演奏会報告4


実演での伊福部24

 1年ぶりにピアニスト江原千咲子が札幌に帰ってきた。

 生誕111周年 伊福部昭に捧げるピアノと朗読の夜

 天空に交響する 伊福部昭氏に捧げる 
 作曲:田中修一
 作詞:寮美千子
 朗読:寮美千子
 ピアノ:江原千咲子

 音更町歌
 作曲:伊福部昭
 作詞:三村洋(久保吉春)
 
 ギリヤーク族の古き吟誦歌 より 苔桃の果拾う女の歌、熊祭に行く人を送る歌
 作曲:伊福部昭
 
 サハリン島先住民の三つの揺籃歌 より ブップン・ルー ウムプリ・ヤーヤー
 作曲:伊福部昭
 
 以上
 ソプラノ:谷地聡子
 ピアノ:小部晴枝

 アイヌの歌と楽器〜川上恵、スズサップノ良子、他

 対談
 伊福部玲・寮美千子(進行:スズサップノ良子)

 ピアノ組曲
 ピアノ:江原千咲子

 ※アンコール
 石丸基司編曲:ピアノ独奏版SF交響ファンタジー第1番より

 直前にプログラムの変更があり、ちょっと混乱したが、なかなかのヴォリュームで盛会であった。

 ここでは、伊福部曲のみ取り上げる。

 音更町歌及び歌曲の抜粋は、当初演奏が予定されていた曲が諸事情により中止となったため、ようするにピンチヒッターでの急な出演だったが、かなり頑張った演奏だったように思う。音更町歌は、20年ぶりに聴いた。伊福部らしい歌いにくさ……もとい重厚さだ。歌曲がそれぞれ全曲演奏でなく抜粋だったのは、おそらくだが、2週間の合わせで演奏できる曲をチョイスした結果なのではないか。

 音更出身であるソプラノの谷地は、急なオファーに「引き受けるかどうか迷った」という。2週間で伊福部の歌曲を合わせて人前で演奏するというのだから、それはそうだろう。なんとかかんとかでも成功し、ピアノの小部と安堵の表情を浮かべていたのが印象的だった。

 そして、本日のメイン。昨年に続き、江原は札幌で2回目のピアノ組曲だが、これも2週間前まで違う曲を懸命にさらっていたのに、急遽のプログラム変更でかなり大変だったと推察されるが、見事に仕上げてきてブラボーというほかはない。昨年より熱量が少し下がって、落ち着いているようにも聴こえるが、いまだと昨年がやや暴走気味だったように思える。

 盆踊はそれがもっとも顕著で、熱量はむしろ内に秘められ、鋼鉄に閉じこめられている。プロコフィエフでも弾いているかのような、鋼鉄の冷たさの中身は、まだ灼熱に輝いているかのごとき見事さだ。どちらかというと感情的なタイプだと思う江原が、ここまでキッチリと冷静に仕上げてきたことに、まず驚いたのを覚えている。

 七夕ではさらに熱情が氷漬けとなり、冷たさまで感じる。よけいな情感をそぎ落とし、音の粒のみがきらきらと夜空に光っているというような表現は、七夕ではむしろ大事なのではないか。後半部の仄暗さい聴感、美しさと不気味さと冷たさが同居する。江原はテンポを落とし、人魂か美人幽霊でも出るかのような音の世界を作り上げる。

 このところ、私も日本(ピアノ)組曲で後半の2曲が面白く感じるようになった。以前は逆だった。前半2曲は分かりやすいが、後半2曲は掴みどころが無く、特に第3曲の演伶(ながし)は構造的にも動機的にも良く分からん曲だった。大体、流しの芸人などいまや絶滅しており、私などは酒場でギターを弾くおじさんのイメージしかない。

 その演伶について、演奏会後に江原と思うところをDMでやりとりし、ネットやCDのブックレートで情報を確認したが、この話題は、伊福部研究者でも意見の相違がある。伊福部に直にインタビューして本にまとめているので高名なのは木部と片山だが、両者ともやっぱり「この演伶ってなんですか?」と思っていたようで、それぞれ伊福部本人に訪ねている。

 ところが、伊福部は木部には「新内節」と答え、片山には「津軽三味線」と答えている節があり、どっちがどうなのかは、今となってはもう完全に分からない。「津軽三味線で新内節を弾いてた、ということではダメでしょうか」とは、このサイトでもおなじみの、伊福部の最晩年の生徒である堀井の意見だが、まあそうとでもとらえるしか、真相は分からない。

 伊福部は反骨というか、ひねくれているというか、自室の書棚に昔の曲の譜面がどっさりと残っているのに、「その曲の譜面はもう無い!」と最後まで言い張っていたくらいなので、なかなか発言からその真意をくみ取るのは難しい人物である。

 それはそうと、江原も当曲で演伶がもっとも演奏が難しいようである。当初は、どうやって演奏すれば良いのかすら分からなかったという。当曲が、日本組曲と言いつつ、その実は「青森組曲」であること鑑みると、第3曲だけ新内節というのはいかにも浮いている。やはり津軽三味線ではないか? と感じていたという。ちなみに堀井によると、津軽三味線にしてはテンポが遅すぎるので、違うのではないかとのこと。だが、これは標題音楽ではないし、あくまで印象の音楽化なので、そこまで厳密に考える必要もないと思う。

 速すぎず、遅すぎずというと中庸な演奏ととらえられるかもしれないが、江原の歌心のようなものがしっかりと伝わってくる。これも、どこか暗い悲哀のようなものが漂っている旋律で、どうして19歳の青年がこんな渋い曲を作曲したものか、たまらない気持ちになる。伊福部は最初から老成していたと書いたのは、片山だったか。中間部でやおら盛り上がるが、ここなども三味線がベンベンとかき鳴らされている印象だ。また音楽はテンポを落とし、なんともしんみりとした夜の風景になってゆく。ここに、瞽女のような、漂白の芸人の寂しさや苦労や悲哀を感じてくると、俄然、演伶の奥深さが面白くなってくる。

 佞武多は、伊福部が学生時時代の友人の実家である青森県大鰐町に遊びに行った際の印象だそうで、正確にはねぷた(NEPUTA)なのだが、ねぶた(NEBUTA)ということにしてある。ここでも、巨大な山車が夜に光って練り回される光景の印象と考えると、祭りの盛り上がりよりも山車の重厚さが際立ってくる。

 とはいえ、江原は、重厚さを感じさせつつも、攻めるときは高速で攻め、祭りの熱狂も同時に突き詰める。情景が浮かぶというより、やはり標題音楽ではなく、あくまで印象派の曲のような作りだと思うので、ここは祭りの印象と捕らえたい。夏の熱気と湿度を感じさせる、熱い演奏といえる。

 思えば、演伶を夜の酒場ととらえると、七夕→演伶→佞武多と、みな夜の情景なのではないか。

 アンコールでは、伊福部の弟子である釧路在住の作曲家、画家、料理人であるマルチな才能を見せる石丸の編曲によるピアノ独奏版SF交響ファンタジー第1番より何曲か抜粋。江原と言えばゴジラの楽曲であり、当曲から伊福部に入ったというので、思い入れもある。抜粋とはいえ、素晴らしい演奏である。(しかし、アンコールで伊福部マーチとは、すごい体力!!)

 なお、アイヌ音楽ではトンコリの演奏と、タプカラの実演が印象深かった。タプカラはアイヌ民族博物館(当時)で取材した時以来で、2回目の鑑賞。またその際とは違うタプカラで、タプカラは伝承地や演者によって異なるというのを実感した。伊福部ファンで実際のタプカラを2度も鑑賞したことがあるのは、私だけではなかろうか?

 江原によるYouTubeチャンネルがあるので、ぜひ鑑賞いただきたい。

 憧れの豊平館!演奏会直前スペシャル!
 《ピアノ》激闘!札幌2025〜『伊福部昭に捧げるピアノと朗読の夜』本番前のドタバタ珍道中〜
 《ピアノ》2025年札幌『伊福部昭に捧げるピアノと朗読の夜』演奏会/当日映像<前編>
 《ピアノ》2025札幌『伊福部昭に捧げるピアノと朗読の夜』演奏会/当日映像<クライマックス後編>

 資料23


実演での伊福部23

 第666回 札幌交響楽団定期演奏会 2025年1月25日(土)、26日(日)
 札幌コンサートホールkitara

 指揮:広上淳一
 ピアノ:外山啓介

 武満徹:「乱」組曲
 伊福部昭:リトミカ・オスティナータ−ピアノとオーケストラのための
 シベリウス:交響曲第2番

 札響16年ぶりのリトミカ!
 
 今回の演奏会パンフで知ったのだが、札響はリトミカをこれまで2回演奏しており、これが3回目なのだそうだが、私は幸いにしてそのすべてを聴いていたのであった。

 1回目 作曲家伊福部昭氏を讃える「ゆかりの地レクチャーコンサート」(音更町) 2005年11月23日 演奏会報告1 実演での伊福部3参照
 2回目 第515回札響定期 2019年1月23日(金)、24(土) 演奏会報告2 実演での伊福部16参照

 まさか、音更の演奏がリトミカの札響初演とは思わなかった。

 さて、私は土曜の演奏を聴いたのだが、まだちょっとソリストがホールの響きを完全に把握しておらず、指揮やオケとタイミングがずれている部分があった。これは、札響はリハーサルを別会場(芸術の森)で行い、本番のキタラホールはゲネプロと本番だけしか使わないので、どうしてもそうなりやすい。またキタラホールは残響が1.5秒ほどもあるそうで、特にステージの上は指揮と実際に聴こえる音とかなりズレるのである。

 両日聴いた友人たちによると、日曜はそこを修正してきて、かなり完成度が高かったようだ。

 指揮の広上は、30年前、35歳にしてキングレコードでの伊福部昭シリーズの指揮を任された。伊福部演奏には、一家言あると思う。東京音大の指揮科時代は学長が伊福部昭で、学長室に遊びに行って、学長手ずから淹れたお茶を御馳走になったとのこと。

 ピアノの外山は札幌市出身、名寄や旭川で育った生粋の道産子。期待は高まる。なお、楽譜はアイパッドを使っていた。時代である。

 武満やシベリウスによく似合う札響独特の透明な音色は、泥臭い伊福部を好む聴衆にはちょっと物足りないかもしれないが、この日の演奏は曲が進むにつれて凄味が出てきて、後半などは凄まじい迫力で一気に押し通した。緩徐部のピアノの歌いこみも充分で、オケも透徹な響きがよく表現できていたと思う。打楽器も盛り上がって叩かれ、ピアノが全然聴こえない部分もあったのはご愛敬だ。

 2025/02/01執筆現在、同じメンバーで同曲の、キングレコードの伊福部シリーズの発売も久しぶりに決まり、気分が高揚している。2日めを聴いた友人が「リトミカの決定版ではないか」と言っていたので、期待したい。

 資料22



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