういうものだという認識や、日本における影響の証拠としての意義は認めなくてはいけない。

 録音も、芥川作品の中では少なく、作者自作自演が2種類(新交響楽団、東京交響楽団)と、飯森泰次郎(新交響楽団)に続いて4種類目か。邦人作品でとして考えれば、4種類もあれば多い方だろうが。

 特に1楽章と4楽章が、ブロコ・ショスタコから楽想を拝借しましたという印象が強いが、逆に2・3楽章はいかにも芥川節で面白い。そういうのを活かすか、サラッと流すか。藤岡の情熱的な指揮は、わりと旧ソ連巨匠のコテコテ指揮に通じるものがあって、ヴォリュームがある。

 かといってモタモタしているというわけではなく、軽快かというと、そうでもない。パワーで押し切っている感じが、いかにもスヴェトラーノフっぽいし、これまで聴こえていなかったようなフレーズをあぶり出すあたりはコンドラーシンっぽいし、なんとも面白い、聴いたことの無い新しい演奏だと思った。

 圧巻は4楽章。攻めこんで行きつつ、暴走しない。これも、いかにもショスタコのパクもとい影響が凄いのだが、それはそれで楽しい。

 この後、けっきょく2番は書かれずに、標題交響曲2曲(双子の星とエローラ)で終わったあたりに、作者の当曲に対するスタンスがあるような、ないような。

 続いてサロメ。サロメも、セッション実演含めて4種類録音があり、これが5種類目。しかも初演のヤマカズ盤を含む名演揃いで、聴く方としてはどうしても比較してしまう。藤岡はバレエのオリジナルスコアも確認し、7つのヴェールの踊りなどもイメージを掴み、準備万端で挑んだもの。

 冒頭から藤岡らしいパッション。しかし濃すぎず、オーケストレーションの妙を浮き彫りにして行く。伊福部のオーケストラは不思議なことに、意外とサッパリと書かれているのに、出てくる音は豊饒で複雑だ。後期ロマン派のようなゴチャゴチャ感は無く、無調12音のような奇怪さも無い。ドストレート。新古典的。日本を背負った古典主義。中近東の情緒のあるサロメでも、それは変わらない。

 サロメと王との対話なども、実にフレージングが丁寧。ここは映画音楽に出てくる旋律の宝庫で、マニアにはたまらない。自分はサントラ系は門外なので、ああ^^ー〜どっかで聴いたことあるけど分かんないなあ〜〜まあいっかー〜〜というていど。

 その後の、不穏な雰囲気のおどろおどろしさもグッド。そして総譜に書かれていたというヴェールの色にそった、新しいイメージだという7つのヴェールの踊りの丁寧さ。正直、これまでの7つのヴェールは、シュトラウスの歌劇サロメの高名な7つのヴェールのように、一体化した交響詩のようなイメージだったが、このようにちゃんと別れた7つのシーンの踊りというのが分かりやすく示されている。

 最後の狂乱も、本当に狂乱しないで狂乱を演出しつつ、しっかりとオケの隅々まで鳴らして行く。ライヴだと暴走しがちな部分で、それも臨場感があって良いのだけど、音楽としてもっと隅々まで聴きたいという欲望を叶えてくれる。

 ブラボー。


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 毎度明けましておめでとうございます。令和3年、皇紀2681年でございます。ブログももうやってないので、ここが唯一の定期的な御挨拶の場となっております。今年は、年初からしばらく伊福部昭で過ごしたいと思います。

 お正月なので、それらしく箏曲から。昨年……いや、一昨年の新譜ながら、ようやく聴いたもの。

 二十五絃箏に依る伊福部昭作品集

 伊福部昭 
 シンフォニア・タプカーラ(編曲:佐藤亜美) 
 舞踊曲 プロメテの火より 第三景 火の歓喜(編曲:佐藤亜美)
 二十五絃箏曲 琵琶行 〜白居易ノ興二傚フ〜
 
 演奏:4plus(木村摩耶、日原暢子、吉葉景子、佐藤亜美)
 
 まず圧巻なのが、タプカーラの二十五絃箏版。四面の箏を使用しているので、甲乙丙丁合奏とでも言うべきか。第1楽章冒頭から、箏ならではの音色でありつつ、オーケストラの響きに負けない迫力。アレグロに入っても、それは変わらない。ハープなどの写しは、箏では完璧であり、唯一打楽器の響きは再現に難しいが、それは脳内補完。第2主題のボディノックはまだしも、ギロの音を模した音はちょっと何をやっているのか分からない。展開部の静謐な感じも、箏ならではか。再現部など、速いパッセージの部分は速度に運指がついてゆかず、多少の 「指のもつれ」 感はあるが、音楽の勢いを優先した結果だろう。それにしても、四面の二十五絃箏(つまり百絃)が織りなす迫力が凄い。とにかく、スゴイとしかいいようが無いw

 第2楽章は、ハープのソロから始まるが、その雰囲気も完璧だ。続くフルートの息の長い旋律は、さすがに単音がポツンポツンと鳴るだけだが、これはこれで寂寥感が増して良いかもしれない。オーボエによる、ムックリの響きを模したという主題になっても、絃を爪弾くことによる、オーケストラとは異なるなんとも言えない味わいがある。冒頭へ戻り、この無人の雪原を一人で行くような、茫々とした寂しさは感を究める。

 圧巻は第3楽章だろう。緊急地震速報の元になった複雑な和音を、うまく再現している。むしろ、音が似ているwww 携帯が鳴っているのかと、ドキッとする箇所がある。急ぎすぎず、ティンパニの一打をうまく模した部分より次の展開へ。違和感無く、ノリとリズムをキープし、終盤。ボディノックも登場し、いよいよ勢いは増し、激しさと情熱に満ち満ちた終結へ。これは、実演で聴いてみたい。

 続く火の歓喜は、伊福部の大傑作の1つと思っているのだが、原曲そのままだとオケピット用なのでいまいちオーケストラでは聴こえにくい部分もある難曲で、伊福部がコンサート用に編曲し直さなかったのは悔やまれる。それをエッセンスのみならず、編曲ものならではの旋律の浮き沈みの妙を編み出す。主部の集団演舞の場面、もう最高。はい最高。永遠に、ここだけ流していたい。トランペットによる吹き流しも、ちゃんと再現。ええもう最高。ボディノック最高。

 ちなみに、この後の間奏曲はイマイチw このバレエ音楽の間奏曲って、そんなにいいものかしら? 場面転換のための音楽で、組曲には不要だと想う。

 そして琵琶行。今年は少し琵琶行を研究しようと思っている。完全な交響詩ではないので、原詩をシーンそのままではなくザックリとした流れなのだが、それでも原詩である白居易楽天の琵琶行を確認すると、味わい方も変わってくる。そりあえずそれは置いていて、演奏としては初演で委嘱者の野坂恵子(当時)の録音に続いて2つ目という貴重なもの。佐藤亜美は、野坂門下のようである。その演奏の神髄を、ちゃんと引き継ぎつつ、自己消化し、自分だけの琵琶行を築いてほしい。

 伊福部によると音詩の形式を借りた三部形式なのだが、原詩は四節に別れている。第二、三節を、曲の第二部に纏めていると思われる。詩の場面と完全には一致していないと思われるので、その通りにイメージすると分かりづらいのだが、そこは流れで聴いて行く。佐藤の演奏は、流石に野坂に比べるのは酷だが、比べる先がそこしかないのでしょうがない。演奏に固さが残るものの、やはり新鮮で良いかも。勢いもあるし、力強い。錬達とはまた違う魅力に、あふれている。

 タプカーラ、火の歓喜、琵琶行と、自分の大好きな曲が3つも入っている超お得盤である。



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