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いざ日勝峠を超え、十勝へ!!
うーん。十勝だ……!
いちど帯広でチェックインし、昼食をとり、それから音更へ。帯広駅から直線道路で車で15分ほどでもう音更です。意外と近かった。しかも、帯広からの人口の流出により、幹線道路沿いは実家より発展してた(笑)
↑ 当日の会場の音更文化センター。まだ16時なのに、なんだこの暗さは。
「伊福部昭を讃える音楽記念碑」なるものがあるようなので、探してみることに。
なにやら森林散策コースの中にポツンとあるということで、コンビニとかでも道を聴き、意外と近くにあった。帯広駅からの幹線道路より、士幌方面へ向けて右折、音更川を超えてすぐ。「音和の森」です。
農道の真ん中に、なにやら音更の歴代のえらい人のプレートがある場所を発見。その中に伊福部先生のお父さんの姿も。
しかし周囲は既に真っ暗! ここから先の道が分からない。とにかく坂を上ってみる。
わかんねえーッ!!!
どこだ、ここはどこなんだ!? 畑!? ちがう、ぜったいちがう。道を間ちがってるw
しかもまだ16時半だし。同じ道民としても、日が暮れるのが早すぎるとおもうぞ。
諦めて、明日改めて明るいうちに探すこととし、演奏会へ向う。(農器具満載の地元ホームセンターで暇をつぶした。)
当日のチケット。
曜日を微妙に間ちがってて手書きで直してあるのがミソ。ありがちなチェック漏れ。
チラシの表と裏。小学校時代の写真っつうのが貴重。
表の右上にあるのが件の記念碑。写真のピンクの人はピアノの川上敦子さん。
パンフレットの表紙。
裏。音更町歌の直筆原稿がデザインされている。
プログラム。
伊福部昭の会というのがあって、そこが用意したリーフレット。
資料的価値の高い内容。
同じく。
伊福部先生宅の応接間にある、漢学者・諸橋轍次による書 無為
我輩が書いたらきっと自動的に無理とか無駄とかになる。
記念碑の写真。明日はこれをめざす。
御真影。
演奏会終了後、伊福部大先生ご長女、陶芸家の伊福部玲先生と。
同じく、不気味社音楽応用解析研究所所長と接近遭遇。
なお、所長は諸事情により、X星人形態となっております。
またゴジラ伝説の井上先生も来訪されておりましたが、舞い上がった私が不遜にも、せっかく紹介されても軽くスルーしてしまいました。
反省。
不気味社の御神像。
所長がわざわわざ持ってきて、見せてくださいました。1点ものという貴重なものです。
翌日。
いざ、記念碑探索の旅へ。
演奏会後、NPO音更町文化事業協会の副理事長さんにあらかじめ場所を聴いたから大丈夫だろう。先日の、「えらい人のプレートが並んでいるところ」 ではなく(!)、その手前の道路を左折、さらに細い農道に入り、その途中から、森へ入るという。
それがここ。↑ わかんねーぞこりゃ。看板が小さすぎ。っていうか、道民の感覚から云うと、森じゃない。
まあとりあえず、坂でものぼるべや(寒い)
ハズレ!! また畑!!
またちがうのか? とりあえず戻る。
ちょ……道……手すりが……
馬の碑ならあるんだけどなあ。
……これ、碑なのか?
もしかしてこれか? こっちか!?
正解!!
やっとたどり着きました。
パチパチ。バンザーイ!
裏側。
プレートの説明。
年譜の半分です。越天楽やプロメテの火の譜面は残ってないのかなあ。
木がだいぶんいい感じに色あせてきてる。
家とかでも、木のベランダとか調子に乗って買っても、毎年ニスを塗って手入れしないとすぐこうなる。
というわけで記念撮影。ありがたや、ありがたや……。
碑の奥に、昔の家を保存した施設(?)を発見。(他にもいろいろ、ささやかなモニュメント等があった。)
明治の家。北の零年の世界なりよ。
中。火が無いとはいえ、寒い。現代人には想像を絶する暮らしだったようだ。
なんと、スリッパがあってあがれます。
そこで記念碑の紙型を発見!!
当時のアイヌの写真。酋長各とその補佐とありました。
差別的と指摘されるかもしれませんが、道民からいわせてもらえば、今では見ることのできなくなった純血のアイヌです。
アメリカ先住民と云っても分からないくらい。
伊福部先生が幼少期に共に遊んだアイヌとは、こういう、アイヌ語ベラベラの、純粋なアイヌだったのです。
明治44年のタンスだそうです。
こんなの無造作においてあっていいのかな。
誰もとらないのか……。
いろり。
ゴミではない。いや、棄てればゴミ。活かせば資料。
2005年現在ではもう81年である。
全景。晩秋の姿がもの悲しい。
すぐ側が畑。牧草地ですね。
これは森ではなく、ただの防風林なのでは……。
しかし十勝ックな景色だ……。
最後にもう一度全景。
さようなら音更。たぶん……また伊福部作品の演奏会とかないかぎり、もう来ないでしょう(笑)
ところがどっこい翌年にまた行っちゃいました!
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