詩篇交響曲
ストラヴィンスキーの5つあるシンフォニーの中では、もっとも好きな音楽です。なにが好きなのかというと、その特殊性と、特殊性にもたれていない普遍性、音楽そのもののおもしろさ、すべてが総合的に、私の性に合っている。また形式上は、完全にカンタータとなっている。
旧約聖書・詩篇の内よりテキストを得て、合唱をメインに、人声に近い音を出すバイオリンとビオラ(ついでにクラリネット)を欠いた特殊な管弦楽で合唱を際立たせるという面白さ。たしかに、聴いてみても、フツウの合唱つき管弦楽作品に聴こえるのだが、実は無い。作曲者本人としては、完全なる合唱と器楽の融合を計ったようだ。
ストラヴィンスキーの交響曲いうだけでとりあえず録音は少ないのだが、詩篇は中でも少ない。(マニアックな交響曲変ホ調ほどではないが)
大規模なわりに編成が特殊なのが関係していると思われる。音楽自体は20分ぐらいで短いし、そのくせ、合唱団をもってきたり、オーケストラはバイオリンとビオラが無いわで、なかなかままならないのではなかいと思う。
3楽章制であるが、力強い1楽章は3分半ほど。これを前奏部と見る人もいる。神への真摯な祈りの音楽であり、詩篇第38篇第13−14節が歌われる。
2楽章は詩篇第39篇第2−4節で、願いを聞き届けた神へ対する感謝の歌で、緩徐楽章となっている。合唱と、金管の重奏的コラールが美しい。
3楽章はメインで、詩篇第150篇すべてが歌われる。「アレルヤ」と「ラウダテ」の歌い出しがとても印象的で、途中よりテンポは急変し、アレグロとなる。管弦楽の間奏の後、不思議な和音の合唱が神をたたえる。ラテン語の妙な発音と単調なリズムは一瞬、エディプス王も喚起させる。最後は、静かに、消え入るように終わる。
演奏では、儀式的な茫洋とした器楽と冥界からの誘いかけのような合唱が魅力のものと、逆にあくまで力強く人間の生命力と宗教力を歌ったものとに別れるのではないだろうか。ただし、2006年最新盤のギーレンはそれらを超えた超越的な解釈が魅力。
1.ギーレン/SWR響
2.アンセルメ/スイスロマンド管
3.カラヤン/ベルリンフィル
4.アンチェル/チェコフィル
5.ストラヴィンスキー/コロンビア響
ギーレンの(おそらく)初の、正規でのストラヴィンスキーは、ハルサイではなく新古典主義を代表する、3楽章、ハ調、そして詩篇だった。
その中でも際立った存在感を示し、なんとも、音楽の音楽のみによるアプローチという、彼のストラヴィンスキー観が素晴らしく結実しつつ、感情的な重厚さや音楽の起伏をも感じさせる、稀有の演奏になっている。最新盤なので録音も上々、特に合唱の生々しさや迫力は特筆ものでしょう。
ここにあるのはあくまで音楽のみで、情景も、感情も、意図するところも、本当は何も無いはずなのに、聴くものにそれを感じさせる。
これはすごい。
アンセルメはさすが初演者、ストラヴィンスキーの意図するところを100%再現している。すばらしい。リズムといい、展開といい、合唱や管弦楽もビビッドで、新古典主義の中に原始主義が内在している。
録音も古いし、分厚いむかしのモダンオーケストラの響きが、また、特に音楽に生命力を与えているようだ。とはいえ、指揮者本人はまるで幽鬼みたいな容姿と棒で、淡々と音楽を仕切るその妙味。
たまりません。
カラヤンのは抑揚の無い、これが他の曲だったらまったく「ハズレ」のやる気なし演奏。しかし、音楽自体が不気味なうらぶれた感じに良く合っているから始末が悪い。
茫洋とした雰囲気がシナイの地の遠い地平線に沈む太陽を喚起させる。
あくまで遠くより響く神への祈りと応え。蜃気楼のようにも。
もしくは霧中の響きか。
それでいて、冷たいタッチがストラヴィンスキーに合っていないというわけではなく、異様なまでに合っているのだから恐ろしい。
アンチェルのストラヴィンスキーはハルサイを含めてアタリが多い。しかし復刻盤のゴールドエディションはやや雑音が消えた変わりに模糊としてクリアー度が失せているという典型的なもの。
かなりクールな指揮なのだが、その中にただクールなだけでは聴こえて来ない何かを持っている。腹に逸物ありという音楽。詩編も、1.2楽章の素っ気なさと3楽章のアレグロの生々しさが、同居している。
またチェコフィルのなんとも云えぬ響きが、アンチェルの指揮により高貴とも云えるアンサンブルにまで到っているのが良い。
ここで作曲者のアプローチが残っているのは貴重だろう。
作曲家が自分の作品の録音に非常に興味があって、営業も兼ねて自分で指揮までしてどんどん録音するというのは、20世紀の巨匠の中でもストラヴィンスキーが最初なのではないだろうか。
指揮者としてのストラヴィンスキーはその音楽の本質を表したような、独特の渇きとモダンさを備えたものがあるのだが、この詩篇は珍しい部類に感じます。
ここで歌われる合唱は本当に宗教曲そのもので、古代の声としての人間の生命力にあふれている。ドラマティックというわけではないが、非常に生き生きとした良いものです。
どのように演奏しようと、原始キリスト教の力強さ、または東方正教会のような儀式美、カソリックやプロテスタントよりも、むしろそういう古い様式美と、ストラヴィンスキー独特の冷たい精神美に満ちている。
ちなみにこの交響曲は1930年、ボストン交響楽団創立50周年記念のため、特にセルゲイ・クーゼヴィッキーが当時の高名な作曲家たちに委嘱した作品の内のひとつとなっている。
参考:ストラヴィンスキーの交響曲のページ
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